SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

53 / 63
51

「……にしても、あの永水女子と佐河に繋がりがあったとはの」

 

 弁当の卵焼きを口に運びながら、染谷まこは意気消沈している信一をを見て、意外な繋がりがあったことに関心していた。

 昨年度のインターハイ、そして春季大会(スプリング)での永水女子の活躍は記憶に新しい。今年も鹿児島の女子団体戦における大本命であり、出場が決定すればシード権の獲得も濃厚となっている急先鋒の高校である。

 その永水女子の今年度団体戦メンバーが、揃ってこの長野にいる。しかもその目的が……。

 

「まさか、アンタの応援のために来てくれるなんてね」

「口を開くなよタコ……」

 

 悪態を吐く信一も、今はうちのめされて弱々しい。鹿児島からはるばるここまでやってきて、応援に来てくれる。そんな物好きがこの世にいることにも久は驚いたが、彼女たちに優しく接する彼の姿にも大いに驚いた。

 インターハイで大いに暴れた永水のエースの神代小蒔に、『あーん』をされて真っ赤になりながらタコさんウインナーを食べる信一など、誰も見たことがなかっただろう。それを見てこの場にいるほとんどの者は同じように顔を真っ赤にさせていた。

 信一が可愛く見えるようになるなど思わなかった。『怪物』と称された化物である信一も、こんな人間臭い面があるのだと知った。誰だって、違った面が存在するのだと、学習した。

 

「はい、信一様。あーん」

「……なあ、小蒔。自分で食べられるから……」

「あーん」

 

 有無を言わせない小蒔の圧力に、信一は観念して運ばれたきんぴらごぼうを食べる。甘辛い絶妙な味付けと歯ごたえのある食感は美味である。しかも小蒔の手作りであるために味以上に込められた物が、心身に染み渡っている。

 彼女は笑顔なのに、逆らえない。たじたじに圧されて、なすがまま。

 これが惚れた弱みなのか。それとも、彼女も信一と同じように何かが吹っ切れたのか。思考を巡らすも、答えは出ない。

 

(助けて、お前ら)

 

 霞も初美も巴も春も、完全に小蒔の味方であるため頼れない。頼るのは、信頼に置く親友たち。

 視線で彼らにSOSを送るが、誰もが目を逸らす。孤立無援、誰も助け舟は出してはくれない。

 

「治也、苦いもの欲しくないか?」

「ああ、無糖のコーヒーが欲しい気分だ」

「私も。口の中が甘ったるくて仕方ないわ」

「あ、じゃあ俺買ってきますよ」

「おう、頼むわ」

 

 浬から紙幣を受け取った京太郎は立ち上がって、自販機を探しに行く。

 視界外へと京太郎が消えたことを見計らい、命は彼女へと話しかける。

 

「宮永咲さん、ね?」

「は、はいっ。な、なんですか?」

 

 化物の一人、修羅道の殿堂たる東征大の統率者、あの佐河信一と互角に戦える程の()……『修羅』弘世命。

 ……そう、男なのである。見た目がどう見ても物凄く綺麗な大人の女性にしか見えなくとも、男なのである。レディース物のスーツを如何に着こなしても、似合い過ぎていても、男であるという事実が台無しにしている。

 咲の中で、危険人物筆頭が信一であるならば、今一番理解の及ばない変態が、命である。

 

「あ、あの……男の人、なんですよね?」

「?ええ、そうよ」

「何で女物の服を着ているんですか……?」

「……似合ってなかった?」

 

 命は首を傾げて、咲に聞く。違う、そうじゃない。言いたいことはそうじゃない。

 その格好は似合い過ぎている。それこそ、女性スーツの広告モデルに抜擢されるくらいに板についている。

 だから何で、男が女物のスーツ着ているのだ。咲は命にこう言いたいのだ。

 

「お前は変態なのかって、聞いてんだよ命」

「何で?似合うんだから、着てもいいじゃない」

「……ああもういいやそれで」

 

