特別になれない   作:解法辞典

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第十四話 黙する友 語らう友

 川神大戦。

 川神学園を二分にして戦う現代の合戦だ。生徒間のトラブルを解決するためにある学園特有の決闘システム、それを最大の規模まで大きくしたものだ。決闘が生徒間であるのに対して、大戦は学級同士のいざこざや、学年同士の問題などに使われる事がある。基本的には、学年に関わらず仲の悪いS組とF組の喧嘩に用いられるらしい。

 今月の終わりに行われる大戦も名目上は二年生のその二クラスのいざこざが原因とされているが、始業式に配られた今月の学校行事に記載されている辺り、学校に入学したての一年生への洗礼として行うのだろう。

 まだ派閥も何もない一年生はどちらの勢力に入るのも自由である、といったルールが設けられていて、そのお陰で校舎内は大いに盛り上がっていた。

 部活の勧誘に加えて両陣営の勧誘が入学式が終わった翌日から解禁され、一年生の教室の前は他の学年の人、つまりは先輩方で埋め尽くされていた。トイレに行くにも一苦労するような状態である。

 昼休みになろうものならば、食事をするのも一苦労で、さっさと教室から逃げなければ休み時間が終わってしまうのだった。

 だからこそ、参加する気が無く、そもそも出来ない俺も一目散に逃げようとしていたのだが、なぜか先輩に捕まってしまった。

 そしてその先輩は馴れ馴れしく俺の名前を呼び捨てするのだった。まず俺の名前を知っている時点でおかしいと考えたが、黒田として川神学園に入ってきた以上仕方の無い事なのだろう

「頼む、黒田。F組の軍に参加してくれ。」

「そう言われましても、参加する気はありませんよ。」

 今俺の前で頭を下げているのは、二年生の直江先輩だ。Fクラスのスカウトマンなのだろうか。はたまた権力のある人なのだろうか。

 ここまで丁寧に頭を下げられると、礼節を重んじる武士道精神に則ってついつい首を縦に振りそうになってしまうのだが、こんな右腕の状態で、軽い気持ちでそんな事をしたところで役に立てない事は俺が一番良く分かっているので止めておく。

 別段、どちらの陣営につく気も無いので断っているのだが、なかなかに引いてくれず、交通の邪魔になっているのは目に見えて明らかであった。俺自身、通行の妨げになっているのを申し訳なく思うのだが、この先輩も粘り強く説得をしてくる。

「ですから、訳あって右腕が使えないので川神大戦に出れないのです。」

「それだけの体躯があれば右腕なんて使わずとも雑兵程度なら倒せるだろう。」

「幾ら格下が相手であろうと、万全な状態で相手をしないのは、武士道に反する行いです。それに戦闘の程度が軽ければ良いという問題でもない。第一、医者から止められている。」

 そこまで言っても先輩は引かず、次の言葉を捜すように唸っている。

 いい加減開放してもらわなければ昼飯にもありつけないのだが、まだまだ放してくれないようだ。

「戦闘指南のお願いでも駄目か。それなら当日に居なくてもいい。戦闘にも参加しなくて済む。」

「それは論外です。一月も時間が無いのに何を教えられると思いますか。右腕云々は関係なしに絶対に引き受けません。そもそも他の武術家で十分ですので、俺がやる意味がありませんから。加えて戦術指南は一年生に任せてもまず意味が無い。誰も従おうとしないでしょう。」

