特別になれない   作:解法辞典

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今回は少し短めです。

誤字等ございましたら報告よろしくお願いします。


第二十九話 HEAVY RAIN

 結果から言えば、マープルの反乱は一日でたったの一日の内に鎮圧された。実力者との連戦の疲労を回復しきれなかった状態で項羽が燕とイーブンの勝負が出来なかった事。筆頭の三人が消えた事で、付き従っていた梁山泊の精鋭が離脱した事。それらの理由は戦局に多大な影響を与えた。

 一騎打ちとなっていたヒュームと川神百代も今は傷の手当を受けている。長い戦いが終わるのだと、多くの人間は考えていた。

「そうか、では処分については後日話す。今日はもう大人しくするのだな。」

 ヒュームと連絡を取っていた九鬼英雄は電話を切ると集まった面々を向いて、佇まいを直した。

「私たちの処分は今ここで、という事ですかな。」

 目を瞑って英雄と紋白の言葉を待つクラウディオ。そして同じようにして、閉口するマープルといった主犯格を前にして、英雄は命令を下す。

「お前は、川神院に行け。修羅を、止めるように頼んでくれ。」

「はい?」

 クラウディオは、受けた命を聞いてに呆けてしまう。英雄が反乱の首謀者達にかける言葉は、全く予想だにしなかったからだ。

「マープルには聞かねばならぬことがある。まさかこの期に及んで話が聞けぬとは言うまいな。」

「いえ、直ぐに行って参ります。」

 クラウディオが居なくなると、皆の視線がマープルに集まる。九鬼の関係者だけでなく、そこには冬馬達の姿があった。

「まだ、隠していることは無いな?」

「あたしゃもう洗いざらい話しました。持っていたデータも全て渡したはずです。」

 英雄の後ろに控えるあずみに念を押されるが、マープルはきっぱりと言い切った。その言葉遣いからは、英雄への敬意が感じ取れる。

「今回だけじゃない。あいつが『壁』となるタイミングでもクローンは無関係ではなかった。」

 唯一、九鬼に関わりがない委員長が口を開くと、その場の全員が集中した。

「黒田が修羅に堕ちるように追い込んだってのかい?馬鹿馬鹿しいね。」

「理由はどうであれ。俺がまず知りたいのは、どうやって黒田は隠されていた情報を手に入れたのか。同じく高昭の親がどう知ったのか、です。」

 そこまで聞いて、マープルは不思議そうな顔をする。だが、委員長は自分の考えを話す事を止めなかった。

「高昭が修羅になり得る可能性があったと両親が知ってそのような行動を促すなら、高昭が何らか、クローンに関係がある可能性が――。」

「ちょっと待ちな。渡したデータはきちんと見たのかい?」

「ここに居る全員が隅まで調べた。」

 委員長の話を遮るマープルの言葉に、英雄が答える。事実として、委員長の考えを前もって聞いていた冬馬や英雄、紋白は隈なく調べていた。

 マープルが近くの端末で立ち上げて、該当する箇所を表示しようと試みる。

 しかし、マープルの余裕は消える事となる。

「馬鹿な、データが消されている!」

 らしからぬ大声を出したマープルの様子を見て、皆が眉を顰めた。

「やはり内通者か。」

 英雄の言葉に頷いてマープルは語りだす。

「まず、黒田高昭が誰かのクローンであることは無いと断言するよ。あたしゃ、この考えが外れてほしいと願うがね。」

「まず、状況を整理します。何のデータが消されたのか。」

 冬馬の言葉を受けて、マープルが答える。

「消されと分かったデータは二つ。松永燕と黒田高昭の決闘に関する全てのデータ。そしてクローン技術の基礎研究の一部。」

「その決闘に関係あるのはただ一人だ。内通者は十中八九、桐山鯉。だが高昭との接触を考えると時期がずれている。」

「マープル、簡潔に考えを話せ。」

 紋白の命令を受けて、マープルは一つ深呼吸して話を続ける。

「黒田高昭の母、あの研究者を忘れる訳がない。元々彼女は部下だったんだ。消された研究内容は彼女のものが殆どだった。」

「内容は?」

「クローンが一つの遺伝子を復元するのに対して、彼女が行っていたのは三つ以上の遺伝子を混ぜ合わせて一人の人間にする、所謂キマイラ。」

 道徳的に許されない行為。それを熱心に研究する人物を思い浮かべると、誰にとってもぞっとしない話であった。

「クローン技術の糸口になったのはその研究があってこそだけど、彼女は研究を技術として昇華させようとしていた。」

 

 

