あなたが生きた物語   作:河里静那

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37話

 

1999年、12月。

国連軍横浜基地。

 

速瀬水月のこれまでのそう長くない人生において、この一日ほど立て続けの驚きに心を揺らされたことはなかった。

おそらく、これからの人生においても同じだろう。

 

 

 

その一連の出来事は、同期の者達が任官していく中に取り残された、たった三人だけの小隊が遂に迎えた解散式から始まる。

通常、訓練小隊は六名の衛士候補生から構成される。当然、速瀬の小隊にも当初は六人の仲間がいた。それが半分に減ったのは、初めて臨んだ総合戦闘技術評価演習において不幸な事故が発生したがためだ。

 

この演習に合格すれば戦術機に乗る資格を手にできると、逸る気持ちが焦りを生んだのかもしれない。或いは、試験官側における事前の安全確認が不十分だったのだろうか。

事故の原因を追求し、責任の所在を明らかにし、再発を防ぐことは必要だ。だが速瀬にとって重要だったのは、二人の仲間が死に、一人が衛士生命を絶たれる重症を負ったという事実。そして、衛士になるという夢が遠のいた現実だった。

 

だが、この不運が速瀬の心を砕くようなことはなく、逆にどこか甘さの残っていた彼女を一人の兵士へと変えることになった。

苦楽を共にした友人が目の前で死んでいく様は、自分達が置かれている場所が既に戦場なのだと、そう自覚させるに十二分すぎる体験だったのだ。

そうして覚悟を手に入れ、二度目の総戦技演習で衛士の資格を手にした速瀬は、その才能を開花させる。教官である神宮司軍曹をして傑物と言わしめる、本物の衛士が生まれたのだ。

 

そして迎えた解散式。

例え全国に散り散りに配属されもう二度と会うことがなかったとしても、自分達は生涯の友だと。仲間と硬く手を握り合い涙を流した速瀬を、最初の驚愕が襲った。

教官から下士官に立場を変えた神宮司軍曹より丁寧な口調で説明を受けた内容は、三人の配属部隊が同じだというもの。

さっきの涙を返せ、と。

 

配属先は新設される横浜基地。所属する部隊は、これまた新設されるという教導部隊。何でも、長いBETAとの戦いの歴史を塗り替える役割を担った、特別な部隊だという。

本来なら速瀬等の任官はもう数ヶ月は早かったと、この時に聞かされた。それがこの日まで遅れたのは、この基地と部隊の受け入れ体制が整っていなかったかららしい。

速瀬は燃えた。それはもう、燃え上がった。

根っこのところがとても素直で、それでいて血気盛んな性格をした速瀬。自分の手でこの戦いを終わらせてやると、瞳に炎を燃え上がらせた。

 

そうして訓練校のある仙台から横浜まで、物資の輸送機に同乗して移動することになった訳だが、そこに乗り込んできた人物の顔を見た時、速瀬に二度目の衝撃が訪れる。

同じ部隊に配属される新任コマンドポストだというその人物こそ、かつての事故で衛士生命を絶たれた速瀬の一番の親友、涼宮遥だったのだ。

 

事故により切断を余儀なくされた彼女の両足には、擬似生体が移植された。

そのリハビリだけでも相当な辛苦であったろうに、彼女はそれにCPとしての訓練を両立させ、見事この日の任官を果たしたのだった。

おっとりとして控えめな彼女の、隠し持った芯の強さ。それを速瀬は知っていたが、改めて頭が下がる思いだった。

 

これまでの分を取り返すかのように大いに語り合い、喜び合った一同。気がつけば、あっという間に横浜まで到着してしまっていた。軍属の輸送機内での賑やかなおしゃべりを見逃してくれた上官に感謝を。

 

 

 

横浜基地へと降り立った速瀬の、その第一印象といえば。

 

「……工事現場?」

 

