サムライ・ドラ   作:重要大事

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茜「みなさん、こんにちは。鋼鉄の絆(アイアンハーツ)の第六席にしてメンバー紅一点の朱雀王子茜です。前回は私の旦那様である写ノ神君の素敵な一面をお見せすることができて何よりです」
「さぁ、今回は私の順番!こんなにしおらしい私を何故か駱太郎さんや長官さんはアバズレって言うんですよ。酷いですよね、そんな酷い方々には死をもって償ってもらわないといけません。みなさんもそう思いますよね・・・・・・思いますよね?」


朱雀王子茜之巻

その1:嫌いなものは嫌いなんです!

 

 俺の名前は八百万写ノ神―――鋼鉄の絆(アイアンハーツ)の第五席だ。

 こう見えて結婚しているんだぜ。同じチームのメンバーで同い年の女、朱雀王子茜と―――事実婚だけど・・・。

 それはそうと、俺の嫁さん・・・茜って奴はつくづくギャップが激しすぎる。普段はドラと同じかそれ以上の毒舌家で激情家な節があるんだが、ああ見えて苦手なものへの恐怖心は相当に強い。

 数多くの畜生を従える眉目秀麗の巫女が、この世の中にある何に恐怖を覚えるのか?

 一言で言おう――――――「虫」である。

 

 

西暦5537年 8月中旬

TBT本部 特殊先行部隊“鋼鉄の絆”オフィス

 

 いつもと同じ平穏な日々のはずだった。

 しかし、あの瞬間―――そんな平穏な空気は容易に切り裂かれた。

「兄貴。例の事件の調査結果が届いてますよ」

「ご苦労さん。今手が離せないからそこら辺に置いといてー」

 昇流の間違え書類の訂正に追われるドラの言葉を聞いて、幸吉郎は四分隊より届けられた重要証拠を彼の目の届く場所へと置いた。

 そのとき、茜が何気なく証拠品に目を移したとき―――彼女の表情は固まった。

「ひっ・・・///」

 透明なビニール袋に入っていたのは、足が一本もげているゴキブリの死骸。

 いつになく青ざめた表情の茜は、足早にその場を離れると、自分の机へと戻った。

「どうしたよ?」

「いえ・・・その・・・なんでもないんですよ・・・///」

 写ノ神が心配を寄せると、茜はどこか落ち着かない様子で小刻みに体を震わせている。こんな挙動不審な彼女を見るのは、写ノ神も初めてだった。

「幸吉郎。証拠品ってのを見せてくれるか?」

 事の真相を確かめようと、写ノ神は幸吉郎に頼んで証拠品を見せてもらった。

 そうして、写ノ神が手に取ったゴキブリの死骸入りの袋を見た瞬間―――茜はこの世のものとは思えない悲鳴を上げた。

「いやああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!///////////」

 天井すれすれまで飛び上がったと思えば、机の下に隠れようとして頭を強打し、涙目になりながら写ノ神の傍を離れる。

「ど、どうしたんだよ茜?!」

「なんともお主らしくない。何があった?」

「む・・・む・・・ムシ・・・!」

「虫?」

「虫は嫌いなんですよ私!!!///絶対ダメなんです!!!///特に、ゴキブリはこの世の中でもっとも忌み嫌う存在なんです!!!///」

 狼狽しながら簡潔に、茜は虫が大嫌いであるという旨を説明した。それを聞いた鋼鉄の絆(アイアンハーツ)の男たちは、意外そうなコメントを漏らす。

「そうか。お前って虫が嫌いだったのか?普段あんだけ、ガラガラヘビとか妖怪の類の畜生の世話はお手の物だっていうのにな」

「茜さ。言っとくけどこのゴキブリ、死んでんだぜ?」

「カブトムシだと思ってみれば大したことないって・・・なぁ!」

 駱太郎が意地悪そうにゴキブリ入りの袋を茜の目の前でふらつかせる。

 ―――ゴンッ。

「ニンジン!ピーマン!虫!人間誰にでも好き嫌いがあって当然ですよ!私はですね、こんな気味の悪い黒い塊がちょこまかちょこまか動き回るところを見ると、文字 通り虫酸が走るんですよ!!!///大体女の子はみんな虫が嫌いなんですよ!」

 茜は駱太郎の金的を的確に蹴り倒すと、半分死にかけている彼の体を踏み台にしながら、乙女らしく虫への恐怖を如実に主張した。

「世の中の女全員が虫嫌いだっていうのか?強引すぎるぞ」

「左様。女の昆虫博士だって、いるかもしれぬのじゃぞ?」

 自分が嫌いということを理由に、都合よく女性の誰もが虫嫌いと断言する茜の論理に対して、幸吉郎と龍樹が冷静に反論する。

「そう言う人たちは判断能力がどうかしてるんです!そんなに虫が好きなら、虫と結婚すればいいじゃないですか!」

「できるかんなこと・・・だから言い方が乱暴なんだって」

 最早何と言うか、極論とかそう言う問題ではないと思うのは彼らだけだろうか。

 とにもかくにも、嫌いな虫の事で少々頭の中が混乱している茜を落ち着かせようと、写ノ神は冷静に対処する。

「茜。少し頭を冷やせよ。いいか・・・このゴキブリはもう死んでるんだ。動いたりしないんだ」

「どうしてそう断言できるんですか?!何かしらの恨みを持って、万が一にでも蘇ってばっと襲ってくるという可能性をどうして考慮できないんですか!?」

「絶対に考慮しねぇよ!バカかお前は!」

 普段は物腰が柔らかく、状況判断能力の高い参謀的な役回りの多い茜の言葉とは思えない無秩序な発言に、写ノ神は本気で焦りを抱いた。そしてついついバカと口走ってしまった。

「死んでんだよ!死した骸が蘇ることはねぇんだ!よく見て確かめろ!!!」

「それを近づけないで下さい///そのすべてにおいて気持ち悪い節足を見るだけで、お腹が痛くなりそうです///」

「でも、結局はお前の嫌いな虫って言うのは・・・ゴキブリみたいな害虫限定なんだろ?だったら・・・」

「アリもチョウチョも、虫は例外なくこの世の敵です!!!死してこその存在です!!!」

 力強く断言した。

 その言葉には、偽りの感情は籠っていなかった。まさかここまで徹底して虫が嫌いだとは思ってもいなかった写ノ神たちは、終始唖然。

 と、そんなときだった―――

 一匹のハエが、茜の鼻に止まったのだ。

「ひっ!///ああああああああああああ~~~~~~~~~~~~~~~!!!///」

 我々の感覚からすれば、ハエという虫は鬱陶(うっとう)しいという感覚はあっても、決して恐怖する程の虫ではない。

 が、彼女の場合は違っていた。たとえ小さなハエですらも、同じ虫と言うカテゴリーに分類される以上、その恐怖の度合いはゴキブリと同じだった。

「こっちこないでくださ~~~い!!!///」

 一旦暴れ出すと、もうどうにも止まらない。

 恐怖のあまり思慮分別の付かなくなっている茜は、周りにあるものを手当たり次第に投げてハエを追い払おうとする。勿論、とばっちりを喰らうのはいつだって男たちである。

「だああああ!!!(イデ)っ―――!!」

「カップ投げんなよ!」

「ててて・・・・・・なんだよこりゃ・・・」

 ―――ゴンっ。

「ぬおおお!!!!大事なものがまた潰れた―――///」

 投げられた物の多くが材質的に固いものや尖ったが多く、勤務日誌の角が目元の当たった写ノ神は悶絶し、コーヒーカップを頭に喰らった幸吉郎の額からは血が吹き出し、駱太郎に至っては復活して間もなく、再び股間に衝撃が走って撃沈。よりによって文鎮が当たったりしたのだから・・・再起不能に陥るのは当然だった。

「やめんか茜!落ち着かぬか「いやだあああああ///」

 ―――ブスッ!

