SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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最新話、お待たせしました。蘇芳編でございます。
課題とかね、テストとかね、就活とかね、卒論とかね……泣きたい。


39

 大阪。『男神』と表札がある一軒家が、彼の家だ。

 ここに住んでいる人間を知っていれば、拍子抜けするほどの一般住宅。三世帯住宅として建てられたせいか普通の家屋より大きいが、部屋の数が数部屋多いくらいで他に特筆するところがないところが特徴の、二階建ての家屋。少し高収入なサラリーマンがローン三十年を組んで購入したような、そういう家だ。

 ガレージにはほとんど動かしていない車が二つ。だが二台とも一般販売されていない、世界で数台程度しか量産されていないスーパーカー。だが手入れは一切されておらず、ボンネットは埃を被っている。マニアが見たら泣いて叫んで怒り狂っている状態と言えよう。

 住む住人はたった一人。戸籍上、ここを住所とする者は彼を含めて三人いるが……彼以外の二人がここへと帰って来ることは滅多に無い。最後に帰ってきたのも四年前だ。そのせいか、この家の家長は実質彼になっている。

 その彼、男神蘇芳の朝は……。

 

「ンァ……うぅン……」

 

 ──かなり、遅い。現時刻、午前十時二十分。リビングの固い板床に寝転がって寝ていた。

 テーブルの上には宅配ピザのゴミ──Lサイズ三枚分──と、酒の空缶──二十本程度──がところ狭しに置かれている。

 暴飲暴食、さらには未成年者の飲酒。仲間と飲んだ食べたのではなく、彼一人によるものだ。

 散々食べて飲んで酔って、寝室で移動するのも億劫になりここで眠った。

 彼の母親代わりがこの光景を見たらどうなるかなど簡単に想像がつく。恐らく、彼女の娘たちが三時間は同じ場所に居たくない事態になる事は確実だろう。

 補足するが、本日は土日祝日でもなく、平日である。つまり、普通に学校がある日だ。

 テーブルの上にある彼のスマートフォンは、通話が着ていると振動して自己主張しているが、マナーモードにしっぱなしだったのが電話の相手……愛宕絹恵にとっての不幸だった。

 結局電話に気づくことなく、蘇芳は眠り続けて。ようやく目を覚ましたのは、正午の頃だった。

 二日酔いの頭痛に耐えながらふらついた足取りで台所に向かい、冷蔵庫を開け、中の2リットルのミネラルウォーターを取り出して半分ほど一気飲み、残りをシンクで頭から浴びた。

 それでやっと、完全に目が覚める。濡れた髪を振って、飛沫が飛ぶ。空っぽになったペットボトルを握力だけで握り潰し手慣れたように放り捨てると、放物線を描いて分別されたゴミ袋に入った。

 長めの茶髪をオールバックのように掻き上げて、着ていた部屋着を脱ぎ捨て、風呂場で熱いシャワーを浴びる。これで酔いが覚めるというのは彼の談であり、二日酔いの頭痛も嘘のように治まる。

 

「フーッ」

 

 風呂から上がり、タオルを肩に掛けた半裸でリビングに戻る。

 そこでようやくスマートフォンを手にとって、絹恵から着信があったことに気付く。

 丁度、昼休み。彼女は昼食を食べている頃だろうと、通話し返す。

 数回のコール音の後、電話が繋がる。

 

「おはよう、絹恵(キヌ)

「……おはよう、寝坊助」

 

 遅すぎるモーニングコール。現時刻はとっくにイブニングである。

 呆れながらも、電話越しの彼女はこう思う。まだ今日はまだマシな方であると。

 蘇芳が登校時刻に学校に行くことは、起こしに行かない限りあり得ない。一日中寝ていることもザラだ。

 そもそも、連絡がつくこと自体があまりない。これはある意味でレアケースなのだ。

 

「で、今どこに居るん?国内、国外?」

 

 彼の居場所を問う際にまず最初に聞くのは、国内か国外、どちらにいるのか。

 蘇芳の行動範囲は、世界規模。昨日一緒に居ても、翌日には海外に飛んでいるなど何度もある。

 

