SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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大変長らくお待たせしました。
難産続きの話な上に、ブランク→リハビリ→ブランク→リハビリの繰り返しで思うような情景が描けなかったのもありました。やっぱり、継続が力っすね。


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 ──これは、一体どうなっているのだ?

 それはこの対局を……彼らの麻雀を見ていれば、そうは思わずにはいられない光景であった。

 確率、常識、万人が考えるだろう普遍的な普通、そういったものを尽く、踏み潰して蹂躙して、陵辱し果てた先にあった、化物たちの彩宴であった。

 ここまで、東一局25本場が丁度終了したところ。この数字だけで、常識から逸している。何をどうすればそうなるのか。上っ面の数字だけを見ても、信じるに値するものになりはしない。どうしてもあり得ないという感情が先行し、疑いにかかってしまう。

 そして、過程を見て知っていても、どうしてそうなったかを目の当たりにしても、信じ切ることが出来ない。現時点において、彼らの点数は一律2000点にまですり減らしていた。点棒は薄高く、卓に積み上がっている。

 その原因が、四人が示し合わせたかのような四家立直による流局。配牌直後のダブルリーチにある。

 誰もが手に揃える牌は役満の手のみ。佐河信一が一貫して国士無双十三面、他の三人はそれを封じるための役を揃え続けている。

 それを何度も何度も……繰り返し続けた結果が、今になる。

 目の前で起きているのを、信じ切れない。己の目を、まず疑う。自分の眼球がいつの間にか、ガラス玉と入れ替えられていないかを、確かめたいと目に手を突っ込みたくなる。この試合を見守る全員が、そうであった。

 異常を通り越した異常が跋扈している。運や確率が、鼻で笑われてしまう空気が、あの卓に渦巻いている。

 ──それを作り出しているのが……彼らであるというだけで、やっと納得がいったのだ。

 彼らは今、常識外の世界を作り出している。知らない世界を作って、その法則で麻雀をやっている。だからこんな現象が起きるし、これが当たり前なのだ。

 そう思わずにはいられない。人では、当たり前の人間ではどうやろうとも届きようのない、選ばれた境地なのだと。そうやって、言い訳をしてしまう。

 だから、人はあっさりと腐ってしまう。眩しすぎるものを、強すぎる光を浴びてしまえば、色濃い影を作ってしまうから。

 ……普通、なら。

 

「……違うんだな、それが」

 

 かつては、己を凡人であると見限った彼は言う。白水浬は、観客席から飛び出して行ってある場所へと向かいつつある。

 あんなもの、何ら特別でもなんでもない。何も特別な資格は要らないし、才能なんてものも要らない。誰であろうとも、あそこへと到達できる。

 それを証拠に、あの対局を見る者全員は、誰一人だって絶望してはいない。胸を焦がし、心を躍らせ、あの眩すぎる光を直視し続けている。

 見届けたいのだ、人の極致を。今、人間が到達しうる、最奥の境地を。いずれは自らもそこへと辿り着き、そして前を往く彼らを追い越すために。

 無謀と思わない。烏滸がましいと思わない。出来ないなど、欠片も思わない。何故ならこの胸に宿った熱は、不可能や限界を踏破すると教えてくれた。

 

「そうさ。誰だって、辿り着ける」

 

 その資格は、誰だろうと持っている。あの対局を見て、自身の内に熱いものを感じられたのなら、誰でもそこまで往けるのだ。

 申し訳程度にしか機能していない変装用のサングラスを外し、浬は『関係者以外立ち入り禁止』とある一室へと扉を開けて踏み入れる。

 そこは実況室。個人戦の様相を実況するアナウンサーと解説するプロが放送機材と共にいる。

 だが今の彼らは、その役目を果たしていない。あの対局を前に、語る口を持っていない。黙したまま、彼らの闘牌を見届けている。

 実況と解説という点では失格だが、結果的には正しいと世間は判断するだろう。

飾る言葉は必要ない。不必要な装飾は要らない。そういう麻雀であるのだから。

 

「解説の仕事はどうしたんですか、西間先輩」

「白水……」

 

 実況席の様子は放映されていない。それを見越して浬はここへと踏み入れた。

 白水浬がここに居ることを、西間耕介は驚かない。麻雀に関して言えば、彼はとても鼻が利く。東征大の頃からそうであった。

 

