サムライ・ドラ   作:重要大事

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龍「うっほん! 皆の衆聞いて欲しい。今回ついにこの爺が主役を張れる瞬間が来た様じゃぞ。老い先短いこんなオイボレにも活躍の機会を用意してくれるとは・・・鬼灯の里編万々歳じゃな」
駱「けどよ、ジイさんが頑張ってる話なんか正直みんな興味ねぇと思うけどな。小汚い爺共がくんぞほぐれつするシーンなんざ、反吐が出る」
龍「くんぞほぐれつしているのはお主のおめでたい頭の方じゃろうが! 拙僧だってそんな話は願い下げじゃ! とにかく、真面目な話をさせてもらうぞ」



如実知自心

西暦5539年 6月22日

鬼灯の里・東北東 『雨水』区域

 

「「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」」

正面からぶつかり合う錫杖と長槍。

 大地を震わす老人と老猿の咆哮。

 とてもじゃないが、両者から感じられる気迫は老いという時間経過を一切感じさせない凄みを秘めたものだった。

(おいおいおい・・・・・・これが俺の知ってる爺さんなのかよ・・・・・・まるで別人の様だ。俺は夢でも見てるのか!?)

 普段の温厚なイメージから乖離している龍樹の立ち振る舞いに駱太郎は些か戸惑いを見せる。

その一方で、龍樹は対峙する怪魔―――【榎のガマズミ】から伝わる凄まじい力を必死で押さえつけ持ち堪えるという現状を維持するのが精一杯だった。

「ほお・・・儂の一撃を正面から受け止めるとはやるではないか。とても骨と皮だけの老人とは思えぬ力。まるで魔術か妖術であるようじゃ」

「拙僧を堅気の老人と思うて侮るなかれ。盛(さか)りの付いた猿を追い払うには棒切れ一本で事足りる・・・たったそれだけのことじゃよ!」

 語気強く言い放うとともに、錫杖でガマズミの槍を薙ぎ払う。

「気に入ったぞオイボレ! 儂も小細工が嫌いでのう!」

 先ほどの衝突で龍樹の力を垣間見たガマズミは、喜々とした顔で手持ちの無双樹を振りおろし攻撃。これを回避した龍樹を執拗に狙い続け、その度に両者は槍と錫杖を交互に激しく交差させる。

「棒切れ一本でここまで這い上がってきた。生物を凌駕する存在へ成り上がろうとも月の上より殴り倒した敵の上に立ちたいのが雄というもの! 地べたを這いずり回っていた頃から何ひとつ進歩してなどおらん。儂たちは揃いも揃ってエテ公よぉ。さぁどちらが猿山の上に立つか決め様ではないか!」

 久方ぶりに躍動する心。

老猿は凶気の眼差しで眼下の龍樹目掛けて槍を振りおろし、完膚無き迄その命を食らわんとする。

攻撃が当たる寸で、咄嗟に龍樹は懐に手を入れ法典を取り出すと真言を唱え防御力を高めた『守護の法典』を展開。ガマズミの一撃を凌ごうとする。

「甘いわ! 必殺・・・揺基自在槍(ゆらぎじざいやり)!!」

無双樹の先端がしなると、ガマズミは鞭の様に縦横無尽に振るい、ゴリ押しで龍樹の防御を破ろうとする。

「グアアアアアアアア」

 圧倒的な力の差を見せつけられ、軽々防御を破られる。老体にかかる負荷は想像よりも重く、駱太郎は龍樹の身を案じる。

「爺さん! しっかりしろ!!」

「戯け・・・この程度でくたばる拙僧ではない!」

明らかなやせ我慢であったが、それでも龍樹は気丈に振る舞い、傷ついた体をゆっくりと起き上がらせる。

「きええええええええええええええ!!!!」

 奇声を発し、錫杖を地面へ強く叩きつける。

 瞬間、ガマズミ目掛けて巨大な包帯が伸びていき、その体を拘束し一時的に身動きを封じ込める。

「諸法無我印、千手金剛杵(せんじゅこんごうしょう)!!」

怒涛の如く金剛杵を手にし真言を唱え、亜空間より千本の腕を出現させるとガマズミ目掛けて狙い撃つ。

 

 ドカーン!!

攻撃を真正面から食らったガマズミ。爆発が起きた拍子にこの一瞬の隙を見逃さず、龍樹は駱太郎を連れて脱兎の如く駆け出した。

「駱太郎! 走れ!」

 力の差は歴然。真面に戦ったところで勝機は無い。そう判断したからこそ、龍樹は賢明な選択肢を取った。

 しかし同時に龍樹の危惧した事もまた現実のものとなった。ガマズミ配下の妖怪たちが龍樹たちの逃走経路で待ち伏せていた。

「やはり伏兵が・・・よいか! 例え何が起きても足を止めるな! このまま脇目も振らず前だけ見て走り続けるんじゃ! できるか!?」

「おいおいいくらなんでもそんな簡単な事もできねぇほどの馬鹿じゃねぇぞ俺らぁ」

 伏兵からの襲撃を躱し、一心不乱に走る二人。

「爺さんよ、俺は今迄一度だってこの足を止めた事はないぜ。俺たち家族のゆく先が明日だと信じて走ってきた。その気持ちはこれからも変わらねぇ」

その言葉を聞いて安心した。

駱太郎が足早に一人走り去ったのを確認した後、龍樹は爆煙の中から現れおもむろに歩み寄ってくるガマズミを前に険しい顔を浮かべる。

「許せ駱太郎・・・皆の者・・・この戦い、老い先短い拙僧では足止めも満足に出来ぬやもしれぬ。じゃが家族を守りたいという気持ちは同じ。老いた身ではあるが、儂も男じゃ・・・・・・自分の戦いは自分で選ぶ」

九条錫杖を握る手を強くし、眼前に佇む凶悪な怪魔を前に龍樹は己の命を差し出す覚悟で戦いに臨む事を決意。凛然と立ち尽くす。

「ここからは何人たりとも通さぬ。拙僧の家族には指本手は出させぬ」

 勇敢、いや最早その行為は蛮勇に等しいと率直に感じたガマズミの口元が緩む。

「お互い歳は取りたくないものじゃのう。思考能力の低下は戦場では大きなハンデとなる。儂との実力差を痛感しながらも味方を逃がす為に盾になるとは。人間の考えることは全く以て理解に苦しむ」

