サムライ・ドラ   作:重要大事

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ド「龍樹さんがネットオークションで購入した北宋の青磁は、なんと本物!その価値、2億円!!それが50倍の価値まで上がってとうとう100億にまで到達した」
「しかし良く調べるとそこには巧妙なカラクリが隠されていた。オークションサイトで販売している陶磁器はすべて過去の世界で作られた本物で、それを現代へ持ち帰り消費者に売りつけていたことが判明」
「龍樹さんは浪漫をぶち壊されたと激憤・・・オイラたちは北宋の時代まで遡り、違法売買の実態究明に努めることになったんだ」


法聖院の秘密

時間軸1094年 9月27日

中国河南省 山中・青磁の村

 

「頼みますぞー!どうか私たちに希望の光を!」

 村で一夜を過ごした翌日。捕われた村の大人たちを取り戻すため、鋼鉄の絆(アイアンハーツ)一行は村人の期待を一身に背負い進路を汝窯から中国安徽省(あんきしょう)黄山(こうざん)にある法聖院へと向けて出発した。

 馬を7頭借り、年端もいかない子どもの案内人に連れられ森の中を移動する。

「馬に乗るのは久し振りだな」

 と、昇流がつぶやいた直後。ドラは悪意を孕んだ顔となり、口を開く。

「あれれ~そう言えばいつでしたっけ?長官が落馬してその後手綱を掴んだままバラエティの要領で1キロほど引きずられたのって!!」

「そんな人の恥ずかしい思い出をよく覚えてんな!残念ながら忘れたよ!!」

「あれは確か高1の時の宿泊研修でしたかね・・・」

「覚えてんじゃねぇか!!つーか、いつお前あの現場に居合わせたんだ!?」

 昇流の心の傷をほじくり、それをワザと広げて楽しむというドラの狂言。事情をよくしらない幸吉郎たちからすれば笑うに笑えない話なのだが、これはこれで平和だとも思った。

 深い森を突き進む7頭の馬とドラたち。案内人が鉈のような道具を使って蔓で入り組んだところを切り開く。

 村を出発して数十分。不意に現地の案内人が空を指さした。ドラたちが頭上を見上げると、巨大な飛翔体が森の彼方より何百という数で飛んでくる光景が見えた。

「わああ、見てくださいよ!大きな鳥ですねー!」

 茜は大空を滑空する飛翔体を鳥と認識したが、それは間違いだという事をドラの口から知らされた。

「茜ちゃんらしくないね。あれ大きな鳥じゃないよ、大吸血コウモリさ!」

 よく観察したところ、鳥には見られない特徴が随所に見られた。茜は呆気にとられた顔を浮かべながら、慌てて取り繕った風に笑い出す。

「ははは・・・・・・い、いやですわねドラさん!朱雀王子家の当主である私が鳥とコウモリを間違えると思いましたか♪あ、ちなみにですねコウモリというのは中国では、『蝠』の字が『福』に通ずることから、幸福を招く縁起物とされているんですよ。百年以上生きたネズミがコウモリになるという伝説もありますし、長寿のシンボルとされているんです!!」

 と、単純な見間違いを露骨に否定しようとコウモリに関する薀蓄を傾けるが、却ってそうした姿勢が男たちの目に見苦しさを与えた。

「茜さ、無理しない方がいいよ」

「そうそう。間違いは誰だってある。いいじゃねぇか、コウモリと鳥を見間違えるぐらい」

「それともあれか?昨日変なもの食ったせいで、急に頭が冴えなくなったからビビってるんだろう!」

「そ、そんな事はありません!!」

 駱太郎に小馬鹿にされムキになった直後だった。茜は前に乗り出した際にバランスを崩してしまった。

「ひやああ!」

 間の抜けた声を上げると、体を左側へと傾かせ落馬。しかも落下した真下には泥水が溜まっていたため、もろに泥をかぶる始末となった。

「おい、大丈夫か!?」

「あらら~・・・見事に泥まみれ」

「頭だけじゃなくて、体の方も冴えなくなったなアバズレ!ハハハハハハハ!!!」

 日頃やられる側の駱太郎は、いつにも増して運の悪い彼女をとことん笑った。一番笑われたくない相手に笑われるという屈辱と、着物から髪にいたるまで泥を被ってしまった事へのショックから、茜は声を押し殺すように泣き始める。

「ううう・・・・・・~~~///こんなはずでは~~~///」

 ドラは左頬に止まった蚊を叩き落とすと、辺りを見渡し嘆息をついてから提案する。

「今夜はそのあたりでキャンプしよう」

 

 日も暮れはじめた時間帯。キャンプを決め込みドラたちは猛獣が近寄らない場所で火を起こし、野宿の準備を進めた。

 太陽が完全に沈み、暗黒が支配する夜分―――食事の用意を進めるドラを余所に幸吉郎と昇流は案内人数名を引き入れ博打をしていた。

「さぁ張った張った!!賭けるものは何でもいいぞ!!てめぇの魂でも何でもこい!!」

 彼らが興じている博打は、チンチロリンと呼ばれるもの。簡単に説明すると、この博打はサイコロを三つ用意してお盆の中に投げ入れる。そして、出た目の数で勝敗が決まる。

 現在、昇流が親となって子である幸吉郎と勝負をしようとしていた。彼らはありあわせの物で賭け、深山での夜の寂しさを紛らわそうとしている。

「うっしゃ~~~行くぜコノヤロウ!!!」

 サイコロを三つ手に取り、幸吉郎は気合いを入れてお盆の中へ投げ入れる。カラカラという音を立て回転する三つのサイコロの目が現れると、一同は驚愕。そして何故か幸吉郎本人は露骨に顔を歪めショックを受けていた。

「んなバカな~~~!!!」

 彼が出したのはサイコロの目が「1」「2」「3」の目―――これは「一二三(ひふみ)」と呼ばれ、自分が出した値の倍の額を支払うことになっていた。

「くっそ~~~・・・長官に倍も払うなんてしたくねぇのに!!!」

「はははは!!!ギャンブルって奴は何が起こるかわかんねぇからな!ほら、武士たる者なら潔く諦めて俺に渡せよ!!」

 強気な姿勢で昇流は幸吉郎に支払いを要求。幸吉郎は心底悔しそうにしながら、懐から賭け金五千円の倍である一万円を取り出し、それを昇流の足元に投げつけた。

「もってけスネカジリ野郎!!」

「泥棒猫にしろよせめて!!それじゃ身も蓋も無ぇよリアルすぎて!!」

 博打をする事で彼らのテンションな異常な熱を帯びる。その熱が増すごとに喧騒となっていく様を辟易しながら、龍樹は周りを見渡した。

 幸吉郎たちが博打に興じる一方で、駱太郎と写ノ神、茜の姿が見られない。気掛かりに思って調理中のドラに尋ねた。

「ところで、写ノ神たちの姿が見えんのじゃが・・・」

「写ノ神は茜ちゃんと一緒に滝壺に行きましたよ。ほら、茜ちゃん全身泥だらけにしちゃったでしょう?」

「なら駱太郎は・・・・・・」

「彼の下卑た動機は容易に察しがつくでしょう」

 言うと、この後駱太郎がどのような悲惨な顛末を迎えるかを想像しながら、スープの味を確かめた。

 

