夜を長く感じるようになったのは、いつのことだろうか。
時々。持て余すくらいの時間があると、ごろりと横になって空を見あげたくなる。
広く果てまで続く空を見て、自分というちっぽけな存在とのスケールの違いを目の当たりにして、自分の矮小さとか、抱く悩みの小ささとか、そういうのに改めて気づくものなんだとか。
今も、そんなノスタルジックな気分に浸っている。
白い、見慣れた天井から、青く澄み渡る空に手を伸ばせることの、なんと幸せなことか。
思えば随分、遠いところまで来たものだ。
差ほど時間の流れを感じなかったのは、まだ魔物という存在を知って間もないからか。数年あまりの迫っ苦しい施設内生活は、とても長かった。
自分の手を見る。いつか見たものとは異なる、白い素肌と少しごつごつした手。異国人のそれと思うあたり、俺はかつて美白とは縁遠い人種だったらしい。
そう、らしい。
そう、思う。
―――昔、俺はどうだった?
軽く、指を丸めて拳をつくる。それからゆっくりと開いていき、また折りたたんでいく。調子を確かめるるように、ゆっくり、静かに。
俺の手だ。
今の、俺の身体。
仮初の、人の身体。
「う……っ!」
こめかみを中心に鋭い頭痛が走る。頭を抱えてうずくまり、おさまるのを待つ。頭を掻きむしりたくなる衝動を懸命におさえて、こみ上げる不快感が煽る吐き気をこらえる。
滝のように吹き出した汗がシーツに染みを作り、流れる雫が瞼にまで届いた。視界の歪みにさえ意識を避けず、苦悶の声が隣人に聞こえぬようにするのが精一杯だった。
やがて痛みの波が引いていく。それにつれ、徐々に視界と意識がクリアになっていく。
「―――はっ、はぁ……くそっ」
ようやく一息。身体の内側にたまった熱ごと吐き出した。
未だ熱を持つ額を冷えた手で押さえながら、暗い天井を見上げて思う。
俺は、どうしてここにいるんだろう?
生まれ変わって五年は経った。今頃になって疑問に思うとは。目の前の出来事を平然と受け入れた自分の神経がおかしいのか、それとも俺の魂を世界が許容したからなのか。
若干妄想気味な考えである。しかしここがどんな世界なのかを思えば、妄想も少し現実味を帯びてきそうだ。
時間があれば、時折思うことがある。
昔の俺は、どうだったろうか。
人であり、男だったろうか、普通の家庭に生まれ、普通の生活に満足し、普通の人生を歩んでいた……はずだ。
全部、断言できない。
何故なら、俺が俺であったことを証明するものが、何一つないからだ。。
もう俺は思い出せない。己がどんな人間だったのか、どういう風に生きてきたのか。これっぽっちも思い出せない。
あるいは考えないようにしていただけか。都合の悪いことから目を背けて、なってしまったものは仕方ないと割り切ったフリをして。背後に置き去りにしてきた落し物の存在を忘却して。
「なんでだろうなぁ……」
知りたいのだろうか、俺は。
昔の自分のことを。もう取り戻せないかつての自分を。
昔の自分、本当の自分。それがどういう存在なのか、どんな人間だったのか。
その疑問に対する『答え』はどうしてか、知りたくなかった。
第五話 日々平和
――拝啓。この世のどこかで平和ヅラして生きているであろうお母様。
私は元気です。
どれくらい元気かというと、ストレス溜まりまくってイライラしているゼオンにサービスと称してマッサージをしてあげるくらいには元気です。頭のマッサージは格別なんですってね。今度会う機会があったらしてあげますので楽しみに待ってろよコラ。テメェ息子売っ払って呑気に生きていられるわけねぇだろふザケルなよそん時には電気ショックもサービスしたるわボk
……失礼しました。近頃、何かと物騒ですので、背後からの熱い電撃、もとい、不審者にはせいぜいお気を付け下さい。ええ、本当にね。
時に私、最近とみに思うことがございまして。以前の私はどんな子だったのでしょうか? え、知らねーよって? んなこたぁ分かってんじゃい。無駄だと分かってたって聞かなきゃ気が済まないことだって世の中にはあんだよコンチクショウ。
さて、そんなどうでもいい前置きはともかく。最近はゆったり自堕落マイペースな生活を送れてません。原因は同居人のせいです。9割がたそうです。残り一割は俺の悪ふざけによる悪影響を考慮してマイナス修正してあります。
なんでもその子は魔界からやって来たとか。良い空気吸ってるワケじゃないですよ、マジなんです。証拠提示しろなんて言ったら容赦なく電撃ぶちかまします。
