特別になれない   作:解法辞典

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残りの話の推敲が終わったら全話一気に投稿するか一話ずつもう一度見直しをするのか悩みます。
ネタバレ込みのキャラ設定とか後書きも書きたいけど時間が無いですね。

誤字等ございましたら報告よろしくお願いします。


第三十一話 彼を知る者たち

 近づく程に地響きは大きくなる。荒れた天気によって揺れる木々や送電線さえも地響きの仕業と思ってしまうくらいに、人智を超えたナニカの存在を浮き彫りにしている。

 そうしてまた一つ、視覚にも訴える要素が、大雨の中で走る二人にも見えた。

 無数の線が空中で回り、叩きつけあう奇妙な光景。それは天使も見た事がある黒田家の秘奥義であると、そう教えられていた『渦雷』に他ならなかった。

「あれは高くんの……。」

「随分遠い、ペースを上げるぞ。」

 クリスの声を聞くまでもなく、天使は逸る気持ち抑えきれずに、周囲の警戒すらせずに走りを早める。クリスは逆に、一層に周囲へと警戒を強める。

「高くん!」

 意味も無く叫ぶが、天使の声に反応する者は無い。

 天使に走る理由を問うたとしても、はっきりとした答えはないと言うだろう。天使にとって、高昭に会う事を理屈立てて考えた事は無く、殆ど無意識的に傍に居た。

 そして、天使は誰よりも長く、高昭の傍に居た。

 故に、高昭が居る場所を求める、というのも間違いではない。

「でも、此処で止まってもらう。」

 民家の間を縫って飛来してきた特徴的な刃を、クリスはレイピアで受け流す。襲撃者は宙で一回転しながら、天使の進路へと着地した。

 行方知れずだった女。

「てめえは!」

「青面獣が何の用だ。」

 ひらりと舞い降りたのは、梁山泊が一人、青面獣の楊志。万全の体調ではないと、クリスは理解できたが、二人で挑んでも勝利を掴めるのかは難しい相手。

 自然とクリスはレイピアを強く握る。

「別に、やりあおうって訳じゃないんだから落ち着きなよ。」

「切りかかっておいてよく言う。」

 しかし、自然体の楊志を見て、天使もクリスも顔を顰める。実力的な余裕とはかけ離れて、全く戦意を感じさせない立ち振る舞いであるのだ。

「依頼で足止めしてるだけ。そっちのレイピアちゃんはパンツくれたら通してあげてもいいかも。」

「……それを報酬に通してもらうのは?」

「こっちの依頼は報酬先払いだったから、駄目。」

 薄く微笑む楊志。

 しかし、天使は時間が惜しい。今にも飛び出しそうな天使を見るが、戦意のない楊志ならば交渉で解決が望ましいと考えるクリスは、会話を続ける。

「同等以上の報酬で、手打ちに出来ないか?」

 首を捻る楊志を見て、クリスは注視した。もしも、交渉が成立するならば、友の為に全てをなげうっても構わないと思っていたからだ。それは、クリス自身の正義を貫くのが理由でもある。

「論理的な話をすれば、依頼人である黒田高昭は、命を取らない事と引き換えに『関わりのある人間』を近づけない事という、適当極まりない依頼をした。」

 依頼人の名前に反応した天使は、少々理性を取り戻して楊志の話に耳を傾ける。

「まあ怖かったね。自分可愛さに力を求めて修羅に堕ちようとする人間は居ても、怒りから堕ちかけながらも、命乞いを良しとして生き永らえさせてくれる修羅なんて、正しく理外の存在だから。」

 楊志は佇まいを直す。

「自分を正当化する為に力を手に入れる。そんな温い考えじゃなく、力があるから性善説を唱える、いや許容できる修羅。そんな奴がしたんなら、血族を傷つけようと、一概に間違ってはないと思うけど。」

 高昭を止める理由が無い。楊志はそう言った。

 クリスは二の句が出てこなかった。言うまでも無くクリスは、高昭とは会った事がある。だが、家に呼んで貰った時に黒田の親はそもそも会う事すらなくどちらも挨拶すらなかった。紗由理という高昭の姉に至っては少し名前を聞きかじった程度の認識である。