思わず呟きが漏れてしまった彼女を責められまい。

そう。この時、横浜基地は絶賛工事中であり、広大な敷地内を見渡すかぎり重機と建材の山が溢れかえっている有り様だったのである。

呆然とする一行だったが、頭を冷静に切り替えてみれば、これもしかたのないことだと納得できた。なぜならここは、ほんの数カ月前までハイヴがあった場所なのだから。

案内の者から説明を受けたところ、基地全体の実働まではまだ二年以上の歳月が必要だという。それでも、速瀬が所属する戦術機部隊に関わる施設は最優先で工事が進められており、見てくれに目を瞑れば既に稼働が可能だとのこと。

 

ほっと胸をなでおろし、その見てくれの悪い施設へと案内される一行。これから部隊の発足式が行われるという。

気持ちが滾る。

今日この時から、正規兵としての戦いの日々が始まるのだ。日本を、人類を救済するための戦いが。

 

抑えきれない気持ちを抱えたまま連隊用の大規模ブリーフィングルームへと入室した速瀬を迎えたのは、既に着席していた新しい仲間達が一斉に向けてきた視線だった。

思わず、気後れしそうになる。

軽く見渡し、その面構えを確認。どうやら、新設部隊とはいってもすでに実戦経験のある猛者ばかりが集められているようだ。もしかしたら、完全な新任というのは自分達だけなのかもしれない。

だからといって、負けてやらないからね、と。ぐっと拳を握りしめ、とりあえずは着席しようと開いている席を探す。

 

「貴様らは、こっちだ」

 

ただ一人、居並ぶ隊員の前に立っていた司会らしき人物が、そう声を掛けてきた。襟には中佐の階級章。凛々しい雰囲気の女性だ。

中佐ってことは、この人が隊長なのかしら。あたしとそこまで年が変わらなさそうなのに、中佐か。負けてらんないわね。

……っていうか……え? そこ?

 

中佐の横へと並ばされた。

視線がさらに集中してくるのを感じる。

 

「では。これより、国連軍横浜基地所属、特殊戦術教導部隊A-01の発足式を開催する」

 

いったいこれって、どういうことよ?

わけがわからないわよ。

混乱する速瀬の気持ちを置いてけぼりに、式典が粛々と始められた。

 

 

 

 

 

「まず、貴様ら新任に断っておくことがある」

 

開始宣言の後にそう切り出した中佐の瞳には、どこか憐憫の光が灯っていた。

何? 一体何をされるの? と。これから自分達を襲うであろう運命をあれこれ想像する速瀬だったが、その想像の範囲に次の中佐の言葉は含まれていなかった。

 

「このA-01部隊だが……既に、発足から2年半の月日が経っている」

 

……はい?

鳩に豆鉄砲。言葉の意味を理解しようと努めるが……。少し頭を捻った後、速瀬は考えることをやめた。うん、説明を待ったほうが良さそうだ。

 

中佐の説明を簡単にまとめると、こうだ。

A-01はとある計画の遂行の為、表向きには存在しない特殊部隊として誕生した。

だが、その計画の成果の一部を表立って発表する時期が近づいてきており、正規の編成表に名前を載せることが必要になった、と。

 

なるほど、納得した。わざわざこんな場を用意する意味は、相変わらずわからないけど。

つまり、その計画とやらの遂行がBETA大戦を終わらせることに繋がるのね。

ところで、成果っていうのは?

 

「貴様らは、黒須鞍馬少将を知っているな?」

 

それは、もちろん。

BETA大戦史に名を残す英雄の一人で、戦術機を囮にした支援砲撃によるBETA殲滅戦術や、ハイヴに対する間引き作戦を考案した人物。

衛士なら誰でも、日本人だったらそれこそ子供でも知っている。

でも、それが?

 

「我々が手にした成果とは、今から20年前に黒須少将により提案されながら、技術的な制限において作成不可能だった装備だ。これに習熟し、他部隊への教導を努めること。それこそが、我々の任務である。貴様……速瀬少尉、その装備とは何だと思う?」

 

ええー!? 突然振らないでよ。

えーと、戦術機が装備できるものよね。それでBETAに勝てるようになるもの。

今の戦術機に足りないもの……火力っ!

