SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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 麻雀インターハイ、長野県予選個人戦。その、一日目。

 開催会場には先週行われた団体戦よりはるか多くの高校生雀士が、全国進出の夢を胸に抱いて集ってきていた。

 学校ごとに五名という制限がある団体戦とは違い、個人戦はその区切りはない。長野県下の高校生であれば麻雀部が存在しない学校の生徒でも、団体戦でレギュラー落ちした生徒でも出場可能だ。誰もが参加資格を持ち、挑むことが出来る。

 ……麻雀という競技の本質、頂点に立つはたった一人である。真の最強雀士は、個人戦で誕生する。

 この会場にいる高校生雀士は誰もが見てみたいのだ。誰もが知りたいのだ。誰もがなってみたいのだ。この長野県下で、誰が一番強いのか。それを決めるために皆ここへと集まった。

 

「男子個人の代表は、松代の遊楽、小呂、山科で確定だろ。後は茶番だ」

 

 そしてここにも、彼らの戦いに関わる者が一人。

 始まる前から勝負は決まっていると言ってはばからない中肉中背のスーツ姿の男は、火の付いていないタバコを咥えながらそう吐き捨てた。

 

「いや、それは流石に言い過ぎではないですかね西間プロ」

「いいや、事実だ。あの三人は団体戦で暴れまくっている結果が示している。名門松代が産んだ三羽烏だよ。格が、違う」

 

 本日の長野県男子個人戦の実況アナウンサーはそれは言い過ぎではないのかと言うが、相方の解説を担当する西間耕介プロは意に介していない。

 会場の舞台裏。関係者以外立ち入り禁止の待合室で、最後の事前の打ち合わせを行っていた。

 長野における男子の名門、松代実業高校。麻雀においては全国でも通用する力を持っている高校で、今年の県予選団体で優勝した、全国出場校である。

 その三羽烏と呼ばれる選手たち……先鋒キャプテンの遊楽、中堅の小呂、大将の山科は紛れもなく全国区で、突出した力を持ち、プロの目から見ても、良い素養を持っていることを感じさせた。運の要素の強い麻雀においても安定して勝つことが出来る力を持ち、この個人戦でも……そして、全国でも活躍が期待されている。

 ……しかしそれは、ある例外を除く、と前置きをしてからの話になるのだ。

 

「ユースか東征大に入ってないのが惜しいんだがな。粗いとこ直せば普通にプロになれたはずの逸材だ」

「西間プロ、それは……」

「わかってるよ、本番じゃ言わん」

 

 西間耕介は、プロチーム佐久フェレッターズ所属のプロ雀士である。未だプロ三年目の若輩であり、最前線には割り込むことは出来てはいないが、いずれは食い込むつもりでいるという野望を持っている。

 ……そして、東征大付属震洋高校のOBである。彼は幼い頃から麻雀プロを目指し、インターミドルで活躍して東征大に招かれ、インターハイで優勝し、ドラフトに選ばれるといった、お手本のようなエリートコースを歩んできた。

 現在の男子プロは、東征大出身者とユース出身者の、チームの垣根を超えた派閥争いが問題になっている。

 東征大出身者が男子プロの四割を占めるというデータの証明は、他の麻雀部が存在する高校やプロ傘下のユースチームの存在意義を疑う結果となっている。さらに、タイトルを獲得する殆どの選手が東征大出身者である事実は、他の高校出身者とユース出身者の肩身を狭くしている。

 日本麻雀連盟は東征大の青田買い染みたスカウティングを制限しようと勧告したが、内部干渉であると逆に批判。『我々は選択肢を一つ差し上げているだけであり、決めるのは本人である』と主張し、跳ね除けている。

 それ以来、東征大と麻雀連の問題はそれで決着はついたのだが、それが選手たちの間に波及し、東征大出身プロとそれ以外のプロとの溝を深める結果となっていた。

 静岡、全国(インターハイ)以外の場では東征大の名前はほぼ禁句。それが公的な場での暗黙の了解となっている。

 

「全国には、東征大がいる。さらに個人じゃ、男神だ。アレらは無理、生きてる次元が違う。勝ちたきゃ能海を連れてこなきゃ話にならん」

「西間プロ」

「すまん、ちょっと愚痴になるが黙って聞いてくれないか。今の高校男子麻雀は異常だ」

 

