サムライ・ドラ   作:重要大事

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ド「うっす!TBT特殊先行部隊“鋼鉄の絆(アイアンハーツ)”隊長のサムライ・ドラだ。全9話に渡って繰り広げて来た麻薬戦争にもひとまずの決着が着いて、太田はアメリカへと旅立った。また今日から新しい気持ちで頑張っていくつもりだよ」
「ところで、みんなは『幸福な王子』っていう童話は知ってるかな?金箔をはった王子の像が冬を越すために南に渡ろうとしていたツバメと協力して不幸な街の人たちのために尽くすって内容・・・話の中では、自己犠牲と博愛について読者に訴えかけようとしているけど、実際、自己犠牲と博愛がどの程度容認されるかは正直わかんない。それでも、他人のために尽くすことが大好きな人って、結構いるんだよね・・・今回からはそういう奴に関する物語を展開していこうと思ってる」


日常編1
博愛の幸福王子


時間軸1989年 日本・マンション団地

 

 篠が突くほどに降る雨。

団地近くの公園に無造作に放置された三輪車や遊具に滴り落ちる。

 マンションの一室に向けて、ライフルを構えるTBT第一分隊凶悪犯罪強行班所属の捜査官は、スコープを通して標的を凝視する。

荒田栄次郎(あらたえいじろう)、32歳。無職、二度の離婚歴アリ。暴行致傷3・・・強盗強姦4・・・覚せい剤取締法違反・・・現在、住居侵入及び暴行・強姦容疑・・・」

 56世紀で罪を犯した犯罪者は、時間航行技術を用いて過去へとさかのぼり、この時代へと逃亡―――現地の住民を人質にマンションの一角に籠城した。

 被疑者、荒田栄次郎は人質にとった上、中学生の女子に強姦行為を働き、泣きわめく彼女の頭に銃口を突き付け、TBTの動きをけん制している。

「いらないな、こんな奴・・・」

 狙撃犯は率直に思いながら、降りしきる雨にも動じず、被疑者の眉間にのみ集中―――制圧の瞬間を見計らう。

 

「さっさと5千万、用意せいやぁ!!こいつ殺すぞぉ!!」

 被疑者は窓から顔を出すと大声を張り上げ、逃走のために必要な資金をあからさまに要求し―――TBT捜査官を嘲笑するが如く人質の少女に銃を突き付ける。

 TBTは事態の早急な解決を図るため、特殊部隊を配備し、出動のタイミングを計っている。

『突1、突2、突3、突入準備』

「了解」

『狙撃04、05を支援』

「了解」

 基地局となっている特殊車両の中で、複数のモニターを通じて現場の様子を事細かく把握しながら、特殊部隊の隊長は淡白な口調で「こちら基地局、突入10秒前」と捜査官に語りかける。

 

「TBTのクソ共!ワザと時間稼ぎしくさって!!」

 痺れを切らしそうになっている被疑者は、人質の少女を投げ飛ばし、「俺は本気やぞ!!」と声を荒げる。

「イヤァァ!」

 パン!パン!

 少女の悲鳴に興奮した被疑者は持っていた銃を放つ。

 服を剥がされ、理不尽な暴力を受けた少女は、壁に向けて放たれた弾痕を一瞥。近くに腰を落とし―――極限の恐怖に体が竦んだのか、思わず失禁する。

「早よ、金ぇ用意せぇや!!次はホンマにこの子供(ガキ)殺すぞ!!」

 現場全体に緊張が走る。周りの捜査官たちが固唾を飲んで特殊部隊の働きに期待している一方で―――人混みに紛れ、傘を差したネコ型ロボットが頃合いを見計らい、口元をつり上げると、無線を繋ぐ。

「R君、出番だよ」

「了解!」

 ネコ型ロボットの声に答えると、被疑者が潜伏している隣の部屋で待機を決め込んでいた逆立った髪に赤い鉢巻を巻き、白い胴着のような衣服に身を包んだ長身痩躯の男は、壁に集音マイクを取りつける。

『マル被の位置把握できてるかい?』

「おう。この集音マイク、感度良すぎだぜ。手に取るようにわかる」

 壁一面にチョークで被疑者の姿を模った絵が描かれており、頭部にはそれぞれ1から24という数字が符ってある。集音マイクを通して―――男は現在の被疑者の位置を確認しながら、拳を構える。

 

 そして、一分隊直属の特殊部隊と―――もう一つの特殊部隊による制圧作戦が、同じタイミングにより発動される。

『5・・・4・・・3・・・2・・・1・・・』

 カウントを読み上げた瞬間、特殊部隊の隊長は『GO!!』と合図を出し―――待機していた制圧部隊が一斉に動き出す。

 

 ドカァーン!!!

 

 

【挿絵表示】

 

 刹那、豪快に壁を突き破った強烈な拳が、被疑者・荒田栄次郎の顔面を直撃。

 鍵のかかったドアを突き破り、被疑者制圧のために乗り込んできた特殊部隊は唖然とする。踏み込んだ時には既に状況は終了しており、被疑者は頬を思い切り殴られたショックで気を失っている。

 そのとき、穴の開いた壁の向こうからナックルグローブを装備し、被疑者をチョンチョンと指さす人影を捉える。

「誰だ!?」

 慎重に近づき、壁の穴の人物に銃口を向けると―――男は勝ち誇った笑みを浮かべ、同僚である捜査官全員に自分の名を名乗る。

「うす!!TBT特殊先行部隊“鋼鉄の絆(アイアンハーツ)”突1、三遊亭駱太郎だ!!」

 鋼鉄の絆(アイアンハーツ)―――その名を聞いた瞬間、捜査官全員はヘルメットのバイザーを上げ、額に汗を浮かべながら心底驚愕する。

「なんだって・・・?!」

 

