特別になれない   作:解法辞典

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天使を原作設定から遠ざけた理由の一つがこのタイトルが書きたかったということです。
格ゲーの主人公といえば炎、というのも理由の一つですが、原作でもKOFのネタとか使ってますし少し遊んでみたかったんです。


誤字等ございましたら感想にて教えてください。


第十六話 炎のさだめのクリス

 時は戻って、開戦して間もない頃のF組の中央隊。

 川神大戦が始まると同時に、広がってきた炎。ゆらゆらと揺れる紫炎がその場にいた全員の視界を埋め尽くしていた。

 その炎の広がりを見た瞬間に武道四天王、鉄乙女は左翼に展開している部隊に助力すると言って他の人間の意見も聞かずに駆けていった。

 椎名京はそんな内容を大和に電話で伝えている。

 普段事あるごとに大和に対して、結婚しようとか愛してるとかと言ってラブコールをする京もこの時ばかりはしなかった。炎が一面を覆っているという想定外の事態であったため、直江大和に連絡して対策を聞く事しか頭になかった。

 足止めが目的だった中央部隊を駐屯させたまま、電話越しに聞こえる大和たち参謀本部の騒がしい音に耳を傾ける事しか京にはできなかった。

 天下五弓の椎名京と弓道部部長の矢場弓子が率いる弓部隊。クリスティアーネ・フリードリヒ率いる遊撃部隊。そして、先程居なくなってしまったが中央の最高戦力であった四天王の鉄乙女。

 目の前の炎が全ての作戦を無駄にした。

 物が燃えてるわけではない。

 妖術のようなそれは、その場に居る全員に不信感を抱かせる。

「京、こんな所で足止めを食らっていて大丈夫なのか。分かっているとは思うが、こうしている間に仲間たちは戦っているんだぞ。」

 クリスの問い質すような言い方に京は少しむっとして答える。

「それは分かってるけどここを手薄にしてもいいのかどうかは、全体の戦況が把握できない私たちがしていいことじゃない。大和の指示を待つべき。」

 言われなくても分かっているのだろう。

 クリスが言いたいのはもっと別の事であるのだが、京は聞き入れる気がない。

「私たち以外のところは概ね作戦通りにすすんでいるから、相手の動向を読む事が大切だって大和が言ってる。」

「相手の動向なんて分かりきっているだろう。中央の道を塞いで、北側の戦場もモモ先輩たちの戦いのせいで結果的に塞がれているんだ。一箇所に兵力を集めた総力戦を狙っているに決まっている。」

 そんな事はお互い分かっている。だが、仲間の戦況を確認できない事、目の前の炎をどうにも出来ない無力さがクリスを苛立たせていた。

 軍師からの連絡も来ない。

 全軍の進行状況を考えれば、有利に見えるF組陣営であるが、戦略では後手に回っている気がしてならない。

 この時中央部隊の全員が、全てが相手の策略で、もう戻れないところまで来ているのかも知れないのだと考えた。

 冷徹になりきれない仲間と、軍師が判断を鈍らせているのはクリスは容易に考える事が出来た。

 元々、鉄乙女を除けば単独で野戦における戦力になるのはクリスだけだ。そしてそのクリスは、ドイツ軍人の家系。戦略的に何が一番効果的なのかは心得ているつもりである。

 腰に挿していたレイピアを横に一閃したクリスは、炎に近づいていく。

 炎にレイピアをかざして、自分でレイピアの刃を握って温度を確かめる。

「本物の炎とは言い難いな。」

「クリス。」

 見つめながら、京は呟いた。

「京、大和に伝えておいてくれ。今から二十分の間、連絡がなければ再度中央に人を配置するなりの対応をして欲しい。自分はこれから単独で中央を突破。背後に控えているであろう敵部隊の撃破及びこの炎の発生源を絶つ。」

「クリス。」

 再度呟く京。

 その決心の強さを目の当たりにした仲間として、クリスを止める事が出来なかった。

「それくらい自分で言って。」

 京は、大和と電話の繋がっている自分の電話をクリスに投げる。

「大和か。ああ心配しなくていい。本物の炎ではないみたいだからな。手品の類だったらこのまま本陣を急襲してやるさ。」

 

 

 手元の時計では、既に開戦してから五分の時が過ぎている。自らの出した紫炎の中で、ウチは飽きを感じてきていた。こんな見るからに危ないところに踏み込んでくるような酔狂な人間なんて居るとは思わない。そこまで思考が働いていたならば、こんな役目を請負う事はしなかった。若しくは暇を潰せる何かを持参したかもしれない。

