あなたが生きた物語   作:河里静那

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52話

 

──僕、衛士になるっ!──

──それで、父さんと母さんと、一緒に戦うんだっ!──

 

 

 

少年は、そう約束をした。

まだ、自分の目に見える範囲だけが、手の届く距離だけが世界の全てであった、幼い頃の話だ。

それは優しさに包まれ、輝きに溢れる、完全な世界。悲しみなど存在せず、自分に出来ないことなど何一つないと。そう、信じていた。

 

 

 

やがて、彼は知ることになる。

掛け替えのないという言葉の、本当の意味を。

 

 

 

自分に見える範囲とは、こんなにも狭いものだったのか。自分の手は、こんなにも短いものだったのか。

生きるということは、これほどまでに有難い行いだったのか。

ああ、世界とはかくも広く。こんなにも美しく。そして、なんて残酷なのだろう。

 

 

 

その日。

彼は、少年であることをやめた。それが、彼にとっての始まり。

 

 

 

それは、叶うことのない願い。

それは、果たされることのない望み。

幼い夢を捨てた少年は大人になり、蠍の炎に焼かれた。

……そのはず、だった。

 

 

 

 

 

 

 

一機の戦術機が、戦場を駆ける。

両手の刀を翼に見立て。飛ぶように、舞うように。

向かう先は、己の五倍近い身の丈を誇る巨大な竜。その異形を見るものは、心に恐怖を抱かざるを得ない。本能に刻まれた畏怖に、頭を垂れざるを得ない。

しかし、その鋼の巨人は違った。臆する様子も見せず、威風堂々と胸を張る。

 

竜からしてみれば、それは虚勢と見えたのか。

小さき巨人など、歯牙にもかからない矮小な存在なのだろう。文字通りの、小物。吹けば飛ぶようなものでしかない。

だからだろうか、その巨人に対して行ったのはレーザーの照射ではなく、触腕の壁を作って立ちはだかることでもなく。ただ、一本の衝角を飛ばしたに過ぎなかった。

 

何故なら、それで十分なのだ。

それは、竜にとっては極めて小さな棘。だが小さきものにとっては、触れれば命を奪われる、必殺の武器なのだから。

それが真っ直ぐに巨人へと向かい。そして、貫き通す。

 

貫かれ、引き裂かれ、金属片をばらまき、崩れさるものは……しかし、どこにもいなかった。

衝角が貫いたのは巨人ではない。貫いたのはただ、虚空のみ。

巨人のしたことは、ただ上体を左に傾けたことだけ。その僅かな動きだけで衝角を躱し、同時に右手の刀を竜より伸びる触腕へと一閃する。

切り離された衝角が、その勢いのままに彼方へと飛び去っていった。

 

竜が感じたのは、戸惑い。何故、これはまだ動いているのだ?

……まあ、いい。どちらにせよ、これで終わりだ。

同時に、二本の触腕が放たれた。先端の衝角を重りとし、振るわれる鞭の先端が音速の壁を超え、爆発音を響かせる。

刹那の時間差を置いて襲いかかったそれを躱すことなど、出来はしない。後には無残にひしゃげた、巨人だった金属の塊だけが残されるはず。

しかし……その思惑もまた、叶わない。

 

巨人は、走る速度を落とすことなく、左足を一歩、踏み込む。竜に対して左肩を前に、半身となる。その胸の至近、直前まで右肩があった空間を触腕が過ぎ去っていった。

そして、左手の刀を振り下ろす。二本目の触腕が切断され、再び飛び去る衝角。さらに、前へと進む運動エネルギーを消してしまわぬよう、左足を踏み込むのに合わせて右足を後方へと引く。直進しようとする慣性力が時計回りの回転力へと変換され、巨人が輪舞曲を踊る。

三本目の触腕はその勢いのままに、右手の刀で後ろ薙ぎに斬り捨てられた。

 

次に放たれた三本も、続けて襲いかかってきた五本も、辿る道は同じ。

遂に、焦るように撃ちだされた残り全ての触腕も、怯えるかのように間断なく照射され続けるレーザーも、また。

くるくると舞い踊る巨人はその身に何者をも触れさせることなく、その行く道に立ち塞がる全てを斬り裂き、無人の野を駆けるが如く突き進む。

 

 

 

 

 

──これが、父さんの。黒須鞍馬の、辿り着いた世界。

 

鞍馬の因果を宿した蒼也の心は、凪いだ大海のように広く、穏やかに、澄み切っていた。

波ひとつ立たない鏡のような水面に、世界が映しだされる。

今、世界とは自分であり。自分とは、世界であった。

 

自分と戦術機は同じものであり、自分と刀は同じものである。

自分と空は同じものであり、自分と海は同じものである。

自分と空気は同じものであり、自分と大地は同じものである。

自分と人は同じものであり、自分と人以外のものもまた、同じものである。

 

そこに敵など、存在してはいなかった。

目に映るもの、映らぬものの全てが腑に落ち、全ての理が理解できる。

世界に意味のないものなど存在せず、その全てが愛おしい。

そしてその上で尚、滅ぼさなくてはならないもの。その対象を見定めている、瞳。

 

 

 

思わず、笑いがこぼれた。

ああ、やっぱり僕は、まだまだだ。

父さんの心はこんなにも穏やかだというのに、僕の心は喜びに打ち震えてしまっている。

 

だって、そうだろう?