 

「レーザー砲だと思いますっ!」

 

力強く断言してみた。

……中佐。今、吹き出しそうになったの見逃しませんでしたよ。

 

「なるほど。光線級のレーザーに匹敵する火力を戦術機が装備出来たなら、確かに大きな成果といえるだろう。だが、残念ながら違う。

 それは、今まで注目する者がほとんどいなかった、それでいながらまさに革命的な効果を引き起こすものだ」

 

……降参。わかんないわよ。

言葉が出てこない速瀬に、どこか満足気な様子を見せながら、中佐が言った。

 

「それは、OSだ。これまでのものとは明らかに一線を画す、普及した後には衛士の死傷者を半数以下に抑えることになるであろう、奇跡のOS。それこそが20年の時を超えて遂に完成した、XM3だ」

 

……XM3……エクセムスリー。なんだろう、何だか胸が熱くなる響き。

中佐の言葉に乗せられたかな。

でも、それも悪くない。やってやろうじゃないの。

 

「改めて、新任諸君。我々A-01は、貴様らを歓迎する」

 

中佐の言葉に、新任一同は揃って、一糸乱れぬ敬礼を返した。

 

 

 

 

 

「それでは、ついでにA-01の面々を紹介しておこう。大所帯だから、とりあえずこの場においては指揮官クラスの紹介に留める。他の隊員に関しては訓練を通じて顔と名前を一致させていってくれ」

 

それはありがたい。

ざっと見る限りでも大隊を超えている人数、一度に言われても覚えきれるわけがない。

 

「まずは、司令部の人間から……」

「やっと~? 伊隅、アンタ話が長い」

「……こちらが、香月夕呼横浜基地副司令。A-01は副司令の直轄部隊であり、彼女の言葉が全てにおいて優先される。また、XM3を開発したのも副司令だ。次に……」

「ちょっと、伊隅?」

「……失礼しました。どうぞお話ください」

 

続けて次の人を紹介しようとした中佐へと、副司令が剣呑な目を向けた。

なんだろう? 理由は分からないが、中佐は副司令に話させたくなかったのかしら?

話が無駄に長いとか?

 

「香月よ。まず最初に、アタシの前で敬礼は禁止。無駄にしゃちほこばって意味の無いことに時間を費やすのは馬鹿のやること。

 アンタ達はまりもが認めた上でここにいるんだから、アイツの顔に泥塗るような真似するんじゃないわよ。いいわね?

 なにか良いアイディアが思いついたり疑問に思うことがあったりしたら訪ねてきて構わないわ。ただし、それが下らないことだったら脳を改造するからね」

 

……話が長いだけの方がずっと良かった。

ところで、まりもって神宮司教官のこと……だよね? 仲いいのかしら。

 

「まあ、アタシは中々つかまらないことも多いでしょうから、そんな時は伊隅に言うか……コイツ、黒須を訪ねなさい。アタシよりは暇してるから」

 

反射的に敬礼しそうになる右手を、胸の辺りで無理矢理止めた。

副司令がニヤニヤとした顔でその右手を見てる。とりあえず、頬を掻いて誤魔化しておいた。……誤魔化せた、わよね?

 

「えー、ただ今ご紹介にあずかりました、黒須です。黒須蒼也=クリストファー、階級は少佐。

 僕から、一つアドバイスを。副司令のさっきの言葉ね、敬礼とか礼儀とかいらないって奴。アレを冗談だと思ってると大変な目に遭うから、気をつけて。

 でも気を使わなさ過ぎると、今度は伊隅中佐から怒られるから。上手いことやってね」

 

副司令と良く似た笑みを浮かべた男が言葉を継いだ。顔と名前から察するにハーフなんだろうか。

しかし、それにしても。何なのよ、この部隊。

 

「……新任の4名に、黒須少佐の人となりを説明しよう。この発足式を企画したのは、彼だ。後は、言わなくても分かるな?」

 