 どうして、あの高昭を悪と断じて他の被害者を庇う事が出来ようか。

 少し前まで『壁』として、多くの武道家が目標にする程に人格者であろうと努め、板垣家の人間が傷つけば涙を流して敵を討とうとする。

 クリスには、今の状況で高昭が悪い事をしてると、断じる事が出来なかった。

「話が長えし、どうでもいい。」

 一切の思考すらなく、天使は否定をする。眉を顰める楊志。虚を突かれたクリス。二人に気を留めた様子もなく、天使はきっぱりと言い放つ。

「そこどけ。てめえはお呼びじゃないんだよ。ウチはその先に、高くんに用があるんだ。退かないって言うんなら、ぶっ殺されても文句言うんじゃねえぞ!」

 会話が不要と、態度で示す天使。その態度に応えるかのように楊志は一歩引いて、肘を上げ、切っ先を天使達に向けて見せた。

 先手を取らんと動いたのはクリスだ。機動力を削ぐ狙いで、低い姿勢から足へ向けて突きを放つ。雨粒を掻き分けながら、空気を切り裂いて、音を立てながら襲い掛かる攻撃を楊志は刀の側面を使って逸らす。

 クリスの不用心な攻撃に、楊志は軽く蹴りで距離を離す程度の反撃に留まる。

「まあ、急いでるらしいし、電撃戦だろうと思ったけどね。」

 クリスの攻撃の間に、自身の死角に接近していた天使の行動を読んでいた楊志は、天使の反応速度を大きく上回る斬撃を放つ。

 咄嗟に腕を畳んで防御をしたものの、衝撃は抑えきれない。余りの威力に体が浮きあがった天使は、その勢いのままに、近くの粗大ごみ置き場に突っ込む。激しい音と共に、天使はごみの下敷きになり、近くの古びたコンクリート塀も衝撃からかパラパラ破片を飛ばす。

「刃の部分は使ってないから死にはしないだろうけど、一応恩義もあるしこっちも仕事な以上は本気だからね。」

 言うが早いか、楊志はクリスに切りかかる。甲高い金属音を奏で、鍔迫り合いに持ち込もうとする楊志。刀身の違いから、それを不利と見たクリスはレイピアの手数で迎え撃った。

「随分と疲弊しているようだな、青面獣!」

「昨日は絶賛死にかけだったもんでね!」

 確かに、楊志には疲労が見られた。気の総量も回復しきっておらず、まだ完治していない傷もある。クリスが、一回り以上実力のある楊志と真っ向勝負で拮抗できるのも、その要因が大きかった。

 しかし、楊志とクリスとでは持っている手札の数が違い過ぎるのも事実だった。

「死なないようにちょっと頑張ってね。」

 楊志が警告すると、刀を持たない手に気を集め始める。視覚にも分かりやすいその技は、クリスも見た事のある技であった。

「リングか!」

 釈迦堂刑部の代名詞であるその技をクリスが知らない訳がない。加えて楊志は相手の技、技術を盗む事は有名である。回転し、まばゆい光を放つソレを見れば、クリスの脳が危険信号を出すのは当然である上、脊髄も同様の判断を下すのも当然であった。

 伸ばした楊志の腕、その射線から逃れるように、地面に転がり直撃を避けようとするクリス。

 楊志は、リングを作り出していた筈の、打ち出すように伸ばした手を握りしめながら、クリスを見降ろし笑う。

「直接見てないものだから、少々見た目を真似る程度の一発芸に、これだけ特大が釣れる。」

 フェイク。

 楊志は単なる予備動作のみを真似ただけだった。

 刀を振り上げる楊志。それを理解しても、体勢を崩したクリスには避ける手立てが無い。故に、この攻撃を防ごうとするのは、唯一人だった。

 ガリガリと聞こえる。

 音を立てて、コンクリートの道路を転がり込んで来るのは、天使が吹き飛ばされた粗大ごみの山の中でも一際大きい冷蔵庫であった。まるで冷蔵庫自身が火を噴きながら楊志に向かってくるようである。

