2001年12月5日。
その夜の横浜基地において、睡眠という快楽を享受できた者はいなかった。
消灯時間から間もなく鳴り響いた警報、それは基地が防衛基準体制2へと移行したことを告げていた。
人類に危機が迫る中で図太くも眠り続ける者など、この希望の砦にいるわけがない。ベッドから飛び起きた衛士達は、各隊毎に割り当てられたブリーフィングルームへと、押取り刀で駆けつける。
A-01第5中隊エインヘリヤルズ指揮官平慎二大尉が第一ブリーフィングルームへと辿り着いたときには、伊隅中佐以下の各中隊長たちは既に集結済みだった。
「遅いぞ、平」
「すみません。中佐、一体何が起きたので?」
時間をかけてゆっくりと口説き落とした他部隊の美人衛士と、遂にベッドを共にしようとして。その矢先に警報が鳴り響いた平からしてみれば、色々と思うところもあったのだが、とりあえずは謝罪と質問を口にする。
しかし、その問いかけに対して伊隅はゆっくりと首を振るだけ。
中佐ですら事態を把握していない。
ということは、これは事前に予測のしようもない、突発的な事態ということ。
推測は無駄だと悟った平は指定の席につき、事態を把握しているであろう人間、香月副司令か或いは蒼也少佐の登場を待つ。
そうするうちに隊長職についてない一般衛士たちも続々と集まり、最後にその二人が機密区からの扉より姿を現した。
そして香月は、疑問という名前の彫像となっている隊員たちを見渡した後、考えつく中でも最悪から数えたほうが良いと思われる一言を言い放った。
「佐渡が陥ちたわ」
隊員たちにざわめきが走る。
人類にとって初めての、G弾を用いないハイヴ攻略。全世界を歓喜の渦に巻き込んだその偉業が、たったの10日足らずで無に帰したというのか。
しかし、佐渡には帝都守備連隊の精鋭が駐屯していた。今現在も戦闘中というならば分かる話だが、既に陥落しているとはどういうことだ。彼等が全滅するだけの規模のBETA侵攻なら、もっと早くに察知できそうなものだが。
隊員たちの疑問に対する香月の答え。
それはまったくもって予想外のものだった。
「今回、BETA侵攻の察知が遅れた理由はね……敵が、たったの一体のみだったから」
そう言って、佐渡の戦闘にて撮影されたという映像をスクリーンに表示する。
息を呑む音が、静まり返った室内に響いた。
「ヤマタノオロチ。それが佐渡からの最後の交信よ。上手いこと言ったもんだわね」
そこに映しだされていたものは、要塞級BETAを巨大化させ、うねうねと蠢く9本の首を付け加えたような異形の姿だった。
「こいつがやって来たのは、鉄原ハイヴから。監視衛星からの映像を解析した結果、あたし達が佐渡でドンパチやってる時にハイブから這い出してくる姿が確認できたわ。海底をゆっくりと歩き続けて、10日かけて佐渡へと上陸したわけね。そしてこのたった一匹で、佐渡の戦力を壊滅せしめた」
信じたくないものを見るような視線を受けつつ、香月の説明は続いていく。
佐渡での戦闘データを決死の思いで持ち帰った一部の衛士よりもたらされた情報によれば、全高はおよそ90m。9本の首の先には照射膜があり、そこから重光線級に匹敵するレーザーを照射してくる。
恐るべきは、その照射速度。インターバルはほぼ存在せず、まるでガトリング砲のようなレーザーの速射が飛んで来るという。
他にも要塞級のものと同様の、ただし本体のサイズが違う分だけ巨大化された衝角を持つ。それに加えて100本以上の小型の衝角も持ち、自在に振り回して攻撃してくるという。小型とはいえ、戦術機を破壊するには十分な威力だ。
遠距離からはレーザーの連射、近接では無数の触腕。併せ持たれた隙のない鉄壁の防御力と、驚異的な攻撃力。
まったく、聞けば聞くほど嫌になる。
「日本海に展開した帝国連合艦隊からの重点飽和攻撃すら、全て叩き落とされたそうよ。止めに、ここを見て。この光っている部分だけど、小型の反応炉と予測されるわ。つまり、エネルギーの補充は万全。燃料切れを狙うことも出来ない。……まさに、BETAの移動要塞ね」