あー、うん。何か、納得した。

 

 

 

 

 

「以上が、司令部側の人間だ。他にラダビノッド基地司令がおられるが、司令は基本的にA-01の作戦行動に関わってくることはない。

 次に、実戦部隊側の紹介に移る。

 まずは、私。自己紹介が遅れたが、連隊指揮官を勤める伊隅みちる中佐だ。第一中隊ヴァルキリーズの指揮官も兼ねる」

 

2ヶ月前に少佐に昇進したばかりの伊隅だったが、A-01が表舞台に上がるに当たり階級をさらに一つ進め、部隊のナンバー2の座を手にすることになった。

ほぼ二階級特進に近い大盤振る舞いであり、本来であれば有り得ないことである。しかし、これまでの伊隅は正規の編成表に名を連ねていなかった為、少佐になったタイミングが直近であると知られることもなく。それ故、表向きには新設される連隊の指揮官として中佐へ昇進したというだけのことであり、問題とされることもなかった。

黒須少佐を差し置いて自分がナンバー2などとは。そう心苦しく思うのが本音だが、大隊を超える規模に成長した部隊の指揮官が少佐では役者が足りないのも事実。

かくなる上は中佐として、連隊指揮官として、恥じぬ行いをするのみだと。そう覚悟を決めた伊隅だった。

 

 

 

「次に、第二中隊フリッグス指揮官、碓氷桂奈少佐。碓氷少佐は連隊副指揮官でもある」

 

前列に座っていた碓氷が立ち上がり、新任たちへと無言で頷いてみせた。

先日のミーティングにおいて、蒼也の戦線離脱を正式に伝えられた碓氷。その前のPXでの宣言通りに、取り乱すことなく諾々と事態を受け入れた。

ただし、交換条件とでもいうのか、部隊再編にあたって碓氷が願い出たことが一つだけある。

 

「フリッグのコールサインを、私に継がせてください」

 

それが、碓氷なりの覚悟の現れだった。

本来ならば蒼也の抜けたところに新たな指揮官を据えるのみの予定であったのだが、それでやる気が出るなら安いものでしょと、香月が面白半分に了承。

フリッグの、黒須少佐の名を汚してなるものかと、いつか少佐が返ってくる時まで守り通してみせると。碓氷の胸に宿った決意は固い。

ちなみに、それ故にこれまでのある意味なあなあな態度を改めようと、クールなキャラクターを目指すそうである。先ほどの新任への無言の挨拶もその一環。それが既にどこかずれているのよねと見守る、伊隅の目が生暖かい。

 

 

 

「第三中隊トールズ指揮官、黒須セリス大尉。司令部の黒須少佐の母君であり、先程述べた黒須少将の奥方でもある。これ以降、混乱を避けるために黒須少佐を蒼也少佐、黒須大尉をセリス大尉と呼称することを許可する」

「よろしくね。若い人たちの中に一人だけおばちゃんだけど、できれば邪険に扱わないで欲しいわ」

 

にこやかに微笑むセリスを見た速瀬の目が、驚きに見開かれる。

セリス大尉って、ハイヴ・バスターズのっ!? すごいっ、まだ現役の戦術機乗りなのっ!?

っていうか、嘘でしょっ!?

 

──若いっ!!

 

ええー、だってハイヴ・バスターズ結成って確か20年前よね。ってことは少なくとも40代よね。

……なにそれ、ずるい。

 

「A-01の衛士が搭乗するのは基本的に94式戦術歩行戦闘機 不知火だが、トールズのみF-4JX 撃震改、並びにA-10J 凄鉄が使用される。

 どちらも聞き慣れぬ機体だろうが、これらも香月副司令の計画の産物だ。具体的には、XM3が搭載されることを前提として再設計された撃震、及びサンダーボルトⅡとなる。これらの機体が対BETA戦において極めて有効であると、それを実証するのも我々の重要な任務だ」

 