「ぬあああああああああああああ!!!!!」

 龍樹の説得も虚しく、泣きじゃくる茜の投げたシャープペンシルの先端が額に突き刺さる。

 あまりに理不尽な仕打ちだった。まさか自分がこんな目に遭うとは夢にも思っていなかった龍樹は写ノ神同様、想像を絶する激痛にのた打ち回る。

 オフィス全体が喧騒な雰囲気に包まれる中、間違え書類の訂正に追われていたドラの怒りも沸々と湧き上がり、ついには堪忍袋の緒が切れて、茜を叱咤する。

「いい加減にしてよ、茜ちゃん!こっちはやりたくもない仕事でただでさえイラついてんのに、もっとオイラを怒らせたいのか―――!!」

 

 パク・・・・・・

 

 次の瞬間―――呆れるぐらい大きなドラの口の中に、茜が衝動で投げた証拠品のゴキブリが入った。それも、袋から飛び出た状態で・・・・・・

「が・・・・・・///」

 ドラはあまりに突然の事に思考がついていけなかった。気が付けば、口の中には死んだゴキブリが入っていたのだから・・・―――

「ふげえええええええええええええ!!!!おいしくな――――――い!!!!!!」

 

 

午後7時09分

小樽市 千葉神太郎(八百万写ノ神)宅

 

 茜はこっ酷く、ドラと写ノ神による説教を受けた。

 当然だ。あれだけ手当たり次第に暴れ回れば、それ相応の責任を伴う。況して、隊長でドラの口の中に重要な証拠品が混入したのだ。

「うう~~~~~~//////」

 茜の頭部には漫画でよく表現されるほど、分かりやすいこぶができ上がっている。ドラによって付けられたものである。

 チームのメンバー唯一の女性である茜だが、ドラは性別に関係なく、正しくない行いをした者へは容赦なく拳骨を加える。むしろ、あれだけの騒ぎがあって拳骨だけで免れたのなら、ラッキーな方である。何しろ、杯昇流や隠弩羅であれば・・・・・・想像もできないような理不尽な仕打ちが待ち受けていたはずだから。

「しっかり反省しろよな!」

「年寄りを大切に出来ぬ人間が、何かを守れると思ったら大間違いじゃからな!」

「すみませ~~~ん///二度とこのようなことはいたしません!ですから、お詫びにうんとおいしい物を食べてもらって、お二人には精を付けてもらいます!」

 自分でも嫌になるほど、今日の醜態は目に余るものであったと述懐する。茜は、大切な夫と仲間へのお詫びを込めて、腕によりをかけた料理を振る舞うつもりでいた。

 午後7時を過ぎたところで、前菜と主菜ができ上がり始め、あとは味噌汁が温まればすべて終わりだ。

「さてと・・・お砂糖が少なくなってきましたね」

 切れかけの砂糖を補充するため、戸棚の引き出しに手を掛けようとする茜。

 と、そのとき―――茜の視界に予期せぬ生き物の姿が飛び込んできた。

「・・・へ・・・・・・///」

 冷や汗でいっぱいの彼女の表情。視界に映るのは、小さいながらも彼女がゴキブリ並みに大嫌いな8本足の節足動物―――クモである。

「ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!///////////////////////////////」

 

 ―――バリンッ!!!

 

