特別になれない   作:解法辞典

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後編です。
当初のプロットではこの辺りで完結だったので、綺麗に纏まっているのではないかなと思います。

新しいプロットで考えるとまだまだ本当に完結できる日は遠そうです。
でも絶対に完結させます。

誤字等ございましたら感想で伝えてください。





第二十一話 『壁越え』後編

 静寂。

 再び睨み合う両者に加え、観客はそれ以上に押し黙っていた。その理由は誰もが心に思い浮かべているのだが、この静けさの中で口に出す勇気はなかった。

 あの直撃で、黒田高昭は何故生きているのか。

 要するにそれが疑問なのだ。

「姉さんもあの技を防げる?」

 風間ファミリーの軍師、大和が、少ない時間で、真相に近づく為に考えた質問を百代に投げかける。少し挑発的とも捉えられる質問だった。

「防ぐ、か。そう言われれば、黒田はあれを防いだと言えなくもない。」

 なんともはっきりとしない物言いで百代は答える。それに、その言葉は大和の質問の答えにはなっていなかった。

「避ける他に選択肢を持つのは、強みか。恐らく、辰子はあっちの方が向いている。いや元からあんな戦い方も教えられているんだろうな。」

 珍しく、思考にふける百代の姿に、風間ファミリーの男勢が困惑した。そもそも言っている事が理解できないし、結局大和が聞きたい事を明言してくれない。全員がやきもきしている中で一番に困惑しているのは、引き継いで説明を始めようとするも言葉が見つからずにあたふたしている由紀江であった。

 今の説明で理解できてしまった一子はしきりに頷くだけで、此方も説明する気がない。説明できるか、と言われれば別のはなしであるのだが。

 そんな状況を見かねた京が、大和に助け舟を出す。

「大和、道着の袖が焦げているのは見える?」

 無論見える訳がない。だから、京も返事を聞かずに説明を続ける。

「釈迦堂さんのあの技、凄く速いし威力もある。でも一番危険なのはあれが途轍もない勢いで回転している事なんだ。彼は一旦受け止めて、回転に逆らった攻撃を当てる事で無力化させたんだと思う。」

 それで、無理やり回転を止めたから袖口が焦げている。大和や岳人を筆頭に、一般人からしてみればその防ぎ方は破天荒なものに思えた。だが、武術側の人間が言うには、常に全ての攻撃が避けられるとは限らない中で、特に釈迦堂のリングのような一撃必殺になり得る攻撃の対応策が一つでも多くあった方が良い、との事らしい。

 武道に順ずる人間は、言われなくても分かる事だがと前置きをして、リングを一瞬でも受け止める技術も回転を止めるのと同じくらい難しいのだ、と言った。

 その次元の話になってくると一般人には分からない。

「そうなのか。」

 大和が適当な返事をしてしまうが、実際それ以上に言える事がない。大和や岳人たち一般人は互いにアイコンタクトと取り、今は下手な事を言わずに大人しくしている事を決めたのだった。

 結界の中の両者は依然として、睨み合いを続けている様で、時々構えを変化させているのはフェイントに他ならなかった。

 大和の様子を見た京は、話についていけずに不貞腐れているものだと思い、出来るだけ噛み砕いた説明をする。

「基本的には避けるのが第一だって事だよ。でも彼みたいな方法も出来るなら、見せておく事で相手が連発しないように牽制もできるの。」

「牽制って事は、黒田もあの技は撃たせたくないのか?」

「それは当たり前。さっきは上手く対処してたけど、対処に必要な腕に当たったりとか油断している時だったりすれば、やっぱりあの技だと体に穴が開いちゃうから。」

 そんな物騒な事を平然と言い放った京は、やっと動き出し攻勢に転じた高昭を、他の武士娘に比べると興味無さげに見ながら大和と話をそのまま続けた。

「でも、どうなんだろうね。」

「どうしたんだ京。それだけじゃ俺には分からないぞ。」

「回避能力、空中での姿勢制御とそれを使った加速、攻撃のリーチ、攻撃速度、防御能力。話を聞いていると、残すところは攻撃の威力くらいだから、攻勢に転じたんだろうけど。」

