特別になれない   作:解法辞典

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第三十三話 さよならだ

 黒田高昭が理性的である事は、この場の誰もが胸を痛める要因であった。せめて身の丈に合わない力を抱えての暴走であればと思ったのは、武術に長ける者に限らない。

 押し付けられた不可能に近い理想を目指し、足掻いた高昭にとって家族は、擦り減った精神を捧げるには程遠い存在であった。幾ら周りが高昭の心を癒そうと、求め続けた家族の愛が向けられない以上は高昭の夢は、悪夢は終わらない。

 折れた。諦めた。それだけの話だ。

 そして高昭は、立ち返って気づいたのだ。いつも貰ってばかりの自分の態度は、まるで肉親のようではないか、と。

 高昭は、家族との繋がりと、自身の存在を諦めた。

 それでも誰かが肯定してくれた気がしていた、そんな板垣の皆を、高昭は守れなかった。

 修羅に堕ちたとすれば、それは言うまでもなく丹田を穿たれた時に違いない。その上で高昭はゆっくりとゆっくりと壊れていった。もしも自分の暴走に顧みずに、存在を見失い暴走する弟の為に、恐ろしい力を受け入れて対峙する者がいたとして、仮に性別を女とする。

 なるほど出来すぎた展開であるのだろう、と感じたのは紗由理である。

 十余年。

 それは高昭が苦しんでいた期間である。筆舌に尽くし難い思いで過ごした事は、高昭が改めて語るまでも無い。故に、紗由理自身。自らが対峙するのは、本来であれば逆効果になるのは言うまでも無く、言葉や拳を交えての説得が効果的とも考えない。

 だから望みをかけるとするならば、理性的でなく、感情的な話である。

 道理を考えれば、高昭が家族に絶望するのは当然で、修羅であるのも覆しようがない事実であるのは言うまでも無い。

 それでも、高昭は修羅の道理で物事を考えながらも、友と笑って学業に励み、最後まで家族に愛されようとした。高昭が理性的であり感情で判断してないとすれば、梁山泊だけでなくあの場で肉親や紗由理が殺されないのは不可解であった。それは理性と感情の対称性の証明であるというのなら。高昭が自らの死を望むのが、他人を殺さずに狂気を満たす術だとすれば、それは高昭に願望が生きてたいと思う事と同じであるのだと、紗由理は考える。

 紗由理が今更改心しようが、高昭の奥底に眠る感情を撃ち震わす程に好意的に思われていないと、紗由理自身は断じて思う。

 高昭の感情を引き出し、自ら思い直してもらう為に、紗由理が行うべきは決まっている。

 挑発である。

 愛してると言うよりも先に――愛してるからこそ、高昭が喰いつく挑発をするのである。

「まあ、右腕の時もそうだったけどさ。」

 この挑発は、

「あれだけ近くに居て気づかないなんて薄情だよね。」

 火を見るよりも明らかに、

「友達、考えた方が良いんじゃない?」

 驚くほどに効果覿面であった。

 

 

「それを言える権利が、お前にあるものかぁぁあああ!」

 天使と委員長への侮辱と受け取って、高昭の頭は一瞬にして怒りに染め上げられた。

 高昭は、自分で語るように完璧な人間には程遠い。特に、感情のコントロールに関しては擁護する者無しと言っても良かった。

 幼き頃から、両親に無理難題を押し付けられ、奮起した事に始まり。道端で挑発され、釈迦堂との仕合に首を縦に振った事。由紀江が居候となれば、奥義に関しても張り合って晒して見せた。そして、燕に右手を差し出されれば、決して右手を差し出すことは無かった。

