「でもまぁ、あれとの出会いは本当にインパクト強すぎたわね。あいつ、まるで冗談通じないんだもん。大体女の顔面殴るとかあり得る?え・・・何で警察に通報しなかったって?この世界にはロボット工学三原則がないから、あれを罪に問う事はできないのよ」
サムライ・ドラXX 麻薬取締捜査官シド・レーガン
人生のすべてを狂わす恐ろしい薬、覚せい剤。その幻覚症状は人間を狂気に変えて行く。
この恐ろしい麻薬覚せい剤は、売人たちの手によってひそかに国内に持ち込まれている。それを水ぎわで食い止め麻薬撲滅に命をかけている人間、それが麻薬取締捜査官―――通称“麻薬Gメン”と呼ばれる者たち。
この物語は、TBT麻薬局所属の麻薬取締捜査官シド・レーガンと魔猫と呼ばれるネコ型ロボットが立ち向かった、とある事件の記録である。
時間軸1989年 8月8日
アメリカ合衆国 イリノイ州シカゴ
人々が行き交う表通りの華やかな雰囲気からは一変。ビルの裏路地という陰日向には社会の鬱屈に耐えかね覚せい剤を始め、様々な違法ドラッグの力を経て一瞬でも気分を高揚したいと願う者たちが身を寄せ合っている。
この日、裏路地を全力疾走する一人の売人と、それを追う人間の姿が目撃された。
「待て―――!!!」
ちょび髭を蓄え、紫のアロハシャツにサングラスと言う出で立ちの麻薬密売人は背後から猛烈に迫りくる麻薬Gメンから必死で逃げる。
売人を追いかける麻薬Gメン―――
現在はアメリカ支部の麻薬局に在籍する、熱血と根性が売りの麻薬Gメン一年生である。
彼らは、通常の麻薬取締捜査官としての特性に加え、時間犯罪という特別な事例に絡んだ麻薬事件を主に担当している。ゆえに、過去の世界で麻薬を振り裁く売人や元締めを摘発し逮捕することが彼らに与えられた使命である。
「シドさん!そっちに行きました。挟み撃ちにしましょう!」
太田は、数か月の内偵調査の末ようやく突き止めた売人を逮捕することに躍起になっていた。ここで逃がす訳にはいかない―――彼は無線で仲間と連絡を取り合い挟み撃ちを狙った。
裏路地を縦横無尽に駆け巡り、脇目も振らず逃げる売人。だが裏路地から表通りに出ようとした直後―――前方に銃口を突き付けた黒人の女性が現れる。
「そこまでよ!」
スレンダーなボディーに白いスーツを着込んだ黒人女性―――シド・レーガン。太田が現在在籍するチームの先輩で、麻薬Gメンの三年生。
彼女に銃口を突きつけられると、売人は慌てて踵を返し裏路地へ戻ろうとする。
だが時すでに遅し―――既に太田の連絡を受けた別の麻薬Gメンたちが駆けつけ、前方を完全に塞いでいた。冷や汗を浮かべながら、売人は前後左右を交互に見合う。
「袋のネズミだな」
「大人しくお縄を頂戴するんだ!」
「ふ、ふざけんな!誰が捕まってたまるか!!」
ここで捕まってしまう訳にはいかない。何としても逃げ切ってやる―――強い思いを抱く売人の男はナイフを手に取り、男性が多い後ろは避け、前方のシドに狙いを定め勢いよく突っ込んだ。
「逃げてください、シドさん!」
「大丈夫よ!私は逃げない」
「気取ってんじゃねぇ!!」
完全に女性であるシドを見下し、売人は狂気の笑みを浮かべながらナイフで突き刺そうと迫ってくるする。シドは、銃口を男の手元に向けると―――全神経を研ぎ澄ませ、両手でしっかりと銃を握りしめると、右中指にかけた引き金を引く。
ドン!
放たれた銃口は真っ直ぐな軌道を飛んで行き、売人の男が持っていたナイフの先端部分に着弾する。
「ああああああ!!!」
凄まじい衝撃が伝わり、男はナイフを手放し苦しい顔で腕を抑える。彼が隙を見せた瞬間、好機と捕えた太田が後ろから乗っかり、男の身柄を拘束する。
「覚せい剤、大麻、コカイン。営利目的の所持および転売で現行犯逮捕だ!」
動けない彼の手首に手錠をかけ、太田は麻薬Gメンとして初の輝かしい成果を上げることに成功した。
*
西暦5538年 8月9日
ニューヨーク TBT麻薬局
翌日。太田とシドは上司のスネルからの呼び出しを受け―――彼から今回の捜査結果について高い評価を受ける。
「迅速な解決だ。上も喜んでいたよ。私も鼻が高いぞ!」
「「ありがとうございます!」」
二人は態度を改め敬礼。上司から褒められるのもさること、二人は長い時間を費やし段階を経て辿った捜査が良い結果として現れ、自分たちの努力が実ったという事に何よりも充実感を覚える。
「特に太田・・・お前の成長は目覚ましい。流石は元・
「あ、ありがとうございます・・・」
「あら?なんか微妙そうじゃない。どうしたの?」
褒められているにも関わらず、どこか複雑な顔を作る太田の事が気にかかり、シドは怪訝そうな顔で尋ねる。
「いや。褒められたことは素直に喜びたいんですけど・・・・・・なんて言うか、僕が本当にあのハチャメチャな人たちと一緒に居たのが未だに信じられないって言うか」
頭をポリポリと掻きながら、日本で出会った
「はははは。成程、そう言う事か」
「わかったわ。それ、後で本人たちに話しておいてあげるわ!」
「え、えええ!!いやあの、シドさん!!ドラさんたちには言わないで下さいね!ドラさんの事だから枕元に出る気がしてなりません!!」
と、太田はシドに苦言を呈しうっかり口外しないで欲しいと強く願い出た。
やがて、スネルの下を後にし―――二人は休憩室に設置された自販機でコーヒーを買い、カップに入った出来立てのそれを飲みながら雑談する。
「でもまぁ、スネルの言う通りかもね。あんた、ホントに強くなったわ。目で見てわかるくらい」
「本当ですか!?ありがとうございます・・・シドさんに言われるとなんか照れますね」
太田はこれまで女性に褒められるという経験など皆無に等しかった。同僚であり一女性としても魅力的なシドから正当な評価を受けると、急に気分が高揚し、気恥ずかしそうに頬を染める。
太田の事をかわいいなぁ・・・と内心思いながら、シドは彼に笑いかけカップの中のコーヒーを啜る。