「莫迦を言うな。最初から犬死するつもりならこんな真似事などせん。元より拙僧は貴様を倒して家族の元へ向かうつもりじゃからのう」

「世迷言を。素直に観念したと言えば楽になれるいうのに」

「人生とは葛藤の連続じゃ。最後の最期までもがき苦しむ。それが人間という生き物じゃ。故に儂もまた最後まで足掻くまで―――」

 一切の淀みを含まない瞳。

 しかし、それでいて澄んだ目から伝わる決死の覚悟。

 大切な家族を守りたい―――その為に挺する事さえ辞さない。

龍樹の強い決意と想い、根幹には彼が今までに歩んだ波乱万丈な人生の軌跡が関係していた。

 

 

天文3年(1534年)、秋頃―――。

紀の国(*現在の和歌山県方面)にて、ナーガールジュナ(*2世紀に生まれたインド仏教の僧。大乗仏教中観派の祖の事)の縁者で地方豪族の息子として生まれ、のちに「龍樹常法」と名乗る少年・殿最優哉(とのもゆうさい)。当時の彼は地元でも有名な札付きの不良少年だった。

「莫迦者がぁぁ!」

 悪さばかりを繰り返す野良息子に父親もついに堪忍袋の緒が切れた。

 息子の顔面を容赦ない拳骨で殴り付け、庭先へ放り出すとともに語気強く息子・優哉へと言い放つ。

「貴様みたいな空け者は勘当だ! 二度と我が屋敷の敷地に踏み入れる事は罷りならぬ!」

「・・・上等だ! こっちだってな、こんな弱小豪族なんざ端(はな)から継ぐ気なんてなかったさ。勘当されて清々してるよ!」

「そうかっ! こちらも貴様の様な悪童が居なくなってくれるだけで大助かりだ。何処へなりとも勝手に行け。そして勝手に死ぬがいい。優哉よ!」

 優哉が勘当を受けて間もなくの事、殿最家は中央集権による国家平定を企てる戦国武将による圧力に屈した結果、没落。歴史の表舞台からその名を消す事となった。

 

 数年後―――。

 元服迎えた優哉は、下克上の風潮漂う世の中で一旗揚げようとし、幼い頃より鍛えた武術と生まれ持った思慮深さから各地の戦に赴いては功績をあげ、めきめきと頭角を現すようになった。

 そしてついには、『甲斐の虎』の異名を持ち当時戦国最強と称された猛将・武田信玄の小姓にまでのし上がったのだった。

 

 

 さらにその三年後、優哉は運命の女性との出逢いを果した。

 ある土砂降りの日、神社の境内で雨宿りをしつつ煙管を嗜んでいた折、その女性は走って来た。

「うわあああ・・・!」

 全身雨でずぶ濡れとなりながらも雀斑(そばかす)の女性はどこか楽しげに笑っていた。

 奇特な女だ・・・、内心そう思っていると、女性の方から優哉へと気さくに話しかけて来た。

「あ~・・・。ふふふ。振られちゃいましたね。もうびしょびしょ」

「・・・・・・そんなにずぶ濡れで、何ゆえ笑っていられる?」

「わたし・・・好きなんです。雨」

 雨が好きだと? ますます奇特な女だ・・・。そう思っていると、不意に女性は尋ねた。

「あなたも好きですか?」

「え」

「雨?」

 別に雨を好きだと思った事はない。

 だが、目の前の女性に問われると嫌いであるとも言えない気持ちに駆られた。

 

「嫌いなもの?」

 何気ない会話をしていく内に互いに惹かれあい、交際を重ねる様になった二人。

優哉からの質問を受けた女性―――寧子(ねこ)は思考し、やがてパッと晴れた笑みで答える。

「あ、侍。死ぬほど嫌い」

それを聞いて優哉は絶句する。

今の自分の仕事こそ正に彼女の嫌いな「侍」であった。

「あなたのお仕事は?」

 逆に質問され、彼女に嫌われたくない一心で優哉はぎこちない顔で嘘をつく。

「しょ、商人を・・・・・・生業としている」

 

その後、交際を重ねて行った二人は当時政略結婚の体系が多かった世としては珍しい恋愛結婚を経て結ばれる事となった。

優哉と寧子と祝言を迎えてから僅か一年半後、二人の間に待望の子供が生まれた。生まれたのは寧子似の男の子だった。

元気な産声を上げる我が子を愛おしく抱きつつ、寧子は問う。

「あなた、この子の名前は?」

「そうだな・・・・・・眞魚(まお)、というのはどうだ?」

「素敵な名前ね」

 

 子供が生まれた事で、優哉は益々仕事に励む様になった。

ただし、最愛の妻である寧子が大の侍嫌いである事からいつ自分の嘘がばれぬかと内心冷や冷やしながらも、極めて順風満帆な日々を送っていた。

だが、その幸せ余りにも唐突かつ残酷な形として訪れた。

 

出稼ぎと称し一週間戦で家を離れていた間に、優哉の村は大火に襲われた。

「早く離れるんだぁぁ!!」

「こっちにも火の手が回っているぞー!!」

村人が次々と火の手から逃れる為に逃げていく中、優哉は一人呆然と立ち尽くし眼前を見据える。

自分の帰りを待つ家族が待つ家が無残にも炎とともに消えていく。頭の中で何度も夢だ、現だと言い聞かせる。

しかし、現実はあまりにも残酷で非情だった。逃げ遅れた妻子諸共炎は全てを灰燼と帰すまで燃やし尽くす。

 家族の死を受け入れた直後、膝から崩れ落ち、優哉は暫し燃えゆく我が家を呆然と見つめ続けるのだった。

 

 

