SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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 弘世命は、須賀京太郎に嫉妬している。それを合同練習以後、素直に認めることが出来ないでいた。

 佐河信一も、能海治也も、男神蘇芳も、京太郎には期待と羨望の眼差しで見ていたことは認める。嫉妬心も、少なからずあったことも同様にだ。

 その理由と原因は、四年前のインターミドルにまで……彼が人を捨て、鬼となり、『修羅』となった経緯にある。

 後に、『怪物』、『天才』、『奇跡』と呼ばれるまでに至る化物共。彼らを見て、彼らと戦って勝てないと悟って絶望するより……対等に戦えない、麻雀を楽しめないことに深く絶望した。

 彼らと対等に麻雀を楽しむには、力が足りない。愛が、足りない。己の総てを捧げてもいいという、麻雀に殉じる愛が必要だった。

 命には、信一と治也のように極まった才能を持っていない。蘇芳のような、生まれついて常軌を逸したバグでもない。凡百よりはマシな程度の才能があっただけで、あくまで秀才程度の力しかなかった。

 彼ら化物共に通じる武器。単純な力で勝てない相手に、彼らと戦える武器を探し回った。麻雀に殉じるための、引き金。それを己の内面を徹底して覗き回り、凡人である自分が対抗しうる力に辿り着いた。

 ──あったのは、覚悟。あったのは、餓え。あったのは、狂気。あったのは、愛。

 それらは命の中にあった僅かばかりの躊躇いを取っ払い、深淵への領域に踏み込むには十分な材料であった。

 そうして……『修羅』に堕ちたことに、後悔はない。もう二度と、戻れぬとしても。

 事実、彼らとの闘牌は楽しめたものだった。『修羅』にならねば、見えない地平があった。

 ……だが、命の決心を揺るがす存在が現れた。

 それが須賀京太郎であり、認めたくない嫉妬心の原因となっている。

 

「俺たちのように才能があるわけでもない。蘇芳のようなデタラメでもない。ただあったのは、麻雀に対する深い執着。お前さんと似ているな」

 

 治也を含む彼ら三人は、麻雀において無窮と言っていい域にある。実力に僅かな違いはあれど、誰もがそれぞれ違った過程の中で偶然の産物により生まれた化物たちだ。

 ……命と京太郎だけが、例外だ。

 二人は、非才の者が到達しうる究極点。誰もが到れる可能性がある門戸だ。

 そういう意味では、命は革新者(パイオニア)と言える存在だ。才能を(おもい)で捩じ伏せることが可能である、才能は後付出来る。そう証明した第一人者だ。

 そして、極まった資質を持った須賀京太郎は、修羅に堕ちずに強くなっている。全戦力状態とならず、暴走せずに短期間で東征大と渡りあえる実力に成長した。

 弘世命との違いは、祈りの深度と強度。ただ京太郎の方が、強く麻雀を愛していた。たったそれだけの事実だ。

 ……単純な、(おもい)の差であった。

 試作体(みこと)を経て、東征大での実験を繰り返した経験は実験体(かいり)のデータとなって集積され、莫大な資質に恵まれた実戦体(きょうたろう)として完成を見た。

 京太郎は、普通に打っていくだけで究極完全に至る。特別な練習も特訓もいらない。普通に麻雀を打たせて経験を積み、得た力を体に馴染ませ、本番(じっせん)の空気を吸ってしまえば、京太郎は勝手に強くなっていく。そういう風になっていることを、命は見抜いている。指導者としての目線で見た命の判断に、誤りはない。

 京太郎は、『鬼』にも『修羅』にもならない。極まった資質は、のびのびと力を上げていく。

 本来ならば、非才の身が彼らの領域に立つには、全戦力状態に……『修羅』にならねばならない。だから浬はそれ以上先を行くのを躊躇い、東征大の部員たちも踏み込まない。何もかもを投げ出す狂気がなければ、資格は得られない。

 故、京太郎もまたイレギュラー。常識に沿っていながら、常識から逸した稀有な存在だ。

 命は、京太郎が『修羅』に堕ちなかったことに安堵している。しかし、同時に追い抜かれていくことに悔しさを感じていることは確かである。それを悟られまいと、必死で覆い隠している。