 事件の結末は、ことのほかあっさりとしていた。

 二つの特殊部隊の迅速な対応により、被疑者・荒田栄次郎は顔面を強打したが特殊部隊により殺害されることは免れ、TBT捜査官の手によって確保された。

 雨が降りやみ、野次馬やマスコミが騒ぎ立てる中―――鋼鉄の絆(アイアンハーツ)の隊長、サムライ・ドラは突1の駱太郎の労をねぎらう。

「はい、お疲れさん」

「ドラ。どうよ今日の俺の鮮やかな仕事ぶりは!」

「いんじゃない。被疑者は軽く歯の何本かは折れたと思うけど、R君に殴られたんだから相当応えたと思うな」

 と、ドラがコメントをした直後―――人質として捕えられた少女の母親が、無事に解放された娘を「美香!!美香ちゃん!!」と言って愛おしくきつく抱きしめる。

 ドラと駱太郎が感動の再会を果たした親子のことを見ていると、不意に少女が駱太郎の方を一瞥、母親から離れると―――おもむろに歩み寄ってきた。

「何で・・・?」

「え?」

「何であんな奴、殺してくれなかったの!!」

 駱太郎に向けて放たれた少女の切実な感情。被疑者から人間の尊厳を踏みにじる卑劣な理不尽を嫌というほど味わった少女の中で渦巻く、犯人への強い憎しみ。

 被害者感情に寄り添えば、多くの者が彼女に同情し、共感するだろう。

 しかし、そうした感情を共有しつつも―――実際に被疑者を殴り倒した駱太郎は自分の考えを主張する。

「殺せばそこで終わりだ。あいつは生きて悶え苦しみ後悔しなきゃならねぇ!!あんたにした事を含めてな・・・」

 それが、三遊亭駱太郎がTBT捜査官として、信条としているものの形だった。

 話を聞いた少女は捜査官に介抱されながら―――湧き上がる犯人への憎悪と悲壮の感情に押しつぶされ、泣き崩れる。

 ドラは、無表情に駱太郎の脇に手を当て、「行くよ・・・」と促し―――静かに現場を後にした。

 

 

 西暦5538年―――我らが母星、地球に時間航行技術が確立・実用化されたのはわずか100年程前であるが、既に時間航行は一般社会に浸透し、日常化しつつある。

 だが一方で、時間航行技術の確立は時間的広がりをもって発生する一連の広域犯罪、時間犯罪の出現と発達を増長することは、想像に難くは無かった。

 平和な「今」を守るべく設立された、不法な歴史修正や異なる時間への逃亡、未来技術の悪用、不正な利益の収受などを監視する国連直属の公的機関「時空調整者団体」―――通称TBTが、設立された。

 そして、西暦5537年7月―――時空調整者団体最高峰の中に誕生した“特殊部隊”がある。

 便宜上「年々増加する時間犯罪・組織暴力・密輸その他元来の縦割り組織が対応に苦慮していた全ての犯罪に対応するため、部署を温存して与えられた唯一の捜査機関」でありながら、一分隊の持つ機動力と、二分隊の持つ捜査力を併せ持ち且つ、TBT本部直轄である故に国内は勿論、国外すべての場所と時間に出動可能な少数精鋭部隊―――

 そんな彼等の名はTBT Particular Lead Squad “Iron Harts”、TBT特殊先行部隊“鋼鉄の絆(アイアンハーツ)”―――

 

 

時間軸5538年 5月10日

小樽市 TBT本部・玄関前

 

 麻薬王ジョニー・タピアと、密輸事件の黒幕“キング”によって引き起こされた一連の麻薬戦争に決着が付けられ、特殊先行部隊に左遷されてきた新人捜査官・太田基明がアメリカ支部へと旅立っておよそ一週間が経過した。

 

「皆様ご覧ください。あれが、時間の法と正義を司るTBT―――時空調整者団体の本部ビル。全高は830メートル。世界一を誇る超高層ビルです!」

「うわぁ~~~大きい!!」

「やっぱり近くで見るとすごいなー!」

 極東の島国、日本の北海道の小樽市に本部を構えるTBT本部ビルは世界一の建造物として地元ならず、一種の観光地として世界中から人を集める。

 本日は小樽市内の中学校が複数、社会科見学のために訪れている。バスガイドからの説明を受けながら、生徒たちは天を劈くが如く巨大な摩天楼を仰ぎ見る。

「それでは、係の人と一緒にビルの中を見学していきましょう。みなさん、はぐれないようにしてくださいね!」

 バスガイドの話が終わると、担当係員は見学にやってきた中学生たちを率いて、一般来場者も観光可能な場所へと案内する。

 

 

同時刻 特殊先行部隊“鋼鉄の絆”オフィス

 

 そのころ、社会科見学という行事とは一切無関係な特殊先行部隊“鋼鉄の絆(アイアンハーツ)”のオフィスはというと―――

「王手!!」

「えええ!えええ・・・・・・!!」

 第三席で突1の駱太郎が、六席で庶務全般を司るメンバー紅一点、朱雀王子茜と将棋を指していた。

 駱太郎が大手を出して来ると、夢にも思っていなかった展開に動揺し、茜は苦笑いを浮かべる。

「えへへ・・・こ、これ・・・ちょっと待ってくれますか?」

「ダメに決まってんだろ。待ったなしだ?」

「そ、そこを何とか」

「往生際悪いんだよ。さっさと投了しな」

 勝ちを見越して余裕綽々の態度をとる駱太郎。茜は困惑しながら形勢を逆転させる方法は無いか、必死に考える。

「水を差すようで悪いが・・・此度の一局、茜の勝ちじゃな」

「「え?」」

 そのとき―――外回りから帰った四席で最年長の老父、龍樹常法が二人の将棋の局面を観察し、王手に持ち込まれた茜を救う一言をつぶやく。

「王の頭に桂で相車して逃げたら、74飛車で詰みだ」

「えーと・・・ああ!ホントです―――!!」

「えええ!!!」

「やりました―――!!!」

 龍樹からの助言を聞いて、その通りに駒を動かしてみたところ―――形勢が逆転。茜の勝利が確定した。

 歓喜する茜と、詰めが甘い故に敗北を許してしまった駱太郎は、対戦相手に入れ知恵を授けた龍樹に激怒する。

「おい爺!!余計なこと言うんじゃねぇよ!!」

「だったらもっとちゃんとした将棋を指さんか」

「どうしてくれるんだよ!?勝った奴は負けた奴に甘味処で食い放題って約束しちまったじゃねぇか!!」

「呆れた連中だ。将棋を賭け事の道具にしやがって」

「それよか、単細胞に将棋で負けるようじゃ茜もまだまだぜ」

 勝負理由を聞いていた山中幸吉郎は自分の刀の手入れをしながら呆れ返り、八百万写ノ神は率直に思ったことを茜につぶやく。

「てへへ♪もっと勉強しないといけませんね」

 と、若干舌を出し茜がぶりっこした直後―――駱太郎は物音を立てない様に歩きだし、彼女を警戒しながらオフィスを抜け出す。

「あ、駱太郎さんどこに行く気ですか!?」

 勝負の前に制定した約束事を放棄し、茜の制止を無視した駱太郎は全速力で逃げ出す。

「冗談じゃねぇぞ!あのアバズレのことだ。ぜってー高くついてきやがる!!」

 メンバーの中で、ドラに次いでえげつない少女の性格を熟知している駱太郎は、何としても悪魔の手から逃れようと躍起になる。

 

 ドーン!!

