あなたが生きた物語   作:河里静那

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45話

2001年10月22日。

 

「あら、起きたのね」

 

執務室の一隅、革張りの長ソファでピクリとも動かず、死んだように意識を失っていた蒼也の瞼がゆっくりと開かれた。

右手を持ち上げ、顔の前にかざす。自分の物だと確かめるように、手を開いて、閉じて。そしてその手を額に当てて、ふぅっと、安堵の息を吐いた。

その様子に気がついた香月から、咎めるような声がかかる。

 

「本物の白銀に会って記憶が刺激されて、頭痛の発作が出た。それは分かったけど、あんた何でわざわざ、あたしのところに来るのよ。素直に自分の部屋で寝なさいな」

 

まだ夢うつつの中にいるのか、ゆっくりと頭を振る蒼也。その口が音のない声を発した。大丈夫、僕は蒼也。黒須蒼也だ、と。

 

「……そのまま目覚めなかったり、起きた時に僕以外の人格になっていたりした時に、副司令が対処するのが楽だろうと思いまして」

 

まだ本調子ではないのか、声の調子にも皮肉の内容にも今ひとつキレがない。

香月からの返す言葉に呆れの色が加わる。

 

「そんな考慮するくらいなら、白銀に会わなければよかったじゃない」

 

当初の案では、白銀がこの基地に現れた時に彼の相手をするのは香月の役割、そう予定されていた。

それを昨日になって、やはり僕にやらせてくださいと蒼也が申し出てきたのだ。

 

「いつまでも会わないままという訳にもいかないですからね。白銀と顔を会わせた時点で、僕に大きな影響が出る。それは判っていたのですから、だったら中途半端なタイミングで消えるよりは、試練は最初に持ってきたほうがいいかなと。最悪、消えてしまったとしても、現時点での僕にできることは全て終わらせていますし」

「まあ、一理なくはないけど」

「それに……」

 

それは強がりなのか、本心なのか。にいっと、いつもの笑みを浮かべてみせる。

 

「それに、これで消えてしまうなら。その時は、僕にはより良い未来を引き寄せる力なんてなかったってことですよね。……でも、そんな訳がないんです」

 

心に浮かぶのは、一人の女性の優しい笑み。

あと、角の生えた怒り顔。

 

「恥知らずでしょうが、信じているんです。僕は、幸せになれるって。まだその権利がある、それが許されているって。だから、ここまで自分を保ってこられたのだし……この程度じゃまだ死ねないんですよ」

 

そして、精神論みたいで説得力ないですけどね、と。恥ずかしいことを言ったと照れていた。

 

「はいはい、ノロケは聞き飽きたわよ。あんたの相手、御剣の護衛で基地にいるんでしょ? 勝手に乳繰り合って来りゃいいじゃない。体が完成するまではあんた暇なんだから、それまでの時間は好きにしなさいな」

 

人でいられる最後の時間。それを自由に使えというのは香月なりの気遣いなのか、或いはただの厄介払いなのか。

しっしと手を振り部屋から追いだそうとする。

だが、その前に。

 

「一応、状況の確認だけしておきましょうか、黒須。この世界に現れた白銀は二周目……ということで、間違いないわね?」

 

スイッチを入れるように、一瞬で纏う空気の質が変わる。

それに合わせて蒼也の背筋が伸ばされ、顔からも日常の色が消え去った。

 

「ええ。実際のところは何度目かというのかはわかりませんが、白銀の主観では二回目ですね。最もデリケートな扱いが必要な周回の白銀かと」

 

2001年10月22日に現れる白銀が、どの程度の記憶を所持しているのか。今日この日に向けて自身の許す限りの、いやそれ以上の能力と労力を注ぎ込んで備えてきた香月と蒼也だったが、こればかりは実際に白銀と会って話を聞いてみないことには分からないことだった。

 

最悪、白銀が来ない可能性もあった。白銀の記憶が蒼也に宿ったことが、白銀の召喚の代わりとなったと、そう世界が判断してしまった場合だ。白銀は現れず、鑑純夏の願いは霧散することになる。

そうなった場合、元の世界の香月から量子伝導脳の理論を手に入れる為には、蒼也が白銀の代わりに世界を超えなければならなかった。とはいえ、おそらく脳が焼き切れて失敗する。成功したとしても、向こうの世界から帰ってくるのは蒼也の体を持った白銀だと予測される。白銀の意識に引きずられすぎて、蒼也の意思は白銀に取り込まれてしまうだろうから。

それ以前に、そもそも白銀が現れなかった時点で、鑑の意志により世界が再構築される可能性もあった。流石に、それに対応することは不可能だ。とりあえずは、最初の賭けに勝ったというところだろうか。

 

白銀が現れるという前提で話を進めた場合に焦点となるのは、やってきた白銀は何周目の彼なのか、という点だ。

白銀が一周目、つまり元の世界から初めてこの世界にやってきたと認識していた場合。その時は、彼の計画への関わりは最小限に留めると、そう香月と蒼也の二人は考えていた。

理論を取りに行って貰う必要はあるが、その後は目の届くところで一般的な業務のみを行わせる。仕事内容も、衛士ではなく命の脅かされることの無い後方支援要員として、横浜基地で出撃する鑑の帰りを待つ。白銀は不満に思うだろうが、この時点の彼ははっきり言って使いものにならない。鑑の精神の安定という観点からも、そのほうが良いだろう。

 