 教え子に追い抜かれていくことは、良きこと。喜ぶべきこと。そう思い込んで己を騙した。

 大人であれば、東征大麻雀部部長兼監督である弘世命に徹することができれば。素直に認めることが出来た。

 それでも、命はどこまでも雀士だった。どこまでも、子供だった。自分より強いものがいるにならば、羨むのは当然だった。

 取り繕うとしても、己に嘘は付けない。(おもい)に、虚偽ができない。だから、治也を相手にこの無様な姿晒している。

 

試作機(プロトタイプ)正式採用機(プロダクトタイプ)に劣るものだ。しかもエース仕様のチューンアップ版……格が違うな」

「……!」

「今ここで、断言する。お前に勝ちの目は一切無い」

 

 インターミドルから目覚めた弘世命の『修羅』は、ここで打ち止め。これ以上の可能性は、無い。そう、宣告される。

 ……そして、『修羅』に頼り切った弘世命本人は時間が止まったまま。中学時代の、インターミドルのあの時のまま。

 

「負けると知りながら、出るつもりか?蘇芳と正面対決を避けてきた、お前が」

 

 インターハイ個人戦の出場を拒み続けてきた命に、そんな勇気があるとは思えないと、治也はサングラス越しから冷めた目線を向ける。

 少なからず、失望の念がある。弘世命とは、こんなものかと。

 命とて、理解している。意気地のない自分こそが、『修羅』に頼り切りであった自分こそが、何よりも情けない。

 怒りで、悲しみで、体が震える。こんなにも、こんなにも腸が煮えたぎったのは初めてではないか。

 親友に、失望されている。それが何よりも苦しい。喉を掻き毟って死にたいくらいに。

 

 

 

 

 

「……それでも、()はこのままじゃいたくない!」

 

 

 

 

 

 ────だからこそ、こんなところで終わりたくない。

 地のままの命が、時間が止まった彼が、思いの丈の叫びを響かせる。当時のままの、力の無さに嘆いた頃の時のままに。

 変われるものなら変わりたい。これが最後で最高の機会、そう踏んだからこそ個人戦に挑む気でいる。

 臆病風に吹かれたままで、後悔したくない。願うだけでは変わらない。だから、動こうと足掻いた。

 自分はまだ、憤ることが出来る。嘆くことが出来る。まだまだ、力は有り余っているという証拠だ。

 『修羅』でない、あの時のままの弘世命のままで。最強最高を目指した、少年の心のままで。

 ──あの化物たちに、勝ちたい。

 

「……ようやく、お前に会えた気がするよ。命」

 

 嘘偽りない、微塵の隠し事の無い、弘世命の本心にようやく触れることが出来た。

 能海治也は、それが嬉しくてたまらない。ああ、やっと。お前に会えたと。

 四年前のインターミドル決勝以来、彼らは『修羅』である弘世命しか知らなかった。

 そして命自身、意地っ張りな性格だ。彼らの前では『修羅』に徹し、強い自分を演じ続けてきた。

 心の読める治也ですら、読むことのできない心の壁。それを砕いたきっかけを与えてくれたのは、新たに現れた同類だった。

 

「助力は要るか?」

「要らない。僕が……()がなんとかする」

 

 一人称が元に戻る。落ち着いたせいか、『修羅』の面が再び浮き上がってきた。

 焦りで心を覗かれる程に脆弱な彼ではなく、いつもの、一切の弱味を見せない鉄壁の微笑を湛える弘世命に戻った。

 王者東征大を率いるに値する、修羅道の主。彼らが知る彼に戻った。

 

「私だけで勝ち目は無くとも……僕たち(●●●)なら、まだ可能性がある。そうだろう?」

「……!?」

 

 治也の、驚愕の表情。滅多に表情筋が動かない彼がだ。反応に乏しくなった原因は、様々な心を素で覗いているため、食傷気味になっている。つまり、ありきたりな心に飽いているのだ。

 ……その彼が、まるで信じられないモノを視た反応をする。

 

(なんっで……!?心が二つ……!?)

