「まーさーか~、おなじ新幹線に乗ることになるなんて、不思議なことも起こるもんやな~」
「そ、そうですね」
間延びした口調が特徴的な姫松高校麻雀部監督代行、赤阪郁乃に、千里山女子高校麻雀部顧問、愛宕雅枝はひきつった顔を浮かべている。
そんなわけないだろう、どの口が言っているのだ、……と隣に座っている彼女に言えたらどれだけ楽だろうかと雅枝は思う。しかし、それを証明する手立てもなく、言ってしまったら負けな気もするのだ。
同じ車両には姫松と千里山の部員が中央の通り道を境にして陣取っている。
姫松の主将にして雅枝の娘……愛宕洋榎と、千里山の元エース……江口セーラはガンのにらみ合いで一歩も譲らずにいて、それぞれの隣にいる洋榎の妹の絹恵と千里山一年ルーキー二条泉は、そんな姉と先輩を宥めている。
姫松側の窓際の上重漫と真瀬由子は高速に流れていく外の景色を眺めており。もう一方の窓際では千里山エース……園城寺怜は寝ており、その隣の大将……清水谷竜華は彼女の寝顔を観察している。
そして姫松の参謀……末原恭子と、千里山の知将にして雅枝の姪……船久保浩子は他校同士にも関わらず、牌譜を広げて検討をしている。
二校とも、麻雀部の規模としては大阪屈指。大阪の北と南で随一と言ってもいい程。
しかし、この合同練習で集められたのは団体戦に出場するレギュラーに決まったメンバーのみ。府予選前の最終調整である。
……相対するのは最強の高校。
大阪からの、目的地が静岡の新幹線。降りた後の目的地も同じ、東征大学付属高校。
雀鬼が棲まう地、修羅道地獄、蠱毒の坩堝。名づけられた渾名は数限りない魔境。ここ十年で、公式戦の団体戦での戦績は優勝以外になったことがないという怪物校。
部員全員が一線級のプロレベルとさえ言われる程の魔窟。現在の男子プロの約四割が東征大出身という事実は、そのままレベルの高さを証明している。
そこへと練習試合を申し込む理由は両校ともただ一つ。どうしようもない敵を相手にし、精神面での強化を図る。
最強を知る。上限を知っている。ただそれだけで、目の前の敵と対峙するのが大分楽になる。東征大の連中に比べたらこれくらい楽勝だと、気休め程度の効果は得られる。
その気休め程度が、差をつける。予選前の切羽詰まったこの時期、姫松も千里山もインハイ常連校だが、予選で倒れてしまっては今までが水の泡。全力を尽くすことには変わりなく、ドーピングだろうと何だろうと、最善を尽くしておきたいのだ。
「そう言えば、あの
姫松といえば、あの男がいる。東征大の進学を蹴り、プロの勧誘も蹴り、姫松でインターハイ個人を優勝して、東征大の不敗神話を打ち砕いたあの男が。
姫松の麻雀部が東征大へと向かうのなら、アイツがいないわけがない。東征大には旧知の友が……『修羅』弘世命と『天才』能海治也がいる。あれらと仲が良いのは、個人的な付き合いのある雅枝は知っている。
アレの動向も知っておかなければならない。制御できる類ではないが、監視だけはしておきたいのだ。
「一足先にあっちに行っとるんよ~。昨日の授業をほったらかしてな~」
「……ああ」
容易に想像できる。アレが真面目に授業を受けている様など思い浮かべないし、部活動に精を出しているとも考えられない。
自由人。プライベートでのアイツの行動は、まさにソレだ。
気ままに学校をサボったり、夜に何をしていたのか昼はずっと居眠りをしていたり、思いついたように遠出や旅行に行ったり……ただの放蕩野郎かと思えばふと勉強したり部活動に参加したりする。行動が全くというほど読めない人物だ。
彼の両親を知る雅枝にしてみれば、親に似たのだろうと納得する。あの二人も、子以上に自由人だったから。
「……あのバカは……!」
両親が海外にいることをいいことに、好き勝手にやっているらしい。いや、あの様子だと両親がいたとしても、アレを止められはしない。止められる人間は、かなり限られている。
一人は自分。あの家族が大阪に定住するようになった時、彼は九歳だった。家を留守にしがちがちな両親が、近所の愛宕家に頼るようになっていた。その頃から、彼の親代わりみたいになっていた。
「愛宕監督はあの子と古い付き合いやって聞きましたけど~、小さい頃はどんな子やったん?」
「今と大して変わっていません。少し目を離しただけで、奈良とか京都とか普通にふらついてました」
捜索届を出した数は両手の数では足りない。酷い時は一月以上は行方不明だった時もあった。どこにそんな移動に使う金があったのかと常々思う。
一時は腰に紐をつけて縛っていた時もあった。その翌日に紐はズタズタに切り裂かれて、また行方不明になっていたが。
