SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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 麻雀インターハイ長野県予選、激闘が繰り広げられた女子団体戦決勝の翌日の月曜日。

 接戦の末、全国への切符を手にしたのは清澄高校。それを証明した、優勝トロフィーと額縁に嵌められた表彰状が部室の棚の上に飾られている。

 日を跨がった今でも、あの戦いの熱と痺れが鮮明に思い出せる。それは戦った選手たちだけでなく、見守ってきた京太郎も同じだった。

 ……次は、個人戦。彼にとっての、本番である。

 男子部員がたった一人しかいない清澄の、一度のみの機会である。

 個人戦こそが、麻雀の真価であるという声も大きい。団体戦ルールこそ浸透して久しいが、麻雀は個人競技である。団体戦は学校対抗の側面が強くなり、選手個人の実力性がどうしても薄くなってしまう欠点がある。勝ち残るたった一人こそが真の頂点、真の最強である。また、インターハイチャンピオン宮永照や、昨年度団体戦控えであった臨海女子の辻垣戸智葉、インターミドル優勝の原村和など、選手の注目度が最も集まるのも、個人戦と言ってもいだろう。

 己の腕っ節のみで、どこまで勝ち上がることが出来るのか。高校最強、それを夢見て高校生雀士は頂点を目指す。

 

「はい、注目」

 

 久の呼びかけに、部員全員が彼女に視線を向ける。

 団体戦明けの、最初の練習。週末には個人戦も控えているため、まだまだ終わりではない。団体で全国の切符を手にしても、個人で遠慮する必要は欠片もないのだから。

 部員たちもまた、気合い十分。昨日からの切り替えも完了している。

 

「じゃあ、連絡事項を。須賀くん」

「……?はい」

 

 いきなり呼ばれ、見に覚えのない京太郎は少し首を傾げた。

 一体何を言われるのだろう、と。

 

「短い間だけど、練習をあなた中心にシフトさせるわ」

「……はい?」

「須賀くんが部の練習に参加するなら、優先して卓を使わせる。そう言ってるのよ」

 

 ────というより須賀くんは固定ね、という久の言葉。

 麻雀部に唯一ある、全自動麻雀卓。清澄の部員六名は、女子五人がローテーション、京太郎が時たま入るという練習内容であった。

 雑用などは専ら京太郎の仕事であり、それに彼も不満はなかった。

 

「え、ちょ、ちょっと待って下さい。何で?いつも通りじゃ……」

「いつも通りじゃダメなのよ。私たちの心境的にも、実力的にも」

 

 そしてそれに、京太郎以外が何も異議を唱えていない。それはもう、彼以外に話が届いているという証拠であった。

 いつも通りの練習ではいけない。その理由を久は続けた。

 

「まず一つ。須賀くんに甘え続けているこの状態は、流石に何とかしなきゃいけないってこと」

「いや、別に構いませんって。俺が好きでやってるんですし」

「あなたが良くても私たちが辛いのよ。部の最強に、雑用をやらせてるなんて甘えもいいところよ」

 

 その雑用を率先してやる全国最強校の部長兼監督の顔がチラついた。そして彼らは知らぬ話だが、名門風越女子の部長もまた、同じような質である。

 正直な話、罪悪感が一杯であった。京太郎の、あの化物どもに勝ちたいという想いを知っている。彼らを知っていてなお、勝つ気でいることの難しさを、相対したことのある彼女たちは理解している。なのにも関わらず、京太郎の優しさに甘えていた。

 京太郎の近くにいたから、その資質(あい)の熱を強く感じ取れた。打ちたいと、戦いたいと、口にせずとも伝わる波濤は彼女たちの心に打ち続けている。それを無視し続けられるほど、非情になりきることなど出来ない。

 ……だが、京太郎は麻雀に関して非情で厳しい。彼が化物たちに勝ちたいと思うのと同じくらいに彼女たちにも勝ち上がって欲しいのだ。それが伝わっているから、彼女たちも辛い。

