「ところでみんなは付録つきの本を買った事があるかな?拙僧もあれには弱くてな、ついつい買い過ぎてしまうのじゃが・・・今回はそれにまつわる話を含め、滝行の模様、そして焼き肉を食べたときの話。この三部構成でお届けしようと思う」
龍その1:ふろく好きの末路
西暦5539年 1月某日
小樽市 駅前通り 紀伊国屋書房
「お」
仕事帰りの事だった―――龍樹常法は書店の棚で、偶然にも一冊の本に目を引かれた。
平積みにされた分厚い本の冊子をじっと眺め、おもむろに手を取ると、その本に付属されたおまけに心奪われる。
「付録付きか」
逡巡したのち、龍樹はこれを購入した。
*
午後6時過ぎ
小樽市 千葉神太郎(八百万写ノ神)宅
「ただいまー」
仕事を終えた写ノ神が帰宅する。
靴を脱ぎ、茶の間へと向かって歩こうとした矢先―――彼の目に奇妙な物が見えた。
「ん」
横目で靴棚の上に置かれた物を一瞥し、写ノ神は改めて顔を向ける。
「うええ!」
予定調和には無かった代物に度肝を抜く。靴棚の上には、朝家を出た時には見られなかった金色色に輝く千手観音の置物が飾られていた。
「おい!おい!なんだ一体・・・・・・」
一目散に茶の前へと向かうと、写ノ神は茶の間で洗濯物をたたんでいる最中の茜の元へと駆け寄った。
「あら。おかえりなさい、写ノ神君」
「玄関に変な仏像が置いてあるけど、どうしたんだあれ?」
「ああ。あれはですね、龍樹さんが買ってきた本のおまけですよ」
「おまけ?」
それを聞き、ソファーの上でお茶を啜るかたわら―――熱心に本を熟読する龍樹に目を転じる。
彼が手に取っている本の表紙には、『週刊日本の国宝マガジン 創刊号~特集・国宝の歴史、国宝展』―――と書かれている。
「『週刊日本の国宝マガジン』・・・?」
「最近はやっているじゃないですか?付録つきの雑誌ですよ。えーと、そういうの世間では何と言うのでしたっけ・・・ハウツー本ではなくて・・・」
「ムック本(mook:雑誌と書籍をあわせた性格を持つ刊行物のこと。magazine の m- と book の -ook のポートマントー)な」
「そう!それです!」
すると、二人の会話の頃合いを窺い―――龍樹がおもむろに口を開く。
「千手観音の千本の手はな―――どのような私情をも漏らさず救済しようとする、観音の慈悲と力の広大さを表しておるのじゃ。さらに言えば、千手観音の救済の力が及ばぬ世界はないとされており、祈ることで延命、滅罪、さらには男女和合の利益も得られるのじゃ」
両手を上に掲げ、独特の雰囲気を醸し出し、千手観音を彷彿とさせる。
本当に龍樹の背後に千本の手(実際には腕は四十二本で、その腕一本で二十五人を救済する)が生えた―――そんな像を見た写ノ神だが、どうにも素直に評価できない気持ちの方が強かった。
「凄いじゃないですか、龍樹さん!」
「え!?」
写ノ神とは対照的に、茜は龍樹の造詣を素直に評価する。
「やっぱり物知りですねー」
「ふふ。伊達に年は食っておらんからな」
褒められると、自信満々に鼻息をもらし、満足気な表情を浮かべる。
「って、ただの本の受け売りだろ?つーか、仮にも仏教に帰依した僧侶・・・それぐらいのこと知ってても何ら不思議じゃない気がするんだけど・・・」
と、写ノ神の評価は正直微妙なもので、むしろ―――冷めた感じにも思える。
「大体ですね、いきなり玄関に仏像っていのはどうなんですかね・・・正直言って趣味悪いですよ」
「何を言っておるか。写ノ神は全然分かっておらん」
「え?」
理解に乏しい、もとい理解しようとする姿勢を見せない写ノ神に―――龍樹は独自の理屈でもって諌める。
「寺に仏像があるのは当たり前。しかし唐突に玄関に仏像があったらどうだ。“むむ、一体何だろうこれは?”と、考えるじゃろ?知識と言うものは、そういう違和感から始まって身に付いていくものじゃよ」
「えーそうですか?そんな訳のわからない理屈を言われても・・・俺にはピンときませんよ」
「まぁ、龍樹さん!あなたは、私たちのような若輩者の教育の事まで考えていたんですね!とっても尊敬しちゃいます!」
「そ、そうかな!!どぅはははははははは!!!」
おだてる茜の言葉にますます増長し、龍樹は高笑い。
このやり取りを見て、写ノ神は一抹の不安を抱き―――茜に苦言を呈する。
「おいおい。何おだててるんだよ?」
「だって、あからさまに機嫌を損ねると面倒じゃないですか。お年寄りというのは還暦を迎えると子どもに返るといいますし」
「調子に乗って部屋中国宝だらけになったらどうすんだよ?俺すねるぞ」
「大丈夫ですよ。どうせ長続きなんてしないですよ」
茜が悲観しないのには、ある程度の根拠があったからだ。
「思い出してくださいよ。前にワンピースを全巻そろえて買って来た時も三日で挫折していたじゃありませんか?」
一度だけ、ドラの影響を受けてジャンプに掲載されている超人気長期連載漫画を全巻買い揃え、熟読を試した龍樹―――しかし結果はまさしく三日坊主。買って来た漫画を枕側にして眠っていたという。
「そういえばゴルフクラブ買った時も、家の中で素振りして蛍光灯割ったっきり、すぐ諦めちまったな」
大長官の勧めで、ゴルフにも挑戦しようとした龍樹は―――スポーツ用品店でゴルフクラブを購入し、自宅で素振りをしていた際、誤って蛍光灯を割ってしまった。そしてそのままゴルフクラブは一度も使われる事無くお蔵入りとなったという。
