特別になれない   作:解法辞典

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お久しぶりです。
身の回りのごたごたが一段落ついたので投稿します。

次回は未定です。すみません。
エタる事だけはないので許してください。

誤字等ございましたら感想にて教えてください。


第十七話 中央突破

 武神川神百代を除けば、F組軍の半数以上の戦力が集中している南の戦場。

 少しずつ押され始めているが、それでも竜兵は十分と言えるだけの働きをしている。その身一つで弓兵から放たれる矢を受け、同時に歩兵たちの攻撃も捌いている。一見力技を得意としそうな竜兵であるが、単純に戦っていては勝てない事は理解している。特に姉である辰子との組み手を通して、才能そのものを意識するほどに、痛く理解していた。

 だからといって、心は折れなかった。

 元々竜兵は武術で生計を立てる気はさらさらない。幾ら誰かに勝てなかろうと我慢をすればいいだけの話なのだ。

 しかし、男という生物の中には難儀な生き方しか出来ない人が居る。強くあろうと思うのだ。頭では諦める方が得策だと分かっているが、竜兵もその一人であり、負けて黙っていられる性質ではない。

 辰子との力関係もその一つであるし、現在の戦況に関しても、竜兵にとって我慢できるものでは決してない。

 勿論、竜兵一人では多勢に無勢であるため、突破されるのも時間の問題である。現在も少しずつ突破されているが、それでも首級は本陣に向かわせていない。それだけでも戦果は十分ではあるが、竜兵が満足できる内容ではない。

「手加減しながらだと飽きてくるな。」

 竜兵としては言うまでもなく負けるのは嫌なのだが、中途半端にしか実力を出せない川神大戦という戦場に飽きを感じていた。

 先程伝令に来た者の話によれば、風間ファミリーの男子二名が武神たちの戦いの横をすり抜けて本陣を強襲しているらしい。

 それは、竜兵に援軍が来ない理由でもあるのだが、竜兵にとってはそれ以上の興味がある。

 そういった気概ある漢と仕合いたいのだ。

 一度引き受けた事を投げ出すような無責任をする気はさらさらないが、防衛という行為が思った以上に性に合わない。特に今回の場合、陣営全体の作戦に関わる事をしているので戦いだけに没頭できないのも苛立ちを掻き立てていた。

 加えて、敵方の戦い方が上手いのだ。

 集団戦なんかした事もなかった竜兵にとって、連携で戦線維持されているこの状態。相手に少しずつ押されているのが辛抱ならないのだ。

 相手からしてみれば、それにたった一人で対抗している竜兵も大したものなのだ。

 しかし、互いが極端に手加減をしなければならないこの戦場においては元の実力がそのまま戦力に直結する事も少ないだろう。

 故に竜兵は、

「あの時姉貴じゃなく、俺が迎撃に行けばよかった。」

 と考えていた。

 武道四天王が相手なら本気を出しても問題はない。高昭でさえ、百代を含めた四天王ならば腕の一本くらい奪ってくるぐらいが丁度良いと言っていた。

 この戦場から少し離れた場所で、本気の辰子と四天王の鉄乙女が戦っているのが、その惨状から良く伺える事ができる。遠く離れた武神が戦っている場所からも轟音が響き、目の前の敵の更に奥からも木々がなぎ倒される風景が見えた。

 此方の戦闘から比べれば随分と派手な事をしているらしい。

 無駄に見掛けだけが凄いだけという事にならなければ、と竜兵は思ったがその考えはすぐさま訂正する事となる。

 何しろ自分たちが形式的には師事している事になっている黒田高昭という男、並びにその姉である紗由理はそれなりに礼節には煩く、態と手を抜く事や相手を格下に見る事を嫌う。だからその教えを守り、竜兵や辰子、天使は戦いでは手を抜かない。

 まして今日に限っては相手を怪我させないように、その考えを曲げてまで言い聞かせれてきた、本気になるな、という約束が、条件付ではあるが解除されている状態の辰子だ。竜兵は初めから辰子の心配なぞしてはなかった。

