「そんな状況の中、オイラの前に現れた行脚僧・龍樹常法はオイラと同じく江戸に用事があるから一緒に付いて行くと言ってきた。なんだかひと騒ぎありそうな気がするけど・・・近道知ってるんならありがたく教えてもらいます」
西暦1603年 3月15日
日本某所 森林地帯
「ここが江戸までの近道?」
「そうじゃ。ここを渡るのが一番手っ取り早い。最短距離で着けるぞ!」
「最短距離って・・・・・・だってここ・・・」
ドラは若干顔を引きつり、龍樹が言うところの近道を見渡す。
最早そこを道と表現するのは無理な話だった。なにしろ、ドラの目の前には落ちればひとたまりもない断崖絶壁があり、向こうの側まで繋ぐ橋さえ掛かっていない。
一応念のため、ドラは咳払いをしてから龍樹に聞いてみることにした。
「・・・・・・龍樹さん。つかぬ事をお伺いしますが、道が途切れてますよね?どうやってここを渡るつもりで・・・」
「じゃから飛ぶんじゃよ・・・こうやってな!」
言うと、龍樹は助走をつけると共にドラの目の前で老人の、いや人間の脚力とは思えないくらい力強く踏込んだ。
「そりゃあああああああ!」
「でええええええええええ!!!!!!!」
あまりの光景に、ドラも心底驚いた。
天を翔るが如く、龍樹は30メートルほど離れた崖の間を軽々と飛び越えた。
人間の常識を逸脱した超人技。68歳という高齢の身体能力ではないことは間違いない。
「さぁ、お主も飛んでくるのじゃ!」
向こう側から呼びかけられると、ドラは龍樹の方を見ながら思わず。
「・・・・・・じいさんの姿をした異星人(エイリアン)なんじゃないかな」
そんな疑問を抱きつつ、ドラもまた自慢の脚力を活かして天を高く跳び上がり、目の前の崖を超えて行った。
崖を飛び越えた後も、ドラは龍樹の人間離れした身体能力を目の当たりにすることになった。
途中、足場の安定しない岩場を進んでいたときのこと。
「まったく・・・よっと!この前の土砂崩れですっかり道がなくなってしもうたか・・・すまぬがもう暫しの辛抱じゃ・・・よっと!」
岩から岩へと軽々飛び移るというかなりの膂力を持つ龍樹の後に続く形で、ドラもまた岩から岩へと軽々飛び越える。
その身のこなしの軽さは、牛若丸が兵法を身につけたという天狗の姿を彷彿とさせる。
「やっぱりあの人絶対人間じゃないよ。人間じゃないオイラが言うのもあれだけど・・・」
異常な身体能力を除けば、世の中を達観したその言動は僧侶としてさしたる不自然さを持たない。
ただ、言葉ではうまく伝えられない何かを絶対に隠し持っている・・・少なくともドラは龍樹にそんな疑問を抱える。
*
同時刻 千代田城・地下数百メートル
日ノ本の政治の実権を握っている徳川家康。
彼が築城させた江戸城の地下深くに作られた秘密のアジトにて、アコナイトは決起の時を見計らっている。
「報告!東海道での遠征の折、サムライアリとの交信が途絶えました」
「やはりあのロボットの仕業か・・・もういい。下がって良し」
鉄仮面を被り素顔を隠したアコナイト。
椅子から立ち上がると、おもむろにある場所を目指して歩き出す。
地底深くに造られたこの秘密のアジト兼生体研究所には、アコナイト以外に彼に数名から構成された有能な部下、それにサムライアリに端を発する改造生物が集まっている。
長い長い廊下を歩きながら、アコナイトは仮面の下に隠れた素顔を歪める。
超空間で仕留めたとばかり思っていたドラがしぶとくも生き延びており、ここを目指していることを懸念する。
(武志誠といい、そのロボットといい・・・そのどれもが私の心を掻き乱す・・・だが、この私を止めることは何人にも出来ぬ。たとえどれだけ足掻こうと、この地球(ほし)の歴史は既に我が手中に掌握したも同然)
懸念すべきことは多々あるが、それでもアコナイトには充分な勝算がある。
グローブをはめた右拳を強く握りしめると、頑丈な素材で作られた金属の扉の前に立ち、解除キーを呼び出す。
『声紋を認証します』
「私だ。中に入れろ」
ピピピ・・・。
アコナイトの声紋を確認した機械は、扉の鍵を解除。
おもむろに扉が左右に開かれ、アコナイトはまた一歩と前に歩き出す。
途方もない月日をかけて実験材料としてきた改造生物のサンプルが、部屋の左右にすべからく透明な保存ポットの中で特殊な培養液に浸かっている。
大量生産段階にあるサムライアリを始め、異なる生物同士を合成させた異様な容姿を持つものまで多種多様。
数いる改造生物たちをすべてスルーし、アコナイトは部屋の最奥を目指し黙々と歩く。
部屋の奥に着くと、眼前に飛び込む巨大なポットを仰ぎ見ながら側でデータを採っている最中の白い制服の男に尋ねる。
「・・・どうかな、成果のほどは?」
「順調に進んでおります。人間の能力に虫の力を融合させるという発想は、なかなか面白いものです」
白服の男は、アコナイトと共に目の前のポットの中で覚醒の時を待ち、静かに眠り続ける黒い軍服のような格好をした男の姿を見る。
「これまで被験者となってくれた人間は、挙って身体能力の高い者を選抜したつもりだったが・・・やはり遺伝子を組み替えるということは想像以上の負荷となったのだ。その多くが死に絶えた・・・」
「しかしこの男に関しては違います。こちらから行う遺伝子組換え操作に拒む姿勢を見せないどころか、全てを受け容れている器だった。これが完成すれば、あなたの技術が文句なしに世界一であることを全世界に知らしめることができる。うるさいTBTのロボットに後れを取ることもありません」