「心配する事も無いか」
「そうそう。直ぐに飽きますよ」
と、二人はいつもの三日坊主を期待していたのだが―――今回は少々事情が異なっていた。
◇
一週間後
小樽市 駅前通り 紀伊国屋書房
「ありがとうございました」
2号の発売日―――龍樹は迷うことなくこれを購入し、家に持ち帰った。
その日の夜、写ノ神が用を足しにトイレに入った時だった。
*
小樽市 千葉神太郎(八百万写ノ神)宅
「あれ?何だよこの掛け軸は・・・」
見覚えのない水墨画の掛け軸がいつの間にかトイレの中に掛けられていた。
ガチャン・・・
「雪舟作『
「うおおお!?」
不意に声が聞こえてきたかと思えば―――龍樹が扉の隙間から顔を出し、写ノ神の背後から語りかける。
「室町時代の国宝で・・・「ああ!もう、わかりましたよ!」
トイレに入っている時でさえ薀蓄を披露してくるはた迷惑な行為に、写ノ神は怒りを露わにし、扉を閉めて鍵を掛ける。
それから、数週間後―――
「あら?これって・・・」
いつの間にか緻密に再現された城のミニチュアの置物が床の間に飾られていた。
「国宝姫路城」
「え」
怪訝そうに城を見つめる茜に話しかけて来た龍樹の手には、週刊日本の国宝マガジンの5号が抱えられている。
「天を舞う
「は、はぁ・・・・・・」
抱えていた布団を手放し、茜は呆然と立ち尽くす。
「さ・・・流石国宝ですね!!床の間にピッタリ!!ほんと、ピッタリですよ・・・///」
龍樹の国宝コレクションは次第に数を増やしていき、気づいた時にはとりわけ奇妙な物が部屋に飾られている始末。
「なんで埴輪が・・・」
茶の間の四隅に置かれた四体の埴輪。呆然と見つめる写ノ神と茜に、国宝マガジンの7号を熟読していた龍樹が言う。
「
飽きるどころかさらに熱を増す龍樹の国宝コレクション。これには、流石の二人も意表を突かれ、辟易気味。
「付録増殖し続けてるぞ・・・」
「おかしいですね。そろそろ飽きてもいい頃だと思ったのですが・・・」
と、そのとき。
「おっ!これは―――」
目を見開き龍樹が注目したのは、最終ページに掲載されたプレゼントに関する文章。
「『一年間購読すると、背表紙が
風神雷神図と一緒に、自分が鎧兜に身を包み、太刀を携えた姿を想像する―――龍樹の心は大きく躍動する。
「鎧兜か・・・!」
写ノ神は唖然とした。もしも一年間熟読することになれば、たちまち家中は自分たちにとってはいらないガラクタで溢れ、居住スペースが狭くなるのだ。
「どうすんだよ茜!早く止めないと!」
「そんなこと言われましても・・・」
全くの計算違いだった。茜は不用意な言葉で龍樹の好奇心と自尊心を刺激してしまったことを今になって後悔した。
◇
数日後
小樽市 駅前通り 紀伊国屋書房
「8号の発売日は明後日か」
鎧兜を手に入れるため頻繁に書店に足を運ぶようになった龍樹だが、この日は、目当てのものが入荷されていなかった。
骨折り損のくたびれもうけとなってしまい、仕方なく家に帰ろうとした時だった。
「お」
龍樹の目に留まったのは、本日書店に並んだばかりの別の出版社が出しているムック本―――おもむろに手を取り表紙に目を移す。
「『月刊世界の珍昆虫マガジン 創刊号』・・・?」
*
小樽市 千葉神太郎(八百万写ノ神)宅
「いやあああああああああああああ!!!!!!!!」
絹を裂くような女の悲鳴―――声の主は茜だった。
「テーブルの上に変な虫がいますよ―――!!!///」
虫が大嫌いな茜が悲鳴を上げ、涙を浮かべると―――彼女の悲鳴を聞きつけた写ノ神が歩み寄ってくる。
「なんだこれ?」
テーブルの上で上下に足を動かす木の枝に似た虫に注目すると―――
「あれ?これ良く見たら・・・「ナナフシの模型だ」
ソファーの上に座って買ったばかりの昆虫マガジンを読みながら、龍樹は口にして読み上げる。
「節足動物門昆虫綱ナナフシ目に属する草食性の昆虫で、木の枝そっくりだろ!」
「確かに言われてみれば・・・いや~良くできてるっすね!」
「って!感心してる場合じゃないですよ!!私が虫が大嫌いだということを知っていてこんなもの買って来るなんて!気色悪いから止めてください、こんなもの置くのは!!」
国宝コレクションとは裏腹に茜は強く抗議をしたところ―――
「来月号はフンコロガシ・・・」
「「は?」」
「本物の糞付か」
「「ええええ!!!!!!!」」
その瞬間、フンコロガシとそれが転がす巨大な糞の塊のイメージが鮮明に思い浮かんだ。写ノ神と茜は本物のフンコロガシの糞が抱き合わせとしてついてくるということを聞かされると呆然―――開いた口が塞がらなくなる。
「う、写ノ神君!!」
「そ、そうだな!」
国宝コレクションだけでも辟易しているのに、加えて珍昆虫のコレクションが増えるとなると、益々居住スペースが制約される。
写ノ神は龍樹の暴走を止めるため、なるべく彼が傷つかない言い方で呼びかける。
「えっと・・・龍樹さん・・・虫もいいですけど・・・でも、龍樹さんにはもっと知的な趣味の方が向いているんじゃないですかね!?」
「知的?」
「ほら!科学とか!!」
「科学か・・・・・・」