「そういえば・・・」
「え?」
不意に、太田が声を発し口を開いた。
「前に一度言いましたよね。シドさん、ドラさんと初めて会ったのが本部との合同捜査本部を立ち上げた時だって」
「ええ。確かにそう言ったわ」
「具体的にどんな事件を担当したんですか?」
キューバの麻薬王ジョニー・タピア逮捕のため、囮捜査官としての職務を果たしていた彼女と
「私が麻薬Gメンになる以前から・・・・・・本部も手を焼く謎の密輸ルートがあったの。で、私とあいつでその密輸ルートの壊滅に乗り出しって訳」
◇
西暦5535年 12月2日
アメリカ合衆国 マイアミ
遡ること3年前―――
アパートの一室で眠る一人の女性。今よりもややお転婆な性格だったシド・レーガンは、たまった仕事の疲れを癒すためベッドの中で爆睡を決め込んでいる。
ピピピピピピ・・・・・・
夢心地に寝ていると、正しい意味での覚せいを促す目覚ましのアラームが鳴り響く。
シドは、ベッドの中に一旦潜り込んで無視をしようとした。が、無視をしたところでアラームの音は鳴り止むことはなく、不承不承に布団から手だけを出し、脳の覚せいに働きかける目覚ましのアラームを止める。
「ふぁ~~~~~~。うう、寒む~~~~~~」
大きく伸びをし、肌寒さを感じながらベッドから降りた彼女は太陽の日を浴び若干透けている部屋のカーテンを全開にする。
季節は12月。外を見れば、昨夜のうちに降った雪が草木に積り、太陽光に反射し銀色に輝く結晶がちらほらと映る。
「雪降ったんだ。そっか、もうすぐクリスマスだもんな・・・・・・」
と、言った直後―――彼女は自分で口走った言葉を自嘲する。
「って。なんてのんきな事言えるのは今の仕事が片付いてからだった。大体こっちは元々一人もんだし、構ってくれる彼氏もいないし・・・・・・関係ないか」
シドはパジャマを脱ぎ、その下に着ていたブラトップを脱ぎ捨て風呂場へと直行する。
私の名前はシド・レーガン、22歳。時間の法と正義の守護者、TBTのアメリカ支部麻薬局所属の麻薬Gメンの一年生。
小さい頃から私は覚せい剤やヘロイン、コカインなどたくさんの麻薬に手を染める人をこの目で見て来た。
私には7つ年の離れた兄がいた。兄は時間犯罪者に麻薬を高値で売りつけるヤクの売人だった。3年前に逮捕され、現在は懲役10年の刑を受け時間刑務所の中で暮らしている。
そんな経験もあってか、私は兄の様な人間を生まないためにも、麻薬によって人生をメチャクチャにされることがないようにそれと戦う仕事―――麻薬Gメンになったのだ。
*
薬物汚染大国―――アメリカ。数多くの人間が覚せい剤や大麻など、違法薬物の所持・使用によって次々と逮捕されている。その魔の手は芸能界を始め、一般人・・・それも主婦や幼い子どもたちの手にも及んでいる。
私たち麻薬Gメンの仕事は、麻薬の密売人を逮捕し麻薬密売組織の壊滅を目指すこと。常に死と隣合わせの仕事だから全員が武道を身に付け、時には警察でもないのに拳銃を持つことも許されている。さらに、薬物の専門知識も必要なので半分以上の人が薬剤師の免許を持っている。
麻薬Gメンは、知性と勇気を兼ね備えた薬物捜査のエキスパートなのだ。
午前10時過ぎ
ニューヨーク TBT麻薬捜査局第一オフィス
「合同捜査本部?」
出勤したシドがデスクワークをしていると、先輩捜査官で白人のマーカス・ラーリーからそんな話を聞かされた。
「今扱ってる麻薬事件、本局の方でも追っているんだが・・・・・・今回麻薬局(ウチ)と一分隊で一緒に捜査することになった」
「へぇ~、本部の一分隊とか・・・」
本来が独立した組織同士が合同で捜査をすることは極めて珍しい。シドが麻薬局所属になってからおよそ9カ月、そうした異例の合同捜査が近日中に行われることが決定した。
「明日の深夜にニューヨークを出発して日本へ向かう。1カ月の滞在を想定しているから、今日は早めに仕事終わらせて荷づくり済ませろ」
「はい!」
と、簡潔に説明をした直後―――マーカスが「ああそうだ」と付け加える。
「噂なんだが、何でも本部に大長官お墨付きだって言うTBT一の切れ者がいるらしい」
「切れ者?どんな人なんですか?」
「詳しくは俺にもわからんが・・・そいつはこれまでに数々の難事件を解決してきた凄腕の捜査官らしく、TBT本部の切り札とも呼び声が高いと聞くな」
「そんなすごい人がいるんですか、日本に。でもどんな人なんだろう・・・・・・」
内心淡い期待を抱くシド。だがすぐに淡い期待を裏切る結果が待ち受けている事になろうとは・・・この時、微塵も思っていなかったのだ。
◇
12月3日 午前10時01分
小樽市 TBT本部・エントランスホール
深夜にニューヨークを立ち、極東の島国日本へと旅立ったシドは、北の大地・北海道の大地に足を踏み入れる。
服をしていてても分かる隆起した筋肉を持つ武闘派ばかりが集まった男性捜査官と混じり、彼女は本部の捜査官と合流を果たす。
「本日は遠いところから、ようこそ」
「こちらこそよろしく!」
TBT本部にやって来ると、麻薬捜査官は各国から集められエリートと称される本部の一分隊捜査官と固い握手を交わす。
(本部の切り札って呼ばれるのはどの人かしら。やっぱり、普通の人とは違うオーラとか纏ってたりして・・・・・・)
シドは噂に聞く凄腕の捜査官を探している。きょろきょろと辺りを見渡し、それらしい人物がいないかどうかを確認していた矢先。彼女は何かを発見した。
「ん・・・・・・?」
目を凝らして立花の背後を凝視する。そこには何食わぬ顔で欠伸をかき一人眠たそうにしている奇妙なネコ型ロボットの姿があった。
彼の名は、サムライ・ドラ。TBT本部特殊先行部隊に所属する捜査官。そして、彼こそが噂の張本人でもあった。
(えええ・・・・・・!!あれって何!?ま、まさかあれが本部の切り札とかじゃないでしょうね・・・・・・ていうかあの体、超ドラえもんじゃない!!)