 

「「いって!!!」」

 オフィスを出てエントランス近くまで逃れたと思ったら、駱太郎は社会科見学に来ていた男子生徒と正面衝突し、勢いよく後ろに転倒する。

「いててて・・・・・・んだよ~」

 打ち付けた額を押える男子生徒。これに対し、駱太郎は先ほどの将棋のことでいらついており、たまたまぶつかってしまった罪咎の無い子どもに向けて眼を飛ばす。

「おいこのガキ!!てめぇらどこ見て歩いてやがる!?」

「ああ?あんたこそどこ見て歩いてやがる?」

 お互いに短慮ゆえに、長身の駱太郎から威圧を受けた生徒の方もまた必死に張り合おうと眼を飛ばし、両者は火花を散らす。

「おいクソガキ・・・!こちとらな、将棋で負けて虫の居所が悪いんだよ・・・怪我したくねぇだろ!!」

「はっ。ちょっとデカいぐらいで良い気になるなよ、トリ頭!喧嘩だったら俺も負けねェぞ!!」

「何コラ!タココラ!」

「何がコラだ!タココラ!」

 年甲斐もなく中学生と張り合う駱太郎。険悪な雰囲気に包まれると、咄嗟に見ていた生徒が近くにいる人間に呼びかける。

「会長!!二階堂君が大人の人と喧嘩してます!!」

 刹那―――中学生女子の陸上記録全国レベルの速度で、生徒たちが教師以上に頼りにする救世主が駆けつける。

「ちょっと待った―――!!!」

 一触即発を迎えようとしている駱太郎と二階堂の間に割って入ってくる女子中学生。圧倒的な存在感を放つ彼女に、二人は思わず後ずさる。

「そこのお二人さん、公衆の面前で何しようって言うの?」

「な、なんだよ一体!?」

 疑問に思う駱太郎。女子生徒は駱太郎に顔を向け、腹の底から声を出す。

「はじめまして!あたし、双葉中学3年生徒会長、愛原佳奈美(あいはらかなみ)です!」

「声でけぇ・・・!」

 鼓膜を突き抜け直接頭に響き渡る眼前の少女、愛原佳奈美の声。あまりの大きさに、駱太郎は耳を塞ぐ。

「二階堂君。そこのツンツン頭のお兄さん、そもそもケンカの原因は何ですか?」

「こ、こいつがいきなりぶつかって来たんだ!」

「おめぇの方が!!」

「スト―――プ!!!」

 再びいがみ合いをしようとする両者の間に入ると、佳奈美は両手を突き出し、瞬時に制止を求める。

「あんたたち、そんな小さい事でいがみ合ってたら・・・この世界一大きいTBT本部ビルに笑われるよ!」

 言うと、佳奈美は駱太郎と二階堂の手を強制的に握らせる。

「手と手を取ればお友だち!よろしくお願いします!」

 純真無垢。屈託のない笑顔で佳奈美は駱太郎と二階堂に笑いかけると―――この笑顔に折れた二人は醜いいがみ合いを止め、お互いに手を取り合う。

「「よ、よろしくお願いします・・・」」

「はい、よろしい!」

 いとも容易く喧嘩の仲裁を行った佳奈美だが、それが済むと駆け足で移動する。そして、大荷物を抱える近くの老婆を介助する。

「お手伝いします!」

「すまないねぇ・・・・・・」

「いえいえ。困ってる人を放っておくことができない性分ですから!」

 さらに、老婆の介助を終えた佳奈美は周囲を見渡―――自分の学校の生徒が困っているのを見つけるや駆け足で移動し、声を掛ける。

「落し物?」

「は、はい。コンタクトを落としちゃって・・・」

「あたし、探すの手伝うよ!!」

「あ、ありがとう!助かります」

 老若男女、博愛の精神で分け隔てなく周りのために尽くす佳奈美の献身的な姿を傍観しながら、駱太郎は思った。

「俺らの喧嘩の仲裁ばかりか、ああして困ってる奴に何の躊躇もなく手を差し伸べるか・・・・・・この時代にもまだ残ってたんだな。ああいう奇特な人間が」

 利己的な人間ばかりが増えた現代社会で、博愛という垣根を越えた広い愛を振りまく佳奈美に駱太郎は大きな関心を抱く。

 

「駱太郎さ~~~ん!」

 刹那、突然目の前に笑顔は笑顔でも―――悪意というどす黒い感情を孕んだ茜が現れ、駱太郎を凝視する。

「ひいい///」

 先程の喧嘩で時間を取られている隙に追いついた悪魔は、後ずさる駱太郎を睨み付けることでその動きを硬直させる。まるで、蛇に睨まれた蛙の如く。

「逃げようとしても無駄ですよ。約束はきっちり・・・守ってもらいますから。さぁ!この近くで美味しいケーキ屋さんに行きましょうね♪」

 動けなくなった駱太郎の服を引っ張り、ずるずると引きずりながら敗北者である彼を連れて茜はケーキ屋へと出発する。

「ちくしょ~~~///結局こうなるのかよ~~~///」

 逆らうに逆らえなかった駱太郎は悪魔の魔の手から結局逃げられず、この後彼女の欲望のために財布の中をすべて吐き出す羽目になったという。

 

 

小樽市 某コンビニエンスストア

 