セリスが不知火に搭乗しないのは、未だ日本国内においても充分に普及していない貴重な機体である不知火を国連に提供する条件として、日本政府と交わされた契約が原因だ。それは、機密の流出を防ぐために、不知火の衛士は純血の日本人に限られるというもの。

そんなことで機密保持がなされるなら苦労しないわよと、香月などは一笑に付す内容だが、多分に日本側の面子的なものが関わってきてもいるので無碍にも出来ない。

 

「セリス大尉はA-01の広報も担当する。XM3と新型機のスポークスマンだな。それ故、その性能をもっとも近いところで肌で感じてもらうために、この機体配備となっている。

 だが、別に貧乏くじを引いたというわけでもない。撃震改は第一世代機ベースでありながら、第三世代機である不知火に迫る性能を誇っている。貴様らも、追々体験することになるだろう」

 

XM3を速やかに普及させるためには、性能面における優位性という理からの面ももちろんのこと、感情面に訴えることも必要となってくる。

そのために持ちだされた一文が「かつて黒須鞍馬が考案した」というものだ。

確かに、鞍馬がハイヴ内における円滑な進行のためにそう言ったOSを望み、開発しようとしたことは事実である。だが、それがXM3の前身なのかと言えば、決してそのようなことはない。

XM3はあくまでも白銀の持っていた異世界の感性が生み出したものであり、この世界で生まれ育った鞍馬が求めたものとはやはり似て異なるものなのだ。

だが、その事実は捨て置かれた。もとより、平行世界由来の技術だなどと喧伝出来るわけもない。

 

そして「かつて黒須鞍馬が考案した」OSを広報するのに最適な人物は誰かといえば、答えは鞍馬の肉親となる。一見美談にも見える、その実これ以上もなく醜悪な宣伝方法。しかし、有効であることに間違いはない。

そして、蒼也がその役割を担えなくなった以上、代わりを務められる人物は一人しかいない。

それが、ラダビノッドが自分の気持を抑えてセリスを招いた理由だった。

 

これらの裏事情は当然、速瀬が知る由もない。

だがそれでも、セリスが広報を担う理由が鞍馬の妻であるからという一点は容易に推察できる。

死者の名と生者の気持ちを利用するような真似、そしてそれを受け入れたであろうセリス。

 

「ファントムは私にとって、もう一人の子供のようなものです。我が子が一段と成長した姿を間近で見れて、嬉しく思っていますよ」

 

そう微笑みを絶やさないセリスに、どこか悲しみを覚える速瀬だった。

 

 

 

そして、この日最後の驚愕が、速瀬を襲うことになる。

 

「最後に、第四中隊デリングス。指揮官は鳴海孝之大尉……」

「孝之いいいいいいいいいいいいいっ!? あんた、なんでっ!!??」

 

隊員たちの中から、些か緊張した面持ちの鳴海が立ち上がった瞬間。

速瀬の絶叫がとどろき渡った。

 

──……あっ。

 

……やっちゃった。

孝之が顔に手を当てて天を仰いでいる。

遥が隣でアワアワ言ってる。

伊隅中佐のこめかみに青筋が浮いている。

香月副司令と蒼也少佐……ウケすぎです。

 

うん。

あたしの正規兵デビュー、終わったね。

とりあえず、やっておこうか。

誰に言われるまでもなく、その場で腕立て伏せを始める速瀬。

 

こうして、混沌とした状況の中、新生A-01部隊が産声を上げることとなったのである。

 

 

 

 

 

 

 

発足式という名の顔合わせが終わった後、衛士強化装備に着替えた隊員たちはシミュレータルームへと向かった。

新任歓迎のチーム戦を行うとのことだ。特に速瀬少尉は念入りに歓迎されることだろう。

管制室からそれを眺めようと、後に続いた蒼也だったが……途中で引き返し、香月の執務室へと向かうことになった。

 

「あら。見物に行ったんじゃなかったの?」

 