「そうだな・・・しかし困ったことになった。そのロボットがここを目指して東海道を移動していることが分かった。不確定要素は早々に排除しておきたい」
「それでは、刺客を送りましょう」
白服の男はパチンと指を鳴らした。
すると扉が開かれ、銀を基調とする衣装に身を包んだ長身の男が現れる。
男は片膝をつき、アコナイトと白服の男の前で畏まる。
「わたくし目に何か御用がおありでしょうか、アコナイト様。蟒蛇(うわばみ)様」
「オリハルコン。君の耳にも既に入っている事と思うが・・・TBTの捜査官が運よくこの時代に侵入し、我々を追って江戸に向かっている。好きな兵たちを連れて始末しろ・・・どんな手段でも構わない」
「御意」
蟒蛇からサムライ・ドラの暗殺を言い渡されたオリハルコンは早々に部屋を退出、江戸を出発する。
手段を問わずにサムライ・ドラを暗殺する―――蟒蛇からの指示であると共に、アコナイトの意思を代弁したものだった。
*
龍樹の案内を受け、ドラは江戸へと続く長距離をかなりの短時間で進むことが出来た。
本来、人が通ることも難しい場所を通ってほぼ一直線上に進んだ結果、時間も大幅に短縮することがでた。
そうして出発から2日。総距離を残り50里までに縮めたドラは、駿河国(現在の静岡県の中部及び東部)の宿場町近くにある団子屋に立ち寄った。
駿河国 宿場近郊・団子屋
「いただきまーす!」
龍樹のおごりでドラは団子を馳走になった。
ブラックチョコばかりで最近は滅多に食べる事の無かったどこか懐かしい味に、ドラの口から感嘆の声が漏れる。
「おっ―――!うめぇ―――!」
「おっ―――うめぇ―――とは、なんじゃ?」
聞き慣れない言葉に龍樹が尋ねる。
「あそっか。龍樹さんは知らないか・・・・・・なんて言えばいいのかな・・・うん、美味!美味の事ですよ」
「おお、美味なるをおおーうめーと申すのか。それは滑稽!ではひとつ拙僧も・・・」
文化の違いから来る言葉の面白さを再認識した龍樹は、団子をひと口分齧り、ドラがやったように自分も同じように豪快に呟く。
「お―――!うめ―――!・・・こんな感じかのう?」
「まぁそんな感じです」
あまり深い意味は無いのだが、5000年という時の隔たりは大きい。
使っている言語も煩雑なドラの世界に比べ、江戸時代は古き良き発展の時代だ。異国の言葉を徐々に受け入れていく日本の姿勢は今後の国の成長に著しく貢献することとなるが、同時にその対価として古き良き日本の伝統が廃れていくことは少々悲しく思える。
そんな風にドラが一瞬たりとも思ったとは、到底思えない。
「はーい、お待ちどうさま!」
「おおすまねぇ!うっひょ―――美味そうだな!そんじゃいただきまーす!!」
そんなとき、ドラの耳に聞き覚えのある声が耳に入った。
「ん~~~~~~やっぱこれだな!あ~~~俺って奴は団子食わねぇとやってらんねぇんだよ!」
一人前を超える山盛りの団子に次々と手を伸ばす男。
ドラがおもむろに確かめると、白い胴着のような衣装に跳ね上がった髪、赤い鉢巻を巻いてた男が座っている。
「あぁ~~~そしてこの茶がいい感じに体に染みるぜ!おお嬢ちゃん!もう一杯頼んでも・・・!」
「あああああああああああ!!!!おどれはっ!!!!」
「お?のおおおおおおおおおおお!!おめぇは!!!」
劇的な再会だった。
ドラは偶然にも“万砕拳の駱太郎”の異名を持つ男―――三遊亭駱太郎と出くわした。
駱太郎本人もこんな場所でドラと再会を果たすとは夢にも思わず、呆気にとられた様子だった。
「な、な、なんでおめぇがここにいるんだよ!?」
「そりゃこっちの台詞だって!・・・まさか君とこんなところで鉢合わせるとは思わなかった・・・」
「なんじゃお主、この者と知り合いか?」
「いや知り合いって言うか・・・もののはずみで色々やりあったというか・・・そんな感じです」
「おめぇどっか行くつもりなのか、爺さん連れて?」
「ちょっと江戸に用事があるんだよ・・・あん!」
ほどほどに驚いた後で、ドラは駱太郎に諸々の事情を説明する。
「なるほどな・・・するってーと、江戸のどっかにあの化け物どもを操っている連中が潜んでいるって訳か。おもしろそうなことしてんじゃねぇか!」
「おもしろいって・・・やっぱR君はアホ確定だね」
「阿呆とはなんだよ阿呆とは!それよりなんだその・・・あーる君って・・・?俺の名前は駱太郎って教えただろ!」
「イチイチうっさいな。どんな呼び方しようが人の勝手だろ?」
「んだとー!」
「まぁまぁ落ち着かぬか。それより、ドラの言う改造生物とかいう魑魅魍魎の話で思い出したじゃが・・・風の便りによれば、鎮西(ちんぜい)(西海道の別名。今の九州辺りを指す)の名立たる武家たちが僅か一日で全滅に追い込まれたという話だ」
「鎮西?奴らの猛威は九州にまで及んでいるんですか?!」
ドラが思った以上に、アコナイトの改造生物は全国津々浦々、隅々まで勢力を伸ばしていた。さらに龍樹から話を聞けば、改造物には中国・清朝から献上された鉄砲や石火矢といった従来の飛び道具が一切通じず、九州の武士たちは呆気なく制圧されたという。
「けっ!まったく胸糞悪い話だ・・・人間があんな得体のしれない化け物に簡単にやられちまうなんざ・・・・・・いよいよこの世の終わりも近いって感じか?」
右掌に左の拳を突き立てながら、駱太郎は日本の終わりを危惧する。
「・・・・・・そうならないようこの世界に起きている異常を根本から排除する。それがオイラに課せられた使命だ」
言った直後、ドラはおもむろに立ち上がって愛刀を腰に携える。
「これから江戸に行って改造生物たちを操っている黒幕をケチョンケチョンにして、二度と悪事が出来ないよう廃人にしてやるよ・・・うししししししし」