その数日後。書店に足を運んだ龍樹は写ノ神が勧めてくれた科学系のムック本、その名も「隔週大人のサイエンスブック」をさっそく手に取った。
「『指紋検出血液判定ができる探偵スパイキッド付き!!』・・・」
この見出しに興味が引かれ、龍樹はやっぱり迷うことなく購入する。
◇
TBT本部 特殊先行部隊“鋼鉄の絆”オフィス
休憩がてら、冷蔵庫の扉を開ける杯昇流。
「あれ?」
怪訝そうに冷蔵庫の中を覗き込み、目当ての物が入っていないことを確かめ―――ドラたちに呼びかける。
「おいお前ら。ここにあった俺の大切なプリン知らねぇか?」
「知らないですよ。長官のおやつなんかこちとらどうでもいいことなんで」
「つーかあんたはまず仕事しろ、仕事を」
真面目に仕事をしているドラと幸吉郎から返ってきた言葉は淡白、というより冷淡だった。これには昇流も露骨に機嫌を損ねる。
「け、かわいくねぇ部下どもめ。でもおかしいな、一個残ってたはずなんだけどよ・・・」
「これの事か長官?」
すると、駱太郎がクズカゴに捨てられていたそれらしい空のカップを手に取り、昇流に見せる。
「だああああああ!!一体だれが・・・!?」
知らぬうちに食べられたおやつへの恨みを募らせ、鋭い視線を写ノ神へと向ける。
刺すような視線を感じた瞬間、写ノ神はきっぱりと否定する。
「俺じゃないっすよ!!俺は食べてない!!」
それを聞き、今度は茜の方へと視線を向ける。
「まぁ失礼な人ですね、私が長官さんの食べ物横取りする訳ないじゃありませんか!?」
「あれ?何しているですか、龍樹さん」
幸吉郎が龍樹の行動に目を向けると、購入したばかりのサイエンスブックの付録を使って、龍樹は全員の湯飲みにアルミニウムなどの白色の粉末をかけながら、「指紋検出だ」と、答える。
怪訝そうに全員が見守る中―――全員分の指紋を検出し終え、龍樹はカップに付着している指紋と見比べ吟味する。
「星は・・・」
龍樹の目が鋭く光り―――その瞳の映る人物、朱雀王子茜を凝視する。
「え!!」
犯人が茜だと判明した途端、顔中から汗をかく。
「茜!!!てめぇ!!!」
「うええええ!!!あいやこれはその・・・///あ!そ、そんなことより龍樹さん!国宝はどうなさったんですか?!」
「え!」
*
小樽市 駅前通り 紀伊国屋書房
仕事を手短に済ませ、急いで書店へと向かった龍樹は息を乱しながら、平積みにされた週刊国宝マガジンの9号を見つめる。
「9号・・・!?」
9号が出ていることに一抹の不安を感じ、慌ててその下をひっくり返す。
「8号・・・8号・・・!」
しかし、いくら探しても8号はどこにも見当たらない。
確認をとるため、9号を手に抱え店頭まで走る。
「あっ、週刊日本の国宝マガジン8号は!?」
「申し訳ありません、もう売り切れちゃいました」
「えええ―――!!!」
8号が売り切れたことを淡白に告げられた瞬間、龍樹の中で秘かに膨らませていた欲望が水泡へと帰す。
「鎧・・・かぶと・・・///」
自宅へと戻った龍樹は、一人床の間でふて寝を決め込む。
「やっと熱が冷めたみたいだな」
「そうですね。しかし・・・」
茜は部屋中に散らかった龍樹がこれまで購入した国宝マガジン、珍昆虫コレクション、そしてサイエンスブックの付録の山を見渡す。
「こちらはどうしましょうか・・・///」
「こんなガラクタ・・・捨てるしかねぇだろ・・・・・・」
みなさんも、ムック本を買うときは自分の性格とお財布事情を熟考して買いましょう。
おわり
参照・参考文献
イラスト:三好載克 編集・原稿:坂本夏子『仏像イラスト辞典』 (株式会社G.B.・2010)
その2:素人にはオススメできない滝行
滝行―――文字通り、滝に入って行う修行である。
現在社会に生きる我々は、日々雑念に振り回され心惑わされている。
これは、大自然に立ち返り滝に打たれることで、己の中にある雑念に打ち勝とうとする者たちの戦いの記録である。
西暦5539年 1月下旬
長野県 木曽郡王滝村大又付近
今回、龍樹常法が企画した滝行修行旅行に参加したのは―――TBT長官、杯昇流。
勿論彼自身の意思ではなく、その付添いを務めるサムライ・ドラの判断によるものだった。半ば強引に滝行修行に参加させられた昇流は、不満タラタラの表情を浮かべながら目的地までの景色を車の中で堪能(そんな気分でもない)。
「はぁ~・・・やだやだ。北海道の冬も笑えないくらい寒いのに、長野の冬はもっと厳しそうだ」
国境の長い白いトンネルを抜けると―――文豪・川端康成が『雪国』で表したように、辺りは一面の銀世界。
寒々とした風景が昇流の目に痛々しく突き刺さってくる。滝行の企画者、龍樹は現地へと先に足を踏み入れ、昇流の到着を待っている。
「ぶるるる~~~~~~///」
小刻みに体を動かす寸胴体系のロボット。もこもこのジャケットにマフラーと厚手の手袋、毛糸の帽子に包んだ超絶完全武装のサムライ・ドラは、昇流を滝行修行に強制参加させた張本人。
しかし、彼は大の寒がり。基本的に雪一面に覆われた冬は大嫌いだった。
「お前な・・・何もそこまでする必要あるのかよ?いくらなんでもやりすぎ。つーか、俺が見ててムカつくからやめろ」
「ほっといてくださいよ~~~!こちとら風邪ひきそうなんですよ~~~・・・は、は、は、・・・・・・バックション!!!」
バリ・・・!
