二日目の練習は午後三時で切り上げる予定になっている。それは招かれた三校の帰宅時間を考えれば、この時間がギリギリだ。
そしてこの合同練習のラスト一時間前に、事は起きた。
屋上ホール、その室内のほぼ中央にたった一つだけ雀卓が置かれ、他の卓は隅へと置かれていた。
誰に命じられたわけでもなく、ただ黙々とそうしていた。自然と体が動いていた。
何が起こるのか。何を起こすのか。この東征大にいる全員は、少なからず予感はしていた。
むしろいつ起きるのか。今か今かと待ち望んでいた。今か今かと恐れ慄いていた。
中央に鎮座する卓に、ぐるりと囲む東征大部員たちと、ここへと招かれた他校の女子たち。
最終にして最高のイベント。昨日のエキシビジョンや男子プロ頂上決戦を凌駕すると、行う前から確信できる──。
この合同練習のトリを任せられるのは、彼らしかいない。
「始まるぞ」
口の中が、乾く。彼らの戦いを、白水浬は最も身近に見てきた。
京太郎を除くのであれば、彼らに最も近いのは浬だ。この練習において、彼らを相手に勝ちを決める快挙を成し遂げた程に。
それでも、慣れない。何度目なのか忘れるほどに何度も彼らは打っているというのに。自分が卓に付くわけでもなのに震えが止まらない。
彼らに出逢ってから──麻雀という競技が、四人でやるものであることに感謝しなかった日はない。そして、彼らが四人であったことも相当な幸運だと信じている。
もしも麻雀が五人でやるものであったなら。今頃自分は麻雀をやってはいないと確信している。麻雀牌を手に取れない体と心にされている。
「予選始まったらインハイ終わるまでお前らと打てねぇからな」
──時代に選ばれた寵児、突然変異の『怪物』、佐河信一。
「……全く、プロの身分がここまで厭になったのは初めてだ」
──全盲の全知全能、無謬無窮の『天才』、能海治也。
「では、いきましょう」
──修羅道の統率者、最狂最悪の『修羅』、弘世命。
「全力で、やろうぜ」
──ゼロに隣り合う者、十代最強の『奇跡』、男神蘇芳。
「かのインターミドルの再来。アイツらが何の遠慮もなしに全力を出せる相手っつったら……アレしかない」
卓につく、
化物に対抗出来るのは、同じ化物しかいない。
彼らは化け物だが、そういう意味では恵まれ過ぎた化け物たちだと浬は思う。もし一人でも欠けていたら、彼らは今頃麻雀をやっていなかっただろうと、こんな風に笑ってなどいなかっただろうと予想できた。
誰も彼もが不世出の天才、鬼才、怪物、奇跡ども。それが同じ時代に、同じ世代に生まれた。
最早確率で計れるモノではない。ゼロコンマにいくらゼロを重ねても、決して到達することのない奇運。
彼らもまた、麻雀を愛する者たち。体は大きくなっても、心は童のように、日が暮れても遊びに夢中になる幼子たちだ。
流れ星に願うように、彼らは願ったのだろう。自分と一緒に、存分に、全力で楽しめる相手を欲したのだ。
彼らの強く、そして純粋な想いは、現実を歪めて実現させたのだ。出逢うはずのなかった奇跡を、すれ違うはずだった邂逅を、成し遂げてしまった。そこに運が介在する余地はなく、彼らは決して偶然や運命といったモノを決して信じはしないのだから。
四年前に出会えた同類たち。自分たちの人生を変えた、最高の親友たち。
──そして同時に……絶対に負けたくない仇敵同士である。
「須賀くん、君は幸せ者だよ」
「俺が、ですか?」
この勝負には、この対局には、彼らが京太郎へと伝えたいメッセージがある。
「アイツらは、たとえ何万何億積まれたって打たないって決めた麻雀は絶対打たない」
未成年で金を賭けた麻雀を打つこともある悪ガキ共であるが、金のために麻雀を打つヤツらではない。大金が動く場所しか棲まない雀士と打つためなら、賭け麻雀すら厭わない。
金では絶対に動かない。その対局に興味を持てるか否か。それだけが彼らの行動理由である。
増しては全員が全力を出すなど、そうそうある機会ではない。
「この勝負はお前さんのためにやっているようなもんだぜ、須賀くん」
麻雀には一切妥協しない、ワガママで、大人気なくて、子供で、負けず嫌いなあの四人が。誰かのために打つなど前例はなかったしこれからも無いはずだった。
そんな彼らの心を動かしたのは、紛れもない京太郎だ。
「まだ……アイツらを超えたいって思ってるか?」
「当たり前です」
疑いなく、京太郎は断言する。彼らの打倒、それは変わらない。変わりたくない。