 その温情のような理由で、納得出来る材料になるわけがない。……それも、彼女たちは折り込み済みである。

 

「二つ目。あのままじゃ、到底全国で勝ち抜けないということ」

 

 これが、京太郎を納得させるに足る理由だ。これには、彼女たちも深く痛感していた。

 昨日の団体戦決勝、随所であの京太郎が脅威と思わせる選手と対局した。化物級が唸らせる、実力者たち。結果として優勝することは叶ったが、ほんの少しでもボタンが掛け違っていたら別の結果になっていた。

 県予選でコレだ。全国に集う者たちが、それ以下のわけがない。

 京太郎は東征大にて集まった全国トップレベルの高校と、清澄を比べたこともある。白糸台、姫松、千里山女子……全国で五指に入る彼女たちと卓を囲んだと想定して、対局させた時……圧倒的に、清澄がラスになる可能性が高いと予見した。

 技量、完成度は言うに及ばず。全国という舞台における慣れが、絶対的な差を生んでいる。

 そして、自身の資質のこともある。卵が先か鶏が先か、理屈は説明のしようがないが──行くところ、関わるところに麻雀が関わると、強い雀士が結びついてくる。清澄の麻雀部然り、彼ら化物たち然り、裏レートで出会った黒ずくめ然り、東征大然り、先日の団体戦決勝然り……前例を挙げればキリがない。東京、全国という舞台。もしかしたら、女子に化物級の選手が出てくるかもしれない。その可能性すら、危惧出来る。

 清澄高校の目標は、最初から全国出場ではない。全国優勝、それのみである。それ以外に眼中になく。自分たちこそが、全国高校女子の頂点に立つことに相応しいと、本気で竹井久は思っている。

 

「もう一度言うわ。この清澄の最強はあなたよ、須賀くん」

 

 それは、雀士竹井久のプライドを擲った宣言だ。個人の誇りより、チームの勝利を優先させた。その決意は、京太郎を確かに響かせた。

 実力の向上は急務である。そして、幸運にも起爆剤となる切り札(京太郎)がいる。リスクは大きいが、返ってくるリターンはとてつもない効果を生み出す。積極的に使わない理由はあるはずもなく。きちんと、彼女らしく打算も含んでいる。

 それを言われたら何も言い返せない。口で部長に勝てるわけがないと、京太郎は降参(ホールドアップ)した。

 

「あと、三つ目」

「まだあるんですか」

「言っておくけど、こっちの方が私たちには深刻かも。最悪全国に行く前にリタイアもあり得るわ」

 

 ある意味で、最悪。麻雀を打つ、打ち続けるという場合において、考えられる限りでの最悪の未来を提示する。

 

「もし、まかり間違って須賀くんが予選に落ちたら、アレの矛先が私たちに向かうわ。確実に」

 

 ──久の言うアレというのは、佐河信一(かいぶつ)である。

 もし、京太郎が全国に行くことが叶わなかったら。静岡以外なら、どこの予選を突破出来ると太鼓判を押された彼が、敗北してしまったら。佐河信一はその原因を探るだろう。そして真っ先に、彼の麻雀部での扱いに行き当たる。

 そうなってしまえば、信一は清澄高校麻雀部をこの世界から抹消させ、彼女たち全員を麻雀を打たせなくさせるくらい壊す。それくらいのことを、平気でする。冷徹に、非情に、躊躇いなくやってのける。

 

「し、信一先輩はそんなことしませんって」

「するわ。間違いなく」

 

 する、と断言する久と。しない、と信一を信じる京太郎。

 水掛け論になるだけの、主張の違いだ。確かなのは、共に佐河信一という男をそれぞれの視点で正しいことを言っている。

 悪逆無道を邁進する、血も涙もない鬼人。不壊の友情を誓う、情に厚い親友。どちらも正しく、どちらも間違いで、どちらにでもなれる。彼はただ、二面性のある男に過ぎない。

 友か、敵か。それだけである。それが彼にとっての総てである。

 