 似合うと思うから着る。命が女物の服を着る理由はそれに尽きる。実際に似合うのだから文句も言えない上、命のファッションセンスもかなり高いから始末におえない。

 咲の疑問を代わりに治也が言っても直りはしない。命の女装癖に言及したおとは一度や二度ではないのだ。両手の指の数を超えたあたりから、諦めが悪く妥協のしない治也が、諦めたのだ。本人の好きにしろと、投げた。

 ずい、と命は咲の顔に近づく。突然のことで、咲は驚く間もなく瞠目した。

 

「……うん、やっぱりお姉さんと良く似ているわ」

「……え」

「宮永照……あなたのお姉さんでしょ」

 

 ──そう言われた瞬間、自分の中にある全部が覗きこまれた気になった。寒気とも痺れとも違う震えが、全身に走った。

 今、目の前にいる弘世命の内面から感じられる情報の一片を、咲は一瞬だけ触れてしまった。

 彼女を押し潰そうとする情報の奔流。ほんの僅かな一片なのにも関わらず、宮永咲という一個人の意思が潰えそうになる。

 かつて、部室で信一と打った時はまるで違う。咲自身が今よりも未熟であったことも要因の一つでもあるが、信一は力を隠して抑えていた。だから咲は何も感じ取ることができなかった。だが命は、同じ化物でも、京太郎と信一とではまるで違う。

 ……化物という人種は、その域に至った者らは。自身の規格外の力を自覚し、拙くとも制御に意識を傾けようとする。信一、治也、京太郎といった手加減を会得した者たちは勿論、器用な加減が出来ない蘇芳すら自身の力を無意味にひけらかそうとはしない。

 ただ一人、弘世命だけは例外で。彼だけは、探りを入れようとする者には、何の抵抗もなく己の闇の中へと招待する。二度と、帰って来れない深淵へと縛り付ける。

 命は、己を知らない。故、知ろうとする者を拒まない。知りたいのは自分も同じで、教えて欲しいのだ。

 ────さあ教えてくれ。お前は私の、俺の、僕の中に何を見た?さあ、さあ、さあ!

 

「命」

 

 一言、彼の名前を呼ぶ声。それで咲は自己を改めて確立することが出来た。

 言ったのは治也で、命のソレを止めた。

 

「……ああ、ごめんね宮永ちゃん。最近は抑えていたんだけど、ついね」

「つい、で一人雀士を壊すんだ。自覚しろよ」

「ごめんなさい。制御にも着手してるんだけど、中々上手くいかなくて」

 

 ブレーキの出来ない暴走列車。疾走して目の前のモノを轢くことしか能の無い『修羅』が、弘世命だ。

 咲は実感する。彼は理性と律心という首輪に繋がれていない獣であると。繋ぐことの出来ない、猛獣なのだ。

 止めることが叶うのは、同格の化物たちのみ。それでさえ、確実に出来るかどうかは怪しいのだ。

 

「東征大で京太郎くんと打った時に、あなたの姿が見えたから。彼があんなに意識している子なんだって、興味を持っちゃって」

「その点については俺も同じく。中々ないぞ、別の誰かの中に息づく程、影響を与えるなんてな」

「ああ」

 

 命も治也も浬も、京太郎と打った経験のある彼らは、いずれも宮永咲を京太郎の内から感じ取っていた。

 須賀京太郎の、麻雀の起源として根底にあるのが彼女である。彼女が京太郎の始まりであり、憧れであり、尊敬する最愛であることを、彼の打つ姿から知ることが出来たのだ。

 嫉妬をするほどに……打倒すると決めた京太郎の中に、彼女の麻雀が息づいていることに妬いてしまうほどに。

 

「お姉ちゃんのこと、知っているんですか?」

「知らない方が少ないわ。私の双子の姉が白糸台の部長をしていてね。個人的な付き合いもあるけど」

 

 咲と命の共通点は、共に姉がいること。そして二人とも、女子最強校の白糸台高校の中核を担っていること。

 弘世姉弟は、女子と男子の最強校を統べる者として全国区の有名人である。容姿も瓜二つであり、部長職に就いているところも共通している。

 ……そして、姉と妹、姉と弟の間に、壁があることも同じであった。

 