あまりにドラのくしゃみの威力が強すぎたため、車の窓ガラスにヒビが入る。隙間風がピューピューと入り、ドラの体に冷たい寒気が突き刺さる。
「ううう~~~///さむいよ~~~///」
「寒いのはこっちだ!くしゃみでガラスにヒビが入るってどういうことだよ!?」
滝行の前に凍えてしまいそうだった。昇流は懐に隠し持っていた携帯用カイロを取り出し、冷え切った手を温めようとする。
「よこせ!」
「あ!」
ドラは理不尽にも昇流のカイロを奪い取り、自分で使い始める。
「ううう~~~///さむい~~~///」
「おい!人の命の源を奪っといてそりゃねぇだろ!!返せ、チクショウ!」
「やだ~~~!こちとらこれでも全然寒いんだよ~~~!」
超極寒の場所に来て、ドラの体は非常にさえなくなっていた。カイロを取り返そうと昇流がドラに詰め寄りもみあいになると―――
「お?」
昇流はドラのジャケットの下から異常な熱を感じ、おもむろにめくってみると―――ジャケットの下には、これでもかとばかりに携帯用カイロが張られていた。
「はぁ!?おまえこんだけやっといてまだ寒いってヌカしてんのか!?」
「じゃかいしい~~~!だから冬は嫌いなんだ///暖房費はかかるし足は冷たくなるし・・・は・・・は・・・」
「おい、バカ止めろ!こんなところでくしゃみなんかしたら!!」
しかし、次の瞬間―――
「バックション!!」
バリ・・・バリン!!!
「だあああああああああああ!!!!!!!!」
至近距離からのドラのくしゃみ攻撃を受け、昇流は走行中の車の窓をつき破って道端に放り出された。
極寒の大地に放り出された昇流は、頭から血を流し―――気を失う。
後でこの近くを訪れた地元の住民は、雪に染み込んだ血を見て凶悪な事件が遭ったのではないかと勘違いし、一時警察が駆けつけるほどの騒ぎになったという。
*
長野県 新滝
国道19号線(中山道)、元橋交差点を御岳方面へと目指すこと数十分。ドラと昇流を乗せた車は、目的地付近へと到着。
そして、彼らを待っていた滝行の提案者―――龍樹常法はいつにも増して威厳に満ちた修行僧さながらのいかつい表情を浮かべ、全身を白装束に包み錫杖を手に構えていた。
龍樹の名の通り、彼は大乗仏教を理論づけしたインド仏教の僧侶―――ナーガールジュナの末裔。より詳細な情報を語ると、龍樹は高野山真言宗の中で位の高い、
「よく来おった。修行のためとはいえ、流石に小一時間も待ちぼうけを食らうと体が冷える冷える」
「「ぶるるる~~~///」」
いかつい顔で言う龍樹の目の前で、ドラと昇流は酷く凍えている。
「と、とにかく後の事は龍樹さんに任せます///オイラは、この近くの温泉でひとっ風呂浴びて来ますので」
「ちょっと待て―――!!!俺はこんな笑えない地獄の苦行受けるっていうのに、おめぇは何だ!?何一人で天国満喫しようとしてるんだよ!」
寒さが大嫌いなドラは、昇流が滝行をしている間、同じ新滝という名前で通っている温泉で体を温めるつもりでいた。それを面白く思わない昇流はドラを呼び止めようとするが、彼は全てを無視して車へと戻る。
「ううう~~~///長官はね、そういう役が似合ってるんですよ。これは運命なんです!!こんな機会滅多にありませよ」
「俺だけこんな目に遭うのなんてゴメンだね!お前もやってけ!せめてその後風呂に入りやがれ!!」
「いやですよ!オイラがデリケートなロボットだってことぐらい知ってるでしょう!?滝に打たれて体が錆付いたらどうしてくれるんです?!とにかく、オイラは絶対やりませんからね!!あんたがかわいそうな目に遭うなら、オイラとしては大満足ですよ!!」
これぞ、反儒教的・理不尽の権化。上司に対する逆パワハラ。自分さえよければそれでいいという信条を貫き通すと―――ドラは乗って来た車へと乗り込み、その場を立ち去った。
「おい!!行っちゃうの!!!俺をこんなところに置いてくな―――!!!」
そそくさと発進した車に向かって声を上げるが、車はあっと言う間に白い風景の中へと消えていき―――たちまち姿をくらませた。
途方に暮れる昇流は落胆し、肩を落とす。
龍樹は「やれやれ・・・」とつぶやくと、昇流の肩に手を乗せる。
「これから、あそこの鳥居をくぐって・・・それから20~30分歩いて滝壺まで行く」
言うと、錫杖の先を右に向ける。その先には、更衣室としての小屋が建てられている。龍樹は昇流に自分が着ている物と同じ白装束の着物を手渡した。
「もうここからは白装束で、結界に入るぞ」
「結界?」
「つまりは“聖域”に入るのじゃ。四の五の言わずここで着替えるんじゃ」
「え~~~」
納得なんて絶対にできない昇流だが、しぶしぶ小屋の中で白装束の着物に着替え、首から大きなじゅぶをぶら下げ、龍樹と同じ錫杖を手に持って外へと出る。
「うう~~~・・・すげースースーする///」
この日の外気温は2度。マイナスでこそないものの、真冬に風通しのいい白装束を身に纏ってその寒さを痛感する。
既に寒さは昇流からすれば寒いを通り抜け、痛みに変わり始めていた。
「うむ。存外似合っておるではないか長官!」
「ありがとごぜーます・・・///」
こうして、身も心も引き締まったところで、二人は滝行のため出発。
まずは、鳥居の前で無事帰れることを祈願。それから険しい深い雪に埋もれた険しい山道をストックを使って進んでいく。
