SUSANOWO麻雀紀行   作:Soul Pride

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 佐河信一と交友を深めてからの須賀京太郎が勝てないと判断した相手は、実のところ誰もいなかった。

 そもそも京太郎にとっての勝てないという基準はとても厳しい。あの東征大の地獄を潜り抜け、化物共との死闘を演じた彼は、相応の実力を得ていた。

 次元を超えた領域にまで至った彼であるが、麻雀の力量以上に伸ばしたのは強靭な精神的耐力(タフネス)だった。絶望的実力差のある相手であろうと、気迫で負けない心の丈夫(つよ)さ。東征大にて養われたのは、麻雀とは常に平等で対等である事を忘れない気概だ。

 元々、強大な資質に恵まれている京太郎だ。麻雀への執着(あい)を強さに変えている彼は、自然と精神的な方向に特化していった。

 屈しない自我、朽ちない心、風化しない精神を併せ持つ雀士。清澄の部室で負け続けてきた京太郎が無意識に描き、そして目指していっている須賀京太郎(おのれ)の最強の姿だ。

 そんな須賀京太郎(さいきょう)の敗北とは。一生涯を麻雀に費やしても、勝てない相手と認めること。それが彼にとっての敗北だ。

 百回だろうと千回だろうと,万回だろうと億回だろうと。何度負けようとも、何度繰り返そうとも……勝ちを一度でも拾えたら、京太郎はそれを負けた数をそのままやり返せば勝てると本気で信じている。

 それは佐河信一だろうと、弘世命だろうと、能海治也だろうと、男神蘇芳であろうとも変わらない。遥か彼方にいると思っていた彼らであるが、この一日で、背中は見えた。

 だが、この大星淡には勝てそうにない。

 ただ、勝負の結果として彼女を下すことは可能である。終局した際に最終的な点数が淡より上だというのが勝利だというのなら、赤子の手を捻るより楽なことだ。

 しかしそれは須賀京太郎の勝利ではない。

 勝った負けただけで、麻雀をやっているのではない。それはいくらなんでも殺伐としており、楽しくない。

 誤解を招くようだが勝ち負けを競うのが麻雀であり、勝ちを目指さない相手など死人も同じ。卓の全員が勝利を目指すのは大前提であり、それを否定する気はさらさらない。

 勝ち負けだけで麻雀をするのは彼は嫌う。

 ────須賀京太郎にとっての勝利とは。卓を囲んだ全員が、笑って終われることを言うのだ。

 それに比べたら、点数の上での勝ち負けは小さいものだ。納得のいく負けであるのなら、京太郎は笑って受け入れる。

 傲慢だと、驕りだと、我が侭だと非難されるだろう。しかし京太郎は、それを曲げるつもりは毛頭ない。

 麻雀に関しては、彼は子供で、欲張りで、我が侭なのだ。欲しいモノを見つけてしまったら、それを全部手に入れなければ気が済まない。

 妥協を許さない完璧主義者。否、たくさんのオモチャを欲しがってだだをこねる幼子といった方が正しい。

 これは他の四人にも当てはまり、彼らの領域に近づけば近づくほどに性格が似てきていった傾向にあった。

 

(……だからこそ、わっかんない)

 

 表情の上では笑みを浮かべてはいるが、彼は内心切羽詰まっていた。

 彼女の天才性と同等の、高潔な精神。ガラスのように脆くありながら、宝石のように眩い。その心を揺さぶる方法がわからない。

 乱暴に触れれば壊れてしまう。優しく労われば響かない。

 扱いの困る、コワレモノ。それが大星淡という少女だ。

 

(だからこそ、面白い!)

 

 この窮地、この切迫感。ジリジリと追い詰められていくこのスリル。足先から頭頂部を駆け抜けるこの震えは、全力で挑んでいたら味わうことのできなかったものだ。

 加減を覚えるというのも中々に悪くない……そもそも、今の京太郎は力を制限するというより、力を遡っているというのが正しいため、不器用な彼は今も全力なのは違いない。

 限界を超えた全力でバチバチぶつかり合う、殺気と闘志と気迫に満ちた対局も良い。しかし、対等の力で比べ合うのもまた良い物。

 

(これで、こっち側に連れてこれたら文句はないけど。そういうわけにはいかないか)

 