 

 同じ肉体に、心が二つある。そのあり得ない状態となっている命に、心底驚いている。

 本来の命と、『修羅』である命。その二つの魂、心が同居している事実。

 二重人格、とは根本から違う。レアケースであるが、そういう人間の内面を覗いたことのある治也はよく知っている。

 人の(こころ)は誰であろうとたった一つしかない。人が変わったように心変わりをする者であろうと、多重人格者であろうとも、それは心の形や色が変わるだけである。チャンネルやスイッチを変えるように、様々な面を持ち合わせているに過ぎない。その程度であれば、治也は動じない。

 しかし、命の今の状態は、一つの肉体に二つの意思(こころ)が同居している。いわば、生命(いのち)がもう一つ存在するのと同じ状態だ。

 類似する例を挙げれば、新しい生命を宿している妊婦が近しいが。あまりにも理性的過ぎる。人間がもう一人入っていると言った方が正しい。

 さらに言えば、意識的に自我をコントロールする術を得ようとしている。本来の人格である地を、激情を必要とせずに表に出そうとする方法だ。

 それが何を意味するのか、わからない治也ではない。

 

「全戦力状態のコントロールをする気か、お前……!」

「そのさらに先を行くつもりだ。貴方や信一には……ううん、他の誰にもできない課題だと思わない?」

「は、ハハッ……!」

 

 鳥肌が、立つ。寒くもないのに、寒気が止まらない。

 全戦力のコントロール。それはもう暴走状態とは言わない。

 限界を知らない、人間の力。人の内にある狂気染みた想いの力は、人の欲望そのものと言っていい。時としてそれは、神ですら容易く下す。それだけ際限の無いものだ。

 そもそも全戦力状態とは……限界の無い、身を砕くほどの狂気の想念を吐き出す暴走状態。身に余る欲を背負い込み、狂気に委ねて、限界を超えた力を叩き出す。そういう代物だ。

 命たち(●●●)がやろうとすることは、人間が有史以来……神話の時代に遡ろうとも叶わなかった偉業。

 ──人の欲の、完全な制御。それが唯一、全戦力状態を御する方法だ。

 どんな天才であろうと、出きっこない。人間が人間である限り、絶対に。

 

「……お前なら、出来ると思わせるから困る」

「出来て見せるわ、絶対に」

 

 魂を二つ持つという、正真正銘の人外であれば。人でありながら人でない化物なら。その不可能すらも可能にしてしまう。そんな説得力がある。

 一瞬でも、命を侮った自分が恥ずかしいと治也は苦笑する。そして同時に、嬉しくもある。こんなところで終わる弘世命ではないと、再認識した。

 本当なら、多少公平(フェア)でなくとも、治也は命に肩入れするつもりであった。最も勝ちの目の無い彼の助力として、勝負を面白く拮抗させるつもりだった。

 しかし、その必要はなくなった。焚きつけたせいで、命に覚醒を促した。これ以上勝負に介入したら、本当に公平でなくなってしまう。

 己の親友たちは、限界を知らない。ああ、本当に末恐ろしい。心配していた自分が滑稽だ。

 

「手伝わなくていいなら、俺も俺の事に専念する」

 

 治也は腰掛けていたソファから立ち、白衣を翻して監督室を後にする。余計な憂いはなくなった。であれば、今度は自分の事を考え、自分のために行動しよう。

 

「貴方は、どこに修行に行くの?」

「そんな仰々しいものじゃない。頼まれ事だ」

「誰から?」

「熊倉の婆さん。稽古付けて欲しい子がいるとか。明日の朝には岩手だ」

 

 熊倉と聞いて、命は思い出す。あのかわいいおばあちゃんだ。

 もっとも麻雀の力量はかわいいとは言い難いほどに獰猛である、というのは二人とも知っている。

 プロである治也、浬、そして命は彼女と知り合いだ。浬が三年の時に、東征大に訪れたことがある。

 

「あのおばあちゃん、実業団の監督じゃなかった?それに指導だったら浬先輩の方が上手なのに……」

「俺の方が都合が良いんだろう。あの婆さんが、駅前のありふれた麻雀教室よろしく、普通のヤツを面倒見ると思うか?」

「無いわね」

 

