特別になれない   作:解法辞典

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話を練りに練ってたら方向性が分からなくなってきました。
タイトルだけで落ちがついてるのも考え物です。
見れば見るほど酷いタイトル。

今回は説明するほどの事でもないので格闘ゲームの用語解説は省きます。
この話に出てくる知識が間違っていた場合は教えてください。
また、誤字等ありましたら感想にて伝えてください。


第十三話 曇りときどきブルマ

 騒がしい音が鳴り止まない店内。それにつられて大きな声で会話をする人々。

 受験が終わってからというものの、俺はここのゲームセンターに入り浸っていた。少なくとも週に二回以上は来ている。

 まだまだ、俺にとっては肌寒い季節であるが、それでもこの右腕は十分に日常生活を送るのに支障がないだけの回復をした。医者にはまだ右腕を武術に使う事のドクターストップを受けているが、今年中には、それも解除されると思われる。

 俺の体躯や左腕の力と比べて考えると、右腕の力は非力なものだが、天ちゃんたちとこうして遊ぶ事に関する障害はなくなった。

 いっぱいに入ったペットボトルでさえ昔と同じように持てる。

「ほら、委員長。就任祝いの飲み物だ。」

 そう言って俺は、高校生になっても委員長の立場に立つことができた友人に飲み物を投げる。

「あぶねえな。もっと丁寧に扱えよ、仮にも祝いの品だろうが。あーあ泡立ってるよ。」

 投げる事を見越して、炭酸は控えたのだがお茶も振れば面倒になる事を失念していた。謝ろうかとも思ったが、俺の金で買ったものなのでどう扱おうが俺の勝手だろう。

「いやあ、ありがたいな。懐が寒いから少しのお金が浮くだけでも十分な好意だよ。」

「勝負事のほうは手を抜けないからな。」

 委員長の懐が寒くなった原因としては、俺や天ちゃんが今日のゲームで勝ち越しているからだ。大体にして今日だけで委員長は7クレは使っていた。

 午前で終わる高校初日であるが、昼飯も食わずに俺たちはゲーセンに来ている。

「気に病むことはないだろ、俺だってキャラ対しても天ちゃんにはかなり負け越してるからな。」

「あいつに勝つのは論外だ。でもお前は楽だよ、中段混ぜれば崩れてくれるから。」

「めくり対応できない奴に言われたくないな。」

 こんなところで油を売っていてもゲームが上手くなるわけではないが、こうして頭にある程度血を上らせておかないと、モチベーションを常に高めていられない。

「そういや、板垣はどこ行ったんだ。」

「北陸の拳をやりにいったと思うぞ。確か今週の水曜が店舗大会だったからな。」

「俺も昔は、1フレ当身だけで倒されてたな。」

「天ちゃんがダガキャンできないだけましだろ。理論値でいえばあっちキャラのが糞ゲーだ。」

 北陸の拳。少年誌の漫画が原作の格ゲー。自由度が高い分、面白いといえば面白いのだが、上手く生かすのも難しくある程度なれないと上級者には手も足も出ない。結局は難しいゲームなので、このゲームを研究し尽くした人の場合は、もっとキャラの数が多い他の格闘ゲームの全キャラの反確を覚えているのに等しい。やる気さえあればそこまで大変なことではないが、大半の人は上級者に狩られて止めていってしまうのだ。

「しかし、委員長は本当にお茶しか飲まないな。こんな年から健康にでも気を使ってるのかよ。」

「お茶は日本の心だぞ。愛国心と呼べ、愛国心と。」

 馬鹿馬鹿しい事を言っている。

「お前の場合あながち嘘じゃないなさそうだけどな。でも、お前が好きなのは国じゃなくて、国の文化だろう。外人の中途半端な知識じゃなく、委員長は無駄に詳しいもんな。」

「まあな。興味があることだから細かいところまで知りたいだろ。日本の歴史はめちゃくちゃ深いんだぞ。それこそ、日本って呼ばれてから何年だと思ってんだ。歴史上、名前がちらほら隋とか唐とかって変わる近くの国とか世界の大国とかと比べてもめちゃくちゃ長いんだ。」

「へー、そうなのか。言われれば確かに、つい最近までアメリカとかは無かったんだもんな。」

 委員長の語りぶりに素直に感心してしまう。

「最近ってほど近くも無いけど、まあそんな感じだな。一概に長けりゃ良いって事もないんだけどな。だけど、一つの国いくつもの出来事があって、文化の形態があって、色んな人が居たって事は面白いだろ。歴史があるから、伝記物も面白いんだよ。まあ昔に限らず、今の俺たちもその一部なんだ。お前の家にだって歴史はあるし、歴史を担ってるんだろ。」