「インターハイで優勝を目指すなら、絶対に避けて通れない相手よ。あの子は」

「……はい」

 

 紛れもなく、女子の中で最強は宮永照であり、白糸台である。

 宮永照の実力は、魑魅魍魎集う全国女子の中でも明らかに頭一つ抜きんでている。

 清澄の目指す先にあるものもまた、優勝である。ならば、絶対に乗り越えなければならない相手だ。

 咲自身も、姉に会って話をしたい。そして同じくらいに、全国最強雀士の宮永照に勝ちたい。

 京太郎と打つようになってから。そう、思うようになった。

 

「私からも、いいでしょうか?」

「いいよ、チャンプ。何でも質問してきな」

 

 浬にそう言われると原村和はむず痒く感じる。名声も実力も、彼らと比べてしまえば天地の差にある。オカルトに抵抗を拭えない彼女ではあるが、彼我には隔絶した実力差があることは駄馬でも知っている。そんな彼らに王者(チャンプ)と呼ばれるのは凄まじい違和感が生じている。皮肉にもなっていない。

 彼女が尋ねたいことは二つ。遥か向こう側にいる彼らだからこそ、わかるだろうこと。

 

「……私たちは、優勝出来ますか?」

「……うーん、ちょっとわからないかな。こればっかりは、やってみなきゃわからないものだから」

「チャンプ。麻雀の結果なんてものは、実際に打ってみなければわかるはずもない。当然だろう」

 

 浬は手本のような濁した返答。そして何を当然のことを、と当たり前のことを当たり前のように治也が言う。それを、化物(あなたがた)が言うか……和はそう思わずにはいられなかった。

 運に頼らず、偶然に甘えない。それが出来るから化物と呼ばれるのだろう。認めたくないが、認めたくないが、出来てしまう例がいるのだから認めざるを得ない。

 

「──お前が言うなと、そう言いたいか」

 

 心を、読んだ。和が内心で思ったことを、治也はいとも容易く察した。

 対局中であれば、彼女が集中状態(のどっちモード)に入っていたならば違った結果になったかもしれないが、普段の彼女は熱くなりやすい。その隙を狙われた。

 

「誤解なく言うけど、俺たちは大雑把な予測は出来るけど断定は出来ない。神様じゃないからね」

「神なんて、それほど万能でもない。一秒先のことなど、誰もわかるはずがない」

「『天才(おまえ)』が言うと説得力が無さすぎだな」

 

 機械の神をその身に降ろして使役し、数理と論理を用いて行う高度な予測は、ほぼ未来予知とさえ言っていい。時には不確定の未来を捻じ曲げることすら出来る。そんな神のような業を可能にする男がそう言えば、まるで説得力が生まれない。

 数理の魔術師とも称される程に、全ての現象(アナログ)数字(デジタル)に変えてしまう彼には必定でないモノなど存在しないと思わせる。

 ……しかし能海治也といえども、絶対ではなく。同時に絶対であることを厭う。

 彼でさえ、絶対にそうなると結論付けたモノにさえ覆される事象がある。同類である化物たちが特にそうであり、予想を超え続けていく彼らにいつも驚かされている。そしてそれを、いつまでも観ていたいという欲求がある。

 ────世に、絶対など存在しない。それが唯一、治也が胸を張れる絶対である。

 

「……では」

「ああ、もう一つの方は言わなくていい。そっちが本命だろう」

 

 それ以上はいい、と手で止めた。本当に聞きたいことは、もうわかっていると。

 心を読んだ瞬間から……否、彼女がここで彼らが化物らであると認識した瞬間から、治也は和が二つの問いを持っていたことを見抜いていた。

 

「お前さんが、俺たちのいる場所に来れるか、か。京太郎に、俺と比べられたのが原因か」

 

 京太郎が部に帰ってきて、和と打った時に彼が見せた激情。優しい性格であるはずの彼の明確な怒りは、彼女にとって、とてつもない衝撃を与えたものだった。

 それは和の中で大きな変化をもたらした。漠然と打たず、一打一打に全霊を込める。妥協をせず、切り捨てず、抱えて背負ったまま進んでいく。それがどれだけ難しいかも実感している。

