あなたが生きた物語   作:河里静那

32 / 55
32話

 

1998年、7月。

国連太平洋方面軍、白陵基地。

 

「番組の途中ですが、緊急ニュースをお伝え致します。

 只今、近畿及び東海地方が警戒区域へと指定され、住民の皆様への緊急避難命令が発令されました。該当地域にお住まいの方は、政府の支持に従って速やかに避難してください。

 繰り返し、お伝え致します……」

 

誰が見るわけでもなく垂れ流しになっていたテレビが耳障りなサイレンを流しだし、状況がまた一段階悪くなったことを伝えてきた。上ずった声で原稿を読むアナウンサーの顔は血の気を失って蒼白となっており、まるで蝋人形のようにも見える。

昔、不吉な顔ってよく言うけど具体的にどんな顔なのよと、友人と笑いながら話した事があるのを伊隅は思い出していた。今ならわかる。このアナウンサーの顔が、それだ。

 

向かいの席に座っている碓氷がテレビから視線を外し、肺からゆっくりと、大きく空気を吐き出した。ため息という一言で片付けてしまうには足りない様々な感情。怒りと悲しみ、そして焦り。綯い交ぜになったそれらを抑制するために心の中から体の外へと流し去る、そんな嘆息。

彼女は気丈な女性だが、この一月で随分とやつれた。短いながら女性らしく手入れは欠かしていなかった髪の色も、幾分かくすんで見える。

 

戦況は悪い。あのアナウンサーに言われるまでもなく、それはよくわかっていた。

一月前、鉄原からの大侵攻を間近に控え、帝国軍は各地に配備されていた部隊の多くを九州へと集結させた。この白陵基地からも本土防衛軍の戦術機部隊が出動し、基地内に残るのはA-01のみ。

ちょうど良い機会と言ってはなんだが、帝国軍がいなくなったことを機に、この基地はようやく国連軍へと明け渡されることとなった。それに伴い、基地司令と共に多数の部隊が赴任してきたが、その部隊もまた着任と同時に西へと向かって旅立っていった。

 

そうして引かれた鉄壁の防衛陣だったが、人の努力を嘲笑うかのように、天はこの国を見放した。かつての元寇の際に侵略者から国を守った神風が、今度は敵となって吹き荒れたのである。

跳躍の封印された戦術機、進まぬ海軍兵力の洋上展開、孤立する地上部隊。風速40mを超える激風の中での防衛は困難を極めた。そしてついには、水際の守りを突破され、本土への侵攻を許してしまったのだ。

緒戦で勢いを削ぐことの出来なかった付けは高く、押し寄せる侵略者の高波は瞬く間に姫路の第一次帝都防衛線にまで到達する。僅か、一週間での出来事であった。

 

ため息も伝染するのだろうか、伊隅の肺からも空気の塊が吐出された。

PXの中に二人以外の人影はない。

食事の時間から少し外れているというだけでなく、単純に基地内のほとんどの部隊が出払っているのだ。何の為なのかは言うまでもないだろう。

静かな空間が苛立ちを募らせる。

伊隅は当然、自分達A-01部隊も西へと向かって出動するとばかり思っていたし、そう希望してもいた。しかし、下された命令は無常にも基地内待機であった。

 

「他の部隊と連携を取りにくい特殊部隊、数はたったの十二機。駆けつけたところで何の役に立つっていうのよ。しかも、隊長は壊れかけよ?」

 

香月副司令の言葉を思い出す。

正しい意見だ。確かに言うとおりに違いない。帝国本土防衛軍に斯衛軍という、日本の戦力の粋を持ってしても抑えきれない大侵攻。対する現在のA-01を鑑みれば、蟷螂の斧という言葉がこれほど合う状況もそうはないだろう。

 

だが、そんな理屈でこの気持ちを抑えきれるものではない。たとえ僅かでも侵攻を抑えることが出来るならば、自分の生命を使うことに躊躇いなどどこにもない。重慶で英霊となった戦友達は、実際にそれをやってのけたのだから。

 

──せめて、少佐が万全だったら……

 

彼が指揮を執るならば、たかが一個中隊の戦力とはいえ十二分な働きを見せるに違いない。大陸で演出してみせた幾つもの奇跡がそれを証明している。

自分を副官としてこき使い、散々に弄り倒してきた、年若い悪戯好きの上官。とはいえ、その能力は間違いなく信用しているし、信頼もしている。性格的にも……まあ、嫌いではない。

