あなたが生きた物語   作:河里静那

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31話

 

1998年、1月。

韓国領光州、帝国軍作戦司令部。

 

「閣下、本当によろしいのですね?」

 

彩峰萩閣、帝国軍中将。帝国大陸派遣軍の総司令官たる彼へ向け、副官が最後の確認を行った。

副官の顔には表情といえるものは浮かんでおらず、怒っているのか、呆れているのか、はたまた喜んでいるのか。その心の内を容易に見せようとはしない。

だが、長年に渡って夫婦のように連れ添った間柄だ。彼が自分の決断を受け入れてくれているであろうことを、彩峰は知っていた。

 

三人の子供達の顔を思い出す。彼等もまた副官と同じく、この選択を受け入れてくれるだろうか?

血は繋がっていないが実の息子のように思っているうちの一人、沙霧尚哉は昨年末の戦いで重傷を負い、治療の為に内地へと送られた。部隊の中で唯一生き残ったことは幸運と言ってよかっただろう。だが受けた傷は深く、治療とその後のリハビリが順調に行ったとしても、復帰まで少なくとも一年はかかる見込みだ。

 

もう一人の黒須蒼也もまた、日本にいる。……少なくとも、表向きには。実際のところは何処かの地で戦っているのだろうか。

特殊部隊に所属しているであろう彼については、彩峰といえども任務の詳細を知ることは出来ない。

息災であればいいのだが。ただそれを願うことしか出来ない自分が歯がゆい。

 

この二人は、これから自分が行う事を認めてくれるように思う。率先してか、仕方なくか、その違いはあるにせよ。

だが、最後の一人は……

 

──……慧。

 

おかしなものだ。

血を分けた実の子である彼女がどう思うかだけが、わからない。

思えば、国と民を守るためとはいえ家族を省みない駄目な父であった。先に逝った親友の事を笑えはしない。

だが……

 

──すまぬ。父には、この道を進む事しか出来ぬのだ。

 

静かに目を閉じる。

そして再び開かれた時、その瞳に最早迷いの色が見えることは無かった。

 

「これより、帝国大陸派遣軍は大東亜連合軍と共に民間人救出作戦を実行する。

 全ての責は、この彩峰萩閣が負う。皆、すまないがついてきてくれ」

 

彼の良く通る声が、司令部内に響き渡った。

 

 

 

光州作戦の悲劇。或いは、彩峰中将事件。この事件は、後にこう呼ばれることとなる。

昨年末に韓国領鉄原に新たなハイヴが建設された事により、これ以上の戦線維持は不可能かつ無意味と判断した国連軍及び大東亜連合軍は、朝鮮半島の放棄を決定する。

半島からの撤退作戦が行われるにあたり、これを支援する為、帝国大陸派遣軍は光州作戦を発動。大東亜連合軍が民間人を国外へと脱出させている間、国連軍と共にBETAの侵攻を抑えるのがその目的であった。

 

だが、ここで一つの誤算が起こる。

現地住民の一部が住み慣れた地からの脱出を拒否。その避難救助を大東亜連合軍が優先したことにより、大陸派遣軍は二者選択を迫られることになる。

即ち、防衛線の維持を優先して、現地住民を見捨てるか。

或いは、連合軍に協調して救助活動を行い、国連軍を危険に晒すか。

 

作戦行動を優先するか、人の道を選ぶか。

どちらを選んでも血の流れることは避けられない、正しい答えの存在しない問い。

大陸派遣軍総司令官として、彩峰が選んだ答えは後者であった。

結果として、国連軍司令部が陥落。指揮系統を寸断された国連軍は現場の判断のみで迫り来るBETAに対応せざるを得なくなり、多くの損害を被ることになった。

 

撤退作戦完了後、国連はこの件について日本政府に対し激しい抗議を行い、彩峰の国際軍事法廷への引き渡しを要求。

しかしこの要求に従えば彩峰に同情的である帝国軍からの反発は必至であり、また拒否すれば国際社会の場において日本への風当たりが強くなり、結果としてオルタネイティヴ第四計画が失速することになる。

苦悩を重ねた末、内閣総理大臣、榊是親は人類の最前線を勤める国家の政情が不安定となれば、ひいては人類全体の滅亡へと繋がると弁明。彩峰は国内法による厳重な処罰を行うということで国連を納得させた。

 

彩峰に下された罪状、それは敵前逃亡。

この不名誉な罪を日本の未来のために笑って受け入れた彩峰。彼は一切の弁明をすることなく、銃殺刑に処されることとなった。

榊は彩峰の高潔さに心打たれ、静かに涙したという。

 

この一連の事件により、元よりあまり良いとはいえなかった国連軍、ひいてはアメリカに対する日本国民の感情が更に悪い方へと傾いていき、日本は反米という名の危険な種火を身の内に抱え込むこととなる。

 

怒りと、悲しみと。日本の民の心に深い影を落とすこととなった光州の悲劇。

しかし、この年に訪れた彼等への試練は、これで終わりではなかった。

いや……ここからが、真の地獄の始まりであったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

1998年、6月。

重慶ハイヴ防衛線。

 

凡庸な人物。

特別腕が立つわけでもなければ、指揮に非凡なものがあるわけでもない。周りからの彼への評価はそのようなものであった。また、彼自身、それが正しいものだと思っている。

帝国軍に所属していた頃の階級は少佐。少佐といえば軍の中でもそれなりに高い階級だが、たまたま生き残ってしまったから得た位というのが実際のところ。三十半ばという年齢も鑑みれば、決して出世が早い方とは言えない。

