あなたが生きた物語   作:河里静那

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34話

 

1998年、8月。

帝都、月詠邸。

 

「……そう」

 

東京新帝都にある月詠のかつての別邸、現在では本邸となった屋敷にて、月詠雪江は受話器越しにある連絡を受けていた。

久しぶりに耳にする妹の声は相変わらずの冷静さを保っているが、それでも言葉の端々からは親しい者にしか感じ取れないであろう、抑えこまれた激情が伝わってくる。

 

「……ううん、教えてくれてありがとう。……ええ……ええ、こっちは大丈夫、セリスさんも元気にやってるわ。……うん、貴方も気をつけて。花純さんと真耶さんにもよろしくと。……ええ、それじゃあまた」

 

積もる話はいくらでもあるが、電話の向こう側は戦場である。ゆっくりと会話を楽しむ余裕などない。それに、もしその時間があったとしても……。

雪江はゆっくりとした動作で受話器を戻すと、そのまま瞳を閉じる。漏れだすような溜息が一つ、口からこぼれた。

 

「月乃さんからですか?」

 

庭でトレーニングを行っていたセリスが、縁側越しに声をかけてきた。

黒いタンクトップにカーゴパンツという、まるで現役時代と変わらぬ服装。汗の浮かんだ肌からは流石にあの頃の瑞々しさは失われていたが、それでも引き締まったシルエットは当時と比べても何ら遜色はない。

セリスは民間人となった後、使う者のいなくなった月詠の道場を借り、衛士養成校へ進むものを対象にした実戦向きのトレーニング指導を行うことで自分の食い扶持を稼いでいた。無論、そのようなことをしなくても月詠家の資産を運用するだけで十分に生きていくことは出来るのだが、何もせずに世話になるだけでは矜持が許さない。それに、自分が培ってきたものを燻らせず誰かに伝えるということは、セリス本人にとっても楽しいことであった。

しかし、かつての人類を代表する衛士から指導を受けられるということで盛況であったその教室も、BETA侵攻に伴う疎開、そして遷都によって生徒も散り散りになってしまい、今は開店休業状態だ。

 

縁側に座り、用意していた水差しからグラスに水を注ぐ。そして口に運び勢い良く傾けると、口唇からこぼれた水が首に流れ一筋の道を作った。それが健康的な絵でありながら、妙に艶かしい。

セリスの問いに、返事はない。雪江は受話器を置いたそのままの姿勢で固まっている。それに気づいたセリスが訝しげに向き直った時、彼女の口が開かれた。

 

「セリスさん……お父様が、亡くなったと」

 

一瞬、世界が灰色に染まった。

夏の暴力的な日差しが降り注ぎ、地面に濃い影を落としている。蝉がそこかしこでやかましく鳴き声を上げている。それなのに、セリスの目には周囲がくすんで写り、耳は静寂のみを捉えていた。

知れず、涙が一筋こぼれた。

月詠翁。彼がいなかったら、自分は今ここにこうしてはいなかっただろう。

蒼也を産むために日本へとやってきて、それからの幸せな日々。蒼也を置いて、鞍馬とともに再び戦場に立てたこと。全て、彼がセリスを月詠の家へと迎え入れてくれたからこそだ。

四人目の娘だと、実の娘と別け隔てなく接してくれ、セリスもまた実の父のように思っていた人。蒼也の祖父となってくれた人。

その月詠瑞俊が、死んだ。

 

「……悲しいわね」

 

グラスを手にしたまま動きを止めたセリスの隣に、雪江が座る。

雪江の言葉に、人形のように焦点の合わさらない目をしたセリスが、無意識のうちにコクリと頷いた。

握りしめたままだったグラスを盆の上に戻してやり、そっとセリスの体を抱き寄せる。

 

「でもね、セリスさん。きっと、お父様は満足だったと思うわ。老いて死ぬのではなく、武人として死ぬことが出来たのだから」

「……それじゃあ、月詠翁は」

「ええ、見事な散り様だったそうよ。真耶さんが看取ってくれたって」

 

戦いの中、己の本懐を遂げて死ぬことが出来た。ならば、それは悲しむことではない。誇らしく、語り継ぐべきことだ。

そう納得しようと、そう心を抑えこもうと。セリスが無理矢理に笑みをつくろうとした時。

 

