あなたが生きた物語   作:河里静那

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9話

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

「あ、手鏡」

「これで3回目だね」

「はいはい、可愛い可愛い」

 

「なんかウロウロしだしたよ」

「色々考えてるみたいねー」

「まったく、少しは落ち着きなさいよね」

 

「あ、今度は姿見かな」

「プロポーションチェックかな? あの腰の位置はホントずるいと思う」

「あたしだって、日本人にしては……」

 

『おかーさんたちー、いっしょにあそぼーよー』

「ばーぶー、だー」

 

 

 

 

 

1978年、10月。

帝都、月詠邸。

 

その朝、雪江は配達員より受け取った郵便物の束を仕分けしていた。

月詠家には、毎日それなりの数の郵便物が届く。

やはり瑞俊宛のものが一番多く、分家からの様々な報告や相談事、古い知人やかつての部下達よりの季節の挨拶や近況の報せ、あるいは何かと面倒見のいい彼への礼状など、内容は様々だ。

次に、雪江と月乃宛の手紙が数通。

斯衛からの書類の他に、育児に関する相談会と称してしばしば開催される、幼い子供を持つ武家の母親達の集いへの誘い等。

セリスもこの集いへと誘ってみようかと考えているのだが、やはり難しいだろうか?

兄弟同然ともいえる鞍馬が選んだ女性である為、自分達は比較的すんなりと受け入れられたが、それでも最初はアメリカ人である彼女と気をおかずに接するのに抵抗があった程なのだ。

少し想像してみる。……場の空気が強張る様が見えた気がした。

友人達は皆気のいい者達とはいえ、やはりやめておこうか……。

 

セリスはここのところ元気が無い。

会話をしているときなどは一見普段と変わりなく見えるが、ふと悲しそうな顔をして考え込むことが多くなっている。

乳児を育てるというのは相当の体力を使うことであり、その疲れが溜まっているということもあるだろう。だが、それが一番の理由でないことは家族の全員が分かっている。

日本にも、東欧戦線が崩壊したという報せは伝わっているのだ。

そして、鞍馬からの無事を知らせる手紙は未だ届いていない。

……いや、出したくとも、郵便物がまともに流通する環境には無いのであろうか。

こちらから国連軍に確認したくとも、最前線で戦う衛士は機密に関わることも多く、そう簡単に消息が知れるということは無い。

現状、向こうから連絡が来るのをじっと待つしかないのである。例えそれが、如何なる内容のものであろうとも。

どうか、無事の報せが届きますように。雪江は祈る。

 

「あら? これは……」

 

気が沈みながら郵便物の分別を続けていた手が止まる。

それは宛名に「黒須セリス様」と書かれた一通の手紙。

彼女に来る手紙は、国連軍からの事務的なものの他には一種類しかない。

手が震えそうになるのを抑え、差出人を確認した雪江の、その目が大きく見開かれる。

そして他の手紙をそのままに、セリスへと向けて駆け出すのだった。

 

 

 

1978年11月。

帝都、月詠邸。

 

セリスは浮き足立っていた。

朝から何度も鏡を見ては髪を直し、玄関を覗きに行く。

やらねばならぬあれこれを、一つ片付ける度に今度は門の前まで行ってみる。

ふと慌てたように自室へと戻り、姿見の前で自身の体を確認し、ほっと息をついてまた戻る。

とうとう、昼を食べ終え蒼也のお昼寝が始まった後には、玄関にて正座しての座り込みが始まった。

瑞俊や雪江に月乃、何故か今日は自宅に戻ってきている花純も皆、苦笑しながらも、やりたいようにやらせておけといった風情でそれを見守っている。

 

やがて、そろそろ空が茜色に染まろうかという頃に、ついに待ち人来る。

敷地の入り口から、門を護る守衛に挨拶する、ひどく懐かしい声が聞こえた。

胸が高鳴るのを、瞳に涙が溜まるのを、抑え切れない。

やがて玄関の引き戸が開けられた。

入ってすぐにセリスが出迎えているのに驚いたようだ。その面に喜びと、戸惑いと、様々な色を浮かべながら、彼は帰宅の言葉を口にした。

 

「……ただいま」

「……おかえり……なさい……」

 

二人のその動きが止まり、場を静けさが包み込む。

言いたいことが、伝えたいことが、こんなにも沢山あるのに。なぜだろう?