 先程から感じているように、退屈であるのだ。だが、天使や辰子が真面目にやっている手前で自分だけ手抜きをする気にもならないのだった。

「さっさと役割を終わらせるか。」

 辺りを見渡し、戦況をある程度把握した後、竜兵は相手部隊の最後列に位置している弓兵部隊の頭である椎名京を戦闘不能に追い込むべく走り出す。

 その無数の矢を打ち込むことで足止めできていたかのように思われていた竜兵がお構いなしに突っ込んできたことで、F組軍部隊の遊撃部隊は判断を遅らせる。

 椎名京自身は反応していて、彼女も武士であるから多少は迎撃も出来たが、それでも本分は弓兵であるため二、三発の攻撃を防ぐ以上の事はできなかった。

 一般兵を務める生徒がまずここまでの攻防を終わってから、竜兵が切り込んできたことに気づく。そして身構えは時には事態は収束していた。

 多少なりとも武を習っている弓兵部隊は一目散に竜兵を無視して走り出し、川神一子と源忠勝が繰り出した攻撃を竜兵が防いでいた。

 竜兵は全面的に無視。一子、忠勝両名に任せ、他の部隊員はS組本陣を目指して進軍している。

「押し込んだ割りに随分時間を使っちまったが、大和が指示した時間を考えれば許容範囲内だろう。」

「うん。あとはこいつをアタシたちで倒すだけね。」

 竜兵を見据える二人。

 その二人の様を見て竜兵は含み笑いをした。

「フフフ、俺を倒すのもいいが他にやることがあるんじゃないか。」

 小馬鹿にした口調で話す竜兵に一子は飛び掛りそうになったが、忠勝がそれを制す。そして竜兵はそのまま話を続けた。

「さっきまでお前らと一緒に居た奴らは今頃あの森を通っているだろうな。見晴らしの悪い中を。」

「なんだ、伏兵でも居るってのか。」

 忠勝がその様に言うと、また竜兵は笑い出した。

「何がそんなに可笑しいのよ。」

 仲間を馬鹿にされた事に一子は怒りを見せる。

 だが、竜兵が真に馬鹿にしているのは目の前の二人両方であった。

「まだ気づかないのかよ。中央地帯の炎がとっくに消えていることに。お前らの仲間が向かったところに果たして俺らの大将はいると思うか。」

 

 

 黛由紀江は異変に気づけたわけではなかった。

 勿論、ずっと気づけなかったという事ではない。もう少し相手の動きが遅ければ間違いなく気づいて完全な状況で迎え撃つ事ができたのだろう。それは当然のことながら迎え撃てなかったという事ではないのだが、それでも敵が上手だったのは否定できるところではない。

 中央には炎が燃え盛っていると聞いた時、由紀江はその炎の出所は友人である板垣天使の仕業だと理解していた。そして相手の陣営は此度の戦いを両翼の戦いに限定したいが為のものだとある程度は感じていた。

 その考えを覆されたとしてもその燃え盛る炎は視界に映っているのだから動きがあればこの線上に居る誰でも反応できる。それが数秒かかるのか数十秒かかるのか。どちらにしても、その僅かな時間が命取りになりかけた。いや、相手からすればその隙で以って大将の首を刈り取るはずだったのだ。

 由紀江の視界から炎が消えたその数瞬の間に、風の切れる音が聞こえた。それは由紀江自らが刀を振るうよりも鈍い、もっと大きな物体が起こす音だ。

 由紀江自身それが人間だと気づいたのは、刀で切りつけた後の事だ。幸いな事に、開戦してからというものの由紀江は常に居合いの構えを取っていたのだ。

 元々、由紀江は本陣の護衛であるから周りにも人は居た。だが由紀江が刀を抜いた瞬間は、試し切りだろうか、などと暢気な事を考えていた。厳密には、抜いた刀など見えるわけもなく数回由紀江が空を切りつけた頃、それなりの実力がある人間だけがその程度に思っていたのだ。

 それでも、由紀江以外は気づいていなかった。この事を考えると、例え攻勢の戦力として信じ切れなかったからだったとしても、軍師直江大和が由紀江をここに配置したのは不幸中の幸いであった。

 まず数回の攻撃を見事避けきったところで、その人物は漸く姿を見せた。

 正確には、黛の剣技と同様に見えなかっただけなのであるが、結局は同じ事だった。

「峰撃ちであるのに恐ろしく速い。果し合いなら私の腕は今頃そこいらに落ちていたかもな。」

「武道四天王の橘天衣。噂には聞いていましたが、速い。」

 じりじりと摺り足で移動する由紀江に対して、天衣は構えは取っているもののその殆どが自然体であった。

 しかし由紀江も必死である。

 先程こそ天衣は中央から真っ直ぐに来たため迎撃が出来たが、今一度見失えばF組の大将は戦闘不能になるのは確実だ。唯でさえ攻撃速度が同じであろうと、体の移動速度は天と地ほどの差がある。今でさえも回りこませないように必死、というわけであった。

