あなたが生きた物語   作:河里静那

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40話、或いは外伝2

 

ブリーフィングが終わるとともに跳ねるように立ち上がり、ハンガーへと駆け出す──気持ちの上では。

実際には彼女の足は意思に反して一歩も動かず、縛り付けられたかのように椅子から立ち上がることすら出来ずにいた。

 

……あれ? おかしいな?

足に力が入らない。それなのに膝だけが別の生き物のように小刻みに震えている。

違う、怖いんじゃない。そうよ、これは武者震い。

だから……止まれっ!

己の意思から造反した足に活を入れようと両の手を振りかざすも、しかしその手もまた反乱軍へと合流したようだった。

 

……何で……何でっ!!

高い戦術機適正。乱戦の中でも位置を見失わない戦術眼。それに何より、度胸。

能力を見込まれ、突撃前衛長として抜擢されたというのに。

この初陣で、期待に応えないといけないのにっ!

人類を守りたいのにっ!

それなのに、何でっ! この土壇場で、この体は自由に動かないっ!!

 

自分は、こんなに臆病だったのか……。

悔しさに唇を噛み締める。恥ずかしさから顔が下を向く。

……私は強いっ! 戦えるっ! 戦うんだっ! ……戦わなきゃっ!!

必死に己を鼓舞するも、体の震えが止まることは無く。

遂には瞳に涙が滲み、堰を切ってこぼれ落ちようとした、その時。

 

「どうしたの? もう、みんな行っちゃったよ?」

 

随分と緊張感のない声が、頭のすぐ上か聞こえてきた。

ぎこちなく、そちらに顔を向ける。

屈託なく……いや、ニタリと笑う悪餓鬼の笑みが、そこにあった。

 

「怖いのかな?」

「……怖くなんかありませんっ! 怖いわけがありませんっ!!」

 

虚勢を張るだけの余力はまだ残っていたようだ。

そう、虚勢。もう、自分でも認めざるをえない。初陣の、これからBETAと相まみえる恐怖に雁字搦めという惨状を。

そして、これが虚勢だと、ばれていないわけがない。それでも、矜持の最後の一線だけは守りたかった。ここで怖いと言ってしまえば、もう二度と立ち上がれなくなってしまうような、そんな気がしたから。

けれど、そんな瀬戸際で戦う彼女にはお構いなしに、目の前の人物の口からは戯言が吐き出されていく。

 

「んー……こういう時は、なんて言ったらいいのかな? 衛士として恐怖を感じることは悪いことじゃない。むしろ恐怖を知らない衛士の方がよほど質が悪い……とか?」

 

……いや、何で私に聞くんですか。

何なんだろう、この人。何でこんなにやる気が無いんだろう。

衛士としてのタイプが正反対とはいえ、彼の能力は自分の遥か高みにいるということは、訓練で思い知っている。

だけど、どうにも好きになれない。もっとこう、俺について来いとか、俺を信じろとか、そんな風に引っ張ってくれる人が上官だったら良かったのに。

 

「心配しなくても、君の能力は充分に高いんだけどなあ。まあ、実戦を経験していない分、裏付けがないから自分に自信が持てないんだね。何度か戦えばそれが根拠になるから、それまで頑張って」

 

何というか……非常に、リアクションに困ります。とりあえず、了解。

 

「だから、今日のところは、自分を信じるな、ってことで」

 

……はい?

 

「代わりに、僕を信じてよ」

 

……おかしいな。そういうことを言ってくれる上官が理想だったはずなのに。何でこんなに胡散臭く感じるんだろう。

 

「大丈夫、君は死なない。この部隊の誰も死なない。僕が、死なせない」

 

冗談めいた言葉に、おちゃらけた表情。ただ、瞳の奥に輝く光だけは、真剣。

くすり、と。場違いにも笑いがこみ上げてきた。

この若い隊長が、見た目にそぐわぬ歴戦の勇士だというのは事実。なら……信じてみようか、な。

 

「もう立てるかな? ほら」

 

そう言って彼は、右手を彼女の前に伸ばしてきた。

いつの間にか、震えは止まっていた。

ありがとうございます。そう言って一つ微笑むと、差し出された手を取る。

その手は何だかとても、暖かかった。手の熱が伝わったかのように、少し頬が上気する。

胸の奥で、とくん、と。

鼓動が一つ。大きく、高く、鳴り響いた。

 

 

 

………………。

…………。

……。

 

 

 

むくり。

硬いベッドの上に、寝癖頭の女性が一人、起き上がる。

半目のまま視線を宙に。ぐるりと部屋中を彷徨わせ、最後は自身の右手へ。

にへらっ、と。

じっと手を見つめる相好が崩れ落ちた。

 

なーんか。良い夢、見ちゃったなぁ。

しばし、夢の中での感触を思い出すように、右手をニギニギと。

よーし、やる気出てきたぁ!