 大和は、そこまでの話を聞いてある程度は京の言いたい事が分かった。だが、上手く言葉で表現する事は叶わなかった。

 京も、それ以上の表現ができないのか、それとも口に出すのが憚られたのかこれ以上言葉を繋げなかった。

「『壁』としての持てる最大限の実力をその場に応じて示す。それに何か問題でもあんのかよ。」

 不意に天使が呟いた言葉。

 確かに、何もおかしくはない。それも、一つの戦い方である。

 しかし、高昭、『壁』の戦いには駆け引きが無い。いや、勿論フェイントなどは使っている。だが、本来の戦いに必ずある、考慮すべきものが欠けている。

 奥の手。

 その存在が有るからこそ、相手の力量を確かめながら戦う。それが、京の考える歩兵の戦いと弓兵の戦いの最たる違いだと思っている。

 にも関わらず、黒田の戦いにはそれがない。

 『壁』として実力を示す存在として常に全力で戦う。持てる力の全てを使う。その示した力を上回れるかどうかを判断するのが、今回の戦いである。

 黒田が全力を示す理由は、武道に関係する人物は知っている。基準である『壁』を理解して、それを目標にするからだ。『壁越え』を目指して腕を磨く者もいるし、黒田の武を研究して『壁越え』をする者もいる。

 敵を知り己を知れば百戦殆うからず。

 情報を分析して勝ち筋を形成しようとするのは何も悪い事ではない。黒田に挑む以上は最低限の実力を備えているのは当然である。故に、その上で敵を知る為に誰もが黒田の戦い方を研究をする。黒田の武は、人間の壁と言われるのは武道に関わる以上は誰もが知るところだ。その動きは理想的で無駄を極限まで省き、人間に可能な動きを全て網羅しているとも言われる。

 研究しなければ勝てない相手だが、対策があれば糸口は見える。加えて、戦いの初めに高昭は釈迦堂に対して『二度目はない』と言っていたが、挑戦自体は何度でも可能である。

 高昭があのような事を喋った理由は、釈迦堂は既に完全に仕上がっている武芸者であり、一度高昭とも戦った経験がある。自分は以前に釈迦堂と戦った時に使った以上の技を持たず、新たに覚えた技がないと伝えると同時に、身体的成長や技の精度の向上程度を推測していないのならば、一生勝てはしないと言っている。

 閑話休題。

 つまりは、黒田は武芸者から研究される立場にあり、寧ろその実力を知られるべき人物であるという事だ。目標とされ、研究されるが故に『壁越え』の出来る人物は少なくはない。

 それが、通説の話。

 大和が京の話を聞いて辿り着いた結論はそこまでだ。

 だが、京が感じたのは、常に全力を出しても読み合いがなくなるわけではないが情報において不利になるから、というものではない。白兵戦を専門とせず、その上で十二分な武道の腕を持つ京だけが感じた事。高昭は、恐らく『火の構え』見せるために、自分から仕掛けた。今日が初めての『壁』としての戦闘になるからだろうか、持てる全ての力、技術を『見せる』為にあらゆる場面で発揮する高昭の姿は、まるで――

 血に縛られ、役割を全うする発条仕掛けの人形の様に見えた。

 

 

 ボクシングにおけるロープ際と同じように、背後に障害物を背負いながらの戦いは好まれるものではない。にも関わらず、釈迦堂は敢えて高昭が攻めてくるまでそこから動こうとはせず、当初の予定道理、その位置で戦いを続行させた。

 『風』に続いて『林』と『山』を見せている。高昭が見せた黒田の奥義は三つだ。残りの『火』を勿論攻撃の技。おまけとばかりに釈迦堂が居る位置は壁際。攻撃を仕掛けるにはお誂え向きの場所。釈迦堂は、背後からの不意の攻撃という選択肢を高昭から奪う事に成功したが、同時に自身の退路を失った。

 どうぞ攻撃してください、と言っている様なものだった。あからさまなカウンター狙い。

 しかし、高昭は攻撃を仕掛ける。出来るものならやってみろ、と。越えられるのならやってみろ、と。迷いなく駆けていく。

 先程から戦っている様に、男二人が飛びまわれる程度のスペースがある結界だが、それでも本気で走れば端から端まであっという間に着いてしまう広さしかない。高昭と釈迦堂の攻撃範囲が重なり合うまでの時間は一瞬だった。

 高昭の攻撃範囲に入るとすぐに、釈迦堂は攻撃範囲の差の分だけ距離を詰める。逆に高昭は自身のみが攻撃できるように後ろに下がりながら相対距離の調整をする。お互いに牽制をしながら距離の調整。高昭は飛び込むタイミングを計りながら、釈迦堂は相手のタイミングを先読みして反撃をする準備。