「俺ん家だが」

「どこの?」

 

 そして、蘇芳の自分の家にいるという言葉を鵜呑みにしてはならない。絹恵を始め愛宕家はこれを徹底している。

 渡り鳥よろしく、日本の全国各所、世界各所で彼の家と呼べる拠点が点在するため、そこまでツッコまないとハッキリしないのだ。

 聞けば、答える。蘇芳はそういう性格だ。聞かなかった方が阿呆なのだ。そう納得している。

 

「お前んちの近所」

「それじゃ、部活には来れるんやな?」

「……あー、どうだろ」

 

 気分で行動する蘇芳には、学校に行くのも気分次第。そして部活に参加するのも同じだ。

 参加するかしないかを考える。麻雀部の面子と打ちたい気分であるのか、と。

 部活の自由参加権、そして団体戦の参加免除。それが蘇芳が姫松に特待入学した際に、提示した条件だ。

 結果を残し続けている男神蘇芳だからこそ、黙認されている特権だ。

 打ちたい時だけ、打ちたいだけ打つ。蘇芳にとって麻雀とは娯楽で、それ以上でもそれ以下でもない。

 

「んじゃ、行くか」

「そかっ」

 

 今日は、気分が乗った。だから部活に顔を出す。

 参加の意思を伝えると、絹恵の声に喜色が含まれる。

 

「あと、今日はおとんとおかんが帰り遅くなるって言ってな」

洋榎(ヒロ)と一緒に晩飯作って食え、か?出前にしね?」

「ダメや。ていうか、料理出来るんのに何で出前物ばっか頼むねん」

「わかったよ、作ってやる。リクエストは?」

「お姉ちゃんと決めるわ。ちゃんと部活に来るんやで」

「はいはい」

 

 電話を切る。今日のこれからの予定も決まり、頭の中でスケジュールを構築する。

 床に放り捨ててあった皺だらけの規格外サイズのオーダーメイドの制服を着て、腕には数百万円相当の高級時計とリング、首には金のロケットを掛ける。

 ブランド物の長財布の中身を念のため確認し、少し足りないと思って台所へ。

 蓋付きの、業務用の70リットルポリバケツ。台所の隅に置いてあるコレは生ゴミなどの臭い物に蓋をする用途の物だが、蘇芳の場合は別の用途で使っている。

 ──蓋を開けるとそこには……福沢諭吉がバケツ一杯に満ちていた。

 その中から二枚ほど抜き取り、財布に入れる。

 その後掃除をして、薄っぺらい学校指定のスポーツバッグを肩にかけて家を出た。

 

 

 

 

 

 姫松高校における男神蘇芳とは、超一級指定の危険物といって相違ない。

 触れようが触れまいが、何かしらの影響を与えてしまう炸薬だ。

 喋らずとも、動かずとも。下手すればその場に居ずとも。蘇芳という人間を知れば、決して小さくない影響を与えてしまう。

 その影響によって甚大な被害を被ったのは、かつてあった男子麻雀部だ。

 男子麻雀部もまた、女子と同様に全国区。東征大に遠く及ばないまでも、激戦区南大阪においてインハイ常連校に数えられる。

 しかし、蘇芳が姫松に入学、麻雀部に入部して二週間で。男子麻雀部は蘇芳を除いて残らず退部し、廃部。女子部と統合し、現在の麻雀部の体裁をとっている。

 どうしてそうなったのか。何が原因でそうなったのか。それを語ろうとするものはいない。元麻雀部だった者たちは、誰もが口を噤んで理由を言わない。

 弘世命は同類(なかま)の中で蘇芳を東征大に招かず、彼の推薦を蹴った。来ることはなかったものの信一は招かれた。その違いは何だったのか。

 東征大の後援会とOB連はインターミドル三連覇の最強の化物を、十代最強と呼ばれる彼を引き込まなかった命を強く非難したが、蘇芳と対局した現役の部員たちは命の判断を英断と評している。