 愚痴を吐き出さなければやってられない。プロが歯が立たない高校生、など可愛い問題ではない。麻雀は運の競技だ。高校生がプロに勝つ事例は、幾つか存在している。

 東征大を出た身が言うのも何であるがと自嘲するが、東征大を出たからこそ今のプロと高校麻雀が酷く歪んでいるのが良くわかってしまう。

 西間耕介も高校時代、東征大で団体優勝を果たし、個人戦でも好成績を残した。十年以上インターハイで表彰台を独占してきた東征大であり、今の代の東征大もこれまでと同じように全国優勝は確実視出来る。それは今も昔も変わらない、そのはずであるというのに。

 

「異常、とは?」

「違うんだよ、俺がいた頃と、今とはまるで。俺の時は、確かに高校最強は東征大で、優勝という結果を残した。だが、あの時こそ俺らが勝ちはしたが、もしもう何度かやったら優勝は出来なかった。最強だの何だの持ち上げられはしているが、東征大とその他の高校は、それほど力の差はなかったんだよ」

 

 最強ではあった。だが、それでも追い付き追い越せる可能性はゼロではなかった。麻雀という運が関わる競技の性質故に、誰でも勝てる可能性はあったのだ。

 ……しかし、今の東征大に、それはあり得ない。

 

「それが、麻雀ではないのですか」

「そうじゃない麻雀があるのさ。そしてそれは、絶対に勝てない」

 

 百戦やって、必ず百戦勝つ。運や偶然に甘えることの許さない、化物どもの──。

 

「所詮は、全て茶番だ」

 

 誰が勝つのがわからないのが、麻雀。それを否定した麻雀は、果たして麻雀か。そう疑ってしまうことこそが、弱者の泣き言なのか。

 茶番と言ったのは、この予選だけではない。インターハイそのものが茶番であり、この長野予選は東征大と男神にやられる相手を選抜するだけに過ぎない。

 この異常を、運営をする立場の者たちは何も理解していない。……いや、理解はしているかもしれない。だが認めるわけにはいかないのだ。それは紛れもなく、麻雀という競技が、屈したことの証明なのだ。

 

「……あん?」

 

 対局室ごとに振り分けられた選手の名簿に、西間はあり得ない名前を見た気がした。

 名前を見ただけで、寒気が走り。名前を聞いただけで、全身が震える。理性だけでなく、本能に刻まれた恐怖感覚。

 それが今、反射的に起きた。背中に氷が伝ったような冷たさ。自らの認識に関係なく、体に習性付けられた現象が。

 

「……ふざけろ」

 

 本能の次に、頭が認識してしまった。裸で氷点下の野外に放り出されたかのような、極寒の寒気が襲う。

 聞いてない。いや、ユースを辞めたとは聞いていたが、理由は知らなかった。肌に合わなかったとか、馴染まなかったとか、勝手に予想を立てていた。

 だが、このために辞めたのか。同類と戦える、公的な場所として。

 

「……ふざけろ、『怪物』が」

「西間プロ?」

「ああもうクソ、今すぐ帰りたい。茶番どころか、虐殺だ。グロ画像(スプラッタ)嫌いなんだよ俺」

 

 インターハイで起きる虐殺が、ここで起きてしまう。あの化物が暴れてしまえば、多くの雀士が心を折れる結果となるだろう。

 自分に力が無いのが恨めしい。無力であることが、情けない。

 そして、アレが高校生らしく振舞っているのが何よりも腹立たしい。

 今日ここは、『怪物』の鏖殺場(キリングフィールド)と化す。それがもう、決定事項となってしまった。

 

 

 

 

 

「じゃ、須賀くん。頑張ってね」

「ええ。一番、獲ってきます」

 

 男子と女子で会場が別れ、清澄の麻雀部はここで別行動を取る。

 個人戦は、チームワークの戦いではない。個人の実力だけが頼りの、生存競争(サバイバル)である。

 ここに、仲間はいない。頼れるものは、己のみ。他は全て敵で、全て自分が蹴落とすのみ。ここは正真正銘、長野で一番強い高校生を決める場所である。

 強くなろうと誓い合った同じ学校の仲間だろうと、鎬を削った因縁のある相手であろうと。この場限りは、己の野心を隠さないでいられる。

 ──俺こそが最強だ。共通するのは、この想い。渦巻き逆巻く荒波のような潮流がこの会場に巻き起こっているのを、京太郎は幻視していた。

 

