SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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「なーなー浬、ビール持ってきてねえ?」

「ぶっ飛ばすぞ未成年。コーヒー牛乳で我慢しろ」

「風呂上りっつったらビールだろうが」

「お前がいるから合宿中は禁酒って決めてんだ。ほら」

 

 浬は自分が奢って買った瓶入りのコーヒー牛乳を蘇芳に渡すと、渋々といった顔で開けて飲む。

 

「うめえ」

「そりゃよかった」

 

 男子組は温泉から上がり、浴衣に着替えて休憩室にて駄弁っている。

 各々、浬が奢った牛乳あるいはコーヒー牛乳、フルーツ牛乳を飲みながら、火照った体を冷ましていた。

 

「…………」

「どうした、京太郎」

「いや、個人戦の時も思ったんですけど……信一先輩すっげー和服似合いますよね」

 

 着慣れているからなのか、そういう体型なのか、それとも雰囲気がそうさせるのか。信一の浴衣姿はある種の色気すら感じさせていた。

 薄地の浴衣で若干着崩した着こなしは、漢の色香をこれでもかというほどに漂わせている。

 いつもはバンダナで逆立てた赤髪も下しており、濡れた髪が肩にかかっている。

 浴衣の着方も手慣れていたし、着慣れていなくて着るのに苦慮していた京太郎と治也の手直しもしたために、ガラこそ悪いものの育ちの良さを感じさせた。

 

「顔が良いからな」

「イラっときますけど事実だから否定のしようがないっすね」

 

 顔が良いと言えば、ここにいる男連中は誰もが美形の類に入ると京太郎は思う。無論、自分がそうであるかというのは別にしてだ。

 渋みを感じさせる白髪褐色の青年の治也は、いつも掛けているサングラスを外して壁に寄り掛かって座り、目を閉じて脱力している。ただそれだけなのに、その姿が非常に絵になっている。

 この場で唯一、男物の浴衣ではなく女物の華やかな浴衣を着る命は、ストレートの長髪を団子(シニョン)アップにしていた。スーツ姿とは異なる、ゆったりとした姿はいつもと違う女性らしさを醸し出していた。

 蘇芳は浴衣をまともに着ようとせず、上半身が完全に肌蹴ており、バキバキに割れた腹筋を見せつけている。ストパーをかけた前髪をかき上げる動作は、ホスト然としたイケメンの印象ががらりと変わり、強面の怖格好いいものへと変貌していた。

 ノンニコチンの電子タバコを咥えながら新聞を読んでいる浬は、浴衣姿でも大きい印象の変化はない。しかし、それは何を着ても似合うという美男子の特権を使われたものであり、写真の一枚も撮ればファンに高く売れるのは間違いない。

 ──撮影会をこの場で開ける面子だ。その上で彼女がいるやら許嫁がいるやら女たらしやら女の敵やらと…………段々京太郎は腹が立ってきた。

 

「京太郎。男は顔だけじゃない」

 

 不貞腐れていたのを治也に読まれ、ますます惨めになり頬を膨らませた。

 

「“顔じゃない”じゃなくて、“顔だけじゃない”なんですね。顔の要素の割合ってどれだけあるんですか?」

「さぁ?俺に聞かれてもな。目が見えないから、俺の女は顔で選んだわけじゃないし」

 

 笑えない、治也の盲目ジョーク。一笑も起きず、膨らませた空気をぶーっと吹き出し、ますます京太郎は拗ねる。

 ────そうですよね、選べる側なんですよね、あなたたちは。たったそれだけの違いなんですよね。

 

「いじけんなって、京太郎(キョウ)。インハイで東京行くときにゃ、浬が大人のおねーちゃんと遊べる店に連れてってくれるってさ」

「誰も言ってねぇよ!?何言ってんだ蘇芳テメェ!」

「おっぱいおっきい子いますか?」

「そりゃおめー、いっぱいいるに決まってんだろ。ぷるんぷるんよ」

「ぷるんぷるんっすか」

「それだけじゃねーよ、ばるんばるんのぷるっぷるよ!」

「ばるんばるんのぷるっぷるっすか!」

「ぷるっぷるのぷるんぷるんのばるんばるんよ!!」

「ぷるっぷるのぷるんぷるんのばるんばるんっすか!!」

「行かねーよ!?連れてかねーぞ!?何だその頭の悪いガキの会話!…………おい、なんだその目は!んな目したって連れてかねーぞ!」

 

