午前四時。ビジネスホテルの一室に、目覚ましのアラーム音がけたましく鳴り響く。
それを殴るように止めて、ベッドで寝ていた信一は跳ね上がるように起床する。
「起きろ京太郎!さっさと身支度を済ませろ!」
隣の京太郎が寝るベッドの掛け布団をいきなり引き剥がす。
いきなり何が起きたか理解できない京太郎は、寝ぼけ眼でぼーっとしている。
「何、事……」
「ぼーっとしてんじゃない!さっさと起きろ!」
大きなあくびを一回。目をこすって時計を探し、現時刻を見た。
午前四時。まだ外は暗く、人が活動するには早すぎる時間帯だ。
「……まだ夜中じゃないすか」
「バーたれ。東征大の朝練は六時からだ。それにお前はゲストだ、早めに来ないと失礼だろ」
「六時!?」
さすが名門、練習量も半端じゃないと驚く京太郎。
「言っておくが、開始が六時であって活動はもうとっくに始まってる」
「半端ねえっす……」
「感心してる暇はないぞ、動け」
気怠い体を気合で動かす。
顔を洗えば完全に目が覚める。
「そういや、制服の方がいいのかな」
「あー、そだな。指定された制服無いけどそうしとけ。一応客人だし」
「ないんだ!?」
「半分大学みたいなとこだからな。研究室の手伝いしてるやつは白衣着てるし」
東征大に制服は指定されていない。高校というより、大学の色が強いため私服登校を認めている学校である。
高校、大学間の交流は非常に盛んであるため、さらに高校から少し離れたところにあるキャンパスへと通う生徒も割と珍しくないという。
「つか、先輩なんで東征の生徒じゃないのにそんな内部事情詳しいんですか……」
「一時期入り浸ってたからな。たまに生徒と間違われたよ」
だからこそ、こんな無茶も通る。東征の生徒とは下手をしたら通っている清澄よりずっと顔が広い。
殆ど東征の生徒同然。京太郎は、信一がどっちの学校に通っているのかわからなくなってきた。
「……先輩、何で清澄に来たんですか」
「ダーツで決めた」
「ダーツ!?」
「オファーのあったプロチームでダーツやって、その最寄で清澄になった」
浮かんだのは、某アトラクションパークのテレビ番組で最後の締めで行うダーツアトラクション。金貨を対価に矢を獲得して、回転する的に投擲するアレ。
この人も大概無茶苦茶だと、京太郎は思う。
もし何か一つでも掛け違っていたら、自分はこの人と出逢えていなかったのではないのか……。その人生の綱渡り感に、肝が冷えるばかり。
「言ったろ、京太郎。お前、かなりツイてるってな」
自分は運がいい──前々から聞いていて眉唾な話であったが、この機を境に京太郎は自分の運に自信を持つことにした。
東征大学付属震洋高等学校には、二つの学科がある。
一つは普通科。通常の普通科高校と変わらない授業計画で進行している。
もう一つはスポーツ学科。文字通り、部活動に力を入れている特殊学科で、全国各地から推薦による新入生を募っている。
スポーツ学科が力を入れている部活は、野球、サッカー、そして──。
「男子麻雀部というわけよ」
身支度を終えて外に出ると、ホテルの前に命が車で迎えに来ており、そのまま彼らは東征大まで同行していった。
「じゃあ、女子部員はいないんですか」
「残念ながらね。楽しみにしてた?」
「お前十分ハーレムを楽しんでたんだからいいだろうが。なんだ、物足りないのか」
「そ、そういうわけじゃないですよ!」
「まあ、女子部もないわけじゃないのよ。だけど普通科の方にあるから関わりは薄いし、交流もあまりないの」
「レベルもお粗末だからな」
「そういうこと言わない」
京太郎は命に、東征大がどういうところなのかを説明を受けたり質問をしたりしていた。あくまで自分は東征大にお邪魔する身で、失礼のないようにしなければならない。
高校に入って、他校との交流はこれが初めて。清澄の麻雀部に恥じない態度で挑むつもりでいた。
「緊張しなくていいわよ。みんな、いい子だから」
「まあ、気の良いヤツばっかだ。お前もすぐ馴染めるさ」
「は、はい!」
気を引き締める。今から挑むのは、全国最強の高校。
何で自分がそんなところに飛び込むことになったのか。そんなことはもうどうでもよかった。
戦う。そして、強くなる。最後に、勝つ。
誰であろうと、もう負けたくない。ボロボロになろうとも、のど元に喰らいつく。その飢えた狼の如く気概でいく。
(……怖いわ、どう見ても胸を借りるって感じじゃないわね)
(……そうだ、それでいい京太郎。そんくらいのガッツが丁度いい)
京太郎の発するオーラは、車内の二人も当然感じ取っている。闘志とも、殺気とも言える野性味あふれたソレは、少しオカルトに精通した者であれば慄かせるくらいはできた。
それに中てられても、彼らは平然として微笑んでいる。
この土日は、とても愉快になる。楽しみで愉しみで、たまらない。
東征大の校門を潜り、車を駐車場で止める。
この時点で、午前五時を少し過ぎた程度。まだ外は薄暗く、太陽も完全に昇っていない。
