あなたが生きた物語   作:河里静那

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38話

 

──……罠、か。

 

その部屋へと入室した時。

蒼也は己の浅はかさと、これから迎えるであろう結末を思い、小さく嘆息した。

 

 

 

XM3が正式に外部へと発表されるには、まだいくつかの課題をクリアし無くてはならない。だがその円滑な普及を目的として、第四計画に益をなすと判断された幾つかの組織に対しては、水面下において既にプレゼンテーションが行われている。それを取り仕切るのが、今の蒼也の大きな仕事の一つだ。

先行入力、キャンセル、そしてコンボ。今現在においてXM3の特性を誰よりも把握しているのは、真の発案者である白銀の記憶を持つ蒼也に他ならない。だからこその役割。

 

ただ、その真価とも言える白銀の立体機動に関しては、とりあえず封印せざるをえないのが現状だった。

仮に、今も現役の衛士として戦術機を駆ることができたとしても、あの機動に蒼也の体が耐え切れる訳がない。意識を失う程度で済むならまだ僥倖、最悪の場合には重度の加速度病による死亡が待っている。

碓氷あたりに教えこんで実演してもらう手も考えたが、手本もなしに言葉のみで説明をするには限界がある。やはり、変態機動は白銀の手によって普及してもらうのが安全策か。

あれをマニュアル化して教導に組み込むことが出来たなら、衛士の生存率はもう一段階引き上げられるだろうに、残念だ。

 

だが、無い物ねだりをしても始まらない。叶わぬ理想を追い求めるのではなく、手の届く範囲での最良を目指すことこそが肝要。

それに、これから戦術機に触れるまだ真っ更な訓練生ならともかく、既存の衛士に対してはむしろそのほうが良いのかもしれない。XM3の慣熟と変態機動の習得を同時に詰め込むよりも、段階を踏んで学んでいってもらったほうが結果的に早く身に付くということもあるだろう。誰もが一を見て十を知れるわけではないのだ。

 

焦りは禁物。手に入れた猶予期間を無駄にしている訳では決してない。今は、やれることを確実にやろう。

白銀には白銀の、自分には自分の役割というものがあるのだから。

そして今日もまた蒼也は己の仕事を果たすため、様々な資料やA-01の訓練映像などを鞄に詰め、交渉へと出向いたわけだった。

 

 

 

そして視点は、冒頭へと戻る。

……迂闊。

情けない話だが、それ以外の言葉出てこない。

このような状況に置かれることを、全く考慮しなかったわけではない。そのための対策も考えてきた。

だが、敵は蒼也の思惑を上回る、見事なまでに完璧な布陣を用意していたのだった。

 

紅蓮醍三郎大将。

月詠花純大佐。

月詠真耶大尉。

そして、月詠真那中尉。

四つの瞳が蒼也を射抜く。

 

……いやさ、師匠と叔母さんはわかるよ。師匠は斯衛の筆頭だし、叔母さんは今や実戦部隊のナンバー2なんだから。むしろ、いてくれないとこちらが困る。

真耶ちゃんも、まあ分かる。将軍殿下の側仕えとして忙しいはずだけど、そもそもこの帝都城に住んでいるんだし、公務の時間も終わってる。ここに顔を出すくらい問題ないだろうさ。

 

でも、真那ちゃん。何でここにいるのよ?

冥夜ちゃんほっといていいの? 知らないよ?

三バカ……失礼、神代少尉達がいるんだろうけどさ、早く戻ったほうがいいんじゃない? そうしようよ、ほんと。

 

「案ずるな、休暇を取ってある」

 

……いや、心読まないでよ。

正直、ここで真那ちゃんとは顔を合わせたくなかったんだけど……。

ええい、もう。なるようになれ、だ。

 

「国連オルタネイティヴ第四計画所属、黒須蒼也=クリストファー少佐。只今参上いたしましたぁっ!!」

 

半ばやけくそ気味に張り上げた名乗りの声。

迎え撃つ四人が、不敵な笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 

2000年、1月。

帝都城。

 

プレゼンテーション自体は上手く進行した。

斯衛の代表としてこの場にいる四名とも、説明されたXM3の特性と実際の機動を捉えた映像に興味津々だ。

 