 京太郎の期待に満ちたまなざしを一身に受けるが、浬は目を逸らす。いくら後輩の期待に弱いといえど、これには応えられない。

 先の落ち込みようは嘘のように消え、蘇芳と肩を組んで一緒に“ぷるっぷるのぷるんぷるんのばるんばるん”と口ずさんで歌う様は、どこからどう見ても馬鹿にしか見えない。

 

「……これが高校最強クラスの選手だってんだから終わってんな麻雀界」

 

 溜息を吐きながらスマートフォンを取り出して、カメラ機能を起動して馬鹿二人を動画で録る。浬以外にも、信一と命も同じように録っていた。

 この馬鹿騒ぎを必ず清澄の面々に見せてやると、いい笑顔を浮かべていた。

 そしてその光景を俯瞰している治也もまた携帯を取り出して、ある番号へと電話をかけた。

 電話帳に登録された番号には『Lovely K』とあり、それは彼にとっての最愛で──。

 

「もしもし、どうしたんダーリン?」

「俺の親友共が馬鹿ばっかで辛い」

「今更?」

 

 ──彼女の特徴的な口癖もないままにぶった切られ、深いダメージを心に負ってそのまま倒れた。

 止める者はなく、場は混沌としていき、収拾がつかなくなっていく。

 この惨状は……女性陣が風呂から上がってここへとやってくるまで、続いたのであった。

 

 

 

 

 

 鶴賀学園の加治木ゆみは、風呂から上がった体を冷ます目的で、旅館の周囲を散策していた。

 傍らには、後輩の東横桃子が。影の薄いステルス体質のため、認識しずらくはあるがそこにいるのだとは彼女にはわかっている。

 ……その彼女たちの前に、彼らが待ち構えていたかのように立っていた。

 

「鶴賀学園の加治木ゆみさんと東横桃子さんね?」

「用がある。話、いいか?」

 

 東征大の『修羅』と『天才』……弘世命と能海治也がいた。

 他県の、それも畑違いの女子の選手たる自分たちの名前を憶えられていて、彼女たちは驚いた。

 そしてもっと驚いたのは、彼らの顔の向く方には桃子もいたことであり、呼びかけたこともあって彼らは彼女のことを完全に見えていた。

 

「わ、私のことが見えるっすか!?」

「俺は盲目だ。見えるわけがない」

「そ、そうじゃなくて……私がいるってことがわかるっすか!?」

 

 桃子自身、自分を探そうとするまでもなくすぐに認識されるなど、久方ぶりであった。年々、時間が経つほどに自分を見つけてくれる人は少なくなり、探し出してくれたゆみですら一苦労するほどだ。

 何の苦労もなく、一目で自分を見つけられる。そんな人がこの世にいることが、桃子自身衝撃的なことであった。

 

(……なるほど、想像以上に深刻だ。最初に目をつけて良かった)

(才能に関しては信一と同程度?)

(少し劣る、というところだ。暴走を起こして然るべきといったところだが……相当なレアケースだ)

(これもアレ?京太郎くんの資質?)

(何でもかんでもそれのせいにすればいいわけではないだろう。だが、俺たちが来た意義はあった)

 

 目で会話をして、彼らは彼女の才能による症状(●●)を診断した。

 ……行き過ぎた才能は、病気に似る。目の前の彼女、東横桃子が影の薄さによって日常生活に支障をきたすように。

 ────かつての、誰かのように。

 

「私たちにしてみれば、あなたはとても目立ってるのよ。東横さん」

「はい?」

「少し視点を変えると逆に君以外見えなくなる、ということもある。俺たちはその視点の切り替えができるというだけだ」

 