 

「……少佐がいてくれればね」

 

碓氷がポツリと呟いた。

どうやら、同じことを考えていたらしい。

 

「持病が再発したって言うけど……もう一ヶ月か」

 

大陸から帰還してすぐ、彼は治療の為に隊を離れた。今も基地内の何処かにはいるはずだが、その後の音沙汰はない。持病というのが一体何の病気なのかも明らかにされていない。

現在は伊隅が仮の連隊指揮官となっているが、基地の防衛という名ばかりの任務の他には特段、するべきことが無いのが現状だ。何れにせよ一個中隊のみの戦力では、新しく隊員が入隊してくるまでは開店休業の状態が続くことだろう。

 

「なに碓氷、少佐がいなくて寂しいの?」

 

伊隅が軽口を叩いてきた。

 

「まだ若いのに佐官だし、中々のお買得物件よね。ハーフなのとあの性格がちょっとネックだけど」

 

同期の碓氷への気安さもあるとはいえ、仮にも軍務中にもかかわらず彼女がこういったことを口にするのは珍しいことだ。

重苦しい空気を変えようと、気を使ってくれたのだろう。伊隅の気遣いに感謝しつつ、ならばとこちらも軽口を返す碓氷。

 

「お、上から目線とは。流石、お相手のいる方は余裕ですな。正樹君だっけ? 可愛い可愛い年下の男の子~って」

「……余裕……な訳、ないでしょ……」

 

調子っ外れに節を付けた碓氷の歌を聞いて、伊隅が机に突っ伏した。絞るように声を出す。

藪をつついたら蛇が出てきた。慣れないことはするものじゃない。

 

「ああ、ライバル多かったんだっけ」

「……ここに入ってから、一度も会ってないのよ……。こうしてる間にも姉さんや妹達が正樹にちょっかい出してるかと思うと……」

「あはは、特殊部隊ってこういう時は不利ねー。しっかし、四姉妹で一人の男を取り合うって、何度聞いてもすごいわ。よく仲悪くならないよね」

「姉さんとはたまにぶつかるけど……まあ、姉妹仲はいいほうかな」

 

あ、いいこと思いついた。碓氷の瞳がキラリと輝く。

 

「いっそ、四人揃ってお嫁さん……とかいいんじゃない?」

「あながち冗談になりそうもないんだから、やめてよ」

「男女比偏ってるからねー。戦争が終わったら重婚とか出来るようになるよ、きっと」

 

想像してみる。

ウェディングドレスに身を包んだ四人に囲まれる正樹。うん、見てきたように絵が浮かぶ。

あ、なんかムカついてきた。

 

「ああもう、やめやめ。とりあえず、ちゃっちゃと日本からBETA追い出して正樹に会いに行こう。うん、そうしよう」

「そうだねー……まずは勝たないと、ね」

 

僅かに憂いだ顔を覗かせた碓氷が、無意識にテレビへと視線を送る。

モニターの中では、変わらず不吉な顔をしたアナウンサーが必死の声をあげていた。

 

「ねえ、みちる」

 

再び訪れた沈黙を遮る碓氷の声。

しかし、それは先程までの楽しげなものではなく、己の罪を神に告白する罪人のものであった。

 

「もし……もし、だよ。あの時、A-01が重慶に残らなかったら、侵攻と台風が重なることもなかったのかな……」

「……碓氷」

「日本がここまで攻めこまれてるのは、あたし達が大陸で頑張っちゃったから、なのかなって──」

「碓氷っ!!」

 

碓氷の声を遮る強い叫び。両の掌をテーブルに強く叩きつけ、その勢いのままに立ち上がる。紙コップが倒れて、褐色の液体がテーブルの上に地図を描いた。

ここがかつての賑わいのままであったなら、PX中の人間がこちらを注目したことだろう。

立ち上がった体勢のまま、伊隅は顔だけは上げずに下を向き、胃の腑から吐き出すように声を絞り出した。

 

「……駄目だ、碓氷。それは、駄目だ」

「……みちる」

「台風が来てしまったのは誰のせいでもないし、一ヶ月の時間を稼いだからこそ、多くの人間の生命が助かったんだ」

「……うん」

「今でさえ何万人も死んでる。これがもし、民間人が避難する時間もなかったなら、下手すれば何千万もの生命が失われていてもおかしくはなかった……だからっ!」

 

