あなたが生きた物語   作:河里静那

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6話

 

「月詠翁、恥を忍んでお願い申し上げます。どうか……」

「わかっておる、皆まで言うな。奥方のことはこの儂に任せておけ」

「……ありがとうございます」

「鞍馬よ……主、斯衛に未練はないのか?」

「欠片もないと言えば嘘になりましょうが、今は斯衛を辞してよかったと思っております。BETAの脅威を肌で感じることが出来ましたから」

「BETAか……」

「斯衛を去ろうとも、今もこの魂は斯衛。ただ、人の世の明日を護らなければ、日本も、殿下もお護りできぬことを悟りました。

 その為にこの剣を振るえること、わが身の誇りと思っております」

「さしずめ、人類の斯衛と言ったところかの。良い顔をしておるな、鞍馬」

「そのような大言は吐けませぬが……生まれてくる子に誇れる父であれるよう、努めましょう」

「子か。もう名は決めておるのか?」

「はっ。妻と二人で、こう名付けました。名を……」

 

 

 

 

 

1978年、2月。

東欧戦線、後方基地。

 

その日、鞍馬は基地内の戦術機ハンガーの裏手に広がる芝生のうえに寝そべり、右手に持った一枚の写真を見つめていた。

そこに写るのはもう随分と大きくなったお腹に手を添えるセリスと、その横に立つ鞍馬の姿。共にその表情は優しさに包まれている。

先日、帝都にて撮られたものだ。

頬を染めながら、私の代わりに傍においてと言うセリスの様子を思い出し、顔が笑みを形作るのを止められない。

肌身離さず持ち歩きたいが、衛士強化装備にはポケットなど付いていない。

ならば愛機の管制ユニットに貼ろうかとハンガーまでやってきたのだが、作戦前の最終チェックをしている整備兵に邪魔だと追い出されてしまったのだ。

 

「こんな寒い所でどうしたね? おや、それはセリス中尉の写真か」

 

機体チェック中に鞍馬の姿を見つけたのだろう、ハンガーから衛士強化装備姿の大隊長が歩いてくる。その声を耳にして上体を起こす鞍馬。

 

「会ってきたばかりだというのに、相変わらず仲睦まじいようだね」

「ここから日本まで、往復5日かかりますからね。一週間の休暇のほとんどは移動で費やしましたよ。わずかな時間しか一緒にいられなかった分、余計に寂しさも募ると言うものです」

「照れもせずよく言う。日本人は色恋沙汰に関してはもっと慎ましやかな民族だと聞いていたのだが」

「日本には、朱に交われば赤くなると言う言葉がありますから。ここの空気に染まったのでしょう」

 

鞍馬の言い分に、お手上げだとばかりに両手を挙げる大隊長。

 

「セリス中尉か。実際のところどうかね。今回の作戦、彼女抜きで不安はないか?」

「正直なところ、無いとは言えません。ですが他の隊員も精鋭揃いです。以前のように2機での吶喊は難しいとはいえ、彼らも良くやってくれていますよ」

「それを聞いて安心した。この戦い、負けるわけにはいかないからな。

 しかし、彼女ほど衛士として、副官として、そして君の様子を見る限り妻としても優れた女性は、私の軍人生を振り返ってもそうはいなかった。

 まったく、うらやましい限りだよ。一体どこで見つけてきたのかね」

 

冗談めかしてそう言う大隊長に、悪戯めいた笑みを浮かべて鞍馬が答える。

 

「実は彼女、私の教導官だったんですよ」

「……なんと、それはまた。上官を口説いたのかね」

「いえ、上官と言うわけではなく……日本がファントムを導入するに当たって、アメリカから教導の為に派遣されてきたのが彼女でした。

 私も適性検査やシミュレーターでは良い成績を残していたのですが、相手はテストパイロット、エース中のエースです。対戦した際、こてんぱんにされてしまいましたよ。それはもう、見事なまでに、ぐうの音も出ないほど」

「ははは、今の君からは想像付かないな」

「それで、私も意地がありましたから、その日の夜に……」

 

──これより当基地は第二防衛準備態勢に移行する。繰り返す、これより当基地は第二防衛準備態勢に移行する──

 

「パレオロゴス作戦発動、か」

「これからがいいところだというのに、無粋なサイレンです」

「この話の続きは、作戦後に聞くとしよう。酒でも酌み交わしながらね」

「そのときは、もう勘弁してくれと言うまで惚気ますよ。覚悟して置いてください」

「ああ、了解した。楽しみにしている」

 

 

 