「そうだな。」

 歴史を担うと言われても実感は湧かないが、委員長の中ではその様に解釈しているのだろう。

「温故知新と言うけどな。お前ら武家的にも関わりのある武器一つ取っても凄いんだ。鉄ってあるだろ。あれの製鉄技術ってのは昔の技術のほうが今より優れてたりするんだ。昔の鉄のほうが良くできてたりするんだぞ。刀然り。」

「マジかよ。今のほうが、なんか、科学的に構造がどうのこうのってやってるから良いものができてるのかと思ってたぞ。」

「ところがどっこい、日本で例えるとだ。江戸時代の頃には刀狩があって、その影響で刀を作る技術を一新せざるを得なかった。ワンオフから量産を重視する方向にな。そのときにはすっぱりと昔の技術はなくなっていた。しかもその頃の刀なんぞ武士が形ばかりで脇差するだけだから、出来栄えとかより量産性。だから、戦国時代とかの頃にあった刀の製造技術は失われていて、今の職人に伝えられてきた技術で作るのは不可能とされている。」

 熱くなりすぎたかな、と言って委員長は自嘲気味に笑う。

「だから、委員長は刀を作りたいのか。」

 まるで自分の夢を話しているかのように目を輝かせる委員長に、少し意地悪だがそんな質問をぶつけてみる。

「まさか、高校の面接の時の為に考えといた話だ。」

 委員長は笑いながらそう言って俺の事を馬鹿にする。肩透かしを食らって、言葉も返せなかった。

「初めて俺がまゆっちにあった時、今にも切りかかりそうな感じだっただろ。刀の、金属の擦れる音も鳴っていて、びびったよ。なんて生々しい重い音を出すんだろうって。その後で、居合いを見て、鉄柱を切っているのを見て感動した。」

 まだ話したりないといった感じで、委員長は一人で語りを続けた。

「歴史がどうのこうのってのも純粋に夢のある話だけど、結局は建前だよ。俺も男だからああいった刀とかには憧れがあった訳で、あんな風に見せられて心が揺れ動かない訳がない。」

「だからまゆっちには感謝してますってか。」

「感謝ってのは余所余所しいけどな。あとは松風との漫才を止めてくれれば、周りの俺たちも白い目で見られずに済んで、あいつも完璧なのに。」

 ある程度のどを潤せたのか、委員長はお茶を鞄に仕舞った。

 その後少し溜息を吐いた。

「それにしても、高昭も強制させられたのか。」

「何がだ。」

 委員長の言葉の真意を分かってはいるものの、とぼけた風に聞き返してみる。

「だからその『まゆっち』だよ。訳わかんないよな。『友達はあだ名で呼んでこそだと私は思うので呼んでくれないと困ります。』っていわれてもな。俺なんか板垣も高昭も唯呼び捨てにしているだけだぞ。」

「女子の感性なんか分からねえよ。天ちゃんが少し特殊なだけだ。でも、いいんじゃねえの、友情の確かめ方なんて人それぞれだろ。リアルでも、引っ越したところの友達とずっと友達だからって未だに仲良くしてる人だって居るんだ。……ああ、まゆっちの事じゃないぞ。」

「分かってるよ。あいつに友達なんか、俺たちくらいだろ。」

 欠伸をしながら、まるで常識を語るかのように委員長は断言した。

「ああ、でも心理では同じなのかもな。離れて居ても友達でいて下さいって所だけは。実際引っ越した訳だし。」

「驚きはしたな。」

 

 

 今年の二月頃、俺たちはまゆっちに大事な話があると言われて集まっていた。

 集まると言っても、基本的に勉強をするにしても俺の家、つまりは黒田家に居るので、茶の間に場所を移しただけだ。

 因みに、この頃には高校の一期試験の結果が通達されていた。

 内申点の高かった委員長(当時のあだ名は会長)や武家であったため川神学園にとっては推薦で行くことが出来た俺はこの時点で内定を貰っていて、内申点が足りなかった天ちゃんと案の定面接が上手くいかなかったまゆっちは二期試験に向けて猛勉強していた。