 その極致が、ここにいる。勝利主義者(デジタル)の最たるもの、彼だけが相応しい『天才』の称号を持つ者。

 ──原村和の目指す先にいるものが、能海治也だ。

 彼女は、己の心を機械化することで紛い物ながらも治也に似たものへとなりつつあった。その完成度は、京太郎が憤りを覚える程に迫ったもの。雀士として必須で大事な情熱が欠けていなければ、さらに進化を続けようとする向上心が備わっていれば、彼女は能海治也と同等の『天才』になり得たかもしれない。そして今、彼女はそれを目指している。

 原村和は負けず嫌いだ。相手が化物だろうと何であろうと、麻雀は平等であり、勝者と敗者に二分される。彼女は負けることが我慢ならない性質だ。それがたとえ、京太郎であっても、プロであっても、完全勝利主義者(のうみはるや)であろうとも。そこに妥協は一切無い。

 勝利主義者(デジタル)の最低条件を満たしており、妥協を許さず、成長に伴う痛みに耐えて、進化を続けようとしている。

 未熟さは残るが、彼女が彼らと同列に並ぶ可能性も存在する。それだけの才能を持ち合わせている。

 勝ちたいのだ、須賀京太郎に。勝ちたいのだ、化物(おまえら)に。

 語らずとも、ギンと突き刺す鋭い視線は、盲目の彼であろうとビリビリと感じ取れる。心を読むという不粋なことをせずとも伝わる、本気の眼差しである。

 ──たまらない。和の敵愾心の当たりは、治也にとっては心地よいそよ風と同じである。未だ未熟、しかし彼女がここまで化けたことに多いに驚いている。

 治也の知っていたインターミドルチャンプは、つまらない雀士という印象だった。見ていて不愉快で、ガラクタ以下に成り果てる存在だと思っていた。最期はどこかで勝手に消える。それがほぼ確実に起きる未来であると、治也は予測したほどに。

 それが覆えされた。きっかけこそ須賀京太郎という炸薬の存在があったかもしれないが、変わったのは彼女だ。笑わずにはいられない、楽しくてしょうがない。

 ……これこそが、化物を超える人の可能性である。

 

「俺は京太郎のように甘くないからな。俺に勝ちたいなんて宣うヤツは、例外なくぶっ飛ばしてきた」

 

 サングラスから覗く、盲目の眼光。和の心臓を射殺すつもりで放った威圧は、普通の少年少女ではとても受け止めきれないものだ。

 幾千幾万の修羅場を踏破し、練り上げられた実力に相応な自負と自信を身につけた本物。原村和が持っていないものを彼は持ち、彼女が持っているものを彼は天地の差があるほどの高みに至っている。

 能海治也は、原村和の完全上位互換。似ているがために、かけ離れているのがよくわかってしまう。似ているがために、劣っている自分が許せなくなる。……和は今なら京太郎が憤った心情が理解出来る。自分でも思う、ああなんて腹立たしいのだと。

 

「そうでなければ、困ります」

 

 怒りを、呑み込む。激情に呑まれず、平静さを取り戻す。しかし、頭は冷えても心を熱く、精一杯の情熱を燃やし尽くす。

 途端、治也は和の(なか)を読めなくなった。命や京太郎のように、心を隠す方法ではない。壁に隔てられたかのように、これ以上進めなくなった。

 

「……ハッ」

 

 抗う姿に、感銘を受ける。原村和は、自分らと同じ領域に辿り着く。それがいつであるかはわからないが、彼女から確信より確かな信用を見た。

 未熟が残るが、筋はいい。しかしそれは自然なこと。目が視える自分がコイツなのだからと、治也は笑う。

 自分は、視え(もって)なかったから多くを求めた。手に入れたものを捨てたくなかったから、『天才』と呼ばれるまでになった。

 視力を失っていなければ、自分は原村和になっていた。つまらないガラクタに成り果てていた。

 持ってないから求めている者と、持っていたから捨てていた者。対比として、面白い者同士だ。

 

「京太郎に勝てたら呼べ。最優先で打ってやる」

 