縛るのも縛られるのも嫌う、生粋の放浪人。同じ場所に長くいるのが我慢できない。あれはもう天性のものだと雅枝は諦めていた。
「けど、まあ……」
チラっと、自校の部員で安らかに寝ている彼女と、自分の娘たちを見た。
あれはあれで、優しい子でもある。あの子たちは、それをよく知っている。
(着いたら、説教の一つで勘弁しといてやるか……)
「……てか、この車お前の趣味じゃないってことは、アイツの物だよな?アイツ、免許ないだろ?」
信一と命は、最後の一人を迎えにいくために車で移動していった。
目的地は宿泊地として使っている高級ホテル。部屋の番号まで覚えている。
その移動中の間に、信一はこの車についての話を命に振った。
命が誕生日を迎えてすぐに免許を取ったのを知っている。だが、命の車の趣味はこのような高級志向のセダンではなく、軽自動車のような税の安くて実用的な車である。
「大阪で暇してた浬先輩を拾ったんだって。それでここまで車で移動してきたの」
「大阪で何やってんだ浬さん……」
「それで報酬はこの車。浬さんの仕事が明けるまで私が預かっててさ、その間は私が好きに使っていいって」
「あー、浬さんセダン欲しいって言ってたような気がする……」
車を上げるからその車で送って欲しい、など言える高校生はアイツくらいだろうと信一と命は笑う。
事実、あの男は金が有り余っている。しかも親の稼いだ金ではなく、自分で稼いだ金。その資産は百万二百万程度ではなく、数十億数百億の桁である。
その大量の金も、彼は使い余している。そして彼は、自分の親友たちにこう言った。
『この金は、資質を持つヤツを探すために使ってほしい』と。
いわば彼は、彼らの資金源。行動するにあたっての財布役を担っている。
「……一番、京太郎を待ってたのは。アイツだ」
「……知ってる」
一番孤独で、一番強い。そして誰よりも、身を焦がす死闘を求めている。
信一も、命も、治也も。インターミドルで満足させるほどの戦いを演じ、同時に敗北の味を知った。
しかし、彼は違う。その三人を相手に、勝っている。満足こそしたが、負けは知らない。
故に、知りたいのだ。全霊で戦った上での敗北を。死力を尽くした結果の苦渋を。
「これでもう、アイツのせいで危ない橋を渡るのは卒業だ」
「一番のトラブルメーカーだったからねえ。まあ、ヤクザと打つなんて稀少な経験も出来たからいいんだけど」
「あれが良い経験!?そりゃ俺らが負けるなんてあり得ねえけどよ、勝っても暴力で有耶無耶にする連中だぞ。もう二度と経験したくねえっつーの」
「とか言って、アイツの次に暴れた人が言う言葉じゃないわね」
「ほっとけ」
と、話している内にアイツが泊まっているホテルにつく。
駐車場に止めて、フロントへ。フロントから電話で、アイツを叩き起こす算段を取るつもりだった。
……が、フロントへ着いた瞬間二人は固まる。受付の前にいる一人の男、それを見て思わず呆けてしまっていた。
ここのホテルの支配人と思われる男の人に、色紙とサインペンを受け取って淀みない慣れた手つきでサインを書く、彼の姿を見て。
「……オイ、何でここにいんの?」
「さあ……?」
事情を知るだろう命に信一は尋ねるが、命も首を傾げている。
今日は、プロとして他の学校の指導に向かっていると、二人は聞いていた。
指導に向かうのなら、もうこの時間ではその学校にいなくてはならないだろう。全国区のプロなら、普通こんなところで暇を売っている場合ではないはずだ。
「……何やってんの、浬さん」
「ん?おう、信一に命。どした、もう練習始まってるだろ」
「こっちのセリフだよ、浬先輩。学校の指導に行ってるんじゃないの……?」
無精髭を蓄え、有名人として正体がバレるのを防ぐための伊達眼鏡。だが、わかる人にはわかる程度の変装で、完全に隠す気はさらさらないように見えた。
咥えているのは、彼のトレードマークとも言える煙の出ないノンニコチンの電子タバコ。
皺だらけのワイシャツに、よれよれのモスグリーンのスーツ。ネクタイは完全に縛る気はなく、緩み切っているのが彼の性格をそのまま表しているようにも見えていた。
そして一房だけ伸ばした後ろ髪は腰まで届き、手作りなのかビーズがあしられた紐で縛っている。
彼こそは、東征大付属麻雀部OB、草薙ウィード・キッズ大将、日本代表の大将、そして現世界ランキング9位──。
──
男子プロ最強議論で真っ先に名が挙がる、若手最強のトッププロである。