 ──もしも蘇芳が東征大に入学していたのなら、今頃東征大麻雀部は存在していない。それを彼の力を知っている全ての部員たちは結論着けており、見解の一致となっている。去年のインハイ個人戦優勝を捨ててでも、最強校東征大の名誉を地に落としてでも、避けなければならない最悪。それを命は最初から見越していた。

 生まれついてのバグ。根本から違う、突然変異。生来の天才の信一と治也とも違う、後天的な覚醒者たる命と京太郎ともかけ離れている……何にも当てはまらないこの男もまた『怪物』でもある。

 猛毒にも似た魔性の魅力(カリスマ)。男であればああなってみたいと憧れる理想像。孤高でありながら独りではない。人を狂わせる力を、蘇芳は確かに持っている。畏れられるのではなく、憧れの対象。眩い程の、輝石。

 故に『怪物』ではなく、輝石から転じて『奇跡』。人に非ざる輝きを放つ、偶然(バグ)によって生まれた、生来の輝石(ほうせき)

 男子で蘇芳と釣り合うのは、彼らしかいない。

 ……だが、そんな彼にも急所はある。

 

「ツモ、純チャン三色ドラ2!6300オール!」

「ありゃ、跳ツモ。これでハコか」

 

 ──女が相手、特に蘇芳が可愛いと思ってしまった娘にはとても弱ってしまう。

 放課後の、姫松高校の部室。女子部員たちが打つ中、異質と言うべき黒一点が卓についていた。男子麻雀部が廃部になった今、唯一残った部員の蘇芳は女子たちと混じって打つことが度々あった。

 オーラス、親の上重漫のツモにより、蘇芳は点棒を全て吐き出して飛ぶ。

 結果は漫の一人勝ち。他三人は原点を割り、蘇芳が最下位。大差をつけて彼女がAトップ、一人浮きである。

 

「……やっぱ、漫ちゃんと蘇芳が同卓したら、漫ちゃんの一人勝ちか。爆発せぇへんことなんてありえへんし」

「反則やろソレー。蘇芳本気出せー」

 

 ……この二人、姫松高校麻雀部主将愛宕洋榎と姫松きっての参謀末原恭子が同卓した上での、結果である。全国屈指の技巧派の二人を相手に圧勝するという結果は、プロであろうとも叩き出すのは難しい。

 上重漫はムラのある、安定感に欠ける打ち手であるが、突如として爆発的な破壊力を持つ雀士へと変貌することがある。それを買われて、名門姫松において一年の頃から団体戦レギュラーに選ばれている。

 その爆発する条件の一つとして、強大な雀士が同卓しているという条件がある。無論これは絶対の条件ではなく、あくまでしやすくなるというものだ。

 しかし蘇芳と打つと、彼女が爆発しなかったことはなかった。必ずと言っていいほど導火線に火が着火し、他三人を蹴散らす結果となる。

 それほどまでに、男神蘇芳は最強である。

 女子を相手に力を発揮出来ずとも、その力は健在だ。

 

「ヤダ、つか無理」

 

 適度な実力を出したいのは山々だが、蘇芳は不器用で細かい手加減が出来ない。出せるとすれば0(ゼロ)100(マックス)。その二つの力加減しか不可能。

 蘇芳は才覚そのものは乏しい。信一や治也のように自在に手加減に長けていない。

 男子相手に容赦ない蘇芳も、女子が相手では勝てない。フェミニストを気取っているわけではないが、力を出すことを躊躇っている。

 

「けど漫ちゃん、東征大じゃずっと爆発しっぱなしだったろ。相手がエース級じゃなくても自力で爆発させるくらいの感覚は得られなかったか?」

 

 蘇芳は、自分の力に触発されて爆発する漫の能力に、関心があった。

 高校最強の雀鬼の修羅道。東征大の合同練習に姫松も参加した。

 メンタルの強化とどうしようもない相手に対する対処法。練習に参加した三校の目的は共通してそうだったが、選手個人の目的まで細かく迫ると、上重漫の爆発を自在に引き出すための訓練。そういう狙いもあった。