 絶望に直面したとき、人は身も心も打ちのめされる。

 優哉とて例外ではなかった。偶然と必然が織り成すリズムによって、妻子を失った彼の心はぽっかりと孔が空いた。

 ―――妻子に嘘を付いていなければこんな事にはならなかったのだろうか。

―――神は自らの過ちと所業をしかと見ていたのだろうか。

自分をどれだけ責めても責め足りない。全ては後の祭り。懺悔をしたところで妻子は二度と戻って来ない。

愛する者たちへ嘘をつき続けた自らの行いを悔い、すっかり生きる気力を無くした優哉は毎日亡くなった家族の墓前に座っては抜け殻の様な日々を送った。

 だがそんな折―――人生のどん底にあった彼を救い出してくれたのが、死した寧子の母親であった。

「優哉よ。あたしは今でもお前を許す事は出来ぬ。当然じゃ。手塩にかけて育てた娘とその孫を見殺しにした男を許せると思うか?」

「・・・・・・・・・」

 じゃが・・・。そう言いつつ、娘の墓碑に花を添え手を合わせるかたわら、腰を据えて抜け殻となっている優哉へと語り続ける。

「お主がそれほどまでに心を痛め、己が後悔に満ち死人(しびと)の様なその顔を毎日拝む事はこの上も無く忍びない。のう優哉・・・・・・後悔をしているのなら、あの子たちの分まで生きろ。泣いたっていい。弱くてもいい。お前さえ生きていればあの子たちも心浮かばれようぞ―――・・・」

 ポタンっ・・・。

 枯れ果てて孔の空いた龍樹の心に人の温かみが染み込んだ。それを感じられた瞬間、乾いた双眸から涙がはらはらと落ちた。

 

 

 このことがきっかけとなり、優哉の人生は大きな転換点を迎える事となった。

妻子を失った後、長き自問と葛藤の末に優哉は自らが生きている事をこう解釈する様になった。

“自分は現世に生き残された(・・・・・・)”と・・・・・・――――――。

人間とは頼んで生んでもらうのではない。生を与えられるものである。そして妻子が居なくなって「生き残されて」しまう。

―――何故自分だけが生き残った、もとい「生き残された」のか。

―――だからこそ、自分には何か使命があるはずだ。

―――だからこそ、自分は今を生きているのだ。「生き残された」からにはそれなりの理由があるはずだ。

答え無き答えを追い求めるかの如く、優哉はそれまでの自分を捨て去り無心となるべく、武士としての身分を放棄した。

・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・

 ・・・・・・

 ・・・

 

 

現在―――

鬼灯の里・東北東 『雨水』区域

 

「ぬあああああああああああああ」

 老猿の咆哮とともに襲い掛かる目にも止まらぬ槍撃。

 必死で九条錫杖で受け流しては攻撃の間隙を窺うものの、龍樹の考えているほど怪魔は甘くも優しくもない。

 老いた身だからこそ備わる海千山千。

龍樹の常人離れした体術を以てしてもガマズミの眼には止まって見える。正面からの猛攻をさらにそれ以上の力でねじ伏せる。

「必殺! 葉隠不死計(はがくれふしのけい)!」

長槍で天を突いて出現させた大量の葉。無数の葉はガマズミの分身となって龍樹を包囲。手数に物を言わせて攻撃を行う。

「珍妙な術を使いおって・・・小賢しい!!」

語気強く言い放ち、錫杖を地面に一突きす。

「諸行無常印・・・参之型(さんのかた)・釈迦腕(しゃかのかいな)!!」

 亜空間より出現する釈迦の腕が有象無象のガマズミの心臓を貫く。

 分身体のガマズミは心臓を一突きされると力を失い元の葉へと戻る。

一方、本物のガマズミは龍樹の技には屈せず、槍を突き立て真正面から襲い掛かる。

「もらったぁぁぁ!!!」

「まだじゃぁぁぁ!!!」

 凶悪な顔で迫られた瞬間、龍樹の防衛本能が機敏に働きかける。胸元を少し掠った程度で後退し、命拾いをする。

 あとほんの少し踏み込みが早ければ確実に心臓を突かれて死んでいた。元来備わった高い生存能力より龍樹は危機を脱し難を逃れる。

だが、状況は決して良いと言う訳ではない。寧ろその逆で、龍樹の体力は今の一撃で急激に消耗した。

「ぐっ・・・・・・」

夥しい汗が顔中から噴き出し、掠った際に出来た胸の傷を左手で押さえる。

対峙するガマズミは殆ど傷一つ付いていないのに、自分は時を経る度に傷つき弱くなっていくばかり。

ここで諦めてしまっていっそ楽になるべきなのだろう・・・・・・という弱い考えを抱く様な龍樹ではなかった。

体力で勝てぬのならそれ以外の術で相手を上回ればいい。

肩で息を整え、龍樹は胸の手前で左手の人差し指を立て、右手でその指を握りおもむろに目を瞑る。

「ナウマク・サマンダバザラダン・カン・・・・・・ナウマク・・・」

真言を唱える龍樹は「智拳印(ちけんいん)」と呼ばれる仏の智慧を象徴する印を以て法力を高める。

すると、全身から神々しい光が溢れ龍樹の全身をゆっくりと包み込む。ガマズミも未知なる力を発動させた敵の変化に警戒心を露わにする。

「諸法無我印・・・・・・」

 おもむろにそう唱えた直後、龍樹の手持ちの錫杖が三又に分かれた「戟(げき)」へと姿を変える。さらに全身を包み込む光が次第に赤く染まり、蒸気の如く黙々と噴き出す。

(赤い蒸気じゃと・・・・・・!?)

 著しい肉体の変化に吃驚し目を皿にするガマズミ。

 このとき、龍樹の体から発せられるのは自らの血液そのものだった。己の血を糧として龍樹は次に仕掛ける一撃に全てを懸けるつもりだった。

 やがて、戟へと変わった武器を手に龍樹は額の血管を浮かび上がらせ突進。ガマズミ目掛けて凄まじい猛撃に転じる。

「軍荼利三叉明王戟(ぐんだりさんさみょうおうげき)!! ぬらああああああああああああああ!!!」

 五大明王の一員にして、南方を司る軍荼利明王の力をその身に宿した怒涛の一撃。

 とぐろを巻く蛇を彷彿とさせる槍撃はガマズミの体を容赦なく啄み、譬え相手が戟を弾いても龍樹の意思とは無関係にしつこくまとわりつく。龍樹そのものを傀儡の如く扱ってまで攻撃一切に身を捧げる。

