特別になれない   作:解法辞典

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今回は戦闘シーンがあります。

おかしな点や誤字などございましたら教えてください。


第五話 先入観で判断するな

 知らない大人について行ってはいけない。学校の先生がそのように言っているが、俺からすれば危ない大人程度ならば封殺できる自信があり、基本的に一緒にいる天ちゃんも安全だと断言ができた。勿論そのことは皆が知っている事で、生まれてこの方防犯ブザーというものを持ち歩いた経験は皆無であるし、ましてや学校もない休日に持っている筈もなく、一緒にいる天ちゃんも、用事が駄菓子屋であるので、当然そんなものを持っていなかった。

 危ない人間と怖い人間では、感じ方が違う。カッターでも持ち歩いていようものならそれは危ない人間である。見た目でも文章でも、危ない事がわかるだろう。しかし怖い人間というのは受け手の尺度が絡んでくるが、見た目が普通でも本能的に何か良からぬものを察知する。例え文章で三十代くらいの無精髭のおっさんと書かれても怖さはない。

 俺の出会った、釈迦堂刑部という人物はその様な、怖い人物であった。

 

 

 駄菓子屋で声をかけられた。

「そこの餓鬼ども、お前らいいもん持ってんじゃねぇか。」

 明らかによれよれのシャツ。店の前でスルメを食べている見知らぬおじさんが声をかけてきた。怪しいだけでなく、どこか俺たちとは違う世界の住人のような、地に足がついていない人だった。休日の午前中から一人で駄菓子屋に鎮座している成人を超えた男性がいる。それだけで警戒するための判断材料は十分にあった。

 天ちゃんも明らかに常軌を逸しているその男から身を潜めるように俺の背後に回った。

「おうおう、朝からお熱いな。っと、そんなことを言いたい訳じゃないんだった。」

 頭を掻き毟りながら、あたかも反省している素振りをして、へらへらとしたにやけた顔をこちらに向けてくる。

「おじさん武術に詳しいんだけどよ。お前たちの才能が素晴らしかったからついつい声かけちまったんだ。オレの名前は釈迦堂刑部って言うんだが、どうだ、オレに弟子入りする気はねぇか。」

 そんな怪しい勧誘でついて行く人間がいるだろうか。

 酒でも入っているのか知らないが、俺を前にして、身のこなしがわからずにそんな言葉を吐けるんだからよっぽど大した腕の持ち主なのだろう。それとも俺をおちょくっているのか。そのどちらにしても目の前の人物が危険であることには変わりはない。天ちゃんがいる中で戦いになったとしたら真っ先に天ちゃんが危ないので、戦いを回避するか、先手を打つか。

「奇遇ですね、俺も武術家なんですよ。黒田高昭っていうんですけど。」

 へぇ、と一言発した釈迦堂からは先ほどとは比べ物にならない威圧感が感じられた。

「お前が黒田の、ね。面白いな、おい。」

 急に笑い出した釈迦堂は、一度大きく息を吐き出してから俺に向かって仕合をしてくれないか、と頼んできた。久々に骨のある相手と戦えるから嬉しいと言っている。黒田というビックネームとやり合えるのが、嬉しくて仕方ない、そう言って返事も待たずに戦う気でいる。

「良いですけど、あまり面白いものではありませんよ。」

 俺は一言そう言った。

 

 

 近くの川原まで移動して向かい合うように立っている。

 小学校六年生にもなって駄菓子を買うだけではどうにもならなかった天ちゃんは、釈迦堂に千円札を二枚ほど貰い、大人しく見学していてくれるそうだ。俺は家に帰っていてもいいと言ったのだが、一人じゃつまらないと言われてしまった。

「それじゃ、そっちのお嬢ちゃんに合図して貰ったら始めようか。」

「始め!」

 間髪いれずに合図を出した天ちゃんの声を聞くと同時に距離をとる。どちらかが動かない限りどちらの攻撃も当たらない、大きく離れた所だ。

 早すぎる天ちゃんの掛け声に対応できなかった釈迦堂は、漸く構えたといったところで、攻め込まれなかったことに対して一先ずの安心をしている。攻めあぐねている状態を見る限りでは黒田の技に関する知識はそこまでないだろう。揺さぶりをかける為に少しずつ前進していく。相手の流派がわからない以上先に相手から動かす必要がある。

 相手の反撃を釣る気はないが、細かい技を使わなければ一気に流れをつかまれかねないのが辛い。できることなら先に手を出して欲しいがそこまで相手も馬鹿ではないだろう。自分から攻められない流派では未完成だ。使い手がその部分を埋めるのは並大抵の努力では不可能で、どの武術でも当身くらいは存在する。大まかな奥義以外を自由に決めていい黒田でも、奥義のなかに自分から攻める為のものはある。

