大した複線も落ちもなく、川神学園の人物紹介みたいな感じになってしまいました。
次回からはやっと主人公を出せる、筈です。
誤字等ございましたら感想にて教えてください。
川神大戦も終盤。
戦況は、お互いに戦場を移動する総大将を討ち取るのみとなった。
二人の総大将のうち、九鬼英雄は自らこの戦いに終止符を打つべく突撃。もう片方、F組総大将の甘粕真与は本陣を離れ、逃亡中だ。
本軍を率いて前進してきた英雄たちの他に、先んじて本陣を落とそうとした人物が二人。板垣辰子、天使の両名だった。
その二人と対峙したのはF組軍の最終防衛戦力である、黛由紀江。
天使を除く二名が武道四天王との戦いで、疲れを残していた。特に由紀江は、まだ対峙していた二人には気付かれていなかったが、怪我を負っていた。
しかし、この戦場での戦いは黛由紀江も板垣辰子も周りに居た一般生徒も、何もしないままに終わった。
「もう、面倒くせえのは無しだ!」
そう叫んだ天使は回りの被害など考えずに技を出す。
由紀江と天使が真っ向から戦えば、十中八九由紀江に軍配が上がるため、この時の天使の判断は間違っている訳ではなかった。
「大・炎・上!」
天使の体内にある気、それを全て炎に変えて放出した。大戦の中盤まで戦地中央の道を塞ぐほどの範囲を炎で埋め尽くしていた天使。
あれほどの大規模ではないが、周りの人間をその炎に包む程度の規模であった。大規模な広さでないからこそ近くに居た人間が逃げ出せない速度で火の手が広がっていく。
地に広がる炎ではない。大きな火柱が天使の周りの人間を飲み込んでいく 由紀江だけでなく辰子も、周りの一般生徒も、敵味方関係なく火に飲まれた。
当然、熱量を持った炎ではなく、気のみを燃やす炎である。火傷を負う事も、大怪我をする事もない。しかし、体全体が飲み込まれてしまえば大量に気を有する由紀江や辰子でさえも、体の中の気を殆ど奪われてしまうのは必然だった。
時間を置けば回復はするが、所謂峰打ちで以って倒された状態であるため戦線離脱は逃れられなかった。
対する天使も体の中の気を燃やして、その全てを放出した為、天使の気を含め一帯の人間の気は全て空へと昇っていった火柱と共に霧散していってしまった。故に天使も他の人たちと同じくその場に座り込んでいる。戦闘の続行は不可能。
自爆と言って差し支えない所業だった。
「救護班、救護班!」
炎に飲み込まれていた。その部分のみを視覚的に捉えてしまった無事だった生徒が騒ぎ出す。
川神という町に生きる人間ならば、然程珍しい光景ではないかも知れないが、だからといって人間的な驚きや本能的な恐れが麻痺している訳ではない。
特に川神市外部から来て、学園に入って間もない一年生は特に顕著だったのだろう。
「皆さん、大丈夫ですか!」
そんな風に言いながら顔を真っ青にして近づいてきた女生徒。由紀江と同じクラスに所属する大和田伊予、その人であった。
今回大戦に戦闘員としての参加は義務付けておらず、その他の生徒は救護班として動いている。勿論川神学園の生徒は血気盛んな為、殆どが戦闘に参加しているのは言うまでも無い事である。
伊予は外部からの生徒であり、且つ由紀江と違い武道を目的に来ている訳でもないのでこの大戦では、救護班に回っていたのだった。
序に言えば外部から来たという事もあり、伊予には友人はおろか知り合いも少ない。であるから同じくクラスで浮いていて、同じクラスに友人を持たない由紀江ならば友人になれるのではないかと思ったのだろう。大戦当日に怪我の手当てを理由に友達になれれば、と行動していたら行き成り目の前で巨大な火柱が立ち上り唯一の知り合いが飲み込まれたとなれば血相を変えて飛び出すのも無理はなかった。――知り合いといっても一方的に気にかけていただけであり、その時点では大和田伊予の知り合いは学校内に唯の一人も居ないと言える。
生来の優しい気質に任せて急いで飛び出したのは良いが、見てみれば一人も火傷すら負っていない。加えて飛び出したのが伊予だけであったので、非情に気まずい雰囲気が漂ってしまった。