 それが成功すれば、名門姫松の先鋒に恥じない選手になれた。姫松のエースは伝統的に中堅に位置しているが、基本は先鋒にエースを配置する。他校のエースと渡り合える実力を身につければ、後続の仲間を楽をさせられたはずだった。

 しかし、当の本人の漫の顔は浮かない顔だ。

 

「最初の一回だけ爆発したんやけど……速攻で流されて……その次以降はなんていうか、力を誤魔化されたかのような……強いって感じがまるでしなくなったっていうか……」

「あー、なる。強者の雰囲気を消したか。容赦ねーな、アイツら」

 

 麻雀が強い者特有の、言い表せない雰囲気。能力(オカルト)由来の物なのか、はたまた雀士本人の個性(キャラクター)からか。意識的にしろ無意識的にしろ、一定の壁を超えた先にいる雀士はその雰囲気を纏っている。

 蘇芳を始めとした彼らも、東征大の部員たちも、トッププロも、そして一部の全国区の雀士たちも、これがある。

 漫の爆発は、それに反応して発動するという。そう察知した彼らはその強者の気を消すことで対応した。

 消そうと思って意識して出来ることではないが、命の指導によって出来ることは数多く、できないことは非常に少ない。選手(プレイヤー)としてより、指導者(コーチ)としての才覚の方が逸脱しているとまで言われている指導力は、出来ないと考えられていたことを容易くやってのける。

 蘇芳は容赦ないとは言ったが、彼らにしては紳士的な対応だと思っている。半端なオカルト持ちの雀士であったら、東征大の連中はその能力ごと心をへし折ってくる。

 

「何にしろ、東征大(アイツら)を利用するなんざ無理。小細工には絶対に乗らん」

「小細工って」

 

 策やら謀略やら……そういうものが通用する次元ではない。

 頭だけで考えた策は、東征大には決して通用しない。都合の良いように利用など、出来はしない。

 小細工は通用しない。通用するのは、魂を燃やすほどの覚悟と意思。力と力の真っ向勝負こそが、唯一にして最難の攻略法だ。

 

「具体的には、京太郎(キョウ)か。信一(シン)治也(ハル)を同時に相手して負ける気がしないって思い続けるくらい。あの合同練習で一番得したのダントツでアイツだ」

「あの飛び入りのトンデモ一年か……」

 

 東征大を利用出来た希少な例の一つとして、京太郎を挙げた。彼はまさに、真っ向勝負で力を示し、攻略を果たした。

 彼女たちにも、彼のことは記憶に新しい。エキシビジョンで、三校の全国トップレベルの精鋭を一蹴した、金髪の無名の一年生。洋榎と、彼女のライバルと言える江口セーラ、そしてチャンピオンの宮永照を、釈迦の掌の孫悟空のように弄んだ。洋榎は必ず、その借りは返す気でいる。

 そして、その後の若手男子の最強クラスたちが同卓した対局において、獅子奮迅の活躍を見せ、その場にいた全員が魅せられた。

 ──『魔王』須賀京太郎。今年の男子インハイにおいて、注目すべき台風の目だ。

 

「じゃ、蘇芳。漫ちゃんの強化のために付き合ってーな」

 

 この超自由人が言う事を聞くとも思えないがダメ元で恭子は聞く。こういう時こそ役に立ってもらわなければ困る。

 洋榎はこの提案を聞くとふくれっ面になる。それはつまり、蘇芳と漫が固定メンバーとして打ち回すということだ。部活の時間中、長く漫が彼と一緒に居る……。嫉妬心が、湧き上がるのが止められない。

 

「えー、タダで?」

 

 そして、ゴネる。嫌だと言わない辺り、まだマシな方だと恭子は受け止める。嫌と言ってしまえば絶対にやらないのが蘇芳の性格だ。

 

「何が欲しいんや。欲しいもんならすぐ手に入るやろ」

「そうだな」

 

 蘇芳は別に何かが欲しいわけでも、何かを奢って欲しいわけでもない。ただ無償無条件でやるのが癪なだけ。特に深い理由があるわけではない。漫の練習相手くらいいくらでも付き合ってやれる。