(やっべ、超居心地良い……)

 

 京太郎に緊張は無い。むしろ、この空気が心地良過ぎて表情筋が弛緩しっぱなしである。

 こんなに気持ちが緩んでいて大丈夫なのかと自分自身を心配するほどであったが、即座に集中状態に入れるくらいにコンディションは良好である。

 

「調子は良さそうだね、須賀くん」

 

 声をかけられ、後ろを向く。

 そこには、後ろ髪を手作りのビーズ紐で束ねた、サングラスの若者が。ノンニコチンの電子タバコを指で挟んで持ち、姿こそカジュアルなスラックスとワイシャツの格好と以前と違ってはいるが、京太郎はこの人を知っていた。

 

「白う……!」

「しっ。今んとこ珍しく顔バレしてねえから、勘弁な」

「……す、すみません」

 

 白水浬プロが、この長野にいる。男子プロの最強の一人に数えられる彼がここにいると知れ渡れば、会場が騒然となるのは予想しやすい。

 そもそも、変装用として用いている大きいサングラスのせいで、正体はバレていなくともかなり目立っている。学生、あるいは部の顧問ばかりが集まっているこの場所で、そのどちらでもないであろう浬は悪目立ちしていた。

 

「でも、何でここに」

 

 多忙を極めるトッププロの彼は、仕事は山ほどあるはずである。試合はなくとも、ビジュアルが良い彼の場合は色々なところから引っ張りダコのはずであるのに。

 

「後輩の応援に来ちゃダメか?」

 

 男も見惚れる笑みを浮かべて、そう言った。浬にとって、出身の学校こそ違えど京太郎も信一も可愛い後輩であり、今後が楽しみな有望な雀士である。

 そう言われてしまえば、京太郎は何も言えない。嬉しくて照れてしまうばかりである。

 

「まあ、応援半分、期待半分ってところかな」

「期待、ですか」

「君に、だよ。須賀くん。この大会で、君が何を起こすのかを俺達は知りたい」

「そんな。俺がやることなんて、楽しんで打つくらいで」

「それでいい。出場するのが信一だけなら何が起きるかなんて予想しやすい。けど、須賀くんが出るなら何が起きても不思議じゃない。鶏が先か卵が先かの理屈じゃないけど、君ほどの資質持ちが出れば、きっと何かが起きるし、目にわからなくとも何が起きてるか判る奴がこの会場にいる。もっとも、俺達がここにいるのは君のせいなのだろうけどね」

「俺、たち?じゃあ……」

「ああ」

 

 浬が期待している、浬達(●●)はここに起きる何かを期待して、ここへと集まっている。

 なら、集まるというのなら当然……京太郎は彼らしか思い浮かばない。

 

「治也と命もここに来ている。二人とも信一のとこにいるんじゃないかな」

 

 

 

 

 

 

「……スマン、助かった。ようやく落ち着いた」

 

 息絶え絶えに、制服がぐっしょりとなるくらいに全身に汗を浮かばせて、佐河信一は仰向けになって倒れていた。

 会場外の駐車場の一角に結界を張った、常人では踏み入ることが出来ない場となった所で。結界の四方に巫女たちを置いて維持に集中し、中央に巫女の姫と信一、そして彼の親友達がいた。

 

「……馬鹿か。打つ前に死ぬ気か信一」

「そうね。今回はそうとしか言いようが無いわ」

 

 彼らも息を荒げて、疲労を隠せないでいた。

 百戦錬磨の天才(スペシャリスト)万能(ゼネラリスト)の化物二人……能海治也と弘世命をここまで疲弊させた原因、それは同じ化物が発生源でなければあり得ない事象であった。

 信一の、精神病の域にまで悪化させてしまった疼きは、最悪なことに全戦力の解放に至る寸前にまで彼を蝕んでいた。

 長野に来た六女仙の彼女たちと合流し、この会場に来るまではなんとか耐えることが出来ていたが、会場に渦巻く闘争心の空気が引き金となってしまい、均衡を律していた精神が歪み、全戦力の解放の危機に陥ってしまった。

 

「……あー、死ぬかと思った」

 