 午後2時過ぎ。ドラは本部までの帰路に佇むコンビニへ立ちより買い物をしていた。

「お会計630円です」

「はいよ」

 毎週欠かさず読破している漫画雑誌とペットボトルのお茶を一本購入し、提示してきた金額どおりに代金を差し出した。

「ちょうど630円お預かりします」

 瞬間、店員が口にした何気ない一言を聞き―――ドラは眉を中央に寄せ口を開く。

「おいちょっと待てよ」

「はい?」

「ちょうど630円お預かりします・・・って、ちょうど630円いただきましたね!預かるじゃ、返すこと前提みたいだろ!」

「す・・・すいません!」

 これは単なる日本語の問題である。ドラが店員を怒鳴りつけたのは、店員が接客用語として使っている「お預かりします」という言葉の遣い方を誤ったからだ。

 まず、基本的な言葉の意味として、「お預かりします」は「一時的に自分の手元に置くだけ」ということである。つまり、「お預かりします」と言えるのは、【お釣りとしてあとで返す分がある場合】のみとなる。

 よって、【店側が領収する分】については、「お預かりします」とは言えず、「いただきます」「頂戴します」と言うのが正しい遣い方と言う事になる。

 今回の場合―――630円の会計に対して、それ以上の金額を出した場合は、当然おつりを返すことになるので「お預かりします」を使ってもいいが、これは、厳密に言うと、「○○円お預かりしたうちの、△△円を頂戴しましたので、××円のお返しです」となるからだ。

 しかし、630円の会計に対して630円を出した場合に、「630円ちょうどお預かりします」と言ってしまうと、ドラが言う様に「あとでいくらか返してくれるわけ?」とツッコミが入ってしまう可能性があり、もっと底意地の悪い客だったら「今払った630円を返せ」と言いだして、トラブルになるとも限らない。

「細かい事だと思うけど、聞いてて気に障るから気をつけろよ!」

「す、すいませんでした///」

 袋を受け取り、店を出る際ドラは半泣き状態の店員を厳しく叱りつけた。些末な様に思えて、きちんとした接客が出来ない店員をドラは絶対に見逃さなかった。

 

「お母さ―――ん!!」

 コンビニを出て真っ直ぐオフィスへと戻る道を歩いていると、不意にドラの耳に声が飛び込んできた。

「うえええええええ―――ん!!!」

 道路を挟んだ向こう側。木の上に登って泣きわめく子どもの姿が目に移る。何気なく見つめていると、ドラの視界に入って来たのは一人の少女。

 少女こと―――愛原佳奈美は木の上で泣きわめく子どもへと駆け寄り、上を仰ぎ見ながら尋ねる。

「そこのぼく。どうしたの?」

「木登りしてたら、降りれなくなっちゃった・・・///」

「よし来た。あたしがいますぐ助けてあげるから!」

 と、佳奈美が木に登ろうとした矢先だった。

「泣いていたってどうにもならないぞ」

「え?」

 不意に佳奈美の前にドラが現れ、泣いている子どもに向かって淡白に言い放つ。

「どうするんだ坊主?今すぐ飛び降りるか。それとも、夜までずっとそこにいるか」

「ちょ、ちょっと」

 いきなり現れたと思えば、過激な物言いで子どもに語りかけるドラ。聞いてた佳奈美が口を挟もうとする中、木の上の子どもは逡巡し、悩んだ末に木の上から飛び降りようとする。

「えええ・・・ちょっと、ぼく危ないよ!」

 制止を求める佳奈美を無視し、子どもは勇気を振り絞って飛び降りる。

 飛び降りた子どもが地面に着地する直前、真下のドラがそれをキャッチし、涙目の子どもの勇気を称賛する。

「それでいい。お前は強いな」

「無茶ですよ・・・」

 佳奈美が率直に思ったことを口走る。ドラは子どもを地面に下すと、恐怖に打ち勝った子どもの頭に手を乗せる。

「忘れるなよ坊主。いつだって最後に頼れるのはお前自身の強さだ」

「うん。ありがとう!」

 激励を受けた子どもはドラに感謝の言葉を述べ、その場から駆け出した。直後、現場に居合わせた佳奈美はドラの過激な言動に対して批評する。

「ちょっとあなた。少し乱暴すぎませんか?」

「何が?」

「あんな小さな子どもが、万が一に怪我とかしたらどうするつもりですか?」

「万が一なんだろ。確率的には限りなく低いじゃんか」

「いや、そうじゃなくて・・・」

「大体な、誰かに助けを求めようなんてすること自体が間違ってるんだ。他人がそんなことをしてやる義理も無いしね」

「それは違うと思います!あなたの言い方だとまるで、人の為に親切をすることは余計なお節介だって言ってるように聞こえます」

「そう言ったつもりだけど?」

 困っている人を見るとそれを放っておけない佳奈美と、困っている人がいても自ら積極的に助けることしないドラ。この二人はまるで水と油だった。

 人助けを好まないドラの言葉を聞いた上で、佳奈美は自分の感情からくる正直な気持ちを曝け出す。

「確かに、情けを掛けることが必ずしも良いことだとは思いません。余計なお節介だって言われるかもしれない。でもあたしは、誰かのために手を差し伸べたい。それで、誰かが笑顔になってくれればあたしも嬉しくなる。そしたらこの胸が・・・ドキドキするというか・・・キュンキュンするというか。人は一人では生きていけません。みんな、お互いに助け合ってこそ世界には、愛が満ちているんです!!」

 という佳奈美の言葉が、どこか毒々しく思えた。ドラは嘆息を突くと、眼前の彼女を見ながら小さい声でつぶやく。

「・・・・・・とんだ幸福王子だな」

「え?」

 そのとき、ドラの言葉にキョトンとする佳奈美の目に泣きべそをかく幼女の姿が映る。彼女は急いで駆け出し、優しく声を掛ける。

「どうしたの?」

「ママとはぐれちゃった・・・///」

「お姉ちゃんが、おまじないを教えてあげる」

 幼女の目線に腰を落とすと、佳奈美は小さな掌に人差し指でハートを描く。

「こうやって、手のひらにハートをかきながらお願いしてみて。“お母さんが見つかりますように”って!」

 遠目から、どこまでも人に尽くそうとする佳奈美の姿を見ていたドラは深い溜息をつく。

「どうもああいうのを相手にするのは疲れる・・・・・・」

 コンビニの服を引っ提げ、ドラは職場へと戻って行く。

 

 

TBT本部 特殊先行部隊“鋼鉄の絆”オフィス

 

