SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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「どうだった、須賀くん?宮永さんの様子は」

「大丈夫です。アイツ、意外と結構図太いところがあるんで」

 

 清澄の控室に戻った京太郎は、備え付けのソファに座り、全身を伸ばした後に脱力して背もたれに寄りかかった。

 リラックス状態になり、対局室を映すテレビすら見ずに目を閉じ、ほとんど寝るばっかりの態勢になっている。

 

「……すいません。ちょっと意識を落とします」

「あら、疲れたの?というより、意識を落とす?」

「ええ、まあ。寝るというより当て嵌まると思うので」

 

 今のままでも、咲の勝利はほぼ見えたも同然。それを完全なものにするべく、最後の仕上げにかかる。

 咲が、彼女たちが……全力で、思いっ切り麻雀を打てるようにする舞台を、整えるためにあっちへ行く(●●●●●●)

 咲と天江衣が本気で打ち合えば、必ず何らかの支障が発生する。魔物と称されるに相応しい実力を持つ二人が衝突すれば、比喩抜きで物理的な現象が起きる。化物の類である彼らならばそういう現象を起こさない加減は心得ているが、魔物である彼女たちはその方法を知らず、知識もなく、経験もない。そうなれば対局が中断、最悪中止という事態にもなりかねない。

 それを防ぐために、何らかの形で京太郎が対局室へと出向かねばならない。

 ……それが理由の半分であり、もう半分は間近で観戦したいという個人的な動機であるというのは、口に出せない秘密である。

 

(……この方法は専門じゃないから、上手く行くかわかんないけど)

 

 多分出来るだろう、と試みる。自分が出来ると思ったことならば大抵は出来るという根拠のない自信がある。

 こういう方法の専門は信一だ。才能の無い京太郎が出来ることなど無い。出来ることがあってもそれは非常に限られており、拙いものだ。

 須賀京太郎は才能を武器にすることは出来ない。しかし、道具として使うくらいなら訳はない。

 

拙くて(それで)いい。俺には十分すぎる)

 

 大きく、深呼吸。弓なりになるくらいに大きく息を吸い、肺の中の空気を出し切るまで吐く。

 それを三度繰り返す。一度の呼吸で四肢の余分な力は完全に抜け切り、二度目には全身が鉛のように重くなって感覚は鈍くなり、暖かい心地よさに包まれる。

 ……そして、三度目になると意識が沈む(●●●●●)

 水底に足が付かない深さの水中に潜るように、寝ているか起きているかの境がわからなくなる。

 後方宙返りしたように無重力を漂う。物理的に遮られない体──意思の力のみで構成された、精神体となって、肉体から分離した。

 

(……うし、上手くいった)

 

 夢の中を自覚して動くような、明晰夢を見る感覚。度数の合わない眼鏡をかけたかのように視界は朧で、手足の感覚も自分の物ではないように思えるほどに曖昧。才能が無い京太郎なら妥当である成果である。

 場所を、テレビの映像越しで見たあの対局室のイメージを思い浮かべる。

 京太郎の精神体はその意思に引っ張られていき……次の瞬間には、咲たちがいる対局室へと、編集によって場面が変わるように視界が切り替わった。

 

(バチバチやってんなー。楽しそうだ)

 

 奇々怪々の妖魔の類に数えられてもおかしくない力を持つ、天江衣。その幼すぎる見た目、その愛らしすぎる容姿も相まって、小さな鬼と見紛っても仕方ないだろう。

 最初からフルスロットル。威圧を振りまき、己こそが支配者であると誇示している。風越と鶴賀の大将は、精一杯の気を絞って抵抗している。彼女たちを突き動かしているのは負けん気と、チームの皆から託された想いだ。