 対する橘天衣も十分に必死だ。

 初撃は見事に避けきったが、速さは四天王最高だと言えど耐久性能は他の四天王と比べれば一段階劣ってしまうのだ。ましてや黛の剣術などまともに食らわずとも防ぐ事など、四天王といえど困難極まりない。

 先に動いたのは由紀江だった。それを見て天衣も動き出す。

 由紀江は、大上段に構えなおしたかと思えばすぐさま振り下ろした。その剣速も斬撃も見る事はかなわず、その斬撃の被害を見て、周りの人間はやっと事態の深刻さを理解したのだった。

 振り下ろしたと思った一瞬の間に由紀江は既に四回以上の剣撃を撃ち放っていた。

 天衣の耐久力を考えれば十分な威力を誇り、更に例え武神であっても全てを防ぐ事は出来ないと由紀江が思えるほどに上出来な連撃と言えよう。

 だが、この天衣はほんの数秒、数瞬前まで武神を相手に十二分な働きをして、その戦いの中で完全に出来上がっていた。体の速度はトップギアに入り、集中力も最高潮に高まっていたのだ。

 たったの二回、これはこの連撃を避けるために天衣が行った方向転換の回数だ。そして即ちそれは由紀江へと辿り着いた事と同意であった。

 由紀江はこの時、まるで迎撃の技を出していなかった。天衣の速度を考えれば、由紀江でさえ反応できていないのは仕方のないことである。

 たったコンマ数秒の遅れが招いた結果であった。

「余興は終わりだ。」

 由紀江の耳元で天衣はそう呟いた。それは攻撃の合図ではなく、気づけば天衣は由紀江と離れた場所で正対している。

 天衣が攻撃もせずに距離を取った理由をこの時の由紀江は分からなかったが、それでも天衣が速い事は十分に分かった。迎撃は出していたが、気づけば天衣は由紀江の前で攻撃をする為に立ち止まっていて、振り払う前には今の場所に居る。

 そう、

「気を抜いた瞬間にはやられる。それは私もお前も変わらない。」

 天衣が由紀江に話しかける。奇襲を仕掛けた側である天衣が、だ。

 もし同じ土俵で戦っていない人、つまりは由紀江以外の人間が、この話を聞けば何かを企んでいると勘ぐるだろう。

 それは無粋。武士にしか分からない領域での話しだ。

「お前が私を攻撃できているのは、私と言えど少なからず立ち止まらなければならないからだ。」

 天衣が端の切れた服を持ち上げて見せる。

「そして、あなたが懐にもぐる事が出来たのは黛の剣術に鈍さがあるから、そう言いたいのですね。」

 そこまで喋り確信した。自らの剣をいつも通りの形で鞘に収めた由紀江は目を細めて天衣を見る。

「最速を名乗る私が、峰打ちで生じた隙を突いて勝ったとしても、それは寧ろ恥じるべき事だ。最速ならば、振るわれる剣速よりも疾く動いてみせよう。」

「私も、手加減された状態で最速を譲り受けるのは本意ではありません。」

 応じる由紀江が笑みを浮かべると、天衣もま笑って返す。

「分からないだろうな。この戦場を見ている川神鉄心にも、あの武神にも、この瞬に終わる戦いの意味は。」

「極めようと思わなければ、分かりません。極めなければ越えられない、見えない地平の彼方がある。」

 向かい合う両名からは笑みが消え、天衣は程よく拳を握りこみ体を低くしている。

 そして由紀江は鞘に納まる刀に手をかけている。天衣に向かって刃の向いた姿勢で時が来るのを待っている。

「橘天衣だ。」

「黛由紀江です。」

 

 