 そう言って治也は、自分の名刺を和に渡した。プロになった時から持つようになった名刺には、所属チームやプライベートの電話番号とアドレスが書かれている。

 仕事用ではない、プライベートの名刺を渡した者は、実はそう多くない。それだけに、入れ込んだということだ。

 

「待て、治也。いいのかよ」

「渡す相手は選んでいる。問題ない」

「いや、そうじゃなくて……お前、彼女いんのに女の子に連絡先教えるとか、口説いてるようにしか見えんぞ」

 

 浬の突っ込みに、女子陣が全員、治也の方へと向いた。

 彼女持ち、誰が?能海治也が。トッププロ選手の彼が……。

 

「いいの、治也?あの子に言っちゃうわよ、愛しの彼が胸の大っきい女の子をナンパしてたって」

「──なっ!?違っ、そうじゃない!」

「違う?何が?」

 

 現役高校生プロ、能海治也に彼女がいる。これは限られた人しか知らない話であり、東征大か所属チームである草薙ウィード・キッズ内でくらいしか出回っていない。

 一部で、きゃーっと黄色い悲鳴が上がる。麻雀漬の日常を送っている彼女たちにしてみれば、信一と小蒔のことに次いで刺激が強い。

 彼も年頃の男。彼女がいても不思議ではない。だが、浮気に取られない行動をしたとなれば、話は別だ。週刊誌に持っていけば、スキャンダル記事に持っていける。

 

「というわけで、治也の彼女宛にいつでもメール送れるんだが」

「待て信一、早まるな」

「何が?別にさっきから弄られてんのに助けてくれないことなんか全然気にしてもないし、今まで散々心を読まれて弄られたことなんか全然関係ないぞ」

 

 久に弄られて恥ずかしがっていたのが嘘のように信一はイキイキとし始めた。基本、彼はサディストであるため、弄る相手がいれば復活する。

 彼らは親友同士だが、色々と積もった話がないわけではない。弄り弄られるなど特にそうで、治也にはその負債が山のように溜まっている。

 非常に希少な、治也を弄る機会。逃すわけがない。

 

「よし、俺も送れる」

「私も準備完了」

 

 そして浬と命も送信の準備が整った。一人だけの証言では信憑性が薄くとも、複数人からの同時送信であれば厚みが増す。ましては一人が信頼の置ける大人だ。

 化物と呼ばれる彼ら四人で、治也に弄られたことのない者はいない。浬と命の二人も便乗し、獲物を捉えた目で彼を見る。

 弄るのなら、まず弱った相手から。麻雀においても共通する勝負事においての、基本戦術である。

 あっという間に、治也は窮地に陥る。あとワンタップでいつでも送信できるこの状況は、三方向から頭に銃口を向けられて引き金が指に掛けられたも同然だった。

 

「頼むから、本当に待ってくれ!確かに不義理に当たることをしたが、下心は一切ない!」

 

 今回は、完全に自分の失態であると治也は認める。連絡先を渡すなら、こっそり渡すべきであった。

 別に連絡されても、彼女は信じはしない。そんなことはわかりきっている。だが、要らない心配はさせて悲しませたくないのもまた事実なのだ。

 滅多にお目にかかれないだろう、治也の取り乱す姿。基本無表情、心が読めるばっかりに他者の機微を知り過ぎて飽いた彼は、口元を歪めることすらあまりなかった。京太郎との邂逅以後は表情の変化も富むようにはなったが、ここまで取り乱すことは今までにない。

 今回も、遠因としては京太郎が関わっている。治也の興味を抱くようになった原村和、その変化を呼び覚ましたのは紛れもなく京太郎である。

 今までの凝り固まった化物らの退屈を砕く炸薬の役割を、彼が思うがままに動く度に果たしている。

 ……新たな化物の覚醒は、彼ら四人の息を吹き返す結果になった。そしてさらには、麻雀競技世界を揺るがしかねない変化も引き起こそうとしている。

 

「じゃあ、それを証明できるものはあるの?」

「しょ、証明だと……!?」

「さあ、早く」

「…………お、俺は、……アイツ一筋だ!!」

 