「な、なんだ!?」

「茜ちゃんの声だよ!」

「いってみようぜ!」

 ちょうど、夕餉(ゆうげ)の最中だったドラたちは、お茶碗片手に隣に建てられた写ノ神たちの自宅へと向かった。

「な・・・!」

「何があった!?」

「ここはテロ事件の現場か!?」

 三人が駆けつけた時には、既に龍樹と写ノ神がボロボロの状態で縁側に放り出されており、窓ガラスは粉々に割れていた。

 中の様子を確かめるため、恐る恐るドラたちが茜に呼びかけを行う。

「茜ちゃ・・・「こっちこないで―――!!!」

 悲鳴とともに、茜の手元から飛んでくるのは調理用具一式。

「だあああああああああああああ!!!」

 ドラは目を見開きながら、これをすぐさま回避する。真っ直ぐな軌道で投げられた包丁は一様に、塀の表面に突き刺さる。

「あっぶね~~~///なんちゅーもん投げてんだよあの()・・・///」

「とんでもねぇことになったな~~~・・・どうするよ!?」

「俺たちで止めるしかねぇだろ・・・自信はないが」

 頼みの綱である写ノ神と龍樹が見る影もない以上、恐怖で現実と幻想の区別が全くつかなくなっている茜を止められるのは、サムライドラーズしかない。

 しかしいくら思慮分別が付かなくなっているとはいえ、包丁を投げるようなことはしないだろう・・・・・・

「真面じゃないっすよ、兄貴!」

「そういう真面じゃない脛に傷を抱えた愚連隊の集まりが鋼鉄の絆(アイアンハーツ)だろうがっ!」

「腹くくって、いくぜ!」

 考えられる災厄に臆することなく、三人は勇気を振り絞って茜の暴走を止めるために、家の中に乗り込んだ。

「茜ちゃん!包丁を投げるんじゃない!危うくドラえもんの頭に包丁が突き刺さるかもしれないって言う、前代未聞の最悪の画ができ上がるところだったよ!」

「もしそうなったら、お茶の間でドラえもんと勘違いしてテレビ見てるガキンチョ共がドン引きじゃねぇか!」

「ちなみにこの発言自体にさしたる意味はねぇ!俺たちの勝手な捏造に過ぎない!」

 などと呟いていると、床を這うクモに怯えていた茜は号泣をしながら、このクモを追い払おうと手に届くものすべてに手をかける。

「いい加減にどっかにいってくださいよ~~~///」

 茜の手が幸吉郎に届いた。

「え?」

 幸吉郎の腕が力強く握られると、茜はそれが幸吉郎であることを忘れて、クモ祓いの道具として扱い、ハンマーの要領で叩きつける。

「いやあああああああああ~~~//////」

「だああああああああああ!!!!」

 フローリングに打ち付けられる度に、幸吉郎の額から吹き出した血で赤く染まって行く。これでは猟奇的な殺人現場に居るのとさして変わりはない。

「がっ・・・///」

 自分が果たして何をしたというのだ?内心、幸吉郎はそう思いながら変わり果てた姿と化す。

「のおおおお!!!幸吉郎!!!」

「第三の犠牲者が早くも・・・」

「こないでええええええ!!!///」

 このままでは埒が明かない。これ以上の犠牲者を出さないためにも、一刻も早く彼女を止めなくてはいけない。

 ドラと駱太郎はタイミングを合わせて、一気に彼女を押さえ込む作戦に出る。

「いいかい!チャンスは一度!苦無で脇腹を抉られることも覚悟して止めるんだ!」

「おう!・・・って!そりゃ流石に勘弁してくれー!」

 間違っても刺されることは避けて通りたい。

 危険を孕んだ茜を、ドラと駱太郎はタイミングを見計らって取り押さえた。

「こらああ!大人しくしやがれこのアバズレ!」

「はなしてええええ!!!クモがまだ生きているんですよ!!!」

「もう追っ払ったよ!頼むから正気に戻って!!」

 取り乱した彼女を正気に戻しつつ、暴走しないように押さえ続けるだけでも、骨の折れる作業だったが、二人は何とかこれをやり遂げた。

 

「はぁ~~~///私としたことが・・・一度ならず二度までも・・・」

 普段の冷静さを取り戻した茜は、昼間の騒ぎに飽き足らず、近所迷惑もいいところの大騒ぎを引き起こした自分の未熟さを本気で悔やんだ。

 二度も大切な人たちに迷惑を掛け、その上家の中を荒らしたい放題にしてしまったのだ。

「ぐっす・・・///わたしって・・・本当にダメな女です・・・//////」

 とうとう泣き出してしまう始末。別に彼女は、泣いて許して貰おうとは微塵も思ってはない。もしも、この場を笑って誤魔化そうというのなら・・・それこそ朱雀王子茜と言う女性は真の意味で「魔性」の女となってしまう。至って正常な反応である。

 さて、理不尽な彼女の暴力を受けてしまった幸吉郎や龍樹、写ノ神はというと―――必要以上に彼女を責めるという事はしなかった。

 口元を釣り上げると、写ノ神は泣き崩れる茜を何も言わずに胸の中に包み込むと、優しい声で話しかける。

「お前はダメな女なんかじゃないよ。多少過剰ではあるけど・・・―――俺はそう言うところも含めて、お前を愛してる」

「写ノ神君・・・・・・///私も・・・そんな優しいあなたが・・・・・・大好きです///」

 思えば茜は、ずっと写ノ神の優しい心に救われてきた。初めて出会ったとき、敵の手に掛かって心を支配された茜を必死になって助けたのが写ノ神で、二人は何となく惹かれあいながら絆を深め合い、自然と一緒になることで落ち着いた。

 涙で赤くなった彼女の顔に手を触れると、写ノ神は吸い込むような瞳で茜を見つめ、そして流れに任せて彼女の唇を奪う――――――これを見て、ドラたちは鼻で笑った。

 接吻を終えると、元気を取り戻した茜が満面の笑みを浮かべる。

「ありがとうございます!やっぱり、写ノ神君は優しい人ですね♡」

「もうこんな風に暴れるのだけは勘弁してくれよ。命がいくらあってもたりねーや」

「エラそうなこと言ってやがるが、実際止めたのは俺とドラじゃねぇかよ!」

 気を失っていた写ノ神がこの場をまとめようとする事に、駱太郎は少しも面白みを感じなかった。不貞腐れた様子でそっぽを向く。

「さて。一段落ついたところで、後片付けしないとね」

「はい。本当に、申し訳ありませ――――――」

 と、言いかけた直後。茜の目の前を、鱗粉をまき散らす蝶の様な生き物が飛び交った。

 今の季節は8月。ちょうど、北海道ではマイマイガがあちこちで大量発生していた時期であった。

「ああ・・・・・・・・・//////」

 蛾の姿を見た瞬間に、茜の血の気が引いて行く。そして、気が付いた時には―――もう遅かった。

「蛾は世界一嫌いなんですよ!!!///どっかいってくださ――――――い!!!!!!!!!!!!/////////////////////」

 

 ド―――ン!

 

 畜生祭典の力が解放され、畜生曼荼羅より無数の畜生たちが一斉に飛び出した。

「「「だああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」」」

「虫よりもこっちの方がヤベーじゃねぇか!!!」

「つーか、世界一はゴキブリじゃなかったのかよ!?」

「虫はすべてにおいて、嫌いなんです!順位は関係ありませ――――――ん!!!///いやあああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!////////////」

 これぞ、辺りを省みない理不尽極まりない近所迷惑。

 朱雀王子茜―――この世の中でもっとも忌むべきもの、それは虫。彼女にとって虫とは、存在してはならぬ命なのであった。

 

 

 

 

 

 

おわり

 

参照・参考文献

原作:小森陽一 作画:藤堂裕『S -最後の警官- 1巻』 (小学館・2010)

 

 

 

その2:美少女モデル・茜

 

西暦5537年 10月中旬

小樽市 千葉神太郎(八百万写ノ神)宅

 

「ふぁ~~~。平和だ~~~」

 とある日曜日。八百万写ノ神は平穏な日常を満喫していた。

「朝ごはんできてますよ」

「おお」

 同じ屋根の下で暮らす愛妻・朱雀王子茜に呼ばれ、台所へと向かう。彼女が作る栄養バランスがとれた和食は、この家の基本メニューだ。

「そういや龍樹さんは?」

 不意に写ノ神は、いつもは一緒に食卓を囲んでいるはずの龍樹が家にいないことを疑問に思う。

「今日は山に籠って滝に打たれるそうです」

「へぇ。真面目にそんなことしてるんだー」

 などと談笑をしながら、久しぶりの夫婦の時間を楽しむ。

「写ノ神君。折角こんなにお天気もいいんですよ、私たちもお外に出かけませんか?」

「デートか。確かにそいつはいいな~」

「街中に新しいショッピングモールが出来たみたいですし、行ってみません?」

「よし。こいつ食ったらデートに行くか!」

 

 朝食を済ませ、二人は人であふれる市内へと飛び出し、長閑なデートを楽しむ。

 至福な時を過ごす二人は手を結び、自然な笑みを浮かべ合う。

「こうして休日に二人一緒のお出かけは久し振りですねー」

「ああ。この時代に来てから勉強とか訓練とかやる事が多くて忙しかったからな」

 適当に市内をぶらぶらしながら、二人は近場のファッションストアーへと入店。茜は写ノ神に似合いそうな洋服を吟味し、選りすぐりの服を見せつける。

「これなんて、写ノ神君にピッタリでカッコいいと思いますよ!」

 と、言う茜だが聞いている写ノ神はどこか複雑な気分だった。

 そして―――おもむろに彼女を見つめながら、思っている事をつぶやく。

「なぁ茜。たまには俺じゃなくてお前の服を買ったらどうだ?お前、折角未来(こっち)に来たって言うのに洋服着たことなんてないだろ?」

 夫妻が生活の拠点を過去から未来に移すようになって、茜はこれまで一度も和服以外の服を着たことがなかった。仕事でもプライベートでも和服を着こなし、デート中でさえラフな洋服を着こなす写ノ神とは対照的に、茜は和服を押し通している。

