第1セット 25-22で影山達の先取。
その事に喜びを見せる者は、影山や田中、日向でさえしていなかった。
このセットを逃げ切る事は出来たが、直ぐに迫る猛獣のような気配が自身たちから絡みついて離れないからだ。
その主は、ネットを挟んだ先にいる。佇んでいる。
様々な音が鳴り響く体育館の筈なのに 静けささえ感じる。
嵐の前の静けさとはこの事なのだろうか。
この第1セット。
できる限りの事を月島も山口も尽くした。あのあり得ない速攻に加えて、田中のスパイクもあり、完全に後手に回されてしまっていても、それでも諦めの類を見せなかった。月島でさえ最後の最後まで追い縋った。
それを続ける事ができたのは 背後の気配がより濃く感じられるようになったからだ。
視線を細く、そして程よい脱力で 相手を見据えるのは火神。プレイの1つ1つを浚い続け 研ぎ澄ませる。
――感覚を研ぎ澄ませる。
簡単に言えば、【物凄く集中する】と言う事だ。
【ゾーンに入る】とも言われていたりする。
集中力と言うのは時にゲーム結果を左右し、遥か高いレベルへと選手を高めてくれたりする。
そして、戦いにおいて高レベルであれば尚更顕著に表れる。
集中力が途切れた方がプレイが雑になり、軈て敗北に繋がるから。
「(……見る、観る、視る)」
火神は、今までの攻防を そして あの神業速攻、変人速攻が機能しだしてからも同じく見続ける。
これは、嘗ての自分も行っていた事だ。
嘗ての自分は 小中高と漫画やアニメに影響されやすかったと言っていい。
現実の名のあるプロの選手達より、凡そ現実ではあり得ない事をやってのける平面の絵に魅せられ、その技を自分の物へと昇華しようと無茶な努力をしていた時もあった。
無論 生身で出来る事と出来ない事はあるのだが、それでも出来る事は吸収し続けていったと自分でも思う。
そして、ここに来てからもそれは受け継がれている。(記憶中での漫画やアニメだが)
よく見て観察する事。洞察する事。そして 頭でイメージ出来た事をやってのけれる様に 肉体が応えてくれる様に身体作りをする事。即ち努力を重ねる事。
今は影山のあの神掛かった集中力を目の当たりにし、それを手本に模倣も出来る。
平面の絵で、動く動画で何度も何度も見続けてきた。紙が破れる程見続けてきた。再生機が壊れるくらい見続けてきた。
そして今――目の前で、その実物を見る事が出来た。
追いつきたくて、憧れていて、そんな者たちが今 その世界のバレーの象徴と言っていいプレイを眼前で見る事が出来た。どれ程幸運な事だろうか。
幸運をかみしめた後、次に脳裏に浮かべるのは どうそれを攻略するか、だ。
【相手のレシーバー、セッター、スパイカー……。味方のブロッカー、自分の位置。……全ての情報を見続けろ、更新し続けろ】
まるで、上からコートを見下ろしているかのような錯覚が身につく。
やがて、その頭上から見渡すコートの情報は、常に更新を繰り返しており、味方の位置、相手の位置、助走からスパイク着弾地点位置。全てが光の粒子の様に瞬きながら、頭の中で示し続けてくれている。
「(翔陽は………、今はまだ あのスパイクを見て打つ事は出来ない。使い分ける事もできない。ただ信じてブロックがいない所に跳んでのフルスイング。そして コースは常に一定)」
日向は、現時点では勿論あのスパイクを自在に使いこなせてはいない。
体感してわかるが、アレが出来るだけでも常人離れし過ぎている。それ以上、使い分けして打ってくるとでもなれば もう笑うしかない。
実物はそれほどまでの物だった。……だからこそ、より火神は感覚を研ぎ澄ませる事が出来たのかもしれない。
「(……田中さんのレシーブ。影山の位置。……翔陽の動き)」
筋肉繊維の1つ1つまで見えるかの様な感覚。
全ての情報が1つへと纏まり……答えが次の瞬間に現れる。
影山は 集中力をそのままに 田中か日向、どちらに上げるかは傍から見れば上げる瞬間までわからない程の読ませないフォームでトスを上げた。
――今! この位置! 次のボールは……翔陽!
影山のイメージでは、日向に上げられた高速トスは、そのまま日向のフルスイングに合わせて掌に収まり、コートに突き刺さる筈だったが。
――ドンピシャ!!