 彼女がここに来るのはまだ早い。今いる場所の楽しさを知ってから、ここへと来てもらいたい。

 何も目にくれず、ここまで突っ走ってきた京太郎が言えたことではないと自覚しているが。淡なら、いずれここに来ると信じている。

 ──その時にこそ、本当の全力でやり合おう。

 

 

 

 

 

 オーラス、南四局流れ2本場。

 ドラは{①}。

 今現在の点数は、淡が40100、京太郎が7600、誠子が26200、尭深が24100。場に供託棒が二本ある。

 ここまで、京太郎は焼き鳥。そのほとんどを、尭深と誠子へのサポートで局を流し続けてきた。

 淡のダブリーより速く和了するために。尭深と誠子、京太郎は協力体制を敷いていた。

 速度で勝つか、間に合わず火力で押しつぶされるか。本気の大星淡との対局はそうなる傾向にある。

 しかし、須賀京太郎がいる場合だと話は違っていた。

 今の京太郎は淡の実力と同程度にまで調節することに成功している。歯車が噛み合うような、確かな手ごたえが彼の中にあった。

 そして、淡と同じように二種の能力……高火力打点の他に、もう一つの能力の使用が許されるようになっていた。

 彼女が二種使えるのなら、京太郎が二種使えても何もおかしくない。元々、レベル3に至っているというアドバンテージがあるので、それが才能の差を埋めていた。

 京太郎の、もう一つのオカルト──それは、自分の和了を放棄することで、他家の和了を完全に封じる能力。そういうオカルトが、今の制限(てかげん)状態の京太郎でも使うことができた。

 ほぼ必ずツモ和了するはずの、淡のダブリー。それを阻止する能力によって、淡の和了を止めていた。

 戦わないが故に、決着がつかない。負けたくないのであれば戦わなければいい。

 もっとも、それはオーラスになるまで。

 ここから、攻勢にかかる。

 

(とはいうものの、気をつけなきゃいけないのは大星だけじゃないんだよなぁ)

 

 このオーラスは、真っ向勝負。和了封印のオカルトは使わない。

 淡の絶対安全圏を真っ向から打破するオカルト使いが、目覚めるのだから。

 

 

 

 

 

 尭深:{南}{南}{白}{白}{白}{発}{発}{発}{中}{中}{6}{②}{八} {中}

 

 

 

 

 

 チラリと、京太郎は眼鏡の彼女の方に目を向けた。大人しい雰囲気に反し、手牌から感じられる凄みは侮れないものがある。

 渋谷尭深の能力、ハーベストタイム。第一打目に切った牌を、オーラス時に呼び込むオカルト。

 その強制力は凄まじく、絶対安全圏を真っ向から打破し、もし天和が可能なまでに揃えられていたら京太郎の和了封印すら抑えることが出来ないほどだ。

 尭深の役満和了率は他の選手と比べても群を抜いて高い原因である。その役満はオーラスで和了している。

 スロットの数は9。そして都合よく{中}が舞い込み、大三元が確定する。

 

 尭深 打:{②}

 

(怖いなぁ、この人も)

 

 ……だからこそ、勝負はオーラスと決めていた。

 彼女の心を震わせるには、ここしかないと。

 

「リーチ!」

 

 淡 打:{横②}

 

 淡はダブリーを解禁してからずっと、全て第一打はダブルリーチで統一していた。

 自分の持つ最強の武器で京太郎を倒してこそ、彼の本気に挑めると信じた故に。手加減なしの、全力の京太郎と打ち合えば、自分の知らない麻雀を知れると信じた故に。

 局が進むにつれ、京太郎の力が自分とほぼ同等になったことに気付いていた。手加減に成功し、そしてダブリーの和了を完全に封じていることも。

 増えていくばかりの供託棒。いたずらにリーチで減っていく自分の点棒。決まったのは、最初の一発だけだった。

 一旦ダブリーを止めることも考えた。しかし、その考えはすぐに振り払った。

 攻めているのは自分で、ジリ貧なのは京太郎である。彼は攻めないのではなく、攻められないのだ。

 攻め手を緩めてしまったら、それこそ京太郎の思うつぼ。その隙を縫って、直撃を撃ってくるくらいしてくる。

 そのまま、オーラスにまでもつれ込んだ。亀のように守りを固めていられるのも、これまでだ。

 点差は広がっている。なら、無理をしてでも攻めてくる。

 淡は、対局を通して理解してきた。京太郎の、麻雀に対する姿勢を。

 ──彼は、自分と同類だ。

 悔しいが、自分より上にいることは認めている。ここまで点差を広げられたのは、彼が手加減に苦慮していたからだ。

 しかしそれでも、どうしようもないほどに負けず嫌いだ。強いはずなのに、手加減しているはずなのに、負けもまた良と受け入れているはずなのに……それを負けていい理由にしていない。

