特別になれない   作:解法辞典

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第二十六話 決別

 病室に赤みがかった光が窓から差し込む。

 天使は鼻につく臭いで目を覚ました。はっきりしない意識の中で病院であるらしいと分かると、より一層臭いが濃くなったような気がして、近くの温もりを探し当てて顔を埋めた。一度開いた目は直ぐに閉じていた。

 然程柔らかくない感触。だが、その温もりと匂いは、天使を安心させるにはこれ以上ない存在である。ただ、最近は長く近くに居られなかったから――いや、これほどまで近くに感じるのは何年振りだっただろう。

 徐々に覚める意識の中で、しかし天使は寝ぼけたように、高昭の腕の中に納まるのであった。頭を高昭の腹部に擦り付ける。

 安心を求めるように体を動かす天使を見て、そのような精神状態に追い込んでしまったのだと、高昭は己の無力を悔いる。天使もそうであったように、高昭にとっても、こうまで近くに温もりを感じるのは久しぶりであった。だからこそ日常を壊した無力さに打ちひしがれる。

 年を重ねるにつれて互いに羞恥心に目覚め、こんな風に体を預けなくなっていた。それでも、これだけ近くに居ても不快さをまるで覚えない関係であるのは間違いない。

「ごめんな、俺が不甲斐ないばかりに。」

 まだ、寝こけていると思っている高昭は、天使を優しく抱きしめた。そして、安心させようと、震える右手で天使の頭を撫でた。

 天使は恥ずかしそうに身を捩って、ベッド横の椅子に座っていた高昭へ背中から体を預けた。高昭の膝の上に、向かい合って天使が座る体勢になる。

「苦しい。」

 自分から身を埋めておきながら、高昭を非難するように、天使は自分の頭で高昭の胸部を軽く叩いた。

「脳震盪で倒れたんだ、無理をしないでくれ。」

「あーそれで頭が働かなかったのか。」

 天使は悪びれた様子もなく、自分の行動を意味づけた。

「ごめんなー高くん。ウチらが弱くて。」

 極めて何も気にしていない口調で話す天使に、高昭は不意を突かれた。何より早く謝るべきと思っていた失態、それをまるで高昭の関係のない話題のように言われて暫くの間思考を停止した。

「違う。」

 高昭は決めつけるように吐き捨てた。

「俺が悪いんだ、だから皆が怪我をして……。」

「それならそれでも良いよ。」

 天使にとって、高昭がどう言おうが関係なかった。もう過ぎた出来事を掘り返して話すつもりはなかった。

 ただ天使にとって、今は、抱きしめてくれた事が嬉しかった。

「助けてくれてありがとう。ウチは、それ以上に何も思わないから。」

 背中を預けながらも、しっかりと、真っ直ぐに合わされた視線は、純粋で素朴であった。それは、今の高昭にとって自身の後ろめたさを浮き彫りにする恐ろしさがあり、気恥ずかしくあるものも感じさせる。