 炎によって押され、突撃してくる物体。

 小馬鹿にするように喋った時間が、楊志の判断する時間を削った。同時に突っ込んでくる人影の対処は後回しに、最低限の体勢を保ちながら避ける。

「幾ら策を練ろうが、斬撃を防げない相手に――。」

 余裕と共に繰り出した斬撃。先程のような手加減ではなく切り傷を負わせる為に振るった刃。だが、楊志が迎撃に繰り出した攻撃は、正面から受け止められる事となる。

「技の強度が同じならよぉ!」

 天使は流れるようなコンビネーションで、楊志の腹部を蹴り上げる。

 まともな一撃を入れられると思っていなかった楊志は、思考が一瞬停止する。加え、気の総量を確保する為に、これまでの怪我は完治させていない。

 傷を抉られた楊志は、天使の想定以上のダメージを負い、苦痛に顔を歪める。それでも天使が追撃をしてこなかったのは幸いだった。

「仕事である以上は此処を抜かせられないからね。」

 百代から盗み見た技を使い、気を使い果たす事と引き換えに回復。慢心なく構える楊志。

 相対するは、ゴミ捨て場から拾ったゴルフクラブを片手に睨む天使と、油断無く剣先を向けるクリス。

「天、来るぞ。」

「負けるものかよ。」

 気の一切を必要としない黒田の武術。

 楊志が本元より盗み見た技術が、立ちはだかる。

 

 

 戦火を目指して進むのは、天使達だけではない。姉弟である亜巳達もまた、高昭へと向かって走っている。

「姉貴、邪魔なら持つぞ。」

「大丈夫。私らの知る紗由理のものだから。」

 亜巳は紗由理を背負いつつもその手に握る鎖鎌を手放そうとしない。紗由理が使っていた鎖鎌。それだけが、昔を思い出させ、平和な記憶を繋ぎとめてくれる。そんな考えを亜巳がしているのは事実である。

 叱咤しておきながらも、亜巳の思考は定まらない。昨日まで享受していた抽象的な日常が感じられない雨の川神市。世界から取り残されたような感覚を振り切るように、亜巳は走っている。それだけではない。劣悪な家庭環境の亜巳は、何も知らなかった紗由理に救われて、逆に亜巳は、知っていた筈の家庭から紗由理を守れなかった。だから負い目を感じている。

 辰子はそれでも、亜巳を信頼している。

 竜兵はだからこそ、負い目を感じる。雨に打たれながらも、傷口が疼くのは寒さだけが理由ではなかった。

「姉貴は何があっても止まんなよ。」

 竜兵は急に止まり、その迷いない足運びで水飛沫をあげながら構えを取る。接近する二つの影を鋭い眼差しで捉える。満ち満ちた闘気が、完治していない竜兵の体を万全以上のコンディションに整える。言うなれば気合であるし、気迫である。

 そして、竜兵は理解していた。今の竜兵と同じく、高昭が命懸けであるのなら、命懸けの漢が導いた答えはきっと――。

「譲れねえから仕方ねえよなぁ!」

 脳天を割らんと獲物を振り下ろす襲撃者に、竜兵は思い切りの右ストレートをぶつける。正面衝突の余波で、竜兵と襲撃者に降りかからんとする雨粒は一瞬掻き消える。

 再び、竜兵は梁山泊と向かい合う。

 史進と林冲。彼女らも、竜兵らと同様に万全の体調ではなかった。見逃して貰ったとは言っても高昭に殺されかけたのは事実であり、楊志と違い効率の良い回復手段も持たないのが理由の一つである。

 そして、林冲の表情が浮かばないのは、他の理由がある。

「恥を忍んで頼みがある。」

 沈痛な面持ちで語りだす林冲。その筋書きを知らなかったのか、史進も驚き、殺気を抑えて、林冲の話に耳を傾ける。この場の殆どの人間は、耳を貸した。

「私は、命乞いをして此処に居る。自身の身の回りの人間が怪我を負う事の辛さを知っていた筈であるのに、同じ思いをする他人への理解が及ばなかったこと。そして一つの繋がりを壊してしまったこと。それらを許して欲しいとは言わない。だが、黒田高昭を修羅と堕とした一因である私の責任を、彼を止める助力という形で、どうか取らせて貰えないだろうか。」

