あなたが生きた物語   作:河里静那

36 / 55
36話

 

1999年、9月。

帝都。

 

月詠の屋敷から、徒歩で三十分程。

毎月26日になると、セリスの足はそこへと向かう。

五摂家を始めとした武家の重厚なものの立ち並ぶ一角からは少し外れたその場所へと、水を張った手桶と花束を手にし、歩く。

やがて、目的地へと辿り着いた。目の前にあるのは黒光りする磨かれた石。

 

──黒須家代々之墓──

 

その石には、そう刻み込まれていた。

鞍馬と結婚した時、蒼也を産み育てていた間、教習のために日本へと返った際。何度か参った京にあった墓と比べると、随分と小さくみすぼらしい。

ご先祖様には申し訳ないが……勘弁してもらおう。既に武家ではない黒須家がこうして墓を用意出来ただけ、恵まれているのが現状なのだから。

 

現在の帝都では、住居や職、それに衣類などといった生きる上で欠かせないものを含め、有形無形を問わず様々なものが不足している。食料だけはなんとか合成食で賄えているのが救いか。

当然のように、墓もまた然り。故人を偲ぶという目的のため、死者よりもむしろ生者にこそ必要なものであり、求めている人は多い。だが、無ければ命が危ういというものでもなく、他に優先すべきものはいくらでもある。新たな墓地が形成されるのは当分先のこととなるだろう。

月詠の口利きがなければ、この墓も用意出来たかどうか。

 

これらは全て、関東から西に住んでいた人たちが、BETAの日本侵攻を避けて移り住んだ結果だ。

侵略された土地の広さに比べれば、亡くなった人の数は少ない。初期の避難が的確で迅速に行えた結果であり、不幸中の幸いといえるだろう。だがそれが故に、この現状があるのだともいえる。

避難民はいくつかの都市に分散して割り振られたとはいえ、それだけの数を無条件に受け入れるだけの許容量は帝都にはなかった。今も尚、仮設の住宅で暮らしている者達も数多くいるのだ。

 

だが、明けない夜はない。長かった耐え忍ぶ時間にも、ようやく終わりが見え始めた。先月に行われた決戦、明星作戦に日本は勝利を収めたのだ。

しかし、民間に流れてきている情報からでも、その美酒に少なくない毒味が混ざっているのは読み取れる。アメリカが暴走して新型爆弾を落とした結果、多くの人命がBETAとの戦い以外で失われたという。

 

日本国民のアメリカに対する感情は元より決して良いものではなかった。その上に起きた今回の一件、深かった溝がついに裂けて割れる決定的要因になったといえるかもしれない。

帝都にも決して多くはないが、外国籍の者達が居住している。彼等は現在、息を潜めるように、目立たぬように日々を過ごすことを求められている。前将軍が発した声明もあり、直接的な暴力を振るわれるようなことは少ないとはいえ、それでも身の危険を感じるようなことが起こらないとも限らないのだ。

セリスもまた、見知らぬ人から突然に罵声を浴びせられたり、石を投げられたりといった経験がある。しばらくの間は、ひとり歩きや夜間の外出は出来るだけ控えるべきだろうか。

 

このように、勝利の余韻に浸るのと同時に剣呑な雰囲気も漂うような状況ではあるが、それでも。

爆弾によって亡くなった兵士たちには申し訳ないと思う。

未だ、佐渡ヶ島という喉元にナイフを突きつけられている現実もある。

だが、それでも。ついに日本は開放されたのだ。

これからは、荒れ果てた土地の再興のため、これまでとは逆に西へと向けての人の移動が起きるのだろう。東へ向かった時の悲壮な顔を、喜びの色に塗り替えて。

 

──まあ、こっちはそんな感じよ。心配しないで、何とかしぶとくやってるわ。

 