「ぐっおおおぉぉぉぉぉ・・・・・・」

 ある種己の意思すらも放棄して恐ろしい威力と執念を見せつけられた。ガマズミは戟による一連の攻撃を食らい、相当の血を失った。

 だがそれはまた龍樹も同じ。技の発動の代償として己の血を相当に消費した。

外側か。内側か。どちらにせよ老いた生物にとって多量の血の損失は生命維持に著しく関わる話である事に違いは無い。

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・これで・・・少しはは利いたであろう・・・」

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・この儂に一矢報いる為にここまで・・・・・・肉を切らせて骨を断つ・・・もとい、血を断つとは大したものよ。だがっ―――!」

 言うと、無双樹を握りしめて跳躍。龍樹の懐へ潜り込んだ瞬間、体を豪快に中空へと打ち上げる。

「ぐはっ・・・・・・」

思いがけない攻撃に龍樹は驚く暇さえ無かった。

水月(*人体急所のひとつ。みぞおちの事)に強い痛みが走ったと思えば、全身を打ちつける岩のゴツゴツとした固い部分が神経を鋭く刺激する。

ただでさえ失った血を口から余計に吐きながら中空高く放り上げられると、真上のガマズミが長鎗を大きく振りかざしていた。

「これしきの事で怪魔を仕留められると思うてかぁぁ!! 甘いわぁぁ!!」

 ドンッ―――!!

正に非情にして無慈悲。

 圧倒的破壊力の槍撃が真上から振り下ろされた瞬間、龍樹の肉体は大地へと激しく叩きつけられる。

 

 

天文23年(1554年)、春先―――

自ら僧として生きていくことを決め、仏門へと入って行った優哉は、比叡山延暦寺にて天台宗へと帰依。

名も殿最優哉から祖先よりその名をとった【龍樹常法】と改めた。

 

 

得度して天台宗の僧侶となった龍樹常法は、これまでの行いを懺悔するかの如く熱心に修行に励んだ。

誰よりも真面目に、誰よりも勤勉に努め、率先して人の為に尽くす事を良しとした。同時に誰よりも自分に厳しくあるべきだと考え、厳格なまでの禁欲主義に傾倒した。

武士だった者が出家して僧となる事はこの時代さほど珍しい話ではない。ただ、龍樹の様な凄絶で数奇な人生を歩んで来た者もそう多くは無い。

生き残された―――日々の修行を行う中で脳裏を過る言葉。

自らの使命を体現すべく、龍樹は日を追うごとに過酷な修行に没頭した。

そしてついに、天台宗比叡山延暦寺の中で最も過酷とされる修行―――千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)―――を行ったのだ。

 

『千日回峰行』

 

現在の京都・滋賀にまたがる比叡山にある約260の場所を礼拝(らいはい)しながら渡り歩く修行。

およそ7年のスケジュールがあり、「千日」と言われているが、実際に歩くのは975日間、残りの25日間は「一生をかけて修行をせよ」という意味が込められている。

1年目から3年目は1日30キロメートルを100日間。4年目から5年目は1日30キロメートル200日間。6年目は1日60キロメートルを100日間。7年目になると1日84キロメートルを100日間、同年内に1日30キロメートルを100日間でこなすというハードスジュールとなっている。

総移動距離は約4万キロメートル。これは地球一周分の長さに匹敵する。

無動寺で勤行のあと、深夜1時に出発。真言を唱えながら東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)、日吉大社と260箇所で礼拝しながら、山道という決して平坦でない道のりおよそ30キロメートル を平均6時間で巡拝する事になる。

 蓮華の蕾(つぼみ)をかたどった笠をかぶり、白装束、草鞋履きで行う。

途中で修行を続けられなくなったとき、行者は自害する。そのための「死出紐(しいでのひも)」と、短剣、埋葬料10万円を常時携行する。

この修行では、険しい山道を雨の日も雪の日も、たとえ自分が病気になっても歩き続けなければならない。

そして、これほどまでに過酷な修行の中で行者が摂る食事は―――うどん、豆腐、じゃがいも等という質素な物。睡眠時間は僅か3時間余り。

ゆえに行者は生半可な覚悟では望む事は努々あってはならない事なのである。

 

なお、千日回峰行では5年目700日を満行した後、『堂入り』と呼ばれる最も過酷な修行が9日間に渡り行われる。

入堂前には行者は生き葬式を行い、無動寺明王堂で足かけ9日間(丸7日半ほど)にわたる断食、断水、不眠、不臥という尋常ならざる無行に入る。

堂入りの間は一日一度仏に備える水を井戸に汲みに行く以外、一切外に出る事は出来ず―――ただ只管(ひたすら)堂の中で経を読み続けるのみ。

食べる事はおろか、水分補給も、眠る事も、臥せて横になる事すら罷りならない。

人の命と向き合うこの修行に龍樹は真正面から挑み、あろう事か二度に渡る満行を達成。さらには「常行三昧」と呼ばれる厳しい行を若くして達成した。

 

 しかし、いつの頃からか龍樹は落胆し、一つの袋小路に陥った。

 どれだけ自分を律し百万回の般若心経を読んでも、どれだけ厳しい修行に没頭しても、自分が追い求めている真理を何ひとつ見出せなかった。

事実、回峰行を達成した暁―――ある種の満足感と達成感は得られたかもしれないが、だからといって世の中の真理を、探し求めている存在義を見出せたかと言えば、答えは「ノー」である。

 探求する心理は遥か向こう側。このまま比叡山に籠っていても、何も見出せぬまま朽ち果てるやもしれない。龍樹の中の危惧は日に日に募っていった。

永禄12年(1569年)―――35歳のとき、千日回峰行を満行した者のみが与えられる「北嶺大行満大阿闍梨」の称号を捨て去り、龍樹は比叡山から出奔。その後は密教の教えを取り入れた高野山真言宗へと改宗した。

 ・・・・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・

 ・・・・・・

 ・・・

 

 

現在―――

鬼灯の里・東北東 『雨水』区域

 

多量に舞い上がる土煙。

ガマズミは自らが手に掛けた獲物の最期を見届けようとじっと目を凝らす。

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・お互い歳は・・・取りたくないものじゃな。しかし惜しい事よ・・・その腕があれば我ら五凶怪魔に匹敵する地位も力も得られただろうに・・・だが楽しかったぞ。龍樹常法」