 膝をついて謝る林冲に、亜巳と辰子も足を止め、史進も思わず振り返る。

「リン!言いたいことは分かるが、これは――。」

「存命を前金として受けた依頼。だとしても私には、血涙を流しながらも、修羅に堕ちながらも、奴が安全を祈った者達と引き離す真似は、できない。」

 無論、どんな背景があろうと、身内を襲撃した首謀者である以上は、初対面の辰子と亜巳の警戒を解く事は叶わない。

 しかし、竜兵は声を上げて笑う。

「面白いこと言ってるお前に俺からも三つ言いたいことがある。一つはそっちの事情なんか俺たちは毛ほども興味が無いっていう感情的な理由がある。もう一つは、口では止めると言って置きながらも反対しそうなお仲間じゃなく俺らに肯定して貰わないと行動する気がないというお前のおままごとに興味がない。」

 竜兵が肩を回しながら喋っていると、意図を理解した史進は眼差しを強め、辰子は困ったように微笑む。

「そして、最後は、負けっぱなしだと俺が恥ずかしくて高昭に会えねえってことだよ!」

 踏み込みを竜兵が行ったと判断した途端に、史進も遮らんと、無防備な林冲を守る為に飛びかかる。辰子は、手頃なバス停を掴むと、見開いた目を林冲に向けながら亜巳にひらひらと手を振る。

「本気でやっても良いけど、あんまり無茶するんじゃないよ。」

「亜巳姉ぇもねー。」

 今にも飛び出さんとする辰子を止める事は、亜巳には出来なかった。故に諦めて、紗由理を担ぐ手に力を入れて、駆け出す。

 辰子も精一杯の力で振りかぶった。

「こんなことをして何の意味がある。彼を救いたい気持ちは一緒の筈だ!」

 林冲が叫ぶが、竜兵も史進も止まらない。

 依頼から解き放たれて、伸び伸びと棒術を振るう史進の顔は曇天に似合わず、晴れやかである。竜兵もまた、性に合わない『守り』ではなく暴れられる事に笑みを浮かべる。

 何物にも縛られる事のない。これは単なる喧嘩。

「喧嘩に意味も、ルールも、あるものかよ!」

 辰子がそこに加わると、史進は攻撃が受けきれなくなる。それでも、そこに負の感情は無く、ただただ力比べであり、力以外が削ぎ落とされた純粋に前のめりな闘争である。

「お前らが俺らの家族ぶっ飛ばして、俺と、高昭がお前らをぶっ飛ばした。依頼だなんだか知らねえが、そもそも貸し借りはイーブンだ。それより、白黒つけようぜ。」

 林冲は、自分が真剣に悩んだ末に出した結論に自信があって、断られるとは思ってもいなかったのは事実である。

 戦いへのプライドは高昭に完膚なきまでにやられて、仲間を守れず、命乞いした事で折れ曲がっていた。それ故の、先ほどの言葉である。だが目の前の輩、竜兵と辰子は、林冲の考えもお構いなしに、踏みにじる。

 楊志に傷を負わせたのが竜兵であると、林冲は思い出す。

 自分の思い通りに事が運ばれない事に、林冲は思い至る。

「そうだな。冷静に考えてみれば、私はお前に槍を振るうだけの理由は十分だったな。」

「ぽっと出にやられた、なんて梁山泊の名に泥を塗るわけにはいかないよな。リン。」

 林冲と史進。二人は背中合わせになるように構え、竜兵と、辰子と対峙する。理由としては単に気に入らないから。だが、この場の全員にとって、戦う理由はそれくらいが丁度良かった。

「俺も姉貴も本気だ。んで、止めらんねぇくらいに本気だから、簡単にぶっ潰れてくれるなよなぁ!」

 