仮にも警察組織に近い性質を持つTBT捜査官の発言とは思えない残忍かつ凶悪な一言。
駱太郎と龍樹は本能的にこのネコが狂ってて危険だと思い、冷や汗を浮かべる。
「まぁなんでもいいけどよ・・・どうせ江戸に行くんなら頭数は多い方がいいだろ?」
「あい?」
駱太郎の言葉にドラが一瞬耳を疑った。
すると親指を突き立てて、駱太郎は清々しい表情で言って来た。
「サムライ・ドラとか言ったよな・・・どうよ、俺も加えた三人で江戸に向かうってのは?」
「な・・・なんだって!?」
「この先何があるがわからねぇが、俺が一緒に居ればあんな化け物の一匹や二匹ぐらいどうってことねぇ!万砕拳の駱太郎の名は伊達じゃねぇからな、その気になりゃ俺が天下を取ることもできるんだ!!」
「お主が天下じゃと?・・・どぅははははははは!!!それは傑作じゃな!」
「なんだよ爺さん!まるで冗談みたいに笑いやがって!」
あまりに荒唐無稽な上に、天下を取るというお粗末な駱太郎の事がおかしくてたまらなくなった。
龍樹が臍で茶を沸かすが如く笑い上げる様子が気に入らず、駱太郎は文句をつけたそのとき―――溜息をつきながらドラは前を歩き出す。
「やれやれ・・・伊達や酔狂でそんなこと言えるのは二通りしかいないんだけどな」
「あん?」
ドラの言った事の意味が分かりかねる駱太郎。
一旦歩くのをやめると、ドラは少し馬鹿にしたような表情で駱太郎に呟く。
「ひとつは自他ともに認められる強さがあって本人自体にも神がかった才能を秘めている場合・・・もうひとつは単なる自惚れ屋で周りからはうつけと罵られながらそれでも自分のを過信する場合・・・・・・どっかのトリ頭さんのようにね!」
「な・・・///て、てめぇチクショウ!いますぐ俺と勝負しやがれ!!てめぇのそのデカい口を今すぐ利けなくしてやる!!」
小馬鹿にされた駱太郎。
一目散に走り出したドラの後を真っ赤な顔を浮かべながら追いかける。龍樹もその後に続く形で地面を強く蹴って蹴り走り出した。
成り行きではあるがドラは仲間に龍樹と駱太郎を加え、三人で江戸を目指す事となった。
現在、三人は深い森の中を歩いている。
「どらああああ!うらああああ!」
駱太郎は体がなまらないよう、あるいは邪魔な障害物をことごとく自慢の拳で文字通り砕いて行く。
周りには駱太郎が無暗に倒した木々が転がり、ドラと龍樹は思わず呟く。
「あのさ・・・こう言うのを無秩序な自然破壊って言うんじゃないの?」
「なにもここまでしなくてもいいのではないか?」
「この方が歩きやすいだろ?それにこの辺は棘とかが結構生えてて危ないんだ・・・」
言いながら、駱太郎は棘が生い茂っている森の中を直進する。
彼の野生的な勘に基づく道案内を内心心配するドラと龍樹はその後も、棘の中を進んでいく。
―――ブスッ。
「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
途中。先導していた駱太郎の頬に棘が掠める。大した痛さだとは思えないが、駱太郎は大袈裟に悲鳴を上げる。
「やっぱりオイラが先を行くよ・・・」
これ以上、彼の狂言に付き合うと時間が無駄になると判断した。
ドラは駱太郎と先頭を交代して棘道を刀で切り倒しながら、進んでいく。
初めからどうしてこうしなかったのだろう・・・そんな事を思いながらドラは一直線上に道を進み続けていたそのとき。
「サムライドラの兄貴っ―――!!!」
またしてもドラの耳に聞き覚えのある声が聞こえてきた。
恐る恐る後ろを振り返ってみると、駱太郎と龍樹の後ろから若い男が一人近づいてくる。
灰色の和服に身を包み、後ろ髪を縛っているその男とドラの間には、奇妙な因果関係が存在していた。
「サムライ・ドラの兄貴っ―――!!!まさかこんな森ん中で会えるなんて、これって運命ですよね―――!!!」
「だあああああ―――!!!またお前かよ山中幸吉郎っ―――!!!」
何たる因果だろう。山賊の山中幸吉郎と三度目となる再会を果たす。
幸吉郎は風の便りでドラがサムライアリと戦ったという話を聞きつけ、今一度彼に合いたいという願いで日本各地を行脚していたところ、今この場で彼を見つけだしたのだ。
こうして念願叶ってドラとの再会を果たす事が出来た幸吉郎は、駱太郎と龍樹を無視してドラへ近づき熱烈な視線を向けて来た。
「あなたに会いたくて俺、日本中探しまくったんすよ!!いや~~~こんなに早く会えるなんてやっぱり俺たちって結ばれてるんですね!」
「なんだか気持ち悪いからそう言う誤解を招く言い方は止してよ///大体オイラを探し回って日本中を!?どんだけ暇な奴なんだよお前っ!」
確かに暇な人間だと言われても無理はないだろう。
しかしそれでも幸吉郎のドラに会いたいという気持ちの方が強かった。
一体何がそこまでして彼を奮い立たせたのか―――ドラにはさっぱりわからない。
「ああ・・・お主もドラの知り合いじゃったか?」
「何でもいいけどよ、これから俺たち江戸に行くんだ!どうだ、お前も一緒に行くか?」
「江戸に?兄貴、何かあったんですか?こんなトリ頭と爺さん連れていくなんて・・・ただ事じゃありませんよ」
「てめぇまでトリ頭って言うかチクショウ!おいてめぇ!俺と勝負しろ!」
「んだと・・・おもしれー!その勝負受けてやろうじゃねぇか!」
血の気の多いという事で馬が合った幸吉郎と駱太郎。
互いに武器となる剣と拳を構え今にも一触即発の状態。それを見たドラは間に入るや、幸吉郎と駱太郎の額と額をぶつけ合わせる。
―――ゴツン!