「びびってんのかよ!」

 痺れを切らしたのか、それとも様子見か。釈迦堂の上段蹴りが飛んでくる。リーチは明らかに相手のほうが上だ。然程体重の乗せていない攻撃なので、腕で受け止める。脇は締めて、腹部の防御を意識しているように見せる。

 素直に引いて仕切りなおしなら同じ事をすれば良い。かすかに前に踏み込んだ足を見てこちらがカウンター狙いだと読んでくれるならば御の字。知らずに弱腰の攻撃を打つのならばそのまま逆に相手の腹部にこちらの拳を沈ませるだけだ。

 蹴りを放った足を引いて一旦後ろに下げたと見せかけた釈迦堂は引いた時の弾みを利用して、もう一度俺目掛けて蹴りを撃ってきた。

「くあっ。」

 鋭い一撃に対して、何とか避けきった、と思わせる為に声を出して、目一杯跳んでかわす。言うまでもなく跳んでかわすのは悪手。上段蹴りで相手の重心を低くさせる咄嗟に足による蹴りのブロックを抑制する巧い戦い方だ。間違いなくこの釈迦堂は強い部類の人間だ。恐らくこの後に、空中の俺を捕らえた攻撃を出してダメージを蓄積しつつ、俺が攻めなくてはならない状況を作る気だろう。黒田の、または俺自身の技を見る為に確実に当たる攻撃に誘導したのだろう。相手の攻撃が空振り、俺が空中にいる。相手の復帰の方が明らかに早い。

 俺が素直に着地をするつもりなら、の話だ。

「そらよ。」

 三度の蹴りが飛んでくる。完全な慢心だ。下段ならいざ知らず、空中の相手を狙う大上段の蹴りなんてガードされても反撃を食らう。ましてその防御すらも打ち破ろうとする全力の蹴りなんて、俺にとっては格好の餌食だった。

 俺が空中で動ける事なんて釈迦堂が知る由もないわけで、予測できる判断材料なんてない。誘導されていたのは逆に釈迦堂のほうだったのだ。

 空中に作り出した足場を踏み台にしてもう一度跳躍。攻撃の動作に入っている釈迦堂の頭上を飛び越える。空中の相手を見ながら蹴りを出そうとすれば仰け反りすぎて反動で倒れてしまう。つまり釈迦堂は今、俺のことを見ていない。

 地上に降りた俺は、背を向け、バランスを崩した釈迦堂の背中に狙いを定めて掌底を叩き込んだ。

釈迦堂からは空気の抜けたような音がして、勢いのまま数歩前進している。よろけた釈迦堂との距離を離して様子を伺う。演技でもなく、攻撃が直撃したことを確認してから攻勢に出る。

 確認をしなければならないこともある。飛び上がりその勢いのまま空中ダッシュで距離をつめる。このままならば未だに俺に背を向けている釈迦堂にもう一度直撃させることができる。

「舐めるなよ餓鬼がぁ!」

 後ろ向きのまま繰り出された攻撃は俺の行く手を阻み、俺はもう一度空中で翻り地面に着地する。釈迦堂もこちらを向いているために、やっと仕切り直しとなった。遠くの方で天ちゃんが、サマソだサマソだ、と騒いでいて可愛いが今はそれを気にしている場合ではない。

「足払いの蛇屠りに、サマーソルトの鳥落とし。おっさん川神流だったのか。」

「別に隠してた覚えはねえよ。お前の飛行術は黒田の技か。」

 息を整えた釈迦堂が返答した。あの程度では利かないか、わかってはいたが相当な手練れだ。

「あれは俺の技だよ。黒田の奥義じゃない。」

「そうか、じゃあ、オレもオレの技を見せてやる。行けよ!リングゥ!!」

 至近距離、踏み込めば届く距離から放たれたその攻撃は、釈迦堂の両手によって凝縮されてリング状になった高密度の気弾だ。当たれば人間の体なぞ粉々に砕け散ってしまうだろう。その攻撃が至近距離から放たれた。俺でさえ撃ちだす瞬間にリング状になっていた場面しか見えなかった。まして着弾する瞬間、撃ちだすこと自体を読んで避けることはできなかった。

 当然、あたり一帯に轟音が響く。

「あーあ、やべえわ。ありゃ死んだかもな。まあ肉片すら残んねぇけどな。」

 そして、騒然、土煙の中から無傷の俺が現れる。

 

 