あ、今もその子といっしょです。隣でうつ伏せになって寝ています。ハイそこ、隙あらば┌(┌^o^)┐とかやらない。地面の上で寝っ転がってるだけです。よっぽど疲れたんでしょうねー。頭のツボから煙がプスプス上がっているが俺は悪くない。俺は仕方なく! 嫌々ながらも! 本人のためを思って! やったんですようんそうなんです。
仲が悪いように聞こえるかもしれませんが、ゼオンとも今のところうまくやっていけていますし、それなりにコミュニケーションもとれるようになりました。気難しいヤツですが、決して馬鹿ではないので、彼も彼なりにこちらに気を使っているんじゃないかという希望的観測が多少なりともあったら良いのにね。いっぺん人間になってみろよって思った某金髪ロールの言葉が身に染みますよ。
ともあれ、私は元気です。身辺整理が終わり次第、色々なところへ旅に出てみたいと思っております。今まで狭いところに閉じ込められていたので、もっと視野を広げたいのです。
いつか会いにいくかもしれないのでその時をせいぜい楽しみにしてやがって下さい。
● ● ●
そんなこんなで。
あっという間に一ヶ月が経った。
時間の経過というのはあっという間ですね。昔の一年と今の一年って長さが違くない? ってよく思うよね。アレって人生の長さと関係があるらしい。子供のうちは人生十数年のうちの一年だけど、大人になると人生何十年かの一年だから、今まで生きた年月と比較すると一年って短いよね、だから早く感じるんだ、ってことだとか。なんかもっともらしいこと言って誤魔化してる感が漂うけれど一応事実だから仕方ないね。「答えを出す者」だってわかんないもんはわかんないんです。
その一ヶ月で魔物と遭遇したのはキースのアレ一回ポッキリで、それ以降誰とも遭遇していない。魔物とは戦う運命なんて言われてるけど、世界がこれだけ広いとそりゃ簡単には遭遇できないか。それとも謎の運命力がゼオンから皆を遠ざけているんだろうか。
ゼオンはというと、キースを取り逃がしたことがそれなりに不満だったらしい。今日も憂さ晴らしにどこかへと外出している。修行しろよ。お前修行嫌いじゃないとか言ってたじゃねーか。
まぁ、毎日厳しい訓練をする必要はないんだけど。
ゼオンは下地がきちんとできている分、後付けは少なくて済む。後はツボ押しやら特殊メニューやら伸ばす方向性を示し整えるだけでいい。もちろん肉体なんて鍛えていなければあっという間に衰えていくから、簡単なトレーニングは欠かせない。元々訓練を受けていた身である、それくらいは理解できているようで、陰でこっそり筋トレしているのを目撃している。人前で努力するのは恥ずかしい系かい。
目下、ゼオンに必要とされるのは、魔力感知と、瞬間移動だ。そのための練習は今の時点から継続してやらないと、後々困ったことになる。主にファウードあたりで。団体行動ができないゼオン君がどうやってファウードの中に入り込むんでしょうね。だから必須なわけである。
本人も有用性に理解は及んでいるので、そのための訓練時間を別枠で設けている。
『瞬間移動』は時間と空間座標を計算する必要がある。某ですのーを参考に11次元がどうとかこうとか小難しい知識と技術を「答えを出す者」が提示したのでゼオンにそのままありのままをまるっと伝授したら、オーバーヒートしてウヌウとか言い始めたので冷蔵庫に叩き込んで冷却した。冷蔵庫は良いね、人類の生み出した極致ってやつだよ。違うか。
そしてさっき試しにやってみろと促したところ、瞬間移動もどきが使えた。え? なんでもどきなのかって? そら安全を考慮して10メートルの距離を動いただけです。いきなり長距離移動なんて自殺行為は許しません。うっかり着地点の壁と合体とか嫌だからね。ゼオンは瞬間移動ができるようになってビックリしていたが俺もビックリした。まさか本当にできるようになるとわーなんて素直な感想を述べたら殴りかかってきたので取っ組み合いになった。
10メートルのワープ。これだと素でやっている高速移動と何ら変わりない。少なからず移動に魔力を消耗している分、疲労の具合が異なるから本人も微妙な表情をしていた。もっとも、訓練初めて一週間も経ってないのにもう実行できているから、上出来と言える。ゆくゆくはキロ単位での移動を可能にしたいところだ。魔物ってパスポートどころか戸籍ねーから身元疑われるとアウトだから飛行機乗れないんだよね。そういやバリーやキースってどうやって移動してたんだ。不思議不思議。
さ。瞬間移動が使えるようになったら、後は訓練の継続だ。
と言っても、魔界にいた頃のスパルタ教育だとゼオンも辛かろう。そんな俺の配慮もあって、方向性を変えた新たな特訓が始まった。