 高昭は、何かを言おうとして、喉元まで出かかって止めた。

 その姿は、天使にとって馴染み深いものだった。最近の、嘘を被せた言葉とは違う。子供の頃、高昭は天使に何かを告げようとし、そして諦めたように笑うのだった。

「ほら、高くん笑えって。」

 天使が肘でつつくと、高昭はうっとおしそうに身を捩った。急に五感が戻って来たように、高昭の鼻を天使の髪が、その匂いが、くすぐる。

「笑えよ~ほら~。」

 強引に顔を向かせようとする天使から逃れる為に、高昭は目を瞑った。普段の無表情と違い、少し必死に天使の頼みを回避しようとする姿を見て、天使が笑みを零す。

「わ、笑うなよ。」

「だって、高くん必死なんだもん。」

 態と笑い声を漏らす天使を見て、高昭は眉を歪ませる。年相応というには少し幼い、だが意図的ではない天使の行動を見て、高昭はもう一度天使を撫でた。

「……懐かしいな。」

 独り言ちた高昭の息遣いを感じた天使は少し悪戯な笑みを浮かべて首を動かし、高昭へと視線を向ける。

「今、笑ったな。」

「笑ってない。」

「絶対『フッ』ってなってただろ。」

「なってない。」

 ズイっと顔を近づけ問い詰める天使と目線だけ逸らす高昭。天使は高昭の顔を両手で挟んで強引に回す。

「ほら、ちゃんとウチの事見ろよ。」

 満更でもない高昭はそのまま見つめる。天使は自分がやった手前、引き下がれないが、段々と恥ずかしくなってくる。二人の距離は、その親しさを以っても近すぎる。

 天使の目線が少しずつ泳ぎだすと、それを見て高昭が笑った。

「ククッ。」

「笑うなよ!」

 耳まで赤くした天使が高昭の胸板を軽く叩く。

「いや、少女漫画の男みたいな事いうな、と思って。」

「あぁん?」

「『俺の方をちゃんと見ろよ!』みたいな。」

「うっせ、バーカ!」

 恥ずかしさが頂点に達して、天使はベッドに顔を埋めようとした。

 そのせいで、高昭の表情を見れなかった。

 この掛け合いで、更に心を開きかけて、何かを伝えようとした高昭は少し思案する素振りをみせた。天使が見ていれば、高昭が良くやっていた仕草も二度目である事に疑問を感じて、理由を聞いただろう。

 悩むにしては長い時間、高昭は言葉を躊躇う。同時に天使も、自分がやった事が恥ずかしくて、自分から話しかける事は無い。

 そして、高昭は諦めるように、天使に見えないように微笑んで、病室のドアに目線を向けるのであった。

「寝てるか、天ちゃん。」

 気恥ずかしさか。天使は答えなかった。

 寝ているかどうか、背を向けて横たわる天使の様子からは、高昭には分からない。疲れていない筈がない天使を思い、高昭は天使が眠っている事とした。

 高昭が掛布団越しに撫でると、天使は心地よさそうに、寝息を立てる振りをする。

「天ちゃん、好きだ。」

 脈絡もなく言った言葉は、狸寝入りしている天使には、どうにも反応出来るものではない。頭は枕に埋め、目を瞑っているが、眠りにつける状況ではない。寝ていた事を嘘と明かそうにも考えが纏まらずにいる。

 しかし、静けさを切り裂いたのは、思い切りドアを開ける音だった。

 息を切らせて、ノックもせずに入って来た紗由理と亜巳は少し目が赤らんでいる。

 高昭が視界に入らないかのように病室に入った亜巳は、他の二人の家族より怪我の酷い竜兵を見て歯を食いしばるようだった。

 天使だけではない。竜兵も辰子もこの部屋で入院、療養していて、ベッドの上に居る。今はまだ気を失っている二人を見て、亜巳は肩を震わせる。

「なんで。」

 紗由理が漏らした声は病室の空気を急激に重いものに一変させる。その空気を感じ取った高昭は改めて自分の罪深さを噛みしめるように顔を伏せた。

 梁山泊の強さを知らない二人は、それ故に結果しか知ることが出来ず、天使のように割り切れなかった。

 静寂に包まれた病院で、固い布団の上に水滴の落ちる音が響く。

 天使は、それでも高昭が助けてくれた事を訴えよう顔を上げた。しかし、亜巳の表情から、普段の厳しい振る舞いで隠している深い家族への愛情を感じられて、口を挟むことができない。その愛は上の兄弟だけに向けられている訳でない事くらい天使にも分かった。

 しかし、亜巳と紗由理の感情は、天使にとって何処か違和感が拭えないものだった。

 この場に来た二人は、行き場のない怒りとも言える感情に支配される可能性も、自身の無力さに打ちひしがれる可能性もあった。事実、紗由理は高昭へ不当に怒鳴りつけ、頬を叩きかねない程の怒りが、胸中にはあった。

 もし高昭が居なかったら事態はもっと悲惨になっていた事を、二人は知らなかった故の感情。紗由理にとって感情を吐き出すのに、高昭のせいにするのが楽な選択なのは間違いなかった。

 しかし、亜巳はもっと直情的であったし、また冷静でもあったのかもしれない。

 紗由理が感情を爆発させて高昭に殴りかかろうとするよりも早く、亜巳は高昭の両肩を強く握った。

「これをやった奴らは何処にいるんだい。」

 必死に感情を押し殺しながら、亜巳は、問い詰める。だが、言葉から滲み出る殺意は隠しきれていないようでもあった。

「そいつらは俺がけりをつけました。」

 高昭はゆっくり、傷つけないように肩に食い込んでいる亜巳の指を外すと、病室から出ていく。

 そして、誰にも聞こえないような小さな声で呟く。

「……俺が全てのけりをつけないと、か。」

 