 治也の褐色の肌が真っ赤になるほどに、恥ずかしがりながらも、思いの丈の籠った愛の宣言を、大声で言い切った。

 女子たちも思わず赤くなるほどに情熱的な告白であった。まさかあの能海治也が、高校生らしくない大人の雰囲気の彼が、まるで校舎裏の告白をする男子小学生のような姿を見せるなど思いもよらないだろう。

 息を切らし、肩で呼吸する治也は、いっぱいいっぱいであった。もう無理、耐えられない。頭が湯だってオーバーヒートを引き起こし、思考回路が働かない。視力以上に視える感覚は常人並に低下し、彼は暗闇の中にいると言っていい。

 

「治也、はい」

「……なんだ、命」

 

 命から持たされたのは、命の携帯。それをそのまま、治也の耳に運んだ。

 携帯は通話中、いつもの治也であったならば通話相手がどこにいるのかを音で特定するも容易な程だが、今は絶不調。半ば混乱したまま、電話を受け取った。

 

「……おい、命。これ、誰……」

 

 

 

 

 

「────あ、あはは……う、ウチも好きですーぅよ」

 

 

 

 

 

 通話相手の声を聴いた瞬間、治也は全てを悟った。処理能力が低下した今でも関係なく、コンマ一秒もかからずにその答えに行き着く。

 メールを送れる準備をしていたのは、信一と浬だけであった。心を読ませない命だけは、メールと偽って通話を繋げ、治也に気付かれずに相手に黙っているように伝えてスピーカーフォンにし、治也の告白を拾って彼女に伝えたのだ。

 意識が信一にのみにいっていてしまい、命の行動に気付くことが出来なかった。いつもの状態であったなら、コール音を聞き分けることくらい簡単だったはずであった。

 ──完璧に、嵌められた。これ以上ない敗北感と同時に、愛しい彼女からの好きという言葉の幸福感が入り混じって、なんとも言い難い気分にさせられた。

 

「……すまないな、いきなりこんなこと」

 

 絞り滓の精神力で立て直し、せめて彼女の前では平静な姿でいる。彼女ならば気付いていても不思議じゃないが、小さくて下らない男の意地が、治也をそうさせた。

 

「ウチも嬉しかったですし、気にせんとえーよぅ」

「ありがとう、愛してる」

「……!も、もう!」

 

 通話を切ると、治也は命に携帯を返す。

 顔を真っ赤にしてぷるぷると震える彼を、周りはニヤニヤとした好奇の目線で焼き尽くす。

 

「『俺は、アイツ一筋だ』」

「『ありがとう、愛してる』」

「────ああ、そうだ!俺の自慢の女でべた惚れてるんだ、文句あるか!?」

「というわけで原村和(チャンプ)。治也には下心とかないから安心していいよ」

 

 声真似して煽りに煽る信一と命に、吠える治也。そしてこの一連の流れを、治也の下心が無いという証明として和に説明する浬。

 男同士の友情というのは、ここまで容赦を知らないものなのかと、彼女たちは一歩引いてしまう。

 

「…………控え目に言って、あなたたちは外道ですね」

 

 ────いやあ、それほどでも。和の毒舌に、治也以外の彼らは照れるように謙遜する。褒め言葉ではないのに、彼ら化物にとっては褒め言葉に聞こえてしまう。

 同類だから、ここまで出来る。ここまでしたから、ここまでし返してくる。ある意味、それが楽しみで仕方ないのかもしれない。

 何よりも……踏み込んではいけない領域は、誰もが弁えているし知っている。それさえ守られていれば、大抵のことは許してしまえるのだ。

 治也は、他者の奥深くまで踏み込んでしまうように、彼自身の懐も深い。だから、大丈夫である。

 

「……ただ今戻りましたっと。……どうしたんですか?」

 

 そこへ、買ってきた缶コーヒーを抱えてきた京太郎が帰ってきた。

 信一の次は、治也が弄られているこの状況を、事情はわからずとも受け入れる。彼らは麻雀を打っていない時は大体こんな調子であることは京太郎も知っている。

 買ってきたコーヒーを頼んだ彼らに配り、お釣りを浬に渡そうとするが、とっとけと押し返される。

 