 久しぶりに心躍った戦いだった―――そう思っていた矢先。

「・・・っ!」

 目の前の光景に絶句。ガマズミはその瞳に映る獲物の姿をまじまじと見つめる。

 あれだけの攻撃を受け、多量の血を失ったにも関わらず、龍樹常法は満身創痍の肉体ながらも力強く立ち尽くし、かつ無双樹の先端を素手で握りしめていた。

「なまぐさ坊主を・・・」

 言いながら、金剛石並みの強度を誇る九条錫杖の先端を以て、ガマズミの水月を渾身の力で突く。

「舐めるなぁぁぁ!!!」

「ぐああああああ」

 突かれた場所が血で滲み、内部から押し出す様に吐血。

 ガマズミは錫杖を掴んで龍樹ごと周りに岩岩へと打ち付ける。

 赤々と滲む胸部の痛みに悶え、呼吸もし辛くなる中、龍樹は人が変わったかの如く勢いで飛び出すと、正気の沙汰とは思えぬ特攻振りを披露する。

(こやつ・・・さきほどまでと明らかに別物じゃ・・・守りを放り投げた野獣のような攻め・・・キレて我を忘れたか?)

 成熟した生物特有の強かさが無くなり、代わりに備わった血気盛んな威風。

龍樹常法とは最初からそう言う男だったかと熟考しながら、目の前で攻撃を繰り出す龍樹常法の皮を被った別の何か(・・・・・・・・・・・・・・)と死合を繰り返す。

(だが手数だけじゃ本物の野獣は止められんぞ!)

 牙を剥く龍樹の猛攻を抑え込み、ガマズミは右腕を振りかざす。

「必殺!! 猿臂断固破砕(えんぴだんこはさい)!!」

振りかざした右腕が伸縮自在となり、その腕で龍樹を乱打する。

しかし、ガマズミを待ち受けていたのは予想外の展開。薄皮と骨だけの左腕が使えくなる事を覚悟で龍樹は敵の右腕を封じ込める。

ガマズミが怯んだ隙を見逃さず、雁字搦めにまとわりつく。そして間髪入れず戟をガマズミの左腕に突き刺す。

「き、きさま・・・ぁ・・・」

 不敵に笑う龍樹の顔面を蹴り倒した暁、ガマズミの左腕は斬り落とされた。

 岩に体を打ちつけられた龍樹を見据えると、残った右腕に無双樹を握りしめ突撃す。

(こやつは我を忘れてなどいなかった・・・捨てたのだ! 我を! 己の意思で! その命をもって儂の命を絡め取るために!)

 不必要なものを棄てる事で得られた境地。

 己という限界を超える為に龍樹常法が見出したのは最も単純な悟りの形―――無我―――であった。

「いやあああああああああ!!!!」

 前方から伸びて来た無双樹をへし折り、口に咥えていた戟でガマズミの体を切り裂く。

(大した覚悟じゃ・・・ますます惜しい男よぉ!)

 ここで殺すのは本意に反する。

 主人の命令とは言えここでこの男を殺すと死ぬほど後悔する気がしてならい。ガマズミは龍樹の戟を受け止め、鋭い眼光で言い放つ。

「命はやれんが儂の心はそなたに持っていかれたぞ!」

 戟の先端を破砕。高所から龍樹を突き落とし、岩肌へと叩きつける。

「本物の戦はこっからじゃぞ! 頼むぞ僧侶! まだ貴様には死んでもらうの忍びない!」

 岩肌に体を激しく打ちつけられる最中、咄嗟に折れた戟の先端をガマズミの胸へと突き立てた龍樹。

 その際にガマズミの力が緩み、両者は大地へ叩きつけられた拍子に無造作に転がった。

 手持ちの武器らしい武器は無くなった。残ったのは疲弊した体のみ。

「ようやくエテ公らしい戦いになってきたものじゃの・・・」

軋む体に鞭打つつもりで左腕の無くなった体を起こし、ガマズミは目の前で倒れる龍樹を見る。

「互いに・・・獲物は身一つしか残っておらん・・・やはり雄とは雌と違って単純なのがいい、そうじゃろう!」

「身一つ・・・? 碌に四肢も動かぬ奴がよく言うわい・・・」

 反論しながら龍樹も満身創痍となった体をゆっくりと起こして立ち上がる。そしてよたよたと前へと歩き出す。

ガマズミも龍樹へよたよたと向かって行きながら「生憎・・・儂にはとっておきがまだ残っていてのう・・・」と口走る。

対する龍樹も「奇遇じゃな。拙僧もじゃ」と、口元を緩める。

向かい合う両雄。

灰色の空から降り続ける雨に体温を奪われ、傷口に雫が滴る度に体が悲鳴を上げる。

だがこればかりは決着を付けなければならない。誰が何と言われようと、この戦いの決着をつけるまでは己の足で立ち続けるのだ。

頃合いを見計らい、老いた身の両者は互いに同じ思考に達し―――何の躊躇いも無く頭部を前へと振りかざす。

「「ぬあああああああああああああああ」」

 

 ゴンッ―――。

 

実に単純かつ強力な攻撃だった。

身ひとつ残っていない二人は最後の武器として残った石頭を差し出した。

果し合いの末、両雄は鋭い眼光で睨みあった後、ほぼ同時に後ろへと倒れ沈黙。しばしの静寂が辺り一帯を支配する。

「・・・・・・戦は頭でするものではない・・・・・・パチキでするもの、か・・・・・・なるほど・・・・・・リンドウの言っていたのはこういうことか・・・・・・結局・・・・・・最後の最期で奴の言葉に惑わされるとは・・・・・・これだから年は取りたくないものじゃ・・・・・・」

 五凶怪魔で最も若い仲間が言っていた言葉が頭を過る。

 本当ならこんな泥臭い戦い方をするのは自分の流儀に反していた。

だが結果的にそうでもしなければならなかった。悔しい反面、どこか清々しい気分のガマズミの言葉を聞きながら、龍樹は天上を仰ぎ見ていた。

「長き修行の末に見出した無我の境地・・・・・・実に見事じゃったぞ・・・・・・人間が人間を超える瞬間を儂は初めて見た・・・・・・一体・・・なにがお主をそこまで駆り立てた? お主は修行の末に何を見出せた?」