逆に、白銀が複数回の周回した記憶を所持していた場合。ある意味、理想的な展開だ。

このケースでは、白銀には十分以上に働いてもらうつもりだった。ループを繰り返している以上は、鑑と出会っていないと思われる。それだけに足掻き、苦しみ、おそらくは十分な経験を積んでいることだろう。実戦を経験し、そして覚悟を固めた白銀は得難い戦力となる。世界最高峰の衛士である可能性もあるのだ。

 

判断に迷うのが、白銀の主観で二周目の場合。つまりは現実に訪れた白銀だ。

この時の白銀は、衛士として必要十分な能力を持ってはいるが、仲間や恩師の死を経験していない。仮にその経験があったとしても、オルタネイティヴ5発動以降の、自身の死に近づくにつれて記憶は曖昧になることが多い。

これは、危険な状態だ。絶望を味わい、そしてそれを乗り越えていない分、仮初の覚悟しか持っていないのだ。

そして、彼を急成長させるために荒療治を行うつもりは、蒼也にはなかった。

 

蒼也は、やり遂げて元の世界に帰っていった、記憶を託してくれた白銀の想いに応えるためにも、彼の親しい人達の命は守り切るつもりだ。鑑純夏や社霞はもちろん、神宮司軍曹にヴァルキリーズ。そして、元207Bの面々。彼女らを死なせるつもりはない。

それは甘い理想論なのだろう。これまでに何人もの人間を、兄とも思っていた戦友まで手にかけておいて今更、何を言うのかと。そう自嘲もするが、それの何が悪いのだとある意味、開き直っている。

そして、そういう人の心を忘れないでいさせてくれた真那のことは、更に大切に。それこそ、白銀の想い人たちを切り捨ててでも護る。業が深いと自分に呆れるが、重ねて言おう。それの何が悪いのだと。

 

そういう訳で、信用はできても信頼し切るにはやや不安が残るという状況の白銀である。

ある程度まで、蒼也の知る二周目の白銀程には手伝ってもらうつもりだし、期待もしている。問題は彼にどこまで話すか、つまりは蒼也が彼の記憶を持っていることを話すかどうか、だ。

 

結論から言えば、話さないことに決めた。

先の展開がある程度とはいえ分かっていると知れば、どうしたって頼る気持ちが生まれてしまう。判断を他人に任せ、悩み苦しむことを忘れてしまう。現時点では信頼し切れないとはいえ、成長の芽を完全になくしてしまうこともないだろう。

それに、蒼也と香月が介入した結果、この時点で既に歴史は変わっているのである。今後、思っていた展開と異なる結果となることも十分に考えられるのだ。そして、頼った結果それが間違っていたとなれば、傷が残る。結果として不信感だけが生まれるのでは何のメリットもない。

 

これが、白銀の扱いに関しての基本的な方針だ。もっとも、予定は未定とよく言われるように、臨機応変な対応を心がけるつもりでいる。状況次第では、彼に全てを話すようなことも有り得るだろう。

 

「それじゃ、白銀に関してはとりあえず予定通りに。それと、社の方の出来具合はどう?」

「まだ僕にはリーディングが出来ないので、霞ちゃんの言葉を信じるしか無いですけど、順調だそうです」

「なら、初回の実験は明日でいいわね」

 

並列世界転移実験。

本来、社と白銀を共同生活させ、社の心により深く白銀の存在を刻みこんでからでなければ、失敗のリスクが高い行為だ。この場合の失敗とは白銀の消失であり、極論するなら世界の終焉と同義とも言える。

それをたった一晩一緒にいるだけ、ほぼ初対面に等しい状況で行おうなどは、普通に考えれば正気の沙汰ではない。

だがもちろん、これは十分な勝算があってのことだ。

 

頭痛の酷さと頻度が治まってきて以来、蒼也は社に自分の中の白銀の記憶を積極的に読ませてきた。その記憶の鮮明さは、脳髄のみとなって錯乱している鑑のものを覗くよりも遥かに上だ。

そうして白銀と鑑、いやタケルちゃんと純夏の思い出を追体験することにより、社は未だ出会う前から白銀のことを深く知り、理解できるようになっていた。

後は実際に会って、記憶と現実のギャップを埋めればそれでいい。とはいえ、その記憶自体も本人のものなのである。修正作業など有って無きが如しだろう。

 

同時に、より具体的な二人の思い出を鑑に幾度も幾度も繰り返しプロジェクションを行って伝えてきたことにより、鑑の壊れた心も以前と比べれば遥かに安定してきている。

理論を持ち帰り、鑑が新しい体に生まれ変わった後の調律作業もまた、スムーズに進むことだろう。その時にはもう一人の00ユニットが、白銀の心をリアルタイムで鑑に伝えることができる予定なのだから、尚更だ。

 

「ええ。予定通り、明日やりましょう。遅らせる意味もありませんし。後は、この後も予定通りに進めば……」

 

並列世界転移装置や、00ユニット素体の制作。00ユニットODL浄化に伴う情報漏洩への対策。凄乃皇やさらなる秘密兵器といったハイヴ攻略の準備。極東国連軍、帝国海軍、アメリカ太平洋艦隊等、各軍への協力要請。弾薬を始めとした資材の備蓄。それら諸々、全ては既に終わっている。

残されているのは量子伝導脳の完成と、そして00ユニットの調律、のみ。

 

「11月11日に予定されているBETA侵攻。それを防いだ後に、カウンターという形が理想的ですね」

 

執務室の壁面モニター、そこに映しだされた世界地図に視線を向ける。

地図上に灯る、26個の赤い点。そのうちの一つへと。

魔女が、不敵に微笑んだ。

 

「甲21号作戦。まずは、佐渡から陥とすわよ」

 

 

 

 


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