 

「今日も一日、頑張りますかっ!」

 

やがて大きく一つ伸びをし、そう気合を入れた女性──極東国連軍横浜基地所属特殊戦術教導部隊A-01副隊長、碓氷桂奈少佐は、勢い良く服を脱ぎ捨てるとシャワールームへと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

2000年、1月。

無事に、とは言いがたく。諸問題が山積みにもなっている。とはいえ、日本はまがりなりにも国土を取り戻した。

また、とある策略家の思惑により再びこの地に戦乱が訪れることになる未来までは、まだ多少の時間的猶予があったこの時期。

この国に住まう人々は、戦いという日常の中にポッカリと空いた空白期間、束の間の平和を心ゆくまで満喫していた。

 

そしてそれは、ここ。

国連軍横浜基地においても、変わることは無く。

 

 

 

 

 

 

 

「……はあ? 婚約ぅ~?」

 

蒼也より帝都城における戦果の報告を受け、何か他に伝えることはあるかと何気なく尋ねた香月。

そして、ああそういえばと、やはり何気なく告げられたその衝撃。

時折、突拍子もない事を言い出す蒼也の言動にはそれなりに慣れたつもりでいたし、そもそも香月は彼以上にエキセントリックな言動が多いのだが……それでも、斜め上のその内容には、知れずぽかんと開いてしまった口が塞がらない。

 

「あんた、僕には誰かを幸せにすることは出来ないとか何とか、言ってなかったっけ?」

「言いましたね」

「……婚約?」

「ええ、婚約です。入籍はまだ先、桜花作戦が終わってからになるでしょうが」

「幸せになれないって、わかってるのに?」

「なりますよ、幸せに。僕には出来ないとしても、向こうが力ずくでも幸せにしてくれますから」

 

……何それ。ばっかじゃないの?

はいはい、ご馳走様ご馳走様。と、心の中でひとしきり呆れ返る。

 

「……まあ、いいわ。それじゃあ、例の件は無しの方向でいいのかしら」

「いえ。予定通りに準備願います、僕の体を」

「……00ユニット化して幸せになれると思ってる訳?」

「思ってますが?」

「……ばっかじゃないの?」

 

今度は声に漏れた。

 

「まあ、副司令の仰りたいこともわかりますけど」

「……アタシの感想はとりあえず置いておくとして。A-01は機密指定から外れたし、結婚そのものは問題ないわ。けど、00ユニットになるとなれば話は別よ」

「そうですね」

「どうする気?」

「幸いといいますか、相手は斯衛の実力者です。どちらにせよ日本の協力は不可欠なんですし、もっと深いところまで巻き込んじゃおうかと」

 

そっと、眉間に指を当てる香月。

今、自分の悪戯でまりもがどれほど苦悩していたのか、理解できた気がした。……これからは、少しだけ手を抜いてやろう。

 

「あんた、自分の幸せのためにオルタネイティヴ4の筋書きを捻じ曲げる気?」

「大丈夫です。その方が計画にとっても都合がいいようにしますから」

 

……はぁ。

何よこのお花畑。共犯者の人選、間違えたかしら。

とはいえ、今更言っても始まらない。こうなれば一蓮托生、か。

 

「……とりあえず、独断専行は無し。計画に影響を与える行動を取る際には、必ずアタシに報告すること」

「了解です。って、副司令。そんなに心配しなくても、計画を台無しにするようなことはしませんよ。何せ……」

「……計画が潰れたら幸せになれないから、かしら?」

 

少々疲れたような表情で先回りする香月。

それに蒼也は恥じらいもせず、満面の笑みで頷いてみせた。

 

 

 