訓練の方法も至ってシンプル。まず瞬発力の訓練だが、魔本を木に吊るして下で焚き火をする俺をゼオンが必死こいて止めるというものだ。え? パートナーは本を燃やせないルールだって? 失礼なことを言うな。俺は
次に耐久性能の訓練だ。これもまたとても簡単である。獅子の子落としという伝承に基づき、ゼオンを崖の上に立たせて背中にタックルするだけの簡単なお仕事である。あーと声を上げて落ちていったゼオンに涙しつつさっさと家に戻った。熊に襲われないかが心配だったが、よく考えたら熊どころかティラノサウルスも一撃で倒しそうなゼオンなんだからその必要はないよねってことでとっとと俺は寝ることにした。なお、夕方に怒り心頭の子供が山で暴れまわっているとの噂を聞いて現地へと乗り込んだら怪しい人影に襲われたので地獄車で黙らせた。ちなみに夕飯は熊鍋であった。
そんな楽しい楽しい毎日が続いたんだが、ある時疑問を抱いたのか、ゼオンがこんなんでホントに強くなれるのかと訪ねてきた。もちろんだともこの俺が嘘をつくとでも思うてかハハハと爽やかに言ったらゴミ虫でも見るかのような目をしてた。
―――この時、ゼオンは逡巡した。確かに成果が出ているとも言える。事実、瞬間移動や魔力探知など、戦いに必要不可欠な能力が備わり、術も強力になっている。全てはデュフォーのお陰である、しかしこんな頭の悪い訓練で果たして強くなり、王になれるのか。今更になって心配になってゼオンは、選択を迫られた。
つよくなれるなら しかたないな
こんなこと もうできるわけがない
ニアころしてでも やめさせる
結果、俺がリビングで一息ついているところに窓からダイナミックエントリーしてきたゼオンがそのまま馬乗りになって俺が泣くまで殴るのをやめない態勢に入ったのだが、答えを読んだ俺が情け容赦ないカウンターラリアットで撃沈させた後反省の儀に入った。ちなみに反省の儀とは、ロープで縛って崖に三日間吊るすもので反省してなかったら再度大車輪ブーストマグナムをしたあとまた吊るす、というものである。
後日、ゼオンは愚痴をこぼしつつも特訓を続けるようになった。時折ガッシュを睨むような目つきで俺を見ているが俺は厳格な父のような想いで修行に臨むのであった。ううむ、我ながら嘘くさい。
まぁ、修行の成果が目に見えて現れているからこそ、本人も妥協できているところもあるんだけどね。頭のツボ押しされたり崖から蹴落とされたり逆さ吊りにされたりと人間界に来てからロクな目に遭ってないねゼオンって。俺のせいか。でもしょうがないよね、これも全て「答えを出す者」が悪い。俺は悪くねぇー。
そんな日も続き、そろそろひと段落かという頃になって、ゆっくり考える時間もできた頃。
柄にもなく神妙な顔にならざるを得ない事態が起きた。
どうしたらゼオンを王にできるのか―――その答えが、一向に出ない。
ただ勝てば良い、なんて単純明快なこと考えるヤツはいるまい。後半になれば魔物一体一体の実力は跳ね上がる。一対一で負けるとは思えないが、ガッシュ達のように複数で行動する魔物と相対した際、窮地に陥るのも、ないとは言い切れない。
そういった事態に備えて、今から対策の一つ二つ用意しようかと思い、多人数戦闘でのシミュレーションでもと考えついた時、ようやく俺はその疑問に至った。
ゼオンを王にするには、原作通りの流れに沿う形をとるならば、ガッシュと戦い、これに勝利せねばならない。ゼオンの目的からして、決して避けられない運命の分かれ道となる。
客観的に見て、あの時のゼオンとガッシュの実力は大きな差があった。ゼオンとデュフォーの心境の変化があってこそ、という見方も、でいなくもない。もちろんバオウの、ひいてはガッシュ自身の成長があったから、とも思えなくもない。ただ実際目の当たりにした分、ゼオンが負けるのだろうか、って思っただけ。
慢心を捨て、ガッシュを敵と認めた上で、全力の勝負に徹する。少なくとも、そうすればガッシュに遅れをとるとは考えづらいんだが……
どうすればいい? と半ば思考を投げ捨てた問を送ったのだけれど、「答えを出す者」は不気味な沈黙をもって応えるのみ。
というか、そもそも。
ここんとこ、「答えを出す者」が安定しない。
戦闘中は精度が高く、答えは若干のラグを残しつつも提示される。それもまた妙なんだがこの際置いておこう。
普段「答えを出す者」を使おうとすると、常識的な問いでさえ「答え」が出ないこともしばし見受けられる。
前々から疑問に思っていたことがある。あらゆる謎を解き明かす「答えを出す者」という能力。自分の中で最早あって当たり前になりつつあるこの力。
どれだけ力が及ぶのだろうか。
どの程度答えられる? どれほどの精度?