 そんな頃の事だ。

「今日は皆さんにお話があって来たんです。」

 十分近く、松風に促されて深呼吸をするというコントを見せられた後、やっと本題に入ろうとしてくれた。天ちゃんに限っては、冬なのもあって、皆が入っていた炬燵の上に乗っていたみかんを二個ほど食べ終わり、三個目を剥いている途中であった。

 皆で炬燵に入っているとは言ったものの、体の大きい俺が入ると邪魔になるので右手の先端のみを炬燵に入れて、後は普段からの防寒の用意で以って寒さを凌いでいた。右腕を冷やさないようにする意図もあるので普段からかなりの対策はしており、室内でもカイロをつけている事もざらにあった。

「なんとなく聞こえてはいたから分かるんだけどよ。早く言ってくれ。」

 無意味な時間を過ごしてしまった、そんな顔をしながら委員長は言った。

 いつもならここでもう一度松風との漫才を挟むところだが、今回ばかりは真面目な話だという自覚が強いようで、依然として真剣な面持ちでまゆっちは話を続けた。

「私、高校生になったら寮生活をしようと思います。」

 口出しをできる立場でもなければ、その意志の固さを察している俺以外の二人は話しに参加する意思を見せなかった。まゆっちの当時の下宿先の家主、つまりは黒田家の人間である俺に対しての発言である事は明らかだった。

 しかし俺以外の二人とて、少なからず驚いている事は確かだった。

「何か理由でもあるのか。もし、此方側の不備があって嫌気が差しての事なら言って欲しい。」

「いえ、不備なんてとんでもない。黒田家の居心地は良かったです。こうして下宿という体験をさせていただいた事で大きく人間として成長できたとも感じています。」

 頭を深々と下げるまゆっちは、心よりの感謝を述べていた。

 顔を上げて話を進める。

「ですが、それと同時にもっとたくさんの経験を積みたいと感じたのです。ここに来た当初、顔見知りでもない私に話をしてくださった委員長さんが居たから、私も一緒に役職についてみようかなと思えました。それは後の生徒会でも同じです。自分ができる行動の幅がひろがっていく事が嬉しいんです。勿論、今までの助けがあっての事でしたので、これからは自分ひとりの力で自立していければと思いました。高校生で、遠方から来ているというこの自分の状況下であるからこそできる寮暮らしというものを経験してみたかったという理由もあります。」

 言い終わったまゆっちは少し顔を上げて俺の様子を伺っていた。

 俺は特に悩んだりするわけでもなく、その考えを肯定する意思を示した。

「いいんじゃないか。家の方からの承認は得られているようだし、黒田は部屋を貸してるだけだからそちらに判断に任せるよ。そこまで、綺麗に整えた文章も考えてきたみたいだしな。」

「おーい、まゆっち。オラたちがカンペしてたのばれてるぞー。」

 何度も視線を下に向けていれば、気づかれるだろう。それに炬燵を囲んでいたのだから、正面の俺以外の二人からは良く見えていただろう。思えば、そういうところが見えていたから、二人は最初から真面目に話が聞けなかったのだろうか。

「寮に入るのは分かったけど、それって自立する事に直接関係あるのか。ウチたちに改まって喋る様な重大な話でもなかったし。」

 天ちゃんの追求にまゆっちは声を詰まらせた。

 多分、必死になってカンペとして使っていたメモ帳を捲っていたのであろうところを、委員長に指摘されていた。

「なあまゆっち、もう場の雰囲気も崩れてるんだ。そんなものに頼らず、自分の言葉で語ってもいいんじゃないか。」

 ひょいとメモ帳を取り上げる委員長。何か見られてもいけない事でも書いてあったのか、刀を振る速度と見間違える速さで取り返していた。

 そして何事も無かったかのように仕切りなおした。

「私は川神学園で、S組に入るつもりが無いんです。前々から、エリート意識の強い所って聞いていたのでそりが合わないだろうな思って、悩んでいたんです。寮に入ろうかな、と思い立ったときに、それならいっそ高校に上がったら皆さんに頼らずに頑張ろうと思うんです。」

「ええ!まじかよ、まゆっち。高校でも皆と一緒のクラスになるためにウチは頑張ってたのに。」

 口を尖らせた天ちゃんは見て分かるほどに抗議を申し立てていて、恐らく炬燵の中でもまゆっちの足を叩くなりをして訴えかけているようだった。

 普段、誕生日早いから自分の方が年上だとかお姉さんだとか言って威張っているが、こういうところを見ると何を根拠に年上と言えるのか分からない。少なくともこの時においては、自分の決めた事を曲げようとしていないまゆっちの方が大人に見えた。