 チラリと、頼られる側である漫に流し目で見た。そんな視線を向けられると、一体どんな要求をされるのかと身震いしてしまう。

 

「ちょい来て」

 

 要求を決めた。来い来いと手招きして蘇芳から見て対面に座る恭子をこちら側に招き寄せる。

 首を傾げて来る恭子、蘇芳は内緒話をするように口元に手で壁を作っていた。

 耳をよこせと口にせずに言ってくる彼に、何の疑いもなく耳を近づけた。

 

「ふー」

「────!!?!?」

 

 声にならない、悲鳴が上がる。

 耳に、生暖かい微風が吹きかけられる。

 ただ、息を吹きかけられただけではない。どさくさに紛れて、彼女のスパッツ越しの尻をもう一方の手で撫で回していた。

 あまりに堂々としたセクハラに、部室にいる全員が反応に遅れる。

 

「可愛い尻だなー、代金はこれでいいよ」

「なぁっ──ああっ────!」

 

 息を吹きかけられて驚き、尻を撫でられていることに気付くのが一瞬遅れた。

 そして自分がセクハラされていると気付いた時には、顔が沸騰したかのように熱くなる。

 蘇芳の巧みな指のタッチは、恭子の中の羞恥心を徐々に快感へと移り変えていく。

 甘い、雌の嬌声が彼女の口から漏れ出ていこうとした時──。

 

「──何やっとんのこのド変態ー!」

 

 ──蘇芳の横っ面に、拳が叩き込まれた。

 腰が入った、鋭い一撃。たまらず蘇芳はぶっ倒れ、椅子から放り出されて仰向けに倒れる。

 2メートル超の巨体を殴り飛ばした一発を繰り出した主は、痛みに悶える彼の頭の横に立つ。

 

「……おまっ、絹恵(キヌ)、思いっ切りぶん殴ったな……」

「うん」

 

 ゴールキーパー仕込みのパンチングで、女子の中でも高い身体能力を持つ絹恵くらいでなければ、蘇芳をふっ飛ばすことは出来ない。

 

「なぁー、蘇芳。これで何度目(●●●●●●)?」

 

 笑顔で、目だけはゴミを見るような視線を向けながら絹恵は指の骨を鳴らす。

 この蘇芳のセクハラ、初犯ではない。割と常習的に、挨拶代わりのようにしているのだ。

 かつて昔の小学生が女子のスカートめくりをしたように。そういう感覚で蘇芳はやっている。そして毎度の如く、絹恵か洋榎に殴られるか蹴られる結果となっている。

 だが、絹恵が本当に怒っているのはセクハラ行為そのものにではない。

 

「──何で、末原先輩ばっかにセクハラすんの!?」

 

 蘇芳のセクハラ対象は、一貫して恭子にのみ。そして尻ばかりに執着する。それに、愛宕姉妹は怒っている。

 蘇芳のセクハラは好きな子にイタズラをするようなものだ。迷惑だが、精神年齢が小学生並の蘇芳にとっての感情表現だ。下卑た下心は一切無いことは彼女らにもわかっている。

 むしろ蘇芳が自分にしてくるのなら大歓迎だ。好感度限界突破している彼女は、セクハラだろうがキスだろうが……もっとその先だろうが受け入れる態勢にある。

 子供の頃から、ずっと好きだった。初めて会った時からずっと時計が止まったかのように変わらない、イタズラ好きの彼が好きだ。どうしてこんな男に惚れてしまったのか、度々思うことはあるが好きになってしまったのだ。彼女自身、認めたくないが恭子に嫉妬している。

 

「大丈夫かー、恭子」

「……うん、もう慣れた……」

 

 洋榎に慰められながら、恭子は落ち着きを取り戻そうとする。

 セクハラの被害者である彼女も、回数を重ねていく内に慣れてしまっている。触られること自体にショックを受けるよりも、気持ちよく感じてしまった自分にショックを受けている。

 