「……まぁ、それは置いておくわ。とにかく、私たちは」

 

 彼女たちが彼に伝えたいことは、たった一つ。それだけだ。

 これは我が侭であり、期待であり、希望であり、そして彼女たちの夢である。

 

「────部員全員が全国の舞台に立って、みんなが表彰台の一番上に乗る」

 

 大それた、だけれども実現は可能と信じている夢。

 清澄の皆が一番強いのだと、叫ぶために。

 ──私たちが信じた最強(きょうたろう)が、一番であると誇りたいがために。

 

「ね、須賀くん」

「目標はデカく、じゃ」

「負けたら承知しないじぇ」

「行けるところまで行きましょう」

「一緒に勝とう、京ちゃん」

 

 ────ああ、俺は幸せ者だ。

 そう信じることに、そう思うことに何の疑いはない。

 部の仲間が、チームメイトが、先輩が、同級生が、女の子たちが。須賀京太郎こそが最強であると信じ、それを証明してくれと応援してくれている。

 体の、胸の奥底から湧き出てくるこの熱いもの。じわりじわりと、全身へとまわり巡って全身が沸き立つ。

 力が漲って、仕方ない。もう誰にも、負ける感じがまるでしない。

 東征大だろうと、『怪物』だろうと、『修羅』だろうと『奇跡』だろうと、『天才』だろうと。戦えば、必ず勝てる。そんな自信と力が、沸き立って仕方ないのだ。

 

(まったく、俺は世界一の幸せもんだ)

 

 彼女たちのエールに、応えたい。彼女たちの信じた最強であると、報いたい。彼女たちに、格好いいところを見せたい。

 男なんて、そんな単純な生き物で。こんな小さいことで、力が滾る。

 ……小さな、些細なことだが。京太郎は、この熱と想いに誓う。

 

「最強、獲りに行きますよ」

 

 頂点への、宣誓。自分が最強であることを、望んでくれる人がいる。

 勝機は薄い。あの化物たちを相手に、今の未熟が過ぎる自分では勝てるとはとても思ってはいない。足りないモノが多すぎる現状と現実を京太郎は素直に受け入れている。

 ──それでいい。それが、良い。

 彼ら(ばけもの)が恐れたのは、京太郎の持つ資質と成長速度。彼らもまた伸び代の塊ではあるが、京太郎のソレは度が過ぎたもの。何にもなれ、何になるのか予測がつかない可能性の豊富さこそが、京太郎の武器である。

 未完成であることこそが、発展途上であることこそが勝機そのものだ。

 

 

 

 

 

「ツモ」

 

 手牌を、晒して倒す。しかし、牌が倒れて鳴る音は別の音によって塗りつぶされる。

 和了者以外の三人が、同時に倒れる鈍い音。椅子から崩れ落ちて、床に倒れ込んだ。

 

 {一}{九}{①}{⑨}{1}{9}{東}{南}{西}{北}{白}{発}{中} {1}

 

「16000の8本場は、16800オール。八連荘は無かったな?」

 

 長野県下の、どこかの雀荘。タバコの臭いと紫煙が揺らぐ、暗幕で夜の街灯の光すら入らない、薄明るい電球の光を頼りに彼らは麻雀を打っていた。

 ……特徴的なのは、客層だった。どう見ても堅気とは見えない、厳つい強面の男たちが卓の周りを囲み、打ち手であった三人もまたその同類だ。世間的には、社会の爪弾き者たち……客観的に見ても、彼ら自身もそれを自覚している。

 その中で、さらに異質な存在が一人。スーツや派手なシャツを着る者たちの中にただ一人、作務衣を着て顔には狐のお面を被る、赤髪の長髪の男。

 百点棒が八本重なった上で国士無双十三面を和了した狐面の彼は、1000点以下にまで持ち点が減っていた他家三人を跡形も無く飛ばした。文句の付けようのない、圧倒的な勝利だ。