 態々背後への攻撃をさせない様に立ち回っていた釈迦堂は、一見矛盾して見える相手の懐に入り込むという戦法を取っていた。無論、カウンターを確実に決めるのは狙っているが、それ以上に高昭が自由に動くのを嫌った。カウンターを撃つ為には相手が攻撃しなければならないのに対して、相手の自由を阻害する動きをしなければ逆に一方的にやられてしまう。加えて、折角近づいてきた高昭を離してしまえば、体格に差がある釈迦堂は攻撃を当てる事すら儘ならない。

 現在は釈迦堂の目論見通りの展開であるが、周囲から見れば高昭の動きに振り回されている様にしか見えなかった。

「動いたぞ!」

 見ている人間の誰もが何かしらの声を上げ、目を凝らした。高昭が遂に仕掛けた。釈迦堂が壁際に居て、お互いにとって悪くない状態と場所。先の印象もあってか、高昭は風の構えで攻めるだろう、と誰もが考えていただろう。

 壁際と言えば逃げ道がなく、その場に留まらせ易い事に直結する。故に有効なのは直線的で、手数の多い打撃。そして、それは釈迦堂が待ち受けている獲物であると皆も考えていた。

 しかし、高昭が繰り出したのは打撃には程遠い技だ。

「絞め技だと!」

 高昭は釈迦堂の道着の襟を掴み、持ち上げた。簡素な絞め技であるが、柔術に長けた人間の絞め技は数秒もかからない間に相手の意識を刈り取る。一度完全に極まってしまえば脱出はほぼ不可能であり、壁に押し付けられた釈迦堂は身を捩りながら拘束を解く手段も使えない。

 これは、仕合が終わってしまった。そう思われた瞬間、高昭は釈迦堂の身から飛びのいた。

「つまんねえ事してんじゃねえよ。」

 その技は、釈迦堂の手からこの戦闘の中で何度放たれただろう。

 リング。

 後一歩、避けるのが遅れたら高昭の腹部は空洞が出来上がるところであった。当然、リングは結界に当たり、結界を維持させる川神院の人間は表情を歪めた。

 カウンターとは言えない一撃。肉を切らせて骨を絶つ為の狙い済ました攻撃だった。端から避ける気がなかったのではないか、とも思わせる釈迦堂の一撃は、試合開始から表情を崩さない高昭に冷や汗を掻かせるには十分だった。

 ――リングの生成速度を偽ってやがった。

 高昭が肝を冷やした原因はそれだった。山の構えで攻撃を防ぐに至った一件において釈迦堂の攻撃は、リング、星殺し、リングの順番だった。高昭が星殺しを防いでいた時間、つまりはリングとリングの攻撃の間。その間隔は、仕合の初めに牽制としてリングを放っていた時と殆ど同じ間隔であったから、てっきりその間隔であると高昭は勘違いしていた。だが、それは釈迦堂の仕掛けていた罠。

 自身を欺いた『技術』は十分、と判断した高昭は『壁越え』の判断材料を満たした釈迦堂に一層の注意を払って、距離を詰める。

 

 

 危うく、高昭の体に穴が開いてしまう場面。釈迦堂が仕掛けた高度な罠には観客の誰もが気付かないまま、戦いは進んでいる。先程、戦いにおける奥の手について口に出していた京でさえ、気付けなかった。

 しかし、別の事に気付いた人間は居たようであった。

(リュウも、辰姉も、仕合に夢中で気付いてない……。)

 先程も粗暴な言葉遣いをしてしまった天使であるが、当然の如く、高昭が戦っている姿を見るのは気が気でなかった。天使は、観衆の中で唯一、高昭の右腕が完治していない事を知る人物だ。

 竜兵と辰子は、高昭が大丈夫だ、と言った言葉を信じきっている。勿論、高昭の右腕の動作は日常生活を完全にこなせる程に回復している。釈迦堂を吹き飛ばした様に、殴る事も可能だ。

 それでも、全てが完治した訳ではない。

(釈迦堂って人は気付いてるんだ。だから、ちゃんと反撃したんだ。)

 天使がそう考える要因。高昭の右腕の、完治していない部分が主な理由であった。握力、及び指力。物を握ったり、指を引っ掛けたりする力が、今の高昭には欠けている。

 だから、釈迦堂に仕掛けた絞め技は確かに意表を突く攻撃だったかもしれない、釈迦堂があと少し行動が遅かったならば仕合が決まる行動であったが、実際は脱出可能な奇策にも満たない行動だった。