挽いた豆をセットしたポットへと、慎重にお湯を注いでいた香月。視線は上げずに、言葉だけで出迎える。

細かい仕事は面倒がって蒼也に押し付けることが多い香月だが、コーヒーを淹れるのは割と好きなようだ。気分のいい時などは、社や蒼也にも振る舞ってくれることもある。

淹れた後に、コーヒーの存在を忘れて放置することが多々あるのが玉に瑕。

 

「そのつもりだったんですけど……ちょっと、お邪魔しますね」

 

どこかふらふらとした足取りで入室した蒼也が、革張りのソファーへと身を投げ出した。

こめかみを押さえるように手を当て、目を閉じる。

 

「ちょっと。それ、アタシが仮眠するときに使ってる奴なんだけど」

「……どうりで、寝心地がいいと思った。副司令の目は確かですね、良いソファーです」

「あら、ありがと。……って、そうじゃなくて。どきなさいって言ってんのよ」

「すいません、見逃してください。僕の部屋より、こっちのほうが近かったもんで……」

 

まったく。このアタシに対してそんな遠慮なく振る舞えるのは、この基地でアンタと姉さんくらいなものよ。

呆れたように溜息を吐き、愚痴をこぼす。

 

「頭痛、酷いの?」

「入院してた頃に比べれば遥かにマシですけど……速瀬中尉の顔を見て、記憶が刺激されたみたいです」

 

蒼也の中に白銀の記憶が宿ってから、四ヶ月。

最初の一月は、ほぼベッドの上から移動できずに過ごした。それこそ、起きている時間より意識のない時間のほうが長いくらいに。

それが、香月に秘密をばらした後くらいからは、段々と頭痛の強さと頻度が徐々に治まってきている。記憶の関連付けの整理があらかたついたのだろうか。それとも、何か別の理由があるのだろうか。

 

しかし、だからといって戦術機に乗れるかと問われれば、答えは否であるのだが。

今も、一人の時に意識を失う危険性を考慮して、発信機の携帯は欠かせない。

 

「……速瀬中尉、ね」

「中尉からは、色々なことを教わりました。本当に大切なことを、沢山。出来れば、もっと教えを請いたかった……まあ、さっきはあんな感じでしたけどね」

 

瞳を閉じたまま、思い返すように、誇らしげに語る。

そんな蒼也の様子に、香月は先程とは違う種類の溜息を吐いた。

 

「あんた、速瀬と個人的に面識があったの?」

 

しばし、沈黙が場を支配する。

やがて、ゆっくりと起き上がった蒼也が、苦笑を浮かべて言葉を発した。

 

「……まいったな。どうやら、引きずられていたみたいです」

 

頭痛が治まった代償。

時折、自分と白銀の区別がつかなくなることがある。

弱ったぞ、次に冥夜ちゃんに会った時、泣き出しちゃったりしないかな。

 

「……いい機会ね。少し、アンタの状況について整理しておきましょうか」

 

香月が、三人分のコーヒーを注ぎながら、そう言う。

カップを受け取り、砂糖を一つ。ミルクは無し。霞ちゃんの分には、両方たっぷりと。

 

「そう遠くない未来、アンタは死ぬ。これはいいわね?」

「ええ」

 

何も入れないコーヒーを口に運びながら、死刑宣告。

 

「で、その死因は何になるか。アンタはどう考えてた?」

「……おそらく、僕の脳の記憶容量が二人分の情報量に耐え切れずに破綻、廃人ってところじゃないかと」

「概ね、正解。それが一つ目の可能性ね」

 

社が心配そうな目を向けてくる。

白銀の記憶を聞かされ、鑑の運命を知った日から、社は段々と、以前ほどには蒼也のことを恐れなくなっていった。

蒼也が知る鑑の思い出について知りたがり、それを聞かされているうちに自然とそうなっていたのだ。

まだまだ自分から語りかけてくるようなことはないけれど、それでも、蒼也の運命も鑑と同様に、悲しいものだと思ってくれているのだろうか。

 