顔を上げた伊隅の瞳には、涙が滲んでいた。

碓氷に言われるまでもなく、その考えは伊隅の心にも影を落としていたのだ。

日本の民が何万人も死んだ責任は自分達にあるのではないのかという、恐れが。重慶で散った戦友たちの生命こそがこの現状の原因なのではないかという、恐怖が。

 

「だから……そんなこと、言っちゃ駄目なんだ……」

「うん……ごめん、みちる」

 

碓氷は伊隅の横に回ると、彼女を抱くようにそっと引き寄せた。

一度高ぶった感情はおさまりを見せず、碓氷の肩に頭をあずけ、伊隅は静かに涙を流し続ける。

 

──少佐……はやく、帰ってきてください……

 

蒼也の不敵な笑顔を思い描いた碓氷の瞳からも、一筋の雫がこぼれ落ちた。

 

 

 

 

 

「で、奴の様子はどう?」

 

その頃、香月は専用の執務室で問を発していた。

尋ねられた女性が白衣の内ポケットからタバコを取り出し、口に咥えて火を付ける。

視線が無意識の内に室内を彷徨った。灰皿を探しているのだろう。

 

「……アタシ、吸わないんだけど」

「あら、そうだったかしら」

 

責めるような香月の目を気にする素振りも見せず、女性は煙をふうと吐き出した。短くなったタバコから、崩れるように灰が床へと落ちる。

女性はこの白陵基地に勤める軍医であり、姓は副司令と同じ香月。夕呼の実の姉、モトコである。

 

「後催眠に薬物……言われるとおりに症状を抑えこんだわよ。気乗りしなかったけど……本人も望んでいたしね」

「なら、復帰させてもいいわね」

 

恨みがましい視線を落ちた灰に向ける豊かな表情とは裏腹に、言葉は計画を主導する責任者としての冷徹なもの。

 

「いえ……やめたほうが無難ね」

「治ったんじゃないの?」

「無理矢理に抑えこんでるだけよ。一月で治るわけ無いでしょ」

 

モトコはつき放つようにそう言うと、タバコを床に投げ捨て靴の裏でもみ消した。

夕呼の視線に含まれる苛立ちの割合が増していく。

 

「トラウマの克服なんて一朝一夕で出来るものじゃないわ。長年PTSDで苦しんでいる人がどれだけいると思っているの?

 私のような軍医じゃなく専門のカウンセラーに診せた上で、時間をかけて向き合っていくべき問題よ」

「そんな時間がないのはわかるでしょ。それに、専門は脳科学でしょ? 頭の中の問題なんだから、近いっちゃ近いじゃない」

「仮にも科学者の言葉とも思えないわね。象と鯨ほどに違うわよ」

「どっちも、同じ哺乳類よ」

 

左手を頭に当てて首を振るモトコ。二本目のタバコに火が付けられた。

 

「ロボトミーでもやれっての? それこそ使い物にならなくなるわよ」

「……繰り返すけど、時間がないの。それに、アイツをおいそれと外部の医者に診せるわけにも行かないのよ。信用できると判断してある程度は話したけど、これ以上のことは例え姉さんでも言えないんだから」

 

モトコが頭に当てていた左手で髪をかきむしった。

しばしの沈黙の後、諦めたように溜息をつく。

 

「……トラウマ克服の方法は大きく分けて二つあるわ」

「聞かせて」

「一つは時間の優しい残酷さに任せること。時の流れは喜びも悲しみも風化させていくわ」

「当然、却下よ」

 

二本目のタバコが踏み潰され、そして新しい紫煙が漂う。

 

「……もう一つは、トラウマとなった出来事を客観的な目線から追体験させること。第三者的な立場で事件を思い返すことで、これはもう終わった出来事なんだと心に納得させるのよ」

「なるほど」

「ただし、これも本来なら十分な時間をかけて行う方法よ。無理をすればより深いトラウマが刻まれるか……最悪、精神が崩壊する恐れがあるわ」

「そうなったら、それまでの男だったということよ」

 

夕呼の口の端が持ち上がり、歪んだ笑みを形作った。

 

「ありがとう、姉さん。第三者の目から追体験、ちょうど良い人物に心あたりがあるわ」

「……そう。良い方向に向かうことを祈ってるわ」

「お礼に、そこの吸い殻の掃除はこっちでやっといてあげるわ」

 

その言葉に返事を返すことなく、モトコは執務室を後にした。

どうしようもない遣る瀬なさが胸にこみ上げる。

 

──無力なものね、医者なんて。

 