 戦いの末に急速に朽ち果ててゆく肉体を懸念し、龍樹自身に戦いの中で見つけた疑念一切を振り払おうと焦るガマズミ。

「色即是空(しきそくぜくう)・・・空即是色(くうそくぜしき)・・・」

 そう唱えた龍樹は、依然として天上を見つめながら自らが見出した真理の答えひとつひとつを言霊に乗せて伝える。

「人間のすることに偉いも偉くないもない。神仏から見れば全てが平等じゃ・・・毎日毎日自分の出来ることをやっていたまでのこと・・・」

 この思考に至るまでの道のりはガマズミには到底想像し難い物だろう。それでも龍樹の言葉を黙して聞き入れる。

「自分は何のために生まれてきたのか・・・何をするべきか問い続け・・・その為に若い頃は厳しい修行に没頭し続けた。じゃが・・・回峰行やその他苦行で得たものなぞ何もなかった。じゃがおかげで今がある。良き事も悪しき事も・・・ありのままに自分を受け入れたとき・・・・・・拙僧の身に人を救う為の力が宿った・・・・・・」

「如実知自心(にょじつちじしん)・・・・・・という奴か」

 

『如実知自心』

 

実のごとく自心を知るなり―――ありのままの己の心を知るという意味のこの言葉は、真言密教の心髄、即身成仏の教えの根本にあるものだ。

人間は不完全ゆえに間違いも犯す。それゆえに人間はすべて菩薩であり、完全な存在=仏に成る為に修行をする。そして、この世界・社会こそが修行道場そのものである。

人々は共に修行する仲間である。だから、助け合い、導き合う。その姿が、菩薩の本当の姿であり、人間の本当の姿である。良い事も悪い事も包括して自分自身であることを知ることが悟りである。

長き修行と旅の末にこれこそが解脱の真理であると事に気付いた龍樹は、それを象徴するかの様に『三法印』の力を備わったのだ。

「じゃが・・・たとえそれだけの力を得たところで、儂は結局己の過ちの為に愛する妻と我が子ひとり助けられないただのちっぽけな人間じゃ・・・・・・そんな空っぽだった儂に再び意味を与えてくれたのは・・・・・・今の家族じゃった」

 意味も無く空のままに各地を行脚していた龍樹の前に現れた一匹の魔猫。

 それに惹かれて続々と集まる者たち。そしていつしか自分もその輪に加わりひとつの群れを―――家族を形成していた。

「図々しくも人の中にズカズカと入り込み、空っぽだった器に意味をくれ、拙僧にもう一度生きるための力をくれた。その時になってようやく気付いた。儂は何も失ってなどいなかった。ただ臆して背を向けて逃げ回っていただけじゃったと」

 言うと、朽ち果ててゆくガマズミを見下ろしながら、龍樹は和やかな笑みを浮かべる。

「あの時に救ってもらった命・・・拙僧はもう逃げも隠れもせん。守ることも失うことも。この命朽ち果てるその日までは、この歩みは止めはせん。己の魂の赴くままに突き進む。己の魂が喜ぶ生き方をする。さすれば道は開かれん―――そう信じている」

「・・・・・・・・・そうか・・・・・・お主みたいな生き方・・・・・・さぞ幸せであろう・・・・・・」

 この上も無く龍樹の如く生き方に羨望する。

 最後の最期で目の前の男と戦えた事を人生の矜持と掲げながら、榎のガマズミは怪魔としての生を全うし、塵となって空へと昇って行った。

 空へと昇って行く敵の姿を仰ぎ見ていた時、降り続いていた雨がいつの間にか止み、厚い雲の隙間から淡い陽の光が差し込んでいた。

 そのとき、龍樹は光の向こうに死した妻と息子が自分へと微笑みかけているように思え、思わず破顔一笑する。

「寧子よ・・・・・・お主の好きだった雨は・・・・・・止んだみたいじゃ」

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

編集・発行人:瀬戸龍哉 『仏像イラスト事典 見て楽しむ仏教の世界』 (株式会社G.B.・2010)

 

 

 

 

 

 

短篇:もしもドラえもんのひみつ道具をひとつだけもらえるとしたら

 

 注意:これは、ただ登場人物が己の理想と夢を語るだけで特に何かが起こる訳でもない不毛な物語である。

 

 

 

TBT本部 食堂ホール

 

 ある昼食時のこと。

 サムライ・ドラは太田基明と二人で昼食を摂りながら、こんな話をしていた。

「太田君・・・お詳しい君にひとつ質問があるんだ」

「はい?」

「ひとつだけもらえるとしたら、『ドラえもんのひみつ道具』は何が良いと思いますか?」

 聞いた瞬間に太田は沈黙。

 数秒間の沈黙が辺りを支配し、やがて閉ざされた口を開く。

「・・・・・・ずいぶんと、唐突ですね」

「唐突だね」

「えっと・・・・・・ドラえもんのひみつ道具ですか?」

「だから、ひとつだけもらえるとしたら」

「聞こえてますよ、だいじょうぶだいじょうぶ。僕が言いたいのはそうじゃなくて、なぜにその話題なんですか?」

 何の脈絡も無しに始まった話であるとともに、太田が最も気になったのはドラえもん嫌いな筈のドラがどのような意図でその話を振ろうと思ったかである。

「僕はその・・・今年で25ですよ。ドラさんに至ってはその・・・嫌いじゃないんですか、ドラえもんネタ?」

「他人にネタにされるのは嫌いだよ。自分で話す分には然程嫌いじゃない」

「それにつけても、いい年下大人がドラえもんのひみつ道具なにもらうって何なんですかね?」

「だからこそだよ」

「だからこそ? すいませんどういう事ですか?」

「この歳にもなるとね、世の中の矛盾とか、社会の問題点とか、リアルに感じるわけなのよ」

「ドラさんの歳は分かりかねますけど・・・確かに、子どもの頃よりは切実に感じたりしますもんね。特に僕らみたいな仕事してると」

「やり場のない怒りとか、遣る瀬無い気持ちとか、年を重ねるごとに増えてくるわけだ」

「いやわかりますよその気持ちは」

「そんなときふとね・・・ドラえもんが居たらなぁって思ったんだよ」

「はぁ・・・そうですか」

(目の前にいるんですけどね、形だけの人は・・・)