そのようなことを徒然と、心の内で鞍馬へと語りかけていたセリス。話したいことを話し、伝えるべきことを伝え。

ふと、視線を周りへと向けた。

周囲には花や食べ物、あるいは酒瓶などを墓に供える人たち。そしてセリスと同じように、死者へと語りかける姿。

今日は人が多い。そういえば丁度、秋の彼岸の時期だった。

日本侵攻から明星作戦と。生き抜くのに必死で亡くなった人を弔う暇もなく、これが事実上の初彼岸という者も多いのだろう。

今は亡き大切な人へ語りかけるという悲しみを伴う行為でありながら、それでも。彼等の顔に浮かぶのは、どこか嬉しそうな色。

きっと、良い報告ができているのだろう。それが、セリスにも喜ばしい。

 

──それじゃあ、また来月。お義父様と楽しくやっててくださいね。

 

最後にもう一度、亡き夫へと語りかける。

もう、鞍馬が逝って七年が経つ。それでも月命日の度にこうして鞍馬と会話をするのは、セリスにとっては義務であり、楽しみであり、そしてやはり寂しい行いでもあった。

そんな彼女に、もう忘れてしまってもいい、自由になってもいいんじゃないかと雪江などは言ってくる。

でも、セリス自身はこれでいいと考えていた。戦意高揚のための英雄としての像ではなく、悩んで苦しんで泣いていた、そんな本当の彼の姿をずっと覚えている人がいてもいいじゃないか。そして、その役目は誰にも譲るつもりはない。

だって。今でも、彼を愛しているのだから。

それに……

 

──もう、私も47だもんねえ。

 

こんなおばちゃん、今更もらってくれる人もいないわよ。

そりゃ、年の割に若いって自信はあるけどさ。

だから鞍馬、諦めて。私がそっちに行くまで付き合ってね。

墓の向こうに、照れたように、困ったように頬を掻く鞍馬の姿が見えた気がした。

その姿に微笑みかけると、セリスはゆっくりと立ち上がる。

 

さて、と。

しばらくは生徒も集まりそうにないし、いい加減、新しい仕事を見つけないとね。

でも、募集も少ないし、そもそも私に何が出来るかしらねえ……。

そんなことを考えながら墓に背を向けたとき、少し離れた場所からこちらをじっと見つめる者と目が合った。

視線が交差したことに気づくと、彼はセリスの前までゆっくりと歩を進める。

 

「……家に伺ったら、こちらだと言われてね。黙って見ているのも趣味が悪いかと思ったのだが、邪魔をするのも気が引けてな」

 

そして、少しばつが悪そうにそう言った。

知っている顔。懐かしい声。だが、あまりに予想外の人物。何故、彼が?

混乱する思考とは裏腹に、自然と口元が綻んでいく。

 

「……お久しぶりです、副長」

「ああ、久しいな、大尉。元気そうで何よりだ」

 

かつて互いに命を預け合った、戦友。

パウル・ラダビノッドの姿が、そこにあった。

 

 

 

 

 

「よければ、鞍馬にも会ってやってください」

「是非、そうさせてもらおう。……本当は、もっと早くに訪れたかったのだが」

 

セリスに促され、墓の前で手を合わせる。

日本への赴任が決まった時、これでようやく鞍馬の墓に詣でることが出来ると、思ったものだが。言いたいことは山程あったはずなのに、不思議と言葉に詰まる。

込み上げてくる感情を上手く表現できないのか。想いの前に、言葉など無力なものだった。

 

「……ここに、大佐が眠られているのだな……」

 

ようやく、そんなことを口にした。

ボパールの敗北から7年。階級は既にあの時の鞍馬を上回っているし、地位に見合う責任も果たしてきた。それでも、鞍馬を超えたかと言われれば……出てくるのは否定の言葉だけだ。死者に追い付くことなど、永遠に出来はしない。これまでも、そしてこれからも。ラダビノッドにとって鞍馬は、いつまでも上官であり続けるのだろう。

 