自らを嘲笑うようにそう呟く。

人気の無い廊下に煙とヒールの音だけが満ち、やがて遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

 

 

1998年、8月。

京都。

 

「責は、この儂にこそある」

 

場は、空気が固形化したかのような重苦しい雰囲に包み込まれていた。

帝国を代表する文官が列席する会議室、常ならば弁舌に長けた彼等の喧々諤々な議論が行われる部屋。しかし、今この場で口を開くものは一人しかいない。

 

「兵達は皆、よく戦ってくれた。決断を下したのは……罪を背負うべきは、この儂じゃ」

「殿下……」

 

首相である榊是親が将軍の痛みを察し、沈痛な面持ちで言葉を漏らす。

 

「……京都を、放棄する」

 

日本帝国政威大将軍、斎御司経盛は居並ぶ家臣を前にそう宣言した。

 

 

 

7月末、姫路から神戸、そして大阪へと徐々に後退を続けながら、それでも自らの生命を盾としてBETAの侵攻を抑え続けてきた帝国本土防衛軍九州方面部隊が、ついに壊滅する。

そして、最早帝都の陥落は避けられぬものと判断した政府は、断腸の思いで決断を下した。平安の世から続く千年の都に、終焉の訪れる時が来たのだ。

 

防衛線を守りに適した琵琶湖運河へと引き下げ、そこに残された戦力を再集結させる。それまでの時間を稼ぐべく帝都の前に最後の壁として立つのは、斯衛の仕事に他ならなかった。

紅蓮醍三郎大将麾下の第1大隊、月詠花純中佐率いる第12大隊、そして斑鳩崇継少佐の第16大隊。これまでの激戦をくぐり抜けても尚、十分な戦力を維持していた彼等を中心として、戦術機が文字通りの鉄の壁としてBETAの前に立ちはだかったのだ。

支援砲撃として大阪湾、若狭湾、そして琵琶湖に配された帝国海軍艦隊からの艦砲射撃、更には軌道からの爆撃をもって歴史ある街並みを自ら瓦礫に変えつつ、彼等は懸命に戦った。

……一部の僧など、最後まで避難を拒否した民間人の命を、その手で奪いながら。その重みを、背負いながら。

 

この戦いには、出し得る全ての戦力が費やされることとなった。

斯衛の各大隊だけではなく、予備役の立場にある者、あるいは退役した者、そして衛士訓練生。戦術機の操縦が可能であるものは漏れ無く召集され、残されていた全ての予備機が投入された。

彼等に恐怖がなかったわけではない。だが、召集を拒否する者はひとりとしていなかった。それが、斯衛としての誇りであったのだから。

 

そして、8月10日。

帝国政府は在日米軍及び国連軍に、京都の放棄と東京への正式な遷都を通達した。

 

 

 

「頃合いにございます……御下知をっ!」

 

斯衛第16大隊の副隊長を務める月詠真耶大尉が、炎に包まれた帝都を背に、決断を求めた。

 

「月詠、そなたの意見に変わりはないな?」

「ございません、閣下。斯衛は帝国の守護者、瑞鶴は全ての民の刃にございます。民に生き恥をさらしても尚……我らは、生きて戦い続けなければなりません」

 

真耶の言葉に答えるのは、この戦いで最も激しく戦い続け、撤退戦においても命を落とす危険が一番高い殿を敢えて志願した斑鳩崇継少佐。

この状況にありながら、その瞳に宿った強い光はいささかも衰えてはいない。

 

「然り。我ら摂家の不始末にて迷惑をかける。この罪は、いずれ問われよう。

 されば月詠、全軍に通達せよっ!

 魚鱗参陣、我らは下京、北の光線級を排除した後、蹴上より山科、大津へと撤退するっ!」

「はっ!」

「皆の者、これが最後の攻勢ぞっ! 殿を務める我が斯衛の戦い、この千年の都に刻みつけて──」

 

そして最後の命令を下そうとした、その時。

 

「お待ちくだされいっ!!」

 

一人の男が発した強い制止の声が、斑鳩の言葉を止めた。

歳を重ねることで得た深い思慮と、そして若かりし頃と変わらぬ勇気を感じさせる声。

指揮官の命令を遮るという、本来あってはならぬ罪を犯したのは。

 

「……月詠の。一体、どういうおつもりかな?」

 