「……でも、悲しいわね」

 

雪江がポツリと呟いた。

限界だった。

セリスは雪江の胸に顔を埋めると、幼子のように大声を上げて泣き叫んだ。

その背をさする雪江の瞳からも、一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

 

 

「ごめんなさい、取り乱しちゃって」

 

やがて、兎のように赤く染まった目を擦りながら、セリスが恥ずかしげに顔を上げた。

もう40代も半ばだというのに、未だに戦場以外の場所では感情を完全にコントロールすることが出来ない。それを情けなくも思いつつ、何処かに心がまだ擦り切れていないことを喜ばしくも感じる自分がいる。

 

「いいの。こういう時は泣いちゃったほうがすっきりもするから。それに、止めを刺したのは私ですものね」

「姉さん……ありがとう。……あ、着物に染みが」

 

セリスが顔を埋めていた箇所に、涙の染みが出来てしまっている。

 

「これくらい大丈夫よ、気にしないで。それよりも嬉しいわ、セリスさんに姉さんって呼んでもらっちゃった」

 

えっ? ……あ。

しまった、ずっと雪江さんと呼んでいたのに、つい。

セリスの顔が赤く染まった。

 

「ご、ごめんなさい」

「謝らないで。言ったでしょ、嬉しいって。セリスさん、血は繋がっていなくても貴方は私の妹よ、間違いなく」

 

そう言ってにこりと笑う雪江。

こんな時だというのに、嬉しい。温かいものがセリスの心に満ちていく。

自分だって辛いのに、自然と空気を入れ替えてくれる。本当に、強い人。……この人が姉でいてくれて、本当に良かった。

 

「でもね、セリスさん。前にも言ったけど、月詠の家に無理に義理立てしなくてもいいのよ。貴方はまだまだ若くて綺麗なんだから、良い人ができたり、やりたいことがあったりしたら、我慢しなくていいんですからね」

 

顔を少し真面目なものに変え、そう言う。

雪江は思っていた。鞍馬が逝き、蒼也も一人立ちをした今、セリスは新しく自分の為の人生を歩むべきではないのかと。

彼女は月詠の家に恩を感じているのだろうけれど、そんなものを気にする必要などない。そもそも、彼女だけが一方的に与えられていた訳ではないのだ。同じ分だけ、こちらも受け取っていたのだから。それが、家族というものなのだから。

 

「あら、そんなに私をこの家から追い出したいんですか?

 この家に姉さんを一人残すのも可愛そうですから、一緒にいてあげますよ」

 

セリスが笑う。

その額をぺちりと叩き、雪江もまた笑った。

 

「そうだ、セリスさん。今日は飲んじゃいましょうか。お父様のとっておきが隠してあるのよ」

「いいんですか、月乃さんたちの分は残しておかなくて?」

「いいのいいの。セリスさんと、私と、お父様と。三人だけで飲んじゃいましょう」

 

雪江はいそいそと立ち上がり、酒瓶を取りに歩き出す。

その背を追いながら、セリスは思った。もう二人しか残っていない屋敷。家の中はすっかり寂しくなってしまった。だけど、この人が守っている限り、月詠家が終わることはない、と。

 

瞳を閉じ、懐かしい顔を思い出す。

鞍馬、月詠翁……お義父様、私はまだこちらにいます。いずれ会いに行きますので、それまで二人でお酒でも酌み交わしながら待っていてください。

一度、振り返った。

夏の日差しが濃い影を落とす庭に、蝉時雨が響きわたっていた。

 

 

 

 

 

 

 

戦いは、未だ続いている。

侵攻が開始されてより僅か一月余りで帝都陥落にまで至った日本ではあるが、現代の侍たちはその意地を見せつけていた。

京が炎に包まれたあの時より半年、その流れのままならば日本が完全に占領されていてもおかしくはなかったにもかかわらず、国土の占領は関東以西までで抑え込まれている。

しかし、これまでの犠牲は決して少ないものではなかった。

 