「といっても、お墓の中は空っぽなんですよ。鞍馬の体は骨も残らなかったでしょうし、あったとしてもボパールの地下ですから。京都のお墓には愛用していた物なんかを入れていたんですけど……もう、BETAの胃袋の中でしょうね」

 

セリスの言葉にラダビノッドは、ただ「……そうか」と呟くことしか出来なかった。

 

「それでも……」

 

セリスが言葉を継ぐ。

 

「それでも、私がここに来るとき。鞍馬も、ここにいてくれる。そう、思うんです」

 

そして、その顔に微笑みを浮かべた。

美しい笑み。かつて、ラダビノッドが心奪われた、あの時のままの笑みを。

 

「ごめんなさい。何だか、感傷的になっちゃって」

「いや……」

 

──……終わったの、だな。

 

瞳を閉じ、人類の剣と呼ばれた、戦いの日々を思い返す。

血生臭い毎日でありながら、それでも幸せだった、黄金時代。

あれから7年。あの輝く日々を追いかけるように戦い続けてきたラダビノッドにとって今、この瞬間。鞍馬の墓を前に、セリスの微笑みを見た時。

終わったのだと。心の何処かでずっと認めたくなく思っていたが、あの日々はもう夢の彼方にしか存在しないのだと。そう、ようやく認められた。

 

「感傷というより……のろけ、かね」

 

ラダビノッドが笑う。

その口元をニイっと曲げ、茶目っ気たっぷりに笑う。

つられるように、セリスの顔にもまた笑みが。

 

──大佐、おさらばです。

 

晴天の秋空へと染みわたるように、二人の笑い声が響き渡っていった。

 

 

 

 

 

ひとしきり笑った後、二人はそれぞれの今の生活についての話に花を咲かせた。。

民間人として家族と暮らすセリスの、穏やかな日々。

ラダビノッドが、横浜に新設される国連軍基地に司令として赴任してきたこと。

 

「そう。貴方は、まだ戦っているのね。……ごめんなさい、私ばかり先に逃げ出してしまって」

「逃げたなどと、何を。貴方は、もう充分に人類の為に貢献した。充分すぎるほどに。誰が何と言おうと、それだけは間違いない」

「……ありがとう」

 

ラダビノッドの、本心からの言葉。

彼女が咎人だと石を投げる者がいるなら、問うがいい。己は、彼女ほどに何かを捧げたのかと。

 

「それに、私も現場からは退くことになった。心残りはあるがね。

 ……いや、あった、か。ここに来て、ようやく吹っ切ることが出来たよ。これからは、司令という立場で戦っていく。まあ、半分はお飾りの司令だがね」

「……そう。お疲れ様、って言っていいのかしら?」

「ありがとう。なに、もう私も年だ。いい加減に頃合いだったのだよ」

「あら、年の話はしないでくださる? 私ももう、孫がいてもおかしくない年になってしまったんですから」

「何をいう。大尉は、あの頃と変わらず若々しく美しい」

 

相変わらず、お上手ね、と。そう微笑むセリス。

ラダビノッドが、目を奪われ続けてきた笑み。彼女が、大佐の妻でなかったら。そう思ったことも幾度かあった。だが……。

大佐がいたからこそ、彼女は笑っていられたのだ。そして今も尚、こんなにも美しく笑うのだろう。だから、それでいい。やはり、自分のこの気持を伝えることはない。墓まで持って行くことにしよう。

 

だが、もう一つのことは。

こちらは、伝えなければならない。酷な願いだということは理解している。だが、それでも。

 

「……大尉。実は、今日ここに来たのには、大佐の墓参りとは別の理由がある」

「副長?」

 

一呼吸置いて、そう切り出すラダビノッド。顔が、軍人のものへと切り替わっていた。

 

「単刀直入に言う。……黒須セリス大尉。現役へと、復帰してもらえないだろうか」

 