1978年、4月。

ミンスクハイヴ。

 

パレオロゴス作戦。

東ローマ帝国最後の王朝の名を冠したこの作戦は、東欧戦線の安定化を図ることを目的に、今年2月に発動された。

西は未だ人間の生存圏である西欧より、東はウラル山脈以東に退避させた兵力を再配置し、道中のBETAを全て駆逐しつつミンスクハイヴの排除を目指す、空前の大挟撃作戦である。

 

また、今作戦はBETAに対し陽動を行なうことを作戦に折り込み、その成功率を高めたことを特徴としている。

意思も感情も持たず、ただ愚直に前進のみを繰り返すBETAに陽動作戦など果たして効果があるのか?

オルタネイティヴ3計画本部より提供されたデータによりその有効性を認識していた司令部とは違い、最前線にて実際にBETAと相対することとなる将兵達に、その疑問を抱く声が多かったのは仕方のないことだろう。

2機で吶喊することにより部隊の損耗を下げた鞍馬とセリスのように、半ば無意識のうちに陽動を実践しているものもいるにはいたが、大半の者にとっては戦力を分散する愚作に思えたのである。

いわば実戦証明主義の一つの形といえるであろう。根拠の見えないギャンブルに対し、実際に命をベットするのは彼らなのだ。

 

だが、その表情に不安な色を浮かべながら作戦を遂行した彼等は、少し前の自分達の顔色を明るいものへと塗り替えることになる。

北大西洋条約機構(NATO)軍が多数のBETAを惹き付けるなか、陸上戦力に優れるワルシャワ条約機構(WTO)軍が側面より火力を叩きつけることにより、過去に類を見ない戦果を上げることが出来たのである。

 

これにより大いに士気を高めた人類連合軍は2ヶ月にも亘る激戦の末、ついにミンスクハイヴをその包囲網に捉えた。

ただし、今までの戦いと比較して劇的に少ないとはいえ、長期に及ぶ戦闘は人類戦力にも大きな傷跡を残し、各国の軍主力はこの時点で30%近い損失を被っている。

その補填として、これまでヴェリスク、ウラリスクの両ハイヴより侵攻するBETAを排除する役割を担っていた国連軍を当て、パレオロゴス作戦は今その最終局面を迎えようとしていた。

 

 

 

「要塞級の触手を切断した!

 B中隊、レーザー属種を殲滅する! 奴らとの間に要塞級を挟み、盾としろ!

 A、C中隊は周囲のBETAを排除、B中隊に一匹たりと近づかせるな!

 吶喊するっ! 俺に続けええええええええええええ!」

 

鞍馬は、臨時の隊長として大隊を率い、後続の突入部隊を無傷でハイヴ内に送り届けんと、門周辺のBETAを駆逐している。

ソ連空挺軍による強襲降下等、既に幾つかの門より突入が試みられるも、現在においてハイブに進入した部隊全てからの連絡はもはや途絶えていた。

もう、後がない。これが最後のチャンスなのだ。

ソ連軍第43戦術機甲師団ヴォールク連隊、彼らをただの一機も失わせることなく、この地獄門をくぐらせることが己の役目。鞍馬の瞳に炎が灯る。

機体の各所にイエローランプが灯り、手にした長刀は刃毀れが激しい。

だが、まだだ。まだ倒れてはやらん。人類の勝利のため、貴様らなどに邪魔をさせはしない。

やっと、ここまでやってきたのだ。

心に、つい一時間ほど前に聞いた大隊長の声が思い浮かぶ。

 

「鞍馬大尉、すまんな、どうやら惚気は聞けそうにない」

 

突然地面より噴火の如く湧き出したBETAに包囲された部隊を脱出させるべく、その包囲網を切り裂いた大隊長は、鞍馬にそう告げてきた。

見れば、機体の主脚と跳躍ユニットに深刻な打撃を受けており、BETAの追撃を振り切るのは不可能に思えた。

 

「指揮は君が執れ。セリス中尉と仲良くな」

 

そして彼はBETAに向き直ると、部隊が包囲網を抜けるための貴重な数十秒を稼ぎきったのだ。

彼だけではない。他に8人の仲間の犠牲の上に、鞍馬たちは今この場所に立っているのである。

あと少し、あと一歩で彼らの挺身に応えることが出来る。

人類の未来の為に剣を振り、仲間の想いに応える為にBETAを斬る。

日本よりこの身の無事を願っていてくれるセリスを想い、もう間もなく産まれるであろう我が子を想い。

無限ともいえる戦力差に折れそうになる心を奮い立たせ、疲れ果て動きを止めようとする手足に活を入れる。

 