1998年10月、二ヶ月間に渡る琵琶湖運河防衛戦の末にこれを突破したBETAは、その勢いのまま瞬く間に北陸へと侵攻。佐渡ヶ島ハイヴの建設が開始された。

そしてこの時、一連の日本本土防衛戦においてある意味で最も悲劇的な、あるいは喜劇的な事件が起こる。長野県付近で一旦BETAが侵攻を停滞させたその隙に、アメリカは日米安全保障条約を一方的に破棄。在日米国軍を撤退させたのだ。

 

アメリカが主張した条約破棄の理由として、帝国軍の度重なる命令不服従が主に挙げられている。だが、日米安保条約は平等な立場で締結された相互条約であり、帝国軍が在日米軍の一方的な指揮下に入るというものではない。にも関わらず命令不服従を理由に上げるその傲慢な態度に、光州の悲劇により高まっていた反米感情はさらなるうねりを上げて燃え上がることになる。

これにより、一時は国内に居住する何の罪もない外国人達へも敵意の目が向けられることになり、その安全を確保する為に将軍自らが国民へと向け自重を求める声明を発するまでに至った。

 

帝国軍によるアメリカへの不信感は、その戦力の大半をアメリカに由来する国連軍にまで及ぶ。そしてそれにより、さらなる悲劇が巻き起こった。

二軍間の連携がぎこちないものとなったその隙を突くように、BETAの東進が再開されたのだ。西関東を制圧下に置いたBETAはそのまま東京新帝都を飲み込むかと思われた。しかし、BETAは帝都直前で突如転進。横浜へと向かい、そこに国内第二のハイヴを築き始めた。

 

これが1998年12月のこと。

これ以降現在まで、多摩川を挟んでの膠着状態が続いており、帝国軍は24時間体制の間引き作戦によって懸命にBETAの体力を少しづつ奪いつづけている。

しかし、いくら間引き作戦を続けていても根源的な解決とはならないことは周知の事実であり、やがて帝国国民の間には諦観の様相が見え始めていた。

 

だが、今年1999年2月。事態はさらなる展開を見せる。

ここまで日本を侵略された責任を取るという形で、政威大将軍斎御司経盛が退位を表明。

そして新たに親任された将軍、若き煌武院悠陽の下、横浜ハイヴ殲滅と本州島奪還を目的とした作戦が発表された。

アジア方面においては過去最大の、そしてBETA大戦史上においてはパレオロゴス作戦に次ぐ規模となる大反攻作戦──明星作戦である。

 

 

 

 

 

 

 

1999年、3月。

国連軍仙台基地。

 

オルタネイティブ4司令部はBETAが琵琶湖防衛線を突破した際に、ここ国連軍仙台基地へとその本拠地を移していた。

ようやく白陵基地を接収し、基地内に様々な改修を施し始めた矢先のことであったが、用心を重ねるに越したことはない。イレギュラー的な理由で第四計画を頓挫させるなど、あってはならないのだ。そしてこの措置は正しかったことが証明された。白陵基地は現在、積み重なった瓦礫としてしか存在していない。

 

併設されていた国連軍白陵基地衛士訓練学校もまた同様の措置をとっており、神宮司まりも軍曹とその教え子達も仙台へと移り住んでいる。

そしてこの日、春までに鍛えあげるという約束を果たした神宮司軍曹によって12人の若獅子が送り出され、新たにA-01部隊へと加わった。先に入隊した者を合わせ、これで総勢36人。一個大隊規模となった部隊はようやく、本格的な作戦行動を再開できることになった。

新任を組み込んで編成され直した中隊は三つ。第一から第六中隊までは重慶で散った英霊達に敬意を表して欠番とされ、第七から第九までの三個中隊。

 

前衛を担当するのは第七中隊デリングス、率いるは突撃前衛長として鳴らした碓氷桂奈大尉。

後衛に第八中隊フリッグス、大隊指揮官を兼ねる黒須蒼也少佐が指揮を執る。

そして、第九中隊ヴァルキリーズ。中衛として臨機応変な対応を求められるこの隊の隊長には、伊隅みちる大尉が就任した。

 

「と、いう訳で。僕達も明星作戦へと参加することになりました」

 

今、隊員一同は初めての全体ブリーフィングへと臨んでいる。

期待に胸を膨らす者、不安に押しつぶされそうな者、復讐心に燃える者、隊員と同じ数だけの様々な感情が渦巻く室内、壇上に立った蒼也が口にした第一声がこれであった。

 