 信一にとっても、久方ぶりに死の危機感を色濃く感じ取った。全戦力の発露の前に、治也と命と出逢わなければ冗談抜きで死んでいた。

 天才型に属する信一の全戦力は、彼を異界の法則をこの現実に流れ出す器へと変貌させるもの。謂わば、既存の世界を崩壊させ、別世界に変える代物である。

 そしてその基点となる信一は法則を流すだけの装置と成り果て、災厄を撒き散らすモノと化す。彼自身の意思は擦り切れ消え去り、肉だけが残る。死ぬことと何も変わらない。

 結界こそ張ってはいたが、それは焼石に水のようなものであり、意味はほとんどなかった。被害が日本だけに及べば超が付くほどの御の字、そうでなければ世界の大陸面積の半分以上が海に沈んでも不思議ではなかった。

 治也と命は、それを食い止めた。ここに来たのが分野こそ違えど同じ天才型の治也であったことも幸いした。系統こそ異なっていても、齎そうとする結果は共通する事が多く存在する。さらに、サポートには命が入っている。天才型ではないとはいえ、全戦力に入りっぱなしの暴走状態を素のままに維持し、さらにはその制御にまで着手している彼のエネルギーの内包量は、信一の全戦力に歯止めをかける程である。

 東征大に属する化物二人が手を組めば、世界の一つくらいは救える。現に今、救ったのだ。

 

「で、どうよ。世界を救った感想は」

「随分と世界というものは、安いものだということはわかったわ」

「同感」

 

 世界を滅ぼしかけた者と、救った者たちが軽口を叩きあう。

 親友に比べれば、世界など安い。彼らにとってはわかりきった事実であり、わざわざ確認するまでもないことであった。

 

「……信一様」

「様はやめろって」

 

 呼吸を整えた信一が起き上がり、傍らの巫女の姫……神代小蒔と、いつもの掛け合いをする。

 彼女の声色は震えており、瞼に一杯の涙を溜めて、今にも決壊しそうである。

 苦しんでいた彼の手を握り、誰よりも近くに居て、彼以上に心を悲しませて苦しんでいたのは他でもない彼女だ。

 死にたくなるくらい、己が許せない。今この手に刃物の類があったなら何の躊躇いもなく首を掻っ切っていただろう。

 そんな、そんな辛そうな顔を小蒔にさせてしまった。そうなった原因である自分が、何かを言う資格は無く。謝罪すらも、許されない。

 ただ一つだけ信一に出来たのは。小蒔を自分の胸の内に抱きかかえることくらいであった。

 佐河信一は、変わらずここに在る。それを心臓の鼓動で、体温の熱で、汗のにおいで、神代小蒔に伝えるしか能がなかった。

 

「この……おバカ!」

 

 頭に、ゴツンと響く痛みと音。子供の頃、何度も何度も拳骨が落とされた時と、変わらない感じ。

 信一の姉貴分である狩宿巴が、ボロボロと大粒の雫を目から溢れ出して憤っていた。

 この痛みが、彼女から伝わる怒りが、懐かしい心地よさとなって信一を包みこんだ。幼い頃、神と喧嘩しては怪我だらけになり、その度に彼女を心配させては拳骨を落とされるということを何度も繰り返していた時の記憶が、信一の脳裏に蘇った。

 

「……!!」

「ホントバカ!バカなんですかー!!大っきくなったのは図体ばっかりじゃないですかー!!」

 

 背には滝見春と薄墨初美が、ポカポカと信一の背中を力なく泣きじゃくりながら叩いていた。

 信一にとっての、愛すべき妹分たち。初美こそ年上だが、扱いはそう変わらなかった。春も、霧島にいた時は実の妹なように可愛がっていた。

 

「本当……良かった……!無事で、良かった……!」

 

 そして、石戸霞は小蒔を抱きしめる信一を、その上から二人を包みこむように抱きしめた。

 彼の頬を叩く雫は、彼自身のものではなく、彼女の頬から伝って落ちたものであった。

 

(……ああ)

 

 涙が、熱い。温もりが、心地よい。怒られて、心配させて、悲しませているのに、この上なく嬉しいと想ってしまう。この上なく、自分は幸せ者であると、誇りたくなる。

 今この時ばかりは、神境の遊び場で遊んでいた幼い頃に回帰していた。神もなく、立場もなく、悪意もなく……隔てるものなど何もなかった、あの頃に。あったのは、自分の何よりも愛おしい宝物たち。