「XM3の正式発表はおよそ半年後を予定してます。ですが、斯衛に対しては試験導入という名目で、それ以前にお渡しすることも検討しております」

 

今は一人の国連軍人としての立場を崩さない蒼也が、紅蓮へと語りかけた。

……出来れば、最後までこの立場を貫き通したいけど……おっと、いけないいけない。今は交渉に集中しないと。

 

「……正直なところ、あまりに革新的すぎて、話を聞いただけでは眉唾物に思えるな。この映像も、合成なのではと疑いたくなる」

 

おもちゃを与えられた幼子のような輝く瞳と裏腹に、慎重に言葉を返す紅蓮。

あれらが全て真実なら、確かに戦術機史における革命と言って間違いない。だが、果たして。

 

「お気持はわかります。ですが、黒須少将がこれを発案したことは記録にも残っている事実です。ようやく、技術が追いついたんですよ。その技術も、香月博士なしでは成し得なかったものではありますが」

 

あ奴が、な。

人類の為に文字通り命を懸けた、弟弟子。いや、今はもうそんな呼び方は出来はしない。誇らしく闘いぬいた、一人の斯衛。

その顔を、遠い過去を思い返し、紅蓮の心に寂寥たる思いがよぎる。

鞍馬の形見となれば、個人的な思いだけで言うなら無条件で形にしてやりたい。だが、今の自分は斯衛という組織を預かる立場なのだ。感情に身を委ねる訳にはいかない。

 

「事前に試させてもらうことは、可能であるのかな?」

「それは、もちろん。状況が整い次第にサンプルをお渡ししますし、横浜までご足労願えるのなら直ぐにでも体験して頂けます」

 

ふむ。

これ迄の話の中で、斯衛の側にデメリットとなることは何もない。なさすぎると言っていい。それが、逆に不安を煽る。ここまでの好条件を提示する理由は一体何なのか。

……ここは、真向から問うべきか。腹の探り合いは終わりにするとしよう。

 

「それで、だ。斯衛に取り入る理由は何だ? 国連軍の母体は米軍だろう。何か頼み事があるなら米軍に言うのが筋ではないのか?」

 

紅蓮は軍人であり、政治の世界とは切り離された存在。日本は帝国ではあるが、軍事国家ではない。政軍分離は当然のこと。

だが斯衛軍大将ともなれば、自然とその手のことを耳にすることも、また事実。

それ故、第四計画の国連内での立位置もある程度は把握している。第五計画こそが米国の野望であるということも。

だが、だからといって腹の底を見せようとしない相手と、肩を並べて戦うことは出来ない。

 

「我々第四計画は、アメリカとではなく、日本とこそパートナー関係を築きたいと、そう考えております。もちろん現在も良好な関係にあると信じておりますが、それをさらにもう一段階、深いところまでに」

 

第四計画がXM3を普及させる為には、日本の協力が必要不可欠だ。

まず、単純な理由が一つ。

横浜基地には、XM3を世界中の戦術機に行き渡らせるだけの生産力がない。基地全体が実働していない現状では、A-01の分を作るのがやっとの有り様。このままでは、白銀が来るまでにXM3を普及、そして慣熟させるには到底間に合わないのだ。量産体制を取る為には、信頼できる国と協力することがどうしても必要となる。

 

そして、少々面倒な理由が一つ。

不用意にXM3を発表した場合、国連自体が第四計画の敵となる恐れがある。奇跡のOSの開発という功績を第四計画ではなく国連自体のものとされ、最悪の場合には第五計画の手柄へと横取りされる危険性があるのだ。世界を破滅に導くお膳立てをするなど、決して有り得ていいはずがない。それだけは何としてでも防がなくてはならない。

 

この二つの理由から考え出されたのが「XM3は日本と第四計画が共同開発したことにする」という策だ。こうすれば国連上層部や他国、特にアメリカからの介入を防ぎつつ、日本と第四計画双方の発言力を高めることが出来る。

誘致国である日本の立場が強まるのは第四計画側としても歓迎すべきことであり、日本からしてみれば労なく益のみを手にすることが出来る。

 

この場において許される限りに置いて、話せるだけの思惑を説明した蒼也。

最後に、ニヤリと笑ってこう付け加えた。

 