 派閥が無いといっても俺はS組なのだ。F組軍の方々が素直に話を聞いてくれる事はまずありえないと言っていい。加えて一年坊主だ。

 何をこんなに評価してくれているのかは分からないが、どんな条件だろうが俺は断る。

 そうだ。ここまで俺を評価する理由が分からない。

「ここまで俺が戦えないと言っているのに、何で執拗に俺を引き込もうとするんですか。どちらの陣営にも就く気は無いですよ。」

「そう言われてもな、単純に君を引き入れれば一年生の大部分が傾くぞ。黒田の名前はそれほどまでに重いことは分かっているんだろう。」

「本人を前にしてそこまで言うんですか。」

 言いたいことは解らなくもない。

 やはり家名か。

 川神ほどじゃないにしても黒田の名前は浸透してきているのだろう。それなら同じくらい有名な黛でも良いと思うが、まゆっちに統率力なんてあったものではない。

 消去法でいけば俺なのだろう。

「もしかして、先輩は寮生ですか。」

「そうだけど、いきなりどうしたんだ。」

「いえ、そうでなければ俺じゃなく黛の名のほうが重い。迷わずにまず、まゆっちを勧誘するだろうと思いまして。」

 体格の大きい俺がまゆっちと言ったのが相当衝撃的だったのか、先輩は少しの間呆けていた。

 仕方の無いことではあるが、目の前で狼狽されると多少傷ついてしまう。

「驚いてごめんな、でもなんで急にそんな事を聞いたんだ。」

「普通だったら黛家の方が名前は有名ですから、俺を執拗に狙う必要も無いでしょう。聞いての通り俺とまゆっちは知り合いですから、あの性格で統率姓の無いのも知っています。先輩がまゆっちの性格を知る機会を得ていて、部隊を率いる素質がないであろう事を知っている理由が先輩が寮生である事以外に思いつかなかったので。」

 その事が知られているということは、まゆっちは取り敢えずは寮生の人に話しかけようという努力はしているのだろう。決心は固いと思ってはいたが、この様子ならば彼女なりに頑張れている筈だ。

「あいつは、寮で上手くやれてますか。」

「それは何とも言い難いな。黛さんが頑張っているのは分かるんだけど、寮生とその友人の間で集団みたいなのが既にできているからな。かく言う俺もその一員なんだけどな。」

 では、まゆっちの寮暮らしはそこまで成功を収めている訳でもないのだろうか。今更になってどうにかする事もできないので、上手くいかないのも人生だと思ってまゆっちには耐えてもらうしかないのかも知れない。

 しかし、恐らくその集団の一員である川神先輩が先日まゆっちの名前を出したという事は話はできている事を意味するのだろうか。若しくは、まゆっちをその集団に入れようとしているか、まゆっち自体が入ろうと努力しているのか。

 ますます以って分からなくなってきた。心配する必要はあるのかないのか結局は分からない。

「なあ、作戦を一緒に考えるだけでもいいからこっちの陣営に入らないか。」

「入りません。そこまで言うなら、武術家の俺である意味も無いでしょう。」

「そうか?俺は君の能力も評価しているからこうやって声をかけ続けているんだけどな。」

 嘘ばかりだな。

 結局は学校行事を盛り上げるための下準備だろう。こうやって俺に話しかけているのはこの直江先輩の策略だろう。最低でも今回の大戦が互角程度になるように、といったところか。武神がF組につくのだから妥当、いや当然のことか。

 頭の切れる先輩方なのだと感心する。

 彼らとは違い、少し出来の悪い人たちもいるようだが。

「うおぉー、直江大和。覚悟しろ。」

 そう言ってこの人ごみの中、直江先輩に襲い掛かってきた生徒が三人ほど。

 不測の事態、予想していない事だったのか直江先輩は転がり込む事で攻撃を避けている。

「先輩、もしかして戦闘は不得意ですか。」

「知り合いのお陰で回避だけは上達するんだが、反撃はからっきしだ。」

 闇討ちに対する護衛も居ないという事は、俺へのスカウトは独断なのだろう。

 左腕を上げる俺に対して先輩が声をかける。

「万全じゃなきゃ格下とも戦わないんじゃなかったのか。」

「川神大戦は突き詰めれば大規模な決闘でしょう。正式な立会いで相手を馬鹿にする事はしませんがこうして闇討ちをするような輩には力を行使しますよ。武術は護身術でもあるんですから。」

 歯ごたえの無い相手だった。

 一人叩きのめしたところで、残りの人たちは蜘蛛の子の様に散っていった。

「昼休みも終わってしまいかねないので、そろそろお暇させていただきます。どちらの陣営にも就かない事は約束しますので安心してください。」

 返事も聞かずに廊下を歩く。屋上辺りなら静かに過ごせると当たりをつけて角を曲がった。

 そこには、予想した通りにS組の陣営であるだろう先輩が立っていた。直江先輩と同じく参謀を任されていると思われるその人は、浅黒い肌で眼鏡をかけている。

「戦力の調整、大変そうですね。」

「ええ、二年生三年生は派閥なども分かりやすく、戦力頒布は大体予想はつきますから。これを機にS組とF組の確執を取り除こうとしている先生方には申し訳ないのですが、対立させないと武神の名前に皆が靡きかねないので。」