しっかし。結婚、ねぇ。

報告を終えた蒼也が退室した後も、どうにも真面目に作業をする気分になれず、先ほどの会話を反芻する香月。

どこか同類といった雰囲気を持つ香月と蒼也だったが、香月には結婚願望というものが存在しなかった。というより、そもそも恋愛自体に興味が無い。

科学者としての好奇心から、そっち方面は学生時代に既に経験済みだったが、愛情というものが介入していないせいか、さして良いものとも思えなかった。

それ故、蒼也の気持ちが理解できないのだが……まあ、計画に悪影響を与えない限りにおいては、特に反対する理由も必要もない。

ただ……。

 

まりも、残念だったわねえ。

アンタ、あいつのこと、そこそこ気に入ってたでしょう。ま、あいつ選ばないで正解なのは間違いないから、アタシにとっては良かったけど。

唯一の親友である神宮司まりも軍曹の幸せを、捻くれた愛情表現ながら心から願う香月は、今回の一件にそう結論づけた。

そして、せっかくなので暇つぶし……いや、気分転換に利用させてもらおうと、デスクに備え付けられた受話器を手に取るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

突然ですが、ここで問題です。

現在A-01に所属している衛士の数は総勢39人。隊員達でランダムにエレメントを組んで、模擬戦を行うことになりました。

ただし、伊隅中佐は香月副司令から呼び出しがかかり、この場を離れています。

さて、対戦からあぶれる衛士は何人いるでしょうか?

 

「答えは、三人です」

 

あぶれた衛士の一人である鳴海大尉は、連隊用の大規模シミュレータールームに備え付けられたメインモニターに映し出される18組の戦闘風景を眺めながら、そんな自問自答を呟いていた。

 

「で、誰が多いのよ、たか……大尉」

 

同じくあぶれた速瀬少尉が、憮然とした表情で尋ねる。

そう、一人多いのだ。18組36人、伊隅中佐がいない分、この場にいるのは二人でなければおかしいはずなのに。

エレメント対戦は、速瀬の大好きな訓練の一つ。それなのに、この後も組み合わせを変えて何度か行われるとはいえ、初っ端から見学に回されてしまっては何とも面白く無い。正体不明の何者かがいなければ、この瞬間、自分はモニターの中で暴れまわっていたかもしれないのに。

そして、今回の訓練は相手の情報がない状況での戦いを想定しているとし、自分の相棒以外の正体はわからないようになっていた。つまり、誰が闖入者であるのかは、不明。管制が騒いでない以上、予定された乱入なのではあろうが。

 

「危なかったな、速瀬。訓練中に呼び方を間違えたら、また腕立てだったぞ」

 

最後の一人、碓氷少佐が冷静に注意。

能力的にも性格的にも突撃前衛として高い適正を持つ速瀬。その彼女が目下のところ目標と定めているのが、この碓氷だった。

A-01創設以来、一貫して突撃前衛長を勤め、磨き続けた操縦手腕。激しい戦闘の只中でも仲間と敵の立位置を的確に捉え、退路の確保は欠かさない冷静さ。ついでに、誰よりも雄々しく闘いながら、身だしなみにも手を抜かない女性らしい一面も。どれをとっても、かくありたいという理想の姿なのである。

正直、伊隅中佐のヴァルキリーズに配属されたのを少し残念に思うほど。いや、中佐は中佐で、戦場全体をコントロールする戦術眼と、あらゆる状況に対応できるオールマイティさはひとつの完成形だと思うし、学ぶべきところは星の数ほどある。でも、出来れば碓氷少佐の直下でその技を身につけたかったというのが本音。

 

「失礼しましたっ! 以後、気をつけますっ!」

「まあいい。A-01は隊内では堅っ苦しい言動は必要ないという気風だ。ただ、外部の人間がいるところでは自重してくれよ」

 

そう言ってにこりと微笑む。

あ、やばい。もし少佐が男だったら、ころっとやられちゃう笑みよね、これ。

ほんのりと頬に朱がさすのを自覚しながら、あたふたと敬礼。それに優しげな視線を向けながら、碓氷は続けた。

 

「誰が紛れ込んでいるかは分からないが、どの機体がイレギュラーかはわかるぞ」

「わかるんですかっ!?」

「伊達に隊長職やってるわけではない。仲間の機動の癖は知り尽くしているさ。例えば……あれは平だな」

 

モニターの一角では、砲撃支援装備の不知火が巧みに相手の動きを誘導し、罠にはめようとしていた。

 