 高昭という男は、煽り耐性ゼロである。

 冷静さを無くせば、インファイターのパターンは明け透けである。一番気持ち良いフィニッシュブローを叩き込む事。それさえすれば、胸の靄は晴れる。

 高昭以外の誰もが、その行動だと分かっていた。

 風の構えより放たれる最速の攻撃は、左のフック。高昭の左腕は紗由理のボディに突き刺さる。加えて打ち出されるのは、右のストレート。常人では見切る事すら不可能なコンビネーションは、傍から見る百代や京でさえ、ボディへの攻撃に気を取られて、高昭の右腕の出始めを見失ってしまう。

 教え通りの完璧な連携。

 故に同門である紗由理には寸分違わず対処されていた。

 初撃を山の構えにて相殺。次いで懐に滑り込む。怒りもあってか、高昭は紗由理への反応に遅れる。

 がら空きの水月に紗由理の掌底が突き刺さる。女性にしては十分でも、高昭と並ぶと一回り小さい紗由理の体。件の『K』を受け入れた紗由理の一撃は、体躯の違いを笑い飛ばすような途轍もない一撃であった。

 巨躯と重さも理由の一つだが、地に足をつけてこれ以上なく巧みに戦う高昭が、攻撃に直撃して浮き上がるというのは、吹き飛ばされるというのは、なかなか見れない光景である。

 見た目だけに非ず、その衝撃波は空気をも揺るがす。紗由理の拳が当たった場所を起点に降り注ぐ雨粒が吹き飛ばされていく。数メートル離れた位置の亜巳でさえ、その空気から伝わる振動は痛さを覚える程である。

「一撃で決められないのは惜しいが、あんな攻撃を腹部に受けていつものように動ける筈がない。」

 吹き飛ばされて尚、立ち上がる高昭を見ながら百代は呟く。如何に武神なれど、先ほどの紗由理の一撃を自分が受けていたらと思うと、ゾッとしない話だった。

「そして『壁』として戦ってない以上、今の直撃は割り切れない。」

 京の評する通りだった。極端に言えば勝ち負けを度外視した『壁』としての戦いとは違い、高昭は負ける訳にはいかないという気迫がある。それは、紗由理への怒りは関係なくあるもので、百代や京と相対する時も、並々ならぬ雰囲気は感じ取れていた。

 勝ちへの執着がある以上、たび重なる連戦の中で消耗している状態で喰らった紗由理の一撃は、肉体面だけでなく精神的にも、高昭にとって手痛い一発なのは間違いなかった。

 一度距離を取ろうとする高昭と、それを逃がさない紗由理。

 何か手を打たれる前に、思考の余地を与えぬように、被弾は覚悟で紗由理は一直線に高昭に向って駆ける。

「見くびるなよ!」

 高昭が吼えると同時に、紗由理は危機を察知して背後から襲う攻撃を避ける。

 狙いが定まっている訳ではない無差別な攻撃は、降り注ぐ『雷』のようでありながらも消える事のなく残り続ける。

 高昭と紗由理を囲うような直方体の外観の中で、絡まった蔦のように、気で作られた有刺鉄線が敷き詰められている。

「なんだい、あれは。」

 亜巳は、素人目でも分かるほどに悍ましく、言い表せない不気味さを帯びたナニカを目の前にして、戦う二人から目を離してしまう。

 異様な外観以上の理由で、百代は眉間に皺を寄せる。

 それは結界であった。

 茨のような結界の構成に触れたならば、体から気を吸いつくす類のもの。だがその強力さは同じような目的で作られる結界とは比べ物に出来ない。この結界は、中に居るというだけで、人間の気を吸収し尽さんばかりの勢いがある。

 普通の人間だったらものの数分で衰弱死する代物。

「あの結界を切り札とするならば私たちも殺されていた可能性もあったという事か。」

「内部、外部からの破壊は無理でも、あれだけの代物、彼の気の総量では全然足りない。それにあれだけの規模は一種類の気では作れない。手伝ってる協力者さえ突き止められれば。」