「……そういや、京太郎。お前、白糸台のあの子とその後どうよ」

「淡ですか?そりゃ……!?」

 

 信一からの話題に、京太郎はその意図を察した。ああ、今はそういう流れなのかと。

 感づいてからの京太郎の反応は早く、標的が変わったことを知って全感覚を回復させて復活した治也の読心より先んじて、自らの心を隠すことに成功した。

 読めなかった治也が首を横に振ると、信一が舌打ちをする。本当に油断ならないと、京太郎は肝を冷やす。……あの日の……東征大二日目の朝食時の続きをされたら堪らない。ここには清澄の皆がいるのだから。

 

「危ないな。俺はともかく、清澄(みんな)にはしないで下さいよ、治也先輩?」

「そこは弁えている。わかってしまう表面上はともかく、心の深くには入り込まないさ」

 

 それが、京太郎の入り込んではいけない一線(●●)だということくらい、治也とてわかっている。

 そこは信一も命も浬も同じで……だからこそ、京太郎が帰ってくるまでに、そういう話を振らなかった。

 

「ならば、直接伺おうか」

「へ?」

京太郎(コイツ)のコト、異性として好きなヤツいる?」

「じょっ!?」

「っ!?」

「ふぇ!?」

 

 京太郎を指差して、清澄の面々に聞く治也。そういうことを聞くことに抵抗のない上に、自分だけがやられっぱなしなのが癪なのか、質問に躊躇いがなかった。

 ……質問をされた清澄の面々の反応は、様々であった。

 一人は、彼らと同じように反応を面白がって楽しみにしている者。京太郎本人には感謝してはいるが、そういう感情を持つには至らない。

 一人は、そんな者が同じ部の中にいるのかと考え込む者。頼りになる仲間と認識しているが、やはり恋愛感情には程遠い。

 ──そして、残る三人が同じような反応であった。共通して、一瞬京太郎から目を逸らした。意識してか無意識かは別にして、そう聞かれて京太郎の顔を見れなくなったのは間違いない。

 

「そんなん、いるわけないじゃないですか」

「じゃあ、聞くが京太郎。彼女持ちの俺と信一、羨ましいか?」

 

 今度は信一の方へと指を向けられて視線が誘導されると、開き直ったのか小蒔の肩を抱いていかにもラブラブな雰囲気を出している野郎がいた。超が付くほど可愛い、しかも巨乳で許嫁。ギリリと悔しくて歯軋りが鳴ってしまい、流せるものなら血涙も溢れかねないくらい、悔しさを感じてしまう。

 そして治也も、どんな人かは知らないがこのアクの強い男が『自慢の女』と胸を張る彼女がいる。能海治也の彼女が務まる人など想像がつかない。一体どうやってそんな聖人を捕まえたというのだと、自分の差を様々と感じ取ってしまう。

 

「羨ましいどころか妬ましいです」

「ハハ、嫉妬の視線が心地良い」

 

 嫉妬どころか殺気すらも少し混じっている京太郎の視線をよそに。治也はその絞り込まれた三人の反応の変化をしっかりと読み取っていた。心を読まなくともわかる、表面上のリアクション。心を直に読むのではなく、表れる反応から推測するのは、京太郎から禁止されてはいない。故に、アリである。

 一人は、自分の抱いている感情の正体が未だ掴めていない者。未だ萌芽の段階といったところだ。

 一人は、自分の感情の判別がついているが、本当にそうなのかと疑いを持ったままの者。ここまでくれば勝手に花開く、蕾の段階だ。

 一人は、はっきりと自覚の心を持ち、ほとんどの時間を彼のことを考えていることに割いている者。完全に開花して、咲き乱れている状態だ。

 いずれも、時間の経過と共にハッキリとした想いを彼に伝えるだろう。最後の一人に関しては、そう遠くない未来に訪れるはずだ。

 

「いいですもん、どーせ。俺は三枚目だって自覚あるし。先輩たちみたいにカッコいい二枚目になれないし」

 