「何でって……女のパーツで一番綺麗なのは、尻だろ」

 

 そして、一番蘇芳好みの尻が恭子のものだ。小さく、キュッとしまった曲線美。おまけにスパッツ着用。蘇芳にしてみれば、触ってくださいと誘っているようにしか見えないのだ。

 だからついつい、手が尻の方へと動いてしまう。自分は悪くない。魅力的過ぎる恭子の尻が悪いのだ。

 

「あっそう」

 

 謝ることもせず、弁解の言葉もなく。情状酌量の余地は無し。

 言いたいことはそれだけかと、絹恵は容赦なく上履きの靴跡を蘇芳の顔面に付けた。

 

「……ナイス、ホワイト……」

 

 気絶前の今際の言葉の意味を理解した瞬間、絹恵はスカートを抑えて顔を真っ赤にする。

 エッチで子供な幼馴染に呆れる気持ちもあるが、蘇芳には許してしまう魅力がある。

 言い表せない人徳。人を狂わす純粋さ。誰も持っていないからこそ、憧れて欲してしまう何かを持っている。

 

「あかんな、ホント」

 

 それはいつになっても変わらない彼に言っているのか、魅了されてしまった自分に言っているのか。どちらにせよ、もう手遅れだ。

 ただ一緒にいるだけで幸せで、会えなくなると胸が苦しくなって、数日顔を合わせていなかったら動悸が激しくなる。姉を含めた自分以外の女子と話しているだけで、嫉妬心ではち切れそうになる。

 ……何で好きになったのか忘れてしまう程に、愛宕絹恵は男神蘇芳に()られていた。

 

 

 

 

 

「……お前ら、自分が食う晩飯くらい手伝えよ」

「うっさい変態、はよせい」

「変態まだー?」

「その変態を家に連れ込んで料理作らせてんのはどこの誰だっつーの。はいはい、わーったよ」

 

 部活が終わり、日が暮れた頃。愛宕家にて。

 テーブルにて料理を待つ愛宕姉妹に、変態変態と連呼されながら台所で料理する男の影が。

 手縫いの大きい男物のエプロンを着て、手慣れた手付きで今晩の夕食の調理をしているのは、蘇芳だ。一日二日で覚えたものではない手際は、一端の専業主夫としてもやっていける技量だ。彼を見て、意外と思える特技が家事全般である。

 料理、裁縫は彼女たちの母の雅枝に徹底的に仕込まれたものだ。というのも、しょっちゅう姿を消す彼を追って捕まえる度に、罰として家事の手伝いをさせて自然と身についた物である。

 そのせいか、自宅以外にも愛宕家の家事をすることも多々あり、どの場所に何があるかを彼女たち以上に把握している。実質的に、愛宕家の一員の扱いだ。

 ろくすっぽ家事が出来ない姉妹より、孝行息子というのは愛宕父の評。しかし放蕩癖でプラマイゼロだ。

 今晩の品目は、愛宕家特製の唐揚げと、サラダ盛り合わせ。

 蘇芳と一緒に作れと絹恵は言っていた。料理に不得意はない蘇芳は彼女たちの好きな物を彼は作る。そして、彼女たちのリクエストは唐揚げだ。それを雅枝は予測していたのか、タネとなる鶏肉は特製タレに漬け込んで寝かせてあった。

 娘のことはお見通しかと、冷蔵庫に眠ってあった鶏肉を見て蘇芳は思った。

 この特製タレを、未だ蘇芳は自分一人で再現出来ていない。レシピは極秘で、雅枝だけが知っている。ある意味でお袋の味とも言えるこの唐揚げを踏襲しながら超えることもまた、蘇芳の目的の一つだ。

 

「──っし、出来たっと」

 

 唐揚げとサラダの乗った大皿をテーブルに置き、エプロンを脱いで畳む。

 結局一人で作る結果になった。とはいえ、一緒に作れと言われた時点でこうなることは予想できていたが。そもそも、彼女たちの手伝いは最初から期待していなかった。

 

「お前らな、いい加減家事の一つでも覚える気はないのか?」

 