「無駄だ。」

 京の考えを百代は切り捨てる。

「結界を作っているのは、黒田高昭。ただ一人だ。」

「少なく見積もって三人は必要な結界を?」

「ああ、奴が態々ジジイや師範代、ワン子、そして私たちと戦っていたのは、他者の気を保持する為だ。内部から気を吸い取り維持が可能な構造なら、発動さえするのに必要な数、気を揃えれば良い。恐らく、丹田のない奴だからこそ出来る裏技だ。」

 そして、百代は悔いるように戦う二人を見つめる。既に介入の方法は無くなり、高昭の策に嵌っていた事を思い知るのみである。それ以外に出来る事は、何一つ無く、高昭と紗由理だけが、決着をつける事を許された。

「やはり初めから、姉に手をかける心算で……。」

 それでも、と亜巳は皆で笑いあった過去を思い出しながら、二人の無事を祈るのだった。祈るしかなかった。

 

 

 ニューロンのように張り巡らされた気の茨は、その棘の鋭さから紗由理だけでなく高昭にも多少の傷を負わせると思われたが、縦横無尽に駆け回る高昭が傷ついた様子は見られない。

「『壁』を放棄した俺が、あんなのをいつまでも使うようでは笑い種だろう。」

 今日この日まで使い、三次元の戦いを可能としていた技を、高昭は不要と断じた。元は誰かの為に生み出した技は、高昭にとって心の重荷でしかない。

 その放棄を決断させたのは、天使を喜ばせる為に作った技を捨てさせたのは、紗由理の煽るような言葉だった。それは、良し悪しに目を瞑れば、高昭の自発的行動を後押ししたと受け止めることも出来る。だが、死に近づく高昭に一歩踏み出させた事が、最善ではないと言い切れるのは事実であった。

「こんな小細工程度じゃ負けてあげる訳にはいかないわね。」

「……そういう態度まま死にたいならそうすれば良い。」

 高昭が紗由理の視界から消える。蓄積したダメージや疲労があって尚、身体能力頼りの紗由理では見切れない移動速度で、高昭は攻撃の機会を伺う。高昭が足場と使えるも紗由理には行動を阻害するばかりの邪魔な結界の一部分。

 不用意に紗由理が半身引いた時、高昭の飛び掛かりが視界に入る。

 全身の重みがかかる飛び蹴りは紗由理の体を大きく吹き飛ばす。周りの気で形成された茨にぶつかり、宛らプロレスのロープを使うように体勢を整えるが、紗由理が反撃に出る前に高昭は紗由理の認識できない攪乱を再開する。

「高昭が弱ってるのか。それとも。」

 まともに蹴りを喰らったにも拘わらず、紗由理は無傷だった。『K』の規格外な気の総量は、纏う紗由理に、傷一つ許さない。

「だが、それが例え何千、何万と俺の攻撃を防ごうが、果てがあるなら!」

 二発、三発と被弾するが、紗由理にダメージは無い。それどころか、紗由理自身も自らの気が総じて減っているのかすら分からない。

 高昭が本気で、斧を研いで針にするような行いで紗由理を打倒すると考えると、先ほどの一撃は十分な楔である。良い一撃を貰った状態で精細な行動を続けるのは難しい。

「少しがっかりした。私の前言を撤回させる為に戦ってるのに、時間が掛かっても良いような戦術なんてね。頭捻ってそんな程度しか思いつかないから、皆を守れなかったんでしょうに。」

 どこまでも、自分を棚に上げた紗由理の言い回し――演技。

 既に動機も振る舞いも一貫性のない高昭であっても、家族への失望と怒りは自戒の念と同じ程に心に根付いているのは変わりようがない。故に紗由理の言葉は劇薬に等しく、高昭への否定の言葉は特に、逆鱗に触れる事に他ならない。