 などとは絶対に口には出さない。出したら最後、どんな理不尽な制裁を受けるかは目に見えている事だから。

「幼稚だなぁっていう自覚はあるよ! でもね、藁にも縋るじゃないけど・・・ドラえもんにも縋りたいっていう気持ちはあるわけよ!」

「いやわからないわけじゃないですよ! 僕だってそう言う時がありますよ!」

「たとえば新聞なんか読んでるとさ・・・」

「いやー、暗いニュースが多いですもんね」

「龍樹さんが言うんだ。ほんとに目が霞むって」

 自分の事をてっきり語るのかと思えば、まさかの身内の話が飛び出した事に太田は一瞬かける言葉を見失った。

「近づけても全然見えないっていつも言ってる。でも放すと見えるんだ。このメカニズムがわからないっていつも一人で愚痴ってるよ」

「はぁ・・・・・・それで?」

「そんなとき、ドラえもんが居たらなぁってー」

「あの、今我々認識がすれ違ってますね。このままだとアンジャる」

「アンジャる(・・・・・)って?」

「“アンジャッシュみたいになる”って事です。これは良くない。ていうか何ですかその話? それだったら老眼鏡かければ済む話でしょうが。わざわざドラえもん呼ぶまでも無いじゃないですか。もうちょっと違う悩みかなぁーって思いますよ、その雰囲気で話されたら」

「あとR君がね、物覚えが悪いとも言っていた」

「物覚えですか?」

 また身内の話かよ・・・内心そう思いながら、太田はひとまず話は聞く事にした。

「たとえばありがたい話、R君の癖にドラマのオファーをもらったりすることがある訳だよR君の癖に。でも知っての通り彼はクルクルパーだから、ちっとも台詞が頭に入らないんだって。だから台詞を覚えられるようなアイテムが欲しいって・・・」

「それだったらあれもらえばいいんじゃないですか、『アンキパン』ですよ。これならドラえもん呼ぶ価値はありますよ。ほら『テストにアンキパン』ってあったでしょ? なんか食パンみたいな形のものをですね、教科書にぺたっと貼り付けるとその裏が全部写って、それ食べたら全部覚えられるってやつ。あれをもらえばいいんじゃないですか?」

「アンキパンね・・・なんかなぁ・・・」

「何が不満なんですか?」

「だってパンでしょ? 食べれても3、4枚ってところかな。オイラはパンよりご飯ものが好きなんだけどな」

「いや別にドラさんが食べる訳じゃないんでしょ。駱太郎さんが食べる体で話してましたよね?」

「それでもパンはちょっといただけないな。だって食パンでしょ? すぐ腐っちゃうし味一緒じゃん!」

「それだったらバターとかジャムとか塗って食べればいいんじゃないですか?」

「お馬鹿。ぺたってするだけで文字が写るパンなんだ。バターなんて塗ったら文字が滲むじゃん」

「じゃあぺたっとする前にバター塗って、それからぺたっとすればいいんですよ」

「そしたら台本汚れるでしょう?」

「いいじゃないですか、ドラさんが使う訳じゃないんだし。それで覚えられるなら多少汚れたって・・・」

「でも監督に悪いでしょう? 台本汚したら!」

「そこでどういう気の遣い方してるんですか? アンキパンもらいましょうよ」

「大体さ、たった一度しかもらえないドラえもんのひみつ道具で『アンキパン』ってもったいなくない?」

「そりゃもったいないですけど・・・もったいないと思いますけど、駱太郎さんが台詞を覚えられないって言うものだから人が親切にそういうご提案をしたわけですよ」

「そしたら自力でやらせるよ。どうせそんなにドラマの話とかも来ないしね」

 うわー、めんどくさいわー・・・。内心そう思いながら、「じゃあ違う悩み聞かせてくださいよ」と太田は話題を変えさせる。

「あのね・・・家とかに帰ると、ちょっと不規則な事もあるし、泊まりも多いもんだから・・・飼ってるペットが大長官だけ懐かないって」

 またしても自分の話ではなく他人の話、しかも上司の悩みを口にするドラ。太田は面を食らった様子で話の無いように言及する。

「いや・・・それも他人の悩みですよね? 大長官の悩みですよね? なんでドラさんが他人の悩みを僕に相談してるんですか?」

「だからね、真夜さんとかにはすっごく懐いてるんだ。でも大長官が帰ると、初めて見たっていうみたいな顔をして、歯むき出して吼えるんだよ」

「確かにそれは辛い話ですね」

「辛いんだよ! 大長官いっつもしょげてるんだよ! 折角ストレスも溜めまくって帰って来てるのに、そんな仕打ちをされたらさ。だから少しでもペットが懐くような道具をさ・・・」

「いい道具があります。それだったら『桃太郎印のきびだんご』です」

「桃太郎印のきびだんご?」

「ほら、それ食べたらどんな動物も懐くって言うあれですよ。映画だと『のび太の恐竜』だったらティラノサウルスも懐いたぐらいですから」

「ジュラシック・クライシス編でも使いたかったねできれば」

「そうでしょう。きびだんごもらいましょう」

「でもそのきびだんごだけど・・・カロリーは大丈夫かい?」

「カロリー?」

「いやー、大長官その手の事にうるさいんだ。イヌを長生きさせようと思ったらいつも決まったドッグフードが良いようってこの前テレビで見たわけだよ。それをさ、真夜さんの陰に隠れてさ、得体の知れないきびだんごを渡しているのを見られたらさ、真夜さんや長官に怒られちゃうわけだ」

「じゃあそう言うリスクが無い物としましょう!」

「無い物とするの?」

「だから低カロリーで、ワンちゃんにも優しくて、ワンちゃんも長生きするものとする! それならきびだんごでいいんじゃないですか」

「それは追加注文は出来ますか?」

「なんですか追加注文って?!」

「杯家には二匹いるんだよ。がっつく方のイヌがさ、がっつかない方のイヌの分まできびだんご食べる可能性があるから、ちょっと足りなくないかっていう事も考えられるわけだよ」