 

「……佐河の兄さん。今日はもう……」

「まだ三半荘やった程度だ。夜が明けるまで打つぞ」

 

 この場で一番高齢で、雰囲気のある男は狐面の彼に──信一にへりくだって、もう無理だと言ったが、彼はその意見を切って捨てた。

 今の佐河信一は、牌を少しでも長く握っていたい。週末に迫る個人戦までに、突き詰められるものは僅かでも埋めておきたい。

 対戦相手にこだわらなかった。実力のあるなしはどうでも良かった。ある程度強い相手と打って成長するという段階は、信一はとっくの昔に越えている。打って成長出来る相手など、同格の化物以外にあり得ない。

 今、自分が集められる面子で、長く打てる相手で良かった。長野でのコネクションで手っ取り早かったのが、彼らのような人種であった。

 体力がある、数もいる。それだけが取り柄だ。それで良かった。それが理由だ。

 

「俺だけはノーレートでいいんだ。代わりに一点でも削れたら1000点10000円(デカデカピン)でその場即金で払うってのに」

 

 この勝負、信一が勝っても何も得るものはない。いくら点を稼ごうとも、何度トップを獲ろうとも、獲得できる利益はゼロ。場所代も彼が持っており、支出は掛かるばかりだ。むしろマイナスである。

 しかし、彼らがもし信一から点を取ればその場で金を払う。点数の優劣に関わらず、終局後の勝敗に関わらず、即金で彼らに金を払う。そういう内容で彼らを招いたのだ。

 筋者たちには美味すぎる程の好条件。まるで稼ぐだけ稼げるボーナスゲーム。釣り針が大きすぎるくらい大きすぎて最初こそ疑ったが、主催者が佐河信一である。アレは、やると決めたらマジでやる。そういう信用が、彼にある。

 ……だが、彼らは気付くべきであった。そんな美味い話などありはしない。必ず大きなリスクが存在する。

 あの佐河信一(かいぶつ)は、それほどまでに……戦う相手に困窮していたのだと。

 

「……兄さん、頼みます。これ以上、訳のわからん麻雀に付きあいたくない」

「ただ普通に打ってただけじゃないか。どこが訳わからん?」

「打ったヤツが倒れる麻雀なんざ、普通じゃねえって言ってんだ!」

 

 今日、ここで打った半荘三回。終局した直後に、信一以外の三人が倒れる事態が三度続いた。屈強な大の男が計九人が対局後に倒れたのだ。明らかに、普通ではないし偶然では済まされない。

 倒れた九人は全員、顔面蒼白になって衰弱し、気を失っている。まるで、生命力を抜かれた(●●●●●●●●)かのように、生きているという気配がまるで彼らから感じられなかった。

 麻雀を打って、倒れる。漫画やアニメではあるまいし、そんな現象は普通あり得ない。

 だが、同卓しているのは普通という言葉を嘲笑い、常識を踏み潰す『怪物』である。自分たちの知っている当たり前が、通用する相手ではない。

 

「大丈夫大丈夫、ちょっと寝ればすぐ回復する。タフだもん、お前ら」

「……!」

 

 我慢の限界を超えた筋者の一人が、信一の後頭部へ向けて拳を振り上げる。いくら金と力を持っているとはいえ、高校生の子供を相手にここまで虚仮にされて黙ってなどいられない。

 骨と肉がぶつかる、鈍い音。信一は牌が積み重なった卓に頭を突っ込む羽目になり、牌も卓外へといくつか落ちて行った。

 すぐに起き上がって殴られた部分を擦るが、痛いとはまるで思っていない。表情を苦痛に歪んだ様子はまるでなかった。

 

「い、痛ぇぇえええええええええええええ!!?」

 