「何の用だ、テメェ」

「相っ変わらず愛想悪いっすね、先輩」

 

 不機嫌な顔を隠さずにさらに歪めて、吐き捨てた。相方であるアナウンサーは突如入ってきた人物があの白水浬だと認識して頭が追いついていない状態だが、耕介が目で制して落ち着くよう促した。

 東征大在席時より一年生の時からエースとして活躍をした浬と、その一つ上の西間耕介。同じ学校出身であり、団体戦では肩を並べて戦った間柄ではあるが、良好な関係とは言えなかった。

 そも、白水浬は東征大OB連より良い顔はされていない。日本を飛び出し、いきなりの海外プロデビューは、挑戦的と言ってしまえば聞こえはいいが、周りの──特に東征大OBから構成されるOB連と日本プロ内部での東征大閥からは──猛烈な反対をされていた。

 それを押し切って海外へと旅立ち、結果を残して帰ってきたものだから面目立たないでいる。しかも東征大閥に属さずに、選りすぐりのプロを引退に追い込んだ悪名高い弘世命や常識を超えた化物と化した部員たちと積極的につるんでいる。

 疎まれるのは当然として、元より西間も浬を嫌っていた。浬もそれを甘んじて受け止めてはいる上に、彼や彼ら先輩OBの卒業後も群れる姿勢を好ましくは思っていなかった。

 

「アレを見て、考えることを放棄してたんでしょ?自分は凡人だから、選ばれた存在じゃないからって、言い訳して」

「この野郎……」

「そう結論付けた時点で、アンタは永遠にあの子らに追いつけない」

「追いつけてたまるか、気持ちが悪い」

 

 あんな麻雀を、打てるようになどなりたくもない。人の域を超えた、許された領分を犯した彼らとその力に対して嫌悪を隠さず、耕介は吐き捨てた。

 その姿を、その様を、浬はまるで少し前の自分を見ているように感じていた。あの四人を恐れていた自分と重ねて見ていた。

 東征大を支配する弘世命、ないしあの化物らの最大の被害者は他ならぬ白水浬であると自負している。雀士として、何度心を壊され、幾度自信と自負心を挫かれたか。全国最強校のレギュラーで部長を務めていたという、人間にあって当たり前の自尊心が跡形もなく消失した。壊されては直されて、それを何度も繰り返して数えることが苦になるほどに。麻雀から離れようと考えなかった日はなかった。

 白水浬の、高校生時代最後の年とはそういうものであった。卒業後の海外挑戦は、雀士としての己の自害のつもりであった。化物ら以上の存在が、世界にいるはず。そう信じて、麻雀人生の終止符を打つために世界へと渡った。

 だが結果は、一年で世界の十指に入ったという望んだものとは余りにも真逆の栄冠であった。

 浬はそこでやっと気付いた。ここが、人としての天蓋であるのだと。境界線上に立っており、あと一歩踏み出してしまえば、もう二度と人へと戻ってこれない。

 自分が、化物(ああ)なる……化物に、なれてしまう。その権利と力を持っていることに、怖気と吐気が入り混じる。東征大で自分は、そうなってしまう程に弄られていたのかと、愕然とした。

 このままであったなら、惰性のままずるずるとプロを続け、心が腐っていくのを、ただ他人事のように眺めるだけであっただろう。

 帰国し、須賀京太郎に出会うまでは……浬はその一歩先を踏み出すことも出来ずにいたままだっただろう。

 正しく、西間耕介と白水浬は同じであった。

 ──差違となったのは、彼らに近かったかそうでなかったか。そして、自分を慕うあの化物たちを憎み切ることが出来なかったから。

 壊され続けようとも、心を折られようとも。浬は彼らを恨めなかった。優しい面倒見の良い先輩であり続けた。生来の善性と人格からくるものであるが、同時に痛いくらいに理解し共感していた。……化物たちから麻雀を奪ってしまえば、後に残るのは空虚さだけであると。それだけは、どんな苦痛よりも嘆きよりも、勘弁願いたいものであると────そしてそれは、自分も同じであることも。