 釈迦堂刑部は今まで生きていて初めて、自らの目を疑った。

 あの川神百代でさえ瞬間回復を持ちながらもこの、リング、の技を直撃すればただでは済まなかったというのに目の前の黒田高昭は平然と生きている。川神の禁じ手、富士砕きに届かない威力にしても壁を超えた武術家を基準にしても殺人的な威力である。それを高々小学生に易々と止められるなんて悪い夢を見ているようだった。

 釈迦堂が唖然としていると高昭がしゃべりだした。

「捉えることの許さぬ、烈風。霜林、掴むことかなわず。瞬にて敵を討つ、閃火。剣山、時として最大の攻勢。これが黒田の四つの奥義、攻防一体の風林火山の構え。今その攻撃を防いだのは山の構えだ。」

 釈迦堂が高昭を見ると取っているのは一見普通の自然体。しかし体表に蠢く大量の気が見える。原理はわからないままだが、リングを防いだのは事実だ。恐らくあの構えのときに威力の高い攻撃でも意味がない、駄目だ。そうすればどうする。まずは間接技が利くかどうかを試さねばならない。

 自然体といえどあまりにも無防備だった。釈迦堂の実力があれば十分に目の前の首をへし折ることなんて容易いことだ。釈迦堂は先ほどの空中で高昭が自由に移動していたのが気に関係するものだと気づいている。今、高昭の体表に気が集まっていても空中に気の溜り場はない。今度こそ逃げられるわけがない。攻撃を当てる、釈迦堂のその自信は間違いなく実力に裏打ちされたものである。事実あの川神百代の天賦の才を以ってしても容易ではない。川神師範代であるルー・イーでさえも避けることは難しい。

 それだけの実力を釈迦堂には有る。

 釈迦堂の心には、幾ら手合わせ、最終的に手加減をする仕合でも、負けるわけにいかない、という感情が芽吹いていた。ずっと年下の武神に負けることも幾度かあった。同期の同じ師範代と実力はこちらが数枚上手だった。その程度、釈迦堂にはどうとでもなかった。

 あの名高い川神院で実力者、世界で上から数えたほうが早い人間。現状に満足もしていないが、男ならば夢見る、最強、自分がそれに近いことに少なからず誇りを持っていた。その誇りを傷つけられぬように、飄々として生きてきた。態々本気を出すまでもない、必死に何かをする必要もない、力さえあれば生きていける世の中だ。

 だが目の前の現実は違う。たった数日前川神の総代から事実上の破門を言い渡され、持ち合わせで何とか生活していた。貯蓄はあったのでまだ数日間たもつだろう。それでもたった数日だ。仕事はなく現在のように毎日銭湯に通えるかすら怪しい。

 それでも誇りは残っていた。強いのだと、自分は負けないのだと、そう自分に言い聞かせていた。だとしたら目の前の現実はどうなる。自らが編み出した奥義は、釈迦堂刑部の代名詞たる奥義、リングは武神より更に幼い餓鬼に打ち破られた。あの技が、こんな餓鬼に破られた。

 年端も行かない子供に、良い様にあしらわれるのが最強か。

 川神が最強ではないのか、オレは強いのではないのか。

 釈迦堂の頭には冷静な判断ができる余裕はない。

「林の構え。」

 技をかけようと突き出した腕が空を切る。釈迦堂の攻撃は完全に避けられた。掴むことはおろか触れることすら叶わない。いつの間にか変わっていた高昭の構えにも気づかぬまま、釈迦堂はもう一度攻撃を仕掛ける。しかし、攻撃は当たらず、逆に一発、反撃を受ける。

 頭に血が上っている。自分でわかっている。冷静にならなければ勝てない。

 釈迦堂は、自分でも久しぶりだとわかるほどに勝利に拘っていた。負けたくないと感じ、他人を見下すことなく、対等な相手として見ていた。

 釈迦堂は理解した。先ほどの、山の構え、をしているとき以外に攻撃を防ぐ手立てはないだろう。相手の攻撃は幸いにも重いものではない。対するこちらは恐らく一撃、相手に直撃させればこの仕合に勝てる。仕合に応じたからには対等で、年齢や体格に関係なく勝てば良い。相手の動きは未だに理解ができないが、あの動きを可能にするには、体の回りに浮かぶ大量の気が関係している。そのおかげで威力は大きくないのが幸いだ。

 自慢ではなく、釈迦堂自身が相当タフである。高昭が絶対に何時か痺れを切らして大技を撃ってくる筈だ。釈迦堂はそこに大きくコンパクトで最速の一撃、自分の体に良く馴染んだ技。川神流、大蠍撃ちを叩き込む。