 だから強い。同じ負けず嫌いである淡も理解できた。

 須賀京太郎は勝ちを狙ってくる。これは間違いなく、絶対にだ。二位狙いという、ぬるいことはしない。

 麻雀をやる以上、須賀京太郎に妥協はない。一位を目指すしかない。頂点へと駆け上ることしか知らないのだ。

 たとえ大敗の可能性が増すとしても。それを恐れることはない。悔いを残すことの方が、何よりも怖いから。

 ──楽しめない、納得のできない麻雀こそ、京太郎にとっての真の敗北で……忌避すべきものであるから。

 

 京太郎 打:{横南}

 

「リーチ」

「っ!?」

 

 淡の絶対安全圏を無視した、京太郎のダブリー。これには彼女も瞠目する。

 尭深のハーベストタイムのような強制力もなしに、かかりつけた配牌聴牌。オーラスだからこそ、手を緩めた気は淡にはなかった。

 どういう理屈でやったのか。もしや、最後の最後で本気になったのか。

 京太郎の雰囲気は変わった様子はない。レベルが一つ上がればあの四人と同じような空気を纏うようになる。

 だが、雰囲気はそのままに……感じられる波濤は、何倍も強く感じられた。

 未開封の炭酸飲料を開けた瞬間、泡が噴き出すような……抑え付けられた器から、飛び出したような勢いがある。

 

「俺のオカルトは、使わなければ使わないほど、力が蓄えられる。一発逆転向きでもあるんだ」

 

 溜めていた力を解放した。初めてオカルトを使った際に、 重ね役満を和了した時のように。眠らせていた力を、目覚めさせた。

 あの時は燻り続けていた分もあってか、盛大な産声(かくせい)となったが。最低でも満貫、勢いが乗れば余裕で役満を連発させることも出来る、シンプルにして強力な能力だ。

 和了封印によって、高火力打点のオカルトを使わずにいた。それによって能力の力は高められ、絶対安全圏を無理矢理に打ち破ったのだ。

 そしてダブリーのぶつけ合いという淡の土俵に乗った。

 尭深、淡、そして京太郎。誰も彼もが大物手。このオーラスは正しく火薬庫である。

 

「最後は真正面からだ。これであがれなかったら、俺の負けだ」

「あがれたら、アンタの勝ちってこと?」

「さあな」

 

 京太郎は、己を信じている。

 溜められるだけ溜めた、己自身の力。これで彼女を揺さぶれないのであれば、手の打ちようがない。

 最初にして最後の勝負。機はオーラスしかないと最初から睨んでいたからこそ、今までずっと守勢に回っていた。

 大星淡の度胆を抜いて、笑って麻雀を終わらせる。京太郎の目的は、終始一貫してソレだ。

 

「行くぞ、大星淡」

 

 ビリビリと感じられる、京太郎の覇気。まともにそれを浴びた淡は、全身に電流が流れるように痺れる。

 顔は不敵に笑みを浮かべている。麻雀を心底楽しみ、そして自分を信じていなければ決してできない表情だ。

 嫉妬すら覚える。そんな風に笑えるなんて、とても羨ましい。

 そんな彼から惚れてしまいそう、なんて言われた。意識してしまうと、今更ながらに顔が熱くなってしまう。

 蕩けそうなほどの陶酔感。緊張した空気だというのに、心地良いと感じてしまう。永遠にこのまま打っていたいと、願ってしまうほどに。

 しかし、万物には必ず終わりがあるように。この勝負にも、終わりがある。そのことに、淡も気付いている。気付いているからこそ、目を背けた。

 ──そして数巡後。終わりは唐突に訪れた。

 

「カン」

 

 {裏}{①}{①}{裏}

 

「あっ……」

 

 口からこぼれた、この対局を惜しむ声。終わりが来たと報せる合図。

 京太郎のドラが乗ったカン。新ドラは同じように{①}で、ドラが8。

 淡の支配領域は裏ドラ。京太郎はそれを縫って、見えるドラを支配した。

 

「カン」

 

 {裏}{9}{9}{裏}

 