 

 高昭が病室を出ると、紗由理と亜巳の鳴き声がどんどん遠くなるようだった。理由無く近辺を歩こうとすると、前方から見知った顔の男が来るのが見えた。

「お前の傷は大した事ないのか?」

「俺はどうだろうが構わないさ。」

 男はその言葉に含まれた意味を十分に汲み取った。高昭の決意の固さは、男が止められるものではないと分かるには十分すぎる言葉だった。

 暫し無言のまま歩いていた二人だが、不意に一室の前で立ち止まる。

「こっち陣営の作戦本部だ。」

 高昭に呼びかけはするが返事を聞こうという素振りすらないままに、男はドアを開けて中に踏み入っていった。

「遅れてすんません。」

「遅いぞ委員長。」

 この場にそぐわないにやけ面を見て、総指揮を執っている紋白が呆れた風に委員長の態度を咎める。高昭が部屋を覗くと、紋白と、お付きのメイド、その他にも此方の中心人物が座っていた。二年でも頭がキレると名高い大和に加え、風間ファミリーから京と由紀江。天神館からは大友が腕を組んで待っていた。

「しかしまあ、俺が来る必要ないでしょ。ここに居る一年の最高戦力さん方を除けば、次点のムサコッスは療養中だ。それらに連絡する意義がない上、俺ってばそんなに顔も広くない。」

 委員長は椅子に腰かけながら、紋白にぼやいた。高昭は壁にもたれかかって目を瞑る。

「紋白は全体の指揮を執るんだ。一年の手綱くらい握って貰わないと作戦も何もない。」

 大和が正論ぶった意見を述べると、大友も続けて喋る。

「大友は作戦を考えたりはしないが、意思疎通は重要だと考える。仲間がやられて棘が立つのは分かるが団結なしに勝てるほど敵も甘くない。」

 棘が立つ。そう聞いて由紀江は高昭を見る。思ったよりも落ち着いて見える姿からは、梁山泊を前にして感情を爆発させたとは思えなかった。普段通りの鉄面皮。否、ここに居る殆どの人間は、そういった想像や高昭の感情の変化に気が付く事すら難しいと思わせる程度には、高昭と過ごした時間は少なすぎたのだ。

「察しが悪いなあんたら全員。」

 いきなり、委員長が暴言を吐いた時、反応したのは京であった。話の場に弓を持ち込むような無作法は行わずとも、歩兵として十分な能力があるのは確かだ。

 そもそも無作法な輩がどちらか、言うまでもない。

「……そのしょーもない台詞、もう一回言ってみろ。」

 学年は違えど、FクラスとSクラスによる確執は完全に取り除かれていない。加えて、漸く仲間と認めた由紀江の近しい人物となれば、相応しいかと疑ってかかるのは当然であった。高昭たちにとって友人であるように、風間ファミリーにとって溺愛すべき後輩であるからだ。

 紋白の護衛に緊張が走り、大友も少し腰を浮かした。一触即発の雰囲気は、高昭にとって些事であった。

「成程、初めからそういうつもりでしたか。」

 由紀江が目を細めるが、委員長は動じずに言葉を返す。

「おうともさ。誰もこいつの手綱は握れやしない。だったら俺はこいつに力を貸すだけだ。お前らに力を貸すよりは筋が通ってる。」

 委員長が視線で急かすが高昭は気に留めた様子もない。ここに居る皆が注目したからという理由で口を開く訳がなかった。

 唯、誰もが黙れば即時告げるつもりで居ただけだった。

「降りかかる火の粉は勝手に払わせてもらう。奴らの始めた戦争に、身の丈以上の仲良しごっこなんぞ必要ない。」

 指示を聞くつもりはないという宣言。それをする為だけに高昭は此処に来た。余りにも自分勝手であるが、これが高昭なりの最低限の通すべき筋。

「そんな見殺しにするような真似を看過できるものか。」

 紋白が睨み、言い放つが、既に高昭は背を向けて出ていった後であった。

「んじゃまあ、見殺しにする気ないんで俺も行きますよ。」

 軽々しく死地へと高昭を追いかけていく委員長を、この場に居る誰もが止められなかった。

 由紀江が目を逸らしてきた薄々感じていた高昭への嫌な予感は、本人に何も聞けぬままになってしまう。このままだと悪い方向に事が進むと勘が告げている。だが、第六感が告げなくとも、動かねばならないのは分かっていた。