 近くにある滝壺の側で、写ノ神は泥で汚れてしまった茜の着物を丹念に洗っていた。そして茜の方はと言うと、全身の泥を洗い落とすために全裸となり水浴びをしているところだった。

「ぷっはー!」

 成長途中ではあるが、女性としての色気を付け始める茜。全身を冷たい水で清めながら澄んだ水の中を縦横無尽に泳ぎ回る。写ノ神は内縁の妻である茜の裸を見ても文句は言われないのだが、性欲を積極的に見せようとはせず、なるたけ彼女と距離を置いて見ない様に心がけた。

「茜、代わりの着替えここに置いておくからな」

「はい。ありがとうございます!しかし何も写ノ神君が私の着物を洗わなくても良かったんですよ・・・」

 ちょうど木の影になって茜の体が全く見えない場所から呼びかける写ノ神。茜が水浴びをする間、写ノ神は彼女に頼まれた訳でもなく着物の汚れを洗浄してくれた。それ自体は非常に嬉しい事だったが、申し訳ない気持ちもあった。

「気にしなくていいよ。泥浴びた服を洗うのは気持ち悪いだろ。それに全身も泥に浸かっちまって早く流したっかはずだぜ」

 写ノ神はまるで苦とも思っていないばかりか、さらに茜を気遣う言葉をつぶやいた。「俺は先に戻るよ」と言い、踵を返してドラたちのところへ戻ろうと歩き始めた直後―――茜が制止を求めた。

「待ってください!写ノ神君、できればその・・・・・・ここに居て下さい」

「ええ!いや、でもそりゃ流石にマズいだろ・・・///」

「写ノ神君に襲われるのなら本望です!何なら、一緒に水浴びします♪」

 男の理性を吹っ飛ばすような一言だった。顔を真っ赤に染めた写ノ神は、極端に高鳴る心臓の鼓動で息が苦しくなる。

 ドクン・・・ドクン・・・という音を立て、興奮と混乱で理性と本能の歯止めが崩れかけそうになる中、茜の方から積極的に水浴びに誘ったという事実が彼の未熟な精神を追い詰める。

「すいません茜さん・・・男としてそれはメチャクチャ嬉しいけど、今の俺じゃ理性がきっと持たないからやめておきます///」

 誘ってくれたことは嬉しいし、できることならこのまま愛する彼女とともに水浴びをしたいと思った。だがもし自制のための箍が外れ、欲望の歯止めが利かなくなったとき茜にどんな事をするかわからない。欲望を解放したがために彼女を傷つけてしまうかもしれない。写ノ神にとってそんな事はあってはならない。だから今は欲望を抑えて何とか踏みとどまろうとする。

 そんな写ノ神とは対照的に、己の欲望を躊躇なく解放する輩が近くに潜んでいた。気恥ずかしそうにする写ノ神を余所に、ケダモノと化した駱太郎は既に水の中へと潜っており―――竹筒を空気入れに使いながら茜の下へと接近する。

(へへへ・・・前回の章では見たくもないジジイの裸を見ちまったが、今回はそうはいかねぇぞ)

 ドラの言った通り、実に下卑たる行動だった。恥も外聞もかなぐり捨てて、性欲を全開にした駱太郎はよもや家族の一員である茜の裸体を水の中から覗き込むという最低の行為に走ったのだ。無論、この段階では茜も写ノ神も彼が水の中に潜んでいるとは気づいていない。

(うっひょ―――!!!やっぱ女って言う生きものはこうでねぇと!普段は危険極まりないアバズレも、脱ぐとそれなりに官能的な体してんな・・・この成長途中の胸がまたたまんねぇ~~~)

 股下の方から覗き込むというエロの中のエロ。救いようがないほどに自堕落した駱太郎は鼻の下を伸ばし、じっくりと茜の体を観察―――そして。

「ぶっほ―――!!!」

 興奮しすぎた結果、鼻腔より噴き出す大量の血。血は瞬く間に水面を漂い、茜の方へと流れ着く。

「え・・・・・・あああああ・・・・・・///いやああああああああああああああああ!!!!」

 血に驚き、さらに水底より覗き込む駱太郎の視線に気づいた瞬間、茜は赤面し、悲鳴を上げる。そして怖くなって隠すべき場所も隠すことなく写ノ神のもとへ走った。

「のおおおおお!!!///茜!!!隠して隠して!!!///」

 全裸の茜が突然走って来た事に驚愕しながら、紅潮した顔で彼は訴えかける。が、彼女は恐怖で頭が支配されていたため彼の言葉などまるで聞こえていない。

「いやああああああああああ~~~~!!!」

 覗かれたショックで周りが見えなくなっていた彼女は、写ノ神に助けを求めて彼に抱き着いた。

「があああああああああああああああああ!!!!!!!!」

 発育途中ではあるが立派な女性の証が写ノ神の顔に押し付けらた。言うまでも無く、写ノ神は鼻血を吹き出し一発KO―――気を失った。

「ぷっはー!!!チクショー、ばれちまいやがったか!!」

 あれだけの事をしておきながら逃げようとする駱太郎だが、何故それが無意味な事であると気づかない。慌てて水の中から飛び出したところで、結末など一つしかないのだから。

「駱太郎~~~さ~~~ん!!!///」

 この上もない辱めを受けた茜は怒りを露わに、駱太郎への復讐のために畜生祭典を発動した。

「怒り狂いなさい、吾郎丸(ごろうまる)!!」

 胸元を手で押さえながら、彼女は体長2メートルを超え額に刀傷を持つ凶悪な風貌のツキノワグマ、吾郎丸に命令。彼は咆哮を上げると駱太郎へと突進―――逃げようとする彼を圧倒的腕力で掴み、

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 まるで、川に潜む鮭を岸へ弾き飛ばすが如く、駱太郎は満月に向かって彼方まで飛ばされた。

 