シドは一瞬我が目を疑ったが、心の中では興奮を抑えきれないでいた。日本から端を発する児童漫画は今や世界中の人々に認知され、誰もが一度はそれを自宅のテレビで見たことがある程だった。
やがて、一通りの挨拶が済むと、シドは会議が始まる直前―――ドラと話がしたいと強く思った。
「あ、あの・・・」
マイクたちと別れ、彼女はおもむろにドラへと近づき勇気を持って声を掛ける。ドラが彼女の言葉に反応して振り返ると―――心の中でシドは嬉々とし湧き上がる興奮を抑えることが出来なかった。
(きゃっは!!本物だ、本物のドラえもんだ。子どもの頃テレビで見てたけどなつかしい~~~。でも本当にそうなのかしら?色々違うところはあるけど・・・・・・よし。ちょっとからかってやれ)
と、軽い気持ちを抱き―――何も知らない彼女はひょうきんを態度を取りドラえもんを意識した間延びした声で話しかける。
「こんにちは~、私シドですー。子どもの頃、リビングでドラえもんを見ながらおやつを食べたのー」
次の瞬間、ドラはシドに極上の笑顔を向け・・・
ドーン!
「ドラえもんって言うんじゃねぇ!!!」
女性の顔面を躊躇なく殴りつけた。
突然のことに驚きを隠せない彼女だが、右頬に入ったストレートパンチはまるで石で直接殴られたように固く、重い一撃だった。
衝撃で床に倒れた彼女を、ドラはさらなる暴挙で陥れる。胸ぐらを掴み、女性であることなどお構いなく往復ビンタを叩きこみ真っ赤に腫れ上がるまで叩き続けた。
そうして、大事な顔をボコボコにされた彼女は力なく倒れ伏し、ドラは湧き上がる怒りを堪えなられない様子で歩き出す。
「あ・・・あたじば・・・・・・なにぼびだぼ・・・・・・」
私がしたことの何が間違いだったのか・・・そう自分に問いかけながら、暫時シドは顔の痛みで起き上がる事さえできなかった。
*
午前11時00分
TBT本部 第一会議室
TBT本部に設置された麻薬局との合同捜査本部。早速会議が開かれ、シドは腫れ上がった顔を押えながら重い目蓋を作るドラの隣に座って話を聞く。
「本部組対課の安岡だ。時間軸2010年11月29日、日本の中央区大橋地区の路上で本部の潜入捜査官の職務質問を振り切って逃走後、待ち伏せをしていた捜査官に逮捕された男の身元が所持品の財布から判明した」
言うと、安岡と名乗るベテランの捜査官はホワイトボードに犯人の免許証を写した写真を貼り付ける。免許証に写った写真は外国人で、シドは眉を顰める。
「氏名ウィリアム・ローズベルト、40歳。職業不詳。財布に付着していた指紋が、半年前の覚せい剤密売現場に残されていた指紋のひとつと合致したため、我々はローズベルトが覚せい剤の売人の一人と断定」
一分隊の捜査官に交じって、シドたち麻薬局捜査官の代表が真剣に話を聞き情報をメモする一方、ドラは終始眠たそうに欠伸をかき続ける。
(なんなのよこいつ・・・・・・さっきからふざけた態度で。こっちは真剣に仕事してるって言うのに・・・・・・あ~あ、ヤダヤダ)
自分と対極を為し、いい加減な素行のドラをシドは内心軽蔑する。
安岡の話しがひと段落すると、全体の指揮を担当する一分隊の
「捜査を指揮する立花だ。みんな聞いてくれ。我々はひと月に何十件と言う数の麻薬ルートを摘発している。が・・・その中には未だ解明できていない謎の密輸ルートが存在している」
話をしながら、立花は複数の写真をホワイドボードに順に貼り付ける。写真は全部で三枚。うちの二枚には湖畔のコテージと思われる建物が写っており、残り一枚は壮年の男性が写されていた。
「
ここまでの話しを終え、立花は会議室に集まった全捜査員に強く呼びかける。
「篠崎がこの密輸ルートの元締めなのは間違いない。我々は覚せい剤の元締めである篠崎を逮捕し、密輸ルートを壊滅するとともに今までたどり着けなかった密輸関連事件の黒幕―――通称キングの正体を暴くことが今回我々に課せられた義務である。全員一丸となった捜査にあたるように」
全員が威勢のいい返事を返し、捜査の士気が高まった。
「じゃあそういうことで・・・・・・・・・・・・いいですね、サムライ・ドラ捜査官」
「え?」
立花が不意に呼びかける。シドを始め全員がドラの方を見ると、そこには椅子に座ったまま平然と眠るロボットの姿があった。
くかぁ~・・・と、気持ちよさそうに鼾をかき、ドラは間の抜けた顔で熟睡している。会議の席で白昼堂々と昼寝を決め込むというドラのふてぶてしい態度に、シドを始め捜査官全員が唖然、絶句した。
会議が終わると、シドはドラの先ほど取った行動が我慢できず―――彼のためを思って厳しく叱咤した。
「ちょっとあんた!会議中に寝るなんて、非常識じゃない!?」
心を鬼にし鋭い眼光で睨み付けるも、当人は全く相手にしておらず―――ドラは大きな欠伸をかくと、縮れたひげをピンと伸ばしながら「しょうがないじゃないか」とコメントする。
「こちとら大長官のところのバカ息子の追試の勉強に徹夜で付き合ってたんだ。もうほとんど寝てないんだよ。ふぁ~~~・・・・・・・・・・・・」
「何がしょうがないよ、何が!?あんたね、仕事をなんだと思ってるの!」
切実な思いで訴えかける彼女の言葉はまるで暖簾に腕押し。ドラは頻繁に睡魔に襲われ欠伸を何度も連発する。
子どもの頃に秘かに憧れたアニメのキャラクターは、現実の世界では二次元の世界とは似ても似つかぬほど憎らしい存在だった。一種のカルチャーショックを受けるシドだったが、そこへマーカスら捜査員が呼びかける。