巻き込まれた生徒の大半は気を失っていて、一人ではどうしようもなく。寝ている風にも見える横たわった生徒達をどうにかする必要があるのかすら分からなかった。更に言ってしまえば、倒れた人のところまで一人で行った伊予が動かずに居るため、周りの救護班の人間も今更駆け寄って行くには間が悪くなっていた。
少しの間一帯が沈黙に包まれていたが、他の戦場では刻一刻と戦況が変化居ている様で、遠くから聞こえた雄叫びを聞くのを区切りにして、救護班は正常に動き始めた。
ここで漸く、伊予は当初の目論見通りに由紀江と接触する事に成功したのだ。
そして、この伊予と由紀江のファーストコンタクトは、井上準が川神百代と接触してから丁度二分たった頃の事でもあった。
丁度二分。
それだけの時間を持ちこたえて尚、井上準は未だ地に伏す事はなかった。
「正直お前がここまでできるとは思いもしなかった。」
「そりゃそうさ、今まで実力は隠してたんだ。」
言葉のみを聞けば二人とも余裕がある風だが、川神百代は殆ど無傷。対する井上は致命傷はないものの滲む汗の量が、限界が近づいている事を示していた。
勿論、百代が井上との戦闘を態と長引かせているのではない。
百代は川神大戦におけるルール、峰打ちをする、を忠実に守っているからこそ長引かせてしまった訳だ。
峰打ちの為の最低限度の力、それを見誤ってしまうほどに井上の実力は百代の目星から大きくずれていた。
「どうもそれなりに本気を出しても問題なさそうだな。今日は本当に素敵な日だ。まどろっこしい手加減なんかせずにのびのびと戦える。その点では井上、お前にも感謝しているんだぞ。」
「へっ、武神様に褒められようが嬉しくはないな。俺を油断させるには十年遅いぜ。」
井上が言い終わると同時に、百代は鋭く踏み込んだ。対する井上は最早避ける事諦めて己の身を守る事に集中した。
まだ全力ではないとは言っても、百代の攻撃は手心を加えたものではなかった。
その拳が井上に直撃すると同時に、井上の体は地面と水平に吹き飛ぶ。
なんとかして空中から制動をかけようとして地面に足をつけようとするが、勢いは納まる事を知らずに、先行していたS組の大部隊の後方に配置された一般生徒を巻き込んでようやく勢いが止まった。
「すまねえ、英雄ここまでだ。」
井上のその言葉に一瞬、部隊は足を止める。
「立ち止まるな!」
味方が思考する暇を与えずに、英雄は最前列から叫ぶ。
「今ここで我らが止まれば井上の稼いだ時間は水泡に帰すのだぞ!」
「しかし、今の衝撃で部隊はばらばらに……。」
周りを走っていた生徒が弱音を吐く。
「そんなもの知った事か。我は九鬼、九鬼英雄だ。王だ。我が前進すれば民がついて来るのは道理だろう。民が傷つけば、我も心を痛めるのが道理であろう。」
それ以上の言葉を発する事無く、英雄は敵の総大将を目指して走り続けた。
だが遮る人間が居なくなった途端に、そこは百代の射程圏内であった。
「ふむ、威力を抑えれば問題はないか。」
百代は腕に気を溜めて、放つための準備をしている。百代は度重なる満足のいく戦いの中で高揚しすぎたのだろう。抑えている筈の気の量は常人に多大な被害がでる事は容易に想定できる程のもので、上空のヘリから様子を見ていた川神鉄心が今、正に止めようとしていた。
だが、百代の準備も、鉄心の心配も、何もかも気に留めず、そこに向かってくる人間が一人だけいた。その人物は戦利品である薙刀を百代に投擲した。何のためらいもなく、全力で。
完全に油断していた百代は避けきれず、横腹の皮一枚分ほどを切ってしまう。
「てめえの妹だったか。そいつの持ってた獲物だ、返してやるよ。」
不敵に笑いながら、板垣竜兵がゆっくりと歩を進めている。
「不意打ちとはいえ、私に傷を負わせた事を褒めてやろう。」
言葉は穏やかな風に装いつつも、百代の心中は煮えたぎっていた。一子の持っていた薙刀をぞんざいに扱われたのだ。
百代の長い髪の毛がまるで逆立って見えるほどに気が荒立っている。
「ところで、これは私に喧嘩を売っているという事で間違いないな。」
「はあ?何で態々そんなもの売らないといけねえんだよ。今は大戦中だろ、不意打ちだろうとなんだろうと勝ってなんぼだ。俺は何か悪いことでもしたか。」
おどけた口調で話す竜兵に、百代は怒りを募らせた。
「黒田はそんな事を教えてるのか。それともお前の独断か。」