会心の当たり。それは、火神のレシーブによって遮られた。
完璧に捕えた日向のスパイクを正確に山口、月島の位置にまで上げる。2人でブロックに入っている為、セッター役がいなかった状態ではあるが、高さにものを言わせた月島が、ツーアタックで相手コートに落とし、点を決めた。
カウント 5-11
「ふぅ……。お待たせ。1セットって言いつつ、2セット目の中盤までごめん」
火神が日向のスパイクを上げた。
言葉にすればただそれだけの事だ。練習中のありふれたプレイの1つかもしれない。
だが、一瞬の静けさから 場が一気に盛り上がるのは普通じゃないかもしれない。
「はっはははははーー!! すげーすげーーー!! 早速あんなの取っちまったよ。はー、アイツは出木杉くんかよっっ 真面目なトコも出木杉くんだよっっ!!」
「試合中、一番盛り上がるのは すげえレシーブが出た時だったよな。確かにその通りになった。日向と影山の時より声出てるって、今」
「……何かが解き放たれたって感じがした。火神がずっと溜めてて、あの一瞬で」
影山の神掛かったあのトスと日向の見ないスパイク。それに耐えて耐えて そして答えた結果だった。まるで、この試合の中でもどんどん進化しているかの様だった。
「あの日向のスパイクがあってから、影山チームの追い上げモードだったのに、ほんと あっという間に覆してきたな……」
「でも、一度上げただけじゃん? 流石にアレを何本もって言うのは無理じゃない??」
「うん、まぁ そりゃそうだろう。3人しかいないコートで守れる範囲なんて限られてるし。でも、上げたっていう事実と次も上げてやる、って言わんばかりのあの火神の顔を見せられた影山と日向の胸中はあんまり穏やかじゃないと思うな。……凄い楽しそうなのは変わりそうにないけど」
澤村と菅原は、改めてコートに視線を戻した。
「くっそぉーーー!! また取られた!!」
「へっへ~~ん。翔陽は基本猪突猛進だから、すげー読み易いんだ、ってな。それに今まで俺を騙せた事あったか??」
「うぐぅっ! 次だッ!! 次こそきめてやる!!」
「(あれをいきなり攻略しやがったってのかよ。すげぇ)………それに面白れぇな。攻撃はトスを上げる俺に掛かってる。次は読ませねぇよ!」
「望むところだ!!」
何処か大人びているとずっと思っていた火神だが、今のあの3人を見てると、まるで友達の家に遊びに来て、それで勝負しているかの様だった。
一進一退の攻防が続く。
日向の攻撃も最初程綺麗に取られる事は無いものの、着実に上げてフォローが出来ていた。決定率がどんどん下がっていっているのがよくわかる。
「はぁ、はぁっ…… ったく、とんでもねぇ奴らが入ってきたもんだ」
田中は汗を拭いながらぼやいていた。
あれだけの運動量で疲れるどころか精度が増してく影山や火神のプレイ。そして一番動き回ってる筈なのに、まだまだ動けている日向。
月島も派手さは無いものの要所要所はきっちりと壁を作って抑えている。まだ、山口は指示受け側にいる感が否めないが、それでも付いていっている。
「(あぁー……ああいうのが天才ってヤツなんだろうな。俺とはまるで違う。力はまだ勝ってる気がするけど、その他モロモロが。それにまだまだヘタクソだが日向もすげぇ……)」
田中の目の前に大きな大きな壁が一瞬見えた気がした。
頼もしい後輩が現れたという期待とそしてあっという間に置いて行かれてしまうのではないか、と言う危機感に不安感。天才を目の当たりにした時の自分への評価。平凡であるとの認識。
「ふんぬっっ!!!」
田中は、考えを遮断。両頬を思いっきり叩いた。
「影山ぁ! こっちにも寄越せ!! 日向を。後輩を支えてこその先輩だ!!」
「っ! ウスっ!」
見事で有名な田中 五七五を生で聞けた火神は思わず笑ってしまった。
まさか、ここで今聞けるとは思ってもなかったから。
だが、田中の雰囲気を視て 直ぐに集中し直した。
決して気のせいではない。云わば、【一段階進化した】みたいな田中を見たから。
田中は渾身の力をその手に込めるイメージを強く持った。
「(さて、平凡な俺よ。今まさに前を全力で走ってる後輩がいんのに、止まってる暇はあるのか?)」
田中の勢いに火が付き始めた。触発されたのだろう。
相乗効果でアゲアゲになっていくメンバーを見ていたら、周囲も触発されていく。心に沸くものがある。