「と、いうかですね。他所の国に無断でG弾撃ちこむような連中には、とっとと退場願いたいんですよ」

 

国連軍人から、素の蒼也に戻った口調で。

身も蓋もない本音をぶちまける。

紅蓮は、込み上げてくるものを堪えることが出来ず、豪快な笑い声を上げた。

 

 

 

 

 

「今日のこと、殿下にはしっかと伝えておこう」

「ありがとうございます。有意義な会見とすることが出来て、こちらも嬉しいです」

 

最後に固い握手を交わし、場が閉められた。

充分な手応え。今後の布石への第一幕として、申し分ない成果だろう。

後は横浜に戻って副司令に報告すれば、任務完了。

……と、思ったのだが。そう、事態は甘くないようだ。

 

「ときに、黒須少佐。今晩はもう遅い。今日はこの帝都城に泊まられ、ゆるりと休まれてはいかがかな」

「それはいい。使者殿もお疲れでしょう。是非、食事など共にいかがですかな」

 

……来たっ!

紅蓮と花純が、包囲網を張ってきた。

 

「ありがたいお言葉ですが、ご迷惑をお掛けするわけにも」

 

退路を確認。ここは逃げの一手だ。

捕まったら大変なことになる。

 

「何、気にするほどのことでもない。助けると思って、ジジイの愚痴に付き合ってやってくれ」

「愚痴……ですか?」

 

たらりと。

頬を流れる一筋の汗。

 

「ああ。儂の弟子にの、斯衛を蹴って帝国軍へと進んだ者がおるのだが。あ奴ときたらな、知らぬ間に国連軍へと移籍しておった。儂に一言の相談もなくだ。

 しかも、大陸から日本に帰ってきておるというのに、もう何年も顔を見せにすら来ん」

 

汗がもう一筋。

 

「ほう、閣下の弟子にそのような薄情者がいるとは。しかし、奇遇。私の甥にも、全く同じことをしている冷血漢がおりますよ。全くもって、嘆かわしい限り」

 

叔母さん、眼が本気だよ。

まずい、これはまずい。

 

「いやあ……きっと、その人にも事情というものがあったんじゃ、ないかなあ……なんて。

 あ、その話を詳しく聞きたいのは山々なんですが、あいにくと外泊の許可を取ってきていないものでして……」

 

さあ、逃げるぞー。

軍規なんだから仕方ないよね。納得してくれるよね。

 

「問題ない。既に香月副司令の許可は得ている」

 

真耶ちゃんっ!

 

「この外泊許可証にサインすれば、後日の提出でも構わないそうだ」

 

真那ちゃんっ!!

 

「うむ、これで万事解決じゃな」

「それでは、使者殿」

「宴の席を用意してある故」

「さあ、こちらへ」

 

四人に前後左右を塞がれた。

逃走失敗、任務不完了。

……終わった。明日の朝日、五体無事で拝めればいいけど……。

売られていく仔牛のような、そんな諦観の念。それを奥歯で噛み締めながら、連行されていく蒼也だった。

 

 

 

 

 

 

 

その日、遅くのこと。

蒼也には離れにある、数寄屋造りの一室があてがわれた。華美な装飾などとは無縁だが、質素ながらも洗練された意匠が心地よい。仮にも第四計画からの使者ということで、賓客として扱われているのだろう。

 

何より嬉しいのが、畳。

大陸の前線は当然として、間借りしていた帝国軍基地にも、今の横浜基地でも。畳が存在するのはせいぜいが修練場くらいなもので、士官用のものといえど個室は洋造りだ。生活するのに不便ということはないのだが、やはりどこか寂しい。

ハーフだ何だといったところで、内面は結局、骨の髄まで日本人である蒼也なのだった。

 

久方ぶりのイ草の匂いと触感を楽しもうと、いい年をして畳の上を転がり回りたかったのだが……しかし、それは泣く泣く諦めた。

体が、痛い。節々が悲鳴を上げている。

今、蒼也はボロ雑巾と化した体を布団の上に投げ出し、動くのもやっとの有り様なのだった。

 

 

 