「「痛(いた)っ~~~///」」
互いに石頭であったことからその痛みは鋭く、両者は涙目を浮かべ言葉を失う。
「バカやってんじゃないよ!こっちは急いでんだ!」
「す、すみません・・・///」
「面目ねぇ・・・///」
「オイラはいつ敵に命を狙われてもおかしくない身なんだ。そんな危険な道中に君らのような市井(しせい)の民を巻き込むのは本心じゃない」
そう言いながら、ドラは再び棘で覆われた道を刀で切り裂き前進。後ろの三人に背中越し呟く。
「このままオイラに付いてくるなら、なるべく離れて他人のフリをしてるんだ。でも変な事をしたらすぐに置いていくからそのつもりで。とは言え・・・君らの場合はいくらダメと言ったところで意地でもついてくるだろうきっと」
話を聞くと、幸吉郎を始め駱太郎と龍樹は口角をつり上げる。そして迷いの無い真っ直ぐな瞳で返事をする。
「勿論ですとも!」
「へっ!ここまで来て引き下がれるかよ!」
「お主の旅路、しかと見定めさせてもらうぞ!」
三人はドラと共に江戸を目指す。
このとき、四人の間には一つの繋がりのようなものが出来はじめていた。
住む場所も環境も異なるこの四人にはそれぞれ共通してあるものが芽生えている。それが何かと尋ねられたとき、現時点でははっきりと答えることは出来ないが、きっとそれは口で言えるほど単純なものではないのかもしれない。
江戸を目指して森の中を前進するドラたち。
しばらくしてから空には雲がかかり、太陽の光が遮られたと思えばポツリポツリと雨が降り出した。
次第に強くなっていく雨。伐採によって貯水力の弱まったところでは地滑りや土砂崩れが起こっている。
集中豪雨へと発展した雨でぬかるんでいる崖道を、大勢の男たちが米俵を担いだ牛たちを率いて歩いている。
藁で出来た傘で雨を凌ぎ、ぬかるんだ斜面を登ろうとする牛を先導する牛飼いに交じって、程よく顔立ちの整った男と小太りな男が声をかける。
「皆、あと僅かだ!油断すまいぞ!」
「貴重な米だからな!間違っても崖下に落とすな!」
二人の会話を聞きながら、牛飼いと共に大荷物を抱えた黒髪の少年が道を歩く。
「あ~あ・・・なんだって俺までこんな大荷物運ばないとならないんだか・・・」
「こら写ノ神!無駄口を叩く暇などあるまいぞ!」
「わかってるよ、もう~!」
小太りの男から写ノ神と呼ばれた少年。
彼は牛飼いたちを率いる男―――大藤浩司斎(おおふじのこうじさい)に重宝され一定以上の信頼を勝ち得ているが、浩司斎の小姓からは単なる子供と言う風に扱われている。
「ん?」
そのとき、浩司斎は奇妙な気配を感じた。
眉を顰めながら崖の上からこちらへ近づいてくるものに目を凝らす。すると雨に紛れながら姿を現したのは、極めて獰猛と思われる狼と熊を配合した改造生物だった。
「なんだあれは!」
「もののけだ!」
「化け物が出たぞ!!」
見たことも無い動物を前に誰もが動揺する中、浩司斎は冷静に今起きていることを見極め、この事態に対処しようとする。
「牛たちを落ち着かせろ。焦らずに陣を組め」
「はっ!」
浩司斎の小姓は清朝から献上され、現在広く出回っている鉄砲と石火矢を携えた一団を一カ所に集める。
「全員火薬を濡らすな!充分に引きよせよ!」
雨で火薬が濡れないよう細心の注意を払う石火矢衆。
浩司斎は写ノ神の方を見、彼を呼び寄せる。
「写ノ神。お前も力を貸してくれないか?」
「はい!浩司斎様のためならば喜んで―――」
写ノ神は腰元に携えたカードホルダーのような入れ物から赤い無地をしたトランプほどの大きさのカードを数枚取り出す。
やがて全ての用意が万端整い、浩司斎の合図と共に石火矢衆は改造生物へと一斉に攻撃を開始。
「一番・・・放てっ!」
―――ドガン!!
威力の高い石火矢の飛礫が被弾し、大きな爆発音が響き渡る。
―――ドガン!!ドカン!