「んだよ。オメーもあの嬢ちゃんに会ったのか?」

「で、R君は年甲斐もなくいがみ合ってるところを、あの幸福王子に丸め込まれたんだね」

 オフィスに戻ると、ドラは財布の中身がスカンピンとなった駱太郎と愛原佳奈美についてお互いが感じた心象などを話していた。

「なんですかそれ?」

 駱太郎を半ば脅迫し、ケーキ屋で思う存分ケーキを購入した茜は、モンブランを口にしながらドラが言った「幸福王子」という単語について意味を尋ねる。

「オスカー・ワイルドの短編小説が元になった童話だよ。ガキの頃、俺も読んだことある」

 デスクの上で、仕事そっちのけで趣味のボトルシップの作成に興じるTBT長官―――杯昇流がドラの代わりに答えると、この場に居合わせた全員が吃驚する。

「長官がオスカー・ワイルドって名前を知ってるなんて・・・・・・」

「道理で今日は寒気がするわけだ」

「ぶち殺すぞてめぇーら!!」

 さり気無く上司を見下し、貶すドラたちの容赦ない言葉に昇流は本気で怒りを露わにする。

「で、どういう話なんだよ?」

「ああ・・・幸福王子っていうのはつまりだね・・・・・・」

 童話の内容について特異点五人が説明を求めると、ドラは童話『幸福王子』についておもむろに語り始める。

 

 昔々、ある街に―――美しい宝石と金箔で飾られた王子の像がいました。

 優しい心の持ち主だった王子は、出会ったツバメに頼んで、自分の宝石を街の貧しい人たちに届けはじめました。

 

「自分の宝石をなぁ・・・」

「普通はそんな高価なものを他人にあげたりはしねぇよな」

 随所にツッコミを入れながら、メンバーは幸福王子の童話の続きを聞く。

 

 最初は剣のルビー。次は瞳のサファイア。

 それだけではとても足りず、王子は全身の金箔を人々に分け与えました。

 そして・・・・・・

 

「え!!」

「そ、そんな・・・・・・」

 物語の核心に触れた途端、特異点五人は驚愕し―――絶句する。

「街の人の為に尽くした幸福王子は、ボロボロになって・・・最後は鉛の心臓だけとなってツバメの死骸と一緒にごみ箱に捨てられる・・・・・・!!」

「なんつーか、結構悲惨っすね」

 苦い表情を浮かべながら、幸吉郎がドラに率直な感想を述べる。

「ぜーんぜん。無暗やたらに誰彼かまわず愛を振りまきすぎる幸福王子自身が招いた結果、自業自得さ」

「でもよ、周りのために愛を振り撒こうとしたんだろ。王子のやったことは間違ってなかったんじゃねぇか?」

 王子を擁護するように写ノ神がつぶやくと―――ドラは腕を組み、考える。

「間違ってなかった・・・・・・本当にそう思うかい?」

 ドラは童話の主人公―――幸福王子の行動について懐疑的だった。

「情けは人の為ならず、ってことわざあるでしょう。あの言葉ってさ、人に情けをかけることは巡り巡って自分のためになるって意味だったか」

「そうですけど・・・・・・」

「魔猫のオイラにはどうもそれがよく分からないんだよね。なんつーか、偽善的って言うのかな・・・人のための親切が自分の利益に繋がるって言うところが気に入らない。あの幸福王子、もとい愛原佳奈美のやってることも偽善に思えて仕方ならない」

「しかしなぁ。本人が好きでやってる事なんだからそれぐらいいいのではないか?」

 龍樹は佳奈美の行動を擁護するようにつぶやく。

「自己満足ってことですか。だとしても、ありゃ本気で愛の力で世界を救えると思ってる口ぶりでしたね」

 

『お互いに助け合ってこそ世界には、愛が満ちているんです!!』

 

 別れ際、佳奈美が言っていたことを思い出す。あのとき彼女がドラに向けて語った言葉は、確かな自信と力強さを内包していた。

 

『ガガッ、至急、至急、本部から各局!』

 そのとき、警察の無線連絡を傍受し―――オフィスに声が入ってくる。

『本日15:20分頃、JR小樽駅構内で無差別殺傷事件発生―――犯人は1名、通行人を刺して逃走中―――人着(にんちゃく)にあってはエラが張っていて、黒髪の おかっぱ頭。アゴにホクロ。着衣は黒のTシャツ、アーミーパンツ、黄色いスニーカー。現在のところ18人死傷の模様―――』

「じゅ、18人!?」

 地元で起こった通り魔による無差別な大量殺人。犯人が殺害した衝撃的な人数にメンバーは耳を疑い、驚愕する。

『受傷事故注意―――防止には十分留意して―――』

 警察の無線連絡を傍受した駱太郎は、居ても経ってもいられず、一目散にオフィスから飛び出した。

「単細胞!!」

「まだ早いですよ!!」

「戻ってこい、駱太郎!!」

 幸吉郎たちによる制止を聞き入れるわけもなく、駱太郎は自分の心の声に従ってどこまでも突き進む。

「やれやれ。無償の愛を振りまく王子の次は、身勝手な殺意を振りまく犯罪者と来たか・・・」

 

 

JR小樽駅前 バス乗り場付近

 

 本部を飛び出した駱太郎が駅前に顔を出したとき、辺りは野次馬と警察官がごった返し、騒然と化している。道路を見れば、おびただしい血がアスファルトの上に生々しく飛び散っている。

 プルルルルル・・・・・・

 駱太郎の携帯に着信が入ると、かけて来たのはドラだった。

『もしもしオイラだけどR君、どこにいる!?』

「ドラ!!今、小樽駅前だ!!マル被は!?」

『まだ押えられてない。それから、追加情報なんだけど・・・所轄の警官が2名やられた。銃対(銃器対策部隊の略)も近づけなかったそうだよ』

「おいおいどういうことだよ?武器はナイフって・・・!?」

 話を聞くや―――駱太郎の脳に電流が流れ、一つの解を導き出す。

「・・・他に何か持ってるのか!?」

 勘のいい駱太郎の言葉を聞きながら、ドラは得られた重要情報を伝える。

『腰に手榴弾をぶら下げてる』

「手榴弾!?」

 ゴン!!