「倒れてるあの先輩は回収しておいて下さいよ。」

 それだけを告げて俺は昼食を取るため、歩いていった。

 

 

 昼休みになればどこのクラスも騒がしくなるが、今日のこのクラスは頭が割れるほど煩かった。

 高くんは、こんな煩いところには居られないと言って教室から出て行ったが、そのときよりもずっと騒がしい。

「なんだなんだ。騒がしいな。」

 席を外していた委員長が教室に帰ってくると、騒ぎを見て怪訝な顔をする。

 ウチの座っている席の前に陣取って説明してくれと言ってくる。

「随分時間がかかったんだな。やっぱ廊下は人が凄いのか。」

「まあな、部活の勧誘と川神大戦の勧誘で人がいっぱいだからな。それに、立ち止まって勧誘してるから邪魔で仕方ない。」

 購買で買ってきたのか、委員長はパンの包みを剥がすと袋の中に強引に詰め込んだ。

「で、なんでこのクラスの連中は騒いでんだよ。特に副委員長がご乱心みたいだけど。」

「聞いてりゃ分かるよ。」

 ウチは副委員長のほうを見るように言った。

「……私たちは馬鹿にされてるの。見たでしょあのF組の人がこのクラスを素通りして行ったのを。確かに黒田くんは優秀でしょうね。名のある武家で、S組に居るって事は私たちと同じくらい頭も良いのは知ってる。」

 そして我らが副委員長、武蔵小杉は右腕を高く突き出して声を張り上げた。

「でもその後よ。黒田君に声をかけた先輩は私たちのスカウトにも来なかった。私たちS組を素通りしたって事は眼中にも無いって言われたの同然よ。分かるでしょ、私たちは馬鹿にされてるの!プレミアムに能力の高い私や、同じS組に居るあなたたちの才能も努力も、誇りも貶されているんだわ。こんな事が許されると思わないでしょ!」