「高昭が今回の戦いの前に俺に言った事は一つだけだ。」
一呼吸置いて、竜兵は真面目な顔をして百代と向き合う。
二人は、次の竜兵の言葉が開戦の合図になる事を互いに了解したのだった。
「俺があいつに言われたのは、機会があれば武神にどこまで通用するかを試して来い、という事だけだ。」
その後の二人の動きは速かった。
先に動いたのは百代。竜兵が現れる前から溜めていた気の一切を放出すべく両手を前に突き出した。
竜兵は、何が来るかを細かに予想できた訳ではないが、確実に竜兵の射程外からの攻撃が来ると考えた。
「かわかみ波!」
飛び道具なんてものではない。砲撃。それも飛び切りの、最上級のもの。百代の手から迸る光線は、竜兵目掛けて突き進む。
無論、避けるだろうと百代は考えた。故に殲滅する程、長くの時間をかけた攻撃ではなかったのだ。竜兵を肉薄するべく、右か左か、竜兵の避ける方向を注意深く見ていた。
竜兵は踏み込んだ。力強く、地に減り込む程に。
それからやった事は、かわかみ波に対して、拳に気を纏い、体のばねを精一杯に使ったアッパーカットであった。
人の体よりも太い光軸が竜兵の居場所を境に上空へと向けて垂直に曲がっていく。
その光景を見て驚いたのは、丁度横の辺りを通り過ぎて肝を冷やした上空のヘリに居た人間に限らず、川神百代も同じだった。
板垣竜兵がここまで強かったとか、よもや殴ってかわかみ波を回避したとか、そもそも世界最強たる武神に喧嘩を売るとか、そんな事よりなによりも、竜兵は、かわかみ波が撃ち出されるよりも早くに、既に数歩踏み込んでいたのだ。
そして今も、立ち止まる事なく、百代を打ち倒す為に近づいてくる。
何に驚いたのか。
動きを見れば武道の動き。だが竜兵の戦い方はその実、唯の殴り合いだった。真っ向からの殴り合い。退く気がない。
川神大戦中盤まで敵の弓兵を伴った部隊と衝突した際も、避ける事無く、歩を進めて近づいたら攻撃するのみだった。
「黒田高昭が竜兵に教えたのは殴り合いの技術だって事か。」
「喋る暇はねえぞ。」
百代が思考に浸っていると竜兵は滑るように飛び込んできた。
竜兵が今まで高昭から学んだ技術、いや盗んだ技術とも言える。黒田の奥義、風林火山の内で速さの象徴である烈風、それを真似た飛び込み。更には気を用いた姿勢制御術。
つまりは竜兵は百代から見れば、届かない距離から、滑りながら、上段蹴りを放ってきたのだ。
事実その動きは、気を扱えない人間には出来ない動きだ。故に常識外の動き。初めて見れば、思考は一瞬でも止まってしまうのは仕方のないことだった。
「ぐううあああ。」
頭に直撃すれば、脳は揺れる。これは当たり前の事だ。混乱している最中に、脳も揺れ、百代は正常な判断は出来ずに居た。
今が大戦中で、手加減が必要な事を考慮する余裕はない。
ましてや、完全に直撃を貰ったのだ。少なからず、己の、武神という呼び名に誇りを持つ百代は、一瞬我を忘れる程に憤怒した。
その対象が自分の不甲斐なさなのか、竜兵なのかは、百代にも正常には分からなくなる。怒りとはそんなものなのだ。
そして、次に繰り出した一撃。それは武神の技を、力を以って、それで居て十分な殺意の篭った攻撃だった。
「川神流無双正拳突き!」
たかが正拳突き、されど正拳突き。
武の頂に居る人間が放つ攻撃は全てが奥義、全てが必殺。
加えて、殺意の篭った一撃だ。
今の二人の間合いは百代の歩幅で換算して高々二歩分しかない。
だが竜兵はその攻撃を体を高速で捻り、受け流す。攻撃の余波が見えない衝撃波のままあらぬ方角へ飛んでいく。
これは、まだ開戦の合図でしかなかった。
黛由紀江と橘天衣のほんの一瞬の間に起こった殺し合いに続き、この川神大戦において二度目となる殺し合いが勃発しようとしていた。
元々竜兵は自身の衝動を抑える気がない。
対する百代は、大戦中久々に武道四天王たちと殆ど全力を出せる環境で戦い。その後の足止めに来た井上準も、予想以上の実力者であった。普段、平穏を生きるために抑えている戦闘衝動が緩んでいた事もあってか、もう殆ど暴走している。
だが百代も誇り高き武人。
思考は殺意に塗れていても、心の根底には最低限の理性が残っていた。