「クソ!!」

 近くに止めてあった車のルーフパネルに拳を強く叩きつけ、駱太郎は心底悔しそうに声を荒げる。

 携帯越しに駱太郎の声を聞いていたドラは、淡々とした言葉で話しかける。

『R君、よく聞いて。マル被はすでに人混みに紛れて構内から出た可能性が高い。君が犯人だったらどこへ向かう!?』

 犯人の気持ちになって捜査をする―――という刑事の基本に沿って考える。駱太郎は逡巡し、やがて口を開く。

「勘だけど、人目を避けるなら公園とか学校・・・」

『・・・・・・君の動物的直観・・・信じてみるか。よし、駅前近くの公園と学校から当たって!』

「了解!!」

 身勝手な動機で無差別に人を刺し殺し、小樽市内を逃亡する通り魔を探すため―――駱太郎は自らの直感に従い、行動を開始する。

 

 

北海道立双葉中学 校舎

 

「きゃああああああ!!!」

「殺さないで―――!!!」

 駱太郎の直感は正しかった。通り魔は人目を避けるために駅構内を飛び出し、近くの学校へと逃げ込み―――校舎へと侵入する。

 部活動の真っただ中、生徒たちは血の付いたナイフを持ち、狂気の笑みを浮かべる通り魔の男に恐怖し―――慌てて逃げようとする。

「誰か・・・・・・僕を止めてよ・・・」

 周りに訴えかけながら、男はナイフを意味もなく振りかざし、これ見よがしに手榴弾を腰に携行している。

「止めてくれよ・・・・・・」

 社会への反感か。あるいはどうしようもない殺人衝動か。いずれにせよ、男は狂気と殺意を内包した笑みを周りに見せつけ、校舎に残っている生徒を無差別に刺し殺そうとする。

「に、逃げるのよ!!」

「警察はまだ来ないの!?」

 思想も行動も読めない凶悪犯に腰が抜ける生徒たち。警察の到着が遅れていることに切羽詰まっている。

「きゃっ!!」

 直後、一人の女子生徒が蹴躓く。通り魔は眼前の生徒を見据えると、ゆっくりと近づいて行く。

「いやだぁ・・・・・・///来ないで///」

「僕と一緒に・・・・・・地獄を見に行かない?」

 言うと、携行していた手榴弾を手に取り―――薄ら笑いを浮かべてピン抜こうとする。

「待って!!」

 甲高い声が耳に届く。女子生徒を守ろうと、通り魔の男に向かって、生徒会長の愛原佳奈美が毅然とした態度で立ち尽くす。

「生徒会長!!」

「佳奈美!!ダメよ!!」

 犯人に殆ど動揺していない佳奈美。自らを省みない彼女の行動に、生徒会副会長で親友の新川寧々(しんかわねね)は冷や汗をかく。

「あなた、自分が今何をしているのかわかってる?ナイフは人を傷つける為にあるものじゃないんだよ」

 佳奈美が語りかけてところで、犯人の男は薄ら笑いのまま何も答えない。

「分かるよ。あなたの抱えてる苦しみが。きっと、自分の心が押しつぶされそうになってるんだよね。だから、その苦しみから逃れようとして周りにこんなひどい事をしてしまったんだと思うの」

「え・・・・・・」

 犯人の眉がピクリと動く。佳奈美は、眼前の犯人の心の苦しみを理解し、彼と気持ちを共有しようとする。

「あなたのやり方は間違ってた。だけど、これ以上あなたの罪を大きくすることはあたしには耐えられない!だから、あたしが救ってあげる―――愛の力で」

 刹那、佳奈美の体が淡く光り始める。

 ほぼ同じタイミングで、現場近くを通りかかった駱太郎が校門の外から、犯人とそれと対峙する佳奈美の姿を発見する。

「んだ、ありゃ?!」

 淡い光から、徐々に神々しい光へと変わり始めると―――佳奈美は背中から白い翼を生やした。

「いま―――あたしの愛で、あなたを救う」

 言うと、佳奈美は神々しいまでの輝きに恐れを抱き、後ずさる犯人に向けて胸からハートの形の光線を放射する。

「あなたに届け、マイスイートハート!!」

 桜色に輝くハート状の光線が、犯人を包み込む。ハート状に包み込まれた犯人は、体中に渦巻くどす黒い邪念が消えゆくことに驚き、同時にその心地よさに感涙する。

「ああ・・・ああ・・・///」

 やがて、殺意という不浄な気持ちを喪失し、心が洗われた犯人は凶器のナイフと手榴弾を捨て、その場に跪くと佳奈美を崇め奉る様に手を合わせ―――涙を流す。

「ありがとう・・・・ありがとう・・・///」

 天使の如く、慈愛を見せる佳奈美は犯人に近付き、殺意の無くなった彼に手を差し伸べる。

「あなたは自分の犯した罪と向き合って行かなくちゃいけない。だけど安心して。あなたは一人じゃないから」

 

「お―――い!!」

 頃合いを見計らい、駱太郎が犯人と佳奈美の元へと近づいてきた。

「大丈夫か!?」

「あれ?お兄さんは・・・」

「俺りゃ、こういうもんだ」

 懐から手帳を取り出し、駱太郎は自らの身分を明かす。

「え!!お兄さんが・・・TBTの捜査官!?全然そうは見えなかった!」

「余計なお世話だ。つーか、おめぇ何したんだ?」

 駱太郎はとにかく驚いている。先ほどまで無差別に人を刺し殺していた男が、人が変わったように涙を流し心から救われている様子が、不気味で仕方なかった。

「あたしの愛でその人の心を浄化したんです。もう大丈夫ですよ」

「浄化って・・・・・・おめぇ本当に人間か?」

「正確には、”この地球とは異なる母星に生まれた”―――とでも言えばいいのかな」

 意味深長な発言。佳奈美は背中に生えた神々しい翼を納め、元の姿へと戻る。

「佳奈美っ!!」

「会長―――!!」

 状況が終了すると、校舎内に残っていた生徒や教職員が佳奈美の元へと駆け寄り、彼女の安否を気遣った。

「佳奈美!大丈夫!?」

「あたしは全然平気だよ!」

「もう~~~どうしてあなたはいつもそう無謀で無茶なことばかりするの!?」

「へへへ。だって、黙っていられなくて♪」

 駱太郎とは異なり、生徒たちは佳奈美の異常な力を受け入れている様子で―――誰も彼女の力に疑問を抱いていない。

(この地球とは異なる母星に生まれた・・・・・・どういう意味だ?それに、あの背中に生えた翼・・・・・・まさか、あの嬢ちゃんは――――――)