 ……そして勝手にいじけている、鈍感男(おんなのてき)

 

「…………あー、何だ。蘇芳みたいになるなよ。刺されるから」

「俺はあの鬼畜と違って彼女欲しいですよ!」

 

 モテていることを自覚しながら彼女いらないとかいうふざけた男子高校生とは自分は違うと、声高に主張する。

 吠える京太郎のかたわらで、治也は読心の結果を他の三人へとさりげないしぐさで報告し、彼らも了解していた。

 何だかんだ言いながら、しっかりコイツはモテている。いや、当然のことかと思っていた。

 化物たちは、どういうわけか共通して踏み込んではならない一線を、自分自身ではなく他者へと引く。そしてそれを、麻雀にかける思いと同等かそれ以上に、大切に想っている。

 信一における小蒔や六女仙たち然り、治也における彼女しかり、浬における妹しかり。天秤に載せることを決して許さない、自らの命以上の大切な宝だ。

 ……大切に想われている者たちは、その強い想いに気付かぬことはそうそうなく。自然と、近しい関係になっていくのだ。

 

「……じゃあ前聞きそびれていましたけど、命先輩は──」

「いると思う?この顔で」

「彼女っていうよりむしろ彼氏だゲホォッ!?」

「ごめんなさい」

 

 顔面に裏拳をくらって悶絶する浬と同じになりたくないために、京太郎は即座に謝る。

 思えば、命は自分以上に女性と付き合っている光景が想像しにくい人である。その美貌で男共から慕われようとも、女から男扱いされないに違いない。むしろお姉さまと慕われるのが目に見える。さらには、大抵のことが出来てしまいそうな雰囲気が滲みでているために、恋愛関係といった非常に近しい関係にはなり難い、近寄りがたさを作ってしまっている。

 ……とはいえ、好きでこんな女装(かっこう)になっているのだから、自業自得の感は拭えない。ただでさえ女顔を自覚した上でその服装を改めないのならば、今の所はモテたくないという意思なのだろう。

 ──ならば最後、大人の男である浬の事情を聞かなければ不公平だ。

 あの甘いマスクでモテないわけがないし、社会人としての経験はきっと独自の恋愛観を持っているに違いないと期待してのことだ。

 

「白水プロは……」

「やめろ」

「……え?」

「浬は、やめとけ。マジで」

「私も忠告する。浬先輩はやめておいた方がいい」

 

 急に彼らは、真顔で落ち着いた口調で、京太郎のこれ以上の詮索を止めた。

 これが浬の引いた一線ではないのは、京太郎は直感でわかっている。

 

「えーっと……ひー、ふー、みー……」

「その指折ってる数は何なんです?」

 

 虚空を向いて思案しながら、浬が数えているその指の数は一体何であるのかと京太郎は気になる。その数は十を超えて、閉じた両手を再び開いているほどだ。

 時たま、『ジュリア』『アレク』といった女性の名前を呟くのを聞いて、高校生女子たちは察し、浬から一歩距離を置いた。ああコイツ、とんでもない野郎だったのかと。

 

「コイツ、何でヨーロッパリーグからたった一年で日本に帰ってきたと思う?」

「まあつまり、そういう理由も多分にあるんだ」

「……?」

 

 未だ理解が追いつかないのは京太郎のみ。しかし、それでいいのだと、周りは彼を生暖かく見守った。

 その視線が妙に気持ちが悪く、京太郎はただ一人、混乱のまま居心地の悪さを味わった。

 

 

 

 

 

 ──昼は過ぎていき、また熱き闘牌が繰り広げられる。

 勝ち上がって喜ぶ者、負けて落ちて涙する者。戦いの結果は、この二通りの結末しか生まない。

 勝ちに震えて喜ぶ者は、泣きたくないために次も勝とうとする。次の勝利のために、次の次の勝利のために……。

 

「ツモ、嶺上開花」

「ロン、国士無双」

 

 ────インターハイ長野県予選男子個人戦。

 須賀京太郎、佐河信一……両名とも大会二日目に進出決定──。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。