「概ねっていうのはね、二人分の情報だけじゃないだろうってことよ。

 人間の脳にはおよそ150年分ほどを記憶できる容量がある。つまり、アンタと白銀、若造二人分の人生情報くらいじゃそうそう破綻したりはしないし、そこまでの頭痛も起きないはずなのよ」

 

つまり、破綻しかけている現状とは、それ以上の情報量が流入しているということ。

 

「ようは、記憶を拾ったことが原因で、僕と白銀との間で因果が結ばれてしまった、と」

「そういうこと、話が早くて助かるわ」

「自分の死に関してですからね。やっぱり、色々と可能性を考えましたよ」

「……そう。まあ、そのせいで拾ったもの以外の、ループを繰り返した白銀の情報が次々に流入しているんでしょうね」

 

その気になれば、戦い続けて衛士として完成された白銀の情報も思い浮かべることができるのだろうか?

まあ、おそらくその瞬間パンクして死ぬだろうからやらないけど。

 

「死因の可能性としては、もうひとつ」

 

むしろこっちが本命ね、と。

前置きをして、言葉を続ける。

 

「白銀が何度目かに元の世界とやらに戻った時、世界を超えた白銀と元の世界の白銀とが融合したって言ってたわよね」

「ええ。それまでは別々の体で、向こうの白銀の声を隠れて聞いたりもしたんですけど。その時は、世界に白銀は一人だけになってましたね」

「それと同じことが、アンタにも起きるかもしれない。つまり、アンタと白銀の情報が混ざり合うことで、第三の人格が生まれるかもしれない」

 

その場合、主人格となるのはおそらく、白銀。

現在抱え込んでいる情報の量が、白銀のほうが圧倒的に多い。現に、既に白銀の記憶に引きずられ始めているのだから。

そしてそうなった時、今の蒼也の記憶と能力はどうなるのか。溶けて消えてしまうのか、何らかの形で残るのか。

それは、実際にそうなってみないとわからない。

どちらにせよ言えることは、今現在の蒼也という人格は存在しなくなる、ということだ。

 

「まあ、あくまでも仮説だから、頭痛持ちのまま何十年も過ごして天寿をまっとうする、なんて可能性もないわけじゃないけどね」

 

それはそれでつらそうだけど。まあ、いなくなるよりはずっとマシだね。

でも、希望的観測、願望を元にして計画を立てるなんて絶対にやってはいけないこと。

僕は、近いうちにいなくなる。

その前提で行動し、そしてそれまでの間に、やるべきことをやり終える。

 

生きたいかと言われれば……正直、それはそうだ。

生きて、桜花作戦を完遂して、地球を開放して……平和になった世界で幸せに暮らしたい。

でも……。

 

やめよう。

もう、起きてしまったことなのだから。そんな仮定は意味が無い。

それに、この記憶を手に入れたからこそ、勝利への道が見えてきた。それは、間違いのないことなんだ。

だったら、それでいい。

もし、過去に戻ることが出来たとしても。僕は、きっと同じ選択をするだろう。

自己犠牲だなんて、そんな綺麗事を言うつもりなんてない。

ただ、大切な人を守りたいから。

 

静かに、決意の再確認をする蒼也。

それを、じっと香月が見つめていた。何かを考えるように。

 

「さてと。頭痛も治まったし、僕はそろそろ行きますね」

 

お邪魔しましたと。

崩れた敬礼をして立ち上がる。

そして扉を潜ろうとした蒼也を、香月が呼び止めた。

 

「ねえ、一つ提案があるんだけど」

 

振り返った蒼也が見たのは、カップを口に運ぶ香月の姿。

視線を黒い液体にそえたまま、普段と変わらぬ口調で言う。

今日の夕食は何にしようか、そんな何気ない素振りで。

 

「黒須、アンタさ。人間……やめてみる気、ない?」

 

……その選択肢は考えてなかったな。

投じられた爆弾の、その内容を吟味するため。

痛みに淀んでいた蒼也の脳細胞が、激しく活動を開始した。

 

 

 


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