 化物らは、決して目だけで見ていない。治也は元より、命も視覚以外の感覚を駆使している。

 そして化物らしく、超常を感じ取る第六感も冴え渡っている。

 桃子のステルスは認識阻害の催眠術に近いタイプだ。彼女のステルスの恐るべきところは自然体でそれができてしまっていること。だが、それは能力が発動したままであり制御できていないことも同じであった。

 能力の暴走状態で活性化されているのであれば、能力の力そのものだけを見ればいい。そうすれば、発生源の桃子を容易に見つけることができる。

 

「凄いっす、さすがプロっす!」

「全然凄くない凄くない。これくらいなら誰でも必ずできる」

「はいはい嘘ウソ。コレの“誰でも出来る”は一生をそれだけに費やして今わの際に出来るって意味だから真に受けないで。……とりあえず、加治木さん」

 

 命は浴衣の懐から、名刺ケースをボールペンを取り出し、そこから名刺を一枚抜き取ってはつらつらと何かを書き走り、それをゆみへと渡した。

 名刺には『東征大学付属震洋高等学校 麻雀部監督・部長 弘世命』と連絡先が記入されており、裏面には『特入許可』と書き走ったものだ。

 どういう意味なのかと、ゆみは訝しる。彼は監督も兼ねているため半分社会人のようなものなので、挨拶のために名刺を渡すのはわかる。だが、この裏面の文字の意味が理解できなかった。

 

「これは、どういう……?」

「東征大……ああ、高等部の方じゃなくて大学部の方の特待入学の推薦状」

「えっと……」

 

 そんなものをいきなり渡されて、ゆみは呑み込みが追いつかない。つまり、一体どういうわけなのかと首を傾げた。

 

「来年度から、東征大の麻雀部は高校と大学、女子と男子の境を無くしてインハイ・インカレにも力を入れるの。私は大学進学後に男子部の監督を兼ねながら麻雀部全体の総監督をすることになってね」

「……え?」

「……わからなかった?続けていい?」

「だ、大丈夫だ」

 

 いきなり、そんな情報を耳にして面を食らった。

 あの天下の東征大が、ついに女子麻雀にまで踏み込もうとしている。そんな噂は前々からしてはいたが、それが本当になる時が来る。

 東征大の麻雀部は、全部員が推薦によって選ばれたスポーツ学科だ。普通科には女子麻雀部が存在するが、来年度には女子部を吸収、統合する予定である。

 さらには高校と大学、女子と男子をを統一させた麻雀部を来年度に組織される。日本国内において、最大規模の麻雀団体が誕生することになる。

 ……この絵図を描いたのは、東征大OB連と東征大プロ閥。その意図は、高校と大学の麻雀界の完全な席巻。そして将来的には、プロの世界すらも東征大出身の雀士だけで統一する構想となっている。

 弘世命を疎んではいるが、能力が高いことを認めている。であれば、存分に使い潰す。元々十年計画だったが、命の存在でそれが大いに早まったのだ。

 そして命本人も狙いを知った上で敢えて乗っかっている。──もし自分がOB連らの企みに全力で協力しようとも、絶対に思い通りにはならないのだとわかっているが故に……。

 

「加治木ゆみさん。もしよければ卒業後、貴女に女子部の監督を務めて頂きたいの」

 

 そして、自分が全力を出すに必須なものは、自分の意思と力を噛み砕いて理解して実行する片腕──。

 女子部を束ねるに相応しい、象徴の存在。

 

「…………待ってくれ。今、なんと?」

「女子部の監督になってみる気はない?」

「一選手として、ではなく」

「選手も兼ねるわ」

 

 ……ゆみは頭を抱えた。何で、どうしてそうなった。

 組織されるだろう麻雀部の組織規模を考えれば。彼が自分に任せようとする役職の重大さは容易に想像できる。

 