何が、という訳なんだと。

新任たちの心が見事に一つとなり、心の中で突っ込みを入れた。

 

「……少佐、我々はまだしも、新任達が置いてけぼりになっています。最初くらいは筋道立ててやってもらえませんか」

 

あんた達の気持ち、よく分かるわよ、と。自身も同じように混乱したA-01の連隊発足式を思い出しながら、蒼也の脇に立つ伊隅が冷たい声音で、表面上は慇懃に諌める。

 

「副司令を連れて来なかっただけ、褒めてもらいたいくらいなんだけどな。それに、うちの隊のやり方に、早いうちに慣れたほうがいいでしょ?

 ……まあ、仕方ない。怖いお姉さんが怒っているし、順を追って説明しようか」

 

副司令がどうしたって? 蒼也の言葉に疑問符が頭の上に浮かぶ新任達。

もう、すぐそこまで来ている未来、彼等がその言葉の意味を理解するときがくるのだが……それはまた、別の話になる。

 

「まず、僕達の立場を明確にしておこう。

 僕達は、香月夕呼副司令が主導する国連の秘密計画、オルタネイティヴ第四計画を遂行するための特殊部隊だ」

 

蒼也が新任へと改めて向き直り、どこか真面目になりきれていない印象を受ける声を上げた。

先ほどのやり取りがなかったとしても、威厳ある、とはとても言えない態度。それでも、彼の言葉を聞き逃さないように、自然と耳が傾けられる。

軍人としての習性というものもある。だがそれ以上に、上に立つ立場の人間の言葉とはこういうものなのだろうか、そう思わせるものが蒼也の声にはあった。

 

「第四計画の目的はBETAの情報を収集すること。残念ながら、詳細については今は明かせない。知りたいのなら、頑張って出世するように。

 そして今回の明星作戦は、国連、ひいては第四計画が主導する作戦となる。

 ……つまりは、そういうこと。

 残念ながら、今回はハイヴへの突入はない。だけど副司令直轄部隊として、多大な働きを期待されているのは間違いないよ」

 

一同の顔に緊張の色が浮かぶ。

 

「いいかい、僕達は精鋭部隊なんだ。

 訓練期間が足りない、実戦経験が足りない、そんなことは残念ながら関係ない。そんなことに関係なく、この部隊にいる以上は精鋭であることが求められている」

 

ここで蒼也は一旦言葉を区切り、全員の顔を見渡した。

一人一人の顔を確認した後、視線を正面に戻すと、ゆっくりと言った。

 

「だから、鍛える。

 これから明星作戦が実行に移される8月までの間、休む暇はないと思っていいよ。36人が一つの生き物のように行動できるようになってもらう。僕の指示を正確に実行できるようになってもらう。

 ……約束するよ。それが出来るようになった時、君達は本当の意味での精鋭部隊になれるって」

 

ずいぶんと軽そうな人間に見えたのだが……やはり特殊部隊の隊長という肩書は伊達ではないようだ。新任達の蒼也を見る目が修正されていく。

いいだろう、やってやろうじゃないか。精鋭とやらになってやろうじゃないか。

彼等の瞳に炎が燃える。

その様子を頼もしげに見守っていた蒼也だったが、ふと何かを思い出したように言葉を継いだ。

 

「そうそう、一つ言っておかなきゃいけなかった。いいかい、君達は無駄に死ぬことを許されていない。この意味、わかるかい?

 ……ええと、君、鳴海少尉」

 

最前列に座っていた一人に尋ねる。

鳴海と呼ばれた少尉は、もう名前を覚えられていることに軽い驚きを感じながら、必死に頭を絞って答えを弾き出した。

 

「はっ! 何があっても生き残らなくてはならないという意味でありますっ!」

 

彼は勢い良く立ち上がってそう言った。

正解と言われることを期待するが……蒼也の返事は彼の欲求を満たすものではなかった。

 

「君達のあるべき思考としては間違いではないけど、残念だけど完全な答えとはいえない。

 ……じゃあ、君。平少尉、君の答えは?」

 

鳴海の隣に座っていた別の一人を指す。

平は少し頭を捻り、ゆっくりと言った。

 

「それが無駄でないなら、死んでも構わない……ということでしょうか?」

 