 そして、高昭も釈迦堂が難なく絞め技を抜けると考えたのだろう。

 その様に、全員に見えるはずだった。『壁』として、黒田として、その弱点も含めた実力を全員に示そうとした高昭の行動は結果として釈迦堂に潰された。釈迦堂が取った行動の理由が、何からきたものなのかは釈迦堂以外が分かる事ではない。だが、あの時釈迦堂は高昭の右腕の事を分かった上で、敢えてリングを放った。

 もし、釈迦堂が拘束を外していたとする。そうすれば、高昭は必然的に多少は体勢を崩す事になって、追撃も避けられる事はない。拘束を外す、それを行うだけで、先程のリングも当たっていたかも知れない。

 たられば、は語っても仕方の無い事である。

 しかし、釈迦堂は明らかな目先の勝利を捨てた上での行動をした。

 人間の頂点の黒田を、欠陥一つ無い『壁』を真っ向から打ち破り、勝利を目指す。観衆の目の前で高昭に何度殴打されようとも決して膝を折らず、その目の光は消える事無くギラギラと輝いているその人間。釈迦堂のその姿勢、その雄姿。

 純粋な武士娘ではない天使は、此処に至り漸く理解した。

 これが『壁越え』だ、と。直向に目標とされる『壁』を目指し、目の前の高昭ではなく自分の描いた理想を越える為に足掻く。結局、高昭はそこで戦っているだけなのだ。挑戦者はそこに自分の目標を重ね、打ち勝つ。だから、勝敗に関係なく『壁越え』の判断を下す事も可能なのだ。黒田は、一番近くで挑戦者の目指すところを見定めて、この仕合の中で乗り越えられるかを判断する。その為に、高昭はあんな状態であっても、あの場所に立つ事を望んだ。

 『壁越え』。

 実力という最低限の基準に加え、勝利、目標、理想など、様々なものを目指し、苦難に乗り越えるべく努力し足掻き渇望し、一切の妥協の無い武士の挑戦。それは観る人間を惹きつけ、美しいとまで思わせる。

 そして、この戦いを観た人物の中には、新たな目標が出来た人もいる事だろう。

(高くんが、自分の身を削ることになっても、『壁』であろうとした理由が分かった気がする。高くんからは、見えないかも知れないけど、皆が夢中になって観てる。)

 天使が感動している様に、高昭と釈迦堂の戦いはこの場に居た人間を魅了し、いつの間にか、誰もが釈迦堂の『壁越え』心から応援していた。

 

 

 全力を尽くして戦う二人の姿は既に痣だらけで、互いに傷口からの出血のせいで道着の色も変色していた。互いに一度も膝を地面につける事は無く戦ってきたが、限界が近づいてきていた。もう一度大技を放てば力尽きてしまう程度にしか力は残っていない。

 壁際で行われていた攻防も終わり、再び中央に戻って一度距離を置き、向かい合う二人。これから行われるのが正真正銘の最後の攻防である。

 先に動いたのは高昭。

 初めに攻勢に転じた時と同じく気の足場を生成するかに思われた。高昭と釈迦堂の周りには不自然な気の塊が作られた。どれを使用して攻撃するのか。一体、上下左右前後のどこから攻撃するのか。誰もが、息を呑んだ。高昭は釈迦堂へ向かって走り出し、目の前には気の塊。

 まだ飛ばない、いつ飛ぶ、飛ぶぞ、飛ぶ。

 高昭が走っている間、そんな観衆の心の声が聞こえてくる様だった。

「火の構え。」

 釈迦堂との間にある気の塊の前に来た時、不意に高昭は背を向け始めた。それは釈迦堂には見覚えのある構えだ。丁度、前の戦いもこの技を絡めた攻防だった。

「嵌めやがったなこの野郎!」

 釈迦堂が喚いたところで遅かった。

 足場として配置されたかの様に思われた気の塊。プラフも含めて多く配置されていたかの様に思われたそれらは、当然の如く、初めに高昭が見せた最大のリーチがギリギリ届く程度に釈迦堂と離れた位置に配置されていた。逆に言えば、釈迦堂の位置に高昭が居た場合、綺麗な球を描く様に配置されている。

 もし、仮に、高昭が釈迦堂の位置に居たとして、加えてその気の塊がある場所に釈迦堂が居たとしたらどうなるか。

 当然、逃げる事は不可能である。

 高昭以外の、釈迦堂を含めた全員が、立体的な攻撃でガードを揺さぶってくるものだと思っていた。だが、高昭は、真っ向から釈迦堂の防御を打ち破ろうとした。

 大上段から振り下ろされる踵落としには、高昭のボディバランスの上で初めて成り立つ回転に上乗せされた威力に加え、その巨体から繰り出される事による質量エネルギーも加えられている。