「私ではなく、もっと相応しい人がいるのではないだろうか」

「それは、誰かしら?」

「風越の福路さんに、優勝した清澄の竹井さん……それに、全国の名門校にだって」

「福路さんは、あれで結構個人主義よ?人格的には素晴らしいし、後輩にも大きく慕われているようだけど、何故彼女以外の三年生が団体戦にオーダーされていないのか、そこがとても気になるところなのよね。卒業後はプロに行った方が大成するわ。竹井さんの方は、実績も実力もあるのだけれど、いかんせんあの悪待ち(スタイル)は東征大では理解されそうにないわ。というより、私が受け付けない。欲しいものは血を吐いてでももぎ取るのが、東征大の気風だから。そもそも、彼女に今その話を持って行っても意味はないと思うし──」

 

 まるで、挙げられる人物がわかっていたかのような、すらすらと述べられる人物評。

 これが真であれ偽であれ、これが弘世命が見た彼女たちの評価だ。

 

「全国の名門?そうね、じゃあ手っ取り早く白糸台……ああ、私の姉ね。アレはそもそも、補佐や秘書といったタイプであって部長の器じゃないわ。宮永照という絶対的エースが信頼している、といった事実が部長にさせているのよ。本来ならば宮永さんが部長をするべきなのだけれど、あれは生粋の選手(プレイヤー)だから仕方なしに一番近くにいる菫がすることになっていて……」

「待ってくれ。それはいつまで続く?」

「?一通り名門全部よ。全国四十七都道府県の有力な名門校、昨年度の全国出場校で今年部長を務める子は一通り。そうね、なら次は龍門渕さんを……」

「いい、結構だ」

「あらそう?まあ、彼女たちと加治木さんを評定し比較した上で、貴女を選んだ。そう思ってくれていいわ」

「……何故、私を?」

「単純よ。加治木さん、貴女には強いブランドを持っているわ」

「ブランド?」

「高校から麻雀を始めた、という短い麻雀歴。他の名門校選手の誰にも、私ですら真似できない、ブランドよ」

「……いや、それは短所だろう」

 

 短い経験より、長い経験。それが一般的なものの見方だろう。

 ゆみ自身、高校から本格的に麻雀を始めたことに恥じているわけではないが、幼少の頃から打ち込んでいる全国的な雀士と比べた上であるとどうしても萎縮してしまう。

 そもそも、現役の高校生の内から選出するのもどうかしている。監督という指導者を選ぶのであれば、プロや元プロ、あるいは指導経験者から見つけるべきではとゆみは嘆息するが。

 

「短所?では、須賀京太郎を見て、もう一度短所と言える?」

「……それは、彼に特別な才能があったから」

「無いぞ。京太郎に才能は全くない」

 

 ゆみの言葉を切って捨てたのは治也。才能というモノを、その重さを誰よりも知っている彼だからこそ、京太郎が特別であるということを否定しなければならない。

 

「そして、コイツも才能には特別恵まれていない」

「耳が痛いわ」

「だが、京太郎は一度俺を飛ばしたことがあり、コイツも俺に勝ったことがある」

「あら珍しい。負けず嫌いが負けたなんて言うなんて」

「事実は変えられん」

 

 負けず嫌いで勝ちにこだわるからこそ、己を負かした相手は敬服に値する。負けを許さない自分を上回った事実は、まだ足りないのだと実感させてくれる。

 治也は負けることは大嫌いだが、敗北の実感から見えてくるものは非常に多いということを知っている。

 

「加治木さん。確かに貴女は経験が薄く、甘く見積もっても準全国区といったところでしょう。ですが、私が欲しい人材として合致したのは貴女だけなんですよ」

「それが、経験が薄いというブランドか?」

「はい。実力に関しては、私が仕上げます」

「……例の逸話か」

「お恥ずかしながら」

 

 そこまで聞いて、ゆみは命の狙いに察した。

 弘世命の悪名を広めた、あの事件を。それを大学でも起こすということだ。

 

「とはいえ、それだけではありませんが。面倒見も良さそうな性格ですし、団体戦の対局を見る限り胆力もかなりある。とはいえ……」

「お前のオモチャになって利用される覚悟はあるか。悪気があるだけタチが悪い。少なくとも、俺は御免だ」

「治也、黙って。まあ、その通りですが……その分、貴女には監督職(わたし)の許す限りの便宜を図ります」

 