 そして宮永咲。静かだが、天江衣の暴力的な威圧をいなしている。

 全く堪えていないわけではない。むしろ、彼女もとても怖く、一杯一杯な気持ちであった。

 ……だが、京太郎から、『お前は凄い』と言われてしまった。

 部の中で誰よりも、麻雀に真摯で真剣で、文字通り命を削るように、満面の笑みで楽しそうに牌を打つ彼に、『憧れる』とまで言わせたのだ。

 そんな彼を、自分が負けることによって悲しい顔にさせる……想像しただけでゾッとする。そんなものを、清澄の皆は絶対に見たくない。無論、自分だって同じである。

 だから、笑う。不敵に大胆に、笑顔を見せつける。

 天江衣など怖くない。もっと恐ろしいものが敗北の先にあるというのなら、何てことのないものだ。その最悪を現実にしてしまうくらいなら、全国MVPだろうと絶対王者(あね)であろうと……誰であろうとも押し通る。

 ──咲は初めて、麻雀という勝負の場で、勝利のみを確信した。余計な考えは何もなく、ただ自分が勝つだけのイメージを頭の中で一杯にした。

 ……それは、次の領域に踏み入るための条件を満たした証でもあった。化物と呼ばれる彼らの、自分が負けるなど考えられない、己の勝利の未来を明確に見ることが出きる世界の領域。……どんな相手でも、何時どんな場合であっても、それが必ず出来るようになった瞬間……宮永咲も化物の一人として数えられるようになるだろう。

 清澄が突然笑った。天江衣、恐れるに足らず。風越、鶴賀、敵に値せず。そういう意思が伴った表情は、風越の池田華菜と鶴賀の加治木ゆみに小さくない波紋を揺らした。

 まだ対局が始まってもいないのに、こうして怯えている自分が滑稽で可笑しい。馬鹿にされて沸き上がる怒りよりも、緊張感が感じられない呆れよりも、自嘲が勝る。

 自然と、彼女たちにも笑みが浮かんだ。すると思考は冷静になり、体の強張りと緊張が解れ、調子の良い集中状態に入ることが出来た。

 窮地の時は笑え、そういった言葉を聞いたことはある。その意味と効果を、身をもって体感する。

 不敵に、楽しそうに笑っている。まるで、負ける気などないと胸を反らすくらいに。

 天江衣は、理解出来なかった。威圧で圧しているのは己であることは間違いなく。何の躊躇いも遊び心もなく、蹂躙と虐殺でもってして屠るつもりでここにいる。故、最初から全力であった。

 その理由としては、二人の化物に……佐河信一と須賀京太郎に出会ったのが原因だ。規格外、底の見えない虚、人間型の宇宙……そういった喩えであっても過小評価になりかねない彼らを目の当たりにし、身を震わせて恐れた。

 恐れるが故に、脅威である彼らがいる場所から一刻も早く離れたかった。威圧し、蹴落とし、彼女たちを瞬殺する気概だった。化物共に比べれば、雑魚に等しい。特筆するほどの者らではなく、力の差は歴然である……そう、天江衣は思っている。

 ……全力の自分を前に、三者とも笑っている。それが、不気味でならない。

 

(何故だ。衣の威に当てられて気狂いになったのか……?)

 

 自分と相まみえた敵は尽く、虚ろな目をして顔を伏せてきた。それが勝利の証であり、己を孤独にしてきたものだ。

 誰もが、自分を恐れた。誰も、天江衣を理解できなかったから。

 だが今度は、自分が理解し難い存在がいる。怯えず、慄かず、笑って迎え撃つ存在。そんなものが、この世にいる。

 じわじわと、背中を這うように襲う寒気。空を掴むようにすり抜け、攻めている気がまるでしない。

 圧倒している自分が、追い詰められいる。格下の彼女たちに、恐怖している。

 

(…………とか、思ってんだろうなー)

 

 精神体となった京太郎は、他者の思考や思念をダイレクトに感じ取っていた。耳で聞こえずとも、声を感じる。麻雀卓が近くにあり、雀士が座っている。麻雀そのものに繋がることが出来る彼にしてみれば、能海治也のような超能力を使わずとも心の内を知ることが出来た。

