あなたが生きた物語   作:河里静那

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5話

 

「日本はどうだ、少しは慣れたか? この時期の帝都は寒いだろう。京都は盆地だからな、寒暖差が激しいんだ」

「大丈夫。私の育ったところはアリゾナの砂漠よ。朝晩と昼の温度差なんてここの比じゃないんだから」

「そうか。セリスは逞しいな」

「ちょっと、それ、女性に対する褒め言葉じゃないわよ」

「はは、すまんすまん」

「ほんと、いつまでたっても朴念仁なんだから」

「誰か知り合いは出来たのか? 愚痴をこぼせる友人とか、頼りに出来る人とか」

「んー、病院で知り合った奥さんたちとは結構話すようになったよ。でもやっぱり、アメリカ人だとわかると微妙な顔をする人もいるかな」

「……すまん。俺が不甲斐ないばかりに」

「もう、そんな顔をしないで。大丈夫よ、私、逞しいんだから」

「もっと頻繁に会いに来てやりたいんだが……」

「それが無理だってことは良くわかっているわよ。伊達に副官やってたわけじゃないんだからね」

「やっぱり、セリスは逞しいな」

「もう、また言った」

「さっき自分でも言っていたじゃないか」

「自分で言うのはいいんですよーだ」

「ははっ。何か、俺に出来ることはないか?」

「それじゃぁ……一つだけ良いかな?」

「ああ、何でも言ってくれ」

「死なないで、ください」

「……セリス……」

「一月後の作戦で、ううん、その後の戦いでも、生きていてください」

「……ああ、もちろんだ」

 

 

 

 

 

1978年、1月。

帝都。

 

黒須鞍馬が斯衛を去り、2年の月日が流れた。

月詠瑞俊の胸に湧き上がる喪失感も、彼の台頭を心待ちにしていた人々の無念も、表立っては大分影を潜めていた。

瑞俊にとっては、3年前に生まれた初孫である真那、真耶の存在も大きい。

彼女等が生まれてからというもの、かつての触らば斬るといった雰囲気は何処へ消え去ったものか。孫に対する姿はどこの好々爺か。

いずれこの子等が成長し、次代の斯衛を背負って立つ姿を目に浮かべ、それまでは死ねんと嘯く日々である。

 

心をよぎる不安といえば、子供たちも、孫たちも、全て女子という事実か。

孫に関してはこれから先の期待も出来るとはいえ、こうも女子ばかりが続くと月詠家には男子が生まれないのではという妙な不安が心をよぎる。

かく言う瑞俊自身も身の上を省みれば、父は婿養子として月詠家に入っており、さらには血を分けた兄弟は女子ばかりという事実があるのだ。

家督を継ぐのは男子でなくてはならないなどという決まりは斯衛にはない。

とはいえ、男女に拘りなどないといえば、それは正直なところ嘘となろう。

そういったことを徒然と考えていると、つい鞍馬のことを思い出してしまう。

折に付け集めていた情報によると、鞍馬は妻を副官として中隊を率い、東欧の最前線で戦っているらしい。

中隊長といえば大尉である。斯衛でも同じ階級にあったとはいえ、その地位に着いたのは任官よりわずか数ヵ月後のことという。

そして、2年もの間最前線で戦い続け、生き残っているその実力はいかなるものか。

やはり彼の優秀さは国連でも際立っているのだろう。

しれず、溜息が漏れる。

鞍馬が斯衛にいてくれれば。未だに未練を感じている自分を認めざるを得ない。

鬼の瑞俊ともあろう男が、随分と弱気になったものだ。そろそろ娘婿に家督を譲る時期が来たのかもしれない。

そんなことをすら考える。

 

そんな平穏な日常を破ったのは、あの時と同じ一月、雪のちらつく日であった。

帝都にて、鞍馬を見かけた。そんな話が耳に飛び込んできたのだ。

見間違いでは? 人違いではないのか?