 自分の兄弟や高くん、まゆっち以外の人に技を試すいい機会だと思ったのだがこんな調子では誰も寄ってこないだろう。

「後、何時間こうして居ればいいんだろ。」

 何度も言うようだが、こんなに炎を燃え滾る、あからさまに怪しい場所に突っ込んでくる人間が居るとは思えない。

 立会い、一対一の仕合ならば話は別だ。リュウや高くんは、炎なんてお構いなしに歩を進めてくるような人間だけど、そうそうそんな人間がいる筈がない。

 今回に限っては、戦いの最中に炎を打ち出す訳でもない。辺り一面が火の海なのだ。

 それでなお突っ込んでくるのなら、頭の螺子が飛んでるか、高くんくらいの実力者なのだと思う。

「高くんレベルの武芸者があっちの戦力にまだ残っているなら、今回は敗色が濃厚だしな。」

 携帯に届いた情報によれば、武神は予定通りの面子が対応。四天王の鉄乙女は南に向かっているらしい。まゆっちは本陣で総大将の護衛をしている。他には、強い人間が居ない事を祈っていよう。

「しかし、まゆっちが護衛に回っているならウチの心配の種はないも同然だな。」

 いつも手合わせをしていたから、まゆっちの手の内を知っているからと言ってもまゆっちと五分以上の戦いが出来るわけではない。

 高くんにも協力してもらって努力はしているが、今のところウチの技なんか一定以上の実力者には奇策にしかならないらしい。技の使い方が今のままでは対応されたら勝てる見込みは一気に薄くなってしまう。

 あくまでも今のままではの話ではあるが、今日いきなり強くならない限りは勝ち目は薄い。

 最も、まゆっちもウチの手の内を知っているのだから実力差で負ける。

 だから、まゆっち以外が来てくれて良かった。

 自分で出した炎だから、誰かが触れれば自然と分かる。

「負けはないと思うんだけどな。」

 ないとは思うが、身内以外に技を振るうのは初めてだ。考えもしない様な方法で突破されるかもしれない。

 あれだけ苦労して編み出した技。簡単に破られるものではない、と高くんは言ってたがリュウや辰姉との組み手の勝率は芳しくない。

 もしも高くんが励ましているだけだとすると、ウチは子供のままだ。

 褒められて喜ぶだけの子供。その程度の実力しか身についていないのならば、ウチは高くんに謝らなければならない。高くんの苦労や努力に比べてウチの修練は少ない。

 それなのに、弱い事を何度か嘆いた。

 それだけで見限られてもおかしくはない。生真面目な高くんは何事においても黙々とこなすので、ウチの趣味である格ゲーも文句の一つも言わずに付き合ってくれる。

 その格ゲー、ウチの生き甲斐の一つであるので、ゲーセンで大した努力もしていないのに負けて文句を言っているような人を見ると苛々する。

 高くんから見れば、ウチもそんな人間と大した変わりはないのだろう。

 なのに鍛錬に付き合って、戦い方や技を最適化する方法を一緒に考えてくれる高くんの優しさにウチは応えなければいけない。

「ウチは負ける気ないんで、負けてくださいよ。」

「生憎とこちらも負ける気はしない。F組の勝利のためにここは突破させてもらう。」

 

 

 先に動いたのはクリスだ。

「はああああ!」

 既に抜き放っていたレイピアを天使の眉間目掛けて突く。

 いくら刃がつぶれている模造品、川神院の特別品である武器のため衝撃が全て痛みに変わると言っても、大戦のルールで峰撃ちをするように警告されているにしては躊躇のない一撃だ。

 天使はそれをバックステップでかわす。

 クリスはそれ以上の追撃はせずにじりじりと距離を詰める。クリス身の回りの紫炎は物を燃やすでもなく、天使を守るでもなくただ揺らめいてている。何のための炎なのか。クリスにはまだ判断がつかない。

 天使から仕掛けてくる様子はなく、後手に回る事を良しとしていた。

「来ないならば、もう一度行くぞ!」

 クリスが連撃を放つ。

 いずれも速い、速い突きだ。

「……、リュウより速いけど高くんほどではないな。」

 正面のあらゆる位置、角度から撃たれる攻撃を天使は冷静に捌いていく。

 天使の両腕に纏ってある紫炎。攻撃を捌く際にレイピアに触れても燃え移るような事はない。クリスにとってこの炎に意識を持って行かれ過ぎている。もし、この炎が見てくれだけのもので精神的にこの炎の中に入れない、と訴えかけるだけのものなら今すぐに隙を見て引き返した方が良かったのだろう。