百代は、先程竜兵が投げた一子の薙刀を手に取った。これは大戦用の武器であるため刃は潰れており、川神院製の特殊な武器であるため、威力は全て傷みに還元される。
何とか怪我をさせないようにと、己を律するだけの思考は残っていた。
「川神流大車輪!」
百代は薙刀を旋回させながら、竜兵を横や縦から切りかかる。
どんどん速度を増していく攻撃を前に、竜兵はここで初めて後ろに下がった。薙刀の回転が増すほどに、速度も威力も増してくる。
竜兵はその回転を弱めるため、百代が切りかかる度に薙刀の柄を攻撃する。
至極冷静に。
百代が薙刀を持ったとしてもその間合いのアドバンテージは竜兵にとって意味を成さなかった。その理由は二つ。
一つは、百代は決して薙刀を得意としている訳ではないからだ。幾らある程度は出来たとしても常日頃から使ってなければ、細かい微調整が利かない。それは相手の懐に潜り込んで、どちらが先に悪手を打つかどうかの戦いを好む竜兵にとって脅威とは言えなかった。
もう一つは、薙刀を以ってしても普段竜兵と修練する高昭の方が長い間合いを持つからだった。高校生になり、更に背丈の伸びた高昭は二メートルは優に超える。竜兵と比べても三十センチメートル以上は背の高い人間と戦闘経験を積んでいるのだ。
そのお陰か、攻勢に回っているのは百代だが、優位に立っているのは竜兵だった。
無理に反撃をする事もなく、涼しい顔をして百代の攻撃を捌いている。捌いているが竜兵は後退はしなくなった。少し後ろに下がったかと思えば、意地になって踏み込んでくる。
お互いに引く気が一切ないので、結果として獲物に即さない距離で戦っている。そのせいで百代は不利になっていると言えなくもないのだが、既に百代はそんな損得感情で動いていない。
真正面から来た敵を、真正面から捻り潰す。
今の二人にとっては、それが全てだった。
武神や武道四天王。その他にもこの大戦中で武功を挙げた黛由紀江や板垣辰子。それらの実力者がここまでの川神大戦を盛り上げたが、終止符を打ったのはその中には居ない。
だれもが、川神百代が九鬼英雄に追いつけるかどうか、それが勝敗に大きく関わると考えていた。
両軍の軍師、直江大和も葵冬馬も。
そして、実際に今回の勝敗を決した人物をこの戦いの最中に見た者も、彼らが勝敗に大きく関わるとは夢にも思わなかったのだった。
「もっと速く走れー!」
こんな叫びが響いたのは、百代と竜兵が戦い始めた頃の事だった。
声の主は風間翔一。風間ファミリーのキャップ、その人だ。
「これでも全力で走ってんだよ。俺様の百二十割の力だぜ。」
その前を走るのは、同じく風間ファミリーの島津岳人。
その二人はあるものを担いで走っていた。
「それじゃ千二百パーセントの力になる。ガクトは本当に馬鹿なんだ。」
元々はS組軍の名家不死川のご令嬢の不死川心が移動用に使っていた御輿のようなものだった。
二人はそれを強奪。そしてその上に弓兵の椎名京を乗せて全力疾走している最中だ。移動砲台となって英雄を狙撃するのが、彼らの目的だった。
「大和からの最後の指令。作戦本部も含めた残存勢力全員で足止めをするから、その隙に九鬼英雄を戦闘続行不可能にする事。そしてそれが最後の機会。」
指令となるメールを見終えると、京はケータイをしまった。
そして弓に手をかける。
「おいおい敵が見えるまでもっとリラックスしててもいいんだぞ。まだ敵は射程圏内に入っていないだろ。」
息を切らし始めている岳人が呆れたように言った。
「そんなに余裕もないみたい。二人の背丈が違うから足場は傾いてる。本当は狙撃の足場は水平が良かったけど、そんな贅沢も言ってられないから集中しないと。ガクトとキャップはは兎に角速く走る事だけを考えて。どんなに最悪の足場でも私の方で微調整をして必ず当てるから。」
京は静かに弓を持って、矢を構えた。
今は森の中を駆けている。未だ京の目にも九鬼英雄は見えていない。
「安心しろ、いざとなったら俺とガクトが止めを刺してやるからな。」
「当たり前だ。」
翔一とガクトの言葉を最後に三人は黙った。
森を抜けると弓兵の京の目には英雄を捉える事ができた。他の二人は騒がしさを頼りに進んでいく。