 万人に一定以上の成果を出す指導が出来る浬ではなく、若く指導慣れしていない治也を呼んだ理由。熊倉トシであれば、トッププロの浬を呼ぶコネクションはあるはずなのに。

 凡百の雀士ではなく、何かに特化した打ち手。その指導に、治也を必要としている。天才で、オカルトを解析することが可能な程の、論理に深い知識を持つ彼に。

 

「……指導、っていうより実戦だな」

「論理を口で言うのでなく、打って解らせる人だから。それでわかっちゃう感覚派もあのおばあちゃんに集まるものね」

 

 優れた雀士を惹きつける才能、京太郎程では無いにせよ、かなりの資質を彼女は持っている。

 

「俺、デジタル何だがな」

「誰だって貴方をデジタル派を思ったりしないわ」

 

 ある意味では、オカルトよりオカルトだから、負けず嫌い(デジタル)なのだろうけど。

 

「命」

「何?」

「負けるなよ。アイツらに」

 

 インターハイに出られない自分は、彼らの戦いを見守ることしかできない。口惜しいが、今回は応援に徹する。

 だから、応援する観客としての立場で。彼らの親友の立場として。弘世命には、勝って欲しい。

 秀才は天才に敵わない、という定説を破って欲しい。あの生まれながらのバグ共を、突然変異共を。真正面から打ち倒してくれ。そういう結果なら、ずっと楽しいだろうから。

 戦わない立場であるのだから、これくらいの贔屓は彼らも許してくれるだろう。

 

「……ありがとう、治也。大好き」

「はいはい、愛してる愛してる」

 

 大抵の男がクラリとまいってしまいそうな、命の告白。男だとわかっていたとしても、思わず頷いてしまいそうになる色気が漂っている。

 治也だからこそ、ぞんざいに返事を返せる。彼女持ちに、男からの愛の告白を受けたって何も得をしない。

 やれやれと、監督室から出た治也は思う。

 ──命が『修羅』でなくなっても、あの女装癖は続くのだろうな、と。

 

 

 

 

 

 男神蘇芳は、練習をしたことがない。

 正確には、『勝つために麻雀の練習』をしたことがない。

 どんな天才鬼才であろうとも、練習をせずに勝てるほど、この勝負の世界は甘くない。

 彼にとっての麻雀とは、どこまで行こうとも娯楽。楽しむための遊びでしかない。だから、そのために練習をするというのは彼にとっては失笑物だ。

 打ちたい時に打ちたいだけ麻雀を打つ。化物たちに共通する傾向だが、蘇芳は殊更顕著だ。

 神出鬼没、縛られぬ自由人、ふと目を離せば国外に居る。奔放な性格も相まって、男神蘇芳から自由を取り上げられない。

 

「反省、しとるの?」

「はい、してます……」

 

 ……彼女たちに、捕まらなければ。

 姫松高校、麻雀部部室において。蘇芳は正座させられて縄で縛られている。

 

「で、なんで恭子にセクハラしたん?」

「末原先輩、部屋の隅で震えてるやん」

 

 愛宕洋榎と愛宕絹恵。愛宕家の姉妹の二人とは、古い付き合いだ。そのせいか、行動パターンが母親にして天敵である雅枝ほどではないにしろ、読まれている節があった。

 そして、蘇芳は女子を相手に抵抗が出来ない。女子が相手では自分の巨体は凶器になるからだ。

 さて、自分は何故捕まっているのだろうか。

 ……自問するまでもない。

 

「だって、あんな可愛い尻があったら触りたくなるのが男でしょ」

 

 スパッツ越しのあの尻を見てしまったら、手が勝手に動いてしまった。

 その衝動的な行動に反省はしているものの、後悔はない。

 

「絹ー、重し」

「うん」

 

 ずしりと、膝の上にコンクリートブロックが乗せられる。

 重い、そして痛い。

 拷問を受けているこの状況。セクハラをした代償としては、安上がりだと思う。

 

 

 

 

 

 ……大阪で最も自由な高校生、男神蘇芳。

 その生活の実態を、覗いてみるとしよう。


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