麻雀を楽しむために、力は得た。泥を啜り、灰に塗れ、心身共にボロボロになって、ようやく得た力だ。しかしそれは麻雀を楽しむための手段でしかなく、目的ではない。京太郎の目的は一貫として、麻雀を楽しむだけに向いている。
どんな相手とも楽しむために、手加減を覚えた。最後に皆と笑って終われることこそが京太郎にとっての最上の勝利だ。
しかし、彼もまた男の子。譲れない意地が彼の中にある。
彼らは遥か彼方に立つ遠い場所に立っている。誰も彼もが京太郎の憧れで、目標で、倒すべき怨敵。
彼らに対しての
「言うねぇ。その『当たり前』が言えないヤツらがこの世に何人いるんだか」
自分を含めて、その当たり前が言えなかった。
京太郎のその無謀さが。その蛮勇が。その勇気が。とてつもなく眩く浬の目には映った。
これが若さなのかと、歳を取った気がしてならない。
「よーく、目に焼き付けとけ。アレが、アイツらのいる場所だ」
来るインターハイ。彼らは必ず、全国の舞台に集うだろう。
これは、この対局は、京太郎への、先達からの贈り物だ。
彼らが今いる場所がどこなのか、それを
彼らは全力を尽くして、出せるもの全てを吐き出す対局をするだろう。全力中の全力。遠慮も手加減も容赦もない、全霊を込めた勝負を魅せる。
それをあえて、京太郎に晒す。インターハイでぶつかるであろう宿敵に。今なお底知れない成長を続ける、超新星へ。
普通なら不利益にしかならない行為である。情報を晒すことに、何の利益は生まない。
普通、なら。
「今背中が見えたとしてもな。インハイになったら、もうそこには居ないぞ」
そんなこと、京太郎とてわかっている。
インターハイでぶつかる時、その時の彼らは今と比べ物にならないほど強くなっている。そういう確信がある。
彼らもまた、雀士としての成長期の真っただ中。まだまだ伸びる。まだまだ強くなる。その事実が、京太郎を震わせてならない。
ここであえて、背中を見せる理由はただ一つ。昨晩、京太郎が大星淡にやったことと同じ。須賀京太郎を、最高の宿敵と認めた証。ただこれだけを伝えたいがために。
────待ってなんか、やんねえぞ。
「……上等だよ」
全身の震えが止まらない。顔は笑ったまま、元に戻らない。
内に渦巻くのは、歓喜か。恐怖か。あるいはそのどちらもか。
ようやく、京太郎は彼らに認められた気がした。真の意味での対等であると。
倒すべき仇敵。愛すべき親友。全力をもって挑まなければならない最大の脅威として。持てる力の限りをぶつけたい最高の朋友として。
この対局を、目に焼き付ける。心に、魂に刻み付ける。
────この対局が終わったら、俺たちは
「ありがとう、ございました!!」
『ありがとうございました!!』
白糸台、姫松、千里山の三校の女子がバスに乗り込む前に。命を筆頭とした東征大の部員たちが見送りに来ていた。
歓迎の時と変わらない、大声量。声以上に伝わる気迫は、凄まじいに尽きる。
だが、今度は彼女たちはソレに負けない。一歩も引かない。ここで退いてしまったら、この地獄に来る前から何も成長していないと証明するものだ。
『ありがとうございました!!』
声を揃えて、言い返す。
揃わされて言わされた時とは違う。自分らの意思で、心で、彼らに反逆した。
生き残ったぞ、潰されなかったぞと、胸を張る。化物たちに、一歩も退かなかったという自負がある。
まさに、ここは地獄であった。負けた数は数え切れない上、勝った回数は皆無。こんなにも麻雀が嫌になりそうになったのは、初めてだった。
それでも耐えた。屈しなかった。潰されなかった。──ならば、私たちの勝利だ。それを疑う者は誰もいない。
彼女たちは、ここを去れば敵同士。全国の舞台で頂点を争う相手でしかない。
だが、それでも。ここで同じく生き残ろうと学校の垣根を越えて協力し、戦った仲だ。
敵であることと、戦友であったことは矛盾しない。
もう帰るばかりになり、白糸台、姫松、千里山の三校の女子たちはバスへと乗っていく。
「…………なぁ、雅枝。鎖で縛んのやめてくんね?俺はMじゃねぇんだけど」
そして蘇芳は今、両手両腕を鋼鉄の鎖で縛られ、さらに首輪をされてそこから繋がる鎖で引っ張られている。
傍から見れば奴隷かマゾヒストの変態にしか見えない。
そしてその鎖の先を持つのは千里山女子麻雀部監督、愛宕雅枝。さながら女王と奴隷である。
似合い過ぎて笑えない。彼女の娘の二人すら、雅枝に近づこうとしない。あのドS女王様とは無関係です、というスタンスを貫き通している。