 彼の動物的勘がひとつの解を導き出す。少女の正体を悟った瞬間、駱太郎は溜飲し―――愛原佳奈美の力に懸念を抱く。

 

 

小樽市 サムライ・ドラ宅

 

 TBT本部から20分ほど離れた住宅地に建てられた一軒家。それがサムライ・ドラと山中幸吉郎、三遊亭駱太郎の三人が共同生活を送る居住地である。

『北海道小樽市で起きた無差別殺傷事件の犯人は、18人を刺した後、現場近くの中学校に侵入しました。しかしその後、駆けつけたTBT捜査官の手により捕縛されました』

 仕事を終えたドラは、ソファーに寝転がり、昨日に起こった通り魔事件のニュースをテレビ画面で見る。

『逮捕される直前、犯人の男は無抵抗に泣き崩れており、取調べでも全面的に罪を認め『どんな罰でも受ける覚悟です』と証言しているとのことです。また、武器を持った犯人に勇敢に立ち向かった中学3年の女子生徒には、警察署長から感謝状が贈られました』

 映像が切り替わり、感謝状を手にした愛原佳奈美が大勢のマスコミからの質問に答える姿が映る。

『武器を持っていた犯人にどうして立ち向かうことができたんですか?』

『たとえ凶悪犯でも、同じ人間であることは変わりありませんから。落ち着いて、話し合えば何とかなると思ったんです!』

 カメラの前でもどこか落ち着いた様子で、佳奈美ははきはきと元気な声で証言をすると―――彼女は逮捕された犯人の事を考え、悲痛な表情でつぶやく。

『この後、あの人が裁判にかけられて・・・ほぼ間違いなく死刑を言い渡されるのだと思いますが・・・だとしても、あたしはやっぱり死刑には反対です!』

『でも、罪もない人が18人も殺されたのは紛れもない事実だよね?』

『被害者さんの感情に寄り添えば、死刑を望むのも分ります。でも、人が人を罰する為に人を殺すのは間違ってるって、あたしは思います。だって、怒りや憎しみからは何も生まれませんから!あたしは、みんなが幸せになれる世界であってほしい―――それだけです』

 テレビのニュースだけでなく、パソコンの動画でも再生される佳奈美の発言は―――ネットを介して日本中に広がった。

「You tubeでも、再生回数は驚異的な伸びを見せていますね」

 幸吉郎が掲示板に書き込まれたコメントを見ると―――「佳奈美ちゃんならマジで世界を変えられるだろう!!」、「佳奈美ちゃん天使だわ!萌え萌!!」という愛原佳奈美の考えに強く賛同した者たちによる担ぎ上げの言葉が目立つ。

「ネット上は人気沸騰。一般社会に広がるのも時間の問題だろうな・・・」

 駱太郎が言うと、「幸福王子教の教祖様の誕生って訳だ」と皮肉を込めて、ドラはコメントをする。

「まぁ信者どもの心理には、教祖の登場を待ち望んでる面もあるみたいですし」

「あ~あ・・・結局俺たち大人はいつだって暴力を振りかざして、何にも救ってなかったって事だな」

 嘆息を突いた駱太郎が空しい表情でドラを見、彼の隣へと座る。

「佳奈美は・・・マジで愛の力で世界を救えるかもしれねぇ。俺はしかと見たぜ、あいつの背中から天使の翼が生えてるのを!」

「これのこと?」

 ドラがテレビ画面を指さすと、ちょうど駱太郎が見たものと同じ天使化した佳奈美がハート形の光線を放つ映像が流される。

『あなたに届け。マイスイートハート!!』

 ピッ!

「ふん・・・」

 面白くないドラは、鼻で笑うとテレビの電源を切る。

「何がマイスイートハートだ・・・・・・こちとら虫唾が走る」

「でも結構かわいくねぇか?」

「まさかお前、あんなのがタイプなのかよ?」

 天使化した佳奈美のことを指してかわいいと称する駱太郎の言葉に、幸吉郎が苦い顔を浮かべる。

 すっかり佳奈美にたらしこまれた突1を一瞥し、ドラは嘆息を突いて注意を促す。

「気をつけた方がいいよR君。そうして君は既にあの幸福王子の術中にはまっている可能性があるのだから」

「どういう意味だよそりゃ?」

「おかしいとは思わなかったかい?どうして、誰も愛原佳奈美のあの力に畏怖どころか、疑問すら抱かない?」

「「!」」

 ドラもまた、駱太郎と同様の疑念を抱いていた。なぜ、自分たちだけが正常な感覚を保っているのに―――周りは異常なまでに佳奈美の力に疑念を抱かないのか。

 ソファーから立ち上がると、ドラは窓の外を眺める。

「わからない。得体のしれない力が、じわりじわりとこの世界を飲み込もうとしている感じだ・・・・・・」

 

 

小樽市某所 某ビル屋上

 

 瞑想する日本と言う社会を救うために現れたが如く、その知名度を急激に上げ始める少女、愛原佳奈美は夜の街を見下ろし―――かたわらに立つ四人の仲間につぶやく。

「やっぱり、足りないよ。この世界には絶対的に愛が・・・・・・枯渇してる」

 集まった四人の仲間は彼女の言葉に耳を傾け、その想いを共有する。

「誰かが言ってた。人の悪性は人の善性を証明し、善性は悪性無ければ証明し得ない・・・・・・でも、本当に人の善性は悪性無くして証明し得ないものなのかな?」

 率直な彼女の疑問を聞くと、佳奈美の仲間四人はそれぞれに答える。

「それは、善のさじ加減の問題ではないでしょうか?例えば、佳奈美ちゃんがナイフで人を殺そうとしていた例の犯罪者さん。彼に殺されそうな人を佳奈美ちゃんが盾になって守ることを善とするならば、善は悪無ければ証明し得ないってことになります」