大きな爆音はひっきりなしに山へ轟き、偶然にも近くを歩いていたドラたちの耳にもしっかりと伝わった。
「なんの音じゃ?」
「爆発・・・石火矢か?それとも、鉄砲?」
「きな臭い感じになってきたな」
「兄貴。どうします?」
「面倒事はごめんだけど・・・一応確かめるか」
万が一のことも考慮し、ドラは幸吉郎たちを連れて山を下って川下の方へ向かった。
「二番、放てっ!」
その間にも石火矢衆と改造生物による熾烈な争いは続いている。
石火矢に恐れをなしたように、改造生物はあっさりとその場を立ち去って行く。
「化け物どもめ。口程にもありませんね」
「あれは小物だ。近くに親玉が潜んでいるはずだが・・・」
まるで手応えの無いことに強気な発言をする写ノ神。対して浩司斎は決して侮らず、感覚を研ぎ澄ませ敵が出てくるのを待っていた。
するとそのとき、森の中から突然先ほどと同種の改造生物が飛び出してきた。
「出たぞ!」
その大きさは石火矢で追い払ったものとは比べ物にならない大きさをしていた。
「写ノ神っ!!」
「任せてください!!来いよ化け物っ!」
写ノ神は信頼を寄せる浩司斎を命を賭して守るつもりで、牛飼いや牛たちを次々と崖下へ落としながら凄まじい勢いで突進してくる敵に向けて、カードの力を解放する。
「四大元素のひとつよ、我らにあだなす邪悪な意志を焼き尽くせ!我らに勝利と栄光の光を与えよ!!」
詠唱を唱えると共に、写ノ神が掲げたカードから摂氏数百度を超える熱が生まれ、まごうことなき煌々と赤く輝く炎へと変わる。
「燃えやがれぇぇ―――!!!」
写ノ神の持つカードから放たれる炎は凄まじい勢いで改造生物の体を燃やし始める。
人間であれば瞬く間に灰と化すほどの熱が改造生物を苦しめるが、頑丈なその体を燃やし尽くすことはかなわず、写ノ神は熱さに暴れる敵の不意打ちを受けそうになり、足を踏み外した。
「しまっ・・・!」
足を踏み外したが運の尽き。
写ノ神は深手を負った改造生物と共に崖下へと真っ逆さまに落下する。
「だあああああああ!!!!!」
「写ノ神っ!!!」
浩司斎は写ノ神を助けようと必死で手を伸ばしたが、無意味とばかりに写ノ神の声はどんどん小さくなっていった。
「写ノ神・・・!」
「浩司斎様、いかがしましょう?」
傷心を気遣い小姓が小声で尋ねると、浩司斎は呟く。
「・・・あれはこの程度で死ぬ男ではない」
気丈に振る舞うが、内心は非常に後悔していた。
自分が付いていながら齢14歳の写ノ神を谷底に突き落としてしまった―――そういう思いが強くなり、自暴自棄になりそうだった。
しかし、ここで自暴自棄になる訳にはいかなかった。写ノ神を始め犠牲になった仲間のためにも浩司斎は生き残った牛飼いや牛を連れていく義務があるのだから。
先ほどの襲撃でかなりの数の牛と仲間がやられ、隊列は著しく乱れている。
「だいぶやられましたな・・・」
「すぐ出発しよう。隊列を組み直せ」
残った牛飼いと牛たちを連れて、浩司斎は出発を促す。
その後雨は自然と止み、徐々に太陽の光が雲の間から覗きはじめる。
川下を目指して山を下りていたドラたち。
森を抜けると雨はすっかり上がっていたが、水かさを増した川は濁流となって氾濫している。
「この辺りなんだけどな・・・」
そう言いながら駱太郎が川下へと下ってくるものを見ていたときだった。崖から落ちて息絶えた牛飼いや牛が次々と流れて来た。
「牛が!」
「あれは!」
ドラたちは岩場にうまい事引っかかっていた満身創痍の少年―――写ノ神を発見し、彼へと近づき脈拍を確かめる。
「・・・・・・まだ息がある。しっかりしろ!」
写ノ神を川から引きずり上げると、なるたけ平坦な所へ彼を運び寝かせる。
重傷を負った写ノ神の姿に、幸吉郎たちは挙って険しい顔となる。
「こいつはひでーな」
「どうするのじゃ?」
「治せるところは治しておきます」
言うと、ドラは特殊道具が納められた銀色のケースからカメレオンコウモリを撃退するのにも使ったブライトポインターを取り出した。
「なんだそりゃ?」
「まぁ見てな」
奇妙な道具に駱太郎が怪訝そうな顔を浮かべる中、ドラはブライトポインターのスイッチを起動。先端の超光粒子集約レンズから細胞活性光線「メンテナンスレイ」を写ノ神へ照射する。
光が当てられた瞬間、見る見る写ノ神の傷が癒えていく。
幸吉郎たちは人間業とは思えない目の前の神秘的な現象に呆気にとられ、目を見開く。
「すげぇ・・・!たちどころにうちに傷が塞がっていく!」
「なんという奇術か!」
「この光を当てると、体組織が活性化して自己修復機能を高めるんだ」
光を照射し始めたからしばらくして、意識を失っていた写ノ神が目を覚ました。
「うっ・・・・・・」
「気がついたか?」
「あんたらが・・・俺を助けてくれたのか?」
「ほんの行きずりだったんだけどな」
カサカサ。カサカサ。
「静かに!」
ドラは声を立てないよう幸吉郎たちに促し、周囲から感じる殺気に敏感になる。
「どうしたんですか?」
幸吉郎は小声でドラに耳打ち尋ねる。
「息を潜めろ。何かがいる・・・」
ドラは鞘から刀を抜いて流れが急な川下の岩場に身を潜め、僅かに出来た岩の隙間を通して向こう岸を見つめる。
「あれは・・・」
幸吉郎たちもドラと同じように向こう岸に見えるものを覗くと、目に映って来たのは写ノ神を崖下へと着き落とした例の改造生物。その傍らにはアコナイトの部下・オリハルコンが立っている。
「見かけない形(なり)をしてますね・・・・・・それにあの化け物・・・もしかしてあいつは兄貴の元いた世界の人間なんじゃ・・・」
「あれが未来人って奴なのか?」
「じゃが、なぜあのような魑魅魍魎を従えておる?」
「アコナイトめ・・・オイラの存在に気付いていたか。だがそう簡単に捕まるほど、オイラもバカじゃないんでね」
そう呟いたときだった。
改造生物がドラたちの存在に気付き、オリハルコンもまた彼らの方へ視線を向けた。
「やべぇ!気づかれちまったか!」
「みんな、この外套を頭からかぶるんだ!」
ドラは慌てて特殊道具の一つ「隠匿マント」を取り出し、幸吉郎たちの頭からすっぽりと被せる。
隠匿マントの効果より、幸吉郎たちの体は外側からは一切見えなくなる。
「おお!なんだこりゃ!?」
「まこと、実に奇妙じゃ!」
隠匿マントの効果は絶大であり、こうした不可思議な現象に慣れていない幸吉郎たちは驚き返る。
「急いでこの場を離れよう。こいつの事も放っておけないし」
ドラは傷を負った写ノ神の方に視線を向ける。
写ノ神はドラの容姿に多少困惑しているようだが、助けてくれた彼には深い恩義を感じている。
すると、駱太郎が写ノ神の元へと近づき背中を向ける。
「おいチビ、俺の背中に乗れ」
「はぁ?誰がチビだと、このトリ頭!」
「んだと・・・!てめぇ人が折角親切にしてやってるのに、その口の利き方は何だ!?」
―――ゴンッ!