 

 

「火の構え。」

 重心を低く、溜めるようなこの構え。黒田の奥義で最も強力な一撃を叩き込む技。この構えから飛び出すのは後ろ回し蹴り。上段、中段、下段の何れかを放ち相手の防御を無視して叩き込む。天ちゃんに言わせて、一撃必殺のこの技は、単純な軌道でありながらも完成された一撃である。先ほどの釈迦堂のリングを防いだのと同じく黒田の奥義である、山の構えすらも貫く、正しく劫火。

 三度目の反撃を入れて、少し重心の揺らいだ釈迦堂目掛けて振り下ろす。どてっ腹を狙った中段蹴りで、高昭はその過程で釈迦堂にちょうど背を向ける。

「大蠍撃ち!」

 よろけた振りをして攻撃を誘った釈迦堂は、待っていたその大振りの攻撃が到達する前に決着をつけるべく右の拳を叩き込む動作は完成されていた。完全に読み勝った。強いといえどもまだまだひよっこだ。経験の積んだ相手であればここまで巧く嵌ることもなかっただろう、と釈迦堂は自分の勝利を疑わなかった。

 ただひとつ、忘れていたのは黒田も才能の塊だということ。

 勝利を確信してしまったことで、技を打つのが早すぎた。

「ロマンティック。」

 高昭が反応できてしまったことが、唯一の釈迦堂の敗因だった。攻撃の挙動に入っていた高昭の体が気の力によって押し戻されていく。ロマンティックキャンセル。技を出始めであるがために釈迦堂の攻撃が届く前に自然体へと体勢が戻る。

 釈迦堂の腹部にはカウンター気味に入った高昭の肘が深々と突き刺さっていた。

 高昭は一言、ありがとうございました、といってこの仕合を締めくくった。

 

 

 川原で一人煙草をふかしながら、釈迦堂は痣になったであろう腹部を撫でていた。今はただそれだけで、他に何をしようというやる気が起きなかった。

「手ひどくやられたな、馬鹿弟子。」

「じじいか、なんの用だ。」

 釈迦堂の後ろには嘗て、数日前まで師であった川神鉄心がいた。

「昼間から馬鹿でかい闘気が二つ、片方はお主で百代が煩いから見にきただけじゃよ。」

 釈迦堂は何も答えない。

「今代の黒田はすごいのう。或いは百代にも届くかも知れぬ。」

「届くかも、じゃねえだろ。対等でこその当て馬だろう。」

 鉄心の言った言葉が少し気にかかった釈迦堂は問い詰める。鉄心はまるで黒田では届かないと言っている様なものだった。

「黒田は強い。技も、才能も、それこそ上限一杯と言って差し支えないほどに強い。少なくとも初代の黒田はそうだった。今代の黒田高昭と同じようにな。」

 釈迦堂は鉄心の話に耳を傾けている。

「それは人間の限界だった。当時の武術家はこぞって挑み、そして負けていった。お主が感じたように黒田の技は生半可では突破できない。速く威力もある風。すべての攻撃にあわせて反撃をする林。防御をも破る火。いかなる攻撃も通さない山。そのすべての構え、そして才能。黒田は強かった。」

「今の最強は川神なのにか。」

 携帯灰皿に煙草を捨てて、寝転がった釈迦堂は鉄心に尋ねる。

「黒田は人間の限界だったが、それ以下でもそれ以上でもなかった。何時しか黒田より速い、巧い、力強い、堅牢な武術家が出てきた。黒田の技は徹底して対策をすれば敗れないものではなかった。誰もが勝てるわけではなかったが、誰にも負けぬ無敵ではなかった。いつしか黒田は人間の限界、壁、と呼ばれるようになったのじゃ。」

「オレは壁越えですらないわけか。」

 意味もわからず自分は強者だと勘違いしていた、井の中の蛙でしかなかった。釈迦堂は、己がどれほど小さい存在なのか、ぼんやりと考えていた。

「わしも小さな存在じゃよ。百代も未熟。ルーも一子も、黒田の人間も完全ではない。唯一、心は成長し続ける。釈迦堂よ、お主の才能は腐らすには矢張りおしい。その気があるならもう一度川神院の門をたたくのじゃな。」

 釈迦堂は考える。壁超えですらない自分が今まで、でかい顔をして教えてきた百代や一子に合わす顔があるのだろうか。それとも恥を忍んでルーや他の門下生に謝り、下に見られたままあの生活に戻るのか。

「男だったら、目指すは最強だよな。」

 答えはすでに決まっている。


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