「なぁ、スガ」
「ん?」
澤村は、ソワソワ沸き立ってくる感情を上手く言葉にする事が出来ず、ただただコートの方を見て。
「俺も入りてぇな……」
そう言うのだった。
続く第2セット、火神チームが奪取。
セットカウント 1-1のイーブンに戻した。
第3セット。
濃密な3対3はまさに試合宛らのものであり、光を放ち続ける3人が全力で前を走っていて、それに他のメンバー誰1人として置いて行かれる事は無く、食らいつき続けている。
神経をすり減らしそうな精密なトスを上げ続ける影山。
普通の何倍も動き回り続ける日向。
チームを纏めて、常にコート内の情報を更新し続けて、位置取りと読みを絶やさない火神。
その3人にただガムシャラについていく月島、山口、そして田中。
影山がサービスエースを取り ブレイクしたかと思えば、火神も取り返す。寧ろ影山以上に取り返そうと強気で攻め、点を稼ぐ。田中がどうにかスパイクを決めて難を逃れ、日向の変人速攻、影山の二段トスからのスパイク。月島のブロックに山口のスパイク。火神が守勢に回り気味な為、決定力が乏しくなっていたが、それをサーブやレシーブ、月島のブロックで補い、シーソーゲームが続いて 結果デュースに持ち込んだ。
そして、ながいながいラリーの果てに決着がついた。
31-29
セットカウント 2ー1
軍配が上がったのは火神のチーム。
死屍累々とはこの事で、全員が膝を付き、或いはコートに突っ伏してる状態だった。
だが、目だけは全然死んでない。
「もう、もういっかいっっ!!」
「つぎ、つぎは勝ってやる……。まだ、まけてねぇ……!!」
「……よ、よっしゃぁ……。5セットマッチって事だな……!? まだ決着ツイてないってことだよな……!!」
日向がそういえば、火神も受けて立つ構え。
山口も、流石の月島も2人して【マジで止めて】という顔をしていたが何かを言う元気はなかった。
月島に至っては最早煽る事もなく ただただグロッキーだった。
「おいおいお前ら。悪いけど今日使える体育館の時間は決まってて、そんな長くできないんだ。今日は午前まで。……まさか3対3の試合でここまで長くなるなんて想定外だった。と言うわけで今日はここまでだ」
「っっ…… で、でも まだ……」
影山にとって澤村から言われたその言葉は死刑宣告に等しいものだった。
つまり、影山の負け。セッターは出来ない、と言う事だったから。
それを見た火神は、手を抜かず全力でやった事は後悔していない。寧ろ、これ程高揚する試合を、バレーを出来た事に感謝すらしている。
それに何より、自分のせいでセッターの影山が見られないのは悲しすぎる。
「さ、澤村さん。俺、こいつらの面倒しっかり見ますんで、っ……、すみません。どうかまた チャンス……あげてもらえないでしょうか……??」
なので、疲れ切った身体に鞭を打って 影山や日向のいるコートへと行くと 両手で2人の頭をつかんで下げさせた。
因みに、【面倒みるってなんだ!】的な事を思ったのだが、相手が勝った側の火神である事と疲れ切ってるのは日向や影山も同じなので、最早されるがままになってしまっている。
「……………」
澤村は、真顔で3人を見る。
田中が言う様に普段は優しい。そんな先輩を本気で怒らせたら物凄く怖いのは火神も良く知っている。万国共通、いや世界が違っても関係なかったりするのだろうか。
澤村は、軽く頭を掻くと 告げる。
「俺がいらんって思ってたのは、【個人技で勝負挑んで負ける自己中な司令塔】だ。そんなヤツがセッターじゃチームが勝てないって思ってるのは今も同じだからな」
深く、大きくため息を吐いた後に にやっ、と笑って続けた。
「聞きたいが、お前ら。今の試合で、自己中なセッターっていたと思うか? なぁ、月島もどうだ?」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」
視線が向かう先にいるのは月島だったが、息も絶え絶えだったので、悪態付く事も軽口言う事も出来ず、ただただ 膝に手をついて呼吸を荒くさせてるだけだった。
「ははは。今はやめといた方が良いか。んじゃあ、同じチームで戦った田中。お前はどうだ?」
「ぐぅ、ぐぅ……はぁ、はぁ…… お、俺っスか……、え、ええっとぉ…… はぁ、っっ!!」
