「さて。部活開始時刻まで余裕がありますし。軽く、打ってみましょうか」
京太郎が命に連れられて来たのは部室校舎の一室、大会設備と何ら遜色のない徹底された防音・防電波設備が整った対局施設。
中央の自動麻雀卓までは赤いカーペットが敷かれており、それが血に塗れてその色になったと錯覚させた。
ここが、東征大の戦場。ついにここまで来たのだと、京太郎は気合を入れる。
命は備え付けられた内線電話の受話器を取る。
「……もしもし?うん、私。今の時間、武田君と長谷君はいますか?はい、いるのですね。対局が終わった後でいいので、よろしければここへ呼んでくれませんか?ええ、ありがとう。皆にも、朝早くからありがとうって伝えてください」
受話器を置くと、麻雀卓の方へと歩いていき、京太郎もその後についていく。
麻雀卓の隅に並べられている麻雀牌。その一つを命はつまみ上げる。
「……少し、汚れが残ってますね」
これではガン牌になってしまうと、命はポケットからハンカチを取り出した。
卓に座り、牌を丁寧に磨いていく。淀みなくそうしている様は、京太郎に大きい衝撃を与えた。
部長なのに、牌磨き。全国最強なはずなのに、牌磨き。
いつも京太郎が清澄の部室でやっていたことを、自分よりずっと強く、自分より栄光に満ち溢れた人が雑用をやっている。
不相応な姿だと、不格好な姿だと、役不足な姿だと。字面だけならそう見えてしまうかもしれない。
しかし、命は。一つ一つの牌を慈しむように、愛でるように牌を扱っている。
その姿勢が、その心の表れが。京太郎はとても綺麗に見えた。
憧れる。その一挙一動が美しい。自分がやってきた牌磨きなど、足元に及ばない
彼についていきたい。傍に居たい。そう思わせる魅力が、命にはある。
「俺も、手伝います」
京太郎もハンカチを取り出して牌磨きを手伝う。それを言い出す勇気が自分にあったことに彼は安堵した。
少しでもいい。彼に近づいて、そう思わせる力の正体を知りたい。
「ありがとう、須賀くん」
そう、命に微笑みかけられる。
彼にお礼を言われた、それだけで何にでも一生懸命になれる気がする。
たとえそれが、雑用としてやってきた牌磨きであろうとも。
「……うん。これでよし」
136、すべての牌が磨き終わる。
最初に見た時は確かに僅かな汚れしかなかったが、心なしか、磨いた後は眩く光っているようにも見えた。
牌磨きにこんなに全力を込めたのは、京太郎も初めてであった。
「部長」
「呼ばれて、来ました」
扉から、命が呼んだ部員二人……武田と長谷がやってきた。
「じゃあ、打ちましょう。時間もないし、手早く東風戦でいいかな?」
「はい!」
武田と長谷も席に座り、牌を穴に入れる。
起家は京太郎、命、長谷、武田と続く。
……これが、京太郎の最初の対外試合。
相手は高校最強校、東征大付属。
しかも入学時に部長・監督職をもぎ取り、認めさせ、今まで張ってきた伝説、弘世命が相手。
相手に不足……どころか、これ以上ない好敵手。
(……ああ、大丈夫)
自分の中にある感覚は、生きている。
内に秘める、牌に対する感覚。あの裏レート麻雀で開花した、京太郎の武器。
理牌をしないで得たものだが、現在は理牌をしても感覚は消えないでいる。
その武器を信じ、その武器と共に心中する。
(……さあ、来いよ最強)
──大きい一発、ブチ込んでやる。
東一局0本場。ドラは{⑧}。
{二}{三}{四}{二}{四}{2}{3}{4}{②}{③}{④}{⑧}{⑧}
「リーチ」
六巡目。聴牌して即、京太郎の親リーチ。
ダマでもタンヤオ三色一盃口ドラドラの好手。しかし、京太郎はこの程度で満足しない。
ダマでなんて終わらせない。この手は大きく成長する。
そして次巡。掴んだ感触は、確かなモノだった。
「ツモッ!」
{二}{三}{四}{二}{四}{2}{3}{4}{②}{③}{④}{⑧}{⑧} {三}
「リーチ一発ツモ、タンヤオ三色一盃口ドラ2!」
そして、裏ドラへと手を伸ばし、確認する。
「裏ドラ乗った!親の三倍満、12000オール!」
宣戦布告の号砲に、相応しい一撃。獰猛な笑みと共に、点数を読み上げる。
いきなりの三倍満ツモ。最序盤から飛び出した大物手に、長谷、武田の両者は眉を顰めた。
制服を着ているということは、部外者。何も言っていないが命が同卓しているということは、彼の許可の下に打っているということは違いなかった。
その部外者が、いきなりの巨大手。油断はない。最初から最後まで全力以上を尽くし、勝利を挙げるのが東征大の部員だ。
まさか、ここまで部外者で出来る者がいる。その事実に、少し驚いている。
「元気の良い、素直な手ね。麻雀を始めたばかり子らしい、躍動感にあふれてる」
命だけは動じておらず、笑みすら浮かべて余裕を見せている。
点数や手役は、まるで気にしておらず。手から放たれる印象・気配を読み取っている。
「……大体、わかりました」
ゾクリと、京太郎は背中に寒いものが走ったのを感じた。まるで、自分の中にあるものを覗かれているような。
後ろに何かある。そう思って振り向いたが、何もない。
──一体、何を見られた……?