「シド。出かけるぞ」
「え・・・あ、はい!」
マーカスに呼ばれた彼女は慌てて支度を始める。ドラは嘆息を突くと、懐に手を入れ嗜好品のブラックチョコレートを取出し、眠気覚ましにひと口食べる。
出かける用意を済ませた彼女はドラを見、「あんたはどうするの?」と尋ねる。
「どうも気分が乗らない。麻薬局捜査官のお手並み拝見といこうかな」
「って、何でちょっと上から目線なのよ?」
どこまでもふてぶてしく、その上人を見下す態度を取るドラにシドは苛立ちを募らせる。
「何してる、行くぞ!」
「あ・・・待って下さい!」
ぐずぐずしていると彼女を見かねたマイクが声を荒ららげると、シドは慌てて踵を返し建物の外へと走った。
彼女を見送る形となったドラは、おもむろに一冊のグルメ雑誌を手に取り―――その中に掲載された特集ページに目を落とす。
コック姿の篠崎と彼が経営するレストラン「ボルスキー」について詳しく紹介されており、ドラは眉を顰め篠崎の写真をじっと見る。
*
午後12時34分
北海道 月形町・月ヶ湖
本部を出発したシドたち一行は、車でおよそ90分を費やし、篠崎が店を構える湖畔のレストラン近くへとやってきた。
「あれがそうですね」
「なかなかいい趣味してるじゃないか」
車を止めると、遠目からシドとマイク、本部の捜査官数名は双眼鏡で彼の店の様子を観察する。
通常、捜査をするにあたり彼らが必要としている情報は通称「S」と呼ばれる情報提供者からもたらされる。彼らからできるだけ詳しい情報を得ることで、捜査官は迅速な捜査がしやすくなるのだ。
「本部の内偵調査とSから提供された情報によれば、おそらく篠崎のヤツが密輸している覚せい剤は純度からいってロシア産。その量およそ200キログラム。末端価格にして120億円にもなるだろう」
「120億も・・・!」
安岡から伝えられたべらぼうに高い金額。シドは思わず声を裏返す。
密輸や密売が摘発された報道などで聞く「末端価格」と呼ばれる数字。これは、警察や税関などが、参考として過去のデータなどから算出した末端で密売される薬物1グラム当たりの一般的な単価で計算した価格を発表したもの。実際の密売価格は、市場の変化に対応して常に変動しているが、結晶状の覚せい剤であれば1グラム当たり60000円にも達すると言われている。
「おや?」
そのときだ。後ろから男性の声が聞こえ、捜査官全員が振り返る。
「安岡さんじゃないですか」
「篠崎!」
捜査官の前にひょっこりと現れた壮年の男性、それこそが篠崎和彦だった。
シドを始め捜査官全員が篠崎に対し警戒心を剥き出しにする中、彼はいけしゃあしゃあとした顔を浮かべる。
「しばらくですね。どうしたんですか?こんな所で・・・え・・・?まさか、まだ私を追いかけているわけじゃないでしょうな。だとしたら麻薬Gメンってのは相当ヒマなんですな」
篠崎は、まるで麻薬Gメンを嘲笑うかのように、ははははと声を上げる。
「ヒマってそんな言い方!」
ドラとは別の意味で自分たちを愚弄する篠崎の態度と不適切な言い方ににシドは立腹し、声を荒ららげるそうになった。だが途中でマイクに肩を掴まれ抑えつけられる。
「なんですかこの外国人のお嬢ちゃんは」
すると、篠崎はシドと言う黒人女性が珍しく興味本位に話しかけてくる。
「まさか、麻薬Gメンってことはないですよね」
「そのまさかよ!」
「ほうこりゃ面白い」
瞳から伝わる冷嘲的な態度。シドは怖い顔を浮かべ篠崎への対抗心を抱く。
「ん・・・?」
そのとき、篠崎はシドが持っていたグルメガイドに目を転じ、「これはうちの店が出ているグルメガイドじゃないすか」と言って、彼女から本を取り上げ自分の店の特集記事を読み始める。
「なかなかいいお店でしょう?そんなありもしない密輸ルートを探してないで、お嬢ちゃんらしく―――彼氏とうちのお店にでもいらっしゃい。少しはサービスさせてもらいますよ」
言うと、シドに向かって蘭日王にガイドブックを投げつけ、篠崎は「では失敬」と一言言い、癇に障るような声で笑いながら店に向かって歩き出す。
「・・・・・・」
腹が立ち過ぎて言葉すら出ないという経験をしたのは初めてだった。
シドは湧き上がる悔しさを抑え込もうと拳に力を籠め、いずれ必ず証拠を見つけ彼を逮捕しようと固く誓った。
*
午後7時30分
小樽市内 某ビジネスホテル
「あ~もう、何なのよあの態度!」
合同捜査の一日目が終了し、シドはホテルのベッドに腰掛けストレスを爆発させる。
「人を小娘呼ばわりして・・・・・・見てなさいよ。絶対にあんたの密輸ルートを暴いてやるんだから!!」
およそ一か月の予定で始まった合同捜査。来日中に何としても密輸ルートを解明する事こそ、シドが自らに与えた最大の使命だった。
「そうと決まったら・・・・・・寝るか!」
明日の仕事に向け英気を養うことにした彼女は、早めの休息を取る事にし、その日を終える。
それから1週間・・・シドたちはあらゆる密輸方法を洗い直していった。
靴の底やスーツケースを二重構造にして運ぶ方法。さらには、覚せい剤をゴム製品に詰めそれを数時間かけて飲み込み―――胃袋をトランク代わりにして使う通称『飲み込み』と呼ばれる方法まで・・・考えられる密輸の手段はすべてつぶしていった。
しかし・・・