これまでの、数が最大の脅威というBETAのあり方とは一線を画す存在。判明している情報以上の隠し玉を持っている可能性も否定出来ない。
恐ろしく強大な敵だということは、呆れるほどに理解できた。
「ここからが本題よ。こいつは佐渡を蹴散らした後、再び行動を開始して海へと潜っていった。予測進路はここ、横浜。再び姿を表して新潟へと上陸するまで、推定で10時間後」
BETAは行動後に反応炉からの補給を必要とするため、通常であれば多少なりと佐渡にとどまる時間が生まれる。
だが自前でエネルギーを補充できる以上、即座に次の行動へと移れるということか。
「あんた達は今すぐ新潟に向かって。あらゆる状況に対処できるよう、推定上陸地点からやや内陸に入ったところで、即応体制で待機。奴への対処法はこれから詰めるから、現場で交代で仮眠をとっておきなさい」
一拍置いて、息をつき。
「これより、仮称超重光線級、識別名ヤマタノオロチ撃退作戦を発令する。……神話の竜退治よ、気張りなさい」
総員が見事に揃った敬礼をもって応える。
にも関わらず、香月からは敬礼はいらないという、お決まりの言葉も出てこない。
副司令ですら軽口を叩く余裕が無い、事態はそれ程に深刻なのか。
衛士たちの心がより一層、引き締められた。
「で、あれについての心当たりはないわけね」
ブリーフィング後、香月と蒼也は場所を副司令執務室に変え、竜退治の方法を検討していた。
残された猶予は少ない。だがあれは、闇雲に戦っては勝てない、強大な敵だ。こういう時こそ、冷静な判断が求められる。
「ええ。白銀の記憶に奴の姿はありません。鑑が佐渡でリーディングしたデータには?」
「解析が全て終わっているわけじゃないけど、今のところは情報なしね」
では、今ある数少ない材料で何とかしなければならない。
順に整理していこう。
「まず、あれが作られたのは鉄原ハイヴで間違いないわね」
「他から移動してきた痕跡が見当たらない以上、おそらくは。母艦級で運ばれたという可能性もありますが、だったら鉄原で降ろさないで佐渡へ直接向かうでしょう」
わざわざ海底を歩いてきた以上、鉄原ハイヴ以外で生まれた可能性は低いと判断できる。
「次、あいつはいつ作られた? オリジナルハイヴのあ号標的が倒されたから、慌てて生み出したと思う?」
「いえ、それはない……と、信じたいです。その場合、制作の指示を出した重頭脳級に変わる司令塔が存在することになりますから」
仮にそうだとすると、事態は最悪を通り越すこととなる。
「もし重頭脳級を倒してもその都度バックアップが生まれるようであれば、頭を叩くことに意味はなくなる。いずれ、凄乃皇や思兼に対応する手段も編み出されることでしょう。……人類の敗北が決定します」
かつて月よりBETAが飛来したばかりのころ、空を飛べないBETAに対して航空機からの爆撃が猛威を振るい、一度は奴等を殲滅する寸前まで追い詰めた。
だが、BETAは光線級を創造することによりそれに対処。人類の優位性はその時に消滅した。
そう、BETAは学習するのだ。重頭脳級が存在する限り、現状いかに効果的な武装であっても、いずれは無効化される。
「それに、あれだけのものが10日かそこいらで生み出されたとも考えにくいです。以前より、何らかの目的で作られていたと考えるのが自然ではないかと」
「そうね。鉄原ハイヴの動きが不活性だったのは、あれを作っていたからと考えるべきね」
「だとすると、1年ほど前からですか。少しホッとしました。もし、たった10日で量産できるなら、重頭脳級の有無にかかわらず人類の勝ち目は厳しくなりますからね」
推論を重ねての結論ではあるが、人類滅亡が確定したわけではないようだ。
物事を楽観的に考えるのは強く戒められるべき立場にいる二人だが、それでも安堵を抑えきれない。
「でも、一年前というと……」
「おそらく、XM3でしょうね」
五一五事変を経て、今より一年ほど前からXM3は急速に全世界へと普及していった。衛士の死亡率はそれまでの半分以下にまで減少、BETAを倒す効率も飛躍的に上昇した。佐渡からの侵攻に対しても、新潟の第一防衛線で危なげなく撃退できていたのだ。