言葉が続かない。声が出ない。気持ちを表現できない。

ただ見詰め合うだけの二人。

やがて、彼が口を開いた。

 

「ありがとう」

 

ううん、わたしこそありがとう。

セリスは想いを言葉に出来ないまま、首を振る。

 

「ごめんな」

 

貴方は最善を尽くしてるって分かってる。貴方は何も悪くない。

首の振りが大きくなる。

 

「愛してる」

 

私も愛してる!

そして、その広い胸へと飛び込んだ。

生きていてくれた。無事に帰ってきてくれた。会いたかった。

待ち望んだその胸の中で、幼子のように泣きじゃくるセリス。

その頭を優しくなでながら、その温かみを感じながら、ああ、やっぱりセリスは良く泣くと考えた。

 

鞍馬とセリス、およそ一年ぶりの再会であった。

 

 

 

 

 

炊きたての銀シャリ。

葱と豆腐の味噌汁。

焼き鮭、焼き海苔、冷奴。

金平牛蒡、ほうれん草のお浸し、烏賊と里芋の煮物。

刺身の盛り合わせ、鯖の味噌煮、鯨の竜田揚、浅利の酒蒸……

夕食の席には、海の幸を中心とした和の料理が所狭しと並んでいた。

普段は各々がそれぞれ膳にて食事をするのだが、今日は全て大皿での無礼講である。

料理内容も、肩肘張らない家庭料理ばかり。全て、無事に帰還した鞍馬にのんびり寛いでもらいたいが為。

国連軍には日本人がほとんどおらず、食事も和食が提供されるようなことはない。合成のパンと肉ばかりの生活だ。前線ではそれすらままならずレーションだけの日も少なくない。

それほど食事に執着があるほうではないとはいえ、並ぶ皿の数々を見て思わず喉と腹が鳴る鞍馬。

 

「鞍馬の無事を祝い、乾杯じゃ。さあ、食べてくれ」

 

瑞俊の声と共に宴が始まる。

料理を口に運び、やはり俺は日本人なのだと感動に咽ぶ。醤油の香りがたまらない。

蒼也はセリスの膝に座らされ、一生懸命自分で匙を口に運ぼうとしている。順調に育ってくれている、その姿がたまらなく愛おしい。

匙から口から零れたものを優しく拭き取るセリス。すっかり母の顔になっているんだな。

雪江が料理を取り分けてくれる。姉さん、いつもすみません。

月乃が酒を注いでくる。ずいぶんと気のつくようになったもんだ。

花純は隣で杯をあおる。お前はどうやら相変わらずか。

真耶に真那。赤ん坊の頃しか知らなかったが、すっかり大きくなったな。

そして、月詠翁。目じりを細めて皆を見守るその顔にかつての険はなく、随分と丸くなられたようだ。

ああ、日本に帰ってきたんだな。あの戦場から、帰ってこれたんだな。

生きて皆にまた会うことが出来た。こんなに嬉しいことは無い。

鞍馬の心に沸き上がるのは喜びと。

そして、この安らぎを護る為に再び戦場に立たんとする強い意志。

皆、BETAどもは必ず駆逐する。人類は、負けない。

その決意を秘めた横顔を見つめるセリスの瞳に、わずかな悲しみの色が見て取れたのは気のせいだろうか。

 

 

 

やがて夜も更け子供達のまぶたが重くなり、寝かしつけられた頃。

 

「東欧が、陥ちたそうじゃな」

 

瑞俊の言葉を皮切りに、残った者達の話す内容に変化があった。

機密に触れない範囲ではあるが、己の見てきた地獄について語る鞍馬。話す言葉数こそ少ないが、押し殺された悲哀が現状の深刻さを感じさせた。

そう、鞍馬は治療のために一時帰国しているに過ぎないのである。その体が治ったそのとき、再び戦いへと赴くのだろう。

また、BETAが東へと向けて侵攻を始めたとき、日本における影響も少なくないだろうとも語る。

例えば、ここに並ぶ料理にしてもだ。

現在は、一般家庭においても食べられているその多くは天然物だ。だが東アジア、東南アジアが戦火に晒されたとき、食糧の多くを輸入に頼る日本の食卓は大きく様変わりすることになるだろう。