話を聞いてまずそう思ったが、伝えてきたのは他でもない鞍馬の元部下である。

外国人の女性と共に歩いていたということからも、本人に間違いないであろう。

しかし、奴は東欧の地にて戦っているはず。

一月後にはミンスクハイヴを攻める大規模作戦も予定されているという。

今帝都にいるというのは些かおかしいのではなかろうか。

これは一つ、確かめる必要があるかもしれない。

配下のものを呼び、事の真偽を明らかにするよう申し付ける。

不思議と自分の頬が緩むことを、瑞俊は自覚していたのかいないのか。

 

 

 

セリスが帝都に移り住んだのが昨年の11月。

そしていま、2ヶ月ぶりに鞍馬と会っている。喜びのあまりについ弾む足取りを、お腹に障るからと鞍馬にたしなめられること既に数回。

ああ、やっぱり私はこの人が好きなのだと、幸せを噛み締めている。

 

鞍馬が帝都にいるのは、パレオロゴス作戦の発動を来月に控え、大隊の全員に交代で一週間づつの休暇が許されたからだ。

今作戦はBETA大戦史上、最大の作戦である。疲れを取るという理由の他に、心残りをなくして置けという意味合いもあるのだろう。

だが、鞍馬に死ぬ気などは毛頭なかった。

当然だ。愛する妻と生まれてくる子に、寂しい思いなどさせるわけにはいかないのだから。

 

もっとも、今作戦において国連軍がその主役となることはない。

ワルシャワ条約機構軍(WTO)を主力に、北大西洋条約機構(NATO)軍が助攻兼陽動を任され、最終局面であるハイヴ突入に関してはソ連軍が担うことになっているのだ。

国連軍における作戦行動は、WTO・NATO両軍が東西からミンスクハイヴを挟撃している間、周辺ハイヴからの侵攻を排除することである。

言ってしまえば、鞍馬達がこれまで行なってきたことと大差ない。

とはいえ、それは決して容易いことなどではないのだが。

 

鞍馬にとって、これらの作戦内容に不満がないかといえば、それは否になる。

何故なら、ソ連をはじめとした各国のプライドや欲といったドロドロとしたものが、機密情報という分厚いカーテン越しにも透けて見えるからである。

しかし、これは人類が力を合わせる第一歩なのだ。最初はそういった打算からの行動でも構わないだろう。

今作戦を成功させれば、力を合わせることのメリットが浮き彫りになってくるはずなのだから。

失敗は許されない。次へと繋げなければならない。希望を見出さなくてはならない。

その為に今の自分が出来ることといえば、与えられた任務を確実にこなすことだけなのだ。

 

「私をほったらかして、何を考え込んでいるのかな?」

 

セリスが拗ねたように言ってくる。

そんな表情が、仕草が、たまらなく愛おしい。

 

「生まれてくる子供の、名前を考えていたんだよ」

 

その言葉に、顔をこれ以上ないくらいに綻ばせるセリス。

鞍馬は嘘が嫌いだ。だが、今だけは許して欲しい。

せめて今だけは、戦いのことを考えないでいて欲しいから。

 

 

 

ふと、睦まじく歩んでいた鞍馬の足が止まる。

視線の先、セリスの住まいである平屋家屋の前に、赤い衣を纏った初老の男が佇んでいたのだ。

鞍馬の視線を追ったセリスもまた、その存在に気付く。

しばし、無言のときが流れた。

 

「……奥方は身重なのであろう。この雪は体に障る、中に入られてはいかがかな。

 ついでに、儂にも暖を取らせてもらえるならありがたいのだが」

 

そう口火を切ったのは、赤を纏う斯衛の重鎮、月詠瑞俊その人であった。

降りしきる雪の中、傘もささずに立っていたのだろう、その頭に肩に、うっすらと雪が積もっていた。

鞍馬は一歩前へと進み出ると、深々と頭を下げる。

 

「ご無沙汰しております、月詠翁。

 何もないあばら家ではございますが、暖をとるくらいなら出来ましょう。

 どうぞお入りください」

「うむ。では失礼する」

 