「次の問。何故、作られたのか。それに対する答えね」
その状況にいつまでも甘んじているBETAではなかったということか。
それ以前よりも格段に強力となった人類の抵抗に対し、その対抗手段としてあれが生み出されたと考えれば、辻褄が合う。
「バタフライエフェクトは覚悟していましたが……XM3の普及が裏目に出ましたかね」
「それは違うでしょ。対抗手段を模索しなければならないほど、BETAは追いつめられた。それだけ人類は優勢に立っているってこと。これまでの積み重ねは間違っていなかったっていう証拠じゃない。XM3がなければ、ずっとジリ貧だったでしょうね」
間違った手段をとってしまったかと、悔いる蒼也。
だが、それに対する香月の言葉を聞いて、浮かんだ表情がぽかんとしたものに変わる。
「何よ、その間抜けな顔は。あたし、間違ったことを言ったかしら?」
「いえ、そうではなく。珍しく、副司令からフォローの言葉をもらえて嬉しいなと」
「……馬鹿なこと言ってんじゃないわよ」
あ、少しだけ耳が赤くなった。
変なことを言ってしまってごめんなさい。本当は、よくわかっていますよ。
副司令が、実はとても優しい人だってことは。
感謝の言葉を伝えたいが……やめておこう。この人にそういうのは似合わないし、照れ隠しに銃撃されるのも面倒だし。
「まあいいわ。結論をいうと、ヤマタノオロチは手強くなった人類に対抗するための、テストケースとして作られた一体。そういうことね」
既存のBETAは、奴等からしてみれば土木作業用の機械というところ。
ブルドーザーやショベルカーで襲いかかってくる敵に対し、それまでは生身で対抗してきた人類が、銃器を持って反撃しはじめた。
その抵抗が馬鹿に出来ないものとなってきたため、敵は遂に戦車を持ち出してきた。
概略をわかりやすく例えると、そういうことだろう。
「そして既に重頭脳級が存在せず、戦車の有効性を検証できない以上は、新たな戦車が作られることはない。今あるものも、予め決められたプログラムに添って動いているに過ぎない。おそらくは、人類勢力下にある反応炉を取り戻そうとしているってところかしら」
鉄原から佐渡、そして横浜。
その行動から考えるに、そういうことなのだろう。
「つまりあれを倒せば、この問題はそれで解決。後は倒すだけ、なんだけど……」
色々と現状の考察を重ねてきたが、それらはこの問題の前には無意味。シンプルにして非常な難問。
それは、どうやって倒すか?
敵は重光線級クラスのレーザーを間断なく撃ってくる。遠距離からの砲撃は全て撃墜されると考えていい。
かといって近接攻撃ならどうにかなるかといえば、そもそもレーザーと無数の触腕により近づくことすら出来ないのだ。
……通常の、オルタネイティヴ4によらない戦力を使うので、あれば。
「レーザーの雨をかい潜り、触腕の森を掻き分けて、奴に接近してレーザー照射膜を破壊する。或いは、遠距離からレーザーでは撃墜不可能な手段で狙撃する。その二択ですよね」
佐渡ヶ島攻略で無双の強さを魅せつけた、二つの兵器。
「どっちが良いと思う?」
香月の問に、蒼也が答える。
「ヤマタノオロチを退治するのは、スサノオノミコトの仕事ですよ」
2001年12月6日。
ヤマタノオロチ上陸予測地点から、数km内陸に入った場所。
視界にとらわれるなりレーザーで蜂の巣にされる危険を回避するため、目標からは死角になるその位置に、いくらかの間隔を開けて迎撃のための部隊が集結していた。
A-01連隊、帝国本土防衛軍及び帝国斯衛軍の戦術機甲部隊。そして、それらの更に後方に凄乃皇。水平線の彼方には帝国連合艦隊も控え、各砲門を開いて照準を合わせている。
皆、その時を緊張に包まれながら待っていた。
日本神話の竜の名を冠された最強のBETAが、水を割って現れるのを
「目標出現まで残り60。59、58……」
監視衛星からの情報を元に、連合艦隊旗艦に設置されたHQにて、CPの涼宮遙中尉がその瞬間までの秒読みを開始した。