「あいつは伊隅中佐に似て、戦況をコントロールするのが上手い。新しい中隊が設立されたら、おそらくあいつが次の指揮官だな。他には……あれはセリス大尉か」

 

指差されたのは、四丁の突撃砲を武器に嵐のように荒れ狂う撃震改。

 

「彼女とはまだ実戦を共にしていないが、強襲掃討装備で敵陣に切り込む特徴的な機動はわかりやすい。まあ、機体が撃震改である以上、乗り手の数が限られるというのもあるが。そして、アンノウンは……」

 

碓氷の指の先には、一機の凄鉄。セリスのエレメントが、その圧倒的な火力をもって、ほしいままに戦場を蹂躙していた。

そのあんまりな有り様を見て、鳴海が思わずごちる。

 

「……こういう対戦で凄鉄使うのって、反則なんじゃないですかね……?」

「まあ、言いたいことは良く分かる。だが、それを差し引いても、あの衛士は凄腕だぞ」

 

碓氷の言葉に、速瀬と鳴海の二人はその戦いを注意深く観察し始める。

敵の一機をセリスがをおびき出したかと思うと、射界に入るやいなや有無を言わさず真正面から粉砕。逆にもう一機は火線で退路を物理的に塞いだ上で、セリスに止めを刺させる。

三人が見守る間に、あっけなく終わる戦い。一見無造作ながら、火力というものの正しい使い方を熟知した、練達の技であった。

しかし、これほどの腕なのだ。この基地に所属している者であるなら、噂くらいは聞こえてきそうなものだが。ひとしきり考えてみても、思い当たる人物はいない。

訓練前、この部屋にはA-01の人間以外はいなかった。つまり、他のシミュレータールームからこの戦いに参加しているのだろう。随分な念の入れようだ。

 

「……こういう悪戯で乱入してくるのは、蒼也少佐だとばかり思ったんだが……」

 

そう呟く碓氷の視線の先には、管制室から戦いを観戦する蒼也の姿。

何やら、CPの涼宮と楽しそうに話しているのが見える。

 

「……そろそろ全ての戦いが終わりそうだな。管制に行って様子を探ってくる。鳴海、皆はこの場に待機させておいてくれ」

 

少しだけ不機嫌そうな声でそう言うと、碓氷は責任者としての責務を果たすべく、事態の黒幕だと思われる人物の下へと向かうことにした。

そしてその場に残される二人。

 

「……ねえ、大尉」

「水月、上官への声掛けに“ねえ”はどうかと思うぞ」

「大尉だって水月とか呼んでますけど?」

「……何かね、速瀬少尉」

 

襟を正し、咳払い一つ。

 

「蒼也少佐って、衛士なの?」

 

ピタリ。鳴海の体が固まった。

一つ息をつくと、困ったような顔で速瀬へと向き直る。

 

「どうしてそう思う?」

「さっきの、碓氷少佐の言葉。乱入してきたのは蒼也少佐だと思った、って」

 

なるほど。あんな何気ない一言を聞き逃さないとは、これでどうして注意深い。

しかし、どうしたものか。現在のA-01の活動は機密指定されてないとはいえ、過去のそれまで同じかといえばそのようなことはない。

蒼也が衛士として隊を率いていたことも当然、機密。

しかし、それを知らないのは隊の中では速瀬を含む新任の三人と、CPの涼宮だけ。隠しておくのも仲間外れにするようでかわいそうだ。

……まあ、気づかれたのは碓氷少佐のうっかりからだし、ヒントくらいなら。

 

「速瀬少尉。俺たちA-01の衛士にとって、神宮司軍曹は親のようなものだよな」

「それが何?」

「軍曹が母親だとするなら、以前からこの部隊にいた人間にとって、蒼也少佐は父親だ」

 

蒼也少佐に鍛え上げられた、ってこと?