相手はまだ気がついていない。仮に気付かれていたら、この作戦はご破算だった。最悪の事態だけはなかった。それだけでも京の気持ちは大分軽くなった。
作戦の合否は、勝敗に直結するといっても間違いではない。
京たちだけでなく、英雄を足止めしている残存兵力が不穏な動きを見せれば勘付かれてしまうだろう。
その前に作戦を行わなくてはならない。
気付かれてからでは遅いのだ。
「もう時間がないから撃つよ。私が撃ったら投げ捨ててもいいから外れた時の場合に備えて走ってね。」
口を噤んだ京を中心に静寂が訪れる。
弓はしなってぎりぎりとした音を出す。弓だけではない、京が集中すればするほどに周りの空間が軋んでいる風に思われた。
無論、武神でもあるまいし空気が軋むほどの暴力的な気を使っているわけではない。寧ろ京の気は精錬されたものであるが、百代ほど量は多くない。しかし、空気が軋んでいる風に思えるのは、美も求める弓道と違って武を追い求める弓術であるので、無骨さは拭いきれないからだ。
だが、研ぎ澄まされたものはたとえ武でなくても美しく見えるのだから、突き詰めれば人を惹きつける魅力があるのは間違いない。
それが本当に美しさなのか、それとも別の何かに魅入られているのかはさて置き。
京の射は言わずもがな素晴らしいものであった。
川神大戦用の先端が吸盤のようになっている矢は、多少の配慮はしてあるが、それでも本物と比べれば真っ直ぐに飛ばない。
怪我を避けるためには仕方のない仕様であるが、一定の力量を超えた人間にとって煩わしさを感じる仕様であった。
特に弓兵にとっては、矢の違いは顕著に影響を表す。空気抵抗や重さ、それらは正確な射撃を要求される弓兵の死活問題であるのだ。いやしかし全く、本人たちでなくても、それが多大な影響を与える事は分かる。分かるのだ。
にも関わらず、椎名京の、そんな劣悪な状況での射撃は、真っ直ぐに九鬼英雄の頭部目掛けて吸い込まれるように飛んでいったのだ。
「英雄様!伏せてください!」
英雄の従者のあずみがいち早く気付いたが、それでも矢を打ち落とす余裕はなく、身を投げ出して身代わりになる他に英雄を救う手立てはなかった。
元々英雄の頭に当たる筈の矢は、あずみの頭に当たった。英雄を助ける事のみに必死になっていたあずみは、威力を和らげる事もできず、意識を刈り取られていた。
あずみの体が崩れ落ちるのを抱きとめた英雄はゆっくりと地面に寝かせた。
「我は今、非情に腸が煮えくり返っている。我の臣下が、我の体を張って我の進路を切り開こうとしている。」
英雄の声は戦場によく響いた。
「我の臣下が、望むからこそ、我も目を瞑っていたが最早限界だ。あずみだけではなく多くの仲間が、我のために倒されている。確かにここで敵の総大将を追いかければ、敵が我に追いつくよりも先に、我が勝ち旗をあげる事が出来る。皆はそれを望み、我のために体を張っている。しかし、これ以上皆が傷つくのを見てみぬ振りをして、敵に背を向けて走り出すのは、幾ら臣下が望もうと、王たる我には出来ぬ。」
英雄は戦う意志を見せて、自軍の先頭に立った。
「皆の者、我の我侭を許してくれ。勝ちを拾うために敵の総大将のみ倒すなどといった女々しい考えは捨てろ。我々は、総大将も、武神も含めた全ての敵を殲滅し、その上で勝つ!」
英雄の決死の大号令を聞き、S組軍は高めた戦意のままに突撃を始めた。
その残り少ない戦力で。
「ガクト、周りの奴らは頼んだぜ。俺は英雄をぶっ飛ばす!」
「っち、しょうがねえなキャップは。いっつも良い所を全部持っていくよな。」
嬉しそうに話す岳人と翔一。
二人だけでなく、腸が煮えくり返っていると言った割には英雄たちも楽しそうに見えた。
この長い大戦で疲れている筈なのに、まるで公園で遊ぶ子供のような晴れ晴れしい顔で戦っている。
少し離れた所に居た京は、英雄を狙っていた弓を下ろした。
今なら確実に矢を打ち込めるが、そんなことはしない。
「……しょーもない。」
京がそう言って腰を下ろす。
中央の百代が戦っている場所からは、時たま轟音が響いていた。
いったいモモ先輩は誰と戦っているんだろう、京がそんな事を考えていると何時の間にやら空には祝砲が鳴り響いた。
京が少し、ぼうっとしている間に、大戦の決着がついたようだった。