ムアコック・レヒテ機関を起動さた凄乃皇が不可視の翼を広げ、天へと舞い上がる。
ヤマタノオロチ迎撃のために選ばれた手段は、とても単純なものだった。
光線級のレーザーでは撃墜不可能な、凄乃皇の荷電粒子砲を用いての殲滅。ただそれだけのシンプルな、それだけに対処のされようのない方法。
上空から撃ち下ろす形ならば容易に射線に捉えることが出来、また、友軍が射撃に巻き込まれることもない。
同時にヤマタノオロチからの射線も通ることになるため当然、反撃を受けることにもなる。だが重光線級相当のレーザー程度、ラザフォード・フィールドという鉄壁の盾で無効化出来るのだ。
もちろんそれは凄乃皇を操る鑑純夏に負担をかける行為であり、無限に防ぎ続けるようなことは出来ない。とはいえレーザー照射を受けるとしても、たかだか主砲を撃つまでの間だけ。佐渡攻略時の実績から考えても、その程度は大した問題にならない。
何らかの理由により凄乃皇からの攻撃が無効化された場合等の、万が一の不測の事態に備えてA-01を始めとする戦術機部隊が配置についてはいるが、おそらくその出番はないだろう。
佐渡駐屯の部隊が全滅している以上、事態を楽観視するつもりはない。ヤマタノオロチはこの上もなく強大な敵だ。
だが、日本神話においてその大蛇は、スサノオノミコトによって討伐された。そして現代においても、それは同じだろう。
現状で判明しているデータを何度見返しても、その結論に代わりはないように思える。
……それでも。
「30、29、28……」
カウントダウンが続く。
間もなく、敵の頭が水面の外に出るだろう。もう少し引きつけて、上半身が姿を現したところで荷電粒子砲を放てば、それで終わり。
それまでの間にレーザー照射を受けるかもしれないが、凄乃皇ならば十分に耐えられる。
何の、問題もない。
……だが、それでも。
蒼也は、これ以上もないほどの焦燥感に、急き立てられていた。
頭痛がする。
まずい。これは、まずい。
何かが起ころうとしている。重大な、何かが。
かつて明星作戦中に蒼也を襲った、未来予知からの警告。
何かが起ころうとしている。
それは何だ。
何が起きるんだ。
考えろ。
未来を見ろ。
世界への扉を開け。
あのときは、間に合わなかった。
G弾が破壊をもたらすのを、止めることが出来なかった。
だから、今回は。
今回はっ!
………………っ!!!
「鑑っ!! 駄目だっ、下降しろっ!!」
緊急回線に響く、蒼也の焦りに満ちた声。
それを聞いた鑑が反射的に射撃を取りやめ、機体を大地へと向けた。
同時に、蒼也の量子伝導脳から出された指示が凄乃皇に干渉し、ラザフォード・フィールドを強制的に最大展開させる。
次の瞬間。
世界が、白く染まった。
海中より覗かせた、大蛇の9本の首。
それが捻れるように、絡みつくように一つへと纏まり。
そして、光が放たれた。
凄乃皇の主砲も斯くやという程の輝きと、あらゆるものを消滅させんがばかりの熱量。
輝く槍は不可視の障壁を、数瞬の抵抗の後に貫き通す。
竜殺しの神は、地へと叩き落とされた。
衛士強化装備を通して聞こえる鑑の、耳をつんざく悲痛な叫び。
そして。
それが、唐突に途絶えた。
「純夏ぁっ!!」
白銀の駆る不知火が、鑑の元へと駆けつけんとして。……その足を、止めた。
愛する者の安否を気遣わないわけではない。今すぐにでも飛んでいって、あの鉄の箱から彼女を助け出したい。
だが。
「……なんだよ……これ……」
白銀の足を止めさせたもの。
それは、地を揺らし、轟音を響かせ、姿を現す。
集結する戦術機甲部隊と、遂に完全に姿を現した大蛇との半ば程。
大地より、新たに長大な蛇が姿を覗かせた。
もたげられた鎌首は、それだけでヤマタノオロチの倍はあろうか。凄乃皇に匹敵する巨大さ。
未だ地中にある胴の長さが如何ほどになるのか、想像もつかない。
そしてそれが。ゆっくりと、顎を開く。
蛇の口中より吐き出されたるは、要塞級、要撃級、突撃級、戦車級……数多のBETA共。
ほんの数瞬前までは容易な任務だと思われていた戦場が、地獄と化す。
誰かが上げた悲鳴が、遠く近く、こだましていた。