その答えに、蒼也が頷いた。

 

「正解だよ。君達の命は非常に大きいコストだ。一人の衛士を生み出すためにかかった費用は莫大なものだし、さらに精鋭部隊としての付加価値も加わってくる。

 だけど、それは決して代えが効かないというものではない。君達のコスト以上の価値のあるもの、本当にかけがえの無いもの、例えば第四計画そのものとも言える香月副司令を守るためなら、僕はこう命令しなくてはいけない」

 

ゆっくりと、平の瞳を見つめる。

 

「死ね……ってね」

 

平の背筋に冷たいものが流れる。

部屋の温度が数度下がったような気がした。

 

「まあ、今の君達に自分の“死に時”を判断するのは難しいと思うので、とりあえずは鳴海少尉の言うように生き残ることをまず考えて欲しい。僕も、命をコストにして何かを解決しなくてはならないような事態には極力しないつもりだしね。

 それに、軍隊という枠を外して個人の立場で考えるなら、一人の人の命は紛れも無くかけがえの無いものであるんだからね」

 

蒼也の顔が最初のおちゃらけたものに戻る。

一体、どれが本当の彼の顔なのだろうか、今一つ良くわからないが……だが、どうやら彼は尊敬すべき先達には違いない。少なくとも、そう思わせる何かはもっているようだ。

新任達の心に、黒須蒼也という人間が刻み込まれた。

 

「さて、それじゃあ最初は連携訓練からかな。

 総員、衛士強化装備に着替えて再度集合っ!」

 

蒼也の掛け声に隊員が一斉に動き始める。

楽しげな彼の顔を見ながら、いつもこう真面目にやってくれたらあたしの仕事も楽になるのに、と。伊隅はこっそりと溜息を付いた。

 

 

 

明星作戦開始までの戦いの日々。A-01隊員達はその力量を加速度的に高めていった。

基地での過密な訓練の成果を間引き作戦という実戦で確かめ、生じた問題点を訓練で修正し、また実戦へ。

たった数ヶ月が数年にも感じる、密度の濃い、濃すぎる日々。

フリッグ01、黒須蒼也少佐の指揮の下、36機の戦術機がまるで群体ともいうべき、彼の言葉通りに一つの生き物のように緻密に連携していくようになるまで、そう時間はかからなかった。

今、彼等は自身を誇ることが出来た。自分達は紛れも無く、精鋭であると。

 

……それにしても、フリッグとはよく言ったものだ。北欧神話における主神オーディンの妻であり、予言の能力を持つ女神。これほどまでに彼に相応しいコールサインが、他にあるだろうか。

彼の予言があるならば、きっと日本を取り戻すことが出来る。きっと、人類は勝てる。

そう彼等に確信させるだけのものを、蒼也は示し続けてきたのだった。

 

そして、ついに運命の日を迎える。

交戦勢力として、国連軍、日本帝国軍、日本帝国斯衛軍、大東亜連合軍。

作戦目的は、新帝都東京へのBETA進行阻止。

作戦目標、横浜ハイヴ制圧及び本州島奪還。

そして作戦立案、オルタネイティヴ第四計画司令部。

人類にとって、日本の民にとって、そして蒼也にとって、決して忘れられぬものとなる。

人類とBETAとの長きにおける戦いにおいて、とある転換となる。

明星作戦決行の、その日を。

 

 

 

 

 

 

 

1999年8月5日。

横浜ハイヴ。

 

開戦の狼煙を上げるかのように、主砲が発射される。

太平洋側と日本海側、それぞれに配備された帝国海軍の各戦艦よりの艦砲交差射撃。それによって、ハイヴへと向かうBETAの後続が寸断された。

 

ハイヴ攻略作戦の概要は、1992年のスワラージ作戦で行われたものを踏襲している。失敗に終わったとはいえ、あの作戦ではハイヴ中層にまで到達できたのだ。さらには明星作戦においては失敗の原因となった問題点も洗い出されて改善がなされており、使用されている装備もより洗練されたものとなっている。

必ず勝てるとは、残念ながら言えない。この世に完全な作戦などというものは存在しないし、イレギュラーはどこにでも発生するものだ。

だが……勝算は、十分にある。人類史上初となるハイヴの奪還。それは最早、夢物語などではない。成し遂げることが出来る、現実なのだ。

 

