「あれ、隊長どうしたんスか? そんなに慌てて」
「セ、リスがっ! 倒れ、たってっ! 報せ、がっ!」
「副長がっ!?」
「隊長どうしたのかな? なんかすごい勢いで走っていったけど」
「セリス中尉が入院したらしいよ」
「ちょっと! 大変じゃない! 私たちもいこう!」
「聞いたか? 姐さんが事故にあって病院に担ぎ込まれたってっ!」
「なにぃ! こうしちゃいられねぇ。いくぞっ!」
「どうしたのかね? 何やら随分と騒がしいようだが」
「あ、大隊長殿! セリス中尉が危篤とのことで!」
「……それはいかんな」
1977年、8月。
「セリスっ! 無事かっ!」
汗をたらし必死の形相で病室に飛び込んできた鞍馬を見て、セリスの顔が綻ぶ。
まったく、この人は。こんなに慌てて走ってきて。
戦場での勇姿しか知らない部下たちにこの姿を見られて、幻滅されても知らないわよ。
私のことを心配してくれるのは、それは嬉しいけど……。
とりあえず、まず落ち着いてもらわないと。
顔が笑みを作るのを押さえられないまま諌めの言葉を口にしようとして……。
セリスの顔が強張った。
そしてそのまま固まった。
鞍馬の背後、病室のドアの向こうから雪崩れ込んでくる人の群れを目にしてしまったのだ。
えっと……これはどういうこと?
混乱に陥ろうとする頭を戦闘用に切り替える。状況を、いや戦況を冷静に判断しなければ。
皆、私を心配してきてくれたのだろうか? 多分それは間違いない。
でもなんで、同じ隊の仲間だけでなく他の中隊の衛士や整備員までいるのだろう?
鞍馬にしか連絡は行っていないはずなのに、何でこんな大騒ぎになっているの?
全員が口々に無事を祝う言葉を発するせいで、決して広くはない病室内が喧しくてしかたない。
そんな一度に言われても、誰が何を言っているのかわからないってば。
あぁ、大隊長、そんなさり気無い風を装いながら病室の前を行ったり来たりするのはやめてください……。
「Attention!!」
セリスの発した号令に全員がいっせいに敬礼の姿勢をとる。
何故か鞍馬をはじめ上官である大尉までが敬礼している気がするが、見なかったことにしておこう。
あぁ、大隊長、だからなんで貴方までドアの外で敬礼しているのですか……。
「みなさん、落ち着いてください。私はなんともありませんから」
その言葉を鵜呑みにするものはいない。
なんともないなら、今こうして病室のベッドの上で寝ているわけがないのだから。
「食事の際にちょっと気分が悪くなって……トイレで戻してしまって……。
念のためにとここまで運ばれてしまっただけですから」
頬を染めながらそう説明するセリスの姿に、居合わせたうちの女性陣がピンと来る。
「大尉オメデトー」だの「しっかりやんなさいよ」だの、鞍馬に色々と声をかけながら退出。
「こういうことはこの時期良くあるそうで……。
検査の結果も良好で、何も問題はないそうです。だから、その……」
ついに顔を真っ赤にしながら言ったこの言葉で、残る男性陣も腑に落ちた。
皆、鞍馬の肩をバンバンと強く叩きながら退出していく。
そして、病室に残された鞍馬は、未だに状況が掴めずにいた。
セリスの口から大きく溜息が漏れる。
何故こんなことになってしまったのか。
鞍馬に一番に伝えたかったのに、どうして他の人たちが先に察してしまっているのだろう。
ええい、この朴念仁が。
こうなったら、少しくらい意地悪したって罰は当たらないわよね。
表情を冷静な副官のものに切り替えると、セリスはこう告げた。
「鞍馬大尉、申し訳ございません。
来年発動するパレオロゴス作戦への参加を……いえ、それだけでなく戦術機を使った作戦行動全般を、当分の間、医師より禁じられてしまいました」
鞍馬の顔に絶望の影がよぎる。
一体どうしたというのだ。セリスの身に何が起きているのだ。
いや、戦術機に乗れないならそれでもいい。だが、その原因は?
重い病を患ってしまったとでもいうのか!?
まさか不治の病ではなかろうな。
衛士として、戦場において彼女を失う覚悟こそしていたが、こんな終わり方は認めない。断じて認めはしないぞ。
「予定では、来年4月に禁止措置がとかれることとなっておりますが、それ以降も戦線への復帰は難しいことになりそうです」
やはり病か……。
しかし、4月以降は戦術機に乗ろうと思えば乗れるということか?