 だが、クリスにしてみてこの相手は中々の使い手だ。クリスの描く武術家像からは、ここまでの手練れが見てくれだけの狡い手を使うとは思えなかった。絶対にこの炎は何かがある。それも戦いを優位に進めるための秘密が、必ず。

 そして同時に今ならば勝算があると思えるだけの理由がある。

 クリスが攻撃して天使が防いでいる間、天使が出している炎はより大きく揺らめいた。それは動きが活発になった訳ではなく、維持のし辛い情況になっていることを意味している。所々炎が剥げて地面が露出している部分もある。

 防御しているとき、何かの理由で炎の操作が疎かになる。

「集中できていないようだな。」

「何言ってるか聞こえないよ!」

 クリスが更に相手の動揺を誘おうと声を出すが、北から南から響く轟音のせいでその声はかき消されてしまう。武神たちの戦いはより過激さを増し、南では鉄乙女と誰かが戦闘を始めている。

 鉄乙女と戦う人物。天使には大体の予想がついていた。

 天使の姉、辰子だ。

 良い勝負をするというだけの話ならば、辰子以外にも連想できる人物はいる。例えるならば竜兵もその一人だと、天使は考える。

 だが、今回の戦いばかりは辰子以外に考えられない。

 ちらりと横を見れたのならば、その火中からでも戦闘の熾烈さを理解できただろう。

 北、武神のいる方角からは時折、宙に向けて気弾が飛んでいる。

 南、鉄乙女がいる方角からは大地の崩れる雪崩のような音が聞こえる。

 その轟音を出しているのが鉄乙女なのかその乙女と戦っている人物なのかまでは分からないが、天使が思いつく人物の中ではその轟音をだせる能力と防ぐ力を兼ね備えるのが辰子しかいない。

 戦っているのが誰か、戦闘中にそんな事を考えていればクリスが言うように防御が疎かになってしまう。勿論この事に集中力を割く理由はあるのだが、それはクリスはまだ知らない事だ。

 天使は他人の戦闘にも気をかけているが、熾烈と言えばこのクリスの連撃。

 一撃一撃毎に速さを増している。避ける天使も流石だが、この連撃も流石の一言に尽きる。突きだけでなく横払い。首筋から足元まで多種多様な攻め。少しずつ少しずつ速度が上がり天使の表情も辛いものへと変わっていく。

 戦場の中央。丁度、ど真ん中で邪魔立てに一切ない中での激しい攻防の二人。

 攻撃を避ける天使は、その想像以上に速くなる攻撃に必死になる。

 対する攻めるクリスは急いている。

 相手の表情は曇っていくが、辺りに燃え盛る炎は少しずつではあるが落ち着きを取り戻している。

 天使本人は攻撃に晒されて苦悶の表情を浮かべている。しかし、炎は落ち着きは取り戻している事から、天使自身にも少しずつ余裕が出来ているとも考えられる。

 時間を掛ければもっと相手に分が出来るかも知れない。そう考えるクリスは足を前へ前へと運ぶ。

 

 まだまだ約束の二十分には満たない時間。火中にいるにもかかわらず、漸く汗が滲み始めてきた頃。クリスは足に違和感を覚えた。

 炎で足元が見えないとはいえ小石に躓いて少し連撃に隙間ができた。足の力が弱っているようにも感じられた。

 何かをされたと思いクリスは、足に力を思い切りのせて後ろに飛びのく。

 だが、その飛びのく様は普段と遜色ない最高のパフォーマンスであった。

 何かがおかしい。

「燃えろぉー!」

 飛びのいて距離が離れた瞬間。その数瞬まえまで防戦一方だった天使がこの時初めて攻勢に出る。

 振り上げられる腕、巻き上がる炎。爆風にも見える火炎がクリス目掛けて殺到する。

 であるが、クリスには考えがあった。

 足に覚えた違和感は、確実にこの辺り一帯を燃している炎にある。それ以外の原因は考え付かなかった。川神百代に限らず、武道に通じる人間の中には気を体外に出して攻撃に使う人間が居るという。恐らくは、先程足に感じた違和感の正体は、気で出来た炎に実体を持たせ足に引っかけたからだろう。

「だとするならば、この炎は切れる!」

 炎を切り裂くべくレイピアを一閃。

 十中八九そうであろうと思ったが、正にその通りだ。振るう腕には確かに実態の感触が残る。クリスの思い通りに、天使の放った炎は二つに分断された。クリスは切られた炎の断面を確認する。