 高昭の攻撃は、人間最高の威力として、釈迦堂に振り下ろされる。

 最早逃げる事が不可能だと判断した釈迦堂は、振り下ろされる足を目掛けて左腕を思い切り叩きつける。同時に、高昭の軸足を崩す為に技を繰り出す。

「蛇屠り!」

 不完全な体勢で放たれた攻撃であり、高昭の足を掬う事は叶わなかったが、体勢を崩す事は成功。一方で釈迦堂は、左腕を犠牲にして、自分から吹き飛ばされた。目論見通りだったのは、周りを囲んでいた気の塊にぶつかる事で、勢いが軽減され、体勢を立て直す事に成功した事だった。体勢を立て直した釈迦堂の目の前には、決死の攻撃を受けてバランスを崩した高昭。

 正真正銘、最後のチャンスだった。

「行けよ、リング!」

 釈迦堂の右腕から放たれたリングは、真っ直ぐ高昭へと進む。無理に避ければ更に体勢が崩れる、と思った高昭だったが、向かってくるリングを視界に納めた瞬間。その体は反射的に避けていた。

 放たれたリングは、今までの内側に抉りこむ回転ではなく、外側への回転。突然の事態に対する混乱を避ける為、高昭は、多少無理をしてでも回避を選択した。

 そして、釈迦堂の奇策も尽きたと考えた高昭が次の攻撃に備える為に釈迦堂を見ると更なる衝撃に襲われる。

「続けてショット!」

 釈迦堂は攻撃を受け、骨が折れかけている状態の左腕で、更なるリングを放とうとしている。誰が見ても正気の沙汰ではなかった。

 撃てば、確実にその反動で折れる。だが、釈迦堂は撃つ。この瞬間から高昭は、釈迦堂刑部という男の、勝利を渇望する気迫に圧倒され始めた。

「うおおおおお!」

 必死。

 撃つ釈迦道も、避ける高昭も必死だった。身を投げ出す様に何とかリングを避けた高昭の体勢は崩れ、釈迦堂が一歩、先に動けた。

 高昭が立ち上がった時には、釈迦堂は目の前に来ていた。

「川神流、」

「山の構え!」

「無双正拳突き!」

 既に避けれる距離ではないところまで来た釈迦堂の攻撃を高昭は防ぐほか無かった。

腹部へと突き刺さろうとする釈迦堂の右腕。高昭は必死に体中の気を集めて防御する。互いに最後の気力を振り絞った攻防。

 その競り合いの最中、釈迦堂は口元を歪める。長く戦った釈迦堂の体は既に限界を向かえている。加えて左腕に伝わる衝撃は、視界が霞むほどの激痛だ。

 だが、高昭が拳を受け止めた瞬間、釈迦堂は勝利していた。

 釈迦堂の最後の奇策。

 戦いの間、リングは放たれる度に回転したまま結界に貼り付けられ、川神院の修行僧達を苦しめた。その回転はこの戦いが終わるまでずっと、続いていた。そして最後に撃たれた二発のリングはそれまでのリングと逆回転。結界まで到達した二つのリングは、それまで結界に張り付いていたリングに当たり、弾かれる。

 結界から、高昭へ向かって再発射された。

「ぐああああ!」

 二発のうち一発が、高昭の左脇腹に着弾する。前方の釈迦堂へ防御を集中させていた高昭がその攻撃を防げる筈がなかった。高昭の体を貫通したリングは、釈迦堂の背後の結界に辿り着く前に消滅した。

 一度膝をついた高昭は、脇腹から大量の血を流しながら立ち上がる。

 観衆は、それでも高昭が立ち上がった事に驚いたが、釈迦堂は高昭を見向きもせずに同じく、最後の力を振り絞り歩いていた。

 既に勝敗は決している。

 高昭は、『壁』としての役割を最後まで果たす為に気力を振り絞って立ち上がった。だから釈迦堂が成すべきは、仕合の開始と同じように、この結界の中央で、道着を直して立っている事だった。

「ありがとうございました。」

「ありがとうございました。」

 仕合の後には、相手に感謝の気持ちを伝える。

 そんな当たり前の挨拶を終えて、釈迦堂の『壁越え』は達成されたのだった。 


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