あんまり、教官タイプには見えないけど。それに、そんな腕利きだったら司令部所属なのもおかしな話よね。

でも、それが本当だったら。……なるほど、それで、か。

 

「どうした?」

「伊隅中佐とか碓氷少佐とか、基本的に部下には階級付けずに呼び捨てじゃない。それなのに、蒼也少佐だけは階級付けて呼ぶんだな、って思ってたの」

 

ちなみに、セリスに対してはやはり気後れするところがあるのか、大尉と呼びかけている。

部隊にもう一人いる大尉に関しては当然、呼び捨てだ。

 

「ほんと、細かいところに気がつくなあ……」

「これでも気配りのできる女の子ですから」

「……きく……ば……」

「何か?」

「い、いや。……まあ、察してくれよ。これ以上は言えないんだ」

 

ま、軍隊ってそういうところだしね。

正直なんだか面白くないけど、そのうち知ることもある、か。

戦いが終わり、シミュレーターから降りる仲間達を出迎えながら、今回はここまでにしておこうかと。

気持ちを切り替えた速瀬は、次こそ回ってくるであろう自分の戦いに備え、気合を入れるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様です。XM3を体験してみてどうでしたか?」

「素晴らしい、この一言に尽きる。……あの時にこれがあればと、そう思わずにはいられないほどに」

「……それは、言ってもしかたのないことですよ」

「……そうだな、すまない。しかし、私ももう歳だ。あの即応性を御し切るのは少々骨だな」

「あら、年の話はしないでくださる?」

 

 

 

 

 

 

 

碓氷になんて言おう。

伝えれば、きっと傷つく。自分でさえ、少なくない衝撃を受けたのだ。

以前にも同じように悩んだことがあるな、と。どこか投げやりな気分を味わいつつも、それでも伊隅は苦悩し続けていた。

 

A-01とは直接的には関係しないことではあるが、とはいえ伝えないという選択肢は存在しない。そう遠くない未来に彼女も知ることであろうし、その時に自分だけが知っていたとなれば、彼女はさらに傷つくだろう。

だが、どう説明したものか。どう言えば彼女が受ける痛みを和らげられるのか。

伊隅にとって碓氷とは訓練生時代からの親友であり、共に戦い生き残った戦友である。その彼女が悲しむ姿は、出来れば見たくはない。

思い悩んだ彼女の足は皆が待っているシミュレータールームへとは進まず、ここPXへと向かっていた。

少し、考えをまとめたかった。

しかし、いくら考えても結論は変わらない。結局、正直にそのままを話すしかない。

そうだ。残念なことには違いないが、これで終わりというわけでもない。彼女ほど魅力的な女性なら、いずれ新しい出会いが待っているに違いないのだから。

 

「あれ、みちる中佐。もう戻ってたんだ。聞いてよ、さっきの訓練でさ、アンノウンが乱入してきてもう大変だったんだから」

 

不意に声をかけられた。

いつの間にか随分と時間が経っていたのか、A-01の仲間達が昼食をとりにやってきたようだ。

顔を上げれば、そこには伊隅の頭を悩ます人物の姿。

みちる中佐などという呼び方を嗜むべきであろうか。けれど、今は食事時。本音を言えば、親友から上官扱いされるのは面白くないことだし、休憩中くらいは目くじらたてずともいいだろう。それに何より、今はそれどころではない。

 

「どうせ、蒼也少佐だろう」

 

反射的にそう答える。

この部隊において何か作為的な問題が発生した場合、その原因は十中八九、蒼也少佐か香月副司令だと相場が決まっているのだ。

 

「そうだったら良かったんだけど。そうだったら……訓練とはいえ、また戦術機に乗れるようになった、ってことだもんね。……でも、違ったみたい」

 

そういって、寂しそうに笑う。

ズキリと、伊隅の胸に痛みが走った。

あー、もう。めんどくさいくらいにいじらしいんだから、この娘はっ!

 

「碓氷……えーとだ、な。その蒼也少佐なんだが……」

「少佐がどうしたの?」

「……いや、だな」

 

午後の仕事もあるし、今は言わないほうがいいかしら……。でも、ここでやめたら気になって仕事なんか手につかないわよね、どうせ。

あーもうっ! 言うからね、言っちゃうからねっ!

 

「……………………結婚、するらしい……ぞ」

 

トレイをテーブルに置き、椅子に座ろうとした途中の体勢で、碓氷の動きがピタリと止まる。

ぎぎぎ、と。錆びついた音が聞こえてきそうなぎこちなさで伊隅へと顔を向ける。

……碓氷、その顔怖い。表情がないのがすごく怖い。

 

「………………相手は?」

「……何でも、幼馴染みのような間柄らしい。子供の頃から姉弟同然に育ったとか」

 

幼馴染みが両思いになって結ばれる。しかも、男のほうが年下。……いいなあ、蒼也少佐。

碓氷には可愛そうだけど、正直、羨ましいぞ。

 