 野太い悲鳴を上げたのは、信一を殴った男の方であった。

 殴ったその腕は、人間の関節ではありえない方向に捻じ曲がっていた。素人目でもわかる複雑骨折、タコのように、グニャグニャに頼りなくプラプラと垂れ下がっている。

 

「……いきなり殴るから、加減が利かなかったじゃないか」

「ひっ!」

「麻雀打つための手なんだ。大切にしろっ!」

 

 折れた手を信一は掴み、思いっきり引っ張った。

 伸ばされた男の手は、先ほどの頼りなさが嘘のように、(ほね)が通って真っ直ぐ固定できるようになっている。

 普通に腕は動き、痛みも嘘のように消えている。自分の骨が折れていたことなど、幻のようであったのではないかと疑いが生じてしまうくらいに。

 

「俺を殴れるヤー公なんざいなくなったと思ったが。度胸と根性もある。いいな、お前。座れよ」

 

 自分を殴った男を信一は気に入った。近頃、喧嘩らしい喧嘩などしたことがない。佐河信一と知って真っ向から喧嘩を仕掛けてくる者など、今では蘇芳くらいしかいない。

 その心の頑丈さに期待する。麻雀の力量など期待していない。どこまで、佐河信一という超常存在にどこまで耐えることが出来るのか。信一が興味を抱くのはその一点でしかない。

 意味がわからない、訳が分からない、不条理な現実を許容できない。混乱の連続で、頭が追いついていけない。

 男は、まともな状態ではなかった。殴ったのも反射的で、頭が真っ白になって気が付いたら腕が折れていていた。

 そもそもが、佐河信一という存在そのものが。彼らに精神的圧迫を感じさせる原因になっている。信一の発する雰囲気が、在り方が、現象が。じわりじわりと彼らの正気を奪っていき、狂気に誘っていったのだ。

 そして最たる不幸であったのが。その男が、僅かでも霊的な才能を自覚せずに持っていたこと。それが信一のプレッシャーを知らず知らず軽減し、反射的に殴ってしまうという余力を見せてしまった。結果、信一に気に入られるという不運に見舞われる。

 精神が拒絶反応を起こす。多大なストレスの負荷が心を押し潰し、さらには肉体にも影響を与える。

 結果、男は口から泡を吹いて昏倒する。精神の危篤(エラー)に、肉体が強制的に活動を停止(シャットダウン)させたのだ。

 

「……あーあ」

 

 浮かべていた期待の熱が、一瞬にして冷める。こんなもの、なのかと。

 チラリと、流し目で次の相手を選別する。少しでも、微力でも、意思が強い者と打ちたい。信一の欲求は、それだけだ。

 だが、視線が向けられた瞬間から彼らはバタバタと昏倒し、倒れていく。触れず、喋らず、ただ目線が動き、視界に入れただけで、プツリと意識の糸を刈り取っていった。

 …………そして最後には、雀荘の中で意識を持つ者は信一のみとなっていた。あるのは麻雀卓と、牌と、そして意識のない倒れ積み重なった死屍累々の男ども。

 この状況を作り出した信一は、大きなため息を吐き出した。

 

「ちょっとでも打てば楽になるかなとは思ったが、全然だな」

 

 大会後、信一はある意味病に苛まれていた。病気といっても、風邪といったものではない。ある種の精神病である。

 麻雀が、打ちたくてたまらないのだ。京太郎と打てると考え、待つだけで我慢がきかない。自身を蝕む疼きが一向に治まらない。気持ちが昂り過ぎているのだ。

 雀士が安定した実力を引き出すには、心も安定していなければならない。特に、化物と呼ばれる者らにとっては尚更のことである。

 事実、今の信一は手加減が出来ないでいた。気の昂りが威圧を生み、ただ打つだけで、睨んだだけで相手を昏倒させてしまう。これでは麻雀を打つのはおろか、日常生活を送るのにも難儀する。