あらゆる疑問をほぼ解き明かす万能な力。それは、決して全能じゃない。清麿が使いこなすのに時間を要したように、デュフォーがバードレルゴを見抜けなかったように。何事にも限りってものがある。
人間の心理。常に変動する未来。そういったモノは全て、「答えを出す者」をもってしても明確な答えを出せない。
けれども、これぐらいは。その程度なら分かるんじゃないかという問いや謎さえ、「答え」を出してはくれない。いや、くれなかった。それがこの間ので、よく分かった。
どうしてだろう。こんなことは初めてだ。ゼオンと出会う前と、それから少しの間までは、何ら異常もなく機能していたというのに。
思えば研究所にいた頃は楽だった。なんでもかんでもちょっと頭を動かせば、俺では一生かかっても分からない問題も瞬時に答えが書けた。不謹慎な話ではあるが、一種の爽快感があった。誰にも解けないものを、俺だけが解き明かせるんだという、傲慢に満ちた優越感も。
「うーん、分からん」
まだひと月と経っていないのに、不安の種が見えてくるとは。清麿みたいに変な夢見て朝起きたら消えていました系のオチは勘弁して欲しい。「答えを出す者」がなくなったらマジでどう戦えばいいか分からん。原作知識なんてハッキリ言ってアテにならないし。
誰かに相談できれば、楽だったんだけどな。同じ能力を持った奴がいれば解決策が浮かぶんだろうけど、生憎清麿は一度死んだ後一時的に覚醒しただけ。今の時点では片鱗すら窺えない。
だとすると、もう俺自身で訓練を積み重ねて、安定させるしかないだろう。薬物や機材を使った安定化は図れないので、自力で操作してならしていくほかない。
もしかしたら、脳に過負荷をかけないよう本能的にセーブをかけているだけかもしれないし。施設の中で体調を完備させられていたから、今になって影響が出ているかもだし。
ゼオンのこともそうだが、同時に俺の方もなんとかしていかないといけないな。「答え」が分からないからって動揺していたら、この先戦いの中で生き延びることができなくなっちゃうし。まずは身体を鍛えて、自分の能力を使いこなせるようになって、ゼオンと信頼関係を築いて
―――本当に、ゼオンは俺を助けてくれるのか?
「…………いや、済んだ話だ」
俺の問題が戦いに支障をきたしては困る。「答えを出す者」は俺にとっての唯一の生命線だ。原作知識なんて、いつ改変するか分からないあやふやなモノに依存したままでは駄目だ。不安定になりつつある「答えを出す者」を安定化させ、俺自身の心の力の容量を上げる。やることは山積みだ。
ザケルをたった2、3回しか使えない程度じゃお話にならない。せめて上級呪文を行使してもまだ余力があるくらいにまで持っていかないと、いずれ現れるギガノ級やラージア級呪文の使い手に苦戦しかねない。
「答えを出す者」が完調なら問題はなかったのにな。ほんと、愚痴りたくなるよ。
「―――、ん? ゼオンが帰ってきたか」
物音がし、扉を開けてゼオンが入ってきた。瞬間移動を使えるようになったものの、家の外に着地させるようにしている。いきなり家の中に飛び込まれるとビックリするから、という実にしょうもない理由だが。
「お帰り」
「ああ」
短い返答。目線も寄越さず、声をかけられたから何か言い返した、というレベルの返事。
傍から見れば仲は良好とは言い難いかもしれないが、これでもゼオンとの関係は今のところ悪くない。出会った当初はほとんど答えてくれなかった。帰って来た時におかえりって言ってもスルーだった。それと比べれば、ゼオンもちょっとだけ、刺が抜けてきているように思えた。
今はゆっくり考えよう。時間があるこの序盤のうちに、ゆっくり消化していけばいいさ。ゼオンも俺もまだまだ未熟、急激に変われるハズもない。だからこそ、何事も順序建てて、一つ一つ目の前にことにあたっていけばいいさ。
まだ先は長いのだから。
新たに魔物を発見したのは、その翌日のことだった。
○主人公ふざけすぎじゃね?
転生してチート能力もらったら好き勝手したくなるんじゃないですかね。私の中の転生者像ってだいたいそんな感じです。