 いつもなら二人共同程度のレベルだとは口が裂けてもいえなかった。

「俺らがどんな風に思おうが、黒田がその考えを止める事はないぞ。さっきも言ったが、部屋を貸しているだけだ。」

 そして、まゆっちの高校での寮生活が決まったのだ。

 

 

 思い出話をして時間を潰していたが、ゲーセンに来ているのに少し遊んだだけで帰るのもつまらないので、散財覚悟で天ちゃんと対戦でもしようかと思っていたところ、不意に声をかけてくる人物がいた。

「やっと見つけたわ。あんたね、クラスの仕事放り出しておいてこんなところで遊んでるって、どんな神経してるのよ。」

 委員長に噛み付いてきたその女子の名前は、……なんだったか。確か委員長に投票で負けて副委員長に成り下がった人だった気がするので、以降は副委員長とでも呼ぼうかと思ったが、流石にそれは失礼だろう。

 しかし、名前を思い出せない以上は仕方が無いので、名前を思い出すまでは会話に参加しないように心がけよう。

「はあ、初日から仕事なんてあったのかよ。さっさと帰ったから知らなかった。」

「知らなかった訳無いでしょうが、入学前のガイダンスで説明もあったわよ。今月の終わりにある学校行事について。そこのでかぶつも、知っててこんな所でサボってるんでしょ。」

 面倒だから天ちゃんのところまで逃げようとも思っていたが、逃げ切れなかったようだ。

 つい先程、会話に参加しないようにと思った途端に話を振られてしまった。答えないわけにも行かないだろう。

「知らないな。川神学園の行事なんか決闘だの、戦いだのといったものが大半だろう。真面目に参加するつもりはない。それに俺は元々、クラス委員をやっているお前らみたいに真面目じゃない。」

「ふん、こんなサボりをしている委員長と同じにしないでよ。プレミアムな武蔵小杉こと私と、こんな勉強しかできなさそうな冴えない男を一緒にしないでくれる。何でこんな奴に負けて副委員長なんかに甘んじてるんだか。絶対このプレミアムな私のほうが相応しいのに。」

 地団太を踏み自分の世界に入り浸っている目の前の人物を見て、委員長がドン引きしている。その前にこいつが川神学園の体操着でゲーセンに来ていることのほうがドン引きなのだが。

 学園長の意向によって川神学園の女子の体操着はブルマなのだと聞いていたが、どうやら本当に女子はブルマだった。考え方というか趣味思考が少々古臭い。

 着ている服なんかを見て喜ぶものの、突き詰めて言えば着ている人がかわいいかどうかの問題だろう。逆に、かわいいならどんな着ていても問題はない。勿論例外はあるが、そんな事を気にしていたら話は終わらなくなる。

 つまり、一刻も早く、ブルマを穿いているこの人から離れたい。いくら学校指定の服だろうと、本当に、一緒の空間に居たくない。なにより見た目が、着ている服が、ブルマは危ない。男子二人と女子一人、しかも女子がブルマという構図が不味い。

「あれ、なんで副委員長がここに居るんだ。」

 飲み物を買いに来たか、両替をしに来たのか、こっちに来ていた天ちゃんが俺らに声をかける。天ちゃんがこのゲームセンターで負ける事もないと思うので、対戦相手が座ってくれなくなり、プレイ時間が終了したのだろう。

 いよいよ天ちゃんがこちらに来たことで逃げ場がなくなってしまった。

「こんにちは板垣さん。委員長が仕事をすっぽかしたから連行しに来たの。」

「はあ、連行ってことはまだ仕事が残っていて、学校に戻れってことなんだな。」

 さも当たり前のように副委員長、武蔵小杉は言う。

 委員長はまた学校まで戻るのが嫌な様で、文句をたれている。

「初日から仕事なんて大変だな。何の仕事なんだ。」

 自分には関係の無い事だと言わんばかりに、天ちゃんが明後日の方向を見ながら質問した。何度確認しても、北陸の拳の筐体には誰も座ってないらしく諦めて再度武蔵小杉を見た。

「皆知らないのは流石におかしいと思うのだけど。」

 呆れて物も言えない彼女は、額を押さえて溜息を吐いて見せた。付き合ってられないと語外に言っているようだが、これから一年、この委員長の下で働く事でも考えたのか委員長を一睨みした。