 戦場の遥か上空。

 そこには一台のヘリコプターが飛んでいて、今回テレビ放送されている大戦の一部始終を収めようとするカメラマン、アナウンサーが乗っている。

 そして解説役として川神院総代にして学園長である川神鉄心と川神院師範代のルー・イーが同乗していた。

 勿論解説としてだけでなくもしもの時、割って入る為に上空に待機している。

「鉄心さん、先程まで劣勢だった武神川神百代がどんどん優勢になっています。何かあったんでしょうか。」

 アナウンサーが鉄心に聞く。

「そうじゃな。先程まで三人がかりで百代と戦っておったのが、中央の炎が消えた時に一人、橘天衣が離れて奇襲に行ったからパワーバランスが崩れたのじゃろう。」

「という事は先程まであった炎は道を塞ぐ為のものだったのですか。」

「恐らく誰かしらが気を用いて作り出した筈じゃ。」

 一頻り鉄心に質問したアナウンサーは川神大戦の戦場の説明をする為に少し移動してカメラマンは持つカメラの方向を変えている。

 解放された鉄心は溜息を吐く。

 その体には大量の脂汗が滲んでいて、それは鉄心だけでなくルーも同じであった。

 この戦場に居る武人が全員気がついた筈の鋭い殺気。

 一瞬とも言えない程に瞬間的で、それでいて鋭い、鋭い殺気だった。

 上空に居ながらも首に刀を押し付けられた様な、それでいて腸が抉られてしまいそうな恐怖を感じた。

「あ奴ら、加減をする気が一切なかった。」

「本当に危なかったですネ。余りの速さに割り込めなかっタ。」

「もしもの事が有った時の為に居るというのに、とんだ体たらくじゃ。」

 そう、殺気が出たのは一瞬で、気づいた時には事が終わっていた。

 唯一良かったと言えるのは双方が大怪我をしなかった事。これに関しては運が良かった訳ではなく、単純に黛由紀江と橘天衣の実力が素晴らしいとしか言えなかった。

 そして、一合で決着をつけてくれた事に感謝する他ないだろう。

 結果を言えば、黛の勝ち。立っていたのは黛由紀江、倒れ付したのが橘天衣。それ以外に起こった事は余りにも速すぎて目視はおろか理解すら出来なかった。

 中央で燃えていた炎が消えた瞬間に戦況は目まぐるしく変化している。

「ああーっと、たった今川神百代と戦っていたマルギッテが戦闘不能になりました。対するS組軍の板垣辰子が四天王の鉄乙女を撃破、中央地帯を前進するS組本隊に向かって動き出しました。」

 単なる偶然なのか、それとも必然だったのか。

 どちらにしても戦況が大きく揺れ動いている事に違いなかった。

「武道四天王が続けざまに二人も撃破されましたネ。ワタシも正直驚いていマス。」

「黛は兎も角として、板垣の方は才能を持っているのは知っておったが、きちんとした武道が出来るとは思いもよらなかったわい。」

「それでもまだ伸び代は十分で、完璧と言えるのは小手先だけでしたネ。」

「その小手先は、黒田の影響じゃろうな。」

 鉄心とルーの頭に浮かぶのは川神学園の第一学年の所属する怪物、黒田高昭だった。

 随分前に高昭の姉、紗由理がこの川神学園に通っていたが、その時の比ではない。高昭こそが、黒田と名乗るのに相応しいのだ。

 右腕の知らせを聞いた時、鉄心の心には陰りが有った。

 だが今は違う。あれは間違いなく「壁」、黒田の血を引く人間だ。

「数年前に釈迦堂が彼に負けたと聞きましタ。それに加えて板垣さん達の武の師である彼は一帯どれほどの力を持っているのカ。」

「それを知るのも、後少しの辛抱じゃよ。彼自身、今年中には医者の許可が出ると言っておったわい。」

 この大戦に参加している猛者の中、果たして何人が「壁」を越せるのだろうか。

 

 

「伝達します。先行する板垣妹は間もなく相手の本陣へと到達する模様。」

「相手作戦本部に動きあり注意されたしとの連絡が来ています。」

「板垣姉は相手を撃破。此方に向かって来ています。」

 駆け抜けるS組本軍は寄せられる情報に対応する暇など無かった。

 唯前へ前へと兵を進める。

 従者であるあずみが引く人力車に乗る男こそが、総大将の九鬼英雄だ。

 本来今回の作戦は、どんな手練れが守護をしていても、橘天衣の奇襲を退けられないとした上で実行した。

 勿論失敗した時の事を考えてはいた。だが現在本軍が進軍している理由は、失敗した時の追撃ではなく、引き寄せた相手から逃げる為なのだった。

「英雄、若からの連絡だ。本陣のあった場所まで来ていた敵さんが俺らが居ない事に気づいたらしい。追って来ている敵の戦力の主だった奴らは風間、島津、椎名、そして背後から単騎で奇襲に来ていた生徒会長の南條先輩だ。」