 夕餉の時間を迎えた折、駱太郎は吾郎丸に頭を齧られるという猟奇的な姿をして戻ってきた。

 写ノ神は男して極めて良い思いをしていながらも、出血多量のために頭がボーっとし、意識がはっきりしていない。

 茜はジャージに着替えると、顔を赤く染めたまま体を小さく縮こまらせている。

 そうした三人を順に見てから、幸吉郎は様々な面で程度が酷く低劣な行為に走った駱太郎を厳しく叱責する。

「まったく。おめぇのバカさ加減にはつくづく呆れるな。バカの鑑だよ、マジで!」

「女子の裸を見たいという欲望は拙僧にもある。じゃが、それを隠れてこそこそ見るというのはいかんぞ!!」

「いや違うよね怒るところ!!」

 叱るポイントを履き違える龍樹に昇流が鋭くツッコんだ。ドラが茜の方を見たときも、茜は酷く落ち込み何度も何度も溜息をつく。

「茜ちゃんさ、溜息つくと幸せが逃げるって言うけどさ・・・敢えてオイラが言ってあげようか。幸せじゃないもん、逃げようがないって!」

「名言ですね・・・・・・是非とも今は使わせてもらいます」

 茜にはそれくらいの言葉がせめてもの慰めだった。と、そんなときだった―――案内人の子どもの一人が駱太郎を見ると、何故か嘆息を突く。

「って、おめぇまで何ガッカリしてんだよ?」

 吾郎丸に継続して頭を齧られていた駱太郎がそう尋ねると、子どもは羨望の眼差しを向けた。

「いいな~女の子の裸が見れて・・・・・・で、成長途中のおっぱいやマンティスはどうだったの?やっぱり、なんて言うか・・・・・・ジャングル」

「それ以上先を言ったら殺すぞガキっ!!!」

 子どもの発言とは思えない生々しい禁句が飛び出した。意識が朦朧としていた写ノ神も瞬時に覚醒し、その子どもに激怒した。茜はトマトよりも赤く紅潮させ熱を帯びた薬缶のように顔から湯気を吹き出し、目線を下げた。

 ドラがひたすらやれやれと内心つぶやくと、頃合いを見て食事を呼びかける。

「何はともあれ飯だ。今日はご馳走だぞ」

 そう言って、用意した大鍋を取り出しドラは全員の前に持ってきた。

「昨日は本当に酷いものを食べさせられましたからね。期待してもいいですか?」

「ああ、いいともいいとも。サバイバル訓練でもこれがあると無いとじゃ全然モチベーション変わって来るからね」

「そうですか。なら安心ですね・・・・・・えっ、”サバイバル訓練”?!」

 その単語を耳に入れると、途端に悪寒がした。茜が険しい顔を浮かべ額から脂汗を流す中、ドラが用意した鍋から姿を現したもの―――それは、

「ほら。ウシガエルのスープ。鶏みたいに出汁が効いててうまいぞー!」

 皮をはがれ、下半身だけとなった大量のウシガエルが褐色の出し汁に浸っていた。

「いやあああああああああああああああああああああ!!!!!!!もうこんな料理は食べたくありません――――――!!!!!!!!!!!!」

 

 

時間軸1094年 9月24日

中国安徽省 黄山

 

 法聖院へと進路を取ること20時間。ドラたちは黄山へと到着する。

 黄山といえば、その景観美で多くの画家や知識人を魅了し、山水画や唐詩など多くの作品を生み出した地として名高い。

 古来、黄山は天帝(てんてい)が住む仙都と伝えられていた。黄山という名は、不老不死の仙薬を錬成した、仙人となった伝説上の皇帝・黄帝(こうてい)にちなみ、唐王朝6代皇帝玄宗によってつけられたものである。

 人の侵入を拒むかのような断崖とともに、奇怪な姿の岩山とそこに根を張る松。そして、この世のものとは思えない、幻想的な雲の集まり―――雲海(うんかい)がたなびいている。

「すげー・・・辺り一面真っ白だぜ」

 馬に乗りながら写ノ神は未だかつて見たことのない雲海に魅了され、唖然としている。ドラは彼ほど感動はしていないが、雲海に関する知識はしっかりと説明する。

「この辺は雨が多くてね、一年の大半雲か霧に包まれるのが黄山だ。深い谷に停滞した雲は天空に雲の海を出現させるんだ」

 ドラの説明に補足を加えると―――東シナ海から吹く温かく湿った風が、北西からの冷たい風や絶壁にぶつかって上昇したことで冷却され、それが雲となる。そして降水量が年間2400ミリを超えるほどの多雨地域であるため、1年のうちに実に250日あまりも霧が発生する。こうした影響で峰々のある低い場所にも雲がつくられ、雲海となる。

 雲海がたなびく素晴らしい景観から、「天下の景勝、黄山にあつまる」と言われている。

 

 生憎とこの日は雲が山頂までを覆い尽くしてしまっていた。見渡す限り世界は白一色で、季節ごとに趣を異にする黄山の魅力は十二分に伝わらない。この深い霧の中のどこに法聖院が存在し得るのか―――ドラたちが途方に暮れていた、そのときだった。

「おい見ろよ!あれじゃねぇか!!」

 歓声にも似た声を上げ、駱太郎が指さす彼方―――それは正しく、荒れ狂う大海原の波間から微かに伽藍(がらん)が姿を現した瞬間だった。

「あれが法聖院だよ」

「邪悪の根源らしいけど、何が邪悪なんだろう・・・」

 ひとまず、一行は黄山の西部・飛来峰(ひらいほう)に建立された法聖院本殿に進路を取った。

 西へ移動を始めてすぐの事だった。道中、龍樹は奇妙なものを発見した。馬から下りると、先に道を歩いていたはずの案内人の子どもが身震いし恐怖に戦く様を凝視―――おもむろに近づいて行く。

「拙僧が見てやろう」

 腰が引ける子どもの肩を叩き、龍樹は雑木林の中を覗き込む。そして彼は一瞬にして目を見開き冷や汗をかいた。

 何百年という長い年月をかけて修行し、自らを仏と化すため絶食した末に到達した人間の姿が黄山松と同化している。即身仏(そくしんぶつ)と呼ばれるそれを龍樹自身が見るのは実に数十年ぶりの事だった。

 しかし即身仏があるだけならまだしも、状況は決して穏やかではなかった。よく見れば、即身仏の側には新しい血が残っており、周りには矢じりや折れた剣先など、争ったような形跡が見受けられた。