 

「……なんつー置き土産をしてくれんだ、京太郎め」

 

 なにもかも、京太郎が悪い。そう断じることに異存はない。

 打ちたいのに打てない。打ったらこうなる。打っても治らない。麻薬と変わらないくらい、凶悪である。

 

「仕方ない、ネト麻で我慢するか」

 

 ネット麻雀は、あまり打った気がしない。そのため信一はあまり好まないが、こうも言っていられない。少しでも麻雀に触れていなければ、喉元をかきむしりたくなるくらい今は苦しいのだ。

 信一は、足元に置いたスポーツバックを開け、その中に入ったものを雀卓の上へとぶち上げる。

 ボトボトと落ちていくのは、札束。一つや二つではなく、ざっと数えても十束以上はある。

 

「悪いな、迷惑料代わりだ」

 

 倒れ伏す彼らに軽く詫びた後、信一は雀荘を後にする。

 ──もう、待ちきれない。一秒が永遠に感じる時間を重ねながら、佐河信一は苦痛と歓喜を同居した笑みを湛えた。

 

 

 

 

 

「今日は打ったなーっと」

 

 日が暮れた夜道の下校の道中、座りっぱなしで凝った体を京太郎は背を伸ばして矯正させる。パキポキと鳴る音が、妙に心地よい。

 久々に、かなり打った。東征大の合同練習の時には及ばないが、清澄の部室で打った練習量としては今日はダントツだ。

 京太郎固定の卓に、女子がローテーションして打ち続ける。この練習方式を個人戦まで続ける方針でいる。明日もまた、この練習量なのは違いない。

 全国進出を果たした彼女たちを相手に、京太郎は先日の試合で観戦しながら吸収したものを存分に試した。力は彼女たちに合わせながらも、多彩な能力や戦術を組み合わせ、自分に合致するスタイルを模索し続けた。

 取った牌譜を見れば、同一人物であるのかが疑わしいくらいに京太郎の打ち筋は千変万化し、彼女たちを翻弄し続けた。

 経験値の会得という課題を、着々とこなしつつある。京太郎自身自覚こそないものの、確実に能力に依らない地の力をつけていた。

 隣には宮永咲と原村和、片岡優希の一年生組が一緒に歩いている。夜道を女子だけで歩かせるわけにはいかないと、久が言って聞かせたのだ。

 

「しかし、本気を出させることが出来ないのが不甲斐ないです」

「いやいや、俺は本気(マジ)だったって。手を抜いてたらお前らと戦えないよ」

「鳴きまくって私の手番を飛ばしたヤツが言うセリフがそれかこの」

「昨日みたいに手の付けられないくらい勢いに乗れば鳴かれねえって。まだまだ精進が足りないってことだ」

「なんだとー」

 

 優希とじゃれあいながら、夜道を歩く。帰路が別れるまで、皆と喋りながら。

 不意に、ポケットの中の携帯が鳴る。メールの短い着信音ではなく、通話用の贔屓にしている歌手のボーカルの着信音であった。

 着信画面を見れば……電話帳に記録されてある番号と、京太郎が知っている名前が表示されていた。

 一つ彼女たちに断りを入れてから、京太郎は電話に出た。

 

「──もしもし、どうしたよ淡」

「やっほ、キョータロー。聞いたよー、女子の団体戦で勝ったって!」

 

 通話の相手は、白糸台の大星淡だった。

 彼女とは東征大の合同練習で別れる際に連絡先を受け取り、それから度々メールや電話をしあってたりしていた。麻雀に関することや全く関係ないこと、自分のことや自分の周りのこと、学校のことなど色んなことを話し合っている上、お互いSNSのアカウントでフォローし合っている仲になっている。

 まだ、長野の女子の団体戦で清澄が勝ったことを淡には言ってはいなかったが、彼女の方から話を振られるとは思わなかった。今日にでもメールで報告しようと思っていたことだが、