つまり、その頃には病態は安定し、快方へと向かっているということになる。
にもかかわらず戦線復帰は望めない。
これはいったい如何なる矛盾か。
「……教えてくれ、セリス。
君の体を蝕んでいる病魔は、いったいなんなんだ?」
まだ気づかないのかこの馬鹿は。
呆れを通り越して軽い怒りすら浮かんでくる。
はぁ、日本人てみんなこうなのかしら? それともこの人が鈍いだけ?
しかたない、か。この人を好きになったのは自分なのだから。
まったく、どこまでも真っ直ぐで、真面目で、頑固で、冗談が通じなくて。
それから……愛おしい人。
「病気じゃないのよ、鞍馬」
セリスは鞍馬の手を取ると、その手をゆっくりと自分の腹部へと導く。
「今、2ヶ月ですって、お父さん」
「えっ?」
一瞬、何を言われたのか理解できない鞍馬。
その呆けた顔が、だが、だんだんと泣き笑いへと変わっていく。
そして、腹部に当てた手をそのままに、もう一方の腕でセリスの体をきつく抱きしめた。
「セリス……愛している」
「はい、私も愛しています」
どこで出産に備えるかが問題だった。
今いるこの基地は後方にあり、医療設備も整っているとはいえ、いつ戦渦に巻き込まれてもおかしくはない。
今はまだ流産等の危険があるため好ましくないが、安定期となる5ヵ月目を目処にどこかさらに後方の安全な地域へ、願わくばまだBETAの侵攻の恐れのない後方国家へと移るというのが鞍馬の願いであり、セリスの希望だ。
セリスと離れるのは寂しい。身重の体の手助けが出来ないことを思うと身を切るような思いだ。
セリスもまた、鞍馬と離れたくなどない。自分のいない戦場で戦う鞍馬を思うと胸が張り裂けそうになる。
だが、生まれてくる子供のためだ。我が子を死の危険から遠ざけるためだ。
「君の故郷のアメリカはどうだろう?
孫が生まれるとあっては、ご両親も喜ばれるんじゃないか?」
しかし、鞍馬の案はセリスの思わぬ意思によって却下される。
「私の故郷はアリゾナの田舎町でね、両親も町のみんなも古い考えの人達ばかり。
衛士になるって言ったら勘当されたわ。女の癖に戦場に出るとは何事だってね。
それに、父親が日本人だなんてわかったら、親子まとめて殺されかねないわよ」
「だったら……」
「ねえ、私、日本で産みたいな」
予想すらしていなかった意見だった。
鞍馬にアリゾナの田舎町の様子はわからないが、日本が決して余所者に住み良い場所だとは言えないことはわかる。
斯衛を捨てた鞍馬に、日本に寄る辺はない。
だが、セリスの意志は固かった。
「日本の人たちがアメリカ人を嫌っているのはわかる。
でも、貴方のような素晴らしい人を生み育てた国だもの。
この子にも、貴方のような、真っ直ぐな人に育って欲しいから……」
ちょっと鈍いのが玉に瑕だけどね。心の中で舌を出す。
「それに、貴方も思っているでしょ? 人類は、力を合わせなければならないって。
この子は、日本とアメリカの血を引く子。
いつか、二つの国の仲を取り持つ希望となって欲しいの。
日本で暮らすことで、この子が悲しい思いをすることもあるかもしれない。
でも、貴方の子だもの、きっと大丈夫。強く育ってくれるわ」
鞍馬は考える。
戦場での判断なら一瞬で下すことが出来る。そうでなければ命はないのだから。
しかし、この問題の答えを出すことはとても難しかった。
やはり日本が住み良いとは言えない。セリスは強い意志を持つ女性だが、寄る辺のない国で一人で住むこととなるのだ。出来るだけ良い環境で暮らして欲しい。
だが、寄る辺がないのは他の国でも同じことではないか?
ならば、勝手知ったる日本のほうが、鞍馬としてはまだ手助けしやすいのではなかろうか……
「……わかった、日本にしよう。
安定期に入ったら、休暇をとるよ。
ここを離れるわけにはいかないのは事実だけど、今まで休みなく戦ってきたんだし、妻の一大事なんだ、許してもらおう。
一緒に、日本へ行こう」
「そんなに心配しないで。例えどんな場所だとしても、今のミンスクよりはずっと良い環境なんだから」
ちょっと不謹慎かしら。そう言って軽く舌を出すセリス。
鞍馬はそんな彼女を笑って抱きしめた。
病室を出た先には大隊長がいた。
「それで、セリス中尉の容態はどうなんだね?」
鞍馬は仲間を見つけた思いがした。