 導火線に火が付き、火薬が爆発する。

 嶺上牌に手を伸ばし、彼の華を咲かせる。

 宮永咲が峰の上に咲く花であれば、佐河信一は紅蓮地獄に咲く曼珠沙華。そして、須賀京太郎が咲かす華は──。

 

「ツモ」

 

 

 

 

 

 {1}{1}{6}{7}{8}{⑥}{⑦} {⑤}

 

 {裏}{①}{①}{裏} {裏}{9}{9}{裏}

 

「ダブリーツモ、ドラ8、嶺上開花──6200、12200。逆転だ」

 

 

 

 

 

 夜空に花開く、大輪の花火。一瞬を眩く輝く、刹那の華。

 連続で発射された花火が天高く昇り、開花して暗黒のキャンパスを彩り、最後は散って暗黒に溶けるように消えていく。

 爆発する轟音と、僅かに香る火薬と煙の臭い。

 美しく、そして儚い。絢爛でありながら、侘しさが同居する。

 これこそが須賀京太郎の華。ほんの数秒、その一瞬をきらめく花火。

 一つ一つが魅せられる。一つ一つが心を打つ。

 この対局の最後を締めるに相応しい、最高最美のスターマイン。

 

「──綺麗」

 

 淡の心は揺れる。見惚れてしまう。

 こんなにも綺麗なものがある。こんなにも美しいものがある。

 実際には数秒しか経っていない。だが彼女にはこの数秒が何時間にも凝縮されていた。

 何千発もの打ち上げ花火は、淡を飽きさせず感動させ続けた。

 一発一発が、彼の心の在り様であった。語らずとも雄弁に、麻雀に真摯な須賀京太郎の姿を伝え続けている。

 ──最後の一発が散った瞬間、頬に熱いものが流れているのを感じた。

 

「あっ……」

 

 それが涙と気付いた瞬間、流す勢いがさらに増した。

 雫がぽろぽろと手のひらに落ち、熱く感じる。

 悲しくないのに泣いてしまっている。痛くもないのに泣いてしまっている。辛くもないのに泣いてしまっている。自分に起きていることに、まったくわからずにいる。

 

「う、うぁ……」

「お、おい、どうした……」

「うぁああああああああああああ!」

 

 堰を切ったように、啼いた。泣かずには、いられなかった。

 泣いて、啼いて、鳴いて、哭いて。そうするべきだと、体と心が叫んでいる。

 自分に取りついた悪いものが涙と一緒に流れていく。淀んだものが綺麗になっていく。そうなっていくのを、淡は本能的に理解している。

 

「ど、どうすりゃいいんですか……」

 

 手加減を誤ったのかと京太郎は彼女を心配する。そんなはずはないと確信はあったが、不慣れな事だったからミスは必ず付きまとう。

 泣かれて困るのはこっちだ。男は泣く女の子には、決して勝てないのだから。

 

「あー、ごめん。大星はこっちで何とかするから」

 

 誠子が言外にお前は戦力外と言っている。勝者が敗者に語りかける言葉はない。

 京太郎もそれを弁えて、一礼する。

 

「お願いします。あ、あと……打ってくれてありがとうございました」

「ああ、うん。結構楽しかったよ。私もこんなに怯える必要はなかったな」

「ごめんね、勝手なこと言って」

「いえいえ。そう言ってくれると、嬉しいです」

 

 この対局は、京太郎の勝ちだ。内容としても、勝負としても。

 麻雀卓から席を立ち、遊戯室から出ていこうとする京太郎。

 だが、彼女が彼を呼び止めた。

 

「ま、待て……」

 

 泣きながら、嗚咽しながら、淡は京太郎を止めた。

 

「……また、打ってくれる?」

 

 大星淡も、この麻雀は楽しかった。楽しかったからこそ、もう一度味わいたい。

 再戦の約束。今度は負けないと、今度打つ時はもっと強くなっていると誓う宣誓だった。

 

「おう」

 

 京太郎はそれを受けて立つ。彼女がもっと強くなって自分の前に立つ時を、待っている。

 

「追いついてこい。待ってなんかやらねーから」

 

 対等と認めたから、待ってやらない。大星淡を、ライバルと認めた証だ。

 自分ももっと強くなっているから、覚悟しろ。

 置き去りにされたくなければ、自分の足で来い。

 

 ──その背中は遠く。そして尊い。

 ──だからこそ、追う価値がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大星淡は壊れなかったが。ある意味では壊された。

 ……それに彼女が気付くのは、また後の話。


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