 そもそも、気が長いとは言い難い高昭が、先の戦術を完遂する可能性は低く、遅かれ速かれ正面突破に切り替えるのは明白。

「黙れ!」

 挑発を受けるや否や紗由理の頭上から飛び掛かる高昭。それは紗由理の予想通りの展開。

「変則、火の構え!」

 高昭は紗由理を射程内に捉える前に、横薙ぎに吹き飛ばされる。巨躯による圧倒的リーチ差をひっくり返す紗由理の秘策。

 紗由理が握るは即席の鈍器。どことなく鎌に似たシルエットは、両手で振るうには小さく、紗由理の得意とする鎖鎌よりは大振りである。

 病衣を気で固めたソレは、ポテンシャルを十分に発揮した代物。上着を脱ぎ、上半身が下着姿であっても、間抜けさは微塵も無くその異様さは失われない。高密度の気を、病衣を媒介として留めた力業は、全くの非効率的でありながら、言うまでも無く、強力であった。

 高昭を吹き飛ばすついでに茨のような結界の一部を、攻撃の軌道上にあった全てを引きちぎった。気を吸い込む結界を、気の塊で壊す。それがどれだけ荒唐無稽であるか。仮にも武神が介入を諦めるような代物を、紗由理は力業で壊して見せた。

 体の奥に眠っていたのは、間違いなく化け物。

 そして、そのポテンシャルから繰り出されるのは、黒田の変則奥義。歴代の黒田でも珍しい獲物を主軸に使うスタイルに合わせた風林火山。如何に改悪であっても、戦闘に耐えうる完成度である。

「高昭に届きさえすれば。」

 今の一撃で、吹き飛ばされた高昭と紗由理を隔てるものは無くなる。高昭が立ち上がるよりも先に、紗由理が動き出す。

 単なる突進は、的の大きい高昭への有効な一手。高昭の攻撃が紗由理の装甲を貫けない以上は、接近戦になればなるほど紗由理に天秤が傾く。

 故に紗由理は、気の茨へと押し付けるように高昭にぶつかる。

「これで逃げ場はない。この体勢で私への有効打はないでしょう!」

 両手に自由があろうが、腹部から突き上げられるように拘束されてしまえば、高昭の攻め手は潰れる。あれだけ頭に血が上っても『陰撃ち』を使わなかったのは、使えない理由があるが故。

 梁山泊には通じても、項羽には油断が無ければ通じない。

 そんな事は高昭自身も分かっていた。

「技術も半端な俺は、初代のように気の防御を逆位相で相殺、出来ない。」

 腹を押し上げられながらも、高昭は声を絞り出す。

「防御不可の殺人拳を後世に伝えぬように、自らの丹田を潰し、二代目に『渦雷』を編み出させて、気を使用する奥義の存在を抹消。子孫に二度と過ちを犯させまいとした、高潔な初代が描いた理想から生まれたものとは程遠い。」

 高昭は、ゆっくりと後ろ動く。

 結界の一部を通り抜けた高昭。まるで気の茨が高昭の体を貫通しているかのような目を疑う出来事。紗由理は目の前に光景が信じられないのは、自分が決してすり抜ける事が出来ないからである。

 高昭だけが押し付けられていた気の茨をすり抜けて、紗由理は動きを阻まれ、追う事が出来ない。

 生物が気を少なからず持つ以上は、決して通り抜けられない筈であった。

「力だけの素人にもこんなザマで、普通にすれば人生かけても『壁』止まりが関の山なんだろうが、それは、真っ当に生きればの話だ。」

 襲い掛かってくる高昭を、紗由理は何度も迎え撃つ。 

 何度も。

 何度も。

 何度も。

 何度だって。

 何度だって高昭は立ち上がる。

「なんて事はない。それをすり抜けるのは、気がない物質であれば良い。」

 空中戦、攪乱を止め、地上で戦う高昭は、結界を全て通り抜ける。それは高昭の体に気が通わない証拠であり、聞くまでも無く、紗由理はそれが分かっていた。

 唯一傷一つない右腕が、やはり動きが鈍い。それは高昭の騙し騙しの右腕の運用が出来なくなっている証拠。

 丹田の持たない人でなし。高昭の修羅たる理由。

「もう止めてよ。貴方には聞こえないの?亜巳は泣いてるのよ。私は憎まれて当然かも知れないけど、高昭は亜巳や竜兵くん、辰子ちゃん、天ちゃんを悲しませる為にやってるんじゃないでしょう。皆、高昭の為に、高昭を止めるために必死で――。」