「当たり前だ。」

 クラスの誰かが声を上げる。

「私はS組の陣営につくわ。あなたたちはどうするの。」

「馬鹿にされたまま終われるか!」

 違う誰かが怒声をあげる。

 それをさっきから何度も何度も繰り返していた。

 委員長が呆れた風に、乾いた笑い声を出している。

「楽しそうだなあいつら。」

「そうだな。」

 弁当箱をしまいながらウチは生返事を返す。

「あそこまでまんまと乗っかってくれると先輩方も楽しいだろうな。お陰で俺の就く陣営は決まっちまった訳だが、仕方ないか。」

「委員長はどっちでもいいんだろ陣営は。」

「俺は戦闘はからっきしだからな。一年坊じゃ作戦の立案もさせてもらえないだろ。そしたら、いよいよつまんねぇぞ。」

 辰姉たちが居るから、ウチはそっちにつく気で居たが、そう言われれば委員長は当日何をするのだろう。伝達係だろうか。

「加えて相手は武神様がいるだろ。誰が止めるんだよ。」

「時間稼ぎなら出来る人くらい居るだろうけど、上手くぶつけられるかって言われれば難しい事くらい誰でも分かるしな。」

 そこまで言って思い出す。

 武神を足止めできる実力を持つ人物。

「そういえばまゆっちはどうするって言ってた。」

「なんで俺に聞くんだよ。」

 なんで、と言われても理由なんて明白だ。

「だって委員長、さっきまでまゆっちの所に行ってただろ。」

「俺はパンを買いに行ってたんだよ。」

「随分、購買は混んでたんだな。」

「廊下も凄い人ごみだし、大変なんだぞ。購買に行くだけでも。」

「ふーん。」

 ウチは委員長の持っているビニール袋を取り上げて、さっき捨てていたパンの袋を見る。

「コンビニのパンにしか見えないな。」

「あー、あれだ。食事時にお手洗いってのも下品だろうと思ってさ。」

 トイレね、反対側の扉から入ってきたように見えたのだが気のせいだったか。これ以上追求する必要も無いだろう。

「じゃあ、ウチは食べ終わったからまゆっちの所に行ってこようかな。」

「悪かった。行ってきたよ、まゆっちの所にさ。別にいいだろが、あいつが一人でやれてるかどうか心配したってよ。」

 即座に謝ってきた。

 悪いなんて言ってないが、素直に認めない委員長が面白かっただけだ。

 何をそんなに向きになってまゆっちと会っていた事を否定する必要があるのか。

「それで、まゆっちはどっち側に就くって言ってたんだ。」

「武神が攻めて、剣聖が守る。これほどまでに恐ろしい事は無いと、俺は考えるんだがどうしたものかね。勝ち筋はどれほどあるか。」

 まゆっちはあちら側についたのか。

 それは悲しくもあるが嬉しくもあった。

「何笑ってやがんだよ、板垣。俺らは敗色濃厚なんだぞ。」

「まゆっちがあっち側だって事は、寮の先輩方に誘われたって事だろ。上手くやれてるようで良かったって思ってさ。」

「そりゃまあ、俺も思ったよ。皆楽しそうだなって。でもさ。」

 言葉を切った委員長は、目を伏せたかと思うと頼りない声で呟いた。

「ここまでの馬鹿騒ぎ。高昭も一緒にやりたかっただろうに。いや、俺があいつと一緒に騒ぎたかっただけなのかもしれないがな。」

 いきなり、真面目に話をする委員長。ウチは相槌も打てなかった。

「板垣だって分かってんだろ。」

「何がだよ。」

「あいつが仏頂面だって言っても、それで説明できる範疇はとっくの昔に超えてる。」

 黙るしかない。

「俺らで馬鹿やってて、高昭が隣で鼻で笑う事もあった。でも、あいつが馬鹿やってる所見た事あるかよ。あいつが腹抱えて笑ってる所を思い出せるか。」

 高くんはウチを喜ばせようとしていたが、ウチは高くんを笑わせてあげれていたのか。

「高昭に一切の感情がないとまでは言わない。それに今すぐどうにかできる問題だったら今頃は解決できてるさ。でも、高校生にもなると常に一緒に居て、だらだら遊べる訳でもない。」

 委員長は最後にこう締めくくった。

「こうやって『委員長』やれるのも残り三年くらいだ。役割演じて関係壊さないのも良いけど、いい加減に腹割って喋らねえとあいつも心を開くタイミングが分かんなくなってんじゃないか心配になってくる。まだ手遅れじゃないと信じたいんだが、如何せん俺にはそんな全てを曝け出せる勇気は無いんだよ。」

 

 

 校庭からは叫び声が聞こえる。

 こんなに忙しそうな時期でも、大戦の準備よりも決闘を優先する事が多い人が多いらしい。この短時間で少なくとも三つもの決闘が行われていた。

 俺が屋上に逃げ込んできたのも遅かったので、もっと多くの決闘が執り行われていただろう事は容易に推測できた。

 こんな所で燻っている俺とは違い、高校生の有り余るエネルギーをきちんと発散している。

 もう慣れたものだが、唯武術の型をなぞるのみの鍛錬を続けている俺は、最後に気を発散させたのは何時だったかも忘れてしまっている。

 それこそ今すぐにでも爆発してしまいそうなほどだ。

 この程度の気の量でこんな弱音を言っているのだから、まだまだ精神の鍛錬が甘い。規格外の気を持つ武神も、今この間にも学生として振舞えているのだ。さぞ素晴らしい忍耐力を持つのだろう。