 二十一年前。

 研究室に入って来たマープルに気づかない程に、その研究者は自らの研究に没頭していた。その女性は、将来には高昭の母になる人物でもあり、この時点ではマープルの元で働く一人の研究者であった。

「こそこそと隠れて、何をやってるんだい。」

「隠れてなんかいませんよ、マープル。私は自分の研究に胸を張っていますから。」

 紙に実験結果を書き入れながらも、女性はマープルの方を向きながらも薄っすらと笑った。

「あんたの研究も根っこの一部になって、クローン技術は形になってきた。」

「でも私が生み出すのはクローンじゃない。私の『プロジェクトK』は人智を超えた絶対的な存在を作り出す事であって、焼き増しの英雄を作る事ではないのですよ。」

 人道に外れた発言をする女性に対して、マープルは否定出来なかった。クローン技術も褒められた研究ではなく、少なくともマープルは覚悟を持って続けていたのだった。世界に叱咤を入れる為に自分を犠牲にする覚悟があったから続けてきた。

「人類で最も武に優れた川神。人類で最も優れたカリスマの九鬼。そして、それらに引けを取らない過去の英雄である項羽。その三つの遺伝子を掛け合わせる研究。」

「少なくとも、現在の人類で最高水準を作り出せる自信はあるんですが、どうにも成功の糸口が無いんですよね。」

 溜息を吐く女性に対してマープルも溜息を吐いた。しかし、その理由は違った。

「あたしゃ、言える立場じゃないかもしれないけど、あんたは結婚してるんだろ?それなのにフラスコの中から自分の遺伝子のない子供を生み出すのはどうなんだい。」

 マープルは目の前の女性が黒田家の男と結ばれているのを知っていた。女性がこの研究をしている最中に結婚を決めた事から、マープルはどこかズレた感性を持っているのは承知の上だった。

「もし、このフラスコから悪魔が生まれたら、項羽の遺伝子を喜々として分けてくれたマープルも私と同じくらいの罪があるのでしょうか。」

「急にどうしたんだい。あんたらしくもない。」

 女性は深い笑みを浮かべると、嬉しそうに語り始める。

「化け物のような才能を詰め込むには相応の器が必要と結論付けたわ。人類で最も丈夫な体があれば私の研究はぐっと実現に近づく、そう思うくらい!」

 マープルは眉を顰めて聞き入る。

「こそこそと集めた遺伝子じゃ器に相応しくなかったんです。」

「あんたまさかその為だけに黒田に嫁いだってのかい!」

 マープルには女性が揺するフラスコに入っているものが黒田の遺伝子データだというのが良く分かった。目の前の女に限ってはあり得ない話ではないと、理解していた。

「そう、私にはこの研究しかないですからね。貴女のように人の役に立つものでもないし、単に結果が気になるだけなんです。」

 マープルが絶句していると、女性は資料を纏めて立ち上がった。

「研究は一人隠れて続けます。でも私は少なくともマープルに恩義を感じています。だから、もし善人でなく悪魔を生み出してしまったらその時は『彼女が研究データを盗んで勝手にやった』と言って下さい。」

 そう言って、彼女が出ていくのをその時のマープルは見ている事しか出来なかった。

 

 

「彼女の研究がその後、どうなったのかは知らないがね。」

 マープルがそう締めくくる。

「データが消されたのが九鬼の関係者を守る為だとすれば辻褄は合わなくはないですね。」

 冬馬の推測に誰もが納得してしまう。

「高昭の右腕の病気も遺伝子操作が原因と考えられない事はない。」

 英雄も顔を歪めて呟く。

 しかし、委員長は黙って部屋を出ていこうとする。

「委員長、どこへ行くんだ。」

「あいつは何も悪いことしてないんだろ。それだけ分かれば体張って止めるには十分な理由だ。」

 紋白の静止を振り切って委員長は、黒田家へと歩みを進める。そうする事が友人として正しい行為だと信じて、委員長は黒田家のある方向をじっと見つめる。

 その時だった。

 轟音と共に、天を穿つ一筋の光が見えたのは。

 

 

 マープル達が集まるのと殆ど同時刻に天使は病院を出ていた。未だ検査入院という形をとっている辰子と竜兵を残して、黒田家に向かっていた。二人の面倒を見ている亜巳もついて来ていない。

 高昭と紗由理を独り占め出来ると思い、天使の顔は微笑みを隠せなかった。

「皆が頑張って戦った後で不謹慎かな。ウチだけが楽しんで。」

 口ではそう言いながらも、天使は皆が守ってくれた日常に感謝していた。まだ避難していた人が戻ってない街は驚くほどに静かだが、襲ってくる敵が居なくなり、静けさによる恐怖より安心のが大きかった。