 奨学金、入学金、授業料、入寮金の免除、さらには監督職としての受給。おそらく、ゆみが本気で勉学に取り組んで、東征大と同レベルの大学に入学しても得られないような好待遇だ。

 命の話を聞き、かなり大きく買ってくれていることをゆみは認める。

 だが、それでも……まだ納得できないことがあった。

 

「だったら、なおさら私でなくてもいいはずだ。それこそ麻雀に触れたことのない者の方がセンセーショナルだと思うが」

「…………加治木さん。貴女は、まだ悔いを残しているでしょう?」

「っ!」

「まだやりようがあった。まだ、戦いようがあった。こうすれば良かった。そう思っている節がある。私も、いえ────」

 

 指を、弾く。甲高い音が辺りに響き、命の中身が入れ替わる。

 

「────弘世命(ぼく)は、ずっとそう思ってきた」

 

 命の雰囲気が一変するのを、彼女たちは感じ取った。

 女性らしさが霧散し、超常の者を表す特異なカリスマが消え去った。ありふれた、普遍の者……大多数の、取るに足らない凡人へとなり替わっている。

 だが、表情に表れる自信に満ちた笑みは、先の命には無い凄味がある。きっと、今の彼の方が強い。根拠など一切ないというのに、そう思わせる説得力があった。

 ゆみの内に去来したのは……共感であった。自分と、良く似ている。あの笑みは精一杯の強がりだ。あの余裕と自信の裏は、切迫した焦燥に満ちている。

 それでも屈せず、立っている。その強さは、どうしようもなく脆いけれども……とても尊いものであると伝え、感じ入るものがある。

 

「僕は後悔を抱いている。だから、まだ戦う。そして、加治木ゆみ……お前も──」

 

 ────戦いたいと、思っているはずだ。

 心中を、穿たれた気分だった。まさか、出会って間もない誰かに、心の内を見抜かれるとは思いもしなかった。

 燻っている何かを知った上で、焚き付けてくる。不気味極まりないというのに、何故か乗ってしまいたくなる不思議な魅力がある。

 これが、化物。これが、弘世命。

 常識では測ることのできない、超常の者ども。その一人であると実感させられる。力があろうと無かろうと、それは大して重要ではない。その在り方にこそ意味がある。

 

「一目見て気に入った。ああ、惚れたというべきなのだろうさ。だから、あえてこう言わせて貰おう」

 

 ──東征大の指導者という立場を抜きにして。自分と共感できる、麻雀をやってみたいと思わせた彼女に……。

 必要以上に、言葉を飾る必要はない。

 

「────僕は、貴女が欲しい」

「────っ!?」

 

 不覚にも、心が揺れた。

 まさか、とゆみは赤面させられた。これを、この台詞を、自分が言われることになるとは。

 命は知らない。狙って言ったものではない。ただ単に偶然なだけだ。……だが、彼女に対する意趣返しとしては特級ものだった。

 

「ちょっ、ま、待つっす!アンタいきなり先輩に何言ってるっすか!」

 

 いきなりの告白に、桃子はゆみを庇うように前に出て命の前に立つ。

 威嚇するように唸り声も上げて、命を睨みつける。それに対して命は肩を竦ませて苦笑いを浮かべた。

 

「嫌われたな」

「彼女も将来的にはウチに欲しいんだがな。まあ、何だ」

 

 命は再び中身を指を弾いて中身を入れ替えた。

 (ぼく)が彼女へと言いたいことは全て伝えた。これは(わたし)の仕事であるため、元へ戻る。

 

「色よい返事を期待しています。決して貴女に損はさせませんと約束しましょう」

「ヴヴー……!」

「治也、交代」

 

 ハイタッチで、命と治也が入れ替わるように前に立つ。

 向き合うのは治也と桃子。……丁度良く、要件がある相手と入れ替わった。

 

「……何すか、今度はプロっすか。いくら先輩が美人だからって悪い男の甘い話に騙されませんっすよ」

「舐めんな、俺は彼女持ちだ。俺の女以上に出来た女なんざ居ないし要らん」

「……は」

「いいの?それ言っちゃって」

「構うか。どうせ知られることだ。俺の要件はお前だ、東横桃子。その能力、催眠術、認識阻害……いや、結果だけ抜き出せばステルスか?」

 