「ご、ご冗談を///洋服なんて私には似合いませんよ///」

 茜はいつになく気恥ずかしそうに手を左右に振り、洋服への抵抗を示す。

 そうかな・・・と、写ノ神がつぶやいた直後―――彼の目に女性用の洋服が止まり、咄嗟に頭に浮かんだインスピレーションが茜とマッチする。

 口元を緩め、目に留まった洋服を手に取り茜に見せつける。

「これなんかどうだ!お前にすごく似合いそうだぜ!」

「ええ!!こ、これを私が着るんですか!?で、ですが・・・///やはり私が着るのはちょっと・・・///」

 人差し指と人差し指を突き立てもじもじとする茜を余所に、写ノ神はそのままレジへと持っていく。

「すいませーん!これください!」

「う、写ノ神君!?」

「たまには俺からもプレゼントさせてくれ。あ、直ぐ着せたい人がいるんで」

 写ノ神は困惑する茜を指さし、女性店員は破顔一笑し「では、こちらへどうぞ」と試着室へと誘導する。

「ちょ、ちょっと待ってください///やはりその・・・いやぁ~ん///」

 茜は、半ば強引に和服から洋服へと着替えさせられることとなった。

 

 それからしばらくして、店を後にした写ノ神と茜は大空の下を、大手を振って歩く。

 と言っても、それは飽く迄も写ノ神ひとりだけの話で、人生初体験となる洋服に茜は終始周囲の視線を気にしながら写ノ神の上着を掴んでいる。

「ね、見て見て!あの子かわいい~!」

「ホントだー!かわいい!!お人形さんみたい!」

「スタイル良いな~。モデルの子かな~」

 眉目秀麗な美少女の洋服姿は、たちまち周りの視線を集める。写ノ神はそんな世間の注目を集める茜を独占していることへの優越感に浸ると同時に、茜が褒められることが何よりも嬉しかった。

「ほら茜!みんなお前のこと見てるんだぞー!」

「・・・恥ずかしいですよ///ですから洋服は苦手なんです///」

「恥ずかしいこと無いって。みんな茜がかわいいって褒めてるんだぜ!」

 普段は肌を露出することのない和服に着慣れているせいか、構造上太ももや二の腕を露出するワンピースが、茜には刺激が大きかった。

「ねぇねぇ君!買い物?」

 どこからともなく見知らぬ男が茜の下へと近づいてきた。茜は咄嗟に写ノ神の後ろへと隠れ、顔を潜める。

「時間あったら俺とさ~」

「俺の女房に手を出すな―――!!!」

「おひゃああああ///」

 激昂する写ノ神の迫力を前に、男は一瞬にして石化する。

「さぁ!行こうぜ、茜!」

 眉間に皺を寄せ、写ノ神は茜の手を引いていく。

 だが、その後も懲りずに茜に言い寄ろうとする男は大勢いた。

「彼女!どこ行くー「ぶっ殺すぞ!!」

「うごおおお///」

「あれ?どこかであったことない?「ねぇよ!!」

「だああああ///」

 不用意に彼女をナンパしようとする男という男を、写ノ神は徹底的に排除し、彼女を守ろうとする。

「ったく!どいつもこいつも下心丸出しに茜をたぶらかそうと!」

 写ノ神の行動そのものはとても勇敢で凛々しいと思う。その一方で、茜は人目を過剰に気にするようになっていく。

「あ、あの写ノ神君・・・ますます人の視線が強くなってる気がするんですけど・・・///」

「それだけお前がかわいいって事だろ。俺は嬉しいぞ!」

「そのかわいさは写ノ神君の前だけで見せたいんですよ・・・///こんな人目にさらすなんて、酷いです///」

「ははは。悪いとは思ってるよ。だから今日は、お前の欲しい物は何でも買ってやるからな!」

 初めて茜が洋服を着ている事が、写ノ神の興奮を高めているのは言うまでもない。

 普段の和服姿とはまた違ったかわいさが際立っている―――そして何より、洋服を着ているときの茜の方が塩らしく、大人しい事に気が付いた。

「あの」

 すると、不意に二人の耳に女性の声が飛び込んでくる。

 声のする方へ振り返ると、スーツ姿にメガネを掛けた女性とカメラを携えた無骨な男が立っている。

「ちょっといいかしら?」

 先ほどの経験からか、写ノ神は咄嗟に茜を後ろへ隠し守ろうとするが―――女性は鞄へと手を伸ばす。

「私たち、こう言う雑誌を作ってるものなんだけど?」

 茜は女性が取り出したファッション雑誌の表紙を怪訝そうに見つめる。

「ガールズモーリー?」

「ガールズモーリー!!これってもしかして、“フェアリーストリート”ですか!?」

「ピンポーン!」

 嬉々とした表情の写ノ神に対し、茜はその言葉の意味を理解できていない。

「あの、一体何のことですか?」

「読者モデルのコーナーさ!ガールズモーリーって言えば、北海道から全国に発信してる新進気鋭のファッション雑誌なんだ!!

 直後―――写ノ神はある事に気が付き目を見開いた。

「じゃあ・・・もしかして!!」

「そう。もしよかったら、あなたのこと撮影させてもらえないかしら?」

 ガールズモーリー担当記者の女性・氷川鼎(ひかわかなえ)は、茜のことを見ながら嘆願する。

「撮影?私が・・・ですか?でも、どうして?」

「今日見かけた一番かわいい子だから!」

 あっさりと口にする氷川に、茜は気恥ずかしそうに写ノ神を見る。

「えっと・・・写ノ神君・・・こう言う場合は・・・」

 写ノ神は茜に変わって、深々と頭を下げる。

「よろしくお願いします!」

「えええ!!!ちょ、ちょっと写ノ神君!?」

「やったぜ茜!モデルデビューだぞ!!」

 思わぬところでモデルデビューを果たした茜を誇らしく思う写ノ神と、一連の出来事に終始困惑を抱く茜―――まるで対照的だった。

 