「……部長。
「今日、白糸台が来ますからね。ちょっとした調整ですよ。あの子、綺麗な顔で泣きますから」
「あそこのエース様をいじめるなんて出来るのは、部長くらいですって。あれでも女子の最強なんですから」
三倍満をくらった反応じゃない。何故ああまで平然としていられる?
まるで、自分が負けるなど微塵も信じていない。最後には必ず勝つとわかりきっているような目……。
京太郎には、命がかなり不気味に映る。
「なんなんだ、一体……」
「さあ、須賀くん」
──麻雀を、楽しみましょう?
東一局1本場。
点差は広げた。だというのに、京太郎の顔には余裕がない。勝っているという感じがまるでしない。
まるで、追い詰められているのが自分かのよう……。
「リーチ」
「早っ」
「兵は神速を尊ぶ。至言だよ」
三巡目のリーチ。早すぎるそれに、京太郎は彼女とダブる。
同じ清澄の一年──片岡優希に。
(何を馬鹿な。あのタコスとは違うだろう!ちゃんと相手を見るんだ!)
その幻影を振り払うように、力強く打牌。
「それ、ロン」
「……!?」
打った牌は{9}。もう場に三枚見えている牌であった。
{1}{2}{3}{4}{5}{6}{7}{8}{①}{①}{白}{白}{白} {9}
「リーチ一発白一通……満貫。8300、下さいな」
「バカな……」
{3}-{6}-{9}待ち。しかし、{3}と{6}は京太郎が全て握り潰していた。
事実上の地獄待ち。これでは、まるで……。
(今度は、部長……!?)
──その悪待ちに、幾度惑わされてきたか。
清澄麻雀部部長、竹井久。彼女の幻さえ見えるようになっていた。
「……鏡って言ってましたよね。何を見たんですか?」
「秘密」
ウインクして、人差し指を口に当てる。
男なら卒倒しそうなポーズ。下手なモデルや女優なんか目じゃない、あらゆるものを魅了する。
その姿が余りにも嵌り過ぎて笑えない。
「……うん、須賀くんの根源はソレか」
東二局。親は移っても、満貫が直撃されても、京太郎の点数的有利は覆らない。
親の三倍満のツモとは、それだけの破壊力がある。ツキも、決して悪くない。
「リーチ!」
{東}{東}{東}{①}{①}{1}{1}{1}{一}{一}{一}{北}{北}
(よし、ツモり四暗刻。感覚じゃあ、和了牌の{北}は嶺上牌ってある)
感覚は鈍っていない。それどころか、冴えすらある。
ミックスアップ。命が呼んだ東征大生、武田と長谷の二人の存在が、京太郎を新しい次元へと誘っている。
この二人も間違いなく強い。裏レートで対局したあの黒ずくめに劣らないほどに。だからこそ、卓を囲んでいるだけで強くなっていく感覚に満ち溢れている。
──三巡先の牌は{東}、そこから槓をして嶺上開花でツモる。ああ、そんなことまでわかってしまうほどに。
……だというのに。京太郎には、まるでしない。
────上家の命に、勝っているというイメージが。
京太郎の打った牌は{南}。それを見て、命は目を細めた。
「……なるほどね。君も因果なものだ。運が良すぎるのもまたアレだな」
「何を……」
「こういうこと、カン!」
{南}{南}{横南}{南}
「なぁっ!?」
「嶺上牌、頂きます」
「待っ……!」
「待たない」
嶺上牌を無慈悲に攫って行く。
ゾッとする、無表情。なまじ綺麗な顔をしているが故に、京太郎には彼が死神にさえ見えた。
(まさか、そんな……嘘だろう!?)