 オンオフが効くものではないため、回線は常時オープン。どういう理屈でどうしてそうなるのかと京太郎は突っ込みたくなるが、こうなるのだから仕方ないと納得せざるを得なかった。

 彼女たちが存分に戦える場を作ることに、京太郎は四苦八苦していた。場所を作ることは出来るが、彼女たちの闘牌に耐えられる代物が出来ない。

 どうしたものか、と京太郎は考える。不向きなことだとわかってはいたが、自分の無い才能がここまで無いとは想定外であった。

 

(──なーにやってんだこのヘタッピ)

 

 聴こえた声は、彼女たちの心のものからではなく。明らかに自分へと向けたものだった。

 ──知覚したのは、人型の『怪物』だった。

 姿形は紛れもなく人間であった。頭が豹であったり、尻尾が生えていたり、背中から翼があったわけではない。異形なものは何一つ無い、普通の人間に見えた。

 だが、京太郎自身の魂はただの人間がそんなものになるわけがないと叫んでいる。肉体に依る眼で見るのではなく、心眼で視るために……人の形、人の魂をしていること自体が嘔吐を催すくらいに気持ちが悪いものであった。

 東征大で垣間見た神気を始め、禍々しい何かやおどろおどろしい何か、存在するだけで壊れ果ててしまいそうな何かが矛盾しながらも同居している……人が普通に生存しうる上で決して混じるわけがないものが、色々と真っ黒になるまで塗りつぶされたものであると、本能が察している。

 神であり、妖であり、霊であり、そして何よりも人であることを強調している。だが到底、人として認めるわけにはいかない。

 

(『怪物』……!)

 

 そうとしか言いようのしようがない。他に形容する言葉がまるで見つからない。

 その異名の真の意味、彼の剥き出しの魂を目にすることによって、京太郎もようやく知る事になった。

 

(なぁ、京太郎。わざわざ俺の土俵(せかい)に入って来なくていいんだぞ)

 

 才能が全ての世界。才能しかない世界。此処とは、そういう場所である。

 混沌とした、黒々とした魂を持つ『怪物』……佐河信一は、この精神の世界においてもその姿は現実のものと差異は全く無かった。曖昧ではなく、朧ではなく、確立した自己で存在していた。

 全て才能がものを言う世界であるのなら、彼はこの世界の王であり、神であり、支配者である。

 同等以上の才能を持つ能海治也(てんさい)であっても……この精神世界においては、一歩譲る結果となる。

 須賀京太郎が、絶対に勝てないと思う相手。才能という武器では、万年経ってもどう足掻こうとも足元に及ばない絶対者。才能という一点において、信一は遥か先を行っている。

 麻雀という競技が、才能だけで構成されるものでないことに……今ほど深く感謝したことはない。

 

(こいつ等の対局を身近で視たい、そんで発生するだろう障害を食い止めたい、だろ?そんな慣れないことをしたのは)

 

 信一から見れば、京太郎は釈迦の手の孫悟空だ。考えていることも行動しようとしていることも、何もかもが読まれている。

 瞬き、一つ。京太郎が出来なかった舞台を作り上げるのに信一が要した労力だ。

 京太郎と信一が……あるいは才がある者のみが見えるだろう、彼女たちを囲う結界。闘牌の余波を受けようとも問題なく耐えうる強度を有している。

 

(これでいいか?)

(お、おう……)

 

 格が違う。出来なかったことをここまでさらりとやってのけられると、憧れるより心が折れそうになる。

 精神の丈夫(タフ)さが売りの京太郎でも、これには少し堪える。だがすぐに思い出す。自分に出来ることなど、元々たかが知れているものなのだと。才能が無いなら、必要のない土俵で戦えばいい。その術を既に持っている。

 

(ああ、後な京太郎)

(何ですか、信一先輩)

(そのままでいるとな、死ぬぞ)

(はい?)