 ガールズモーリーは、写ノ神が話していた通り、北海道から全国展開を果たす新興の女性雑誌であり、その知名度はここ数年でうなぎ上りである。

 読者モデルに選ばれた茜は写ノ神の勧めもあり、不承不承に撮影に協力。早速、海辺をバックに撮影が開始される。

 撮影の様子を見守っていた写ノ神は、普段でこそ笑顔が絶えない茜がどこか硬い表情を浮かべている事を不思議に思う。

「茜の奴、普段はあんなに柔らかいくせに洋服着た途端固くなりやがって。もうちょっとニッコリすればいいのに?」

「そうでもないみたいよ」

「え?」

 一緒に撮影の様子を観察していた氷川が、写ノ神の認識とは逆のコメントをつぶやく。

「あの子は笑っていない方が雰囲気出るわねー」

「雰囲気・・・ですか?」

「あの子・・・とんでもない逸材かもしれないわ!」

「逸材・・・茜が・・・!!」

 それは、明らかに茜の実力を認め高く評価している言葉だった。

 写ノ神は写真撮影の中で自然と磨かれる茜の洗練された可愛さ、美しさに吸い込まれそうになる一方、これを機会に茜をもっと世に知って欲しいという感情を抱く。

 

 

TBT本部 特殊先行部隊“鋼鉄の絆”オフィス

 

 翌日。ドラたちは昨日の出来事を写ノ神から聞かされ、一様に茜を褒め讃える。

「へぇ~茜ちゃんがモデルデビューか」

「このアバズレがよくそんな大層なモンに!」

 と、普段のイメージからか、駱太郎がつい暴言を口にすると―――写ノ神は彼の足を全力で踏みつぶす。

「ぐああああああああ!!!」

「アバズレ言うな!人の女房だぞ!」

「あんなに緊張したのは生まれて初めてでした・・・///」

 一夜経っても、撮影時の緊張が抜けきれず―――茜はいささか疲労感を露わにする。

「まぁ何事も経験じゃよ。今度の撮影も期待しておるぞ!」

「え?今度の・・・どういうことですか!?」

 龍樹の放った何気ない言葉に面を食らう中、写ノ神はニコッと笑みを浮かべ茜に言う。

「昨日の氷川って記者から連絡が来たんだよ。編集部で写真の評判がとっても良くて、早速メイキャップやスタイリストの人も呼んで正式に撮影したいって話になったんだよ!」

「え・・・えええ―――!!!」

 突然告げられた言葉に、茜は腹の底から声を上げる。

「正式に撮影って・・・どういうことですか!?」

「昨日の記者に俺の連絡先を教えたんだ。そしたら今朝メールが来てさ!」

「ですが・・・私・・・///」

「正式ってことは、プロのモデルってことだよな?凄いじゃねぇか!」

「プロ?プロか~、やったじゃん茜ちゃん!」

 戸惑いを隠せない茜を余所に、ドラたちは彼女のモデルデビューを自分の事の様に喜んでいる。

「今度の土曜日にロケをするから、予定を開けといてくれってさ!」

「・・・・・・」

 すると、茜は顔を伏せ口籠る。この態度を前に、写ノ神ははっと我に返り、いつの間にか自分の強引な我がままを彼女に押し付けていたことを悟った。

「あ、ごめん茜!俺さ、お前がみんなにかわいいって言われるのが嬉しくてつい・・・お前の気持ちを無視して勝手なこと・・・ほんと悪い!撮影中止してもらうよう氷川さんに言っておくから!」

「・・・・・・撮影行ってあげますよ」

 心の底から詫びる写ノ神に対し、茜から帰ってきた言葉は全く逆の言葉だった。

「本当か!?」

「そ・の・か・わ・り♪」

「え?代わり・・・」

 どことなく悪意ある表情で笑いかける茜に、写ノ神はきょとんとした表情を浮かべる。

 

 

小樽市 小樽築港・臨海公園

 

「はい。そこでカメラ見て!」

 土曜日。撮影のため築港駅近くにある臨海公園へと赴いた茜は、ガールズモーリースタッフの全面協力の元、用意された衣装に着替えカメラの前に立つ。

「はい!オッケイ」

 フィルムチェンジをしている間、用意された椅子に座った茜は嬉々とした表情を浮かべる。

「写ノ神君~~~♪」

 すると、茜の呼びかけに反応し、何処からともなく写ノ神が現れる。

「靴下履かせてください」

「はい!ただいま!」

 撮影を許諾した条件として、茜は写ノ神を付き人に設定。甘んじて条件を受け入れた写ノ神は大喜びで彼女の脚に靴下を履かせる。

「次は左脚。それが終わりましたら靴を履かせてくださいね♪」

「畏まりました」

 まるで位の高いお嬢様とそれに仕える忠実な執事そのものだった。

「写ノ神君!」

「ご用ですか、お嬢様!」

「お日様が眩しいです」

「お任せください!」

 素早くパラソルを取り出し、直射日光から茜を守る。

「喉が渇きましたね~」

「はい!」

 すばやく多種多様のドリンク類を取りそろえ、ブドウジュースを茜に提供。

「リンゴが欲しいです」

「はい!」

 おもむろに、写ノ神は新鮮なリンゴを取り出す。

「うさぎさんにしてくださいね♪」

「承知!」

 果物ナイフを手に取るや否や、リンゴを宙へ投げつけあっという間にウサギの形切り分け、それを皿に乗せる―――もちろん、彼女の手が汚れないよう爪楊枝を差して。

「ん~~~。おいしいです~~~♪」

 大満足の茜とは裏腹に、撮影スタッフはこの二人の様子を不思議そうに見つめる。

「どうかお気遣いなく。今日は俺、茜の付き人なんです」

 写ノ神自身はこれを苦とは思っていない様子だった。むしろ彼は、茜のためならどんなことでもやる、そうした強い覚悟でいっぱいだった。

 

 それからしばらくして、トイレ休憩に写ノ神が向かった直後―――

「茜ちゃ・・・」

 氷川が声を掛けようすると、茜はパラソルの下で寝息を立てていた。

「あら。寝ちゃったのね?」

 と、そのとき。氷川は茜が常時髪留め用に使っている緑の紐をじっと見る。

「ん~~~。この紐は次の衣装には合わないわね~。他のに変えてくれるかしら?」

「わかりました」

 氷川の独断により、スタッフは寝ている茜から紐を取り外し、テーブルの上へと置く。雲息が次第に怪しくなってくる中、茜は寝息を立てたまま目を覚まさない。

 そして間もなく、雨が降ってきた。

「茜っ!」

「痛たっ!」

 直後、トイレ休憩から写ノ神が戻ってきた。彼の声に反応し、茜はテーブルの角に肘をぶつける。その弾みで、彼女の髪紐が落ちる。

「お待たせー!」

 彼が戻って来ると、雨が本格的に振り出し、スタッフは一度車へ戻ることにした。

「みんなー。天気が回復するまで車に戻りましょう」

「「「了解!」」」

「ですって。戻りましょう、写ノ神君」

 スタッフと茜はただちに撤収を開始する。その後に付いて行こうとした写ノ神だったが、先ほど浜辺に落ちた茜の髪紐を見つけた。

 写ノ神は茜の髪紐を拾い上げ、まじまじと見つめる。

「写ノ神君、傘!」

「あ!悪い、ちょっと待ってくれ!」

 尻ポケットへ髪紐をしまい、写ノ神は賭けかけてあったパラソルを持って茜の下へと走って行った。

 