 

「……なんだ、知ってたのか」

「京太郎を追っかけてんだもん、マークすんのは当然じゃん!その周りにいる奴らなんかに負けたくないし、負けるわけがないし。前座だよ、前座!」

「そっちが本分だろ大将殿。言っとくが、清澄は強いぞ」

「へへーんだ!京太郎と戦うまで、負けるわけにはいかないもんね!テルーにだって、負けないもん!」

「楽しみにしてる。東京(そっち)に出向いてやるから、負けても前みたいに泣くなよ」

「な、泣くわけないじゃん!こっちだって、百回泣かしてやるんだから!」

 

 ──じゃあな、と通話を切る。電話の向こうの、天真爛漫という言葉がよく似合う彼女の顔を思い浮かべて、ほっと心が和む。

 全力で向かって来てくれる相手(ライバル)がいる。それが堪らなく嬉しく、思わず顔がにやけてしまう。

 ……だが、じっと自分を見る視線を感じる。それも三つ。

 言うまでもなくそれは、咲と和と優希の三人のものである。

 

「……おい、犬。誰だ今の」

「女の子の声……でしたね。聞こえてましたよ」

「京ちゃん、どこで引っ掛けてきたの?」

 

 声のトーンが、いつもより低い。そして、どことなく雰囲気が怖い。

 あれ、俺なんかやったっけ?そう考える京太郎に、彼女たちの思いに行き着けるほど察しは良くなく。

 

「アレか。東征大に行った時か。油断ならないエロ犬だなオイ」

「全国に行くことに応援していたのもそういった意味で、というわけでしたか」

「むー……」

 

 冷めた、向けられるだけで凍えそうな視線を浴びて、たじろぐ京太郎。

 須賀京太郎は男子である。思春期真っ盛り、可愛い女の子大好き、おっぱい大好きな男の子である。それは彼女たちだって、わかっている。

 理解しても、感情が納得いかない。京太郎はあくまで、清澄の、私たちの最強なのだから。

 誰とも知らない通話相手の、彼を目指す気持ちもわかる。むしろ、その目は確かであると評価するし、中々出来る者だと感じさせる。

 ……それでも、京太郎には自分たちだけを見て欲しいのだ。ワガママだが、どうしようもない想いである。

 ──断じて、楽しそうに笑う彼を見て羨ましいと思ったのではない。

 

「絶対、ぜーったい、全力(ほんき)の京ちゃんに勝つんだから!!」

 

 咲の宣言は、彼女たち全員の思いの代弁であった。

 必ず、勝つ。彼女たちは雀士。麻雀は一着(トップ)を目指す競技であり、雀士とは、常にそれを目指す者たちである。

 清澄の皆は、京太郎を最強と信じ、信頼している。それとは別に、京太郎を追い越さんと研鑽を続けている。誰もが圧倒的な実力差を諦めず、自分が一番になりたいと思っている。 

 須賀京太郎という、好敵手(なかま)はそれほどまでに魅力的で勝ちたい雀士なのだ。打てば打つ程に、自分が屈するという思考を奪う。何度だって、戦いたい、挑み続けたいと奮えるのだ。

 

「ハハッ……!」

 

 どいつもこいつも。闘志を燃やす目で、そんなことを言われたら。幸せ過ぎて狂ってしまいそうになる。

 こんなにも幸せでいいのかと、疑ってしまうくらいに。

 こんなにも嬉しい気持ちでいいのかと、躊躇ってしまうくらいに。

 ……しかし無理だ。抑えられない。思わず口に出して、伝えたくなってしまう。

 

「俺は幸せ者だよ、これ以上ないくらいに」

 

 自分が幸せであることを誇り、自分を幸せにしてくれた彼女たちに感謝を贈り、これからも自分が幸せであることを貫き続ける。そう思うことに迷いはない。

 幸福には、責務がある。それを心で実感した瞬間であった。


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