「目を背けるのは、俺だけじゃない。ボロボロなのも、だ。」

 血を流す高昭は言うまでも無く怪我を負っているが、紗由理もまた、外気に晒す肌には多くの痣が浮かんでいる。

「人間が可能な最大限を黒田の奥義とするのなら、その出力を超えて使えば何も起きない訳がない。それは嘗ての先代が犯した過ちと同じだ。奴は武道家としての未来を絶たれたが、父子揃って同じ道を歩むとはな。」

「父さんが……。」

「強大過ぎる才能、気の総量を暴走させれば一週間で死に至る?馬鹿を言うな。そんな使い方をすれば一日と掛からない!」

 高昭が声を荒げると、紗由理は気圧され、一歩引いてしまう。

「故に!俺が殺す。死なせるものか、殺してやる。」

「戦いを止めれば全部済む話でしょ!?」

 接近する高昭に、紗由理は両手を下ろして見せた。紗由理から仕掛けた戦いとはいえ、散々に高昭の感情を揺さぶり、要所を語らないとは言っても、本音は引き出せた。

 紗由理が力を使わないのならば、高昭が拳を振るって殺しにかかる理由も無いと考えたからである。

 ――それに、高昭は私の防御を突破出来ない。

 その慢心を以てして受けた高昭の攻撃。

 紗由理の体を貫き通し、痺れるくらいに、目が霞む程の衝撃が襲い掛かる。

「えっ?」

 紗由理から呆けた声が漏れる。

 吹き飛ばされ、気の茨に叩きつけられる紗由理は、それでも実感が湧かなかった。体に上手く衝撃が流された事よりも、装甲も丸ごと打ち壊された事への理解が出来なかった。

 その装甲は確かに高昭の全力すら防ぐ筈で、全てのリソースを集中していた。だというのに呆気なく防御は打ち崩されてしまった。

 倒れこんでいる紗由理の首を掴み、高昭は持ち上げる。

「溜め込んでいた内、十六発分の衝撃だ。俺の全力よりも効いただろ。」

 高昭が態々攻撃を喰らっていたのは体内に衝撃を蓄積し、紗由理へと攻撃を届かせる為であった。数十発の攻撃を、そのまま体中で乱反射させ、留める高昭の皮膚は、紗由理とは比べ物にならない程の傷と内出血の痕が残る。紗由理は肌と道着の隙間からそれを見たが、喉を絞められて声を出せない。

 体と敵を阻む鎧が砕かれ、既に触れられてしまっている。紗由理の理解に映るのは、結界の外で懸命に声をかけ続ける亜巳。そして、亜巳を結界に触れさせないように抑え込む百代と京の姿。

「あの時丹田を潰された俺の体を走り廻った暴威が、体に衝撃を伝える感覚を染みつかせた。壊れた右手のせいで俺は、理性を持ちながらも体の動かし方を知っていかなければならなかった。本来の技術的な進化から生まれたものではない。これは人ならざる者の、忌むべき力だ。これも、後世に残してはならない陰撃ちだ。」

 そして、覚悟を決めるように目を瞑る高昭。

 修羅へ堕ちようと、どんな仕打ちを受けようと、高昭の思いは決して変わらなかった。

 結界の上部へと、紗由理を掴んだまま移動する高昭。結界の中であるのに、紗由理の頬に落ちた水滴は、外に振る雨には程遠い、血の通った暖かいものであった。

 そして高昭は諸共に飛び降りて地面へと紗由理を叩きつける。

 ――禁伝・陰撃ち。

 高昭のみが使うそれは、自由落下と、この戦いの衝撃を全て掌握する。結界が蓄えた気は既に、高昭に触れられている間に、紗由理の体内に形成された小さな結界へと使われている。