 

 戦火が広がる戦場がある一方で、収束しつつある戦場もあった。

 由紀江達が相手取った梁山泊の面々は、林冲らと比べれば数段見劣りする。背後に守るものがありながらも、由紀江は打倒して見せた。

「思った以上に数が多かったですね。」

「そうだな。俺ら以外にも足止めを放っていると考えると多すぎる。」

 由紀江と委員長は話ながらも、接近する人物に気づいていた。その人物も足止めをされるていた人間であり、つまりは高昭を救おうとする由紀江達側の味方であった。

「マルギッテさんも来てくれたんですね。」

「お嬢様に頼まれずとも、この状況で一人床に臥すなど出来ぬと知りなさい。それに……。」

 緊迫した状況でありながらも、恥じた表情をしながら、マルギッテは言葉を続ける。

「貴方たちも、黒田高昭も、友人ですから。」

 それを聞いて、由紀江は一層に気合を入れた表情に変わる。委員長は冷静に、マルギッテの視線の意味を考えながら状況を聞く。

「あっちは高昭の母親だ。んで、それだけじゃないか。」

「私は、そこのマガツクッキーの同型機に襲われた。行軍速度が出ないこちら側に一定数を断続的に仕向けてくるという事は、元より敵の狙いは分断だ。」

「昼の戦闘の消耗を引きずっているとはいえ、高昭くんを含めなければどう考えても私たちの方が戦力的には上です。分断する狙いは恐らく。」

「オラたちの各個撃破が不可能な以上は時間稼ぎだろうなー。一人ずつ高昭と対峙させるとしたら板垣を近づけない前提条件が崩れる。」

 松風――つまりは由紀江の指摘から、委員長とマルギッテは考え込む。

 幾ら考えても高昭の目的が絞れない以上は、行動の先読みが出来なかった。態々川神院の刺客と戦った理由も、風間ファミリーを足止めすら行わなかった理由も、想像すらままならない。

「シツレイ。」

 電子的な、マガツクッキーの声が聞こえると皆が振り向く。だが、その合図はマガツクッキーが策を提案するのではなく、機械的な反応であり、しかし事態が動く合図でもあった。