 どんなに心を折られようとも。麻雀だけは、決して手放さなかった。捨てることが出来なかった。辞めようと毎日ずっと考え続けても、麻雀にしがみ付いたままだった。そうするだけの力を──資質を、浬は持っていた。

 かくして、浬は境界を踏み越えた。須賀京太郎(きっかけ)こそ必要としたものの、人の心を失わないままに化物へと成り果てることが出来たのだ。

 

「先輩。あの対局を見て、感じるものがないとは言わせませんよ」

「ハッ、ねーよ。気味が悪い、としかない」

「嘘はやめましょうよ。言葉を偽れば、性根が歪みます」

 

 そんな訳がない、と断言する。麻雀に青春を捧げ、プロになるほどに情熱を注いだ耕介に、そして浬に……心の内から沸き立つものが必ず存在する。

 事実、彼らの目には火が灯っている。麻雀がやりたくてやりたくてたまらない、抑えきれない程の衝動に衝き動かされている。

 ……それでも、西間耕介は本心を偽り、認めるわけにはいかなかった。

 楽しんでやる麻雀など、今更認めない。この身はプロで、勝利こそが義務だ。自分が勝つ麻雀だけが麻雀であると、そう信じ続けてきたのだから。

 

「……それが本当に本心から言っているのであれば、貴方はもう麻雀をやるべきではない」

「あ?」

「今シーズン中に対局機会があるなら、俺がアンタを潰す」

 

 潰す。明らかな攻撃の意思、殺気が籠められた言霊は、物理的な質量を持って耕介へと襲いかかった。

 ガツンと、頭を殴られる衝撃。痛みこそ無かったものの、重さがしっかりとわかってしまった。

 浬は麻雀で相手を壊したことは一度たりともない。その痛みを、怖さを、嫌というほど知っているから。それを人に向けることを、浬は出来なかった。

 だからこそ、その攻撃の意思は何よりも重みを持つ。

 化物共通の威圧は、耕介を怯えさせるのに十分な効力を発揮した。体全体が震え、浬から目も合わせず顔を伏せている。

 

「……冗談ですよ。そんなことしませんって」

「て、テメェ……!」

「俺は、麻雀に対しては寛容でありたいつもりです。留まりたい、衰えたい、潰えたい……そういった願いもまた善しと思ってます」

 

 西間耕介(かつてのじぶん)を見る浬は、それが彼の選択であるのならそれも善しと受け入れる。

 

「ですが、少しでも前に進みたいなら……是非声をかけて下さい」

 

 もし変化を求めるなら。もっと、前へと、上へと目指すなら。彼は、彼らは助力を惜しまない。

 ここへ、浬がやってきたのは、それだけを耕介に伝えたいがためだ。

 目的を果たした浬は踵を返して、放送室から出ていく。

 

「待て!」

「なんですか?」

 

 呼び止められ、足を止める。振り向いて、かけ直した変装用のサングラスから覗く流し目の目線は、微笑んでいるようで。

 何もかもが、手のひらの上で踊っていると知っているような仏の表情に、耕介は見えていた。

 

「お前ら、何をしようってんだ……!」

 

 耕介が頭に浮かんだのは、麻雀世界の革命という単語。旧来の何もかもを根こそぎ排して、新しい麻雀を世に広めることではないのか。

 牌効率、デジタル、オカルト、そして確率と運……そんなものを嘲笑う、化物たちの提唱する、力と力の麻雀を。

 奴らなら出来る。というより、そのためだけに存在しているような化物らである。

 

「別に何かしようってわけじゃないです。アイツらだって、同等に打てる同類(ともだち)を求めてるだけですし。ただ、あえて言うなら」

 

 一呼吸置いて、浬は最近気付いたことを話す。

 化物となったことで視野は広がり、麻雀に対する繋がりが強く太く、強靭になったことで、もしかしたらと考えていたことを。

 ──瞬く輝く五人の巨星(ばけもの)と、追随する数多の綺羅星たち。今の高校麻雀を評価すれば、今後数十年の激闘と栄華を約束するかのような、麻雀の黄金時代の幕開けを予感させる。

 

「麻雀そのものが、変わることを望んでいる……なんていうのは、言い過ぎでしょうかね」

 

 

 

 