 この世はおろか、ありとあらゆる三千世界を含めても、他の森羅万象に釣り合うことはあり得ない。彼女たちを、秤に載せることすら烏滸がましい。

 ……その最愛たちを、あろうことか俺は────。

 

「──────!!」

 

 堰を切ったかのように、信一は泣いた。滂沱の如く涙を流し、声にならない叫びを上げた。

 今まで、自分が死ぬことなど何も怖くなかった。死を恐れぬからこそ、何度も何度も無謀や無茶をし続けた。神をねじ伏せ、悪霊を調伏し、筋者を相手に圧倒し、さらには己を限界にまで追いつめることを幾度となく繰り返した。

 その才気、その意思、その魂、その全てを兼ね備えた彼はまさに『怪物』と呼ぶに違わない。たとえる存在が、引き合いに出せるものが何もない。形容のしようのない化物、故に『怪物』だ。

 ……その『怪物』が、ただの少年に戻った。そこに、化物と称される彼はいなく、見る影もない。

 最愛の彼女(たからもの)たちに囲まれ、自身の弱さを曝け出し、受け入れられている、三千世界で一等賞の幸せ者がそこにいる。

 佐河信一は、初めて知った。自身の死による恐怖を、初めて思い知った。

 信一自身の才能が、力が、意思が、自身の死による恐怖というものを受け入れるのを拒み続けた。研磨し続けた彼の力の全ては、全てを打ち滅ぼす剣であると共に、何物も拒絶する鎧であった。純粋な、力の結晶のような存在。故、剛い(もろい)。だから、自身の死の恐怖を受け入れるわけにはいかなかった。受け入れてしまえば、今まで築き上げてきた佐河信一が崩れてしまうからだ。

 時代に眷顧された才能を捨て、築き上げてきた力を擲ち、神を凌駕する鍛え抜かれた意思力を剥ぎ取り……脆弱な、ありのままの彼の姿が、全戦力解放という未曽有の生命の危機によってやっと浮彫になった。

 大声で泣き叫んで嗚咽する信一の姿は、彼女たちですら知らなかった。大怪我しようが、毒を盛られようが、涙の一つも浮かばない彼しか知らなかった。しかし、そんな姿の彼を黙って受け入れた。

 共に泣き、共に笑える。そんな大切(たから)が、傍にいる。そんな居場所(たから)が、彼にはある。

 

「……私たちは、お邪魔かな」

「かもな。俺も、羨ましくも感じるよ。あんな幸せそうにしていたらな」

 

 二人は彼らから距離を置き、微笑ましく羨ましく見守っていた。

 命も治也も、彼女らに抱かれて咽び泣く信一の姿を、心底羨ましいと感じていた。

 情けないなどとは、一片たりとも思わない。思いのまま、縋り付いて泣ける相手というものが、彼らには居ない。そうするには、余りにも二人とも巨大になり過ぎた。

 弱さを曝け出せるというのは、その時点で強さであり、恵まれた者の証明である。

 あのように泣くことが出来るほど……命も治也も強くはない。

 

「……何か、怖くなってきた」

「何がだ」

「だって、信一をああしたのって京太郎くんでしょ。先週からああなったってことは、京太郎くんは打ってない。間接的に当てられてああなったのよ。直接、彼の対局を見たらどうなるか……」

「確かに、どうなるか俺も計算出来ないな。俺も、全戦力の解放に至ってしまうかもしれん」

「……アンタはシャレにならないから帰ったら?」

「巫山戯ろ。その時は頼む」

 

 彼らはここで打つわけではない。しかし、彼らは特級の化物どもである。力が強いということは、それだけ力に振り回されかねないということになる。

 そして、同等の化物、資質の『魔王』である須賀京太郎は、彼ら化物に対する劇薬(アンチカード)なのかもしれない。ある程度の力……領域を超えない者たちであれば、彼が傍にいるだけで強くなっていく良薬になるだろう。だが、溢れ出る資質の奔流は、化物の力を狂わせ暴発し、自滅に誘う。京太郎自身に自覚はなくとも、そういう理屈が成り立ってしまう可能性すらある。

 最強の増強剤(ドーピング)。強力過ぎて、自身の内から悪性腫瘍(ガン)すら生みかねない程の……。

 

(だからといって……)

(退けるわけがない)

 