「爺さんよ、何見てんだ?」

「来てはならぬ!」

 馬から降りたドラたちが話しかけた瞬間、いつにもなく怖い顔で龍樹は警告した。

「うううう・・・・あああああああああ!!!!!」

 その言葉に反応したように、ここまでの道のりを共にした案内人の子どもたちが一斉に悲鳴を上げ、馬を奪って山道を下って行った。

「おい待てよ!!何逃げてんだよてめぇら!!」

「大変です!馬を持っていかれましたわ!」

「ここからは歩きだ」

 案内人の豹変ぶりは尋常ではなかった。既に自分たちが敵地のど真ん中に足を踏み入れ、後戻りすることが出来ない状況であることを薄々感じながら、ドラたちは険しい山道を登り始めた。その際、不吉の前兆とも言うべきか―――昨日見たのと同じ大吸血コウモリの大群が頭上を滑空していた。

 

 

黄山西部 飛来峰・法聖院

 

 山を登り始めて二時間。とうとう彼らは目的地・法聖院へと辿り着いた。

「着いたな・・・」

 外見は少林拳の名を一躍広めた登封少林寺(とうほうしょうりんじ)に酷似しており、僧侶たちが修行に用いる伽藍殿を始め、外敵からの侵入を防ぐ目的で作られた土楼(どろう)と呼ばれる堅牢な住居が併設されている。土楼はセメントよりも頑丈な外壁を持ち、3~5階建てという巨大な集合住宅となっている。

 ドラたちは法聖院の敷地へと入り、寺院全体の外観に圧巻した。

「すげーな・・・いざとなれば籠城できるぞ」

「見かけはただの寺だけどな。こんな場所に村の大人たちが捕われてるとは思えねぇけど」

「外観に騙されるでない駱太郎。真理は常に目に見えぬものを言う」

「ぶっちゃけ言うと、秘密の施設は地下に作るもんだけどね」

「人はいるのでしょうか?」

 そう思っていたときだ。法聖院と書かれた看板を掲げる正面玄関の扉が左右に開き、黄色い法衣を身に纏った僧侶がドラたちへと近づいてきた。

「こんちはー」

 警戒心を内に秘めながら、ドラは一先ず礼儀をわきまえ挨拶をした。僧侶はドラに破顔一笑すると、「いかがした。道に迷われたか?」と尋ねた。

「しかしここへ来られた以上はご安心ください。歓待致しますぞ」

「迷ったんじゃなくて来てみたんだよ。黄山見物のついでにね」

 そんな風に答え、ドラは僧侶と握手を交わし皆を紹介する。

「オイラはサムライ・ドラ。こちら上司の杯昇流だ。それからこっちから山中幸吉郎と変態団子バカ、他三名だ」

「おい!!変態団子バカとは言ってくれるな!!」

「事実変態じゃねぇか!!茜の裸見たんだからな!!」

「それより他三名という言い方はあまりにぞんざいですよ!」

「なぜ拙僧を一番最初に紹介せぬ!!大乗仏教を後世に広げたナーガールジュナの末裔たるこの龍樹常法を蔑ろにしおって!!」

 様々な文句が飛び出るが、ドラは一切聞く耳を持たない。

「私は阿星(シン)。この法聖院の能化(のうげ)を務めております」

「のう・・げ?」

「僧侶社会における学頭などの指導者を言う。早い話が住職ということじゃよ」

 昇流の疑問を専門家である龍樹が簡潔に説明した。ちなみに、能化とは師として人を教え導く者や衆生を教化する仏、菩薩などを言う。また例外的に真宗本願寺派で学頭、高野山の宝性院、無量寿院で門主などとも呼ぶ。

「あなたがナーガルジュナの末裔?」

「いかにも」

「光栄ですな!」

 言って、阿星は龍樹に握手を求め彼に対し敬意を表すると、駱太郎が鼻で笑い―――

「そのくせ戒律はひとつも守らねぇ破戒僧だけど」

「うるさい黙っとれ!!」

 直後、茜に目を転じた阿星は彼女にも握手を求め「そちらの御嬢さんはお美しい方だ」と容姿を称賛。茜はこれを聞いて上機嫌となり、「ありがとうございます、光栄ですわこちらこそ」と言って握手を返した。

「法聖院へようこそ!」

 阿星はドラたちを厚く歓迎した。駱太郎は先ほど阿星が茜に向けて言った言葉に対しひとりぼそっと彼女には聞こえない声で、

「・・・何が“光栄”だよ」

 一抹の不安を掲げつつも表門を潜り、ドラたちは阿星に誘導され法聖院の中へと入って行った。

 

 

午後5時30分

法聖院 中和殿(ちゅうわでん)・貴賓の間

 

 客として招かれたドラたちは阿星たちと食事を共にする事になっていた。龍樹がドラと貴賓の間を訪れたとき、数百名の僧侶たちが一堂に会し皆静かに着席していた。まるで石像の如く、彼らは指一本たりとも動かす事は無く。

「ほう・・・これはまた」

「ああやって神経すり減らして何がおもしろいんだろう」

「我々にとっては日常生活すべてが修行とも言っても過言ではありません」

 阿星はそう言いながら、ドラと龍樹の近くへと歩み寄り笑みを浮かべる。

「思いがけぬ来賓を迎えて今夜は盛り上がりそうですな」

 やがて幸吉郎や昇流、駱太郎と写ノ神の順に集まり始める。残るは茜一人だけだが、彼女はただいま衣装替えをしている最中。内心ドキドキする写ノ神だったが、しばらくして衣装替えを終えた茜が貴賓の前にやってきた。

 彼女は中国女帝を思わせる華美でありながらそれでいて慎みを秘めた衣装に身を包んでいた。和服姿とは異なる彼女の新たなる魅力と美しさに、写ノ神は一瞬にして心奪われ―――彼女の虜となった。

「おう~・・・何と美しい。すごく似合ってるよ」

「一度でいいからこんな服を着て見たかったんですよ私!法聖院へ寄ってみたのも悪くは無かったですね♪」

「まるで楊貴妃だよ」

 彼女を褒め称えながら、写ノ神は茜と腕を組み見つめ合い席へと向かう。この様子を見ていた駱太郎は鼻で笑い、

「何が楊貴妃だよったく・・・」

 日頃から茜への理不尽な暴力を受けている駱太郎は、過度とも思える写ノ神の茜への愛情表現と、写ノ神の愛に素直に応える茜の対応がさぞ憎らしい物であったようだ。

 全員が集合したところで貴賓の間に集まった僧侶たちが静かに合掌を行う。ドラたちもそれに倣って合掌―――こうして夕餉をいただくことが出来るのだ。主食が運ばれる間、龍樹は向かいに座る阿星に尋ねる。