「ラスト!目線下さい!」

 数時間後。建物の中での撮影が終了し、茜はモデルとしての職務をすべて完遂する。

「はい!お疲れ様、茜ちゃん!」

「みんな、ご苦労様!茜ちゃん、お疲れ様!」

 氷川やスタッフから労いの言葉を貰った茜は、写ノ神の元へと戻り、どっと溜まった疲れを露わに、腰を下ろす。

「ふう~。疲れました」

「お疲れ、茜」

 そこへ、茜の魅力を見抜いた氷川が労いの声を掛ける。

「茜ちゃん。今日はとっても可愛かったわよ。素敵な写真に仕上がると思うわ」

「いえ。こちらこそ、ありがとうございます・・・///」

 言った茜はガラスに映った自分の姿を見る。

「あ!」

 直後、自分の髪留めに使われた紐が緑から青い色に変わっている事に気付き―――慌てて紐を外す。

「これ・・・!」

「ああ、さっき海岸で取り換えたの。茜ちゃん疲れてるみたいだから、気づかなかったのね」

「じゃあ・・・私の髪紐は・・・///」

「さぁ、どうしたかしら?ねぇ!茜ちゃんの髪紐知らないかしら?」

「え?私テーブルに置きましたけど」

 無責任とも思える氷川とスタッフの言葉に、茜は酷く狼狽えた様子で声を震わせる。

「リボン・・・探さなければ・・・///」

 言うと、茜は一目散に海へ向かって走り出す。

「お、おい!茜!?」

 

 海へと向かった茜は、先ほどまで撮影していた現場に到着―――そして、目の前の光景に目を奪われる。

「はぁ、はぁ、はぁ・・・ウソ・・・潮が・・・どうしましょう///」

 潮が満ち、体積が増えた海に愕然とする茜。だが、それでも彼女は海に入り髪紐を探そうとする。

「茜!」

 そこへ、写ノ神が現れ海に足を付ける彼女の腕をぎゅっと掴む。

「何やってんだよ!?危ないぞ!戻ろう!」

「離してください!髪紐を探すんです!すごくすごくたいせつな・・・お母様からいただいた髪紐、探すんですから!」

「ある!それなら俺が持ってる!」

「え・・・///」

 ほらと言い、写ノ神は拾ってあった髪紐を取り出し、茜に見せる。

「俺が拾っておいたんだ」

 失くしたと思っていた大切な代物を、一番大切な人が既に拾っていたという幸運―――堪らず「ううう・・・・・・///」と涙ぐみ、茜は写ノ神の胸に顔を伏せた。

 

 そして―――海から上がった茜の髪に、写ノ神はいつも彼女がしているように髪紐を結ってあげた。

「ほら。これでいいだろ?」

「ありがとうございます///本当に・・・良かった・・・///」

「そんなに大切なものだったのか、それ」

「お母様が死の間際、私に託してくれたものですから・・・私にとっては命と同じか、それ以上に大切な代物なんです」

 母の形見を命と同等に扱う茜と、その形見を自然な形で守りぬいた写ノ神。

「本当に、ありがとうございます!」

「いいって。俺は別に大したことしてねぇし。俺の方こそ、無理に撮影に参加させちまってみたいで・・・ごめん」

「いいえ。これはこれで、結構楽しかったですよ」

と、満面の笑みを浮かべる茜に「そっか」と写ノ神は言葉を返し、その場を後にしようと歩き出す。

「写ノ神君!」

「ん」

 茜に呼びかけられ振り返った瞬間―――首に手を掛け、写ノ神の唇に茜は自分のそれを重ねあわせる。

「―――大好き♡」

 

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

その3:茜とコミックマーケット:5538年度冬の陣

 

西暦5538年 12月28日

東京・江東区 東京国際会議場(東京ビッグサイト)

 

 午前8時半。展示会場の東京ビッグサイトからおよそ400メートルに渡る大行列―――今日は、日本のサブルカルチャーにおける重要な日である。

「やってきましたー!!!私たちのオアシス、コミックマーケット!!」

 やたらとテンションがハイな茜と、その彼女から距離を置いた場所で立ち尽くすドラたち。朱雀王子茜は今日という今日が来るのを待ちわびていた。

 コミックマーケット―――通称コミケは、個人やサークルが手掛けた作品を販売するイベントで、有名な漫画やアニメを題材に独自に描いたストーリーが多いのが特徴。毎年夏と冬に開かれ、冬は御用納め以降の開催がほとんど。

 世界最大規模の漫画・アニメの二次創作物の即売会には各国から数多くの人間が集まり、その日だけでも20万人という人数が会場に足を運ぶ。しかもその数は年々増加傾向を見せている。

 有象無象とばかりに集まる人、人、人―――あまりの人の多さに幸吉郎や駱太郎は何度もぶつかり、不機嫌な思いを抱く。

「痛っ。ったく無駄に人が多いな・・・」

「というかオタクばっかじぇねぇか」

「だってコミケだもん。オタクが大半を占めるのは当然でしょう」

 会場内には自分の好きなアニメや漫画の登場人物になり切る者たち―――コスプレイヤーも犇めき合っている。コミケの醍醐味のひとつである。

「しかし同人誌の即売会というだけで、これだけの人間が集まるものなのじゃな」

「サブカルチャーは閉塞された日本社会に活力をもたらす原動力ですからね。でも意外だったな、茜ちゃんが長官みたいにどっぷりコミケに嵌るとは思いませんでした」

「その長官は今日はいねぇのか?」

 この手のイベントごとに居ても不思議ではないはずの昇流が居ない事を、写ノ神は不自然に思いドラに尋ねたところ―――

「あの人こう言う日にはずっと行動が早いからね。とっくに現地で陣をとってるよ」

「ところで、アバズレはここで何を買うつもりなんだ?」

「駱太郎さんにお話したところでわからないでしょうから、言いませんよ♪」

(このクソ(アマ)が・・・・・・!)