 俺も耐えなければならない。

 何があろうと揺るがぬ信念を、持たねばならない。

 誰に何を言われようとだ。

「どちら様でしょう。」

 俺は屋上の入り口を見て、扉を開けようとした人物に問うた。

 看破された事など気にも留めない様子で勢いよく扉を開けた人物は、その衣服は文字通り黄金の輝きを放っている。金ぴかのスーツを身に纏っていた。

「S組陣営総大将九鬼英雄、顕現である!」

 歩みを止めず近づいてくるその人物。後ろにはお付のメイドが居る。

 間違いなく、世界に名高い九鬼財閥の御曹司その人であった。

「いい目をしているな黒田高昭。我を前にして真っ直ぐに見つめ返す度胸、褒めてやる。」

「どうも。」

 つかつかと歩き、遂には俺の隣まで来た。

「あずみ、我はこの者と話がある。昼休みが終わるまで、ここには何人たりとも近づけるでない。」

「承知いたしました。」

 扉を閉めると、そのメイドは気配を鎮めて俺たちの邪魔にならぬよう努めていた。

 しばしの静寂。

 俺からは話す事もなく、九鬼先輩が口を開くのを待つ。

「話は聞いている。あいつらの様なやり方ではお前のような人間が靡くわけも無い。」

 あいつらとはさっきまでしつこかった直江先輩と廊下の角にいた先輩の事を指しているのだろう。

「我にも良く分かる。自分の気心を知らぬ輩に何を言われようが、心など動く道理も無い。まして我のように民の声を聞く必要性の無い立場ならば尚更だ。」

 俺は体を校庭に向けて決闘を眺めていた。

 先輩は、俺の左側に立っている。そして、半身になって校庭を見ている。

 先輩の右腕は、俺と一番遠い位置にある。

 無論俺の右腕も先輩と一番遠いところにある。

「分からないだろうな。体の一部が失われる気持ちなど、夢が潰える気持ちなど。」

 心の儘に全力で肯定したかった。

 声にして、同意を示したかった。

 だが、出来ない。何もかもが同じではないのだ。

「我には、夢があった。今でこそこうして九鬼の跡取りの役割を果たしているが、昔は野球をしていた。夢は大きく、メジャーリーガーだった。その頃は子供だった我には上手かったかどうか分からなかったが毎日が楽しかった。好きな事を好きなだけやっていた。」

 俺は、その話を自分の事の様に聞いていた。

 結末は大体分かっている。すぐにでも泣き出しそうな話だ。

 だが、俺には流す涙は枯れきっているのだ。

「下手ではなかった。試合では常にレギュラーであった。監督が御曹司の我に気を利かせてくれたのではない。純粋に実力で勝ち取ったのだ。チームメイトも認めてくれた。夢はいつのまにか、目標になっていた。手を伸ばせば届くのではないか。子供ながらに、我はそう思った。理由も無い確信ではあったが、勝算はあると信じていた。」

 先輩は右腕を見つめる。

 誰が見ても脈絡もないように見えるが、少なくとも俺と先輩は分かっている。

「テロだった。」

 言葉には感情もこめない。

「我自身のオーバーワークだったらどんなに良かった事か。事実を知ったとき我は、親に初めて暴言を吐いた。生まれを呪った。自分は悪くないではないか。我が、我だけがこのような。このような仕打ちを受けなければならなかったのか。」

 空を仰ぎ見た先輩は一言呟く。

「我は初めて挫折を知った。これ以上無いまでの、挫折だった。」

 先輩は続ける。

「今でこそこうして動くが、それでも万全ではない。無理をすれば痛む。その時は抱えの医者を呼ぶのだ。」

 九鬼英雄は体をこちらに向ける。

「我は夢を諦めざるを得なかった。いや、諦めてはいなかったが、結果として今の道を選んだ。」

 この人は俺とは少し違うみたいだ。だが、根底は同じ。

「俺には、夢も無かった。知っていますか。黒田は川神の当て馬になるためにこの地に越してきた。負ける事は前提として、です。せめて恥じぬ戦いをしなければ。そんな使命感を背負って鍛錬を積んでいました。」

 心を落ち着かせるため、溜息を吐く。

「中学一年生ある日の夜、人生で初めて腕を攣った。体のどこも攣った事のない俺は、こんなものなのだろうと思った。右腕に走った激痛を、誰にも伝えなかった。伝えるほどの事じゃないと思っていた。朝起きると薬指が震えていたけど、いずれ治ると、収まると思っていた。」

 未だ少し震えるこの右手の指を見る。

「冬が近づく程に、右腕が衰えた。風呂に入ると幾分か良かったのも少しの間で、少しずつ力が抜けていくのが理解できた。日に日に痩せこけていく右手、温めようと熱湯をかけても元に戻らない。火傷の痕が残って、筋肉の衰退した右腕は誰にも見せれなかった。周りの皆には心配なんてかけられなかった。」