◇
12月10日 午前11時20分
TBT本部 合同捜査本部
「はぁ~・・・・・・」
深い溜息をつき、シドは宛がわれたデスクの上で顔を突っ伏し項垂れる。いくら調べてもそれらしい方法が見つからず捜査は極めて難航していた。
雲を掴むような正体不明の密輸ルートの解明という見えぬゴール。それを目指すことに若干の疲れを見せ始める中、不意に誰かから声を掛けられる。
「上手くいってないみたいだな」
顔を伏せた状態から横を見ると、同じく合同捜査に参加していながら周りからは全く期待されず邪険にされていたドラが話しかけて来た。
「ええ、お陰さまでね・・・・・・」
「その様子じゃ、毎日不眠不休ってところだろ。目に濃い隈ができてるし!若いからって侮ってると、みるみる老化して肌がガサガサになるだけじゃすまないよ!」
仕事の苦労も分らないで何言ってるのかしら・・・・・シドは内心小馬鹿にしたように言ってくるドラを恨めしく思い、彼に率直な事を尋ねる。
「じゃあ聞くけど。そう言うアンタは何か進展でもあったのかしら?」
「いんや。これと言って特に」
「じゃあなんでそんなに余裕ぶっこいていられるのよ?」
「これでも焦ってるつもりだけどな~」
「全然そんな風には見えないんだけど・・・」
焦りといより、緊張感というものが感じられない様にも見えた。ドラはシドの近くに座り、いつもの様にチョコを食べ始める。
シドは嘆息を突き、「チョコ食べながらでもいいから聞いてよ」と言って話し出す。
「考え得る密輸方法は全部洗い直した。でも結局どの方法も篠崎は使っていないのよ」
「まあ、そうだろうな」
「『そうだろうな』って・・・だいたいこの方法で運べるブツはせいぜい数十グラム。篠崎が運んでいる200キログラムという大量の覚せい剤を運ぶのは無理よ」
「そんな事は誰だってわかるさ。ただ思いこみは危険だよ。ありとあらゆる方法をもう一度洗うんだ」
「でも・・・」
ドラに言われるとどういう訳か困惑と躊躇いの気持ちが強くなる。そんなシドの態度を窺い、ドラはチョコを齧ってから不敵な笑みを浮かべる。
「人間はどんな奇跡をも引き起こすことができる。その奇跡も、本来人間なら誰しもが持っている基本的な力なんだ。迷ったら立ち止まれ。そして後ろを振り向け。それ以外に未来に進む方法なんてないからな」
「はあ・・・」
こんな風にもっともらしい事を言われ、シドは一度考えた後、仕方なく基本に返りもう一度あらゆる面から調べ直す事にした。
漁船を使い外国船から麻薬を受け取る方法も調べられた。これは沖合にいる外国船に小さな漁船に近づき麻薬を受け取る方法である。キューバの麻薬王こと、ジョニー・タピアが使っていたのもこの方法だ。
しかし、この方法は現在ではあまり用いられない事が多い。というのも、人工衛星の発達により小さな漁船一隻一隻の動きまで把握できるようになったからだ。
「どうだった?」
「この方法でもないみたいよ」
いつの間にか、シドはドラと行動をともにする機会が増えていた。漁港を離れ車を運転するシドの隣で、ドラは「やっぱりそうか・・・」と言う。
「だけど、念のために変な動きをする漁船があればすぐに連絡が入るように手配しておけ」
「はいはい・・・って。なんで私が命令されなきゃならないの?」
形式上、ドラの方がキャリアがあり先輩に当たるのだが、シドは外見上の問題から彼を先輩として見ることができず、上から目線で話される度に反抗心を抱いた。だがドラの発言一つ一つには深い含蓄が多く、長年のキャリアというものが窺えられた。
ドラと接するうちに自然とシドも多くの事を学び始めた。そんな不思議な魅力を持つ彼にシドは徐々に心を許し、ドラの言うことにも従うようになっていった。
だがそれとは別に、ドラたちは未だ正体不明な篠崎の密輸方法に関して新しい情報は何ひとつ得ることはできなかった。
◇
12月12日 午前9時18分
TBT本部 合同捜査本部
「他にいったいどんな方法があるっていうの!」
一行に分からない密輸ルート。焦りといら立ちがピークに達した瞬間、シドはホワイトボードに張られた篠崎の写真を殴りつける。
心配そうにマイクや他の捜査員が見守るっていた、そのとき・・・
「立花さーん!」
大声を上げ部屋に入って来たのは、肩で息を切らした安岡だった。彼の手には捜査令状と思われるものが握られている。
「やっと囮捜査の許可がおりました」
「そうか。よし!みんな行くぞ!」
「あのすみません!囮捜査って?」
囮捜査という言葉を耳にした瞬間、全員が背広を羽織り一斉に外へと向かって走り出し、シドは訳の分からぬまま彼らの後を追いかけて行った。
*
午前10時54分
月形町 月ヶ湖
「篠崎に面の割れていないGメンの一人が―――売人に成りすましてヤツに接触して情報を探るんだ。それが囮捜査だ」
「そんな捜査方法が許されているんですか?」
「我々麻薬Gメンにだけはな」
『囮捜査』
警察官にさえ認められていない麻薬Gメンにだけ許された特権で、伝家の宝刀。これは身分を隠して麻薬の密売人と接触し、麻薬を実際に買うという荒業。事前に許可を取り令状を貰うことで、麻薬を購入しても罪は問われないことが法律に認められている。
シドは本部の捜査官らとともに特殊車両の中で待機する。本部の囮捜査官が麻薬の買い手を装い、篠崎と接触する。その際、相手に不信感を抱かせないよう見せ金の入った銀行の袋を懐からちらつかせる。