 

 

 そこは戦場には相応しくない場所であった。

 夜の河川敷で少し前まで蛍が鑑賞され、項羽でもあり清楚でもある少女は、京極という一人の人物にその内面を大きく揺れ動かされていた。項羽が総大将として戦争を起こしたと知って、それでも普段と、清楚と名乗っていた時と変わらず接してくる男。

 そんな青春の一幕を作り出したのが、項羽である。だが、同時に、大きな引き金を引いてしまったのも項羽であるのは、本人が一番理解していると思っていた。

 項羽が手に獲物を握って、襲撃者を睨む様子から、この場での襲撃は予想の範囲内であるのは確かだった。

「孤立を狙った策は上出来だが、単騎で挑むとは感心しないな。」

 暗闇に混ざる浅黒い肌は遺伝によるもので、一層に白い道着を浮かび上がらせる。かつての覇王をも見上げさせる巨躯は、その手に武器を持たずとも十分な殺人道具であった。

 襲撃というには堂々とした佇まい。死地に踏み込む事に戸惑いが無い。

「自ら起こした戦争に一から十まで文句を言うとは良い身分だな。」

「文句が言いたいなら存分に言えば良いぞ、黒田。力を示した後で、な。」

 話し合いは無用であり、襲撃者への項羽の回答は、体に滾らせた闘気から分かるように、駆逐である。

 奇襲を手放した輩に、先手を譲る必要はない。項羽が横に力を振るえば、世界が割れる。武器を振るうという表現に納まらない現象は、技などない力任せであっても、災害そのものであった。

 余波は高昭へ襲い掛かる。まだ単なる脅しの一撃は、直撃はしないものの、当たりさえすれば致命傷になりかねない。

 少女は、名も力も覇王を受け継ぐ、真の強者であった。見た目の大きさなど意味をなさない間合いと破壊力を兼ね備える。高昭から見ても圧倒的である。目の前に居るのは、『壁越え』と戦わずして言い切れるであろう同年代の人間。

「近づけもしないだろうな、黒田。」

 優位に立つ項羽は高昭を見下す。項羽と高昭の距離は、高昭の間合いの二倍は離れている。項羽から動く必要はなかった。

「如何に誰にも告げず此処に来たとはいえ、総大将が居なくなれば監視をつけない程、此方の軍も無能ぞろいではない。そうしている間にも貴様の余命は無駄に費やされているぞ。」

 項羽が言うように、反乱分子とはいえ元々は九鬼。トップクラスの実力者も中心に居るだけあって、大規模作戦の練度は低くない。項羽程度の不確定要素は、余りある戦力さえあれば巧みにコントロールできる。

 近づけない高昭へ何度も牽制を放つ項羽にとって、時間は幾らかかってもいい。応援が来るのは時間の問題であるのは間違いではなかった。

「どうでもいいよ。雑兵が幾ら来ようが物の数にもなりはしない。」

「吠えたな。部下を雑兵と言ったか。」

「冗談。お前も雑兵だ。」

 高昭が仕掛ける。項羽の攻撃が周囲を守る障壁だったとしても、人の身で繰り出す以上は隙が生まれる。

 項羽は力を籠め横薙ぎを振るう。

 高昭は、空中に気で足場を作り一息で項羽の頭上まで駆け抜ける。巨体が下す影を認識すると項羽は頭上へと斬撃を放つ。

 怒りを孕んだ一撃は、鈍かった。

「『火の構え』。」

 空中で気で生み出した足場を軸に放つ一撃は、項羽の斬撃に押し勝つ。だが、それ以上の結果は残せなかった。挑発が無ければ項羽は相打ちで終わる程度の斬撃より強く震えた筈である。落ち着いていたなら、高昭は直撃を叩き込めた筈である。

 続く項羽の上段切りは飛んで避け、再度仕切り直しの形となる。

「雑兵、雑兵と良く吠える。言葉もそれしか分らんように、戦い方もゼンマイ仕掛けの骨董品とくるからお笑いだな。」

「なんだと。」

 明らかに見下す項羽の呆れ顔。高昭は真意に気付かれないように問いただす。

「瞬発的な加速を用いた奇襲、攪乱。次いで決め手は相打ち上等の技の打ち合い。全てが最強であればそれでも良いだろうが。貴様は所詮『壁』に抑え込められた凡夫だ。力押しで純粋に勝てぬ覇王を前に、どんな小細工も意味など持たん!特に心の平静も保てないような輩には絶対だ。」