僕が信ずる、人類最高の頭脳が生み出したこの機体を。

僕が信ずる、人類最高の衛士が駆るんだ。

そしてそれを、僕の未来視がサポートできる。

 

──これで負けたら、嘘ってもんじゃないかっ!

 

僕は今、これほどまでに嬉しい。

世界を、人を。そして真那を、護ることが出来るんだから。

さあ、行こうっ!!

 

 

 

 

 

そして巨人は、竜の元へと辿り着く。

まるで怯えるように、巨人を遠ざけるように、腹部から伸びるひときわ巨大な衝角が放たれる。しかし、その抵抗もまた、鞍馬には、蒼也には判っていた。

薙ぎ払われるそれに、機体の移動速度を合わせる。相対速度が0になった瞬間、軽やかにその上へと飛び乗り、さらに振るわれる力を利用して、天高くへと舞い上がる。

 

遥か頭上にもたげられた、竜の鎌首。

その一つへと狙いを定め、いっそ無造作とも言える手つきで、刀を振り下ろした。

強靭な、何者の矛であろうと寄せ付けぬはずの、鎧のような竜の表皮。それにずぶりと刀がめり込み、まるで抵抗などないように、あっけなく反対側へと通り抜ける。

首の半ば迄を切り裂かれ、人とは違う種であることを示すような、ありえない色彩の血液がほとばしった。

 

しかし、一刀両断というわけにはいかない。蒼也の眉が僅かにしかめられる。首の切断を狙ったのは失敗だったか。

首先端の照射膜を狙うべきだった。剣の長さに対して首が太すぎる。確実にダメージは与えられたが、これでは完全に無力化は……

 

──いや、そうでもないさ──

 

語りかけられる言葉に導かれ、体が動く。

刀を振り下ろした体勢の機体が、跳躍ユニットの力を使い、首の下をくぐるように、反対側へと回り込む。足がかりとするのは、虚空。何もない空間を踏みしめ、飛び上がった。

そして今度は下から上へと、先と合わせて首を一周するように、這わされる刀。

 

空中に足場が存在し、そこを踏みしめるかのような、その機動。

二つの跳躍ユニットからの推力と、機体を動かすことで生まれる慣性力。機体を取り囲む空気の流れに、さらには敵の触腕を切断する際の抵抗まで。機体に関わるありとあらゆる力を駆使し、その動きは実現されていた。

 

それは、戦術機についてよく知らない者であるならば、操縦が上手いという言葉だけで片付けられるものかもしれない。

だが、その様子を目の当たりにした衛士たちからしてみれば。一体どうすればそのような機動が可能なのかと目を疑う、人に在らざる動きだった。

 

僅かに繋がっていた筋繊維が首の重さに耐え切れず、ぶちぶちと嫌な音を立てて、ちぎれる。

竜の首は、その巨大さ故に距離感がくるい、まるでコマ送りの映像を見ているかのように、ゆっくりと落下していく。

そして、首が大地へと落ち、もうもうとした土煙を巻き上げた。

 

 

 

BETAよ。

お前たちは、人間は生命体ではないという。

不安定な炭素の化合物が、生命にまで進化するはずがないという。

それが、お前たちの、限界だ。

 

確かに、人はうつろう。揺らぎ、変容する。

お前らの創造主とやらと比べれば、僕達は不安定な存在なのだろう。

 

だけど、だからこそ。

それだからこそ、人は。

 

──人は、ここまでっ! 強くなれるんだっ!!

 

 

 

「ひとつっ!!」

 

地に落ちた竜の首を見据え、言い放つ。

残りは、8つ。

待っていろ。今、刈り取ってやるっ!