 

 中心となっているのは『怪物』佐河信一。卓を囲む『勇者』たちと『魔王』は時間の経過と共に『怪物』に対抗する力をつけつつある。

 これはただの麻雀にあらず。連続流局も、配牌役満聴牌も、所詮は目に見えるだけの上っ面の結果でしかない。

 理解が及ぶ者であるならば。彼らの麻雀が、綱引きや腕相撲のようなものであることを知っている。

 華々しい、派手で絢爛な結果を見せつけてはいるが、水面下で簡素で荒々しい、一切の運の要素を切り捨てた力比べをしている。豪運、天運と呼ばれるような現象を引き起こしてはいるものの、現実はそんなものを必要としてはいない。

 意地(ちから)資質(ちから)、ただ想念(ちから)。必要としているものは、たったそれだけ。

 しかしだからこそ、単純(シンプル)でありながら何よりも深淵(ディープ)であり、観るものを惹きつける魅力を持っている。

 

「クハッ……!」

 

 卓につく全員が満身創痍。体力などとうの昔にすり潰しており、精根尽き果てている。麻雀を打っていること事態が、どうかしている。

 だが、未だに目は爛々と輝き続け、意気軒昂。肉体を精神が超越する、という言葉が安く聞こえてしまうほど、彼らの姿はそれを物語っている。

 どうしようもないほどに、ギリギリの状態。コンマ一秒後には卓に突っ伏してしまう当たり前が、続いている。いつ、己の意思と関係なしに倒れてしまうのかわからない。今を、今を、この瞬間を。全力を費やし続けてようやく対局を続けていられるのだ。

 東一局27本場。全員の点棒は完全に尽きた。リーチを繰り返して身を削った前進を続け、卓に積み上げられた点数は原点の総和だ。

 誰か一人でも、ほんの一点でも点を削ればその時点で敗北する。ここからは、如何にして和了を目指すかより、如何にして相手に手を作らせないかが重要になってくる。

 ──膠着状態を崩し、先に行動に移したのは彼らであった。

 首筋に、噛みつかれたかのような鋭い痛みと窒息感。事実、信一と京太郎にとって、狼に喰い千切られたと錯視した。

 

(配牌五向聴……!)

(ここで勝負を仕掛けてきたか、こいつら……!)

 

 京太郎によって引き上げられ、対抗存在にして根源では繋がった存在である『勇者』、遊楽清治と山科圭吾。ここが勝負所と睨んだ彼らは、一時とはいえ京太郎と信一の支配強度を凌駕し、彼らの手牌を狂わせた。

 和了せずともいい。麻雀は、和了させないことが勝ちに繋がるゲームだ。

 突出した力を持つ信一を封じ、自分らに繋がる京太郎を抑え込み、返す刀で同輩を上回る。

 どんな安手でもいい。最悪、形式聴牌で良い。僅か一点、それさえ上回ればいい。

 文字通り、死に物狂いで勝ち取った支配。欲したのは、ほんの少しの点数。払った代償に対し、あまりにささやかで、重くのしかかる代物。

 ────そう、あまりにも、ささやか過ぎた。

 

「…………フゥー……」

 

 信一は、体内にて乱れる気をなるべく鎮めようと呼吸を整える。京太郎の(ねつ)によって狂わされた上で強力な支配の鬩ぎあいをしていた彼にしてみれば、『勇者』二人の弛み(●●)は隙であり好機だった。

 

「…………!」

 

 そして京太郎も、空っぽの状態から自分の中にあるもの全てを絞り尽くす。自分の中に無いものを捻り出すのはもう慣れている。寿命を削る乾坤一擲を、生命を燃やして生み出した力を、ここで吐き出した。

 

(押し、流され……!?)

(どっから、こんな……!!)

 

 松代の『勇者』二人が染め上げた卓上の支配は、京太郎と信一の二色に割られて塗りつぶされる。

 決して、油断ではなかった。一分の隙も見せてはいなかった。誓ってもいいと、侵されいく支配をなす術なく眺めるしか彼らには出来なかった。

 狂信。狂気。彼らにはあって、『勇者』たちになかったもの。攻め気を、殺気を、自分がどうなってもいいから必ず奴らを討ち果たすという特攻覚悟の有無が、差を分けた。

 理屈ではない。僅かでも、身を退いてしまったら終わり。そういう勝負であるのだ。

 より長く、より多く化物の闘牌を知っているがため、京太郎と信一は攻め気を失わなかった。僅かばかりの、経験値の差が分けた。

 

(嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ!!)