 そして、行かなければならない理由もある。

「返事、しないとな。」

 病室で聞いた高昭の思いを、寝ている振りで誤魔化すつもりはない。天使の心はきっともっと前から決まっていた。

 ポツリ、雨粒が天使の頬を打つ。

「昼間まで晴れてたのに雨か。高くんの家に着くまで振り出さないといいけど。」

 天使は歩く速度を上げて黒田家に向かう。戦いの後の平和を侵すように雨脚は早まっていく。天使は顔にかかった前髪をずらしながら空を見上げる。

「武神が空から降ってくるくらいなら、雨ぐらいそうでもないか。」

 ヒュームと一騎討ちをしていた百代。その場所が宇宙だったのは既に多くの人物が知っていた。空から人間が降ってくるのは、川神に住んでいる人にとっても中々に物珍しい事で噂がすぐさま広まったのだ。

 同時に、終戦も伝達され、天使はこうして高昭と紗由理に会いに出歩けている訳だった。

「なんだ?」

 天使は、雨粒の他に音を察知した。地響きにも似た音だった。

「まだ誰かが戦ってるのか?」

 息を殺した天使は、似たような音に覚えがあった。川神大戦で聞こえていた音に、強者同士がぶつかり合う音にそっくりであった。音の出どころを探そうとすると、天使は身震いする。昨日に喰らった攻撃の比ではない恐ろしさを感じたからである。

 爆発。

 天に上る光は、雨雲を巻き込みながら上昇する。穿たれた空は台風の目を見降ろしているような奇妙な感覚を覚えさせるものだった。放たれたものは多大なエネルギーを孕んでいて、悪夢のような上昇気流を、天使は怯えて、見つめていた。嫌な予感。心は折れかけていたが、足を止める訳には行かなかった。

 天使には爆心地が、黒田家だと分かったからだ。

「嘘だろ!」

 天使の駆けつける頃には、黒田家は無残な姿に変わり果てていた。居住スペースこそ無事であるが、道場は全壊。道路と家の区別がつかない程に道場から先に被害が広がっていた。

「高くん!紗由理さん!おじさん!おばさん!」

 叫びながら天使が近づくが無事な人物は一人として居ない。紗由理は頭から血を流して倒れ、高昭の父は腹部から血溜まりを作り、母は倒れてきた武器の類の下敷きになっていた。

 そして、この場に高昭は居なかった。

 

 

 病院に運び込まれた三人の止血が終わり、既にベットで眠っていた。医者は当たり所が悪かったら命に関わっていた、と言っていた。彼女らに、板垣家の皆にとって血溜まりに黒田家の人間が、紗由理が沈んで居たというだけで、心に釘が刺さったかのようだった。

 病院での処置が終わっても、誰一人として高昭は足取りを知らなかった。病室の外から時々聞こえてくる話し声から、誰もが高昭が犯人だと思っているようである事が聞こえるのは天使達にとって耳障りである。

 しかし、扉を開けて反論する気力すら無かった。

 紗由理の手を握って泣いている辰子。そんな姿を前にして亜巳は何かを言いかけては止めて、窓に視線を向ける。竜兵は椅子に腰かけて顔を抑えて微動だにしない。

「ちょっとトイレに行ってくる……。」

 天使は、そんな家族の空気が嫌になって病室から抜け出した。病院の手洗いの鏡に向かって少しばかり自身の泣き顔と向き合っていた。深呼吸をしながら無理やりにも口角を上げて自身に語りかける。

「なんつー顔してんだよ。」

 天使は沈んだ心を笑い飛ばそうとした。

 しかし、天使の整理がつかない頭では思考が渦巻き、呼吸は定まらなかった。どんどん表情はクシャクシャになって、家族の前では我慢していた感情を塞き止められなくなっていた。

「この件に手出しを禁じるというのはどういうことですか英雄様!」

 今にも大声を上げて泣き出しそうな天使は、化粧室の外から聞こえた大声で正気に戻された。野次馬根性が働いたのか、それとも泣いているのを気づかれたくなかったのか天使は意味も無く息を潜めて外の会話に耳を傾ける。

「あずみ、何度言えば分かる。我は黒田高昭に関する不干渉の命令を取り消すつもりはない。」

「しかし紋白様も納得をなされていません。英雄様も、彼の友人として――。」

「本当に我が助けられると思うか?」

 怒気を孕んだ英雄の言葉は、小さな声ながらも受け止めた全ての人間の心臓を縮み上げさせる。天使もその中の一人である。同時に、天使は少しだけ紗由理の惨状を忘れて英雄の話を聞くことが出来た。