「かのような山奥に寺を建て、お主らは何をしてるのじゃ?」

「龍樹殿。この山が天帝が住む場所とされていることはご存知かと思いますが、ここはいわば仙人の修行場なのです。現在男女300名以上の弟子がこの法聖院で寝食を共にしており、いずれも厳しい修行によって神通力を身に付けているのです」

 ちょうどそのときだった。厨房から異様な臭いを発する料理が運ばれてきた。僧侶たちは嬉々とした顔を浮かべ、その料理が食卓に上げられるのを見守った。

「おお、ヘビの詰め物料理だ」

「今夜はこちそうですな!」

 ドラを除く全員が露骨に顔を歪めた。蒸気を上げるとぐろを巻いた巨大なヘビが大皿の上にどっしりと乗っており、死骸であることが嘘であるように瞳は今にも動き出しそうだった。

「あなたたちまで・・・私にゲテモノ料理を食べさせるつもりなんですか!!?」

 茜はこの時代に来てからというもの、真面な食事を摂っていない。青磁の村ではウジムシを食べさせれら、森の中ではカエル。そして法聖院ではヘビ―――彼女は内心嘆いた、なぜ神はこのような仕打ちを好むのかと。

 下級僧侶はヘビの体に刀を入れた。固い皮膚に切れ目が入ると、中から何かが蠢き出した。そして体内より大量のウナギが飛び出した。言うまでも無く、すべてが生きている。

「うええええええええええええ!!!」

 駱太郎は口に含んでいた豆を口から落とし、隣に座る昇流は我慢できずに嘔吐した。僧侶たちは生きたウナギを手づかみで、それを躊躇なく口の中へと押し込んだ。

「コノヤロウ・・・!なかなかつかめないじゃないか・・・!」

 鋼鉄の絆(アイアンハーツ)メンバーで、図太い神経の持ち主であるドラは幸吉郎たちが食べようとも思わないウナギを唯一食べようとする。が、どんなものでも吸着するはずのアブゾーブハンドでも、ぬめり気の強いウナギを掴むのは至難の業だった。

 龍樹は食事をする気になれず、気を紛らわすかのように阿星に目を向け、先ほどの話について追及する。

「おっほん!という事はじゃな、ここでは辛い修行の末に神通力を身に付ける事が可能だと・・・・・・しかし仙人の力を誰もが身に付けることができるとは到底思えぬが」

「無論、脱落する者の方が多い。100人入ればそのうちの80人が山を下る。真に選ばれし者だけが力を得ることが可能なのです」

「ここって仙人になるための寺なんだろう。仙人って霞を食って生きてるんじゃないのか・・・」

 と、生きたウナギを数匹口に出した状態でドラが尋ねる。それを聞いた途端、阿星はおかしくて笑い出す。

「ははは。そんなものは作り話に過ぎません。霞如きで空腹など満たせませんよ」

「仙人は俗世間を超越した存在だよ。だったらそれらしいことしてくれないとね」

「ドラ殿。我々の解釈するところの仙人とは不老不死を司る存在ではありません。修行によって己の中に眠る潜在能力を目覚めさせるのです。それがやがて昇華されると神通力と呼べるほどに達するのです。普段はもっと簡素な物を食べておりますが、霞を食糧にすることはまずありません」

 法聖院における仙人の解釈は世間一般が考えるものとは微妙な差異が存在した。しかしそんな話を真面に聞いていられたのはドラや龍樹ぐらいであり、残りの五人はウナギを手づかみで食べ談笑し盛り上がる僧侶たちを見ながら激しくその距離を置いた。

 直後のこと。今度はカブトムシに似た大量の虫の中に肉などを詰めた料理が運ばれてきた。虫嫌いな茜は即座に硬直―――僧侶たちの手に渡る様をじっと見守る。

「おや?あなたは食べないのですか?」

 茜の右隣に座る僧侶が虫の肉詰め料理を持ちながら不思議そうに尋ねる。

「あはは・・・もうウジムシを食べたものですから」

 僧侶たちは詰め物を器用に舌で巻き取り一気に食べ尽くす。ドラもそれを真似して食べ進めるが、幸吉郎は決して彼の真似をしようとはしない。いや、出来る訳がなかった。

「ゲロ袋いるか?」

 写ノ神が茜に尋ねた直後、ドラは人目を憚らず大きくゲップをした。

「ここに来る前に小さな村を通って来たのじゃが・・・そこの子どもたちは法聖院には邪悪なものが潜んでいると言っておったぞ」

「他愛ない噂ですよ。無知な彼らは蜘蛛にも怯えるんです」

「村の子どもたちは法聖院に大人を連れて行かれたと言っているが?」

 そう尋ねるや、阿星の顔は歪み―――わずかながら怒りに満ちた声で龍樹に言う。

「龍樹殿。客が主催者を侮辱するのは儒教の礼儀に反しますぞ・・・」

「失礼した。それもつまらん噂であろう」

「あのすみませんけど、もっと簡単な料理とかは無いんですか?あっさりしたお吸い物とか・・・」

 次々と虫の肉詰め料理が消費される様子を見ながら、茜は食事係に望み薄くも尋ねてみたところ、係の僧侶は直ぐに厨房へと走り―――彼女が所望する物を用意した。幸吉郎たちも安堵し息を漏らした。

「あ~・・・やっとまともな物にありつけるぜ」

「中身は何かな・・・・・・」

 そうやって、一瞬でも淡い期待を持ったのが間違いだったと、彼らは直ぐに気付くことになる。蓋を開けて香しい匂いを嗅いでから茜がお吸い物の具を確かめると、一般的な芋類やキノコなどは入っておらず、何かの生き物の眼球がごろごろと浮いていた。

「「「「「ああああああああああああああああああああ!!!」」」」」

 またしても裏切られた。悲鳴を上げる五人を余所に、ドラは文句ひとつ言わないばかりか、ただ一人お吸い物の味を味わう。ガリガリと言う眼球を砕く音が周りに強烈な寒気を催す事も厭わず。

「おい!!真面な料理はここにはねぇのかよ!?」

「いや待てよ駱太郎。まだデザートってものが残ってる。それに最後の希望を託そう!」

 結局主食に手を付けることが出来なかった幸吉郎たちは、最後のデザートにすべてを託す事にした。

 ほどなくして、デザートと呼べる料理が運ばれてきた。だが法聖院は最後まで期待を裏切る事は無かった。お盆の上に乗った猿の頭が人数分用意されると、僧侶はおもむろに切れ目の入った頭部を開く。