(もうちょっと、もうちょっとなんだよ……!)

 

 荒れ狂う暴風。人を容易くすくい上げて吹き飛ばしてしまう風を一身に受け、『勇者』たちは嫌だと踏みとどまろうとする。

 ここで吹き飛ばされてしまったら、もう二度とここへは戻ってこれない。それがわかっているから、足掻く。

 しかし無慈悲に、風は彼らを戦場から叩き出す。

 松代の『勇者』二人は、もう届かない。目の前が真っ白になり、ただ体が麻雀に必要な動作を勝手に動くだけの装置に成り下がる。

 

「……ぎ、ガァ…………!」

「お、おお……!」

 

 体が、軋む。筋肉が、強張る。血流が、血管を破裂しそうに氾濫する。神経が、焼付きそうになるほどにスパークする。骨が、へし折れそうになる。そう表現するのも生温い激痛が走ろうとも、彼らは止まらない。

 返す刀で、残る一人を討つために。後先考えない、ここで終わってもいいと、全霊を叩き込む。体の負担や異常など、知ったことではない。

 第一打。流局続きのこの闘牌にて、漸くと言っていいほどの、真の開局。

 そして同時に、最終局面である。

 

「……!」

 

 ──剣で自摸(きる)

 

 信一 打:{三}

 

「……!」

 

 京太郎 打:{4}

 

 ──拳で自摸(なぐる)

 ツモり、打牌する度に、渾身の一撃を見舞うイメージを叩きつけ、それはあたかも現実にそうされたかのように痛みが走る。

 真っ向からの斬り合い、殴り合い、蹴り合い、投げ合い、絞め合い、撃ち合い……殺し技の応酬を、何の躊躇いもなくやっている。

 今の彼らは、高い領域で共鳴し合い、精神の波長が似通ってきている。殺意を向ければ同調され、精神を害することが出来るほどに。体力などとうの昔に底をついている。であれば、最も有効な手段は、最後に残った僅かな意思力(こころ)を殺すこと。卓に付くことを、麻雀を打たせている最後の淵を、ここで壊す。勝つには、勝ちたければ、そうしなければならないと、徹底して攻め続けている。

 

「……きょ……タロウ…………!!」

「し……………いちィィ…………!!」

 

 呼吸をしている暇が惜しい。視界に色があるのが鬱陶しい。余計な雑音が煩わしい。危険を訴える痛覚など、今すぐ断ってしまいたい。余計な五感など投げ捨てたい。

 尖らせろ。もっと鋭く、もっと薄く────殺意の刃を尖鋭(するど)くし、奴の喉元へと突き立てろ。

 一歩でも、前へ。もっと速く、前へ。制した者こそが、勝者だ──。

 

 

 

 

 

 ────この対局を見守る者たちは、彼らの姿をどう映ったのか。

 ただの麻雀などでは断じてない。殺意が、気迫が、狂気が、映像越しからも痛いほどに伝わってしまう。それを感じて尚、尋常のものであるなど言える者は誰一人としていない。

 凄惨過ぎる潰し合いであると、血で血を洗う死闘であると、遺るものなど何も無い無為無意味なものではないかと、目を覆う者もいる。

 彼らを知る者らは親友同士ではないのかと、奥底では憎み合っていたのではないかと、勘繰ってしまう。

 

「うっ……!」

 

 女子個人戦が終了し、残る最終戦であるあの一戦の決着を観戦室で待つのみになった彼女たち……清澄と永水女子の部員たちは、その様子を観ていられなかった。

 オカルトに精通する永水の皆と、感受性が高い宮永咲に至っては、吐気を催すほどに。

 血に塗れ、病魔で四肢が腐り落ち、所々の肉が抉れた彼らの姿が、彼女たちには見えている。錯覚(イメージ)と断じるにはあまりにも強烈で、それが実際の彼らの闘っている様なのだと、納得できてしまう。

 