(それ、五分も続いたらお陀仏)

 

 信一から聞かされる、知らず知らず訪れていた生命の危機。それがあまりにも、拍子抜けするくらいにあっさりと告げられ、京太郎は理解が遅れた。

 呆然としている京太郎を前に、信一の方も内心肝を冷やしていた。

 いくらこちら側の知識に疎いド素人とはいえ、リスクマネジメントもなく専門外の外法を……自分を実験体にして試すなど無謀としか考えられない。

 才能の世界の技術は、基本命を代償に使う物である。生命力を消費し、現実を捻じ曲げねじ伏せ、自分の望む現象を発現させる法である。分野と方向性こそ違えど、天才型の治也もまた当て嵌まる。別世界の法則を現実世界に投影するリスクは、とてつもなく大きい。

 ……そして、知識と技術と才能はその代償を踏み倒すためにある。世界の境界を曖昧にし、誤魔化し、同一視させ、あたかも代償を支払ったかのように見せさせる。知と技と才を兼ね備え、初めて二つの世界の法を騙す力を発揮できるのだ。

 須賀京太郎の危うさ……信一はそれに気付く。資質(あい)の塊であるが故に、好奇心の塊だ。興味を持ってしまったら、恐れず飛び込んでしまう度胸を持っている。似たような側面は化物たちの誰もが持ってはいるが、彼のは逸している。

 思い返してみれば、京太郎の麻雀のキャリアは一年に満たしていない。まだまだ、心は初心者(うぶ)だ。こんな超短期間で彼らと同レベルに名を連ねることが異常極まりない。

 教えられることは無くなっても、側を離れたのは早計だったか。命と違い、教育者としての適性は無いなと信一は想い知る。

 

(……肉体に戻すからな。戻っても反動で三十分は体は動かねえから覚悟しろよ)

 

 専門の、その分野では不世出の怪物たる信一でさえ、京太郎の下手な技のリスクの踏み倒しが効いたのはそこまでである。他の者であったなら、間違いなく死んでいた。

 だから、次は庇えないぞ。そういった意味で、睨みを効かせる。

 

(それと、二度と専門外の外法は使うなよ。次はマジで死ぬからな)

 

 京太郎は黙って頷く。自分が知らぬ間に死んでいたなんて事態になったら、シャレにならない。

 信一が指を鳴らすと、京太郎の視界は突如として控室に戻る。テレビのチャンネルが切り替わったかのような気軽さで、呆気ない。

 それでも自分が肉体から脱していたということは事実らしく、体の浮遊感は残ったまま。地に足が着いている気がまるで無い。今もまだ自分の体が自分のものではないように感じている。

 

「……!」

 

 体が、指の一本も動かせない。声を発することも出来ない。かろうじて目蓋と眼球運動が限度であった。自分の肉体とは、こんなにも重かったかと思うくらいに鈍くなっていた。

 これが信一が言っていた反動と納得する。これが三十分続くのは、非常に辛い。

 仕方ない、と京太郎は自分の体を休めることに専念する。こうなった以上、出来ることなど何もない。彼女を信じて、結果を待つのが最良と判断した。

 意識を落としてから、京太郎はソファにもたれかかっていた。今の状態は、意識こそ覚醒してはいるものの、体は睡眠に入っているも同然である。

 少しずつもたれる体勢がズレていき、それを自力で直すことも出来ない。あれよあれよと、そのままソファに寝転んでしまう。

 ……そして都合良く、頭の位置に枕があった。低反発枕とは比べ物にならない、肉感的な心地良い感触。しかも程よい暖かさは安心感を与え、深い眠りへと誘う効果がある。

 

(……あれ?この部屋に枕あったっけ)

 

 用意した覚えは無いし、あった記憶もない。心地よさを感じながら、生じた疑問を考えた。

 視線をどうにかして動かす。布はどこかで見た青。どこで見たものかと思い返すと、唖然とした表情で自分を見る優希を見て思い出す。……ああ、制服のスカートの色だ。

 

「──お、おまっ、この犬……!」

 