田中も同じくバテバテで、息も絶え絶えだったが、そこは2年のプライドもあり ノーコメントだけは避けなければ、と何か言おうとした所で、影山や火神、日向の視線も集まる。
田中は、何かを頼られる後輩からの眼差しを受けた。
「い、いいんじゃないっスか?? 俺、何本か気持ちよく打てましたし……。まぁ、コイツに取られちまいましたが」
「あ、あはは……」
「あざすっっ!! 田中先輩っ!!!」
「う、うはははは……そ、そらー、せんぱい、だからなぁ……」
田中は、大きく大きく深呼吸を繰り返して、息を整え そして言った。
「こいつらにこんな攻撃が使えるなんて、最初思ってもいなかったっス。大地さんが見抜いてたのも驚きっスが、チームプレイはしっかり出来ていた、って思ってるっスよ? 間違いないっス」
「ええ!?」
思ってもなかった事を聞かれて、澤村は言葉に詰まる。そして、なおも続ける田中の視線は菅原へ。
「あ、スガさんもっスよね??」
「はぁ?? そんな訳あるかよ。俺はもっと打ちやすいの上げろっていう意味で言っただけだって。日向がまだへたくそで、打てなかったからこその影山の真骨頂が発揮できたんだーーって思ってたんだけど、その真骨頂をサラッ、と取っちゃう火神まで出てきて、俺もーー、何が何やら。俺もバレーしたくなってウズウズしちゃってんの!」
「は、はぁ……」
どうやら、菅原も興奮している様だ。澤村の様に。
「まぁ、最初からわかってたっていうのは俺も言えないよ。影山の無茶なトスにも日向の素早さなら合わせられるかも、って感じで。……でもいい意味で裏切られた」
「じゃ、じゃあ……!」
「ああ、3セットマッチなら 火神達の勝ちだが、そう言ってなかったし。……今日は時間につき、勝負はつかず。また後日って言ってたら、今後の公式戦にも影響があるかもしれんから、今回のみたいなのはこれっきりだ。……前言を撤回するのは恰好つかんが、バレー部強くしようとしてる主将が、こんな有望な選手を埋もらせる訳にはいかんからな」
「あ、あ、あざすっ!!」
「それに、火神の口から面倒みる~って言質取ってるし。俺としてはそっちの方がうれしかったりもする。頼むぞ? 1年リーダー」
「うぇっ……?? り、りーだーですか??」
「面倒みるのってそういうもんだろ?」
吐いた唾は飲み込めない。自分自身が言った事だから、と火神は腹を括る。
それで、影山や日向の方を見て、ニッコリと笑っていった。
「澤村さんの指名だし、俺も自分で言った手前もあるから頑張るけど。出来る事と出来ん事はある。……だから、もうあんな事はすんなよ??」
「「う、うっす……」」
火神の妙に迫力のある笑顔。それが疲れ切っている筈の日向と影山を動かしたのだった。
「月島、大丈夫か?」
「はぁ……ナントカ。マジでどんだけバケモンなんですか、アイツら」
「はは、同感だよ。んで、どうだった? 3対3。見事に勝ったじゃないか。あの影山相手に」
「………別に、どうもしませんよ。僕ら庶民が王様相手に勝てたのは、その王様を打倒出来る勇者様みたいなのが僕ら側にいたからだと思ってますし」
「はっはっは。影山が王様なら火神は勇者様かよ。面白いな、それ。……んでも、それなら影山は魔王様の方が良くないか?」
「………もう、どっちでも良いです」
そう告げると月島は、清水に渡されたスポーツドリンクを飲み干す。
「でもま、お前がちゃんと本気だったのは俺も判ってるよ。お疲れさん」
「……………」
中々納得できない所もあるのだろう。月島は何とも言えない表情をしているだけだった。
そしてその後、日向と影山からは改めて入部届を受け取り、そして今日届いたばかりの烏野排球部のジャージを受け取った。正式に入部出来た証。感慨極まるとはまさにこの事だろう。
「じゃあ、烏野バレー部として、よろしく!」
【おす!】
全てを終えた澤村は思わずため息を吐く。
「ふぅ………。一応、ひと段落ついたな。スガも田中も、いろいろとなんかやってくれたんだろ?」
「うえっ!? い、いや別になにもっっ!?」
「とりあえず、丸く収まったんだ。ほんと良かった。あいつら全員が無事に、いろんな意味で部に入れてほんとほっとしてる。……ありがとな」
いつも以上に疲れが出てる様子の澤村を見て、菅原と清水は【お疲れさん】の一言と、ほぼ同時に澤村の肩を叩いて ねぎらうのだった。