『あんたが篠崎さんか』
『ああ、そうだが・・・』
接触した捜査官が隠し持っているマイクから、篠崎の肉声が入ってくる。
「どうやら、うまく接触できたようですね」
「ああ」
シドたちは安堵し、双眼鏡を通して店の中で会話をする捜査官と篠崎の様子を窺いながら車から流れ出る肉声を聞く。
『で・・・今回はどのくらい欲しいんだ?』
『とりあえず10キロ・・・払いはキャッシュだ』
「篠崎はうまくシッポを出してくれますかね」
「まだわからん」
『10キロ・・・?お安いご用だ。だがブツはまだない』
『いつ入る?』
『近いうちに・・・それも極上のブツがな』
『うわさ通りだな。だけどアンタ、そんなに大量にブツを運び込んで大丈夫なのか?俺たちまでイモヅル式に捕まるのはごめんだぜ』
『その点は安心しろ。俺の密輸ルートは絶対にバレねえ。なんたって『ベーラヤ』を使ってるからな』
「『ベーラヤ』?」
篠崎本人の口から語られた聞き慣れない言葉に、全員は疑問符を浮かべる。
『俺に任せておけば、極上のブツを仕入れてやるからよ。心配するな』
『あ・・・ああ・・・』
「『ベーラヤ』を使ってる・・・?」
「『ベーラヤ』・・・」
*
午後1時09分
TBT本部 特殊先行部隊オフィス
シドは本部へ戻ると、この事をドラに話した。
ドラはネットを使かってベーラヤという言葉の意味を見つけだし、その意味を伝えた。
「ほらこれだよ。『ベーラヤ』の意味が書かれてる」
自前のノートパソコンをシドに見せると、パソコン画面にベーラヤという言葉の意味が記載された情報が公開されている。それを見ると・・・
「『白』だよ。ベーラヤはロシア語で『白』っていう意味なんだ」
「『白』?色の『白』ってこと」
「ああ」
「『ベーラヤを使ってる』。つまり『白を使ってる』ってことか・・・ていうことは『白』が入っている名前・・・例えば・・・『白井』、『白坂』とか―――人の名前を指した暗号ってことかしら」
「運び屋の名前か・・・」
「すぐに手配してみるわ!」
一筋の光明を見出したシドは、意気揚々と特殊先行部隊のオフィスを飛び出した。
「ベーラヤ・・・・・・仮に運び屋の名前だとして、そんな単純なものなのか」
淡い期待を抱く彼女とは裏腹に、ドラは猜疑心を抱いた顔でベーラヤの意味について思案する。
こうして、名前に『白』が入った運び屋が徹底的に調べ上げられていった。
しかし、篠崎との接点のある人物は―――捜査線上に一人も浮かび上がってこなかった。
さらに、篠崎の店で仕入れている白い材料。例えば小麦粉、片栗粉、砂糖に塩・・・それに白ワインなどにまぎれこませての密輸も考えられた。しかし、そこからも覚せい剤が出てくることはなかった。
その他ロシアの白い民芸品やロウソク、さらには冷凍用に使われている氷まで―――『白』に関係するものはすべて調べられた。
しかし・・・
◇
12月17日 午後3時11分
TBT本部 休憩ルーム
「はぁ・・・・・・どういうこと」
「なんで何も出てこないんだろうね」
囮捜査からわかったベーラヤと呼ばれる運び屋から密輸ルートに迫ろうと奮闘するドラたちだが、肝心の言葉の意味が全く分からず事態は逼迫していた。
シドは脱力気味にソファーに腰かけ、その隣に座りドラも難しい顔を浮かべる。
「これだけ調べても何も出ないっていうことは―――あたり前の密輸方法じゃなくもっと意表をついた方法があるんじゃないからしら」
「例えば?」
「白いペンキを使うってのはどうかしら?」
「白いペンキ?」
間の抜けた声を上げるドラにそうと言い、シドは自分の考えた密輸方式を詳しく説明する。
「つまり、白いペンキに覚せい剤を溶かしこむのよ。そして、そのペンキを船に塗りつける・・・これなら誰にも知られずにかなりの量の覚せい剤を運べるんじゃない」
話を聞くと、ドラはコーヒーをひと口飲み、興味深そうに口角を釣り上げる。
「へぇ。なかなかおもしろいじゃん。オイラには絶対に出てこないアイディアだ」
「そうかしら♪」
と、シドは喜ぶが―――同時にドラは「だけどシド」と付け加える。
「その方法だと白いペンキはどうやってはがすんだ?」
「あ・・・」
「それにそれじゃあ、不純物が混ざりすぎてしまうからいい方法とは言わないかな」
折角考えた方法も現実的には難しいと判断され、シドはショックを受ける。
深い溜息を突き、ドラはコーヒーのカップを手に取った状態で窓の外を眺めながめら、
「思いきってロシアに行ってみるか」
「え・・・!?」
「篠崎のヤツが密輸している覚せい剤はロシア産なのは間違いないんだ。ロシアに賭けてみるのも一興か・・・」
素っ頓狂な事を言って来たドラの言葉に耳を疑うシドだが、それが嘘や冗談ではないない事をドラ自身が語った。これを聞き、シドの心も突き動かされた。
「・・・・・・そうね。ここまで来たからには引き下がれない。やってみましょう!」
こうして私たちは二人だけでロシアへ向かうこととなった。確証もないロシアへの旅。これは私たちにとって最後の賭けでもあった。
◇
12月18日 午前8時06分
ロシア連邦 モスクワ空港
「ばっくしょん!!!」
北海道の冬の寒さに以上に厳しいロシアの冬。この国に一歩足を踏み入れた瞬間、寒さが極端に苦手なドラは豪快なくしゃみする。
「くそ~~~。なんて寒い国なんだ~~~。オイラ寒いのは大嫌いなんだぞ!!」