帝国斯衛軍退役少将、月詠瑞俊であった。

彼が召集に応じて参上した時、流石に誰もが無茶だと思った。確かに彼は衛士としての技能と資格をもっている。年齢に比して若々しい体を誇っているのも事実だ。だが、彼は既に齢八十を超える老齢の身なのである。いかに斯衛の一時代を築いた傑物といえど、実戦機動など出来るわけもない。

 

だが同時に、彼の気持ちもよくわかった。口にすることは決してなかったが、彼がどれだけ口惜しく思っているか、子や孫を戦地へと送りながら自らは安全な場所にいることに、どれだけ苦悩していたか。それを皆、よくわかっていたのだ。

ならば比較的後方での支援、あるいは撤退する非戦闘員の護衛を担当してもらおうと、ついには彼を戦術機へと乗せることになったのだが……かつて鬼と呼ばれた男は、周囲の浅慮ではかり切れる存在などではなかった。

瑞俊は、防衛線から浸透して出現した戦車級の一団を、何ら気負うこともなく、ただ一刀をもって斬り伏せてみせたのだ。

そして瑞俊は第16大隊に組み込まれ、これまで斑鳩の指揮の下、奮戦してきたのである。

 

瑞俊は退役少将の位にあるが、指揮系統の混乱を防ぐ為に現在は臨時大尉の階級を与えられている。この場においては、斑鳩少佐こそが上官であった。

その上官の命令を拒否し、更には意見する。場合によっては銃殺すらあり得る重罪である。

しかし、瑞俊は恐れを見せることなく、言い切った。

 

「その大任、この儂に任せては頂けませぬかな」

 

場が静まりかえった。周囲よりの、炎が轟々と燃える音だけが聞こえる。

悩んでいる時間などない。もう間もなく、この場には奴らがやってくるだろう。それ迄にあの光線級を屠り、支援砲撃を有効にしなければならない。さもなくば部隊の全滅すらあり得る。

斑鳩は一つ息をつく。現在の立ち位置がどうであれ、瑞俊は尊敬すべき先達に違いない。だが情に流されてしまっては、指揮官としの責を果たすことなど出来はしない。

斑鳩は瑞俊の意見を却下しようとする。しかし、舌に言葉を乗せようとしたその瞬間、狙いすましたかのように再び瑞俊がそれを遮った。

 

「一個大隊全てと、もともと員数外の老いぼれ一人。危険に晒すとすれば、どちらの方がよろしいかな?」

「……月詠の。それは、主があのBETAの壁をくぐり抜けて光線級の元へと達し、そして屠ることが出来る……その可能性があって初めて成り立つ比較だ」

 

斑鳩の苦々しい言葉にも、瑞俊は怯む様子を見せない。

 

「なに、儂が駄目だったら改めて吶喊なさればよろしい。そう時間がかかるわけでもないですからな」

「……月詠の──」

「閣下、これ以上の問答に割く時間はさすがに惜しい。されば……この老いぼれに、死に場所を与えてはくださらんか?」

 

網膜投影越しに、二人の視線が交錯する。

単騎での光線級吶喊など、常識で考えれば成功するわけがない。が、今ならまだ彼が散るのを見届け、その後に改めて行動するだけの時間は確かに残されている。

そして斑鳩は、決断を下した。

 

「……よかろう。ならば月詠よ、見事に死花、咲かせてまいれっ!」

「されば、とくとご覧あれっ!」

 

瑞俊は歌いあげるようにそう言うと、隊に背を向ける。

 

「真耶よ、後のことは任せたぞ。皆によろしくな」

「はい、少将閣下……お祖父様……ご武運をっ!」

「うむ。では、達者でな」

 

そして真紅の瑞鶴が一機、燃え盛る炎の中へと駆け出した。

 

「……異星の鬼どもよっ! この月詠童子の首、取れるものなら取ってみせよっ!!」

 

 

 

剣の名門、月詠家。その姓は日本神話の神、月読命の名に由来する。

月読命とはその名の通り、月を読む神。つまりは暦を司る神である。

黒須鞍馬より息子蒼也へと受け継がれた、時を見る異能の力。それは本来、月詠の血にこそ色濃く流れていたのではなかろうか。

……そう考えるのは、些か乱暴というものだろうか?

しかしこの時、月詠瑞俊は常識という枠を大きく飛び越えた戦い振りを見せ付け、それを斯衛第16大隊の者達の心へと、確かに深く刻みつけたのである。

 

この日、炎に彩られた千年の都に。

一匹の鬼が、顕現した。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。