「我は冬馬たちの話を聞いていた。人と修羅の間に揺れる高昭を、家族が止められなかったというのに、一年にも満たない友情で止められるものか。」

「英雄様……。」

「我でさえ高昭にとって家族以上の存在ではない。全くと言って良い程に浅い付き合いだ。仮にヒュームらが力任せに止めたとして、それで救われるものか。」

 その言葉を最後に英雄とあずみの会話は途切れ、天使の耳に聞こえるのは蛇口から出しっぱなしの水の音だけになった。

「多分、皆は紗由理さんの方が好きなんだろうな。」

 それは家族に向けた言葉。

 紗由理が板垣の事情に首を突っ込んでいた時、天使はまだ幼すぎた。その時のはっきりとした記憶はない。上の姉たちが独占する人だったから特別で、家の事を考えても大切な人間だった。

「でも、ウチにとっては高くんが、一番そばに居て欲しい人。」

 それは、今すぐにでも伝えたかった言葉。

 蛇口から流れ出す水を手で掬うと、顔に思いっきり叩きつけて、天使は一歩踏み出す。紗由理や亜巳が居る病室ではなく、外に向かって歩き出した。

「ウチが止める。高くんにとっても一番大切な人だって証明して見せる。」

 天使の目には先ほどまでの諦めや悲しみは無かった。外気の寒さに晒されつつも、天使の瞳に灯った決意の火は熱を失う事は無い。

「待て。」

 玄関を出ると、天使は声をかけられて止まる。はっきりと聞き取りやすい声で天使を呼び止めたのはクリスティアーネ・フリードリヒであった。

「クリス、絶対にウチは止まらないぞ。」

 天使の瞳にはかつてない程の覚悟が宿り、クリスには十分にそれが伝わっていた。そんな天使の人間として大きな姿を見て、クリスは口角を上げる。

「元よりそのつもりだ。自分は天の助太刀に来た!」

 腰からレイピアを抜き放ったクリスは、天使の横に並び立つと笑って見せる。

「良いのかよ。」

「友人を助けるのに、善悪を語る余地があるものか。」

 天使が拳を突き出すと、クリスも突き出して合わせてみせた。雨が降る中、二人は走り出した。

 

 

 紗由理たちが眠る病室では、暗い雰囲気が払拭されてなかった。泣き止んだ辰子も竜兵も、一言も話すことなく、高昭に言及する事も無かった。

 亜巳が窓から眺めていたものが視界から消える。すると体を二人の方に向けて呟いた。

「天のやつおそいねぇ。」

 はっきりと聞こえる大きさで喋るが、返事は無かった。心にすっかりと穴が開いてしまったように二人は微動だにしない。そうすると亜巳は竜兵に歩みよって行って優しく声をかける

「ほら顔を上げな。」

 竜兵が無気力に顔を上げる。

 ――パァン。

 亜巳は思いっきり竜兵の顔をビンタした。

 絶句して何も言えない竜兵と驚きで目を丸くする辰子。反応が鈍い辰子の胸倉を掴んで立ち上がらせた亜巳は同じように辰子に平手打ちをする。

「何すんだよ!」

 急に暴力を振るった亜巳に対して竜兵が抗議の声を上げる。抜け殻だった竜兵と辰子は目を覚ましたように、久しく身じろいだ。

「アンタたちこそ何かして見せたらどうだい!天はもうとっくに高昭くんを探しに行ったよ!」

「とっくに?」

 辰子が時計を見ると体感以上の時間が経過していた事に気づき、ばつが悪そうな顔をした。

「私らが信じないで一体誰が信じてあげるっていうんだい。」

 高昭だけが居なくなった事、行方不明の梁山泊に対して既に手を下したと考えられる事、それらだけでも高昭が暴走しているのは確実であった。だから竜兵も辰子も動けなかった。自分達が未然に気づけなかった以上、実力行使で止める事が出来ないからだった。

「あんたらも年上らしく、ガツンと言いたいことあるんだろう。」

 そう言いながら亜巳は気を失ったままの紗由理を背負いだした。

「何してるの亜巳姉?」

「近くに居ないと心配だからね。それに、皆で笑って終わらないとね。」

 辰子の質問にあっけらかんとした態度で答えた亜巳はウインクをして、ドアを飛び出す。辰子は竜兵と顔を合わせると、亜巳に呆れたように、笑って後に続くのだった。

 

 

 

 

 

 

 心せよ、闇に沈む修羅を救わんとする者共。

 真実は、降り注ぐ雨よりも身も心も凍えさせ、残酷である。


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