 完全に相手にされていない、というか見下されている。駱太郎の中で茜への憎悪がひしひしと湧き上がる中―――ドラたちはいよいよ会場入りを果たす。

 会場内は外とは比べ物にならない熱気に包まれ、人の多さも尋常ではない。おまけに単なる即売会でけに留まらず、最近では一般企業もブースを展開している事もあり様々な思惑が飛び交っていた。

 ワーワーガヤガヤとする会場内。コミケ初体験者である幸吉郎らはその独特な雰囲気に終始困惑する。

「兄貴。この異様な熱気は何でしょう!?」

「コミケ特有の雰囲気に呑まれるなよ幸吉郎」

「この雰囲気こそコミケの醍醐味というものです♪何日も前からインターネットの掲示板で同人サークルのブースを調べ、経路を設定し、綿密な予定を立てて来たのです。さぁ、今日は思う存分盛り上がっちゃいますよー!!」

「気持ちよいところ申し訳ないのじゃが、こんなところに年寄りが来ても果たして楽しめるものなのかのう?」

 龍樹は自分がコミケに来たことは場違いではないかと不安がる。

「それなら心配ありません。何もコミケは即売会だけが売りではありません。例えば・・・あちらなんてどうでしょう?」

 茜に言われとあるブースの方へ視線を向ける。長い行列の先に龍樹が見たのは、とある演歌歌手の実寸大の写真。

「あ、あれは・・・超大物演歌歌手・小林雪司!!なにゆえこんな場所に本物が!?」

「知らなかったんですか。あの方、ネット上では“ラスボス”って言われていて、先月発売されたゲームソフトの挿入歌を入れたオリジナルCDを発売しているんです。しかも今日は本人が直接売り子になって販促活動をしているのです」

 茜の説明を受けながら龍樹は興奮した様子で鼻息を出し、「どうもありがとうございました!いらっしゃいませ、ようこそ」と笑顔で売り子を務める和服姿の熟女、もとい大物演歌歌手を見つめる。

「じじじじじ、じ、実は拙僧・・・!!雪ちゃんのファンなんじゃよ!!!」

「ええ、見たらわかります」

「買うなら早く並んだ方がいいですよ。前々から噂されていたものですから、お客さんだって―――」

 と、言いかけた直後。龍樹は目もくれずに小林雪司ブースへと疾走する。

「ぬおおおおおおおおおおおおお!!!雪ちゃーん、いま行っちゃうもんねー!!!」

 とても70歳近い老人の動きではなかった。人が多すぎる中でも龍樹の動きは誰の目にも留まったらしく、皆異様な光景を見て呆然としている。

「ジイさんもこの会場の雰囲気にあてられたか」

「なんつーか色んな意味で怖いよな」

「怖くなんてありませんよ。大丈夫です、写ノ神君のことは私がリードいたしますから!」

 言うと、不安でいっぱいの写ノ神の手を半ば強引に引っ張り―――茜は満面の笑顔を浮かべながら前進を開始。

「さぁさぁ、参りますよー♪」

「ちょ、待てって!そんなに引っ張らなくても・・・!!」

「ぐずぐずしてるとお目当てのブースが人でいっぱいになってしまんです!!」

 写ノ神を連れて茜はいつもよりも早い歩行速度で移動を始めた。残されたドラたちはどうしていいか分からず、呆然と立ち尽くす。

「ど、どうしますか?」

「ああ・・・そう言えば龍樹さんにコミケの細かいルールを伝えてないからな。オイラはあの人にその事を伝えて来るよ。幸吉郎とR君はあの二人の後を追いかけて。この人混みだから、くれぐれも迷子にならないように」

 

 大盛況のコミックマーケット。ただいま、茜は目当てのブースを探しながら写ノ神を引っ張っている。

「うわぁ・・・・・・今年も凄い数ですねー!夏は荒事で来れませんでしたから、今日はたくさん買って行きますよ!!」

(はぁ・・・。なんか調子来るな)

「ああああああ!!!写ノ神君見てください!!」

「ふぇ?」

 突然の奇声、もとい歓声。何事かと思い写ノ神が茜を認識したところ、彼女は嬉々とした表情を浮かべとある個人のブースが販売している同人誌を見ている。

「これ!!女子プロレスの神様・アバズーレと『鬼火の冷静』とのコラボ漫画です!!!これは絶対買わないといけませんね!!!」

 どういう趣向かは分からないが、茜を興奮させている要素は一つに女子プロレス。もう一つが最近人気に火が点いた漫画が元ネタになっている事。画はいわゆる少女 漫画チックに描かれており、内容もどこか非日常観満載のものとなっていた。

「お前・・・女子プロレスとこういう漫画が好きだったのか?」

「そうなんですよ♪女子プロレスってテレビでもそうですけど、生で見ると迫力満点で・・・ついつい試合後は誰かに技をかけたくなるんですよね♪」

 聞いた直後、写ノ神の脳裏に浮かぶひとつの光景。以前、失言をした駱太郎の事を茜が笑顔を浮かべながらコブラツイストをしている事があったのだ。

「すみません、一部ください!」

「350円です」

 迷わず購入を決めた茜は、金額を提示されると懐から透明なケースを取り出した。その中には何百枚という数の小銭が納められている。

「何だよそれ?」

「コミケの暗黙の了解なんですよ。個人ブースが多いので、なるべく高額紙幣での買い物は避けないといけないんです。こんな風に1万円札を100円に崩してケースに持ち運ぶのは常識なんです!」

 しっかりとコミケにおける知識を身に着けている事からも、茜のコミケに対する熱が本物である事は明白だ。

 何も知らない写ノ神が唖然とするかたわら、茜は目当ての同人誌を購入できた喜びをこれでもかと表現する。

「買っちゃいましたー!!!買っちゃいましたよ写ノ神君!!!」

「ああ、そうだね・・・良かったね「あああ!!!!あんなところにも―――!!!」

 刹那、茜の興奮を掻きたてる商品が飛び込み―――それを見つけや、茜は写ノ神を引っ張り回す。

「ぐおおおおお!!!」

 その際、普段は何者よりも尊大かつ大切に扱っている彼を物同然に雑に扱っている光景を大勢の人の前で披露した。 

「俺ってこんな扱いでいいのかな・・・!?」

 茜に手を引っ張られ、床に頭を引きずられながら写ノ神は涙を流し―――この度の境遇を何よりも不憫に思った。

 

 その頃、幸吉郎と駱太郎は写ノ神たちの行方を追っていたが―――

「チックショー・・・」

「案の定迷子になっちまったな」

 来場者数20万人を超えるコミックマーケットではこのような事は常に発生する。ルート設定も碌にしていない二人はどこをどう探せばいいのか分からず、途方に暮れていた。

「ったく。あいつらどこに行きやがった?」

 と、そんな時だった。

「へいへいらっしゃーい!!お買い得だよー!!」

 二人の耳に飛び込むいつも職場で聞いている声。声の主は呼び子となり、会場に来ている人々を集めようとしている。

「駱太郎。この声どっこかで聞いた事あるよな?」

「ああ」

「そこのお客さん、俺らが作ったプリキュアの同人誌買ってかない!安くしとくよー!」

 声の主は二人だった。しかも二人目の声も彼らの脳裏に深く刻まれた濃いキャラのものであり、ある程度の予想をしてから振り返ったところ―――真後ろに設置されたブースには昇流と隠弩羅の二人の姿があった。