そしてその先には、日本本土へのBETAの上陸が待っている。

鞍馬は語る。今のままでは、その未来を防ぐことは難しい、と。

その時点で出せるだけの力を集結させたパレオロゴス作戦、それをもってしてもハイヴ一つ陥すことはできなかったのだ。

 

「月詠翁、お願いがあります。日本は優れた軍事力を誇ってはおりますが、それではまだ足りませぬ。

 どうか来る日に備えての更なる軍備の強化を、殿下に、城内省に働きかけては下さいませぬか」

 

鞍馬のこの言葉を受けた瑞俊の動きにより、1978年末、帝国軍城内省は麾下の斯衛軍に配備する専用戦術機の開発を光菱、河崎、富嶽の三社に命じることになる。

これがやがて82式戦術歩行戦闘機 瑞鶴の配備へとつながるのだが、これはまた別の話である。

 

 

 

 

 

宴が終わり、鞍馬は日本の夜を感じたいと、縁側に座り月を見ている。

その横に寄り添うのはセリス。膝の上に眠る蒼也を乗せ、鞍馬の肩に自らの頭を預け目を瞑る。

言葉は無い。

ただただ静かな満ち足りた時間。感じる温もりに心が溶けていく。

話したいこと、聞きたいことは山程ある。

でも、もうすこし、もう少しだけこのままで。

ふと、鞍馬に見つめられているのに気付いた。

微笑み、見つめ返すセリス。

二人の顔がゆっくりと近づき、静かな口付けがかわされる。

セリスの頬を流れる一筋の雫。それを優しく指先で拭う鞍馬。

 

「また泣いた。セリスは逞しいんじゃなかったのか?」

「……意地悪」

 

鞍馬の悪戯めいた言葉に口を尖らせる。

再び、互いの唇がそっと触れ合った。

 

その時、蒼也が俺も仲間に入れろとばかりにぐずった。

セリスの膝の上から、自分の胸へと抱きかかえる鞍馬。目を覚ました小さな瞳が、不思議そうにじっと見つめてくる。

泣かれてしまうかな? そう思ったが、蒼也は表情を一転させると、笑い声を上げながらその可愛らしい手を鞍馬へと伸ばしてきた。

 

「父と認めてくれるのか? 生まれて半年も経って、やっと会いに来れた駄目な父親ですまんな」

 

鞍馬が蒼也の頬を撫でれば、その指をぎゅっと掴んでくる小さな手。

思いのほか強い力に驚く。ああ、生きているんだな。

 

「蒼也、君には2回も助けられた。ありがとう」

 

鞍馬の言葉に、何のことと不思議そうに尋ねるセリス。

嘘みたいな話に聞こえるかもしれないけれどと、前置きをして言葉を継ぐ。

 

「一度目はパレオロゴス作戦の後。

 絶望に打ちひしがれていたとき、蒼也の声が聞こえた気がした。それで立ち直れたんだ。

 二度目は東欧からの撤退戦の際。

 レーザー級に気付かず打ち落とされそうになったとき、蒼也と……セリス、君の顔が心に浮かんできて、諦めずに最後まで戦うことが出来た。

 不思議だよな。俺はあの時、蒼也の顔も知らなかったのに。確かに、浮かんできたのはこの顔だったような気がするよ」

 

蒼也の顔を見ることが出来たのは、セリスに再び会うことが出来たのは、この子のおかげだ。

鞍馬のその言葉を、気のせいだ、思い込みだと言ってしまうことは容易い。

でも、セリスはその言葉を信じることにした。遥か地球の裏側まで届いた親子の愛、それを信じたくなった。

 

「これからも、君に父親らしいことはあまりしてやれないかもしれない。

 けど、君が日本で幸せに暮らせるよう、俺は全力を尽くす。君に救われたこの命を、その為に使わせてくれ」

 

だーうーと、鞍馬の言葉に声を返す蒼也。

その頬に自らの頬を当て、そっと抱きしめる鞍馬。

やっと会えた二人の姿を見て、セリスの心に沸き上がる感情は……

 

気のせいだろうか。

湧き上がる暖かいものの中、小さな、小さな棘が胸を疼かせるのは。

頬を伝わる涙が、嬉しさからのものだけでは無い様に思うのは。

自らの心の、その本当の内側を、セリスは言葉にすることが出来なかった。

 

 

 


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