「せやな。ウチもそういう趣味やあらへん」
「だったらやめようぜ。こんなの、虚しさしか生まないじゃないか。
「だけどなぁ。お前の手荷物にパスポートとビザと、ロサンゼルス行きのチケットを見つけたら……なぁ、そういうわけにもいかんやろ?」
「…………」
蘇芳はそっぽ向く。雅枝の顔を見ることができない。
この合宿が終わったら、そのままいつもの要領で行方をくらませて、高跳びしてベガスで数百万ドル程度稼いでくる予定だった。無論、学校をサボって。
母親代わりの雅枝が、そんなものを見たら止めるに決まっている。というより、蘇芳を一時でも見逃すことなど出来はしない。ほんの一瞬でも目を離した隙には、もうどこかへと消えていることなど経験で知っているから。
だからコレは、正しい判断である。紐であるなら蘇芳は引きちぎって脱出するなど楽勝であろう。この鋼鉄製の鎖でなければ、蘇芳を拘束するのに不十分だ。
「いやー、良い様だなー」
「おうコラテメェ
「知り合いの記者に送ろうと」
「マジで!やめて!下さい!」
「あ、信一。私にも一枚ちょうだい」
「俺もくれ。記念にとっとこう」
「
「そう言いながら、割と興奮しているんだろう?」
「あ、やめて
「「「うっわぁ」」」
「引くなそこぉっ!?」
今の蘇芳に味方は皆無。親友たちでさえ、弄る対象として見ている。
彼らは割と容赦を知らない。犬がドブに落ちていたのなら、棒で叩いて沈める奴らである。
「京太郎!お前なら、助けてくれるよな!?」
「じゃあ、蘇芳先輩。好きな女の子を教えて下さい」
「え、いねぇけど」
「すいませーん、俺にも写真くださーい」
「俺が何をしたっていうんだぁー!?」
嘆く蘇芳。京太郎にさえ、見捨てられる。拡散していくマゾ写真。いくらなんでもあんまりだった。
素直な後輩が。自分と同じタイプだと思っていた後輩が、こんなにも薄情だとは思わなかったと深く傷つく。
「じゃ、園城寺。これ、持っとけ。手放すなよー」
「え、あ、はい……」
鎖を雅枝から怜へと手渡される。
しめたと思い、蘇芳は内心で笑う。
怜になら、情が通用する。こんな哀れな自分を、解放してくれるに違いない。
「なあ怜。頼む、解放してくれ」
いつもなら、高く見上げるはずの長身の彼が。跪いて上目遣いで自分を見ている。
そして、目に涙をうるませて、自由の解放を懇願する姿。
あの男神蘇芳がだ。自由奔放、神出鬼没。捕えられる者など皆無の存在が、今自分の手で縛っている。
──ちょっとした、嗜虐心が生まれた。
「ぐっ……」
少しだけ、首輪に繋がれた鎖を引っ張った。
大して力を入れていないが、それだけで蘇芳が苦悶の表情を浮かべる。
その苦しそうな顔を見た瞬間、怜の中で、何か新しい価値観が芽生えようとしていた。
「…………アカン、何かが目覚めそうや」
「ねえちょっと待って!?
彼女の顔は明らかに紅潮し、言いも知れない快感に揺さぶられていた。
大人しそうな外見に反して、素質はあったのだろう。割と毒舌家なところもある。特に
そのまま蘇芳は、怜に引っ張られてバスに乗り込まれる。また会う時は、鎖から解放されていることを彼らは切に願う。
「ねぇ、須賀」
「大星?」
淡に声をかけられた。そういえば、練習ではまともに相手にしてやれなかったなと悔いが残っている。
麻雀の全てを教えてやるなど言った手前、何も教えてやれなかった。そのことに、少し責任を感じている。
「コレ、私のメアドと電話番号」
「えっと……」
「あと、これから淡って呼んで。私もキョータローって呼ぶから」
じゃね、とメールアドレスと電話番号が書かれたメモを京太郎のワイシャツの胸ポケットに押し込み、伝えたいことだけを一方的に伝えた後、彼女はバスに乗り込んでいく。
「
──だから、必ず来て。
また、会いたいから。また、打ちたいから。
どうして彼にそう思うのか、彼女自身にすらわからない。
昨日、泣き尽くした後から──心のどこかで京太郎のことを想い続けていた。
胸がチクリと痛んでいる。想えば想うほど、渇くように彼のことを想い続けている。
その痛みが、渇きが、淡は妙に心地よい。
想い過ぎれば痛いのに、苦しいのに。それでもなお想わずにはいられない。
まるで、麻薬。中毒性と副作用がとびきり強いというのにやめられない。わかっていてもやめられない。
昨日の麻雀が楽しすぎたから?それとも別の理由?