「こんなの……こんなのって……」

 

 認められない。こんな麻雀が、あってはならない。

 殺し合うだけの、傷つけ合うだけの麻雀など、あってはならない。

 

「こんな麻雀を、京ちゃんはしたかったの……?」

 

 これが真に、須賀京太郎が望んでいたものであったのか。それはあまりにも違うだろうと咲は嘆く。

 今までのように、部の練習で楽しそうに打っていた彼の姿は、そこにはない。辛そうな、そこにいるのが精一杯な顔で麻雀をする京太郎など、見たくはなかった。

 滲む涙が、止まらない。もういい、もうやめて。

 

「……!!」

 

 とめどなく、涙が溢れてしまう。見ることが出来ず、締め付けるように痛む胸が、原村和と神代小蒔の二人をどこまでも苦しめる。

 自然と、彼女たちは目を閉じて手を合わせて祈っていた。

 今更、何に祈るのか。神というオカルトを信じられない和にしてみれば都合よく縋っても仕方ないとわかっているのに。神を凌駕する彼らに、神を毛嫌いする彼らに、神が割り込んだとして意味などないことを小蒔は承知しているというのに。

 それでも、祈らずにはいられなかった。

 

「……羨ましいな、全く」

「心底、妬けるわ」

 

 ──治也、命、浬の三人は、目を逸らさず……瞬きも惜しいとじっと見つめ続けている。

 これが、これこそが至上の麻雀であると、疑うことなく信じ切り、それを演じている彼らを羨んだ。

 

「なんですって」

 

 目を赤くした久が、彼女たちが、彼らを睨みつけた。

 こんなものが羨ましいと、言ったのか。正気を疑う以前に、怒りが沸いてくる。

 

「……そうだね、ちょっと女の子には刺激が強いかな。だけどね、俺たちはあんな麻雀を打てることが、心底羨ましいよ」

「そんなこと!」

「そもそもね」

 

 浬は視線を一切動かさず、彼女たちに目をやらずに……この対局には眩いほどの美しさがあることを語った。

 

「全力で殺しにいっても勝てるかどうかもわからない相手なんてね。化物(おれら)にとっちゃ稀少(レア)稀少(レア)なんだよ」

 

 そんな奴は、同類(ダチ)しか知らない。しかも、そうなれるまで真剣になれる機会もまた稀少だ。

 殺しにいけるほど力を出せる相手は、それくらいしかいない。殺しにいけるほどの機会は、それくらいしかない。化物にとって、全力を出す機会は非常に限られている上、その機を逃してしまったらいつまで待てばいいのか見当もつかないのだ。

 

「それにね。遠慮なく殺す気でやれるってことは、相手が絶対に自分の手では死なないっていう絶対の信頼があるってことと同じさ」

 

 ────俺の信仰する親友は、強敵は、こんなものでは倒れはしない。そしてこんなもので倒れてはならない。疑いは、同時にその友情の裏切りに他ならないのだから。

 お互いがそう思い合っている。だからこそ、この対局が成り立っている。

 その信頼にほんの僅かの疑いはあってはならない。疑いは殺意の弛みに繋がり、勝ち負け以上の大切なものを失うこととなる。

 彼らの姿こそ、真の友情の証明だ。自分以上に相手を信頼しているから、自分以上の強敵と認めているから、全力を出せている。こんな美しいものは、他にない。こんな強い信頼関係の結びつきは、他にありえない。

 ────その証拠は、ちゃんと表れている。

 

「目を逸らすな、前を見ろ」

 

 如何に苦しそうでも、辛そうでも。ボロボロの姿に成り果てようとも。未だ、目は死せず。ギラギラと、眩く輝いている。

 そして、あんなにも楽しそうに笑っている。今が歓喜の瞬間であると、幸福なのだと、一片の疑いを持たせぬ面構えだ。

 

「な?あんな顔して麻雀やってたら、羨ましくてたまらん」

 

 泣いているこっちが、悲しんでいるこっちが、心配しているこっちが、馬鹿みたいではないか。

 案じている暇があるのなら、見届ける。流した涙を拭って、決着を待つ。

 彼らは必ず戻ってくる。それを信じることこそが、今時分たちができる信頼の証に他ならない。

 どんな結果になろうとも、暖かく迎えることこそが。自分たちが、安息の場所になるになることが、彼らの頑張りに一番報いることだと信じたのだ。

 