 知るか、そんなもの。彼らは麻雀に命を懸けた、麻雀狂い共だ。

 もっと狂えるというのなら、もっと狂わせて欲しい。そう願うほどの狂人たちである。

 狂ったために、不世出の『天才』は己の才を麻雀に注ぎ込んだ。狂ったために、麻雀に己の全てを捧げて『修羅』となった。

 今更、後に退きたくないのだ。前進することしか、考えたくない。

 

「……ありがとう、みんな」

 

 ……信一の、これまで我慢し続けた涙は全て流し終えた。

 目は充血し、泣き腫らし、お世辞にもいい男とは言えない顔であったが、憑き物が取れたような晴れやかな表情を浮かべていた。

 彼だけでなく、周りの彼女たちも……思う存分泣いて叫んで、すっきりとした顔をしていた。

 体の中の、ありとあらゆる毒や膿が抜き出て、そこから空いた穴に風が通ったかのように、全身が心地よい清涼感に包まれている。

 ……ああ、自分の体とはこんなにも軽いものであったか。今まで、体中に鉛が入っていたのではないかと錯覚するほどに、全身が軽くてしょうがない。

 

「……もう、大丈夫?」

「ああ、迷惑をかけた」

「そんなことないわ。抱きしめる胸くらい、いつだって貸してあげるわ…………小蒔ちゃんが」

「ふぇ?」

「お前じゃねえのかよ、霞」

「むー!」

「いてーよ、小蒔。つねんなって」

 

 微笑ましく、見ていて飽きそうにないじゃれ合い。かつての姿の、そして本来の姿である、彼らの絆の形である。

 結界は解かれ、一陣の風が彼らを撫でた。

 体中が空白だらけで、今の信一は全身に風穴が空いたようなものである。空を切る度に、風を切る度に、音を響かせているように聴こえる程だ。

 ──ああ、身も心も軽い。この風に乗って、どこにでも行けそうな感覚だ。

 

「憂いは消えた。俺を縛るものは、何も無い」

 

 これは、決して独力で叶うことのなかったものであった。それを思い知っているから、信一は彼らに感謝を忘れない。

 どういった形で、報恩するべきか。その方法を、信一は一つしか思い浮かばなかった。

 

「信一、これ」

「こいつは……」

 

 巴から手渡されたのは、鹿児島で過ごしていた頃に修行(ケンカ)用として纏っていた、紺色の道着。サイズは今の身長に仕立て直されており、違和感なく合うだろう。

 今着ている制服は、汗や涙でぐしょぐしょになっており、人前に出られる格好ではなかった。

 ありがたい。何から何まで、世話になりっぱなしである。

 

「それじゃあ、楽しんでくる」

 

 手渡された道着を信一は放り投げると、次の瞬間には彼の体に纏っていた。泣き腫らした顔も汗だらけの体もスッキリとしたものとなっており、一瞬の内に身を清めたようであった。

 相変わらず理屈も原理も仕組みもわからない、不思議だらけのオカルトの塊。命も治也もわからない現象を、簡単にやってのける。

 しかし、彼ら二人は……目に映る佐河信一という存在が、まるで違うもののように見えていた。

 ──というより、正常に認識しているかどうかすら、定かではなかった。

 

「……ねえ、治也。今の信一、視える?」

「……もう一度言うぞ、巫山戯ろ。誰に言っている」

 

 盲目の『天才』である能海治也に向かって、視えるか、など。愚問に等しい。

 目の見えない彼の視界とは、残る四感全てを総動員させて脳内で処理し、目に見えないモノすら見通す視覚以上の性能を発揮する代物である。事、感知と認識に限れば当世において能海治也に並ぶ者も超える者も存在しない。

 素で、心の内を視てしまう男だ。最低でも京太郎並の閉心術を会得しなければ、他人の心の内にあるもの全てを裸にすることくらい造作もない。

 眼鏡を必要としない平均的な視力の持ち主であれば普通に映る距離に居る信一を視て認識するなど、呼吸よりも容易なことだ。

 

「視える訳ないだろ」

 

 返ってきた答えは、治也本人ですら信じたくないものであり、声を震わせたものであった。。

 信一からする音が聴こえない。信一からする臭いがしない。信一からする風の流れが感じられない。ただ居るのだと判らせてしまう強烈な存在感だけが、治也にとっての信一の存在証明となっている。