 委員長が小声でまた変な奴に目をつけられてしまったと呟いている。

「説明するのも面倒くさいから、あなた達全員ついてきなさい。」

 返答も待たずに歩き出している。

 逃げるわけにもいかないのだろうか。

「高くんは行かなくていいだろ。どうせ川神学園の行事なんて戦いしか無いんだから、居ても暇するだけだろうし先に帰ってていいんじゃないか。」

「そうだな。あいつには俺が言っておくから高昭は家でのんびりコンボ開発でもしてろ。」

 そう言って二人は俺を置いて店から出て行った。

 

 一つ溜息を吐いてから、店を見渡してみる。

 誰も俺らのほうなど見ずに各々のやりたい事を楽しんでいるようだった。俺にとって彼らが有象無象であるのと同じように、彼らにとっての俺らも背景に過ぎない。

 俺を気遣った上での会話だとしても、二人の突き放すような言い方で、俺の心が傷ついていようと誰も気づいていない。

「あちぃな。」

 まだ冬も明けたばかりだと思って、着ている長袖の肌着のせいで汗をかいている。寒くて腕の動きが鈍るより幾分かましであるが、それでも鬱陶しい事に違いなかった。

 この右腕は、どこまでいっても邪魔でしかない。皆と常に一緒に居たい、それほどまでに高望みはしない。でもこんな日くらいは天ちゃんたちと遊んで一日を終わらせたかった。

 高校生にもなったので天ちゃんはアルバイトを始める。流石に、勉強に加えバイトまであればこれまでと同じように遊ぶ事できないだろう。

 遊びでなくとも、一緒に居られる時間が減る。ああして、学校に関係する事でも関われなくなるとすれば、いったいどれほどの時間しか共に居られないのだろう。

 武術というものを取り上げられて久しい。俺の心を埋めているものは何もない。

 説明する言葉があるとすれば、空虚以外の何ものでもないだろう。

 道場に行って体を使い、黒田の教えの通りに動きをする点では武道をしていると言えるのかもしれない。もしも俺以外の誰からもそう思えて、俺が立ち直ってきている風に見えるのだろうが、それは違う。

 黒田家に、壁の役割を持ってこの世に生まれ出でたこの命。

 戦わずして、何を示せると言えようか。

 衝動に駆られるわけでもなく、戦闘に惹かれている訳でもない。戦闘と言えるものもたった一度、あの時釈迦堂刑部と行った川原での組み手のようなものが言えなくもない程度で、段取りの取った武術家との壁越えのための戦いは未だに無い。

 俺の価値は、あるのだろうか。武術家としての現在、価値は無いに等しい。

 S組に居て分かった事。皆が自分の努力、夢、実力に自信を持っている事。天ちゃんにも大分無理をさせるように勉強をさせた。

 対する俺は、右手以外は何の苦労も、努力もなしに唯生きているだけだ。

 否、右手と武術を失って、元々他に何もなかった俺は生きていないのではないか。

 人ごみの中に一人で居ると、度々そんな錯覚に陥る。

 

 

 ぼうっと座っていると俺の前に一人、人が現れた。見覚えも無い女の人のようだ。

「あなたが黒田君ね。」

 少し顔を上げてその女性を見てみたが、学園の生徒なのだろう。この人も川神学園の体操着を着ている。学園では体操着が流行っているのだろうか。

 先程の委員長のように、それを見て鼻の下を伸ばす輩ばかりだというのに、川神学園の女性の感性は変わっているのだなと思う。

「えっと、どちら様でしょうか。」

 黒田君、そういった俺の呼び方から推測するに恐らくこの人は先輩なのだろう。

 あなたが、なんて言い方をするのだから少なからず誰かに俺の事を教えてもらったのだろう。思い浮かぶのはまゆっちだけだから、寮生の人だろうか。

 それとも、武道の関係者か。

「アタシは川神一子って言うの。黛さんにあなたの事を教えてもらって探してたのよ。」

 武神、川神百代は知っていてもこの人の名は知らなかった。

 そして、黛さんが俺を紹介した理由も一目で理解できた。

「才能で届かないのは分かってる。それでもお姉さまの傍に居たい。川神院の師範代になりたい。無茶でもいいの。壁を越える方法さえ教えて貰えれば。」

 明るく喋る先輩の目は澄んでいた。一歩も引かない、引く事のできない、張り詰めたような覚悟と力強さを感じた。


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