なお、雪道を歩く二人の脚は足袋とかんじき。とてもじゃないが、正気の沙汰ではない。
「ナウマク・サマンダバザラダン・カン・・・・・・ナウマク・・・」
極寒の山の中を懸命に歩く昇流の先頭で、龍樹はぶつぶつと呪詛のような言葉を唱えている。
「た、龍樹さん・・・今それ、何か唱えてるんですか?」
「これは“
「真言・・・ね」
大日経などの密教経典に由来する、マントラともいうこの言葉。噛み砕いて説明すると、これを唱えることで気持ちを落ち着かせ、集中できるのだ。
さらに、歩きはじめて10分が経過しようとしたとき―――
「
またしても、難解な言葉を唱え始める龍樹。
これは、
つまり、御宝号とは「ああ、弘法大師よ、大日如来よ」と讃える言葉。弘法大師の教えを信じ、自分を大師様に任せるという意味で、参拝の際に唱えられる。
「拙僧に続いて唱えよ。
「
「
こうして、精神力を高めながら龍樹と昇流は、深い雪の中を一歩一歩前進。
そして、歩きはじめること15分。するとここで―――
「あれが滝ですか?」
「そうです」
目的の滝を発見。昇流は、白い雪景色の中に溶け込んである画力満点の滝の姿に、目を見開き―――唖然とする。
「マジかぁ・・・」
滝行のために二人が訪れたのは、落差およそ30メートルでその実「裏見の滝」にもなっている長野県―――“
水が落ち口から岩壁を離れ垂直に流れ落ちる所謂「直瀑型」のこの滝は―――古くから修行の場所として有名で、極寒の滝修行は熟練者でも戸惑うほど。
いまからおよそ4000年―――この時代で暮らし始める前にも、龍樹は修行のためにこの場所を訪れていた。
滝の周囲にも人工物は立ち並んでいるが、歴史の重みか周囲の凍結した木々とともに滝と同化しているため、昇流は余り気にしない。
いや、この言い方には語弊があった。彼は気にしているほどの余裕が全くなかった。風通しのいい白装束で体は酷く冷え切り、感覚がおかしくなりそうな状況で、周囲に気を配っていられなかった。
「これ全部氷だから。気をつけて入っておくれ」
「え!これ全部まわり氷なんですか!?」
滝の周りは、雪と氷で覆われ、見るからにもツルツルしていた。
ひとまず、二人は滝の横にある
錫杖を突きながら経を唱え出す龍樹。昇流は、何が行われているか分からぬまま、儀式の進行を見守る。
すると、手持ちの塩を振りかけ龍樹は昇流の体を清める。さらには、滝行ではかかせない腹式呼吸を練習し、それが終わるといよいよ修行が始まる。
「はっ!」
昇流の背中を強く叩き、龍樹は気合いを注入する。
「よーし!」
覚悟を決め、二人は滝壺へ向かって歩き出す。
「ひいいいいいいいいい~~~~~~///」
水は2、3歩歩いただけで足の裏の感覚を失うほどの冷たさ。昇流は露骨に顔を歪めながら、龍樹の後に続く。
「臨・兵・闘・者・皆・陳・列・在・前―――ッ!!!オオオオオオオオオオオ!!!!」
これは、
気合い全開の龍樹和尚。そのテンションの高さを前に、昇流は溜息をつきたくなる。
「
訳も分からぬまま、昇流は怒られる。彼が怒られたのは、“内縛”という指の組み方。この場で求められている手の形は“不動明王印”と呼ばれ、作ることで心が安定―――厳しい滝行も乗り越えられるという願掛けだ。
「それでは―――参る!!」
まずは、龍樹が昇流に手本を披露する。呼吸を整え、躊躇なく滝の中へと体を潜らせる。
「きええええええ!!!」
腹式呼吸によって発声。奇声を放つと、想像を絶する冷たさが凄まじい水量となって勢いよく龍樹の背中に叩きつけられる。
「
しかし、龍樹は圧倒的迫力と気力で滝行を行う。その道を究めた者の迫力と滝の寒さに、昇流の頭には後悔という言葉しかない。
そしていよいよ・・・昇流の番。
「よーし!!」
“男たる者かくあるべし”の精神で、龍樹に倣い杯昇流―――おもむろに滝の中へと飛び込む。
水量と想像を絶する温度。それに辛うじて耐えると、龍樹から教わった不動明王印を組んで、準備完了。
「
「えええい!!!」
気合いを入れ、腹の底から声を出す。
「
「声が小さい!」
「
「よーし!!気合いを三回!!」
錫杖で肩を叩かれ、昇流は気合いを込める。
「えええい!!!えええい!!!えええい!!!」
「よーし、上がれ!」
これにて滝行終了―――と、思いきや。
「今度は自分一人で入るんだ!」
「え・・・ええええええええええええ!!!!」
予想外の展開。まさかのおかわりだった。
滝行は二回を行うのが定石。昇流の体は極限まで冷え、限界寸前。それでも、渋々と錫杖片手に昇流は再度滝の中へと身を投じる。
「えええい!!!
“叫んでいなければ意識が飛ぶ”―――まさに、やるかやられるかなのである。
「
終りを願い、とにかく腹の底から叫び続ける。
そしてついに・・・
「えええい!!!えええい!!!えええい!!!」
「よーし!」
ついに、本当に滝行修行が終了した。身も心もフラフラな昇流を抱きかかえ、龍樹は彼を滝壺の外へと解放する。
「大丈夫かのう?」
「ああ・・・///」
既に気力は抜け落ち気味。こうして返事をしているだけで、やっとだった。
「やりたい人はのう、指導者の下でやってもらいたいんだ。一人じゃ絶対やっちゃダメだ」
「やんないよ!!」
このときだけは、本来の気力を取り戻し具に答える。
「まぁ何はともあれ、ようがんばったわ」
言うと、昇流の頑張りをたたえ、龍樹は固い握手を交わす。