彼女はもう充分に戦ったと、そう告げたばかりの口で何を言うのか。自分の舌が二枚になったようだ。

本当なら、彼女にはこのまま静かに、幸せに暮らしていって欲しい。

しかし……。

人道に反していようとも、自分と彼女の、そして大佐の気持ちを裏切るような願いであっても。第四計画には、彼女の力が必要だった。黒須鞍馬の妻というセリスの肩書を、必要としていた。

 

痛みを堪えるような、そんな悲しそうな目で自分を見つめるラダビノッド。

セリスは、彼を良く知っていた。彼の今の言葉が、彼自身の望みには反していると、よくわかった。

それなのに、自分と仲間の気持ちを裏切ってまで叶えたい望みがある、と。

 

「……場所を、変えましょうか」

 

かつての仲間の。いや、今も変わらずに仲間である彼の、望まぬ願い。

私も、真剣に応えなければならない。

自分の人生が、運命が。再び戦場へと駆り立てられる予感。

セリスは、自分の心に燻っていた炎が、再び静かに燃え上がろうとしているのを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

1999年、10月。

帝国軍練馬駐屯地。

 

救世主が降臨するまで、00ユニットを完成させるために必要な理論を手にするまで、後二年。

蒼也と香月は手にした白銀の記憶を元にして、それ迄の間に環境を整えることに全力を注ぐと決めた。

 

 

 

基本方針は大きく三つ。

一つ。第四計画の影響力を増大させ、同時に第五計画のそれを削ぐこと。

その為に様々な謀略が行われることとなったが、その中でも特に重要なものとして、香月が作成し国連と各国首脳へと向けて発表した一つのレポートが挙げられる。その内容は、第五計画が提唱するバビロン作戦が実行された後に起こるであろう、未曾有の大災害への警鐘であった。

 

明星作戦の最中に蒼也が幻視した白い大地。果たしてこれが白銀の記憶なのか、あるいは他の何かなのか、それは蒼也自身にも判然としない。少なくとも2001年10月22日から桜花作戦までの間の記憶でないことは確かだ。ならば、さほど重要度の高いことではないのだろうか?

しかし、香月によりいくつかの可能性が指摘され検証がなされた結果、導き出された仮説は決して無視の出来ない、恐ろしい物であったのだ。

 

バビロン作戦、それはユーラシアに存在する各ハイヴへとG弾を投下していく計画である。このG弾集中運用が実行に移された際、各ハイヴにおいて横浜と同じような重力異常が発生する。そして、それらがいわば共鳴を起こして相互干渉した時、地球に深刻な重力偏差が起きることが予測された。

その結果、偏った海は巨大な津波となってユーラシア大陸を飲み込み、安全だったはずの他の大陸は大気圧の激減に見舞われ死の世界と化す。かつて海底だった大地に浮いた大量の塩は風に乗って内陸奥深くまで降り注ぎ、BETAの侵略からも、津波からも逃れた僅かな土地から容赦なく緑を奪い去る。

蒼也の視たものこそ、この絶望の未来であったのだ。

 

その内容は、一読した各国首脳の顔を青く染め抜いた。第五計画推進派は根拠の無い誹謗中傷だと、結論ありきの捏造にすぎないと香月を非難したが、その彼等の声ですら震えている有り様だった。

第一次報告ということもあり行われた検証は簡易的なものではあったが、それでも私見を交えず客観的視点から構成されたその内容は、それが真実であると強い説得力を持って語りかけてくるものであり、特にユーラシアに国土を持つ者達にとって決して軽視して良いものではなかったのである。

 

レポートの最後はこう締めくくられていた。G弾が実戦投入された唯一の地である横浜における重力異常の変遷に関して継続的な調査を行い、二年後に最終的なレポートを提出する、と。また、それまでにBETAによる支配域を拡大させないための策を、第四計画は用意していると。

これにより、少なくとも2001年末まではG弾の使用は控えるべきとの声が国際社会においては主流となり、同時に第四計画の言うところの秘策に対する期待はいやが上にも高まったのである。