 せめて手伝おうとする気概くらいは欲しかった。調理に関わらずとも、皿や箸を用意するくらいなら出来たはずだと蘇芳は思っている。

 

「「ない!」」

 

 ……これが年頃の娘の返答と思うと、流石の蘇芳も苦笑いを隠せない。

 

「今はそれでいいが、このままじゃ嫁の行先ねーぞ。特に洋榎(ヒロ)

「よ、余計なお世話や!」

 

 要らない事を言われ、彼女は頬を膨らませる。

 嫁に行く気など……彼以外に考えられない。

 

「じゃ、蘇芳は家事出来るお嫁さんが欲しいん?」

 

 絹恵からのキラーパス染みた問い。瞬間、洋榎はやられたと思わされた。

 蘇芳の言葉から察すれば、家庭的な女性が好きだと捉えられる。それを聞き出すアドバンテージを取られた。

 イエスと返ってくれば、絹恵は夕食の後にでも家事を身につけようとするだろう。

 ……彼女たち姉妹は、同じ男を好きになった。

 仲良しであると自覚している彼女たちだが、事恋愛に関しては天敵と見做している。

 たとえ尊敬する姉であろうとも。たとえ可愛がっている妹であろうとも。それだけは譲れない、譲りたくない一線だ。

 

「俺が?結婚?するわけないだろ」

 

 ……返ってきた返答は、イエスでもノーでもなく。質問自体の拒絶だった。

 出来ないのではなく、しない。つまり、結婚の意思が無い、生涯の伴侶を得る気は皆無ということだ。

 

「──俺に付いてこれる女性(ヒト)なんざ、いるわけが無い」

 

 その小さな呟きを、彼女たちは耳にした。

 彼の目は寂しく、何も映していなかった。

 男神蘇芳と供に歩む資格……彼の隣に立ち、時には支え合い、時には敵対し合える力を持つ者は、彼の親友たち以外に存在しない。

 それは麻雀という競技に限定した場合ではなく、人生という括りを含めてそうであった。

 ──男神蘇芳に、女は誰も追いつけない。それは、彼女たちも含めてだ。

 今この時こそ同じ場所に居るが、数年も経てばもう二度と日本の土を踏むことはないという直感がある。そしてもう、彼女たちとも顔を合わせることは有り得なくなることもだ。

 たかが直感だが、この直感を馬鹿にしたことはない。今までずっと、一つとして外れたことはなかったものなのだから。

 離別の機会は数多く。連絡がつかなくなる、行方がわからなくなる、逢おうとしてもすれ違う。

 ……そして、死別。これを、彼は多すぎる程に味わってきた。

 男神蘇芳は、終わった者だ。一度物語を終えた者だ。

 蘇芳自身それを自覚しており、小休止として日常を謳歌している理由だ。

 生きる世界が、生きられる世界が、違う。最初から、わかりきっていたことだった。

 成人すれば大阪(ここ)に来る前までの生活に、戻る。元いた鞘に帰るだけなのだ。

 

「ほら、食うぞ」

 

 テーブルの席について、手を合わせる。

 それにつられて彼女も手を合わせた。

 

「いただきます」

「「いただきます」」

 

 ────ここは自分の居場所ではない。男神蘇芳はそれを熟知している。

 所詮自分は、突然変異のモンスター。まともの中では生きられない。

 この穏やかな日常すら、己がいるだけで壊してしまう。目に見えた予測で、確信で、現実だった。

 だが、それでも。一秒でも長く、この場所に居てもいいというのなら。

 男神蘇芳という、最悪の異分子を抱えてもらえるのなら。

 

(……俺は、もう少しこのままでいたいな)

 

 決して許されない、わがままであろうとも。

 この心地良き日々に、身を浸していたい。

 

(好きなんだよ、コレが)

 

 この家が、この空気が、この暖かさが。彼女たちという、宝石たちが。とてもとても愛しいのだ。

 欲張りであろうとも、身の程を知っている。

 欲の限りを尽くしてきた己でも、これ以上を求めることが出来ないのだ。


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