彼女の中で、昨晩から渦巻くこの気持ち、この思い。知りたいと願ってしまった。
この答えはきっと、また彼に逢えばわかると思うから──。
「……ああ、絶対行く。遅れんなよ、淡!」
彼女の名前を京太郎は呼ぶ。ただそれだけなのに、しっくりくる感触がある。
ああ、そう呼びたかったのだなと、自分の中で自覚する。いつまでも苗字呼びは、他人行儀だったから。
待っている、とはいわない。誰かを待つほど、自分に余裕はないから。自分もまた、追う側の存在であるから。
──須賀京太郎も大星淡も、
「うん!
再会を願って、またね。
名前で呼び合える、この心地よさ。悪くないと京太郎は思っている。
しかしそれ以上に淡は、名前を呼び、そして呼ばれた幸福感を全身で震わせている。
この場に自分以外がいなかったら、跳び上がって歓びを全身で表現していたに違いない。
「ったく、俺らも行くぞ
「はい!」
浬が運転するセダンに、信一は乗り込んでいる。長野から来た二人はこれに乗って駅まで行き、来た道を帰る。
車に乗る前に、京太郎は東征大の皆の前に立つ。
そして深々と、頭を下げた。
「──本当に、本当に、ありがとうございました!!」
京太郎には、それしか言いようがなかった。
ただただ感謝しかない。大恩ある彼らに報いる言葉は、これしか思い浮かばない。
弱かった自分を、強くしてくれた。遠慮なく、容赦なくぶつかってきてくれた。麻雀の愛し方を、その姿勢を見せてくれた。
京太郎にとって、この東征大での経験は大切な宝物になった。その宝を分け与えてくれた彼らには、いくら礼を述べても足りないし尽くせない。
「須賀くん……ううん、京太郎くん。お礼はとても嬉しいけど、まだ早いわ」
「今度は全国だ」
「そこで俺らと打とう。俺らに勝ったら、また言ってくれや」
「強くなったって、見せてくれ」
命を始めとした、京太郎が
全国で打とう。その約束だけで十分だ。
そこで強くなったと証明してくれ。自分らを越えてくれ。
それが最大最高の恩返しだ。
「まあ、何にせよ──」
────負けないがな。
「……!」
どっと、伝わるオーラ。東征大部員全512名による全力の威圧。
全国最強、東征大。その名に恥じぬ、王者の暴威。
ああ、ここに来る前の自分であれば圧倒されていただろう。呑まれて食われて、立っているだけでも精一杯だったはずだ。
だがそれでも、今の自分は揺るがず立っている。彼らのオーラに負けず、真正面から対抗できている。
ここまで強くしてくれたのは他ならぬ彼らのおかげだ。そう信じて、京太郎は疑わない。
だからこそ、この報恩は全国で返そう。彼らを打倒し、この受けた恩を全力で報いよう。
「また、会いましょう」
──
飯田線を登る最中。長く、長く揺られる電車の中。
日は沈み、車両の外が暗くなった頃。
「京太郎」
「はい?」
「俺は明日から修行に行ってくる」
「修行っ!?」
唐突に、そんな話が振られてくる。
なんとも素敵な少年誌的フレーズを聞き、京太郎は食いつく。
東征大の合同練習もまた修行であったが、信一が言えばさらに少年漫画チックに聞こえてくる。何せ神降ろしなどというオカルトを使うのだから。
京太郎の中の童心を揺り動かす言葉。付いていきたいと、強く思う。
「連れてって──」
「いかない。これに関しちゃ、絶対にダメだ」
「えー」
「そう不満そうな顔すんなよ。これに関しちゃ、俺は学校サボっていくからな」
県予選が始まるまで、信一は自分のことに専念するつもりでいる。学校をサボらせてまで、京太郎を振り回すつもりはない。
この東征大の練習で、信一は深く感じていた。
──自分は、想像以上に鈍っているという事実。全力を行使し続け、はっきりと自覚させられた。
想定以上の成長を続ける京太郎や、同類の治也や命、蘇芳といった同類たちと打ち、実感していた。
プロユースというぬるま湯は、信一の全身に錆がまわる結果になった。