あばら家と言ったが、決してそのようなことはない。

むろん、月詠家の豪邸と比べては霞むものではあったが、平均的な帝都の住民と比べても、整えられたと言って良い家であった。

これも、妻と子に十分な生活をさせたいという鞍馬の心の現われなのであろう。

その居間、上座にあたる床の間の前に瑞俊は案内されていた。

本来、家主の座る位置であろうが、瑞俊を下に扱うような真似が鞍馬に出来ようはずもない。

もてなそうとするセリスを、座っていなさいと制した鞍馬が淹れた茶を、瑞俊はすする。

 

「このように冷える日には、熱い茶に限るな」

「無作法で申し訳ございませぬ。無骨な武人なれば、茶の道にも疎く……」

「よい。それは儂も同じよ」

 

居間には、茶をすする音だけが響く。

2杯目を淹れたとき、瑞俊が口を開いた。

 

「お主が帝都に帰ってきていると耳にしてな」

「……いえ、この家の主は妻でございます。私は時折顔を見にこれるのみで」

「子が生まれるのはいつになる?」

「4月を予定しております。私はその頃、戦場におりますでしょう」

「では、奥方が一人で子を生むことになると?」

「……はい。むろん、病院にて医師の下に生むことにはなりますが」

「とはいえ、米国人の女子に分け隔てなく接してくれる医師も少なかろう」

「……おそらくは」

 

瑞俊は一つ溜息をつくと、咎めるように続ける。

 

「お主、鞍馬よ。子を生み育てる苦労を何もわかってはおらぬようだな」

「はっ、面目次第もございませぬ」

「昼夜を問わず乳をあげ、眠る暇もない。まして出産直後は母体も弱っておろう。

 幼子はさまざまな病にかかることも多い。

 いくら気丈な奥方とはいえ、誰一人頼るものなく成せるものではなかろうぞ」

「……二人で選んだ道でございます」

「とはいえ、苦労するのは奥方ばかりのようであるが?」

「……はっ」

 

再び、沈黙が場を支配する。

3杯目の茶が淹れられ、そして飲み干されたとき、瑞俊が徐に席を立った。

 

「馳走になった」

「はっ。外までお送りさせていただきます」

「構わぬ」

 

一人外へと向かおうとする瑞俊はふと立ち止まり、背中越しに告げた。

 

「……ときに鞍馬よ。実は、月詠家にて住み込みの女中を探しておってな。

 実際に仕事があるのは4月からなのだが、それまでは研修ということで住んでもらっても構わぬ。

 誰ぞ、良い人物に心当たりはおらぬか?」

「……月詠翁」

「儂の上の娘二人が3年前に子を生んでおってな。何かと子育てのあれこれを語りたがる。

 そういった話を聞き、己の糧と出来るような者であれば尚のこと良いのだが」

「しかし……私は斯衛を……」

「馬鹿者。誰が斯衛の話をしておるか。あくまで、我が家の個人的な使用人の話じゃ」

 

鞍馬は、己の両の目から溢れる涙をとめることが出来なかった。

セリスを見れば、彼女もその両の手で顔を覆い、指の間から多量の雫を零れさせている。

 

「……月詠翁、感謝いたします」

「何を言っている。単に女中を探しておっただけの話よ。感謝される謂れなどないわ」

 

瑞俊は振り返ることなく、外へと続く扉を開き、ふと思い出したように尋ねた。

 

「そういえば、子の性別を聞いておらなかったな。

 もうわかっておるのか?」

「はっ、男子であると」

「……そうか。邪魔をしたな」

 

そうして、瑞俊は去っていった。

閉じられた扉へ向かい、セリスの感極まった言葉が紡がれる。

 

「……鞍馬。やっぱり、日本ってとても素敵なところよ」

「……ああ、俺の誇る祖国だ」

 

 

 

 

 

この日の夜遅く、月詠家は鬼の瑞俊の居室より、

 

「……男子か……くふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

という不気味な声が漏れ聞こえてきたと言う。

 

 

 


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