 

二刀を構えた戦術機が、再び死の舞踏を舞い始める。

人の間に響き渡る、割れんばかりの喝采。

その声が、その気持が、更に力を与えてくれる。

彼等の、全ての人類の想いを背にし。

鞍馬の、蒼也の剣が振るわれる。

 

 

 

二つ目の首の先端の、照射膜に光が灯る。

この近距離では重金属雲による減衰も望めない。レーザーは機体を貫き、こちらの死でこの戦いの幕が落ちるだろう。

だがそれは、このまま放たれればの話だ。

 

機体をするりと動かし、敵の巨体を背に首と相対する。

それで、予備照射が止まった。

随分と、大きな盾だ。ここまで懐に入り込まれてしまっては、自分の巨体が邪魔をして、ろくに攻撃することも出来ないだろう。

そのまま首へと距離を詰め、二本の刀を鈍い輝きだけを保つ巨大な瞳へと、同時に突き刺した。さらに両の腕を左右に、翼のように広げ、左右へと斬り裂いた。

 

「ふたつっ!!」

 

 

 

レーザーが無理なら触腕だとばかりに、襲い掛かってくる衝角の数が増した。

よく絡まらないものだと、場違いな感想を抱きつつ、こぎざみに左右に動いてそれらを躱す。躱しきれないいくつかは、刀を盾として受ける。

ただし、正面から力まかせに受け止めるような真似はしない。膂力では相手のほうが遥かに上だ。そんなことをしてしまったら刀は折れ、機体にも致命的な損傷を負ってしまうだろう。

だから、飛来する衝角の側面へと刀を当てがい、その軌道を反らせる。

 

最小限の力で、最大限の効果を上げる。極めれば、こういう芸当も可能だ。

思兼の左背後、そこからこちらを押しつぶさんと迫ってきていた竜の首。そこへと、弾いた衝角が突き刺さった。一本、二本、三本と、立て続けに。

自らの攻撃を利用され、またひとつ、首が沈黙する。

 

「みっつっ!!」

 

 

 

残る首は六本。

思兼の前方に四本、後方に二本。

それらを落としてしまえばこの竜も、ほぼ無力なものと成り果てる。

 

慌てる必要はない。ゆっくり時間をかけたって構わない。確実に、ひとつづつ落としていこう。

地表のBETA群を抑えている仲間たちは確かに心配だ。

だが、伊隅なら、碓氷なら、207Bなら……僕が信ずるA-01の皆なら、そして真那ならば、この程度のBETAに遅れを取るようなことなど、決して無い。

 

そして、僕もまた、決して負けない。

僕には、香月博士が生み出したこの思兼がある。

そして、何より。今の僕には、父さんがついているんだ。

 

さあ。

次に落とされたいのはどの首──

 

 

 

ぞくり。

 

 

 

人類の勝利を確信した、その時だった。

蒼也の首筋の毛が、ぞわりと逆立った。脳内に最大限の警報が鳴り響く。

猛烈な、悪寒。

まずい。ここは、まずいっ!

無意識のうちに、機体に回避行動を取らせる。

 

飛び退くようにその場から一歩退いた、瞬間。

たった今までいたその空間を、目をくらます眩い光が貫いていった。

その光量は、決して一本だけのレーザーのものでは有り得ない。二本が束なったものですら、ない。

 

馬鹿なっ!

竜の首は九本あった。三本は屠り、目の前には四本がこちらを睨めつけている。

背後の首は、二本しか無い……はず。

 

注意深く機体を回頭させ、未知の脅威を確認しようとした蒼也の視界に、信じたくない光景が映し出された。

絡みつくように束ねられた、三本の首が。

 

そのうち一本は、他よりも幾分か短い。

間違いない、最初に斬り落とした首だ。先端は今も地面に転がっている。ならば、何故?

 

その、半ばほどで断たれた首の先端、切断面から覗く、虚ろな瞳。

肉が襞のように蠢き、割れ、血を滴らせながら。首の中から、新たな照射膜がせり上がってきていた。

 

 

 

──……再生、した……だと?

 

 

 

この竜を無力化するためには、九本の首全てを斬り落とさなくてはならない。

しかし、たった三本を潰しただけの短い時間で、最初の一本が再生しているという現実。

弾かれるように、残る二本の、落とした首へと目を向ける。

そして、予想通りの、悪夢を見た。

 

うじょり、うじょりと。

おぞましい音を立て、地球上の生命にはあらざる色をした血液が泡立ち。そして、それまであったものを押しのけるように、自らの一部を引きちぎるようにして、新たな瞳が生み出されようとしていた。

 

その瞳に、光が灯ろうとしている。

今、こいつは通常のものでは有り得ない熱量の光線を放った。

それが、意味するもの。それは。

 

──猶予時間が、終わろうとしている……

 

蒼也の感覚に、ある一つの可能性の未来が浮かび上がった。

それまでに残された時間は……もう、ない。

 

その未来では。

九本の首を、再び揃えた暴竜が。

その束ねられた全ての首より放たれた光の奔流を、地表で戦う仲間たちへと、真那へと向けて、解き放っていた。

 

 

 


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