「冷えた猿の脳ミソです」

 この料理の説明を聞いた直後、茜は目を回し―――後ろへとひっくり返った。

 

 

午後8時過ぎ

法聖院 乾清殿(けんせいでん)・廊下

 

「どうして何にも食べなかったの?猿の脳ミソも結構いけたのに」

「お前は神経が狂っちまってるんだ!なんで猿の脳ミソ普通に食えるんだよ!?」

 満足にあの食事を堪能したのはドラだけだった。周りがひと口も何も食べなかった事を不思議に思うドラだが、幸吉郎たちからすればドラの方が明らかにおかしい。というよりも、常軌を逸しているのだ。

「つーかさ、仙人になるために動物殺して糧にしてるようじゃダメだろ!龍樹さん、どうなってるんですか?!」

「三種の浄肉(じょうにく)と言ってな、五戒の不殺生戒を犯さない布施の場合は肉食が許されておる。つまり、殺されるところを見ていないこと。自分に供するために殺したと聞いていないこと。自分に供するために殺したと知らないことが条件である」

「最初だけじゃねぇか守られてるの。あとの二つの条件はまるで守られてねぇじゃんかよ!!」

「随分いい加減なんだな話だぜ」

 周りからもっともな指摘を受けながら、龍樹はさらに言葉を紡ぐ。

「中国の精進料理では無精卵・乳製品などの使用が認められる事もあってな、基準は一定ではない。ま、少なくともここでヘビや猿などの肉食が許されている時点で既に仏の教えから逸脱した外道の巣窟であると見て良いだろう」

「ま、同じ破戒僧が言うんだしな・・・・・・」

「誰が破戒僧じゃ、誰が!!」

 駱太郎の言葉を聞くや龍樹は声を荒らげ酷く癇癪を起こす。そんな話の末に、写ノ神はここにはいない茜の下へと向かう。

「茜の様子見てくるよ」

「行くんならこれ持っていくかい?」

 そう言って、ドラは懐に手を突っ込むと―――エネルギー補給用のために常時持ち歩いていた新鮮なバナナを取り出した。

「あるじゃねぇかここに!!」

「てめぇこのクソネコ!!そう言うものがあるなら早いところ言いやがれ!!」

 バナナを見るや、男たちは殺気立った様子でドラの元に群がり赤い瞳で睨み付ける。が、ドラは逆に彼らを見下すような眼差しを向けると口角をつり上げ、

「奪ってもいいんだよ。ただし、このオイラを屈服させられるかな・・・・・・」

 この瞬間だ。幸吉郎と駱太郎、龍樹、昇流の四人がドラの周囲を囲み臨戦態勢となった。バナナ欲しさに彼らが本気の覚悟を見せたことにドラは面白く思う。

「ふふふ・・・一本は茜ちゃんのために残しておかないとね。写ノ神、ほらよ!」

 茜用のバナナを一本引き千切ると、ドラは写ノ神の方へと投げ飛ばし―――彼はそれを手に取り彼女の元へと向かった。

 そして写ノ神がいなくなった現場では、ドラと幸吉郎たちによる戦いが勃発する。

「さぁバナナを求めて掛かって来るがよいケダモノども!!欲しいものは自力で手に入れろ!!このオイラの屍を越えてな!!」

「「「「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」

 満たされぬ食欲を満たすための戦いが始まった。空腹のために男たちの理性はハッキリ言って無いに等しい。言うならば野生動物そのもの―――ドラはバナナを守り、獰猛な野獣を返り討ちにしてしまうのだろうか・・・

 

 その頃、宛がわれた部屋で茜は布団の中に包まっていた。

「どうして・・・どうして私の人生はこうなんでしょう・・・・・・少しでもいい想いをしようとすると、全速力で幸せが逃げていく。はぁ・・・・・・」

 早くも彼女は、人生に倦んでいた。齢15という若さでありながら既に諦観を抱いてしまっているのも、すべてはこれまでの食事に起因している。ならば、もしも真面な食事を摂取することが出来ればこの倦みは解消されるのだろうか。

「茜。入るぞ」

 写ノ神がやってきた。茜が彼を出迎えると、「プレゼントを持ってきたんだ」と言って、写ノ神はバナナを差し出す。瞬間、倦んだ瞳に光が差し込み、茜はバナナに齧り付くと無我夢中で貪った。

「ううう~~~・・・神様はまだ見捨てていなかったのですね!」

「大袈裟なんだよお前は。バナナはドラに貰ったものだがよ、実はもう一個あるんだぜ」

 言うと、写ノ神は嬉々とした顔を浮かべながら懐に手を突っ込み、隠し持っていた魚肉ソーセージを見せた。

「写ノ神君!!あなたって人は本当に・・・・・・最高ですね!!」

 たまらず茜は抱き着いた。写ノ神は持ってきたソーセージを茜と分け、二人仲良く食べた。

「少しは腹が満たされただろう?」

「本当にあなたって人は、なんと器量の素晴らしい方なのでしょう・・・」

「惚れ直したか?」

「勿論です!私は今まで写ノ神君ほど紳士で女性に優しい男性を見たことがありません」

「俺はフェミニストなんだ。浩司斎様に仕えている頃からな」

 見つめ合う二人。鼻先が触れ合い、目と目の距離が異様に近づく。そして、二人は目を瞑りそのまま唇を近づけた。

 舌を絡み合わせ、いやらしく唾を立てるほどに二人は情熱的な接吻を繰り返す。そして息継ぎのために唇を放すと、写ノ神は茜を布団の上へ押し倒す。

「私って扱いにくい女ですよ。すごいじゃじゃ馬で、暴れ出したら手が付けられません」

「気にするな。俺なら乗りこなせる自信がある」

「乗り心地は最高ですよ・・・♡」

「それには科学的データが必要だな。これからじっくり実験しよう」

 もしも駱太郎か昇流がこの会話を聞いていたら真っ先に邪魔をするに違いない。そして写ノ神に怒気を孕んだ顔で言うのだ―――この気取りモンキー、と。

 

「がっ・・・・・・!」

 しかし、写ノ神に妨害を加えたのは意外な者だった。法聖院の僧侶と思われる男が後ろから縄をひっかけ、写ノ神を窒息させようとする。

「写ノ神君!!」

「があ・・・・・・て・・・めぇ・・・・・・」

 愛する物との求愛を邪魔するだけでなく、自分の命も欲する僧侶の攻撃に耐えつつ写ノ神は立ち上がり激しく抵抗。部屋中を動き回り壁や柱などに体をぶつけ、必死で僧侶の魔の手を振り払おうとする。しかし僧侶もかなりの強者で、なかなかその手を放そうとはしない。写ノ神は白い泡を吹きながら茜に向かって手を伸ばす。