 今にも、噛み付いてきそうな優希の顔。はて、自分は一体何をしたのか。もしくは一体何をしているのか。

 優希だけでなく、久とまこからも視線を向けられる。その表情はニヤついたものとヤレヤレといったものが同居した笑いだ。

 今度は目を上へと向けた。……白い峰が、大きな大きな山が二つある。その谷間には赤いタイが通っていた。

 

(……ああ、そういうことなのね)

 

 その時点で、状況は全て把握した。自分の隣に座っていたのが誰であったか。それを思い出せば簡単なことだったのだ。

 

「す、須賀くんっ!?い、いきなりこんな……困ります!!」

 

 これは、この枕は……和の膝枕だ。通りで天にも昇る心地なのだと、説明がつく。

 膝に寝転んだ京太郎は一切の身動きがきかない。すまないと内心思っていても、どうしようもなかった。

 謝ろうにも、発声が出来ない。表情筋も全く動かない。説明のしようがなければ、弁解のしようもない。今の自分は眠そうな顔で、憮然と和の膝を占領している傍若無人な輩だ。

 大きい胸で顔が見えないが……動揺しているのが丸わかりなくらいにぷるんぷるん揺れている。間近で見ると、こんなにも迫力がある。

 顔を見て、膝にいる京太郎にどいて貰おうとするが……和が座ったままの前傾姿勢になれば、大きい胸部が京太郎の頭に乗せられる。さながら、世界一幸せなペンギン(エトペン)と同じ状況を味わっていることになる。

 

(ふぉ、ふぉおお……!すっごいよぅ……おっきぃよう……!)

 

 柔らかいふとももとおっきい胸に挟まれるこの感触を、京太郎は脳髄の記憶野に叩き込んで刻み込む。

 須賀京太郎、十五歳。今ではすっかり麻雀狂いになった彼であるが、年頃の男子であるというのを忘れてはならない。おっきいおっぱい大好きな、可愛い女の子が大好きな、やりたい盛りの青少年である。

 今、表情筋が動かないのが幸いしている。もし今、顔だけでも動けていたら、情けない表情を浮かべていたに違いない。

 どうせ何もできないのならば、狸寝入りを貫く。和には悪いが、この感触をずっと味わっていたいのだ。

 

「……じゃあ、和。私と代わる?」

「え、ええ……?」

「須賀くん、表には出さなかったけど本当はかなり疲れてたんじゃないかしら」

 

 この試合を、誰よりも真剣に視ていたのは紛れもなく京太郎であると、久はそう信じている。

 各校の選手の対策を練り上げ、朝は早く起きて優希のタコスを作り、試合前には選手である彼女たちの調子をつぶさに観察し、己の知識と感覚から捻りだした彼女たちに合った対策を教授し、目を皿のようにして対局を見続けていた。

 ただ応援するだけでなく、自分があの卓に居たら、自分があの卓の誰かであったら……そういったイメージも含めて、彼はここへと臨んでいた。ここまでの先鋒戦から副将戦までの試合、対局を見ながら『もし打っている彼女たちが自分であったなら』という想定で、頭の中で卓で打つ彼女たち四人の立場になりながら並行して四通りのシチュエーション。四試合×四人×半荘二回戦……計三十二もの半荘を、彼の中のイメージの中で打っていたも同然であった。

 麻雀と深く繋がっているからこそ、麻雀というものを理解しているからこそ出来る荒業。経験値の不足という己の課題を、密度で解決しようとしていた。

 彼もまた戦っていた。清澄の、六人目の選手に相違なかった。

 

「私なら、膝くらいケチケチしないで貸してあげるわよ」

 

 功労者には、見合った報酬を差し出さなければならない。膝枕程度で済むのなら、とんでもなく安いと久は思っている。

 須賀京太郎はそれだけの仕事を果たした。たとえ優勝を逃してしまう結果になったとしても、感謝は尽きない。もし優勝を果たせば、ほっぺにチューくらい要求されても許してあげるつもりだ。

 