「じゃあなんで来たのよ?」
「なりゆきだよ、なりゆき!は・・・は・・・はっくしょん!!」
鼻水も凍てつく強烈な寒さ。もこもこのマフラーに毛糸の帽子、手袋、さらにはスキーウェアで完全防備したドラは、ぶつくさと文句を言いながらシドとともにロシアでの捜索を開始する。
ロシアに到着して一週間後。私たちはボルバイ湖にほど近い田舎町に立っていた。この町がロシア最大の覚せい剤の密造地であることが判明した。
だがその先は、なんの手掛かりもない得られなかった。
◇
12月25日 午後13時47分
ボルバイ湖近郊・住民宿舎
刺すような寒さに耐えシドが外で待っていると、本部との話を終えたドラが建物の中から出て来た。
「お前と組んで捜査できるのもあと一日になったよ」
「え・・・?」
「本部の命令だ。ロシアまで出かけて何も出てこない以上―――責任はとるようにとさ」
と、自嘲したように言いながらドラは蒸留酒を入れたスキットルを取出し、おもむろに口を付ける。
「そんな・・・イヤよ!このまま帰るわけにはいかないわ!せめてこのあたりだけでももう一度調べさせて」
シドはドラに強く申し出た。ウィスキーを飲み、ドラは真っ白な息を放出したのち「好きにしろ」と返答する。
なんの手掛かりもないまま日本へ帰るわけにはいかない。それに、ドラを辞めさせるわけにはいけない・・・
シドはワラをもつかむ気持ちで町じゅうを走り回った。
しかし、それらしい手掛かりを見つけだす事はできず、いたずらに時間だけが経過した。
「シド・・・なにか新しいことが見つかったか?」
「・・・・・・」
夕暮れ時。ドラが淡い期待を込めて尋ねるも、シドは双眼鏡を覗き込んだまま何も答えず悔しそうに首を横に降る。
「そうか・・・さあ、日本へ帰ろう」
ドラは自分の身辺がどうなろうと構わなかった。たとえどんなに理不尽な性格だとしても、その先に待つ大きな責任を受ける覚悟は常に持っていた。
踵を返しドラが車に戻ろうとした―――そのとき。
「ドラ!」
「ん」
帰ろうとしたドラを呼び止めるシドの声。彼女は双眼鏡の先に見えたあるものに目を光ら、それに希望を見出した。
「私たちはまだ見捨てられてないかもしれない!」
「どういうことだ」
「ドラ、一緒に来て!」
「おいシド!どこへ行く」
唐突に走り出すシドを追いかけ、ドラも短い脚を動かし白い雪を被った地面を強く走る。
「ドラ、ちょっと見てくれる。あたり一面に咲いた赤い花」
「この花がどうしたんだ」
二人が発見したのは、何の変哲もない普通の花。だがシドはその花に見覚えがあった。
「気がつかない?これ―――篠崎の店の写真に写っていた花と同じものじゃない」
リュックからグルメガイドを取出し、シドはボルスキーの特集記事に載せられた店の写真に同じ花が写っている事を指摘する。
「ほら!このグルメガイドを見てちょうがい。これは偶然かしら?」
「ロシアの湖と日本の湖に同じ赤い花か・・・確かに妙な話だね」
「なぜこんな離れた所で同じ花が?しかも、よく見るとあまり見かけない珍しい花だわ」
と、次の瞬間―――
「シド!でかした!」
「えっ!?」
ドラの頭の中を駆け巡っていたバラバラのピースが一つの形にまとまり、真実を見出した途端、彼は歓喜の声を上げる。
「『ベーラヤ』の正体がやっとわかったよ!クソッ!こんな密輸の方法があったとはな!でははははははは、篠崎の奴も考えたよ」
「え・・・?この赤い花と『白』という意味の『ベーラヤ』・・・どうつながるっていうの?」
シドが疑問に思う中、ドラは込み上がる笑いを押えながら自信に満ちた顔で言う。
「いいかシド。この赤い花を日本に運んだヤツ・・・それが『ベーラヤ』だったんだよ!」
「え・・・?」
ドラが言った後、シドは一瞬怪訝そうに目の前の赤い花を見つめ―――やがて、「あっ!」という声を漏らし理解する。
「ドラ、すぐに本部へ戻りましょう」
◇
12月29日 午前10時40分
北海道 月形町・月ヶ湖
クリスマス明けの12月。店を閉じ、年末の一台イベントのために篠崎は準備のために湖の近くを散歩していた。
「篠崎さん」
そのとき、女性の声が聞こ篠崎が振り返ると、現れたのはシドとドラの日米の珍種コンビだった。
「あなたがどうやって200キロもの覚せい剤を密輸しているのか―――やっとわかりました」
「まだそんなことを言ってるんですか」
諦めの悪い奴らだ、内心思いながら飄々とした笑みを浮かべる篠崎。彼に歩み寄ると、ドラはおもむろに口を開く。
「篠崎。お前がこの湖に店を出したのは他でもない。密輸のためだったようだね」
「ふははははは。何を言い出すんですかこのドラえもんは」
「お前はこの花を知っているかな?」
言って、ドラは透明な袋に詰められた赤い花を見せつける。
「知ってるもなにも―――うちの店のそばに咲いている花じゃあないか。それが何か?」
「この花は、ロシアのボルバイ湖にしか咲いていないとても珍しい花なんですよ。その珍しい花がなぜかこの湖にも咲いている。この意味、おわかりになりますか?」
「ど・・・どういうことだ?」
険しい顔でシドの方を見る篠崎。彼女は一拍置いてから更に言う。
「それはロシアの湖とこの湖を行き来するモノがいるからなんです。そう・・・あなたが頼りにしている『ベーラヤ』という運び屋が、覚せい剤と一緒にこの花の種も、ここまで運んでしまったからなんです」