ユースにはロクな雀士もなく、飽いてサボって、その態度を矯正しようとしたプロを逆に伸し、裏レートの雀荘に入り浸り、大して使いもしない金を増やし続ける。京太郎に出遭うまでの信一の日常とは、そういうものであった。
自業自得、ではあるが後悔はしていない。衰退もまた良し。青汁よりずっと不味い代物であるが、嫌いではない。
「わりーな、京太郎。俺も勝ちたいんだ」
このインターハイ、ユースの立場を捨てても出場する価値がある。蘇芳が出て、京太郎が出て、そして命も出る。この面子がいる全国で、勝ちたいという欲につかれてしまうのは仕方のないものだった。
そのためにもこの身の錆を落とし、ブランクを取り戻す。
「京太郎。正直言うと、俺結構焦ってるんだぜ?」
「そうは見えないですけど」
「そう見えるのは、この焦燥も俺は楽しんでいるってことだ」
「……そんなもんですか」
いつもと変わらない、余裕をたたえた笑顔にまるで信じていない京太郎だが、信一の内心は焦燥感でいっぱいであった。
……その原因の一つとして、京太郎の存在があった。
極大極上の資質を持ち、そして東征大の合同練習を経た彼は、次元を三つ四つ超えた力を得るようになった。予測していた成長速度を圧倒的に上回る進化速度は、大いに信一を驚かせ、そして恐怖させた。
もう何も、教えることはない。手加減すらも会得してしまったら、もう京太郎は信一に手に負えるものではないのだ。
本来なら。自分はユースを辞めるつもりも、インターハイに出るつもりもなかった。そこまで興味を惹かれるものがなかったから。順当に蘇芳の優勝。それで終わるようなものだとわかりきっていたから。
だが、彼らを突き動かしたのは他ならぬ京太郎である。一打一打に魂をかける麻雀。そのひたむきさ、熱心さ、真剣さ……そして何よりも楽しそうに麻雀をする姿は、超我が侭の彼らの心を揺り動かした。命に個人戦の出場を決意させ、信一にユースを辞めさせる切っ掛けにさせるほどに。
県予選まで、残り僅かな時しかない。その期間の間を、自分の修行に充てる。
「俺に、勝ちたいんだろ?」
「はい」
「なら、いつまでも俺におんぶ抱っこじゃダメだな。そうだろ?」
県予選が始まるまで、ずっと付き合うつもりでいた。京太郎を強くして、インターハイへと連れて行くつもりであった。
しかしもう、それは過去の彼方。あの初心者の須賀京太郎はもう、どこにも存在しない。
今いるのは、己の首を食いちぎらんと虎視眈々と狙う油断のならない宿敵。文句のつけようのない、仇敵の須賀京太郎だ。
改めて、認めなければならない。
「俺だって、お前に勝ちたいんだ」
最高の脅威として。超えねばならない壁として。超えていきたい目標として。
「宣戦布告だ、京太郎」
──お前を、超えるぞ。
「最っ高……!」
憧れからの、宣戦布告。身が震えるほどに嬉しく、同じくらいに恐い。
最高の憧れから敵として認められ、全力で首を獲りに来る。こんな名誉なことはない。
「受けて、立つ」
翌日。清澄高校の麻雀部の部室に京太郎はいた。
大会まで、信一とは出会うことはないだろう。そんな確信が、彼にはある。
自分はここへと戻ってきた。大会まで戻ってくるとは思わなかったこの場所へ。
ここに居ると懐かしさすら感じる。部に顔を出さなかった時間は、そんなに長期ではなかったはずだというのに。
あまりにも、濃密な時間であった。信一といた時間も、東征大での時間も。たった数日が何か月も何年も感じられるほどに。
部室の扉の奥から、足音が。ここへと入ってくるだろう部員だろう。
扉が、開く。
「……ただいま」
扉を開けた彼女は、その先にいた彼を見て一瞬驚く。ちょっとの間見なかっただけで、物凄く顔つきが男前になっているように見えたから。
それでも、すぐにいつもの優しい彼の顔に見えてくる。
ちょっと会わなかっただけで、とても懐かしい。
「──おかえり、京ちゃん」
東征大編《プロローグ》、カンっ!
色々詰め込み過ぎた感が否めないけど。
まあ、満足。
さぁて、こっからが本番だぜぇ……。