 それは、高昭のような修羅を生み出さないように行われた処置である。

 紗由理の腹部に手を当てた高昭。

 地面へと二人が落ちる寸前に、紗由理にしか聞こえぬように、高昭は呟ていた。

「姉さん、さよならだ。」

 

 

 高昭は間違いなく、『黒田紗由理』を殺した。

 丹田に穴を開け、『K』としての証明を失った紗由理は、間違いなく殺されたと言って差し支えなかった。一つの未来は殺された。

 体内から湧き上がる爆発は、いつの間に作られていた小さな結界で指向性を持って放出される。それは、紗由理を傷つける事は無いが、正面の全てを、天空に向けて吹き飛ばしてしまうだろう。

 結界も、高昭も全て。

「高昭、私は!」

 紗由理が伸ばした腕は、空を切る。光の奔流に呑み込まれた高昭を、紗由理から視認する事は不可能となった。

 たった数秒程度の出来事。川神市全域から観測された光の筋は、雨雲の一部に少しだけ穴を開け、次第に消えていった。

 仰向けの紗由理に雨が落ちてくる。

 頭を下に落ちる高昭の姿が遠目に、何とか確認できても、余りにも遠くまで飛ばされていて、百代ですら受け止める事が出来ない距離。

 紗由理は、手を伸ばした。

 もう届かないと知っても必死に、余波で上手く動かない体に鞭を打って、上体を起こして、伸ばした。

「馬鹿だな、私。止める止めないなんてどうでも良かったのに。ただ一言。あの子に、高昭に、愛してるって、大好きだよって言ってあげられなかった。」

「紗由理……。」

 亜巳が紗由理に近づくと、紗由理は亜巳に抱き着いて嗚咽を漏らす。

「本当に、自分勝手で、嫌な子だね。私なんかの為に、ああ。うわぁああ。」

 紛れもない本心であった紗由理の言葉。お互いに理解をする事は無くても、紗由理にとって高昭は大好きな弟であった。

 互いに一方通行の好意を持ちながら、本人たちはまるで通じ合えない。それでも、亜巳は二人が家族として大切に思っている事を知っていて、だというのにすれ違う二人を前にして何も出来なかった。

「少しは大人になれたと思ってたんだけどね。」

 亜巳が思い出すのは、大昔に紗由理と喧嘩した時の、初めて会った時の事。あの時、友人はどのように自分達の仲を取り持っていたのだろうか、と懐かしむ。

 そうは言っても、亜巳は自分のやり方しか知らない。

 泣きわめく紗由理の頭を撫でると、亜巳は溜息を吐きながら答える。

「馬鹿だね。あんたがボコスカ殴っても無事だったんだからあの程度で高昭くんが死ぬわけないだろう。」

「ふぇ?」

 それは、きっと紗由理に言い聞かせたのではない。高昭は死んでいないと思い込まないと、亜巳も心が押しつぶされてしまいそうだから。信じるしかないのだ。

 亜巳は紗由理の手を引いて、無理矢理立ち上がらせると地面に落ちた病衣を投げ渡す。

「ほら、さっさと連れ戻しに行くよ。」

「……うん。」

「伝えたい事あるんだろう?」

「うん!」

 

 

 

 

 

 

 もし、気付かなかっただけと言うのなら、自分もこんな形でしか愛を示せないのだろう。

 何も受け取らなくたって、こんなにも別れが惜しいのは、『家族』を求めたんじゃなく、貴方たちを求めたから。




格ゲー用語説明

ストライクドラゴンインパクト……アルカナハートのキャラクター、天之原 みのりの超必殺技。数回画面端を往復して叩きつけながら上昇、その後画面端を擦りながら叩き落す。その際のセリフが『さよならだ』である。

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