「ですが、風でドミノ倒しのようになって倒れてしまった自転車をわざわざ直すことを善とするなら・・・悪なんてないと思いますわ」

「悪に悪いことの意味が含まれてるなら、話は別だけどね」

「怒りや憎しみからは何も生まれない―――そう言ったのはあなたよ、佳奈美。私たちが愛の力を伝えないで、他に誰が愛を伝えられるの?」

 仲間たちの言葉を聞き、佳奈美は彼女たちに笑いかけ―――述懐した。

「そうだね。みんなの言う通りだ。怒りや憎しみがあるから、いつまでも人はいがみ合いを止めない。この世界から愛が消えようとしているなら、愛を取り戻そう。あたしたちはその為に集まった愛の同志―――アモール従士団だから」

 集まった四人は一か所に集まり、円陣を組むと腰に携行していたレイピアを抜き取り、天に翳すように重ね合わせる。

「「「「「この世界に大いなる愛を!」」」」」

 

 

小樽市 居酒屋ときのや

 

 数日後。“ときのや”で飲み食いするドラたちは、こんな談笑をしていた。

「なぁ。最近事件がめっきり少なくなった気がしない?」

「そう言えば・・・ここ数日平穏な日常が続いているような気がします」

「火事とか交通事故とかのニュースは聞くけど、殺人は全然聞かなくなったな」

「その交通事故なんだけどさ。不思議な事に、どの被害者も賠償金をほとんどもらおうとしないんだ」

「え?」

 枝豆を口に入れながらドラが言い放った言葉に、全員が耳を疑った。

「死亡事故なら5億ぐらいは取らないと体裁がつかない。けど、被害者は決まってこう言うんだ。『加害者の誠心誠意からくる反省の気持ちを真摯に受け止めた。だから慰謝料は必要最低限に留めます』って・・・」

 気味の悪い話に思えた。まるで、自分たちの知らないところで世の中が得体のしれない何かに取り憑かれ―――浸食されているように思えた。

「おい見ろよ。あれ、佳奈美じゃねぇ!」

 そのとき、カウンター近くのテレビに駱太郎が指を差す。テレビ画面には、愛原佳奈美が芸能人と混じってクイズをしていた。

『TBT特殊先行部隊“鋼鉄の絆(アイアンハーツ)”の突1の名前は?』

相楽左之助(さがらさのすけ)さん!!』

 ブーッ!

「この子最近人気ですよね。あ、そうそう。今日のワイドショーにも出ていたんですよ」

 言うと、店の大将である時野谷久遠は、他に客がいないことを確かめてから―――録画していたワイドショーの映像をドラたちに公開する。

 録画された映像を確かめると、フットサルで汗を流す佳奈美の姿が映し出され、その後マスコミのインタビューに答える。

『人の醜さや愚かさに胸がぎゅっと締め付けられて、心が荒んでしまうことがあります。そういう時はこうやって、汗を流すんです!真っ直ぐな気持ちで人と向き合えるように』

 屈託のない満面の笑みをカメラに向けると、周りに集まった彼女のファンたちが激しく熱狂し、黄色い声が聞こえてくる。

『大事なことは、人間の醜い部分より美しい部分に目を向けることではないでしょうか?みんながそう出来たら、きっと世界はガラッと変わりますよ』

 時野谷は彼女が出演している番組をすべて録画していたらしく、映像を次から次へと切り替える。

『え?あ、すいません。芸能人の離婚についてあたしがコメントすることはありません』

『ベストドレッサー賞受賞!?へへ、参ったな~♪』

 照れる佳奈美を、何故か悔しそうな目でドラは凝視する(ちなみに、実際のベストドレッサー賞は毎年12月に行われる)。

『あ、テレビの前の皆さん。双葉中学校にあたし宛のプレゼントを贈るのはやめてください。嬉しいけど、学校が困ってますので』

 彼女が視聴者への呼びかけをしたところで、画面が切り替わり、街の人々のコメントが映し出される。

『確かに人の良いところに目を当てる方がいいですよねー』

『そうそう、困ってる人が居れば当たり前の様に手を差し伸べる・・・俺も心がけようっと!』

『あの佳奈美って子、まだ若いのにしっかりしてるわよね~!』

『ああいう若者がね、新しい波を作っていくんですよ!!』

「スーパーブレイクですね・・・」

「ベストドレッサー賞はオイラも狙っていたのに・・・」

「北海道を飛び出して、全国区で有名になっちまったなあいつ」

「また愛原佳奈美ファンクラブは、全国に乱立し、会員はわずか一週間で100万人を突破したようです」

 時野谷が相槌として、ドラたちに捕捉を加える。

「双葉中学には既に見学が殺到しているみたいだぜ」

「ふん、聖地巡礼と言う訳だ」

「それに引き替え、警察・TBTは事件の検挙率が減って定時で帰れる日が多くなってるし・・・」

「まぁオイラにとっちゃ願ったりかなったりな訳だ・・・・・・けど」

「けど、なんじゃ?」

 龍樹の問いかけに対し、ドラは芋焼酎を飲んでそのまま無言を貫く。

「いずれにしても、この子が新しい波を吹き込もうとしている事は、間違いありませんね!」

 時野谷は愛原佳奈美の今後の活躍を大いに期待する。

 しかし、一見幸せそうに思える日常に―――思いがけない悪夢が訪れることを、このとき誰も知らなかった。

 

 

 

 

 

 

参照・参考文献

原作:小森陽一 作画:藤堂裕『S -最後の警官- 1、2巻』 (小学館・2010)

 

 

 

ドラさん語録~サムライ・ドラが残した語録集~

 

その14:ちょうど630円お預かりします・・・って、ちょうど630円いただきましたね!預かるじゃ、返すこと前提みたいだろ!

 

コンビニやスーパー等のレジで、提示された金額と客の出したお金もちょうどのとき、店員さんがよく言っているのを見かける。これは細かい事では無く、結構重要な問題だろう。(第10話)




次回予告

ド「愛は世界を救うのか?真実の経済体制では、大きな意味で愛は必要なのかもしれない。だが、その愛の形が歪なものだったらどうなる?」
駱「一体どうなってやがる!?消費税増税に日本中が妥協したり街中でボランティア始まったと思えば急に眠りやがって・・・・・・まさか、これもあの嬢ちゃんの力か!?」
ド「次回、『アモール従士団』。誰もが博愛になることは良い事かって?悪いが、オイラは嫌いなものはハッキリと嫌いと言わないと気が済まないんでね!!」

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