ちなみに、香月は二年後の最終レポートに関しては、00ユニット完成後にその驚異的な演算能力を用いて詳細なシミュレーションを作成する腹づもりでいる。

 

 

 

基本計画の二つ目、それは2001年10月22日以降に白銀が関ることで香月が生み出した成果を、前倒しで準備することである。

具体的には、BETAの支配構造がピラミッド型ではなくオリジナルハイヴを頂点とした箒型であると周知させること。00ユニットが抱える致命的欠陥であるBETAへの情報漏洩を未然に防ぐ術の用意。白銀を平行世界へ送るための装置の作成。凄乃皇をアメリカから譲り受け、00ユニットが起動し次第に実戦投入できるようにすること。そういったものが挙げられる。

これらの内、横浜基地内でのみ完結するものに関しては何の問題もない。ループの中では僅か二ヶ月でやり遂げたことであるのに対し、二年もの準備期間があるのだ。

だが、情報の周知や凄乃皇の引き渡しなど、他者が関わってくることに関してはそうもいかない。場合によっては、佐渡ヶ島ではなく喀什をまず叩くという展開も考えなければならないのだ。それ相応の下準備や水面下での交渉が必要となってくるであろう。

 

 

 

三つ目、人類戦力の強化。特に、防衛力の増強は必須であった。

仮に佐渡ヶ島の攻略をさしたる被害もなく成し得たとしても、その後に待ち構えているであろう横浜基地襲撃を防ぎきらなくては何の意味もない。これは佐渡ヶ島に限らず、全てのハイヴにおいても同様のことが言える。

この点に関してのみは、二年という準備期間は短いと言わざるを得ない。新たな戦術機を始めとする新兵器を開発するにしても、一人前の衛士を大量に育て上げるにしても、どうしても時間が足りないのだ。

そこで香月と蒼也が選択した方法は、既存兵力の能力を引き上げることであった。

 

白羽の矢が立ったのは、1977年に実戦配備されてから20年以上経過した今も尚、日本で最も数多く運用されている戦術機であるF-4J 撃震。

安価で信頼性が高い撃震の能力を引き上げることが出来れば、BETAとの戦いにおいて大きな力となるであろう。第三世代機に乗り換える際のような大掛かりな機種転換訓練を必要としないこと、生産ラインや運用ノウハウをそのまま流用できることなども、限られた時間を有効に活用できるという点において大きな利点となる。

 

いくつかの改修案が検討なされた結果、いじるとなればどうしても大掛かりなものとなる外面部分ははそのままに、比較的容易に性能を引き上げられる機体内部の改修を中心に行われることに決定した。こうして第三世代仕様に最適化され、オペレーション・バイ・ライトを実装しアビオニクスの刷新がなされ、更には新たなOSが搭載された新型撃震、F-4JX 撃震改が誕生した。この機体は安価な第一世代機の発展形でありながら、準第三世代機の性能を持つまでに至ったのである。

 

また、撃震のベースとなったF-4 ファントムやその派生機もまた、世界的に見れば未だ第一線で活躍している機体である。それらにも同じ改修を施すことを請け負うか、或いは完成品を売却したならば、日本は国際社会に大きく貢献しながら莫大な利益を上げることが出来るであろう。そして、誘致国である日本の発言力の増大とは即ち、第四計画の立場を強くするものでもあるのだ。

 

更に、蒼也は別のとある戦術機に目をつけた。

それは正式には攻撃機というカテゴリーに分類される、主に欧州や中東を舞台に活躍している機体、A-10 サンダーボルトⅡである。

この戦術機の特徴を一言で言うならば、機動性を犠牲にして莫大な火力を手に入れた機体となる。その単騎火力はファントム一個小隊を上回る程であり、施された堅牢な装甲と戦単級の取り付きに対抗する爆圧スパイク機構が採用されていることから、密集近接戦での生存性の高さについても高い評価を得ている。