 そして、手遅れだった。

「俺には武術しかなかった。他に何もなかった。誰にも頼らなかった俺なのに、周りの人はそれでも心配してくれる人たちだった。心配されるたびに束の間の喜びを味わった。そして、罪悪感に押しつぶされそうになる。俺に優しくしてくれる周りの人たちだからこそ、心配をかけたくなかった。結果として、最悪な形にはなった。自分の厚かましさには嫌気が指す。」

 懺悔にもならない声が漏れる。

「もう少しで、武術は再開できるらしい。でも、その時になって昔と同じように右腕を振るえるのかは分からない。振るう勇気があるのかも分からない。もし、何かに打ち付けた拍子にまた力が抜けてしまう事もあるかもしれない。」

 二人して押し黙る。

 俺たちは人間だ。どんなに偶然起こっても全てが同じわけがない。

 だが、そこらの人よりも、今語られた話を理解できる自信はあった。

「我は挫折を知る王である。民の心に従うつもりは毛頭ないが、民の心を分かる王になりたいと思っている。使える気はあるか、否か。」

「今になって、先輩になら仕えたいと思いました。ですが。」

 分かり合えても、何もかもを頷く事はない。

「残念な事にどちらの陣営にも就かぬと言葉にしてしまった。もう、俺は嘘を吐きたくはない。」

 先輩は目を瞑り、そうか、と一言呟いた。

「仕方あるまいな。ではそれとは別に提案がある。」

 先輩は俺に右腕を差し出す。

「我がここまで理解できた相手もお前を置いてそうは居ない。家柄、年齢、関係はないだろう。この身に降りかかった不幸が巡り合わせた数奇な仲であるが、我を『英雄』と呼ぶことを許す。」

「では俺のことも『高昭』と。」

 そして俺は差し出された腕に右腕を伸ばした。

 俺の治りきっていない右腕では力いっぱいに握り締める事はできないが、ここまで固く結ばれた握手は、存在しないだろう。

「しかし、高昭を引き込めないとなるとあの武神、どの様にして倒すべきか。我には皆目検討がつかないな。」

「それは過大評価しすぎだ。当て馬にされかけたと言った。」

 そんな事言いながら英雄大声で笑っている。

 いったい何時、合図を送ったのかは知らないが屋上の扉の裏側に居たメイドが戻ってきた。

「英雄様、その策は後ほど練りましょう。」

 メイドがそう進言すると、英雄は少し低い声を出す。

「あずみ、まさか我が友となった高昭が情報を漏洩するとでも言うのか。」

「いえ違います。ご友人とは一切関係なく、五分も立たずに予鈴がなってしまわれますので、今から考えを巡らせるのには時間が足りないかと思われます。」

「ううむ、それも一理あるな。仕方あるまい、戻るとするか。」

 教室へ戻ろうとする英雄は足を止めて俺の方へ振り返った。

「高昭、今回の大戦。どこでも好きなところから見せてやろう。全てを見渡せる空中でもいい、データ化して逐一どんな動きをしているのかを見せる事も可能だ。」

「英雄、それには及ばない。」

 隣を歩きながら俺は告げる。

「武士の仕合には興味があるけれど、戦には興味が無いんだ。俺は武士でなく武芸者でしかない。」

「そうか。だが気になったらいつでも言うと良い。最高の環境を用意してやる。」

 

 

 その日、黒田高昭と友になった九鬼英雄。才を認め合って友となった葵冬馬とは違い、理解し会える友人に出会い、心のうちを吐露した。幾分か軽くなった心を持ち、また九鬼としての激務に臨むのであった。

 一方、黒田高昭。新たに友人を得る事で英雄と同じく幾分か心が軽くなった。しかし、中途半端に掻き出してしまった己の心の中にある汚泥に以後苦しむ事になる。




次回から川神大戦を書く予定です。
主人公は当分お休みになります。
物語的にも、主人公視点は少なくなってくるかも知れません。

誤字等ございましたら感想にて教えてください。

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