「……まあ、確かに。京太郎には助けられたし、大活躍じゃったな。わしも立候補するけぇ」

「のどちゃんの膝枕とか犬には贅沢だじぇ。このゆーき様がやってやるじぇ!」

 

 まこと優希もまた乗り気であり、京太郎には助かっている。これくらいのご褒美くらいはやってやりたいという気持ちだ。

 彼女たちがノリノリで、京太郎に膝枕をしたいというこの異様な雰囲気に。和は自分が間違っているのかと正常な思考ができなくなり、混乱していた。

 麻雀を打っている時の冷静な判断が今できているのなら、空気を読まない普段であれば、そんなことはありえなかっただろうが……彼女もまた一人の乙女であり、箱入りのお嬢様であり、空気に流されやすい日本人である。状況が状況であれば、人並みに焦ったりもする。

 

「じゃ、じゃあ、私が……」

「「「どうぞどうぞ」」」

「…………っっ!!」

 

 声にならない、抗議と悲鳴を上げる。往年のネタをぶつけられ、納得のいかない理不尽さと不条理を和は知り……一つ、彼女は大人になれた気がした。

 

 

 

 

 

 大将戦は、力と力のぶつかり合いだった。その力の形は、各々違ったものだったが、全力のぶつけ合いには違いがなかった。

 天江衣は、魔物として……生まれながら持っている力に身を委ねた、異能の麻雀を。

 加治木ゆみは、技巧と読み、そしてその判断に心中する度胸の麻雀を。

 池田華奈は、持前の根性と気迫、意思が呼び込む天運を総動員した、剛腕の麻雀を。

 そして宮永咲は……誰よりも何よりも、自分が楽しめることができる、己自身の麻雀を。

 規模こそ、強度こそ、質量こそ……化物どもの麻雀に比べれば小さく脆く弱い。だが、彼女たちの闘牌は正しく、彼らの戦いの縮図といっていいものだ。

 一歩も退かない、ノーガードの殴り合い。周り全員が敵の、バトルロワイヤル。正しく、麻雀という競技の本質を表した対局であった。

 力も、技も、能力も、運も。疲弊すれば摩耗し、衰える。そうなれば、残るは意地のぶつけ合いだ。

 化物たちの戦いの縮図というのは、そういう意味だ。彼女たちもまた、向こう側へと渡る資格を持っている。

 ……彼女たちの内にある何もかもは空っぽで、集中状態のツケが疲労となって牌を持つ手が重く感じ、空調がきいているいるにも関わらず全身の汗は止まらない。

 ────それでも、この卓に。笑顔を浮かべていない者は皆無であった。

 一打一打が、魂を切るような麻雀。一巡一巡を、体内時間を加速させて体感数十時間で悩み抜く。

 全員が満身創痍。されど、最高状態。誰もが、疲労など気にも留めていなかった。

 

「……まるで、どっかの誰かのようだ」

 

 見ているだけで、思い出す。それが誰のようであるかを知るのは、この会場で知る者は信一ただ一人。

 それでも、この会場でこの試合を見る者全てに心を揺さぶるものがある。そして、どうしようもない衝動に駆られるだろう──麻雀が、打ちたいと。

 

「……楽しみに待ってるよ、個人戦」

 

 席を立って、信一は観戦室から立ち去る。もうずっと、眺めたままではいられない。一刻も早く、牌に触れたい。そう心と体が震えて仕方ないのだ。

 

 

 

 

 

『──カン、嶺上開花』

 

 

 

 

 

 …………観戦室の、閉じていく扉の向こう側から届いた、勝負を決めた宣言と決着の歓声。防音の扉が閉じきると何も聞こえなくなるが、信一にとってみればそれだけで十分であった。

 

「おめでとう、清澄。祝いの言葉くらいは送ってやるよ」

 

 ────今度は俺たちの番だ。笑いが止まらず、歓喜で打ち震える。

 誕生日を待つ、子供と同じ。懐かしい心地が信一の中で蘇っている。

 来週までに、狂い死にしていないだろうか。それだけが、彼の中の憂いである。


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