「命、アイツはもういんだろ」
「何?挨拶に行くの」
「そういうこった」
信一はここから、別行動を取る。東征大の知り合いにでも会いに行くのだろうと京太郎は思う。
命の案内の元、京太郎はそこへとたどり着く。
「ここが、麻雀部の部室よ」
「いや、ここって……」
京太郎が目にしているのは、立派な一つの校舎。普通にここで三学年が三クラスずつで授業ができるのではないかと思えるくらいの規模の大きさ。
「校舎……!?」
「元はね。耐震の関係で新校舎へ移ってね。残った古い校舎を部室に改修したの。ほら、ここって地震多いから。もちろん、耐震性はバッチリ」
「……ここなら大会も開けそうですね」
「実際、静岡の県予選はここで開催してるわ」
「マジっすか……」
いきなり、度胆を抜かれる。凄い凄いと散々説明は受けてきて感じたが、ここまで予想を斜め上に裏切ってくれるとは思わなかった。
しかし、何度も驚かされてるわけにはいかない。意を決して、その一歩を踏み出した。
「ようこそ、東征大付属麻雀部へ」
「……!」
そこは地獄。そこは伏魔殿。そこは修羅道。
──雀鬼共の棲まう地、東征大麻雀部。
「よう」
少し寒さが肌を刺す夜明け前。信一は、目的の人物の一人に出逢えた。
東征大の校内にあるベンチ。そこに座る、一人の男。
日に焼けた、褐色の肌。背の丈は信一より少し低い程度で、十分長身にある。
髪の色は、老人のように白髪で短く刈り上げてある。
白衣に身を包み、黒いスポーツタイプのサングラスをかけている。
そして傍らには、白い杖が立て掛けてある。
「……前に会った時より、0.9センチ伸びたか。信一」
「成長期なんだよ。つかそれ、何か爺臭いぞ」
フッと笑いながら、信一もその隣に腰掛ける。
親友が変わっていないことに嬉しく思う。
「俺とて、1センチ伸びた」
「気にしたのかよ、爺臭いって。背が伸びたとか、じいさんが孫に言う定型句だぞ」
「まだ高校生だ、俺は」
「賭けてもいいがな。お前の見た目で十代後半って当てられるヤツって相当少数派だぞ」
「フンッ……」
「拗ねんなよ、悪かった」
見た目が見た目のクセに子供っぽい。それこそがコイツだと、信一は好ましく感じている。
佐河信一の親友にして宿敵。三年前と四年前の決勝卓で激闘を繰り広げた、大敵にして盟友。
これこそが、『天才』──
何も語らず、何も話さず。ただただ、沈黙だけが過ぎていく。
雀がチチチと鳴く音だけが、この空間に流れていく。
この空間が、この静けさが、二人は好きだった。寒さも気にならない、心地よくて優しい空間。
何分、何秒、そのままでいたのかわからない。ただ、日が昇って、彼らに光が照らしてから……。
「……アレが、お前が連れてきたヤツか」
「おう」
最初に沈黙を破ったのは、治也だった。
アレとは、信一がここへと連れてきた須賀京太郎のことを言っている。
「まさか、お前が見つけるとは思わなかった」
「俺だって驚いてるよ。まさか同じ学校にいたとか、今思い出しても心臓バクバクいってる」
「お前に先を越されたのが癪なんだ」
「素直じゃねえなオイ」
ここまで負けず嫌いだと、逆に可愛く見えてくる。そう一瞬考えたが、すぐに振り払う。
──可愛い?コイツのどこが?
「余計なこと考えなかったか?」
「ま、まさか」
「心音が少し早まったぞ」
「……」
「…………フッ」
図星だな、と言われたような気がする。勝ち誇った顔が、この上なく腹正しい。
こういう奴なのはわかっていた。知っていた。これは自分が招いたミスなのだと信一は心の折り合いをつけさせて納得させる。
「……相っ変わらず良い性格してんな」
「お前が可愛い性格してるんだよ」
「つくづく東征大にいかなくて良かったって思ってるよ、俺は」
皮肉ったつもりが、皮肉を返される。ああ、舌戦で勝てないのはわかっていたのにと信一は止められない。
毎日毎日、治也に弄られるのは勘弁願いたい。京太郎に出逢えた云々を含めて、東征大に進学しなかった選択は正しいものだと確信した。
「そうか、俺は残念だ。お前らを弄れないのはつまらないんだ」
「命で我慢しろ、命で」
「無理だ。アイツが狼狽えたところなど俺は知らん。心音・脈拍共に一切乱れが起きたことはない」
「……メトロノームでも埋め込んでいるのかアイツは」
「実はサイボーグという説も推すぞ」
「何だ、モーター音でも聞こえたか?」
「最近の技術は凄いな」
「抜かせよ」
──レントゲンなんかよりずっと、お前は世界を視えているくせに。
「……須賀、京太郎といったか」
「おう」
話題が、京太郎の話に戻る。
彼もまた、彼を待ち続けた身。身を焦がす戦いを、求める身。
「似ているな、
「タイプの傾向じゃ一番近いな。命も、一目でわかったはずだぜ」
「お前と相性が良い訳だ」
「ほっとけよ。……そういや、一足先に来てるんだよな。練習に参加してんのか」
「アイツが、早朝に起きれるヤツだと思うか?」
「納得」
同窓会は昼頃になりそうだと、予想する。