「待っててください!!直ぐに私が助けますからね!!」

 写ノ神を助けるため、茜は何処からともなく鞭を取り出した。そして僧侶の体を叩きつけ、写ノ神を解放すると共に僧侶の首に巻きつけた。

「私と写ノ神君の”夜間活動”を邪魔するとは無粋の極み!!死をもって贖いなさい!!」

「あああああああああああああ!!!」

 僧侶の断末魔が響き渡った。ドラたちがその声を聞いて茜の部屋に向かった時は、状況は既に終了していた。不幸にも僧侶は茜によって命を奪われただけでなく、天井にぶら下がった状態で揺れていた。

「おいおい・・・・・・こりゃちとヤリ過ぎじゃねぇか!」

「大丈夫か写ノ神!?」

「あ、あ・・・・・・夫婦生活してると色々あるよな・・・・・・」

 危うく窒息しかけた写ノ神は何とか無事だった。ドラは部屋に入ると、辺りをきょろきょろと見渡し、警戒する。

「・・・・・・他は誰もいないのかな?」

「そのはずだと思いますけど」

 と、茜が言った直後―――ドラは足元から微かに風を感じた。床の隙間から漏れる上向きの風がドラのひげを揺らした。

「・・・・・・」

 ドラはこの後、部屋にある物を手当たり次第に漁り始めた。突然の行動に幸吉郎たちは困惑し呆然と立ち尽くす。

「兄貴・・・何をそんなに散らかす必要が?!」

「隠し通路を探してるんだよ、見てないで手伝え!」

「隠し通路って・・・言われてもよ」

 何が何だか見当がつかないでいる幸吉郎たちを余所にドラは隠し通路を探し続けた。挙句、ドラは押し入れの布団ごとおもむろに体重を前に掛けた。

 ガタン・・・・・・

 押し入れが前に押し出された瞬間、ドラの姿が消えた。一瞬の出来事に皆が目を見開く中、ドラは暗闇の中から姿を現しライターに火を点ける。

「みんな。道具を持ってくるんだ。この奥に何かがある・・・・・・」

 

 隠し通路を通り、鋼鉄の絆(アイアンハーツ)は法聖院の奥深くへ侵入を開始した。中は薄暗い上に通路は狭い。じめっとした空気が満ちており、敵が潜んでいる気配は感じられない。

 先頭を歩くドラは慎重に歩みながら、適当な場所を足でとんとんと叩く。そんな行為を繰り返すかたわら、後ろを歩く幸吉郎たちに注意を促す。

「いいかい、絶対そばを離れるなよ。離れた瞬間お死んだぞ」

「こんな地下に何があるというのじゃ・・・」

「何だか肌寒いですね・・・」

 そんなとき、茜はふと立ち止まり目の前に飛び込んできたものを凝視する。古い扉のようなものがあり、取っ手がついている。彼女はそれを見ながらおもむろに手を伸ばす。

「兄貴の歩いた後を辿れ。何も手を触れるなよ」

 幸吉郎が忠告するにも関わらず、茜は取っ手に手を触れないでいることが出来なかった。取っ手に手を触れた瞬間―――扉が粉々砕け、黒ずみのようになった人間の遺体が二体飛び出した。

「きゃあああああああああああ!!!」

 悲鳴を上げ、恐怖の余り腰が抜けてしまった。写ノ神が茜を介抱すると、彼女は彼にしがみ付き涙目で訴える。

「言われた通りドラさんの後を歩いて何も手を触れませんので、どうかお命だけは・・・///」

「今日のアバズレは気が弱いな。いい気味だ!なははははは!!!」

 と、不用意な事を言った直後。

 ズブ・・・・・・

「ぬおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」

 写ノ神にしがみ付いたままで、茜は駱太郎の尻の穴に苦無を突き刺した。どんな場面でも、駱太郎への理不尽な暴力には決して手を抜かなかった。

 

 しばらくの間、暗い道を歩いていると―――奇妙な音が足元で鳴った。

 ジャリジャリ・・・・・・

「今なんか踏んづけたか」

「フォーチュンクッキーじゃないですか?」

「いやそんなんじゃねぇだろう」

「当ててみようか、この音は虫だよ」

「虫!?そ、それは性質の悪い冗談ですね・・・///」

 露骨に虫が嫌いな茜が苦い笑みを浮かべると、ドラはそんな彼女に目を見て「絶望しないでよ」と言う。

 マッチの火を点けおもむろに足元を照らすと―――ドラの言う通り、地面にはおびただしい数のイナゴによく似た虫が群れを作り蠢いている。さらに周りの壁を見れば、ムカデにウェタ、ヤケヤスデといった湿気を好む害虫が存在し、正しく虫銀座と化していた。

「ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

 この世で最も忌避し畏れる存在に、茜は絶叫の末卒倒した。気を失った彼女の膝の上を這うウェタを見ながら、幸吉郎は苦い顔を浮かべる。

「クッキーが足の上を這ってますね・・・」

「こんなクッキー食べたくないぞ!」

 体に付いた虫を払いながら、龍樹は率直な事を述べた。

「そっちだ。そっち行ってみよう」

 虫銀座よりも更に奥へと進むドラたちは、石で作られた部屋に侵入する。その際、駱太郎が無意識のうちに足元に遭った凹凸を踏みつけてしまう。

 ボチ・・・

 刹那、部屋の仕掛けが作動し―――茜だけが外に取り残され、男たちは全員石部屋の中へと閉じ込められた。

「写ノ神君!!みなさん!!大丈夫ですか!!」

 ドラたちとを隔てる円形の壁を叩きながら茜は中に居る彼らの安否を気遣う。

「茜!!こっちは大丈夫だ。ただな、外に出られないんだよ」

「脱出口もないしな。参ったぜ」

 途方に暮れている暇は無かった。ドラはマッチに火をつけ、足元を確認する。そこには白骨化した遺体が無造作に転がっており、落ちていた死体の衣服の切れ端を手に取り火を大きくする。幸吉郎がおもむろに近づこうとすると、

「来るんじゃない!壁の側でじっとしてるんだ。成る丈大人しくしてろ。下手に触れたり踏んづけたりしない事」

 言われた通り皆は大人しくする事にした。昇流は後ろに下がって何の気なく壁に止しかかった。

 その瞬間―――部屋の仕掛けが作動し、天井がゆっくりと迫り始めた。

 ガガガガガガガ・・・

 ドラたちは我が目を疑った。一斉に昇流の方に視線が向けられると、彼は慌てて「壁の側で立ってろってドラが言うから立ってたんだぞ!!俺が悪いんじゃない!!」と、身の潔白を主張した。