「やっぱり・・・・・・」

 溜息をつくと、二人は彼らのブースへと向かう。

「長官、それに隠弩羅も」

「げっ!おめぇらなんで・・・」

「よう、来てたのか!!」

 昇流は幸吉郎たちが来ているとは夢にも思っていなかったようなリアクションをとる。一方で隠弩羅はいつものような剽軽な振る舞いを見せる。

「おめぇも長官も、こんなところで何してる?」

「見りゃわかるだろ!俺らもブース出してんだよ、もちろんプリキュアのな!!」

「おめぇに画なんか描けるのかよ」

 基本的に隠弩羅が嫌いな幸吉郎。威圧感たっぷりに否定的な捉え方をすると、隠弩羅と共同でサークルをやっている昇流が自慢げに鼻息を出す。

「そこら辺は心配ねぇ。作画担当は俺で、話の構成は隠弩羅が考えた」

「どうだおめぇらもひとつ?なかなかの出来栄えだっぞ!」

 勧められた同人本を手に取ってみた。表紙絵と漫画の方は昇流が担当しただけあって、プロ並みの仕上がりになっているが―――その内容はというと。

「『プリキュアオールスターズAnother Stage 倒せ、邪悪なる魔猫!!』・・・」

 明らかに二人のドラ個人に対する恨み、辛み、その他の批判の気持ちを具現化したものであり、簡潔に内容を説明すればプリキュアと呼ばれる伝説の美少女戦士たちによって悪の権化の魔猫(実際のドラをモデルに過剰に悪に仕立てた敵)を力を合わせて倒すというもの。

「これ怒られるぞ!?」

「というか殺されること間違いなしだって、ヤベーって!!本人ここに来てるんだぞ!!」

「ふん!今更引き返せるかよ!!コミケはオタクの年に二度訪れる自己表現の場所なんだ!!俺は、このコミケに魂の炎をたぎらせているんだっ―――!!」

 並々ならぬ情熱を抱く隠弩羅と幸吉郎たちに生じるギャップ、温度差は相当なものであった。

「茜といい二人といい・・・なんでそんな無駄に熱くなれるんだ?」

「茜がどうかしたのか?」

「あれ?長官さんに隠弩羅さん!お二人もブース出してたんですね!!」

 噂をすれば影。茜の声が聞こえてきたと思えば、幸吉郎たちは驚くべき光景を目の当たりにする。

ブースと言うブースをハシゴし、片っ端から商品を購入してきたことで手荷物がいっぱいになってしまった茜は写ノ神を荷物運びにしていた。が、その量は14歳の男子が抱えて運べる量を逸脱していた。

「な・・・なんだよそれ!?」

「大丈夫か写ノ神!?」

「これくらい・・・・・・どうってことねぇよ・・・・・・・・・!!」

「へへへ♪ちょっと買いすぎてしまいましたね」

 舌を出してカワイ子ぶるものの、やってる事はえげつない。荷物持ちにされている写ノ神の辛そうな顔を横目に、昇流は茜が購入した中身を確かめる。

「結構やおい内容のばっかだな。茜、おめぇも見かけによらず腐女子だな・・・」

「長官なんてこというんだよ!!・・茜は腐った女のわけねぇじゃねぇか・・・!?」

 と、次の瞬間。

「うおおおおおおお!!!」

 足元が大きくふらつき、写ノ神は体勢を崩し倒れる。その際、抱えていた大量の紙袋の下敷きと化してしまった。

「写ノ神君!!」

「おいしっかりしろ!?」

「ててて・・・」

「大丈夫ですか!?お怪我はしていませんか?!」

「ああ・・・・・・何ともねぇ」

「バカだな写ノ神、腐女子ってのはオタク用語でやおい漫画とかが好きな女子の事だって。言っとくけど、同性愛サークルほど市場規模のデカイものはねぇ!現に俺らの周りを見てみろ、ほとんどがそうだぞ」

「何が同性愛だ!!ふざけんなよ!!」

 そのとき、隠弩羅の言葉を全力で否定するドラの声が聞こえてきた。

「あ、兄貴!戻って来たんです・・・・・・何ですかそれは!?」

 幸吉郎は非常に違和感を覚えた。あのドラも、両手いっぱいに同人誌や関連商品が納められた紙袋を抱えていたのだ。

「同性愛のどこがいいんだか。やっぱりカップリングはノーマルに限るだろ!」

 試しに中身を確認してみたところ、ドラが購入した物はやおい漫画を好む腐女子などからはあまり好まれる事のない漫画・アニメの正統派カップルを扱ったジャンル。このような主人公とヒロインという風に自然とくっつきそうなカップルを扱ったジャンルをノーマルと呼称する。

「どこで見つけて来たんだよ!?つーかお前に恋愛ものは似合わねぇよ!!」

「失敬だな。オイラは、何を隠そうノーマルカップリング至上主義だ。ラピュタのパズシーとかバカテスの明瑞(あきみず)とか、そう言うの扱ってるジャンルって少ないからな。探すのに苦労したんだよ」

「パズシーって何!?バカテスの二人をそんな風に略す奴あんまいねぇって!」

 コミケと言う会場だからこそ暴露できることもある。恋愛ごとに興味のないフリをしているドラは厳密に言えば自分の色恋沙汰には興味はないが、漫画やアニメなどのジャンルにおけるノーマルなカップリングを扱った書籍を見るのは大好きであるらしい。

「そうそう。写茜(うつあか)のブースも見つけて来たから買って来た」

 言うと、ドラは会場内で偶然見つけた写ノ神と茜のカップリングを扱った同人本の何部かを本人たちの前で見せてくれた。

「俺らは二次元じゃねぇだろ!!どこのブースだ、俺たちに断わりも無く勝手に書籍化しやがって!?」

 気恥ずかしい思いを抱く写ノ神を横目に、茜が試しに中身を確かめると、そこには普通では考えられないような過激なエロが詰まっていた。

「きゃああああ~~~!!!この写ノ神君・・・現実よりも積極的で大胆・・・・・・なんて破廉恥ですばらしい内容なんでしょう♡」

「やめろ―――///本人がいる前で恥ずかしいもの読むのはやめて!!!///」

 興奮度、並びに満足度も相当に高い作品に終始うっとりの茜を写ノ神は必死になって止めようとした。

「あれ?なんだこれ」

「あっ!!!それは・・・・・・」

 そのとき、隠弩羅と昇流のブースに目をやったドラが例の書籍を手に取った。

 二人が青ざめた顔を浮かべる中、数秒間の沈黙の後―――ドラの静かなる怒りが東京ビッグサイトを震撼させた。

 

 ―――ドン!!!!

 

「「うぎゃああああああああああああああああああああああ!!!」」

 

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

ドラさん語録~サムライ・ドラが残した語録集~

 

その46:やっぱりカップリングはノーマルに限るだろ!

 

らしくない、らしくない、ドラさんらしくな―――い!!!!!!(第44話)




次回予告

昇「俺は本来、鋼鉄の絆(アイアンハーツ)のメンバーにはカウントされないんだが、どうやらそう言う雰囲気になっているらしいな。つーわけで、次回はこの俺の!!」
ド「すいません。長官の話は全面カットでお願いします」
昇「ざけんじゃねぇ!!次回、『杯昇流之巻』!!俺は絶対にやり遂げて見せる!たとえどんな障害が待ち受けていようともな!!」

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