*「あいつそのうち死ぬんじゃない?」もしくは「スゴイお坊さんになるんじゃい」・・・なんていう噂は、間違っても立ったりしないので、ご安心ください。
おわり
参照・参考文献
イラスト:三好載克 編集・原稿:坂本夏子『仏像イラスト辞典』 (株式会社G.B.・2010)
その3:焼き肉焼いても・・・
小樽市 千葉神太郎(八百万写ノ神)宅
土曜日の夜。テレビの教養クイズ番組兼旅番組を見ているとき―――
『今夜の不思議の舞台は、魅惑の大地―――オーストラリア。さぁ、今日は不思議な動物の楽園に迫ってみよう。日立・世界でふしぎ発見!』
「写ノ神君遅いですねー」
「もう9時になるというのにな・・・」
札幌に日帰り出張に行った写ノ神は、午後7時にメールを貰ったきり、その後連絡もなく帰ってくる気配すらない。
茜と龍樹は、彼が帰ってくるまでの間―――司会者の存在感が好き、という理由から見ているこの番組で時間を潰す。
「おお、そう言えば。前にドラのデスクで見た謎の人形・・・・・・あ、あれは“クリスタルなヒトシ君”だったか―――!!!」
「一緒にモンゴルの民族衣装が当たったそうですよ」
「すごいのうー、地味な!」
余談だが、ドラもこの番組を好んで見ていた。そして、気まぐれに応募した視聴者プレゼントに当選し、先日番組から特製のクリスタル人形を獲得した。あの人形を作るのに、一体およそ5万円は掛かるというのは、あまり知られていない。
『私が訪れたのは―――地球のおへそ、エアーズロックです!アボリジニーの人たちは“ウルル”と呼んでるそうです』
「いいですね~、海外。私もエアーズロックの中心に旗を立てて・・・“チキンラーイスッ!!”って叫んでみたいですね」
「止さぬかみっともない。大体、つついて地球が腹を下したらどうする?」
そんなことは絶対にない。あんたはどこぞのお母さんか―――と、秘かにツッコミを入れたくなった。
『ここはカンガルーアイランド、リマーカブルロック!コアラやワラビー、カモノハシなど野生動物たちの楽園でもあるんです!』
「じゃが・・・オーストラリアは拙僧も行きたいのう~」
「綺麗ですし、自然がいっぱいですしね」
「ああ。それに・・・・・・」
龍樹はテレビ画面の向こう側で、ミステリーハンターの女性が黄色い声を上げる動物―――コアラを見て、思わず。
「・・・めっちゃ抱っこしたい///」
「なぜにコアラ!?龍樹さんはどちらかというと、タスマニアデビル手なずける方ですよ!?」
「失敬な!タスマニアデビルも捨てがたいが、どちらかと言えば・・・―――ワラビーと話がしたい側じゃよ!」
「あなたの頭の中は、私が想像する以上にシル○ニアファミリーチックですね・・・」
茜の想像の範囲において、今現在花畑には愛らしいワラビーが花を食べているイメージが浮かんでいる。だとしても、龍樹がその手のファンシー趣味が好きだとは死んでも思いたくない・・・だって気持ち悪いもん。
「ワラビーはかなりかわいいのに、カンガルーは妙にアンニーなものだ。カモノハシのオスは、後ろ足に毒爪を持っているのじゃ。知っていたか?」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ・・・!龍樹さん、どうしてそんなにオセアニアの動物に詳しいんですか!?」
「動物を扱った書籍やテレビが好きな物でな。“
「そ、そんな秘密があったんですか・・・あの国宝!?」
鳥獣戯画の作者は不明ですが、言い伝えでは僧侶が書いたものであるとのこと。
―――ガチャ。
「ただいまー」
そのとき、ようやくもう一人の住居人―――八百万写ノ神が帰宅する。
「あ、帰って来ましたね!」
彼の声を聞くなり、茜と龍樹は玄関へと駆け出す。
「おかえりなさい、写ノ神君」
「今日は遅かったのう、どうした?」
「いや~参りましたよ。線路に置き石が置かれてて、電車が大幅に遅れたですよ」
「そうだったんですか・・・あれ?」
すると、茜は写ノ神のコートの折りたたまれた状態で収まる一枚のチラシを発見。その中を確認する。
二枚に折られたチラシの中身は、焼肉屋の記念セール広告だった。
「『開店5周年記念・・・5割引きセール!』・・・」
「なんと!全品5割引きじゃと!」
世間的なイメージとして、焼き肉は高価で滅多なことでは食べれないもの。勿論、そうした認識は千葉家でもまかり通っている。
今、目の前に飛び込んできたのはそんな高価で美味い焼き肉が半額の値段で食べられるという夢のような報せだ。
「どこにあるって?」
「国道沿いの焼肉屋みたいじゃな」
「焼き肉ですか・・・たまには食べたいですね~」
「何を申すか。焼き肉など、家で焼けばもっと安いぞー」
と、龍樹の中では焼き肉は大変に高価なものというイメージが強いため、家での焼き肉を勧める。もっとも、そんな彼も内心では外での焼き肉を切望していた。
「じゃあ、久しぶりに行きますか?」
「「え!」」
すると、意外にも写ノ神の方からまさかの誘いの申し出があった。
「う、写ノ神今なんと・・・!」
「行きましょうよ、折角ですし。俺だって焼き肉食べたいっすよ」
この発言を聞き、茜と龍樹はあからさまに笑みを浮かべ―――嬉々揚々となる。
「そうですよね~♪たまにはお外で食べる焼き肉も食べたいですもんね~♪」
「ふう~・・・やれやれ。しょうがないのう」
(でかしたぞ写ノ神!!)