「あー、それよ。それで昨日、打ち合わせに大阪に行ったんだけどさ。なんと合同練習が静岡でやるんだと。そんで丁度良くアイツが連れていけって言うからついでに。いやー、車儲かっちゃった」
「……それで、どこの高校の指導……?」
「姫松」
思わず、二人とも膝から力が抜けそうになる。床に膝が着く前に、必死に手で抑え付ける。
こんなにも脱力してしまうのは久しぶりだった。
「……ちなみに、どこでやるか聞いてる?」
「えーっと、確か○○○町の○○-○○」
「……そこ、東征大の住所」
「うえっ!?」
「覚えていろよ卒業生……!」
今度こそ、膝に床がついてしまう。
これが……日本最強の男子プロの実態である。
悪い人ではない。むしろ、先輩らしく頼りがいのある人だ。ただ少し抜けている。それだけなのだ。
「……いや、悪い。何か悪いことしたか?」
「ううん、関係ない。浬先輩は何も関係ない。用があるわけじゃないから」
「……それはそれでなんか悲しいな」
そう。自分たちの目的は、アイツを叩き起こしに行くこと。叩き起こして、東征大に連れて行くこと。
一番待っていたヤツが遅刻じゃ締まらない。あえて起こしに来てやっているのだから、泣いて感謝してもらわなければ割に合わない。
「……ってことは、アイツか。眼鏡に適ったヤツが見つかったってのは本当らしいな。見に行っていい?」
「だったら送っていって。どーせ会うんだから」
命はもう、運転する気になれない。一気にどっと疲れた気分だった。
了解、と了承した浬はフロントに個室への電話を頼む。
部屋は最上階、スイートルーム。
「馬鹿となんとかは高いとこが好きとはよく言うが、アイツはまさにそうだ」
二重の意味で、高い。高さ的にも、値段的にも。
信一がそんなつまらないことを言うと、命がギロリと睨んでくる。
これ以上つまらないことを言わせるな、と無言の圧力を受け、すぐさま信一は口をつぐんだ。
「……ああ、もしもし。浬?どうした、車の名義変更は後にして。……あ、時間?」
起き抜けに鳴った備え付けのホテル内の電話。眠いまま出てみれば、通話相手はここまで送ってもらった浬だった。
目をこすって、ピントを調節しながらアンティークの掛け時計を見ると……短針が八と九の間を指していた。
これはまずい。約束の時間はとっくの昔に過ぎている。
「……え、
それはまずい。つまり、命はかなりお冠ということだ。
信一はまだわかってくれている。自分が早起きなど出来ないタチというのは、十分にわかってくれている。別の言い方をすれば、もう諦めていると同じだが。
「わ、わかった。十分以内に支度をする。だから待ってろ!」
電話を切り、すぐさま着ていた寝間着を脱ぎ捨て放り捨てる。
そして床に散らばっていた自分が通う学校の制服を取り、そして着用する。
……ここに、彼以外の者はいない。このスイートルームは、彼一人の貸切になっている。つまり、比較対象がいない。
その制服は、完全なオーダーメイド。彼のサイズに合わせたもので、規定のものでは入りきらない。
……彼の背は、二メートルを超えている。何もかもが、彼にとって小さく見えている。
着替え終えて、財布や携帯などの最低限の物を持ち、部屋の鍵を持ち、いざ慌てて出ていこうとすると……。
「痛っ!?」
……案の定、頭を扉の縁にぶつける。
「……ったくもう、何で何もかもが小さいんだよっ!」
涙目になりながら、オートロックのドアが閉まったことを確認し、急いで走っていく。
エレベーターを待っている余裕はない。階段で三段飛ばしで降りていく。
ようやく一階に降り立ったのが、部屋から出て三分。電話を受けて八分だ。
「セーフッ!」
「アウトだドアホウ」
急いで階段を下ってきた男への返礼は、鳩尾への拳の一発。容赦ない一発に、激痛でうずくまる。
「なにしやがる、ミコッ!」
「何時間の遅刻だ。言ったよな、早起きくらい出来るって」
「……はい、すみませんでした」
何も反論を許さない強烈な怒りの雰囲気に、ただただ謝ることしかできない。
本気の闘牌以外に、地を見せている。これはかなり怒っている。
全面的に自分が悪い。そう受け取った方がいい。
「怒っている時間も惜しい。早く来い──」
────蘇芳。
そう、呼ばれた青年は彼らについていく。
彼の名は、
信一、命、治也と共に、インターミドルで激戦を繰り広げた最後の一人。
そして、そのインターミドルにおいて三連覇を果たした最強。
未だ、公式戦無敗。去年のインターハイ個人でも、優勝を飾っている。
数々の渾名はあれど、最もふさわしい名はたった一つ。
──King of Kings。神の子と称えられた、歩く『奇跡』である。