「茜ちゃーん!!来てくれー、手を貸してくれ!!」

「どうかしたんですか!?」

「天井が迫って来るんだ!!床下からも針が迫ってきやがる!!」

 駱太郎は天井と床下から伸びて来た鋭い針を見て冷や汗をかく。吊り天井は一定の速度を保ちゆっくりと近づき、さらには何人もの人間を屍にする凶器が足下より近づいてくる。

「このままでは串刺しの上に圧死じゃ!!何とかしてくれ!!」

「そう急かさないで下さいよ!」

「お前はどこまで不平が多いんだアバズレ!!俺が死んでもいいのか!!」

「そちらの方こそ自分本位なんですよ!!もう~~~どうすればいいんですか!?」

 何とか壁をこじ開けようとするが、彼女の力ではびくともしない。

 すると彼女の鼻先にムカデが降ってきた。更に彼女の衣服には大量のウェタやヤケヤスデが這っていた。

「あああああああああああああああ!!!!!!!!!!」

「どうした!?」

「虫ムシムシムシムシ!!!虫嫌だぁあああああ!!!!」

「そんな事より、早く儂らを助けんか!!」

「私をまずは助けて下さい///あああああああ!!!服の中に入って来ました///」

 迫りくる壁を必死に抑えるドラたち。いつ串刺しにされてもおかしくない状況で、ドラは死体の頭蓋骨をストッパーにしてから、壁の向こうの茜に呼びかける。

「元に戻す仕掛けが外にあるはずだ!」

「聞いたか茜!ドアを開けるハンドルがあるんだとよ!そのへんを探せ!」

「ありませんよ、そんなもの!気色悪い虫がいるだけです///」

「いいから黙って探せよ!右側を見てみろ!!」

 虫の所為でパニックに陥っていた茜は、右側の壁にあった穴を見つけた。大量のウェタが辺りを這う中、恐る恐る穴の中へ手を突っ込もうとすると―――丸くて白い手が伸びて彼女の手を掴んだ。

「あああっ!!!」

 ドラと思われる手が伸びて来たことに、茜は酷く恐怖し絶叫する。

「これじゃない!もう一つの方だよ!もう一つの方を見るんだ!」

「ですが中がヌルヌルして気味が悪いです!できませんよ私にはこんなの!」

「ここで死んで君の枕元に化けて出てもいいんだぞ!」

「できませんよ!無理です!」

 虫で溢れかえる現場に錯乱し、すっかり弱気になってしまっている彼女をドラたちは粘り強く説得する。

「よく聞け茜、お主ならできる。お前は芯の強い女子じゃと信じとる!」

「愛してるぞ茜、そうだこうしよう!無事にここを帰れたら俺に出来る限りの事でお前の欲望を満たしてやる!何でもするぞ!!」

「茜っ!!ここで俺たちを見殺しにするか!気持ち悪いのを我慢して手を突っ込むか、さっさと選べ!!」

「絶対的に後者を選んでくれるとありがたいけどな!」

 男たちは極限状態の中で説得を続けた。その甲斐あって、茜はついに腹をくくる事にした。

「・・・・・・わかりました。朱雀王子茜、覚悟を決めます!」

深く息を吸い、茜は意を決しもう一つの穴に手を突っ込もうとする。だが、中を見るとウェタの群れが異様に集まり彼女の決意を用意に砕く。

「自分でやってください///」

「それができねぇから頼んでるんだ!!」

「いいからやれよ!!」

 刻一刻と迫るタイムリミット。茜はドラたちを救うため、耐えがたい現実から目を背けたくなる気持ちを堪え、改めて穴の中に手を突っ込んだ。

「あああ・・・・・・ああ・・・・・・///」

 害虫が茜の手に触れ、彼女の衣服を這い登って手入れの行き届いた髪に入り込む。男たちは目と鼻の先にまで迫った天井と針によって絶体絶命の危機に陥る。

「茜ちゃん!早くして、早くしないとオイラたちみんな死んじゃうよ・・・!」

「ああ、奥に何かありました///」

 串刺し寸前のドラたち。覚悟を決めて目を瞑ったそのとき、間一髪のところで茜が奥にあったレバーを見つけ、手前に引っ張った。

 ガチャ・・・・・・

「動きました!!」

 仕掛けが解除されると、ドラたちを串刺しにしようとしていた天井が元の場所へと戻り、床下の針も収まった。そして脱出扉が出現し、駱太郎と昇流が真っ先に駆け込んだ。

 堅牢に自分たちを閉じ込めていた仕掛け扉が開くと、ドラたちの危機を救った茜が勢いよく走って来、

「早くとってください早く!!!体の中に入ってもう死にそう・・・いやああああああああああああ!!!」

 パニックの余り周りが見えていなかった。そのため、騒ぐショックで壁の作動スイッチを誤って押した事にも気づかなかった。

「ああああ!!!何やってるのさ!?」

 ドラたちが目を疑う中、前方の扉が閉まり罠が作動。先ほどドラたちを苦しめたばかりの吊り天井が再び迫ってきた。

「俺じゃないぞ!!そのアバズレだ!!」

「いやあああああああ!!!」

「早く出ろ!!こっちだ!!!」

 全速力でドラたちは脱出口へ走り、間一髪のところで恐怖の串刺し地獄から逃れることに成功した。

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

編者:ロム・インターナショナル 発行者:風早健史 『一冊でわかる すべて見える世界遺産』 (成美堂出版・2012)

 

 

 

 

 

 

ドラさん語録~サムライ・ドラが残した語録集~

 

その37: 溜息つくと幸せが逃げるって言うけどさ・・・敢えて言ってあげようか。幸せじゃないもん、逃げようがない

 

かつてこんな開き直り方があったら教えて欲しい。辛いことが多い世の中、溜息つくぐらいさせて欲しいよね。(第32話)




次回予告

茜「作者さんは何を考えているんですか!!私が虫が嫌いだと分かっていながら、あんなひどいことをさせるなんて・・・!!」
駱「最高だったぜ!!たまにはこう言う事もしてもらわないとな、もう一生おがめねぇかもな!」
龍「さて、いよいよこの寺の秘密が明かされるようじゃが・・・拙僧の浪漫を踏みにじったお題は高くつくから覚悟しておけ!!」
ド「次回、『そこは地の獄・・・』。浪漫浪漫って言うけどさ・・・龍樹さんの言う浪漫って何なんですか?」

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