 東横桃子の特徴たる影の薄さ、存在感の無さ……ステルスについて、治也に言及される。

 

「な、なんっすか。アンタたちにステルスは通じないってのはわかってるっす」

「そんなことはどうでもいい。過程は全く違うが、視界から消えるってのは俺でも出来る。姿を消すという事象そのものはそんなに珍しいものじゃない」

 

 治也の雰囲気は、プロの麻雀選手というよりは未知を解体する研究者。見えないはずの目にじっと見つめられる桃子は、思わずたじろいだ。

 

「──東横桃子。お前は、その能力を制御仕切れていない。暴走したままだな」

「せ、制御って……だってしょうがないっす!これはもうそういうもので」

「そのままだと、比喩抜きで何もかも忘れ去られるぞ」

 

 それは、才能という分野において誰よりも長けた治也の、警告だった。

 能力を視るのと同時に、桃子の内面を診ていた。最強の読心能力を用いて、ほんの数秒で東横桃子という少女の性格を暴き出した。

 ──相当な、面倒臭がり。影の薄さというのは、所詮はきっかけでしかなかった。孤独は別に辛くはない。自分に気付かないのであれば、どうでもいい。他者との交流を放棄し、積極性を失い、消極的なままになる。ただ、自分から人と関わるのが面倒くさいから。

 ……自分(ばけもの)が、嫌悪する類の者である。この才能が、そんな物臭でも問題ない程に効果の薄いものであればそのまま無視していた。

 

「い、意味わかんないっす!それはどういう意味──」

「そのままの意味だ。東横桃子という人間のあらゆるものが認識されなくなり、最終的には記憶にすら留められなくなる。潜在能力を加味したら全戦力(ぼうそう)するのは時間の問題だ。成長速度的には五年持たん」

「そ、そんな無茶苦茶……」

 

 ありえない、とは言えなかった。そのありえないを極めに極めて至ってはいけないところに至った塊がそこに二人、立っている。

 しかもその極め付きが、そうなると言ったのだ。信憑性は非常に高い。それは後ろに控えていたゆみもまた同意だった。

 急に、桃子は自分の力が恐ろしく感じてしまう。長らく馴染んでいたこの能力が、言いも知れない、自分を殺してしまうような化物に見えてしまう。

 

「制御方法を教える。覚える気、あるか?」

「…………は?」

 

 治也の言葉に、桃子は自分の耳を疑った。彼は一体、何を言った?

 自分の、この能力の制御方法……それは、東横桃子が在りえないと思う代物だった。

 このステルス体質に、難儀してきたのは誰よりも彼女自身である。どうにかしたいという気持ちは失せ、そういうものなのだと、諦めがついていた。

 だが、それが出来る方法がある。能海治也は、そう断言した。

 

「といっても、勝手にやるが。命」

「ん、わかったわ」

 

 勝手に治療を断行すると言い、彼女の了承を得ずに行う。

 問いただす間も驚く間もなく、治也と命は治療を行う。

 二人から走る、威圧。圧迫するものではないが、嫌な感触を覚える。

 ゆみは、目の前にいる桃子の姿がぼやけ始めるのを見た。いつもであれば、それだけに気にも留めないことではあるが……。

 思いもしない事態に直面したかのような切迫した表情と、自分へと向けて助けを求めるように声もなく(●●●●)叫ぶ桃子を見て、緊急事態であると察した。

 

「いいか?自分はここにいると強く主張しろ。それで事足りる」

 

 それが、彼女に対するただ一つの治療法。それさえ出来れば、順当に事は進む。

 消えていく彼女へと向け、治也はそれだけを伝えた。

 ────それさえ出来ない不精であるのならば、そのまま消え果てしまえ。

 この瞬間、東横桃子は完全に消え去った。居た場所には影も形も残ってはいない。臭いも、体温も。触れようとしても、手が空を切るだけ。

 ……彼らがやったことは単純だ。東横桃子のステルスを活性化させ、さらに暴走させたのだ。

 いわば京太郎のやり方(スタイル)の猿真似である。それを才能特化に刺激させた。『天才』たる能海治也だけが可能にし、命は出力の補助をした。

 