 項羽が高昭へ向けて武器を振るう。それだけで、地は抉り取られ、衝撃波は高昭へと迫る。単に腕を振るうだけの項羽に対し、走り回る高昭。どちらが優位に立っているのか、それを表すかのように、項羽の表情から怒りの気配がなくなってくる。

「どうした、黒田!得意の奥義とやらでこの単なる攻撃を捌いてみせろ!」

 更に数回の斬撃を放ったところで、項羽はあたりに散らばる光に気付く。

 ――この戦闘の最中に蛍か?

 戦いの場で、そんな馬鹿な話がないと項羽は分かっていた。可能性としては水か。だが水面に向かって攻撃を撃つばかりでは水飛沫が此方に来る道理はなかった。月光が反射する何かは、虫と例えるには鋭く、動きが直線的過ぎた。

 何事かと目を凝らせば、その一つが項羽の眼球の目掛けて一直線に飛来する。

 それは、初めて項羽が根ざした地から足を動かし、然程も致命傷にも至らないまでも、背に冷や水を打つには充分であった。

「含み針だとぉ!」

 頬に刺さった針を抜きながら、項羽は目の前の男に激怒した。一対一、真剣勝負とばかり思っていた項羽にとって、暗器と理解した時点で腹積もりは決まった。

「黒田の拳は殺人拳だ。だが安心しろ、致死性の毒なんざ塗ってはいない。」

「貴様は何をしたのか分かっているのか!」

 高昭に怒鳴り、地を踏みしめる力が増す項羽に対し、高昭は静かだった。行動に対して、高昭の心の水面は波一つ微動だにしない。

「勝手に戦争を始めといて、心得もなしに喚くかよ。俺は貴様を殺しに来たんだよ。」

 高昭は含み針を吐き捨て道着を振って、これ以上の暗器がないと項羽に見せつけると佇まいを直す。

「親切ついでに教えてやる。貴様だけじゃない、戦争だろうとなんであれ、その手段を良しと黙認して俺の大切な人を傷つけた全ての人間を、俺は救いようのない危険と見なし、排除する。」

 項羽は、後ずさった。力量による恐怖ではなかった。力量は、高昭の天井は、武に理解のある皆が知る『壁』であるのは項羽も、清楚である頃から分かっていた。

 含み針は抜けているにも関わらず、項羽は肌に針が刺さったような錯覚を覚えていた。高昭に感情は十分見られるが、それは項羽に対して微塵も向けられていない。殺意というには軽すぎる。頬から滲んだ血は、含み針と同じ鉄の臭いだった。

 生存本能に死が迫っている警告を響かせるのに、十分なサインだった。

「針なんぞ元より必要ない。俺は、黒田高昭は、これより何より鋭利な『修羅』となるからな。」

 纏う雰囲気が変わる。

 にじり寄る高昭を、項羽の感覚器官は拒絶したいと泣き言を言っているようだった。得体の知れない何かを振り払おうと構え直した時、今度は闇の中を幾つもの紫が空を走るのが見えた。

「何だアレは。」

 人型で空を飛ぶ機械は高昭の放つ異様な雰囲気とはまた違う非日常を連れてくるようだった。

「打ち上げようと思って用意していた花火を、残すと何時使えばいいか分からなくなる感覚って共感できるか。あいつは結構楽しみだったらしくてな。」

 項羽には高昭の言葉を少しも理解できなかった。だが、水を差されたお陰で、高昭に敵意を向ける程度には平静を取り戻せた。

「あの紫共がどれ程かは知らんが、精鋭ぞろいの増援を食い止められると思うな。」

「あいつも戦ってるんだ。互いに横槍は要らない。それに――」

 項羽が鳩尾目掛けて放った突きを、高昭は裏拳で刃の側面を殴り逸らしてみせる。

「一騎当千の将兵だろうが、万の軍勢だろうが、何が駆けつけようが俺は最期まで立ち続け、這いつくばるのは貴様らだ。」

 

 

 

 

 

 

 張りぼての覇道と支離滅裂な修羅道が交差する。

 単に力をぶつけ合う意味が仇討ちの為だと誰が決めつけたのか。


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