 

 

 

 

 ────決着は、近い。

 牌山はもうすぐ、尽きる。

 佐河信一は既に、満足に動かすことが適うのは、右腕だけになるまで。それほどにまで追い詰められている。

 逆を言えば、右腕と頭部は京太郎の毒より守りきったということだ。麻雀を続行させるに足る部分は庇いきり、最後までやり続けられた証明である。

 

 信一:{一}{二}{三}{3}{3}{3}{東}{⑤}{⑥}{⑦}{東}{北}{北} {発}(ツモ)

 

(聴牌までは、いけたけどよ……!)

 

 己らしくもない、あまりにも普通な手。国士無双はどうしたと、自嘲が混じる。

 最後のツモを経て、これがやっとであった。

 一切の鳴きがなかったため、親である信一の下家が海底牌をツモって、流局。松代の二人はノーテンのため、罰符が支払われハコとなって終局になり、京太郎が聴牌していたとしても上家取りルールによって、起家の信一が一位になる。

 ────となれば、どれだけ気楽な話であったか。

 

(この{発}は…………!)

 

 このタイミングで、引いてしまったこの牌で。最後のツモを経ても京太郎が毛ほども諦めていないことを信一は悟った。

 当然のこと。信一が京太郎の立場であっても、勝負は諦めなかった。

 信一が畏れたのは、その殺意。その気迫。その、身を滅ぼしてでも勝負に勝ちにくる覚悟。それらから来る、底が無い無限の力。この最終盤であっても、きっちり信一を殺しに来ている。

 この{発}が何よりの発露であり────同時に、須賀京太郎が佐河信一を凌駕した証左に他ならない。

 

(この{発}を掴んだ時点で、勝機はなくなったか)

 

 わかる。わかってしまう。この牌から伝わる、深く突き刺さった棘の痛みが。掴んだ瞬間、落としてしまいそうになった。鋭い茨が指を貫き、血を滴るのが、はっきり見えてしまうくらいだった。

 この牌そのものは、京太郎の当たり牌ではない。だが、京太郎はそれを当たり牌にできる。

 雀士としての須賀京太郎に、魂の根底で息づくもの。強敵手として認める彼の中に生きる、その存在を知っていれば────。

 宮永咲という存在が、京太郎にとってどれほどの大きい意味を持っているのかを────。

 

(いいぜ。最後の勝負だ)

 

 最早、{発}を出す以外の選択は存在しない。聴牌を崩すことは完全な敗北である。信一は絶対にそれを許容しない。

 そして京太郎であれば、そこから確実に和了牌を持ってくる。そこに万が一の可能性などありえない。

 須賀京太郎の土俵(さいこう)で、京太郎の最強(さいあい)を超える。それが如何に困難で、無謀なことなのか。信一が理解していないわけがない。

 それでも、だがそれでも。絶対(●●)などこの世にない。万に一つはなくとも、億に一つ、兆に一つ……それが途方もないゼロの彼方であっても、必ず拾い上げてみせる。

 ────そういう『奇跡』を知っているし、化物(おれたち)とはそういうものだから。

 これが最後のせめぎ合い。最終最後、最大最高の激突だ。

 

 信一 打:{発}

 

「──来…………い…………!」

 

 一打。河に出した瞬間に、茨が腕より生えてくる。

 その茨は、筋肉を裂き血管を押しのけ神経を切り刻み骨を貫く……信一の体内よりありったけの養分を吸い取っていた。血液、髄液、臓器、脳髄より、たんぱく質、ブドウ糖、挙句に各種消化液まで、種類を選ばず栄養にしていっている。

 

 

「──カ……ン!」

 

 {発}{発}{発}{横発}

 

 しゃがれた、京太郎の声。喉が渇いて仕方ない。餓えを、渇きを満たすために、もっと──!

 これで信一の責任払いが発生する。ツモれば、その支払いが信一一人に負うこととなる。

 京太郎の手が、嶺上牌へと伸びる。いやにそれがゆっくりに感じたのは、走馬灯のようなものなのだろうか。

 

(取らせる、か!!)