「おいっ!モモをどこにやった!?」

「騒ぐな。消えたのは一時だけだ。……東横桃子が戻る意思がない限りは、俺が言った通りになるがな」

 

 京太郎がやれば、手加減が全くきかないので冗談抜きで消えるのだ。真似事である上に才能ある治也が加減しているため、劣化しているからこの程度で済んでいる。

 まだ、加治木ゆみが覚えている。それがまだ東横桃子が存在する証だ。

 

「彼女のことを私たちが見えないように……彼女も、私たちのことが見えなくなる。これが彼女の才能の行きつく先」

「一人でいいんだろう?だったら、望み通りにしてやる。これが本当の、消えるってことだ」

 

 ──東横桃子は今、誰もいない世界にいる。

 自分の姿も、声も、臭いも、何もかもが、他の誰かに伝わらない世界。しんと静まった、誰もいない世界。

 しかも、能力の深度が深まれば深まるほど、世界そのものに色を失ってモノクロとなっていく。……最後には、白と黒さえ消え果ていき、無になるだろう。

 これが真のステルス。これが真に、消えるということ。

 

「その意味を、体感しろ」

 

 とことん深みに嵌れば、後は登っていくだけ。あとは彼女の努力次第。

 やることは終わったと、治也はこの場を立ち去ろうと踵を返す。

 ……だが、肩を掴まれて引き止められる。その手の主は、ゆみであった。

 

「モモを、返せ」

 

 怒りに目を燃やしながら、治也を睨む。

 言葉を返すのも億劫な気分になり、嘆息の後に──。

 

「……っ!」

 

 ──彼女に、威圧を叩き込んだ。

 首を絞め上げるように窒息させ、声も出させない。するりと肩を掴んでいた手は離れ、その場で蹲る。

 ……威圧がかかっているためか、位相が歪んで……誰も見えなくなった孤独の世界に陥った桃子に、朧げながらも彼らの姿が見えるようになった。

 その状況で、どういうことになっているかなど、桃子には説明は不要であった。

 

「……オイ、東横桃子。とっとと制御出来ないと大事な先輩が死ぬ──っ!」

 

 ──直後、治也の横っ面に張り手の一発が入る。

 それをまともにくらってたたらを踏み……張り手を見舞った者を笑みを浮かべて迎えた。

 威圧も解け、座り込んだゆみも、足りなくなった空気を肺に送り込んでいる。

 

「先輩に、何やってるっすか!?」

 

 治也を殴り、そこにいるのは東横桃子。孤独の世界から帰還し、敬愛する先輩を傷つけた敵を殺意すら込めた視線で突き刺す。

 彼らと会うまでの、存在感の希薄さなど微塵も感じさせない輝きを、彼女から発せられている。

 ……そしてまた、化物どもを害するほどにないしろ、ビリビリと痺れさせる威圧すらも──。

 

「……なるほど。俺たちは運が良い。命、喜べ」

「治也。促すためといえど、そのやり方は感心しないわよ」

「構うか。コイツも、化物(おれ)たちのところまで来れるぞ。嫌われようが好かれようがどうでもいい」

 

 自分に向けられている殺意が、威圧の痺れが、殴られた頬の痛みすらも心地よい。

 東横桃子は、化物(こちら)側に来れる。それだけの才能を持っている。譲れない一線を傷つけられて激情する人らしさも持っている。

 嫌われてもいい。むしろその方が都合が良い。喉元を食いちぎってくる攻撃性が、たまらなく良い。

 

「やること終わったから、旅館に戻る。後、よろしく」

「ちょ、待っ」

 

 そう言い残して、治也は姿を消した。桃子のステルスよりも唐突に、気配も探れないほどに。

 残された命は、未だ落ち着く様子のない桃子と半眼でこちらを見るゆみへの対応の苦慮に、頭を抱えた。

 ────これだから天才は。割を食うのは、いつだって自分のような凡人なのだと、命は内心愚痴を吐く。


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