「なあ、碓氷。お前の気持ちもわかるが……蒼也少佐は、もう十分に戦った。前線を離れて好きな人と一緒になって、これからの新しい人生を歩んでいく。……祝福、してあげようじゃないか」

 

これは伊隅の本音。

好きな人と結ばれる。それは万世不易の人の幸せの形だろう。

また彼の指揮の下で戦いたいという気持ちは確かにあるが、それでも。命を拾って幸せになれるチャンスが有るなら、そうして何が悪いのだ。

 

「いくら男が少ないとは言っても、これから出会いが全くないわけじゃないし。碓氷だったら、ライバル押しのけていくらでもいい男捕まえられるって」

 

だから、な?

そう不器用に慰める伊隅の声が聞こえているのかいないのか、席についた碓氷は背中を丸めて両肘をつき、頭を抱えるように下を向く。

あー、そりゃ落ち込むわよねえ。やっぱり、せめて終業まで待ってから伝えるべきだったか。

 

「……よし、今日は飲もうっ! なんなら外出許可も申請しちゃおっか。とことん付き合うわよっ! ……って、碓氷?」

 

ふと。

下を向いたままの碓氷が、何かをブツブツと呟いていることに気がついた。

……ちょっと、こんなんで壊れちゃったりしないでよっ!?

 

「碓氷っ! なあ、しっかりしろっ!」

「……長きに渡る人類に敵対的な地球外起源種、BETAとの戦いにおいて、人類は著しく疲弊し、その種としての生命力も遂には枯れ果てようとしている。そして、それは我らが日本帝国においても変わることはない。戦場に散る若者たち。蹂躙され復興の目処が立ってない国土。犠牲は大きく、かけがえのない大切なものが数多く失われた。だが、この現状に甘んじたままでいいのだろうか。いや、決して良くはない。我々は輝かしい未来を目指して立ち上がり、前へと進まなくてはならないのだ」

 

……何事?

どうしちゃったの、この娘?

 

「そしてそのために、我々は今何を目指すべきか。それは、内需の拡大である。日本という国家を復興させるために、消費を増やし、経済を回し、国民一人一人が豊かにならねばならぬのだ。しかし現状、それには大きな壁が立ちはだかっている。即ち、人口の減少である。BETAとの戦いは我々から若者たち、特にこれから父となって家族を支えていく男性を数多く奪い去った。一対七という男女比はどう贔屓目に見ても自然な状態とはいえず、何らかの方法での是正が必要なのである。今後、長いスパンでの復興を目指すためには、これ決して避けては通れない問題なのだ。そして、その解決策として、これまで倫理的に禁忌とされてきた方法を選択することもまた、必要なことではなかろうか。産めよ、育てよ、地に満ちよ。著しく減少した人口、そして偏った男女比、求められる多産。ここから導き出される答えは、一つしかない。即ち、私は日本の復興のために、一夫多妻制の導入を提唱するものであるっ!」

 

ガバリと、碓氷が勢い良く顔を上げた。

そして、伊隅の目をしっかりと見つめ、力強く宣言。

 

「みちるっ! あたし、政治家になるっ!!」

 

上気した頬。キラキラと煌く瞳。

目標となるものを、人生をかけるものを見つけ出した、若者の顔。

 

伊隅はその様子を、たっぷりと三十秒ほど見つめた後。ふうっと、疲れたように息を吐きだした。

両手を碓井の肩に乗せ、諭す。

 

「そうだな、碓氷。仮に、お前に政治の才があったとしよう」

「うん」

「支援者を見つけ、地盤を築き、有権者からの支持を得て、選挙を勝ち抜き、見事に議員の席に座ったとする」

「うんうん」

「更には、議会内での発言力も手に入れ、派閥を形成し、遂には望みの法案を通すまでに政治家として成功したとする」

「うんうんうん」

 

そこで伊隅は一旦、言葉を区切り。

生真面目な口調で、でもどこか投げやりに、こう言った。

 

「碓氷。その時、お前はいくつになってると思う?」

「………………みちる。いまちょっと、アンタに一瞬殺意を覚えたわ……」

 

 

 

 

 

 

 

何よ、みちるってば。

そりゃ、頭の中グルグルになって、随分と頭悪いこと言ったと思うけどさ、あんな身も蓋もない様なこと言わなくてもいいじゃない。もう、馬鹿にしてっ!