啖呵を切った駱太郎だったが、ドラは彼の怒りを例の如く拳骨ひとつで鎮める。
「うるさいんだよ君は!ガタガタ文句言ってる暇があると思ってるの!?」
「く~~~~~~分ったよ///」
「ったく、素直じゃねぇの」
「うっせぇんだよ!」
写ノ神から小馬鹿にされながらも、駱太郎は彼を背負い移動を開始。
隠匿マントの効果で上手く敵の目を欺き、ドラたちは逃亡に成功した。
ドラたちは負傷した写ノ神を連れて深い森の中へと入った。
ドラは写ノ神の事を気にしつつ、屋久島を彷彿とさせるシダやソテツでいっぱいの森をひたすら歩き続ける。
「兄貴。わざわざこんな森を通る必要はないですよ。川下に行けば道があります」
「あんなに流れが強いんじゃ渡れないよ。それに敵が待ち伏せしている可能性もあるしね・・・念には念を入れないと」
様々な事を考慮しての判断だった。
ドラは間抜けそうな顔をして誰よりも用心深く、そして疑り深い。
敵を欺くための秘策を何通りも考え、どの選択肢が最も効率的で合理的であるかを模索するその姿勢は、おおよそ本能で生きる動物にはない紛れもない人間の理性だった。
すると、それまで駱太郎に担がれ沈黙していた写ノ神が口を開き尋ねる。
「なぁ・・・お前らあの化け物について何か知ってるんじゃねぇのか?ありゃ一体なんなんだよ?」
「そうじゃの・・・―――まぁ最初から説明すると実に複雑で長い話となるのじゃが・・・ここ最近、日本の裏で起こっている不穏な動きはすべて江戸に潜伏している邪悪な意思による働きかけであるとでも言っておこうかのう」
「邪悪な意思の働きかけ?・・・・・・なんだよそりゃ?」
「それを確かめる為に、俺たちは今から江戸に行こうとしてるんだ。そしたらお前が虫の息になってて・・・」
駱太郎は不満げな表情で背中の写ノ神を一瞥する。
「お?」
すると、先導していたドラがある光景を目の当たりにし足を止める。
深い深い森の中で目に飛び込んできたのは幻想的な雰囲気を醸し出す湖と錯覚してしまうような大きな池。コケ植物が豊富に自生し、周りには天を衝くばかりの巨大な樹木が所狭しと並び立つ。
「・・・・・・すごい」
感嘆とするドラたちは、その池で一旦一休みをすることにした。
「ここで休もう。喉が渇いただろ、水を汲んであげる」
「なんか悪いな・・・ありがとう」
見ず知らずの人間と奇妙なネコに命を救われた写ノ神は、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だがそれ以上に彼らの暖かい気遣いが素直に嬉しかった。
ドラは透明なボトルに水を汲むと、それを写ノ神の元へと運ぶ。
「はいよ。水はかなり清んでるから飲んでも平気だと思う」
「いただきます」
写ノ神はドラが汲んできた水を豪快に飲み干した。
彼が上手そうに水を飲むと、他の三人も飲みたくなり幸吉郎と駱太郎の二人は直接池の水に口をつけ、張り合うように飲み始める。
「「ぷはっ―――!!!」」
これほどまで喉越しよく、含まれる有機成分が全身に行き渡るような水を二人は飲んだ事が無かった。
試しにドラが水に含まれる成分を調べてみたこころ、ここは植物やバクテリアが豊富に自生しているせいか、ほとんど雑菌が含まれていないことが判明した。
「こりゃすごい・・・!本当に美味しい水のようだ。折角だから汲んでいこうかな」
「拙僧もひと口飲んでおこう」
ドラと龍樹も水分補給を済ませ、これからの旅で必要な飲み水を調達。再び写ノ神を連れて森の中を歩きだす。
その際、写ノ神を担いでいた駱太郎が何気なくつぶやいた。
「妙だな・・・・・・あれから急に体が随分軽くなったか?」
「え?・・・そう言えば俺もなんだか痛みが引いてる感じだ・・・」
駱太郎の言葉を聞き、写ノ神自身もあの水を飲んでから体の痛みがかなり引いていることを実感。ドラたちも先ほどまでの重い足取りが一変―――魔法にでもかかった様に軽くなった事を不思議に感じる。
「あの水を飲んだからなのか?・・・・・・まさかな」
「兄貴、森を抜けますよ」
前方から差し込む光を見、もうじき森を抜けるということを実感。
ドラたちは追っ手を振り切ると森を抜ける。その直後、前方から見える光景に写ノ神の表情が綻んだ。
「ああ!凄いぞ、お前ら!どんぴしゃだ!たたらに着いた!」
眼前に飛び込む山を削った場所に作られた街と工場が一体化した城塞。
ドラは写ノ神が口にしたたたらという言葉から、ここがどういう場所なのかを理解する。
「なるほど。にしてもまるで城だなありゃ」
「浩司斎様の大たたらさ。砂鉄を蒸かして鉄を作ってるんだ!」
たたらとは、たたら吹きと呼ばれる日本に古くからある鉄を得る手法である。これは砂鉄から和鋼を製造する日本独自の製鋼法で、明治時代以降は外国から入って来た優れた製鉄技術によってその地位を失ったが、この時代においてはまだまだ活躍の場を発揮する主要な製鉄技術だった。
とにもかくにも、ドラたちは写ノ神を連れて浩司斎が治める大たたらを目指し、川を下ろうとする。
「お―――い!お―――い!」
川のほとりで暇を持て余していた船頭に、写ノ神は大きな声で呼びかける。
船頭たちは森から人が来ることを不思議に思いながら、彼らに目線を向ける。
「俺だ―――!八百万写ノ神(やおよろずうつのかみ)だ―――!」