「では、いつにしましょうか?」
「そうじゃな・・・やはり日曜日かのう」
カレンダーの日付を見、三人は焼き肉の予定を明日の日曜日にセッティングする。
◇
そして、日曜日の夜―――
「今日は焼肉デー~~~!」
焼き肉を食べると決まった瞬間から、写ノ神と茜のテンションは高揚し、カレンダーにハートマークを描き、その上に“焼き肉”とポップな字体で書きこむ。
「焼き肉なんて、本当にいつ以来でしょうか♪」
「ならば、軽く食べとくがよいぞ」
「「えっ―――!!」」
この日のために、体力を温存し、胃の中もほぼ空っぽの状態で臨んでいた写ノ神と茜に龍樹が信じられない言葉をぶつける。
「な、何でですか!?」
「これから焼肉屋に行くんでしょう!?」
「若い者はこれだからいかんのじゃ。食べ物をガツガツ食するのはいかん!みっともないとは思わんか?」
と、もっともらしいことを言っているが―――本音は、二人にはできるだけ肉を食べさせることなく、如何にして自分がお腹いっぱいになるかというあまりに身勝手で邪な思いが内に隠されている。
「龍樹さん!!!///」
「がっついたりしないですから!!!///」
理不尽な要求を飲めない写ノ神と茜が、純粋な眼を涙で潤わせ、龍樹に強く訴えかける。これには、さすがの龍樹もたじろいでしまい―――簡単に折れる。
「わ、分かった分かった!好きなだけ食べるがよい!!」
「「やったー!おなかいっぱい焼肉だ~~~!」」
童心に帰った二人は、仲良く踊り出す。龍樹はやれやれ―――とつぶやくと、チラシと一緒に必要なものを携える。
「そら。身支度が終わったのなら、出発するぞ」
*
小樽市 焼き肉屋 牛森
焼き肉屋へと赴いた三人は、大勢の家族客でにぎわう店内の一角に座る。
「とりあえず、生ビールを頼む」
「はい。生一丁!」
ビールを注文した龍樹の真正面では、写ノ神と茜がキラキラと輝いて見えるメニューのラインナップを目でなぞる。
「何にしますか?」
「俺、上カルビ食べたいな~!」
「私は上ロースがいいですね~」
と、何気なく希望を口にした二人の言葉に―――龍樹は厳しくとがめる。
「このうつけ者ども!よいか、“上”は敵じゃぞ」
「「はぁ!?」」
「“上”なんとかは全て敵じゃ!“欲しがりません勝つまでは”―――!」
「い・・・意味わかんないっすけど」
「焼肉を食べる事と、戦時下の日本のスローガンがどう関係しているというのですか?!」
「ええい!うるさい、うるさい!とにかく上カルビも上ロースも禁止じゃ―――!!!」
いつになく厳しい態度で臨む理由―――これも勿論、二人に高い物を食べさせること無く自分が如何にして上質な肉を一人で食べるか、という邪念があるゆえだ。
「わ、分りましたよ!」
「上は頼みません!」
「よろしい。さて拙僧はどうするか・・・・・・うん。たまには上タン塩でも食うか」
「「何だって(ですって)―――!?」」
声を揃えて吃驚する千葉夫妻。当然だ―――自分たちは上質な肉を食べることを禁じておきながら、当の龍樹はあからさまに上タン塩を頼もうとしているのだから。
「ずるいですよ、龍樹さんだけ上タン塩だなんて!」
「この不良坊主!あんたは精進料理でも食ってろ!」
「誰のお陰で焼肉が食えると思っているのじゃ―――!!!文句があるなら食うな―――!!!」
((ぎゃ、逆ギレ!?))
ドラ並みの理不尽な言葉の暴力と怒りの感情を二人にぶつけ、有無を言わせようとしない龍樹。温和な老人に隠された、圧倒的な迫力に若者二人は逆らう事ができず―――不承不承に納得をする。
「た・・・龍樹さんのお陰です・・・」
「わかればよろしい。という訳で、拙僧は上タン塩で!」
「俺、カルビ・・・」
「私も・・・」
結局、写ノ神も茜も自然と年功序列的な立場に甘んじるしかなかった。
「上以外なら、他にもどんどん注文していいぞ!たまの焼き肉屋じゃからな、例えば・・・・・・大盛りのご飯とかな!」
「焼き肉屋ですよ、ご飯屋さんじゃないんですから!」
「そうやって俺たちに肉を多く食わせない様にしようとしてるんでしょ!?若い奴にこそ肉を与えるべきだ!」
「写ノ神君の意見に賛成です!!」
勘のいい写ノ神が龍樹の意中を的確に射抜き、茜と一緒に厳しく追及したところ―――形相を浮かべ、龍樹はこれに反論する。
「いいかっ!食事はバランスなんじゃ!!老人はただでさえ普段の素食で不足しがちなタンパク質を肉で補わなければならんのじゃ!!年寄りにこそ肉を食わせるべきじゃろうが―――!!」
またしても、強引でもっともらしい事を言われ―――二人はやはり迫力に圧倒されると、それ以上反論することができず、「あ、はい・・・・・・」と返事を返す。
そんな折、メニュー表を見ていた茜が奇妙な部位の名前に注目した。
「写ノ神君。このギアラとは何でしょう?」
「怪獣の名前みたいだな」
「“ギアラ”は、牛の第四胃袋のことですよ」
すると、龍樹が注文した生ビールを持った店員が現れ、「生お待ち!」と言ってからギアラに関する薀蓄を説明する。
「第四って・・・牛ってどんだけ胃袋あるんだよ?!」
「牛は反芻動物ですから、胃袋が四つもあるんです。ミノ・ハチノス・センマイ・ギアラ。ミノって言うのは、ミノカサみたいな形をしてるから。ハチノスは、“蜂の巣”みたいだから。センマイは、何層にも細かくたたまれているから“千枚”。ギアラは、胃袋なのに腸みたいな動きをする“
「「「へぇ~」」」
滅多に聞けない牛の部位に関する薀蓄を知り、三人は挙ってそんな声を上げる。
店員が他の客に呼ばれ席を離れた後―――茜はさらにメニュー表を見て素朴に思った疑問を口にする。
「それでは、こちらの“ヨメナカセ”とは何のことでしょう?」
「牛の姑?」
写ノ神は、牛の姑が嫁に対して陰湿な嫌がらせを行い、それに対して嫁がしくしくと泣いているという乏しいイメージを思い浮かべる。
直後―――茜がメニュー表の下に書いてあった説明文を見つける。
「あ、ここに書いていますよ。“牛の動脈”のことらしいですね」
「へぇ~、そうなんだ」
「でもヨメナカセなんて気になりますね」