 それは全てを知る人物が意識を取り戻した合図。

「君は、委員長くんだったかしら。」

 今にも消え入りそうな声で口を開いたのは、黒田高昭の母でもあり、全ての事情を知っていると思われる女性だった。

「そうだ。あんたの息子の、高昭のクラスメートのな。」

 言いながら委員長は、高昭の母の胸倉を掴む。

 そして、今にも怒鳴り散らそうとする心を抑えながら、問い詰める。

「高昭の半生まで聞く気はない。だが、今日、あんたたちの家で、何が起こって、高昭に何があったのか。全部洗いざらい吐いて貰うぞ。時間がないんださっさとしろ。」

 委員長が手を離すと、女性は弱々しく座り込み、口を開いた。

 両手で顔を覆いながらも口を開いた。

「全部、全部私が悪いんです。あの人の信頼を裏切ったのも、高昭を修羅の身へと落としてしまったのも、紗由理を生んでしまったのも。」

 由紀江は理解が追い付かず、マルギッテは状況が分からない。だが委員長は今の言い方に少なからず違和感を覚えていた。

「懺悔なんて聞いていません。全てを詳細に話してください。」

 由紀江の言葉が耳に入っていないかのように、高昭の母は泣き崩れるばかりである。時折聞こえる言葉は断片的だった。

「私だけが責任を取れずに……。それなのに高昭は全員の咎の受け皿になって……。一人嘘を重ねる為に……。」

 必死に聞き取ろうとするマルギッテ。由紀江は、判断を下せず、委員長を見る。

 ただ判断しかねる事を視線で伝えるつもりであった。しかし、由紀江は、青ざめながらも、必死に口を動かそうとする委員長を見た。

 委員長は、考え得る限り最悪な事態が起こっていると、理解した。そして、酷い立ち眩みを覚えながらも言葉を紡ぎ出す。

「あんた、高昭に何をさせようとしていたんだ。言えよ。」

 怒りに震える声で委員長は、高昭の母を威圧した。

「違うの。私は何も出来なかった。いいえ、何もかもから逃げていた。あの人の考えを否定する事も、あの子たちの母親である事からも。」

「確認させてくれ。あんな気の良い、高昭の姉貴が、なのか。紗由理さんは、あんたの身勝手で用意された試験管から生まれたって言うのかよ!」

 目の前の人物にぶつけるべき怒りを、委員長は近くの塀を思い切り叩く事で和らげ、言葉を続ける。怒りで麻痺した脳からは、手の痛みを感じさせず、委員長は何度も何度も拳を打ち付ける。

 そして、女は殆ど聞こえない位の小さな声で答える。

「……はい。」

「少し距離感があっても、高昭も、紗由理さんも、認められようと必死に頑張ってたのを知ってんだろ!憎まれ口叩いてたけど、ずっと紗由理さんは両親に褒められた時の話を楽しそうに話してた。高昭だって、右腕をぶっ壊しても必死に、『黒田』だって、『壁』だって認めてもらう為に頑張ってたんじゃなかったのかよ。」

 委員長の拳には、表面にじんわりと血が滲んでいた。それでも、感情の爆発からなのか、痛みを感じることなく、委員長は行き場のない思いを道端の塀にぶつける。

「あいつは、高昭は、あんたが遺伝子弄って生まれた紗由理さんが、万一に暴走した時を、想定して、修羅へと望んで身を堕としたって言うのか!なんとか言えよ!」

「それは違うわ!私じゃなくあの人が――。」

 言葉を最後まで言い切ることなく、高昭の母は地面へと叩きつけられる事となる。

「マルギッテさん……」

 行ったのはマルギッテであるが、それは怒りからの行動ではなく、高昭と一番付き合いが短いが故の理性的な行動であった。一つ深呼吸をしてから、マルギッテは由紀江を見た。

「まだ言い訳を続ける、そういう人物だからこれだけの事態を放置出来たのだろうな。」

 マルギッテの感情は、それでも小さかった。否、他の二人の怒りが、マルギッテよりも大き過ぎる。

「お前は、活人剣の黛由紀江だ。そうあるべきであるし、高昭に救うならそのままの姿であるべきだと知りなさい。」

 高昭の母親に対して、今にも刀に手をかけようとしていた由紀江を、マルギッテは諭し、そして気絶した高昭の母を担ぐ。不必要な事を二人に考えさせないように、マルギッテは黙って行軍を進める。

 由紀江は心身を落ち着かせる為に松風を握る。

 そして、委員長は誰に隠す事もせず、嗚咽をあげるのであった。

 ――俺は、『委員長』という役割に逃げた。心の弱い人間だった。そうする事で、本来表舞台でいられない筈の自分に居場所が欲しかった。お前の事を知らずに同じく役割に逃げた男だと思っていた。でも、お前は『黒田』を、『壁』を、そして『修羅』さえも、そうあるべきと望まれてやったのだとすれば、誰かに強要されていたのだとすれば、俺はそれに気づけなかった事を、悔やんでも悔やみ切れない。だって、悪事に手を染めながらもお前と一緒に居たのは、心の何処かで救って欲しいと、ぶん殴って正しい道に戻して欲しいと思っていたからだ。

 ――でもな、高昭。俺がお前にとっての『親友』なのは、逃げたからじゃなく向かい合おうとしたからだ。そしてお前が俺にとって『親友』なのは。

「俺が望んだからじゃなく、お前自身がそうありたいと願ったんだ。皆が見捨てないのは、黒田高昭だからこそなんだ。絶対に、お前は一人なんかじゃないんだぞ。」

 

 

 

 

 

 

 昨日までの日常を望むだけの掌から零れ落ちていく。昨日までの停滞を慌てて掴むか、信じてその手を伸ばし続けるか、それとも。

 全てを救わんと欲すは、己が救われたいが為。幾ら堕ちても満たされず、気づけば一歩、また一歩と死地へと流れる。


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