*
同時刻 大たたら 宿場町
写ノ神生還という報せは瞬く間にたたら場へと知らされ、人々は死んだはずの写ノ神が帰ってきたことに驚きを隠せなかった。
「本当かよ、写ノ神様が帰って来たなんて!」
「見間違いじゃないのか?!」
「見間違いではない!今、船でこっちに向かってる!」
「だああ!何事か!俺が字を書いてるときは静かにしろ!」
騒然とする人々を諌めるのは、写ノ神が死んだものとばかり思って内心ちょっと安心していた浩司斎の小姓・牛丸(うしまる)。
「牛丸様、死んだはずの写ノ神様が向こう岸に出たんですわ!」
「なに!?」
写ノ神が生きているという話を眉唾と思いたかったが、どうやら人々の反応からその線は薄く、自分の目で確かめる為に急いで川岸へと向かった。
船に乗って写ノ神はドラたちと共に帰るべき場所へと無事に帰って来た。
写ノ神を慕うたたら場の人々は、老若男女問わず彼の帰りを歓迎する。
「おかえりなさいませ!よくぞ御無事で!」
「写ノ神様!お怪我は!?」
「大したこてゃねぇさ!こいつらが助けてくれたからな!」
「他の人たちはどうしましたか?」
「あと二人落ちたんだ・・・!」
「残念だが・・・助けられたのは俺だけだった」
写ノ神が人々と話をしている間、ドラたちは訝しげに自分たちを見つめるたたら場の人々の視線がぎこちなく、心許ない気分だった。
そんなドラたちを、牛丸は離れたところから見る。
「牛丸様。あの者たちは誰でしょう?」
「見慣れぬ姿だな・・・しかも一人は人間ではないぞ・・・タヌキの化け物か!?」
牛丸は険しい顔でドラの容姿を見つめ、舌打ちをしながら人々を掻き分けドラたちの方へと近づいて行く。
「そこの者ども、待て!怪我人を届けてくれたことまず礼を言う。だが得心がいかぬ・・・我らがここへ着いて半時もせぬうちにお前たちは来た。しかも谷底から小童ひとりを担ぎ、あの森を抜けてだと・・・!「写ノ神!帰って来たか!」
そのろき。牛丸の話を中断して、歓喜にも似た大声を上げたのはこの大たたらの主である若い頭目・浩司斎だった。
「浩司斎様!この通り、俺は無事です!」
未だ夢ではないかと疑っている浩司斎を安堵させるため、写ノ神は自分の声をはっきりと伝える。
その声を聞いて夢ではないと悟った瞬間―――浩司斎は表情を和らげ無事にたたら場へと戻ってきた彼を改めて迎え入れる。
「よく戻ってきてくれた――――――済まなかったな、私が付いておきながらざまぁなかった」
「いいえ、なんのなんの!牛丸たちだけじゃ今頃み―――んな仲良く、あの化け物の腹の中に居ましたよ!」
聞いた瞬間、人々は爆笑。牛丸はさり気無く写ノ神から馬鹿にされたことに腹を立てる。
浩司斎はそんな写ノ神を相変わらずと思いながら、彼を助けてくれたドラたちの方へ向き直る。
「旅のお方、ありがとう。写ノ神を助けてくれて。ゆるりとここで休まれよ。おもてなしをしたい」
「おお!それは本当かよ!!」
「兄貴、折角ですからここで休んでいきましょうよ!」
「確かに、少し休憩しないと体が持たんからな」
「ではお言葉に甘えさせてもらおうかな」
浩司斎の厚意に甘え、ドラたちはこのたたら場で足を休めることにした。
たたら場には、男性よりも女性の比重が多く占められる。ここにいる女性の多くは人狩りにあって売られたり、飢饉に見舞われ村を追われ飢え死にしそうになったところを運よく拾われたりと、その理由はさまざま。浩司斎はそんな女たちを助け、このたたら場で仕事を与えている。
「ははははは!!!!愉快じゃの~~~!!!」
「それ爺さん!もっと呑み明かそうぜ!!」
盛大な宴会が開かれすっかり酒に酔いしれる駱太郎と、本来は浄土宗の伝法阿闍梨という高尚な僧侶であるはずの龍樹は清々しく戒律を破って浮かれあがっている。
二人がバカ騒ぎを進める様子を見ながら、ドラと幸吉郎の二人はこのたたら場の事について考察する。
「・・・いい村は女が元気だとは言いますが、たたら場に女がいるのは珍しいですね。なんせ普通は鉄を汚すって毛嫌いしますから」
「あの浩司斎とか言う男・・・写ノ神の話じゃ売られた娘はみんな引き取ってるそうだよ」
「なんか隠してるように思えるんですがね俺は・・・」
「お前もそう思う?まぁ、少なくとも世間でいう”良い人”とは違うだろうな」
「何か根拠でもあるんですか?」
ドラは味噌汁を啜り、難しい表情を作り上げる。
「たたら場は山を削るし木を切る仕事・・・実に近代的な考えの元にある。そんなたたら場で鉄を作るのは女たち・・・だけど彼女たちは気付いていない。夜通しで作り売られた鉄が武器に加工されて、それが侍の手に渡り、戦争に使われて、その結果“奴隷狩り”と称した現象が引き起こされる。つまり、女たちは浩司斎が作らせた鉄で作られた武器によって、奴隷として売られここにやってきた」
ドラの言葉を聞き、幸吉郎は箸を止める。
最初からドラはこのたたら場の本質を見抜いていた。
ここには社会から弱者として集められた者がたくさん集まっている。そんな彼らが身を寄せ合うこのたたら場を治める浩司斎は、そうした矛盾を理解しつつ鉄を作らせているのだ。
「奴自身もこの矛盾に気付いているだろう。これがいつかたたら場を崩壊させかねないことを」
「難しいものですね・・・・・・」