「おいしいから嫁に食わすなとか?」
「嫁が姑に隠れて食べるほど、おいしいとか♪」
「違う違う。きっと、捌くのが大変なのだろう。だから姑に押し付けられて、泣きながら捌くのだ」
龍樹の頭の中では、包丁で捌くこともままならない牛の動脈を必死で捌こうとし、なかなか捌くことができずしくしくと泣いている嫁―――という乏しいイメージが浮かぶ。
「な・・・なんかわかんねぇけど、説得力あるな・・・」
「おかしな話ですけど・・・」
念のために調べると、ヨメナカセは動脈は固いのだが、表面が脂でぬるぬるしており下処理が大変なことから「嫁泣かせ」と呼ばれているらしい。
数分後。待ちわびた焼き肉がテーブルに届く。
「最初は、カルビを焼きましょうかね♪」
「ちょっと待ったー!」
茜がカルビ肉を焼き網に投入しようとするや、写ノ神はすぐさま彼女に制止を求める。
「ど、どうしたんですか写ノ神君?」
「茜さんよ~。タレがついた脂が多いもの先に焼くと、焼き網が焦げるだろ?その後でタン塩なんて淡白な味のものを焼いたら、焦げた味になっちゃじゃないか?」
タレがついた肉を最初に網に投入した場合、タレの部分が焼け焦げ、それが原因で網が汚れる。その後、別の肉を焼きはじめると網に付着した焦げが一緒についてしまい、肉本来の味を損ねてしまう―――写ノ神はそのことを茜に伝えたかった。
「あ。成程、言われてみれば!」
「さすがじゃ写ノ神。よくぞ気が付いた。では、最初は拙僧の上タン塩から」
おもむろに届いた上タン塩を網の上に置く。肉はジュージューと、音を立てながらその香ばしい臭いを煙と一緒に写ノ神と茜の鼻に届ける。
「「おお!!」」
そうして、いい感じに肉が焼けたところで―――龍樹は満を持して号令を発する。
「皆の者。上タン塩、食べて構わぬ!」
「やりましたー!!」
「上タン塩!!」
嬉々として割り箸を割った二人は、網の上の上タン塩を取り上げ、それを自分好みの味付けでいただく。龍樹もそれに続いて、レモンと塩で味付けをした上タン塩を口に運び―――その味を噛みしめる。
「く~~~!うまい、うまいぞ―――!!!」
「これぞ焼き肉屋に来たと実感できる瞬間じゃな。さぁ、あとは好きな物を食べるがよい」
「「はーい!」」
本格的に焼き肉を食べ始める若者二人を微笑ましく見つめるかたわら、龍樹はふと思い出す。
「そういえば・・・1年くらい前、仕事の帰りに大長官のおごりで行った頑固な焼き肉屋があってな」
『今ひっくり返して!表面をあぶったぐらいで食う!』
『『は、はい!!』』
店主は焼き方から食べ方にいたるまでを事細かく客である龍樹とTBT大長官・杯彦斎に要求し、二人は心落ち着く暇もなく店主の言われるがままに焼き肉を焼いて、それを慌てて口に運んだ。
「あのときは結局味なんかわからず、オヤジの印象だけが残ったなぁ~・・・」
と、ふと昔のことを思い出していたときだった。
「なぬ!?」
目の前を見ると、そこには激しく肉の事でもめる写ノ神と茜の姿があった。あまりにも殺伐とした光景に―――龍樹は息を飲んだ。
「ここは・・・サバンナ!?弱肉強食の世界!いや・・・!焼肉定食の世界!!」
さながら自分がミステリーハンターになった心地で、百獣の王と化した二人のライオンの激しい肉の取り合いを括目する。
「茜ずるいぞ!自分ばっか!!」
「そういう写ノ神君が食べるの遅いんですよ!」
ただでさえ少ない上タン塩を箸で取り合う二人。これには、龍樹も心を鬼にして一喝。
「貴様ら―――!!!喧嘩するぐらいならその肉拙僧によこせ―――!!!」
「「ひいいいい!!!///」」
およそ1時間―――食べるだけ食べ、飲むだけ飲んだ三人の腹は見事にタヌキの如く膨れ上がった。
「いや~・・・食べましたね♪」
「一年分ぐらい肉食べた気分!」
「ホントですねー」
「まったく・・・5割引きじゃなかったらどうなっていた事やら」
と、持ってきたチラシを取り出した直後―――龍樹は訝しげに目を細め、チラシに記載されていた焼き肉屋の名前を読み上げる。
「『焼き肉の牛加斗』・・・・・・」
彼らが来店した焼き肉屋は、『牛森』。5割引きのセールをしているのは、こことは別系列の焼き肉屋。
「なんじゃと――――――!!!」
甲高い声を上げ、龍樹は平々凡々なケアレスミスを大きく恥じた。
「では、龍樹さん。ごちそう様です♪」
「お勘定は任せますね!」
状況を知った写ノ神と茜は、悪意に満ちた笑顔を龍樹に向けると-――彼を店内に放置し早々に自宅へと戻って行った。
「ま、待ってくれ!!お、おい二人共!!」
こんなことになるとは夢にも思っていなかった龍樹は、慌てて財布の中身を確認するが―――不幸な事に、現金の持ち合わせは少なく、カード類も一切ない。
店員が鋭い視線で龍樹を見つめる中、彼は取り繕ったように苦笑いを浮かべる。
「あはは・・・・・・お金が足りないんですけど・・・・・・///」
笑ったところで、店員が「はい、そうですか」と言って許してくれる訳もなく―――龍樹は完全に四面楚歌の状態に陥る。
*
同時刻 小樽市 焼き肉の牛加斗
この日、元来千葉家が行こうとした焼き肉屋を訪れていたサムライ・ドラ、山中幸吉郎、三遊亭駱太郎の三人は会計を済ませ、外に出ようとしていた。
「いや~~~、食った食った!」
「5割引きでもないと、食いに行かないからな!」
「明日から夕食は塩だけだから覚悟しておきなよ」
ブー!ブー!ブー!
「ん?」
ドラの懐の携帯が鳴り響く。着信画面を見ると、電話の相手は龍樹からだった。怪訝そうに、ドラは龍樹からの電話に答える。
『ドラ!!助けてくれ!!』
「ど、どうしたんですか?」
「お金が足りないの――――――!!!今すぐに来てくれ――――――!!」
焼き肉焼いても・・・・・・食べる場所を間違えないように気をつけろ!!
おわり
次回予告
写「おっす!龍樹さんの話はおもしろかったか?次はこの俺、八百万写ノ神の出番だぜ!!」
「俺って自分で言うのもなんだけどよ・・・
「次回、『八百万写ノ神之巻』。基本的に茜との絡みが多いかな、他の奴らよりも」