 だが、その炎の断面から相手の姿を見る事は叶わなかった。

「そいつを切るには獲物の長さが足りないみたいだな。」

 クリスの予想以上に長さがあった炎、加えて炎の目晦ましを利用して天使はクリスの側面に移動していた。

 前方からは炎が、側面からは天使が、複数方向からの同時攻撃がクリスを襲う。

「高々横薙ぎの一回程度で隙が出来ると思うなよ。」

 クリスは手首を捻り、迫り来る炎をもう一度切り上げ、次いで天使への牽制の一撃を繰り出そうとした。

 一度目、炎に向かって放った斬撃に感触が残らない。当然炎は切れずに残り、クリスへと殺到する。物理的な感触の一切ない。先程まで切ることができた炎が、足元に敷き詰められている紫色の炎と同じように体をすり抜けて、クリスの視界を埋め尽くす。

 天使からの攻撃が来る。

 クリスには自分の失態を戒める時間すらない。そこに敵がいる筈なのだ。ここまで手玉に取られている。逆にここで攻撃するくらいしなければ、この先勝ち目はないだろう。

「そこだ!」

 クリスはコンパクトな突きを繰り出す。

 自分で生み出した炎の中から突如飛び出してきた右腕に、天使は驚き、その攻撃を腹部に受ける。

 ファーストタッチはクリスだ。

 攻撃の勢いをそのまま痛みに変えられる特別な川神大戦用の武器で突かれた天使は、声も上げずに歯を食いしばる。そして次の局面を考える。相手が知っているのは当たった感触だけだ。未だ視界は開けていない。攻撃を見切れる訳がない。だからこそ自分はここで引かずに攻撃する。痛みを堪えて足を前に出すのだ。

 クリスの視界はまだ塞がれたまま。

 天使は更に一歩踏み出した。

「ボディが、お留守だぜ!」

 天使の繰り出した拳は、炎が通り過ぎる事で段々と体が現れてくるクリスの腹部を狙っていた。まるでお返しだと言わんばかりに力の入った攻撃。

 そう、馬鹿正直な一撃だ。

 腹部の攻撃に対する返答が腹部への攻撃。ばればれだと言わんばかりにガードをするクリス。思わず口元がにやけてしまっている。

 ばればれだからこそ、一定以上の実力者ならば避けるところだ。絶対に何かがある。

 この場には居ないが、高昭ならば天使を叱るだろう。そこまで教える必要はない、何も分からせないまま倒す事に徹底するようにしろ、と。

 ここでクリスは気づけなかった。

 天使の狙い通り、クリスのガードは意味を成さない。

 クリスの体は防御もろとも吹き飛ばされる事になった。

 

 

 腹部に走る激痛。

 倒れた拍子に肺から空気が排出される。

 自分は確かに攻撃を読みきって防いだ筈だ。それなのに何故こんなにも痛く、立ちあがった後も足がふらふらとするんだろう。

 ただ分かる。この後、自分は勝てないだろう。こちらが相手に与えた苦し紛れの攻撃ではない。自分が受けたのは完璧な体勢から放たれた一撃だ。この攻撃がどれほどのダメージを与えたのかなど、一番良く分かっている。

 衝撃に耐え切れなかっただけじゃない。

 力が抜けているこの体は、結局は立ち上がれずに膝を折り、相手よりも低い位置に自分の目線がある。

「ウチの炎が気でできている事に気づいていたのは、良かったんだが実体化だけが技じゃない。ウチの気を燃やして作るこの紫炎は、他人の気を燃料により強く燃え上がる。」

「自分は気を使えないぞ。燃料となるものなどない筈だ。」

 嘘じゃない。目の前の炎のようなものなんて言うまでもなく、気を使えた試しも、使おうと思ったこともない。

「人間なら誰しも使っているんだよ。転びそうになれば咄嗟に気を使ってバランスを立て直そうとしたりする。微妙な体の動きのズレも気を使う事で矯正している。つまりはある程度体が動かせる人間は知らず知らずのうちに気を使用しているんだ。」