「ツモ」
{西}{西}{西}{白}{白}{白}{中}{中}{中}{北} {北}
{南}{南}{横南}{南}
「字一色、役満。大会ルールじゃ、嶺上開花での責任払いはアリだったわね」
「咲……!?」
「48000、下さいな」
今度は、幼馴染の宮永咲の幻。その舞い散った花弁の光景は、間違いなく彼女のものだった。
親の役満の直撃により、京太郎のトビ。
優位に立っていたなど、誰が思っていたのだ。
「無暗はリーチは、身を滅ぼすわよ。リー棒の差が表れた一例ね」
「あの、さっきのって!」
「……ああ、コレ?」
京太郎が見た、清澄の麻雀部の面々。
命が映したのは、間違いなく本人の……否、本人のソレを上回るものにすら見えた。
──鏡と呼ばれる何かで、自分の中に知るスタイルや能力を読み取り。それをコピーする。
もしかして、それが命のオカルトじゃないのか……そう京太郎が憶測立てる。
「それが、弘世さんの能力なんですか……?」
「私に能力なんて便利なもの、無いわ」
「……?」
「私が……、ううん、私たちがやっていたことはたった一つよ」
命は、手牌の{中}を一つ摘まみ、京太郎の手を取ってそれを握らせた。
彼の手はとても柔らかく、暖かく。男であることなど忘れそうになる。
……忘れてはならないと、必死でその考えを振り払うのだが。
「麻雀卓で、賽を転がし、麻雀牌を打つ。私たちは、麻雀を打っていた。それだけよ」
ふと、柔らかい手から感じた違和感。
利き手の親指の腹が、とても固い。京太郎はすぐ、それが麻雀ダコによるものとわかった。
「麻雀を愛しなさい、須賀くん。牌も、卓も、賽も、点棒も。そして、他の相手も。そうすれば、おのずと応えてくれます」
虚言じゃない。冗談じゃない。大真面目に、命はそう言っている。
麻雀を愛して、愛して、愛しつくした先にこうなった。
故に、これは
そしてオカルトでもなければ、超能力でもなんでもない。
麻雀で出来ることをやっている。ただ、それだけに過ぎない。
彼こそが、
「は、はい!」
京太郎の元気の良い返事に、命も笑顔で返す。
「さあ、そろそろ朝礼の時間です。部員は全員、最上階ホールに集合しましょう」
「「はい!」」
武田、長谷の二人は、大きい返事と共に、卓の上の牌を整頓し、雀卓の電源を落とす。
現時刻は午前五時五十分。東征大部活動開始時間の十分前。
命に案内されるがまま、一番上の階のホールに京太郎はついていく。
……そこは、ホールというより体育館といったところ。一旦屋上に出て外を経由し、校舎の上に建っている建物。命の話では、元は室内プールだったと言う。
この程度でもう一々驚いていられないと、京太郎は気を強く持つ。
しかし、中に入ってその光景を見ると、そうも言ってられなかった。
何十卓ものの自動卓が並ぶ部屋。だが、この程度では驚かない。
清澄の体育館ほどの広さに、五百人以上の部員が綺麗に直立姿勢で整列している。
その全員が、推薦によってここに集められた男子のトップエリートたち。
一人一人が発するオーラ、気配……それらが喰いあい混じりあい、この広いホールを埋め尽くしている。
とんでもない打ち手、とんでもない雀士……それらがごった煮して溢れかえっている場所。
「どう、須賀くん?」
「……!」
「ここに来た他校の子は、地獄や修羅道なんて言ってたけど……君には何に見える?」
普通なら、圧倒される。常人の神経なら、逃げてしまいたいと怖気づく。
ああ、確かに。ここは地獄と表現しても何らおかしくない。
しかし、京太郎はこの光景を見て。口元が釣りあがっていた。
「……アレらと、戦えるんですよね」
「そうよ」
「全部食ってしまっても、いいんですよね?」
「できるなら」
浮かべたのは、満面の獰猛な笑み。
勝ちに飢えた、一匹の孤狼。京太郎の姿は、まさにそれ。先ほど対局して、トバされたことなど平気で忘れている。