格闘戦がほぼ不可能であることから、斯衛軍や帝国軍においては数機の試験機が導入されたのみで正式採用されることはなかったが、1978年の実戦配備から現在まで今もなお現役で戦い続けている信頼性の高さはファントム系列の機体と同じく折り紙つきだ。

 

こうしてA-10に第四計画の手によって撃震改と同様の改修が施された結果、A-10J 凄鉄が誕生した。やはり砲撃戦に特化しすぎた武装が足を引っ張る形となり格闘戦は相変わらず不可能であったが、それでもその運動性を第二世代機水準にまで引き上げることに成功したのである。

まずは横浜基地所属の国連軍に導入してその有用性を見せつけた後、徐々に帝国軍にも配備されていくこととなるであろう。

 

 

 

そして、ここまでに述べた三つの基本戦略の全てに関連する、香月と蒼也の計画の根幹をなすと言っても過言ではない要素がある。

それを発表することで第四計画の影響力が高まり、普及させることで兵力の増強につながる、白銀武が発案し香月夕呼が作り上げたもの。

それが、白銀の記憶の中において奇跡とまで謳われた、撃震改及び凄鉄にも搭載されたOS、XM3の開発である。

 

 

 

これらの基本方針に係る情報の出どころは当然、蒼也の中にある白銀の記憶である。それを、蒼也は包み隠さず全て香月へと話した。

彼女との関係をあくまで対等なものとするため、香月を一方的に上の立場としないためには、重要でありながら早急に処理する必要のないような事案については隠しておいたほうが良かったとも言える。切り札は表に見せないからこそ切り札足り得るのだ。

だが、蒼也はそうしなかった。それは青臭い理想が故のことではなく、そうせざるを得ない理由からのものであった。そして蒼也が手札を全てを明かしたということ、そのことそのものが香月にある事実を悟らせた。

香月が悟ったということを蒼也もまた察し、言葉にしない内にそれは二人の共通認識となる。

それは──黒須蒼也に残された時間は、おそらくそう長くはないという、現実だった。

 

 

 

 

 

 

 

いつの間にか暗黙の了解のうちにA-01専用となったPXの一角、伊隅は机に肘をついた手で頭を抱えるようにして、思考の海に沈んでいた。

テーブルに隊の仲間達の姿はない。伊隅は午前の訓練中に副司令に呼び出され、隊を離れて一人、彼女の執務室へと赴いていたのだ。

そして、とある辞令を受け取った。それは一般的に見れば好ましい類のものであるに違いない。実際、伊隅にも嬉しく思う気持ちは確かにある。だが同時に、気持ちを暗く沈み込ませている原因もまた同じものであった。

 

──碓氷になんて言おう……

 

伝えれば、きっと傷つく。自分でさえ、少なくない衝撃を受けたのだ。

ことはA-01全体にも深く関わることであり、伝えないという選択肢は存在しない。だが、どう説明したものか。どう言えば彼女が受ける痛みを和らげられるのか。

 

甘い考えだというのは分かっている。軍人である以上、上からの命令には従わなければならないのは当然のことであるし、個人の心情を慮る余裕など今の人類に残されてはいない。

だが、それでも。伊隅にとって碓氷とは訓練生時代からの親友であり、共に戦い生き残った戦友である。その彼女が悲しむ姿は、出来れば見たくはない。

 

思い悩んだ彼女の足は皆が待っているブリーフィングルームへとは進まず、ここPXへと向かっていた。

少し、考えをまとめたかった。

しかし、いくら考えても結論は変わらない。結局、正直にそのままを話すしかない。

そうだ。残念なことには違いないが、別に戦死したということでもない。それに、もう二度と戦うことが出来ないなどと、そう決まったわけでもないのだから。

 

「あれ、伊隅大尉。もう戻られてたんですか」

 