聞いた直後、篠崎の顔が露骨に渋くなる。
「お前が扱う覚せい剤はなぜ一年に一度しか出回らないか。それは、その運び屋が一年に一度しか日本に来ないからだ。・・・というより一年に一度しか来られないと言ったほうが正しいかな?違うか、篠崎!」
ドラに詰め寄られると、篠崎はハッとした顔を浮かべ、目線を下に逸らす。
「しかも、その運び屋は国境などまったく関係がない。私たちが税関をいくら厳重にチェックしても―――引っ掛からないはずですよ」
「お、お前らいったいなにが言いたいんだ」
「その運び屋はもうそこまで来ているはずだ。篠崎!『ベーラヤ』と呼ばれる運び屋の正体とは・・・」
そのとき、頃合いを見計らったようにコォーコォーという甲高い声が空から聞こえる。
「到着したようですよ。なんにも知らないかわいそうな白い運び屋が・・・」
天を翔る無数の物体。ゆっくりと近づいてくるそれは越冬のために遥かロシアから飛んできた渡り鳥―――ハクチョウ。篠崎が顔を歪める中、ハクチョウたちは次々と湖の上へ降り立つ。
「『ベーラヤ』・・・つまり『白』とはハクチョウのことだったんだ。渡り鳥であるハクチョウは冬を越すために一年に一度、ロシアから日本に渡ってくる。しかもそのハクチョウは必ず同じ場所へ移動するという習性を持っている。ロシアのボルバイ湖から飛んでくるハクチョウは、毎年この湖で冬を越すんだ。つまりお前は毎年この湖でハクチョウを待つだけでいい。いや~、ホントよく考えたもんだ」
「シド!あったぞ!」
そこへ、マイクたちを始め待機していた捜査官が一羽のハクチョウを抱きかかえ、ドラたちと合流する。
「お前たちの言ったように足についている認識用のプレートが―――二重構造になっていたぞ。中身は・・・」
ハクチョウからプレートを取り外し、二重構造になっているそれを慎重に開けると、そこには透明な袋に入った微量の覚せい剤が隠されていた。
決定的な証拠が発見された途端、篠崎は先ほどの余裕をすっかり失い黙り込む。ドラは湖のハクチョウを見ながら、導き出した結論を総括として述べる。
「この湖のハクチョウはおよそ2000羽。1羽あたり100グラムずつ運ばせるとトータルで200キロ。末端価格で120億円の覚せい剤を運ぶことができるというわけだね」
「篠崎和彦!覚せい剤の密輸容疑で逮捕します」
シドが毅然とした態度で言い、篠崎に手錠をかけた直後―――
「ふはははははははは!!!」
突然、篠崎は甲高い声を上げて笑い出す。一目見てそれが自棄になったことが分るほどに彼は清々しく笑った。
「絶対にバレねえと思っていたのに・・・はははははは!!!」
車に運ばれると、篠崎は後部座席からドラとシドに呼びかける。
「よくわかったなほめてやるよ!だがな小娘よく覚えとけ!たとえ俺のルートがつぶれても―――また別の誰かが新しい密輸方法を考えるだけだ。それだけ世の中にはシャブを欲しがってる奴らがいるってことなんだよ。わかってんのか?」
「行くぞ」
「お前らのやってることなんか無意味なんだよ!」
そう最後に言い残し、篠崎は本部の捜査官によって連行され―――ドラとシドは別の車で現場を後にする。
こうして前代未聞の密輸ルートは壊滅した。
篠崎の言うように人の心に欲望がある限り――また新しい密輸ルートが現れるかもしれない。
しかし、その度に私たち麻薬Gメンが必ずつぶしてみせる。
参照・参考文献
弁護士小森榮の薬物問題ノート 大麻の末端密売価格『日本とアメリカの比較』
http://33765910.at.webry.info/200801/article_9.html
ドラさん語録~サムライ・ドラが残した語録集~
その35:人間はどんな奇跡をも引き起こすことができる。その奇跡も、本来人間なら誰しもが持っている基本的な力なんだ。迷ったら立ち止まれ。そして後ろを振り向け。それ以外に未来に進む方法なんてないからな
迷ったら基本に帰れとはよく言うが、やっぱり基本って言うのは大事だ。技術が進歩すればするだけ、却って分からなくなることがある。ドラの言葉が常に心の片隅に留めておきたい。(第30話)
登場人物
篠崎和彦(しのざきかずひこ)
声:菅生隆之
空知管内の月形町月ヶ湖にあるロシア料理店「ボルスキー」のオーナーシェフで、覚せい剤の売人。
3年前に湖のほとりに店を出したころから、入手経路のわからない覚せい剤が出回り始めた。その上覚せい剤は一年に一度という極めて短い期間でのみ出回っていた。その密輸方法は、ベーラヤと呼ばれる運び屋を使う方法で、その正体は越冬のためにロシアから渡ってくるハクチョウの事だった。ハクチョウの足に取りつける認識用のプレートを二重構造にし、2000羽の一羽一羽に100グラムずつの覚せい剤を運ばせることで、末端価格120億円もの大金を得ることに成功した。だがそれは副産物としてボルバイ湖にしか咲かない花の種を日本にもたらし、それが仇となった結果ドラ達に証拠を掴まれ逮捕される。
次回予告
幸「龍樹さんがネットオークションで落札した200万円の青磁の壺が、鑑定団に出したら2億円の値段に跳ね上がった!!」
龍「しかしこれには思わぬカラクリが潜んでいた。今、ロストテクノロジーを巡る我々の壮大な冒険が始まる!!」
ド「次回、『失われた技術を求めて』。冒険なんて極力したくないんだけどな・・・疲れるから」