命は、京太郎を無謀無茶と笑わない。麻雀は誰を勝者に選ぶのかわからないのだから。
対局者が誰であろうとも。それこそ、二十年三十年続けたプロであろうとも、一週間前に初めて牌を触った小学生が戦おうとも、どうなるかわからない。
麻雀は平等に点棒を配り、平等に牌を采配する。卓の上では、全てが平等。運を掴むのは、己の力なのだ。
「天国っ!」
あんな奴らと戦えて、あんな奴らにボロボロにされ、あんな奴らをボコボコにする。
そうしていけば、自分はきっと珠になれる。ぶつかってぶつかってぶつかり合って、最後には極上の珠になれるのだと京太郎は信じている。
だからこそここは天国で、自分は最高の幸せ者なのだ。
「……そう言い切ったのは、君が初めてだ」
ついてきなさい、と命は京太郎に言う。
命はそのまま東征大部員約五百人の前、少し高い檀上へと登った。そしてその少し後ろには、京太郎も控えている。
「おはよう、皆!」
『おはようございます、部長!』
「東征大麻雀部、512名、欠員なし!素晴らしいことだ!これで無遅刻無欠席の連続日数も二百を超える。こんなにも素晴らしい同朋を持てたことを、私は誇らしい!」
凛々しく、張りのある演劇団員のような声を命は吐き出した。この512人の耳に余さず届ける美声だ。
「さて、今日は白糸台・姫松・千里山の女子部員が合同練習として参加してくる。インターハイも目前の時期、経験を積みたいのはどこも一緒だ。喜べ皆、存分に鼻を伸ばせ。女装趣味の私なんかよりずっといいだろ!?」
ドっと笑いが巻き起こる。現に女性物のスーツを着て、こうして冗談を言っているのは自覚はあるのかと京太郎は思った。
「さて、ここに一人のゲストを呼んだ。紹介しよう、須賀京太郎くんだ」
話を振られ、京太郎は慌てておじぎをする。
一気に五百人以上の視線が、京太郎へと集中する。
「彼は長野の清澄高校の麻雀部だ。部員は彼を含めて六名、しかも彼は初心者だ。清澄の麻雀部、聞いたことがある者、いるか?」
初心者と聞いて、一部の者がピクりと反応した。恐らく、命と同学年の、彼の伝説を目の当たりにした者たちだろう。
そして、清澄の麻雀部を知っているかという問いに、命は挙手を求めたが誰も手を上げない。誰も、他県の弱小の麻雀部など知らないのだ。
「彼は先ほど私と打ち、そして私が飛ばした。容赦なく、全力を以て」
『……』
「だけれども、彼は君たちを見た瞬間、こう言った。ここは天国だと。恐ろしいと感じたよ、私は。君たちを相手に、彼は一切臆していない」
その勇気に。その無謀さに。その蛮勇に。
初心者らしい、無知で伸び伸びとした姿勢は、時として脅威となる。何よりもそれは、麻雀を楽しんでいる姿勢に他ないからだ。
「弱小校の部員と聞き、少しでも侮った者、即刻ここから出ていけ。僅かでも慢心したものは、この麻雀部には必要ない」
厳しい言葉を言い放つ。本当に慢心していたのなら、命はそれを見抜いて出て行かせる。彼に嘘は決して通用しない。
そして、誰も微動だにしない。彼に対して、優越感を抱いている者は一切なく、彼を卑下して見ている者も皆無だった。
「彼もこの土日、ここの練習に混じることになる。彼の中から僅かでも学べ、そしてあえて己の身を削り、学ばせろ。麻雀とは一期一会、同じものとは絶対に存在しない。得られるものは、余さず吸収しろ!」
『はいっ!!』
敵は最高に強い方がいい。たとえ弱くとも、そこから何かを学べるはず。
敵を強くしてもいい、全力で向かい撃て。本気で戦い、本気で下したからこそ、勝利は初めて意味を成す。
────そして余さず喰らって強くなれ。
ギロリと、512人の殺気が京太郎へと集中する。
舐めるなよ……初心者へと向けるものではない、本気の気迫。
侮る者は皆無。皆が皆全力。全霊を以て、京太郎へと対局するだろう。
──ここは東征大、修羅の集う地獄。
その洗礼が、京太郎へと襲い掛かる……!