軌道からの爆撃による重金属雲の発生、さらなる爆撃による光線属腫の排除。戦艦、自走砲、MLRSからの砲撃。そして、戦術機投入による突入門の確保。

作戦は極めて順調に推移していた。

特に、第四計画直轄部隊であるA-01の活躍は目覚ましい。支援砲撃がなされているその最中に敵陣に飛び込むという常軌を逸した作戦行動を取りながら、それでいてただの一機も欠くことなく、極めて短時間で門の確保を成し遂げてみせたのだ。

作戦司令部で見守る香月夕呼博士の顔にも、彼女らしかぬ純粋な笑みが浮かんでいる。

勝てる。誰もがそう、確信した。

取り戻せる。誰もがそう、思い描いた。

だが、この瞬間。

誰もが予期していなかった、全く予想外の方向から、事態が急変する介入がなされた。

 

 

 

 

 

蒼也の心に生じたさざ波。例えるなら、それは地震のようなものだった。

何処か遠く、自分の預かり知らぬところで発生した揺れが距離を伝わり、心に揺らぎを起こす。

その揺れが何であるかは分かる。今の自分の存在価値そのものとも言える、未来視の能力が発現しているのだ。自らの意志で発生させたものでは、ない。何か異変が起ころうとしている。

だが、何を見ようとしているのか、意識を集中させても明確な像を結ぼうとしない。今までにない感覚。襲い来る不安感。

軌道部隊の降下時間まで確保した門を維持するための周辺警戒、更に他部隊への援護を行うために様々な指示を飛ばすその最中、意識を傾け続ける。

 

頭痛がする。

まずい。これは、まずい。

何かが起ころうとしている。重大な、何かが。

それが何か、わからない。だが、警戒レベルを引き上げておくべきだろう。

ハイヴ攻略作戦の真っ最中である、今の最高レベルの警戒度より、さらにもう一段階上へ。

具体的に何に注意するべきなのか、それがわからないのがもどかしい。だが、中隊を指揮する伊隅と碓氷の二人には、何かが起こりそうだと、とにかく警戒するべきだと、伝えておくべきだろう。

いたずらに不安を煽るだけの指示にも思えるが、この二人なら自分の意志を汲んでくれるはずだ。

操る機体の向きを変え、二人を視界に捉えようと首を回す。

 

──……えっ?

 

気が付くと、周りの景色が変化していた。

どこまでも蒼い空。

どこまでも白い大地。

ハイヴモニュメントも、BETAも、戦術機も、視界のどこにも存在しない。

ただ、ただ、二つの色のみが支配する、音の無い世界。

 

驚きに心がざわめいた瞬間、ノイズが走るかのように視界が歪み、蒼也は元いた場所へと戻っていた。

劣化ウラン弾が絶え間なく吐き出される轟音が、ここが現実だと教えてくれる。

 

──今のは……何だ?

 

頭が痛い。

何かが起きている。何かが起きようとしている。

ふと、空を見上げる。

重金属雲が立ち込める、灰色の空。

その雲の向こう、光が見えた。

 

 

 

 

 

「総員、退避いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!」

 

作戦は順調に推移していた。

自部隊の作戦目標を他のどの部隊よりも早く確保し、周囲に手を貸す余裕すらある。

これ以上ないほどに、順調。油断は禁物だが、それでも伊隅の顔には満足気な色が浮かんでいた。

 

しかし、この瞬間。A-01専用回線に、蒼也の悲鳴のような叫びが響き渡った。

何が起きた?

明らかに様子がおかしい。重慶での錯乱した姿が思い出される。

この指示に従ってもいいのか、確保した門を放棄してもいいのか、理性が疑問を唱える。

新任達に動揺が見える。彼等にとって、蒼也は絶対の存在だ。その彼が悲鳴を上げている。抑えこまれていた恐怖が蘇る。

伊隅が決断を下した。少佐の指示に従うべきだ、と。ここで動かなければ、部隊がバラバラになりかねない。

 

「大隊各機、戦域から離脱するぞっ! 中隊毎に01を先頭に楔壱型陣形で……」

「……こちら、合衆国宇宙総軍。

 22号ハイヴ攻略中の全部隊に告ぐ……至急、退避せよ。繰り替えす、至急退避せよ」

 