不意に声を掛けられた。

いつの間にか随分と時間が経っていたのか、A-01の仲間達が昼食をとりにやってきたようだ。

顔を上げれば、そこには伊隅が現在のところ最も目を掛けている男がいた。

鳴海孝之。甘いマスクと情に厚い性格から、新任達のまとめ役的な存在となっている一人だ。衛士としての能力も上々で、特にその指揮官適正の高さから明星作戦前には既に中尉として小隊を一つ任されていた程である。少々優柔不断なところが目に付くが、そこさえ直せれば伊隅や碓氷と並んで部隊の要となれる男であった。

 

因みに、プライベートな場においては優柔不断の度合いがかなり跳ね上がると耳にする。複数の女性から言い寄られているが誰と決めることが出来ず、あちらへこちらへと流されているとか何とか。はっきり言って、女の敵。だが、伊隅には部隊運営に支障が出ない限りにおいて、その辺りにまで口を出す意思はない。結局のところ本人同士の問題であり、下手に他人が介入しても犬も喰わないものを喰わされるだけだろうから。それになにより、男で苦労するのは鈍感だけで充分だ。

 

「お疲れ様です、大尉。今日はどんな無理難題をふっかけられたんですか? ……って、あれ、階級章が……」

 

鳴海の後に続くのは、彼の相棒とでもいった存在。

平慎二中尉。面倒見のいい質で、彼もまた新任達の精神的な支えとなっている。その彼が、伊隅の襟元に視線を注ぎ、目を丸くした。そして姿勢を正す。仲間内での礼儀は最低限でいいというA-01の流儀に従って、どこか冗談じみた態度ではあったが。それでも、その目に光る畏敬の念は本当のものだ。

 

「ご昇進おめでとうございます、伊隅少佐」

 

そう、伊隅の階級章は、午前中とは違うものになっていた。大尉から位を一つ上げて、少佐へと。

言われて初めて気がついた鳴海が、慌てて平の後に続いて敬礼をする。

そして、そのさらに後ろより。

 

「えー、少佐ぁ? ……うわ、ホントだ。みちる、おめでとうー。

 って、失礼しました、伊隅少佐殿っ! 上官侮辱罪とか言わないでくださいよー」

 

朗らかに笑う、そんな声が。

言うまでもなく、伊隅の苦悩の原因、碓氷である。

 

「あーあ、先を越されちゃったかあ。でもまあ、あたしよりずっと指揮官向きだもんね。みちるの指揮だったら、あたしも……って、あれ……みちるが……指揮官?

 ……じゃ、じゃあ、少佐は? ねえ、黒須少佐はどうなるのっ!?」

 

友人の昇進を素直に喜んでいた碓氷の、その顔が段々と訝しげなものへと変わっていった。

現在のA-01の指揮官は黒須蒼也少佐。そこへ新たに、伊隅が少佐へと位を上げたということは。

隊が新たに新任を迎え規模が大隊を超えることにより蒼也が中佐へ、伊隅が副隊長として少佐となる。そういう可能性もある。

だが、伊隅の顔に浮かぶ隠し切れない悲しげな表情が、碓氷に別の事実を悟らせていた。

 

「……そのことについて、午後からミーティングがある。私と、碓氷。それに鳴海と平、お前達もだ。

 昼食後、1300にA-01専用ブリーフィングルームへと集合するように」

 

伊隅は碓氷の問には答えず、わずかに視線を反らすとそう言った。

常ならば人の目を真正面から見据えて会話する伊隅。そんな彼女のらしかぬ行動が、碓氷の懸念が正しいのだと明白に告げていた。

 

「……そう……了解。あ、鳴海、これあげる。良かったら食べて」

 

碓氷は手にしていた合成親子丼の乗ったトレイを鳴海に押し付けると、席に付くことなくPXの出口へと向き直る。

 

「……大丈夫、1300までには元に戻ってるから。……だから……今は、ごめん」

 

顔は見せずに、背中越しに告げる。

声が、微かに震えていた。

去りゆく彼女に、伊隅は何の言葉も掛けることが出来なかった。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。