 治也だけでなく、命も肉眼での視認が出来ずにいる。確かに、居る。それは目でも鼻でも耳でもわからないのにも関わらず、ただわかる。判らされている(●●●●●●●)

 つまり、存在を誤魔化すことが可能となる。完全なステルスの完成……否、それ以上である。

 居ないのに、居る。無いのに、有る。その矛盾の両立は、命と治也が追い求めて研究し続けたオカルトの存在証明に他ならない。命は人の心というテーマから、治也は数と論理というテーマから、アプローチをしてきたのだ。観測認識感知が出来ない存在を、在るのだと納得させる術理。そういった魔法(オカルト)が、この世にあるのだと白日の下に晒すために。

 佐河信一は。全戦力の解放の淵に立ったことによって、文字通りに自らの体で体現させてしまった。理論もなく、理屈も必要とせず、ただ自らの才覚だけで導き出した。

 その意味は……ゼロの肯定であり、否定。彼はどこにでも居て、どこにも居ない。オカルトの塊と呼ばれる程の男が、オカルトそのものになった瞬間である。

 

「ありがとよ、治也、命。お陰で、ずっと欲しかったものが取り戻せた」

 

 ふと気が付けば、彼ら二人の背後に信一が立っていた。今度は治也はしっかりと認識が出来て、命も目で見ることが出来た。調整が利き、使いこなしつつある。相も変わらない天賦の才ぶりに、辟易さえしていた。『天才』と呼ばれている己が、阿呆のように治也は思えた。

 彼らが共通するのは、重くのしかかる敗北感。対局する以前に、それを感じさせた。今、打とうとすれば絶対に信一に勝てない。同格とされる化物の彼らがだ。

 ……この時点で、佐河信一の内にある最大の望みは果たされた。新たに得た力や、死の淵を超えたことなどどうでも良かった。

 自分の大切な宝たちと、よりを戻せた。それが果たされれば、『怪物』佐河信一に抑えられるモノなどありはしない。

 歓びが、そのまま力になる。この感謝を、京太郎にぶつけたい。そんな純粋な想いで占められた彼の心の内は、計り知れない程に強い。

 覚醒を果たした信一は、現時点の完成形。コンディション、モチベーション共に最好調だ。

 巫女たちを引き連れ、会場へと向かっていく。

 

「……アイツと京太郎、どっちが勝つと思う?」

「ゴメン……賭けにならないわ」

「ご愁傷様と言っておこうか、命。全国で、アレに勝つつもりでいれるか?」

「大丈夫よ。今勝てなくても……本番で勝つわ。まだ、焦る時じゃない」

 

 ……それでも、悔しい。命も治也も、置き去りにされた敗者の苦痛を味合わされていた。

 だからこそ、ここで得られるものを得てから帰る。手ぶらで絶対に帰れないと、思い知らされた。

 ──自分が、最後に笑うために。

 

 

 

 

 

「よろしく、お願いします」

 

 初めての公式戦。対局室に入ってもまだ不思議と落ち着いており、緊張もなく、調子も良い。

 いつもの調子を崩さなければ、負けることはない。自分自身の麻雀、自分がしたい麻雀を貫いて、最後に笑えることが出来たら、自分の勝ちだ。

 

「……!」

 

 ここではない、どこかで。自分を何万倍にも強くした波濤を、そして化物たちの中で最も知っている気配を、京太郎は感じ取った。

 滾っている。静かだが、闘志を熱く燃やしているのが、わかる。

 ──楽しいんだ、わくわくするんだ、わかる、わかる、わかっている。俺も同じ気持ちだ、理解できる。だから、楽しもうぜ、一緒に。みんなで。

 席について、呼吸を整える。頭が冷えて、体が熱くなる。

 思い描くは、最強の自分。そしてそれを、追い抜いては最強を突き詰める。限界を決めつけるな。完成するな。満足をするな。餓えと渇望を繰り返し、無限に進化を追い続けろ──!

 

 

 

 

 

 インターハイ長野県予選、男子個人戦。

 その火蓋が、切って落とされた──。




一 周 年 !
あーんど、京ちゃんハッピーバースデー!

……一年やって、やっと個人戦かぁ……。
明らかに、長く書きすぎたなぁw

新しいSUSANOWO日和の短編でも書こうかなと思いましたが、想像以上に時間が取れなくて。
うわーん、就活のばかやろー。

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