伊隅が蒼也に代わって詳細な指示を下そうとしたその時、オープンチャンネルから戦域全体を対象とした通信が流れだした。

 

「合衆国は新型ハイヴ攻略兵器の使用を決定した。新型兵器の効果範囲より、至急退避せよ」

 

 

 

 

 

頭が痛い。

雲の向こうから、輝く二つの流れ星が落ちてくるのが“視える”。

アレはまずい。

アレは落としちゃいけない。

部隊が全開噴射で撤退を開始する中、蒼也はただ一人、そこに立ち留まっていた。

両の腕に構えた突撃砲を空へと向ける。さらに背面武器担架のものも加えて四門の同時射撃。

届くはずがない。それは分かっていた。

撃ち落とせるはずなどない。それは理解していた。

それでも、撃ち続ける。

アレは、あってはならないものなのだから。

 

周囲の大地から、光の矢が空へと向けて放たれる。

戦術機を一撃で火球に変えるその輝きが流れ星へと辿り着き……そしてその軌跡を捻じ曲げられた。

駄目だ、何をやってもアレを撃ち落とすことは出来ない。

 

でも。

それでも。

あんな未来を、認めるわけにはいかないんだっ!!

 

あの塩の大地は、アレが落とされ続けた未来の姿。

あんな世界にするために、人は戦い続けてきたんじゃない。

あんな世界にするために、父さんは死んだわけじゃない。

だから……アレを落としちゃいけないんだっ!!

 

気がつけば、目からは涙を、口からは雄叫びを漏らしながら、ただ撃ち続けている自分がいた。

もう間もなく、アレは地上へと辿り着き、黒い花を咲かせるだろう。

……駄目か……駄目なのか……。

僕には、アレを止めることが出来ないのかっ!

何が能力だっ!

何が父さんの意思を受け継ぐだっ!

僕には、目の前で起ころうとしている悲劇一つ、止めることが……出来ないっ!

 

──……僕は……無力だ……

 

絶望が心を支配する。

意思が折れそうだ。

それでも、全ては無駄だとわかりながら、ただ空へと向かって撃ち続ける。

 

その蒼也の不知火に、背後から衝撃が加えられた。

銃撃の巻き添えを食らう恐れもあるというのに、蒼也を後ろから羽交い締めにして抑えこもうとする、一機の不知火。

 

「少佐っ! お願いします、撤退してくださいっ! ……お願いですからっ!!」

 

網膜通信に映し出される、瞳に涙をたたえ、そう願う女性の姿。

 

「碓氷っ、何してるのっ! 早く撤退するんだ、間に合わなくなるっ!」

「嫌ですっ!!」

 

碓氷の瞳が訴えていた。

自分が撤退しない限り、彼女も引き下がらないと。

歯を噛みしめる蒼也の唇から、一筋の血が滴り落ちる。

 

──……ちくしょう……ちくしょうっ!……ちくしょうっ!!

 

「ちくしょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

 

蒼也の雄叫びが、人のいなくなった戦場にこだまする。

そして固く瞳を閉じ、再び開いた時。蒼也の目に力強い光が灯っていた。

僕はアレを止められなかった。

悔しい、悔しいっ! 悔しいっ!!

だけど……。

そうだ、生きている限り、まだ取り戻すことが出来る。またやり直すことが出来る。

こんなところで、死んでいいはずがない。

大丈夫、まだ間に合う。ここで死ぬ未来は見えない。

僕も碓氷も……生き残るっ!

 

「……碓氷、撤退するっ! 光線級はこちらを狙わない、跳躍ユニットを全開に吹かして全力で離脱するっ!」

「はいっ!」

「大丈夫、絶対に間に合う。振り返らず、前だけ向いて飛び続けろっ!」

「はいっ!」

「碓氷っ!」

「はいっ!」

「……ありがとう」

 

碓氷の頬が赤く染まった。

そしてその顔に綺麗な、とても美しい笑みを浮かべ、答える。

 

「少佐、生きましょう」

「ああ、もちろんさ」

 

 

 

 

 