 

 精一杯の念を送り込み、京太郎が望む牌を取らせまいと足掻き抜く。

 その抵抗をわかっていたように、京太郎も徹底して叩きにいく。

 この程度では終わらない。終わらせない。信一も京太郎も、奇しくも同じことを願い、想っていた。

 

「ガァ──ンッ!!」

 

 {裏}{白}{白}{裏}

 

 獣の咆哮に似た、京太郎の叫び。

 終わらないのはわかっている。だから、ここまでする。

 信一を取り巻く茨は彼の全身を覆い尽くす。腕だけでなく、足や胴体、全身のいたるところからも生えて巻き上げる。

 その茨から、瑞々しく美しい白い薔薇が咲き誇った。信一から得た栄養を貪って花開くそれは、白という色でありながら微細な変化に富んでおり彩り豊かに目に映る。

 

(……ま、まだ…………!)

 

 ──終われない。如何に絶望的であろうと、まだ闘える。

 体はもう、一切の力を出せない。指の一本も、動かすことは適わない。

 かすれていく意識。真っ白になった視界の中で、意思の力すらも吸い取られていくことを、感じ取っていた。

 佐河信一は既に死に体だ。この時点でもう、ほぼ無力化されている。

 ────だからこそ、今が恐ろしい。満身創痍の化物ほど、怖いものは存在しない。

 止めを刺す。跡形もなく、消し飛ばす。そのために、全力以上を惜しまない。

 

「…………ガッ…………ン゛…………!」

 

 {裏}{中}{中}{裏}

 

 喉からではなく、魂からにじみ出たかのような声色。持っているモノ、持っていないモノすらかき集めた上で全部を絞りきった男の、全霊を込めた一撃。

 咲き乱れる白薔薇の一部が染料で染め上げたかのように……血を想起させるような、鮮やかな赤へと変色していった。

 茨の深緑()白い薔薇()赤い薔薇()────これら三色が織りなす園は、妖しくも美しい。役満の一つ、大三元を……京太郎は顕現させる。

 信一を覆っていた薔薇は規模を拡大していき、対局室全体へと及んでいき、薔薇園を形成していく。

 実際に、そうなっているわけではない。しかし、京太郎から発せられる気迫や力場は、錯覚(イメージ)であると断ずるにはあまりにも現実的(リアル)過ぎている。事実、京太郎以外の対局者の三人は茨の痛みや花弁の香りが伝わってしまったし、画面越しで見守る全員が、その目にそう映ってしまっていた。

 手を、伸ばす。信一はもう、終わった。かすかな呼吸しか、できていない。

 勝負を決めるための嶺上牌を、その手に掴むため────。

 

 

 

 

 

 ─────茨に覆われた信一の口元が歪んだのを、京太郎はわからなかった。

 

 

 

 

 

 

「……お……れの……」

 

 

 

 

 

 

 京太郎 打:{1}

 

 

 

 

 

 

 京太郎の手より、河へとこぼれて落ちていく嶺上牌。

 途端、椅子からも崩れ落ちて、床へと倒れ伏した。

 

「勝ち、だ……京太郎」

 

 そのまま、海底牌もツモられ、河に出されて場が流れる。

 薔薇園となった対局室は枯れて縮んで消え果てて、瞬きした瞬間にはもう影も残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

「テンパイ」

「「ノー……テン」」

 

 信一の手牌が晒され、松代の二人は伏せる。

 ──そして卓に遺った意思なのか。せめて、京太郎の対局を最後までやり通したいという想いなのか。

 ひとりでに京太郎の手牌が倒れて、その様が露わになった。

 

 京太郎:{9}{9}{9}{1}

 

「…………ああ」

 

 それを見た瞬間、信一はだろうなと特に驚きはしなかった。

 和了できていた。自分を、殺せていた。そんなことは、わかりきっていた。

 信一を射殺す、京太郎の大三元──ここに露と消える。

 罰符が支払われ、信一と京太郎に1500点ずつ入り、『勇者』たちがマイナスとなる。

 同着となるものの、上家ルールにより信一の一位という結果に終わった。

 ──麻雀インターハイ長野県予選、男子個人戦最終戦……ここに、決着。


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