食事の席までは良かった。

紅蓮からはガツンと、花純からはガミガミと、真耶からはクドクドと。

それぞれなりの表現で小言を言われたものの、それは結局、ようは愚痴。

極秘計画の組織に属している以上、軍の移籍にも理由があってのことだし、顔を見せに来れなかったのもまた道理。それは皆きちんと理解していたし、本気で責めていた訳でもない。

 

何だかんだと言ったところで、とどのつまりは数年ぶりに会った蒼也と会話を楽しみたかった。ただ、それだけのこと。

蒼也もそれをよく分かっていたので、苦笑を浮かべながらもどこか幸せな気持ちで説教を受けていた。

 

蒼也の顔から余裕の色が消えたのは、少々酔の回った紅蓮が、久々に稽古をつけてやろうなどと言い出してからだ。

お酒を召しての運動は避けた方がと。お体に障りますから、と。必死に説得するも、この程度で酔う訳がないと一蹴され。……いや、酔ってますよね、明らかに。

感情面からも能力面からも、蒼也に本気で紅蓮を止められるはずもなく、結局は抵抗むなしく修練場へと連れ去られた。

 

そして一戦。更には花純とも連戦。

故意にか無自覚にか、稽古というには少々力のこもった剣で、散々に打ち据えられてしまった訳だ。

なんだよ、あれ。

師匠も叔母さんも、未来予測してるのに躱せないって、どんだけだよ。

 

こりゃ、明日になったら痣だらけだな。

随分と酷い目に会った、そう嘆息する蒼也。だが正直なところ……気持ちは何ともすっきりとしている。

久方ぶりに思い切り剣を振るい、懐かしい顔と会話を楽しみ、心身ともに蓄積したストレスを発散できたようだ。もしかしたら師匠たちは、ここまで見越して僕を引き止めたのだろうか?

穿ち過ぎだと思わなくもないが、それでも師匠のことだからなあ。

 

とにかく。

今日はここに泊まって正解だったのだろう。面と向かって言うのは照れくさいから、心の中でこっそりと。

みんな、ありがとう。

 

ただし、問題が一つ。

会議中から食事を経て稽古まで。その間、真那がほぼ無言を貫いていたこと。

正直、恐ろしい。

あれは相当怒っている。

そして、その怒りを今までぶつけてこなかったということは、つまり。

……これからが、本番だ。

 

「……蒼也、私だ。話がある、入って構わないか」

 

徒然と考え事をしていた蒼也を、現実へと引き戻す声。

部屋と廊下とを仕切るふすまの、向こう側から。

ほら、やっぱり。

思ったとおりだ。真那ちゃんてば、行動がわかりやすいから。

 

きっと、右手には救急箱を持ってるんだよ。

怒ってるんだけど、仕方がなかったんだってこともわかってて。

文句を言いたいんだけど、なんて言ったらいいのかわからなくて。

考えはまとまらないけど、治療を口実にとりあえず来てみた、と。

多分、そういうことだよね。本当に、真那ちゃんは不器用で、真っ直ぐで。心から、優しい。

比べて僕は、小器用に捻くれてて。

後からもっと怒られるのを覚悟で、寝てる振りしてもいいんだけど……。

 

──これもいい機会……なのかな。

 

ここで、真那とは顔を合わせたくなかった。

真那の顔を見てしまえば、多分。強がりの仮面が剥がれてしまうから。

生きたいと、消えたくないと。そう閉じ込めていた心が漏れだしてしまうだろうから。

だからもう、彼女とは会わないつもりでいた。

 

……でも。

さっき見た月が、とても綺麗だったから。

冬の澄んだ空に輝く月と。地上で、不貞腐れた顔で僕を見ていた月と。

それが、こんな僕を珍しく、素直な気持ちでいさせてくれる。

 

だから、きちんと伝えようか。

もしかしたら、これが最後の機会なのかもしれないから。

最後の時に、後悔したくはないから。

だから、伝えて……終わりにしよう。

 

「どうぞ。開いてるよ、真那ちゃん」

 

蒼也の言葉に促され、ゆっくりと、躊躇いがちにふすまが開かれる。

流れるようなみどりの髪。月の光のように白く輝く肌。冷徹なふりをしても隠し切れない感情が宿った瞳。

 

──……ああ、やっぱり。とても、綺麗だ。

 

右手にしっかりと救急箱を抱え込んだ、月の女神が顔を覗かせた。

 

 

 


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