「では追加注文も出来るものとします! 言ってくれたら翌日Amazonが届けてくれるものとします!」

「楽天カードは?」

「使えます! すべての決済は楽天カードが使えるものとします!」

「ポイントは?」

「溜まります! 今なら7000ポイントプレゼントします!」

「完璧だね!」

「それだったらいいでしょう!? 桃太郎印のきびだんごにしましょう!」

「でもさぁ・・・」

「なんですか!?」

「結局はきびだんご、もといドラえもんの力を使ってやっとこさ懐くんでしょ?」

「そうですけど・・・」

「そんなイヌをね、果たして心から愛せるだろうか?」

 まためんどくさい事を言い始めたよこの人は・・・。ドラの発言ひとつひとつを対処するごとに太田はストレスを募らせる。

「してくださいよ。しなかったら元も子もないでしょう」

「ちらつくと思うんだよね。きびだんごが!」

「ちらつくって何がですか?」

「ぺろぺろイヌが舐めてもさ、こいつきびだんごだもんなーって思った瞬間、興ざめだよ!」

「いや・・・懐かれただけでもアリとしてくださいよ、OKにしてくださいよ!」

「大体さ、たったひとつしかもらえないひみつ道具をさ・・・『桃太郎印のきびだんご』ってもったなくない?」

「もったいないですよ! ずば抜けてもったいないですよ! でもドラさんが大長官の飼ってるペットが懐かないって言うからそういうご提案をしただけで・・・」

「じゃあさ、ちょっとお詳しい太田君に逆に聞こうか。お前だったら何を選ぶ?」

「僕ですか?」

 この流れで逆質問をされるとは思ってもいなかった。太田は慌てて考えると、自分が選んだひみつ道具の名をドラに告げる。

「僕ならそうですね、もらえるなら今だったら『どこでもドア』ですよ」

「なるほどね」

「だって研修で海外に行くことも多いわけですよ。飛行機ったって何時間も座ってたら疲れますからね。その点どこでもドアがあれば世界中行ったり来たりし放題ですよ。それならどこでもドアをもらいましょうってなりません?」

「でもさ・・・さすがにマイルは溜まらないでしょう?」

 何を言ってるんだこの人は・・・。荒唐無稽にもほどがあるだろうと思いつつ、下手に怒らせない様気を遣い、太田は冷静なツッコミを入れる。

「いやいや・・・ドアを出入りするだけで誰がマイルを寄越すんですか? 溜まる訳ないでしょう」

「いや移動したわけだからさ、ちょっとしたお得感って奴がほしいじゃん」

「なんですかお得感って?」

「あと二回、二回乗れば沖縄に行けるとか!」

「沖縄も行けますよ、あっという間に」

「あと十回でハワイただとか!」

「いやいや、どこでもドアがあればハワイもアメリカもヨーロッパもただで行けます! それこそ海外旅行いっぱい行けばいいんですよ」

「いやだって怖いよ」

「何が怖いんですか!?」

「正規のルートで行きたいんだよ!!」

「なんすか正規のルートって!?」

「だって税関も通らずパスポートも持たず入国するんでしょ? 犯罪だよ!」

「そんな言い方しなくても・・・ドラえもんでそんなシーン無いじゃないですか? のび太君にパスポート見せるシーン」

「だってのび太だもん! ドラさんや周りの人は多分違うよ! ほら、急に税関のオジサンが現れたらお前誰だよって言われるよ。どっから来たんだって? そしたらジャパンで答えられるさ。でも同じ質問されてどっから来たんだって言われた時、このドアから来ましたなんて言えるか? 間違いなく『はぁ?』って言われる。内容を説明したところで結局は同じだよ。で、『パスポート見せて』って言われて、『持ってない』。『なんで持ってないの? ちょっと警察に来なさい』・・・・・・ってなるのがオチだよ。せめてこのドアで『大使館行こう』ってなるかもしれないけどさ」

「わかったわかったわかりました! ドラさんの言いたいことはよくわかりましたから!」

 これ以上聞いていたら話がややこし無くなる。いや、ややこしくさせているのは他ならぬドラなのだが・・・兎に角、太田は一度魔猫を冷静にさせたかった。

「ドラさん、さっきから聞いてればリアルとファンタジーの境界線が全く見えてませんよ。ぐちゃぐちゃになってます。そんな人はひみつ道具もらわない方がいいと思いますね!」

「いやでも大丈夫。そしたら、なんでも全てを解決するひみつ道具があるからそれもらおう!」

「え・・・すべての悩みを解決する? じゃあ、ドラえもんからひみつ道具何もらうんですか?」

「芋焼酎のストレートを」

「一番もったいないですって!! つーか発想がオッサンですよ!!」

 

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

登場人物

寧子(ねこ)

声:三森すずこ

龍樹常法の妻。故人。

そぼかすが特徴の女性。雨が好きだが、侍を死ぬ程嫌っている。

雨宿り先で龍樹と出会い、その後結婚し息子の寫魚を授かるが、龍樹が出稼ぎと偽って戦で家を留守にしていた間に村全体が大火に遭い、逃げ遅れた事で寫魚共々命を落としてしまう。

寫魚(まお)

龍樹常法と寧子の息子。故人。

寧子似の男の子だったが、大きく成長する事無く、龍樹が戦で家を留守にしていた間に村が大火に見舞われた際、母親共々逃げ遅れ焼死してしまった。

名前の由来は、空海の俗名(幼名)「佐伯 眞魚(さえき のまお)」から。




次回予告

龍「どぅはははは!!! 見たか見たか、かつてないまでの拙僧の男気溢れる戦いっぷりを・・・!!」
駱「俺なんか納得できねぇよ!! 俺の出番あれだけか!? ただ尻尾巻いて逃げるだけじゃねぇかよ!!」
隠「そう怒るなって駱太郎。そのうち見せ場のひとつやふたつ回ってくるだろうって」
昇「次回、『クイック・アンド・ファイア』。まぁお前の出番が回って来る頃には、この俺が怪魔の野郎を全員ブッ倒していたりしてな」
駱「んだとー!! おい作者、あんまし俺を蔑にすっとただじゃおかねーからなぁ!!」

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