 今回、護衛部隊である井上準が若と呼ぶ男、葵冬馬から通達された一番最新の情報を自軍の総大将である九鬼英雄に伝達している。

「我らの妨害部隊はどれだけ居る。」

 視線を前に据えたまま英雄は問うた。

「はい、不死川心と榊原小雪が率いる部隊が待機しています。」

「そういう訳だ。少なくとも決着までは余計な横槍は入らない。」

 井上の注釈に英雄は少しの間考える素振りを見せると、命令を下した。

「我らS組の作戦は変わらず電撃戦とする。此方に向かっている板垣辰子は至急相手本陣へと向かわせろ。」

 元より逃げ場の無い進軍だ。

 英雄の手元にいる人間で戦力になるのは、従者である忍足あずみと井上準、そして信用するに足りない一、二学年の有象無象だった。

 広い意味で考えれば、それなりの実力を持っていると言える人間もいるだろう。しかし、この集団に必要なのは、迫り来る武神を僅かな時間でも足止めが出来る人材だ。

「くそ、あのホモは何やってやがる。」

 英雄に聞こえないようにあずみが呟いた。

 丁度同じ事を確認していた井上が確認の為に伝達をする。

「板垣兄は、たった今戦闘を終了させたそうだ。どうする英雄、今からじゃどこの戦場にも間に合わないぞ。」

「好きにやらせればいい。今回の大戦に限って、奴の働きとしては十分だ。」

 未だ敵本陣は見えない。

 新しい情報も無く、前へと進むしかない。

 時同じくして、どこの戦場も混乱している頃なのだろう。情報を伝える時間も無い。

 集中し、緊張するが故の閉口だが、周りの状況が掴めない以上は不安が積のるのは仕方の無い事である。

「英雄、相手の本陣まであとどれくらいだ。」

「それを知っておくのは臣下の役割であろう。我よりもお前の方が知っている筈だ。」

「いやなに、聞いただけだ。」

 会話の合間に、溜息を吐く井上。

 それが疲れなどが理由でない事は、英雄にもあずみにもよく分かった。

 普段のおどけた表情ではなく真剣な顔になる井上。

「武神に関する情報が途絶えた。恐らく、こっちに向かってる。それで……、」

「言わずとも理解した。時にハゲ、どれだけ持つ。」

 ハゲ、とはスキンヘッドの井上のことであるが、英雄はこの場面でふざけている訳ではない。人柄の良い井上に、英雄が心を許している証拠であった。

「長くても一分が限界だ。」

 一分。

 時速30キロで走ったとして、一分に走れる距離は500メートル。

 一般的に考えれば、追っ手を振り払うのには十分すぎる距離を稼げるが、相手は武神であり、一般には程遠い存在だ。

 そもそも今武神が居る場所は、英雄が居る場所から考えて500メートル程度で済んでいる筈が無い。

 当然、井上の言った「一分」という時間は、冷静な自己分析の下に叩き出した数字であるのは間違いない。

 だからといって井上自体、その程度で終わる気は毛頭ないのだが、しかし現実が非情である事は皆分かっていた。

「無理は言わん。だが、言ったからにはきちんと一分耐えて見せろ。」

「そう言ってくれると助かる。俺だと、敵さんの総大将は倒せそうに無い。」

 F組軍の総大将、二年の甘粕真与は小柄な女の子である。

 それこそ高校生には見えないほどの。

 井上は世間でいうところのロリコンであるが故の発言だ。

「ハゲ、それは武神を相手取るよりも恐ろしいものか。」

「ああ、恐ろしいね。あんないたいけな子を手にかけるなんて考えただけでも血の気が引く。」

 そう言って笑う井上の顔は、また険しいものへと変わる。

 人力車を引くあずみも、心なしか速度を速めている。

「じゃあ、俺らの総大将の事頼んだぞ。」

「言われなくてもその心算だ。英雄様には指一本触れさせない。」

 本軍が過ぎ去った後、そこには井上と、川神百代だけが残った。


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