「生きる意味が分かったところで大した得にはならないよ。身の上の幸不幸を決めるのは自分でも他人でもない。時代の裁量って奴さ」
その言葉には、ドラの人生観そのものが深く反映されていると言っても過言ではない。
母親より生まれ出でるすべての命は、死ぬまでの間に出来るだけの事を尽くそうとする。しかし生きることは決して楽な事ではない。生きる為に誰かを呪い、虐げる。それでも生きたいと思う。差別から生まれるそうした感情がある限り、人は堂々と自分を誇ることなどできはしない。生きるためには手段も選ばず、理不尽なことの限りを尽くしてきた魔猫だからこそ、その事を最も強く認識していた。
宴会を終えたドラは、幸吉郎に駱太郎と龍樹の世話を任せて写ノ神の元へと向かった。
写ノ神はたたら場から見える星空を見上げながら、ドラの疑問に答える。
「お前の言う通りだよ、ドラ。あの人は国崩しをしようとしているんだ。女たちに武器を持たせるだけじゃなく、社会から差別を受けてきた癩者(らいしゃ)を人として扱う傍ら、そいつらに武器を作らせる・・・・・・」
「浩司斎は、社会の矛盾そのものを断ち切るつもりでいるのか?」
ドラが尋ねると、写ノ神は神妙な顔となり再び星空へ目を移す。
「天下が徳川の手で平定されたと言え・・・世の中は誰もが平等でいられるには遠く及ばない。ここはそんな社会の弱者たちが身を寄せ合うところ・・・新しい石火矢を作らせて同じ弱者である女たちに持たせて侍の鎧を打ち抜かせることで侍の力を奪い、鉄が侍のために使われる在り方を根本から打破する。それ以外にこの矛盾を解消し、労働によって得られた果実の分配のあり方を変える方法はねぇ。浩司斎様の国崩しは、そのためにあるんだ」
話を聞いた後で、ドラは考える。
我々が直面している最大の課題は、世界の中でとりわけ若者がいわれのない不条理な、肉体的にも精神的な意味も含めてババを引いてしまった立場の人間であるという事だ。それは東アジア、アメリカやヨーロッパ、アフリカでも共通の運命である。その理由は、一人の人間が感じられる悲劇が、ローマ時代であろうと鎌倉時代であろうと同じ故である。
人口が五百万人しか居なかった鎌倉時代の日本は、現代から見れば山紫水明(さんしすいめい)、遥かに美しい所が多数存在したが、人間が悲惨の極みであったため、鎌倉仏教のような宗教が生まれてきた。破局の規模が大きいから悲劇が大きいというのは嘘であり、一つの村が滅びることが、その人間にとっては全世界が滅びることに等しい、そういう意味を持った時代がある。その意味では人間が感じられる絶望も、その苦痛も量は等しい。恐らくそれは、歴史の様々な場所で感じ取られてきた。
「・・・ふう。ただ何となくスケールが大きいからね、こりゃ本当のドン詰まりと思っているだけで。でもそれが本当にドン詰まりなのかというと、そうは簡単に行かないことも、歴史は証明しているわな」
そう呟き、ドラは写ノ神の元を離れようとする。
直後、写ノ神がふと思い出しドラに言ってきた。
「そうだ。折角だから温泉にでも浸かって行けよ。このたたら場自慢の秘湯だ。疲れがとれるぜ」
「温泉か・・・・・・それもいいかな」
写ノ神の勧めもあって、温泉に入ることにした。
ドラは宿で寝ている幸吉郎たちを起こさないよう着替えと諸々の貴重品を持って、川の近くにある温泉へと向かった。
そんなドラの様子を、遠方より眺める者たちがいた。
「ようやく突き止めた。何も知らずに温泉とは・・・いい気なものだな」
スコープを通して温泉に浸かっているドラを覗くのは、アコナイトの部下―――オリハルコン・アダマント。そしてその彼に仕える二人の部下が控える。
「この時をおいて他にない。襲撃をかけるぞ」
「「はい」」
返事を返すのは、身長2メートルを超える巨漢の男。
もう一人は茜色の和服に蘇芳色の袴、藍色の帯、セミロングほどの桜色の髪を緑の紐で結った容姿端麗の美少女。
だが、少女の顔はどこか無機質であり、人間らしい精気が感じられなかった。
ドラさん語録~サムライ・ドラが残した語録集~
その50:生きる意味が分かったところで大した得にはならないよ。身の上の幸不幸を決めるのは自分でも他人でもない。時代の裁量って奴さ
生きる意味について一度は考えた事があるけど、この哲学的な疑問を解決できるはずがないのである。それに、分かったところでドラの言うように大した得はしないと思う。(第55話)
登場した特殊道具
隠匿マント(いんとくマント)
TBT四分隊スタッフの手で作られた特殊な外套。いわゆるドラえもんの「透明マント」同様の効果を発揮する。これで覆った物は目に見えなくなるので、頭からすっぽりかぶって全身を覆えば、透明人間として行動できる。ただしあくまでも、完全に被らないといけない(体の一部が見えてしまう)。マントを被ることで、外側からの光を反射し、光の屈折率が1になることにより透明になることができる。
次回予告
ド「温泉で寛いでいたオイラだったが、そこに現れたのはアコナイトの放った刺客たち。しかも一人は女の子だ!」
「熾烈な戦いの中で、アコナイトに心を縛られた少女を救おうと、写ノ神が奮闘する!少女の闇を解き放て、写ノ神!!」
「次回、『鋼鉄の絆 其之伍 もののけを総べる巫女』。写ノ神の優しい心が、茜ちゃんの心に一筋の光が差し込む・・・」