「それを燃やして、優位に立つのか。」

 卑怯とは言えない。明らかに勉強不足を否めない。

「それだけじゃないんだよ。燃料が誰の気であろうと結局はウチの炎だから、どんどんウチの炎は大きくなる。入れ物は有限だから全部を体に戻す事は無理だけどな。」

「これほどの規模を出しておいて、余裕を持って戦っていたのはその為か。」

「いやいや、始めはふらふらだっただろ。」

 それでもこの規模の炎だ。

 もしや川神大戦が始まって間もないのに、既に何人かを屠っているのか。

 いや、これほど炎出していてここまで余裕なのはやはりおかしい。

「ここまで調子が良いのも、燃料があるからだけどな。」

「燃料か、中央地帯全部を埋め尽くす規模の炎を出すために何人分の気を使ったのだ。」

「今のところは五人か六人か程度だろ。北から南から、気が阿呆みたいに流れてくるからな。」

 間違いなく、モモ先輩や鉄乙女さんが戦っている事を指している。

 なるほどモモ先輩のような人間が戦っているのなら、消費した気が空気を伝って流れてくるのも納得が出来る。これだけの規模の炎を維持する事も可能という訳だ。

 今回の負けは純粋に実力不足だ。

「っと、まだ足がふらつくな。日ごろから自らを知ろうとしなかった付けが回ってきたか。」

「先輩肩貸しますか。」

「いやそれには及ばないさ。色々と学ばせてもらったからな。」

 大戦のルールで峰打ちまでしか認められていないから、不完全燃焼になるかとも思ったがここまでしてやられると逆に清々しい。

 自身の実力を悔いる前にするべきことも有る。

「自分の事を先輩と言っているのだから、ある程度こちらの事は知っているんだろ。」

「そうですね。転校してきたときは学校全体が校庭にいる先輩を見てましたから。」

「しかし、剣を交えた仲だ。敢えて名乗らせていただく。クリスティアーネ・フリードリヒだ。差出がましいようだが戦った相手として、名前を交換してもらえないだろうか。」

 そう言うと、先程まで戦っていた相手は何ともいえない表情をした。

 相手にとってはいい戦いではなかったのだろうか。

「名乗りたくないならそれでもいい。自分の騎士道に基づく自己満足でしかないからな。」

「板垣です。」

 この後輩の名前は板垣か。

 強さと苗字から考えるに三年生の板垣さんたちの妹さんなのだろう。

「下の名前は言いたくないのか。」

 また、黙りこくってしまう。

 何か気に障ることをしてしまったのだろうか。

 暫くの沈黙の後また口を開いてくれた。

「笑いませんか。」

「ああ、笑わない。騎士道に誓う。」

 ここまで言い渋るのは、名前にコンプレックスを抱えていたからなのだろう。

 最近はどこの国でもおかしな名前をつける人間が居る。祖国ドイツではそういった名前がつけられないような配慮がされているが、そうでない国があるのは嘆かわしい事だ。日本もその一つなのだろう。世界には自分の子に悪魔の名前を与える不届き者もいる。

 目の前の彼女もその一人なのだろう。

「……、板垣天使(えんじぇる)。」

 エンジェルか。

 なんと言えばいいものか。ドイツの感覚だとそれほどおかしなものではないから、どの様な反応をすればいいか分からない。姓名の方にかかるからおかしいのだろうか。

 はっきりと言おう。

「すまない。その名前がおかしいのかどうかは、自分の感覚では分かりかねる。寧ろ普通とまで思えてしまう。名前から分かっていると思うが日本人の感覚とはずれているからな。日本人にとってその名前が恥じるものかさえ分からないのだ。」

「そんな頭を下げるほどの事じゃないですよ。ウチにとって言い難かっただけです。ただ、本名で呼ばれるのは抵抗があるってだけで、本当に、先輩が謝るほどの事ではないんです。」

 そこまで必死に弁解されると、自分が空回りしているみたいで恥ずかしくなってくる。

 いや、言い渋っていた板垣も自身が空回りしていたと思っているのか慌てている弁解しているからお互い様で良いだろう。

「ふふ、お互いにそこまで必死になることもなかったな。つまりこれからはあだ名で呼べば問題はない、という事で間違いないか。」

「はい、天と呼んでくれればいいです。」

「ではこちらもクリスで構わない。自分は年功序列だとかは気にしないからな。堅苦しいと思うならばその敬語も止めてくれていい。」

「いえ大丈夫です。」

 ふむ、日本人の謙遜の心か。

 悪い気はしないから無理に強制しないでこのままでもいいだろう。

「では敗者は大人しく去るとするか。また機会があれば手合わせをお願いしたい。」

「その時はウチの家族や武道を教えてくれている人も紹介します。」

「それは楽しみだな。」

 勝負には負けたが足取りは軽い。

 気持ちを新たに修練に励もうと思う。

 もし次に川神大戦があったら最後まで残れるだけの実力をつけよう。


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