燃え盛る跳躍ユニットが持てる限りの力を振り絞り、生み出された爆発的な推進力が機体を前へ前へと進ませる。

強烈なGがのしかかり、体をシートへと押さえつける。

衛士適性が高く、任官からここまで常に前衛をこなしていた碓氷にとっては大した問題にはならない。だが、蒼也には負担の大きすぎる圧力。意識が持って行かれそうになる。

だが、ここで気を失ってしまえば確実に命を落とす。こんなところで死ぬ訳にはいかないと、たった今、誓ったばかりだ。歯を食いしばって生へとしがみつく。

 

頭が痛い。

舞い散る桜、雪の降りしきる森、堕ちてくる駆逐艦。

先程から、脳裏に浮かんでは消えていく、イメージ。

心当たりはない。見たこともない景色、知らない記憶。

 

頭が痛い。

崩れ落ちるモニュメント、朽ちた撃震、磔にされた武御雷。

体が潰れそうだ。視界が歪む。内蔵が掻き乱される。

 

頭が痛い。

落下する流れ星、膨れ上がる黒い光、消滅する佐渡ヶ島。

横浜ハイヴの直上で炸裂したG弾が、効果範囲に存在するすべてのものを消滅させていく。

 

頭が痛い。

背後に迫る黒い球体、重力異常、異世界への扉。

赤い髪の少女がこちらを振り向いた。

 

 

 

 

 

──タケルちゃんっ!!──

 

 

 

 

 

そして蒼也の意識は、暗闇の中へと飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

──ここは、どこだ?

 

白い部屋の中で目を覚ました。

ベッドに寝かされ、頭に繋がれた電極が脇の機器へと伸びている。

腕には点滴。

なるほど……ここは、病院か。

 

だけど、何でこんなところにいるんだ?

頭が痛い。

思い出そうとするも、強烈な頭痛がそれを遮る。

 

喉が渇いた。

サイドテーブルに置かれた水差しからコップに水を注ぎ、一気に飲み干す。

ふと、コップを握りしめる手が目に入った。

じいっと、その手を見つめる。

……自分の手? 自分の体?

よく、わからない。言いようのない違和感が沸き起こる。

 

「目が覚めたようね。良かったわ、三日も意識がなかったのよ」

 

モニターしていたのだろうか、扉の向こうから一人の女性が入ってきた。

上げた髪に眼鏡、そして咥えた煙草。

……誰だったろうか。確かに、知っている人のような気がする。

 

「とりあえず、外傷はないわ。意識が戻らなかったのは五次元効果爆弾とやらの影響なのか、それとも別のものなのか。まだ、なんとも言えないけどね。まあ、生きて帰ってこれて良かったわね、少佐」

 

……少佐? 自分が?

いつの間にそんな階級に?

頭が痛い。……駄目だ、思い出せない。

 

「碓氷も無事よ。というか、あの娘は負傷も何もない、全くの健康体ね。貴方にあの娘の半分でもG耐性があればねえ」

 

……碓氷。

知っている名前。そうだ、自分を生にしがみつかせてくれた人、だ。

ぼんやりと、顔が浮かんでくる。

だけど駄目だ、それ以上考えると……頭が……割れる……。

 

「少佐? ……意識の混濁があるようね。少佐、自分の名前が分かる? 言ってみて」

 

……なまえ……ナマエ……NAMAE……。

……ああ、名前か。

名前……自分の、名前……。

 

「──────ル」

 

 

 

この世界の人類の歴史を川の流れに例えるなら、その行き着く先の海の名を「滅亡」という。

人は、この流れを変えようと、石を川へと向かって投げ続けてきた。

だが、広大な流れはいくら石を投げ入れたところで、その向きを変えるどころか堰き止めることすら出来はしなかった。

 

だが、この瞬間。

たった今、この瞬間に投げ入れられた石は、既に石とは呼べない巨大なものであり、それは川の流れを大きく捻じ曲げた。

新たに流れ着く先が何処になるのか、それはまだわからない。

しかし、確かに流れは変わったのだ。

 

 

 

「少佐、ごめんなさい。よく聞こえなかったわ、もう一度言ってもらえる?」

 

問いを発する香月モトコ女医に、男はこう答えた。

 

「……タケル。俺の名前は……シロガネ、タケル」

 

と。

 

 

 


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