そして、ついにその時がやってきた。

 

「HQより各機、作戦区域内、門周辺におけるBETAの排除を確認。

 これより第5フェイズに移行します」

 

後方より、噴射跳躍の火炎を上げながら、108機のMiG-21 バラライカが飛来する。

ソ連と東欧国家、日本の間には過去の争いを原因とした憎しみという名のわだかまりがある。

だが、今この地にて、そのようなことを思い出すものはいなかった。

誰も彼も、彼らの活躍を願い、彼らの無事を祈り。

そう、そこには確かに、人類という名の一つの共同体があった。

人類はいがみ合いを忘れることが出来る。人類は助け合うことが出来る。

ならば、何処に敗北する要素などがあろうか?

この戦いをはじまりとして、地球をBETAどもから取り戻すのだ。

人類は負けない。

俺が、いるから。

俺達が、いるから。

 

「ヴォールク01より国連軍指揮官へ。貴官等の奮闘に感謝する」

「ヴォールクよ、花道は作った。人類の未来を頼むぞ!」

 

通信越しに敬礼を交わす鞍馬。

その交差しあう視線に、確かな信頼を感じた。

成せることは成した。大いなる達成感に包まれる。

後は……いや、まだ気を抜いている場合ではない。まだやるべきことがあるではないか。

 

「大隊各機に告ぐ、総員陣形を取れ! ヴォールクが帰還するまで、ここを守りぬくぞ!」

 

だが、その行為は無駄に終わる。

後にヴォールグデータと呼ばれることになるハイヴ内の貴重な情報を持ち帰った少数を除き、彼等が再び日の光を見ることはなかった。

突入より3時間半後、最後まで戦い続けたヴォールグ01の反応が途絶える。そして、パレオロゴス作戦の終結が告げられた。

NATO軍、WTO軍、そして国連軍。現状で人類の出し得る全てを出し尽くし、最終的にその50%を失ったこの戦いに。

人類は、敗北したのだ。

 

 

 

基地内は静まり返っていた。

帰還した鞍馬等を出迎える者はいなかった。

人がいないのではない。誰も彼も打ちのめされ、言葉を発することが出来ずにいるのだ。

全欧州軍と国連軍の半数を失い、それでも勝利を掴めなかったという事実に打ちひしがれているのだ。

鞍馬もまた、襲い来る絶望に立ち向かうことが出来ずにいた。

結局、自分の戦いは無駄だった。彼等を犬死させてしまった。激しい後悔が押し寄せる。

人類は勝てないのか。ただ、奴等に喰らい尽くされるのを待つしかないのか。抗いようのない恐怖に飲み込まれる。

戦術機を降り、夢遊病者のような足取りで熱いシャワーを浴び、ふと気がつくとハンガーの裏手に広がる芝生の上にいる自分に気付いた。

 

「……大隊長……申し訳ございません……」

 

2ヶ月前に交わした会話を思い出す。

彼と酒を酌み交わしたかった。彼に惚気話を聞かせたかった。

だが、もうそれは出来ないのだ。

彼の、散っていった仲間達の、地獄へと赴いたヴォールク達の想いに応えることは、もう出来ないのだ。

零れ落ちる涙をそのままに、鞍馬は顔を上げることが出来なかった。

 

 

 

ふと、赤子の泣き声を聞いたような気がした。

このような場所で赤子の声? そんな馬鹿な、聞き違いだろう……

……いやっ!

鞍馬はハッと、何かを思いついたように顔を上げ、東の空を見上げる。

 

「……そうだ……そうだよな……」

 

下を向いていて良い訳がない。このままにして良い訳がない。

彼等の死を犬死ににしないことが出来るのは、自分達だけなのだ。

彼等の死に報いる為には、生きている自分達が諦めてはならないのだ。

まだ、戦える。まだ、やり直せる。

なぜなら、まだ、生きているのだから。

そして、生まれ出ずる者達の未来を護ることが出来るのもまた、生きている者だけなのだ。

いま、生きている自分達こそが、それをやらなくてはならないのだ。

見ていてくれ、ヴォールクよ。大隊長よ。この戦いに散った全ての英霊達よ。

そしてセリスよ、我が子よ。

俺はもう挫けない。俺はもう諦めない。

夕日に染まる空の下、遥かミンスクの地に向け、敬礼をする鞍馬。

その姿は、周囲が闇の帳に包まれるまで微動だにすることはなかった。

 

 

 


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