肩を怒らせ、足音を響かせ、基地内を闊歩する碓氷。

時折すれ違う人物が、怯えたように横へ飛び退いて敬礼をしてくる。その反応を見て、今あたし、すごい顔してるんだろうなぁと。心の片隅でそう冷静に考える自分もいるが、そんなの何処かへ飛んでいけ。

 

でも、みちるのことは怒れない。

だって、あたしってば、ほんと馬鹿。大切なことに、たった今気がついた。

蒼也少佐が幸せになるなら、それはとても嬉しいこと。でもこのままじゃ、素直に祝福なんて出来っこない。

このままじゃ、絶対、必ず、間違いなく、後悔する。

だって、あたしは。

 

──だってあたしは一回も、自分の気持を伝えてないっ!

 

最初は胡散臭い人だと思った。

初陣では頼もしい人に評価が変わった。

そして気がついたら、ずっとこの人の側にいたいと思うようになっていた。

 

逃げるなストームバンガード・ワン。

婚約決まった後に告白されても、迷惑なのは分かってる。

それでも自分の気持ちにケジメを付けたい。

だから──碓氷桂奈、吶喊しますっ!!

 

「失礼しますっ! 蒼也少佐、お話がありますっ!!」

 

長い廊下の向こう側、目標を肉眼で確認。

ずかずかと大股で歩み寄り、一分の隙もない敬礼を決めつつ言い放った。

言葉はなく、微笑を浮かべて答礼をする蒼也。

 

……この笑い方は知っている。これは困っているときの顔。

そりゃ、困りますよね。迷惑ですよね。というか、今からあたしが何をしようとしているか、バレバレなわけですね。

口の中はカラカラ。舌が張り付いてうまく動かない。きっと顔は真っ赤っ赤。心臓って、耳の横にあったっけ? 自分の鼓動がうるさくて、周りの音が聞こえない。

もう今年で22歳になるというのに、何よこの体たらく。情けない、あたしは思春期の中学生かっ!

振り絞れっ! 捻り出せっ! 掻き集めろっ! 勇気っ!!

さあ、行くぞっ!!

 

「ありがとう」

 

………………へっ?

極限まで高まった緊張の中、突然お礼を言われてしまった。

え、どういう……

 

「……碓氷。僕ね、結婚することになったんだ」

 

……。

…………。

………………。

 

ずるい。ずるいよ、蒼也少佐。

そんな、先回りするなんて。告白もさせてもらえないんだ。

……でも。ありがとう……か。あたしの気持ちは、届いたん……だよね?

 

碓氷の右手がゆっくりと動く。再び、敬礼の形へと。

 

「おめでとうございます」

 

祝福の言葉を舌に乗せ。

かんばせに浮かぶは、花が咲いたかのような、輝かんばかりの、見るものを魅了させずにはいられない、彼女のとっておきの一番の、笑顔。

 

ただ、二つの瞳からは透明の雫がとめどなく溢れ落ち、雨となって地に降り注いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

「そうだっ、絶対自分でやらなくちゃいけないってわけでもないじゃないっ!

 みちる、あんた政治家に知り合いとかいないっ!?」

「碓氷、戦うんだ、現実と」

 

 

 

 

 

 

 

一方、その頃。

帝都は御剣家の屋敷においては。

 

「……らしくないな」

「……らしくないですね」

「神代、月詠は一体どうしたというのだ?」

「申し訳ございません、冥夜様。私にも、さっぱり」

 

「………………ふっ」

 

「……月詠のあのような呆けた姿を見るのは初めてだな」

「私もです。窓の外を見ながら、だらしなく頬が緩んでいたり。かと思えば……」

 

「………………はあっ」

 

「……あのように、急に沈み込んだり。美凪、お前何か知ってるか?」

「ここに戻られてからあの様子なので、休暇中に何かあったと考えるのが自然でしょうが……」

「家族や師匠の顔を見に行くと言っていたが……それがどうしてこうなった」

 

「……冥夜様も二人も、本当にわからないんですの?」

「雪乃、心あたりがあるのか?」

「心当たりというか……真那様も女の子、ってことですよね」

「?」

「?」

「?」

「ま、まあ、特に気にしなくても大丈夫じゃないでしょうか。でも、それにしても……」

 

「………………ふっ……うふ……うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

『真耶様、怖い~』

 

 

 

 

 


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