むしろ、おそらくはこれで打ち止めであろうことを考えれば、やはり凡庸。

それが何の因果か国連軍へと引き抜かれ、階級を一つ上げて連隊を指揮する立場になった。だが、それもあくまで代理という形でだ。

 

しかし、彼には一つ才があった。

それは、他人の能力を正当に評価し、その力を十全に発揮させ、より相応しい場所へと送り出す事が出来る人間性。

別に公正であることに強い拘りがあるというわけでもなく、言ってしまえば彼は小市民なだけであったのかもしれない。階級を重ねるごとに大きくなる重責を誰か別の人間に任せてしまいたい。上に立つ人間が優秀であれば、それだけ自分も楽になる。

ただ、それだけのこと。

 

そのような性格をしていた彼は、連隊長代理という今の肩書が持つ意味を正確に把握していた。

それは、部隊の指揮官としては他にもっと相応しい者がいるであろうということ。

代理とは、香月夕呼博士の代わり……ではない、と。

 

彼の名は、後世には伝わっていない。

オルタネイティブ第四計画直轄特殊部隊A-01初代指揮官。その立場故、その彼の名が世に広まることなどなかった。

だが、もし彼がいなかったら、後の歴史は変わっていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

重慶防衛線に派遣されたA-01部隊は、特定の戦域に縛られることなく、自由な裁量を持って戦線の各地を転戦していた。

戦闘のあまり行われていないところを狙って、ではない。常に最も激しい戦いの行われている場所、戦線の崩壊しそうな場所への救援としてでである。

 

「こちら、国連軍A-01部隊。貴官等を援護する」

 

それだけを通信越しに告げ、顔も見せずにただBETAを駆逐し、去っていく部隊。

初陣から一年、彼等は一般の衛士が五年かけて屠る数のBETAを既に血祭りにあげており、その国連ブルーに彩られた不知火の姿は、戦場におけるもっとも新しい伝説として衛士達の間で語られていた。

無論、捧げた犠牲も大きい。第一、第二大隊を中心に決して少なくない数の隊員が九段へと旅立った。だが、それでも戦果と比すれば驚異的な損耗率の低さだったのである。

 

蒼也が持つ予知の力、それが遺憾なく発揮された結果である。しかし、これは連隊長代理である中佐の功績が大きかったと、そうともとれる。

もし彼が下からの意見を無視するようなタイプの人間であったなら、現状は大きく変わっていたであろうこと疑いないのだから。

 

中佐は連隊が発足してからの訓練において、蒼也の流れの先を見据えた戦い振りを散々に見せ付けられていた。彼の持ち味を殺すことの無いよう指揮を執らねばならぬと、固く自分に戒めていた。

だが、まだまだ見誤っていたのだ。初陣から間もなく、中佐はそう悟った。

 

実践に赴いてからの蒼也は、人が変わった。

先を見通すどころではない、本当に未来を知っているとしか思えない。読めぬはずのBETAの行動を読み、勝利への最善手を最短で突き進む。

頼もしく……いや、恐れすら、ある。

 

だが同時に、ある種の危うさも彼に感じていた。

己の体を危険に晒すことを厭わない。勝利の為ならば仲間の命が犠牲になっても構わない。そういう姿勢が見て取れる。

これはBETAと戦う者なら誰しも少なからず持っている感情であろうが、彼の場合は些か大きすぎるようにも思えるのだ。

人を、そして自分を、駒として扱う。まるでゲームでもしているかのように。指揮官という立場ならばそういう冷徹さもまた必要。だが、本当にそれだけでいいのだろうか……

 

A-01の戦い。人類の未来。そして、或いは救世主となるやもしれぬ蒼也のこれから。

それぞれに最善となる方法を考えぬいた中佐は、ある結論を部隊運用において見出した。

それがA-01の指揮を蒼也が執り、自身はそれを支えてやるというもの。

表向きの指揮官は自分のままだが、実戦における蒼也の意見はほぼ無条件で採用する。そして、蒼也が若さ故の危うさで道を踏み外しそうになった時には、反対側から押してやって本道へと戻してやる。

それが、一人の大人としての、自分の役割。そして蒼也を生かすことが人類の希望の道なのだ、と。

 

偶然というべきか、これはかつての“ハイヴ・バスターズ”における鞍馬とラダビノッドとの関係にも似ていたといえる。

これもまた、一つの因果の形なのであろうか。

 

 

 

 

 

状況が急変したのは、数日前の事になる。

重慶ハイヴを監視していた偵察衛星から、信じたくない映像が届けられた。

ここ一年程、重慶ハイヴからの侵攻は比較的穏やかなものが続いていた。だが、その映像に映し出されていたのは、ハイヴ周辺の大地に地肌が見えぬほどに蠢くBETA共の姿。

これまでの静かな侵攻は、この為に力を溜めていたからだとでもいうのだろうか。大規模な、今までにない大規模な侵攻が起ころうとしている。

重慶ハイヴの北、西、南は既にBETAの勢力下に置かれている。侵攻方面は残された東。ユーラシア大陸に唯一残された、人類の最後の領地へと。

 

ユーラシアがほぼBETAの勢力下に置かれ朝鮮半島も陥ちた今、この中国南東部を死守する戦略的重要性はさほど高いとはいえない。それでも未だに人類がこの場に踏み止まっているのは、鉄原ハイヴへと向けてBETAが移動するのを未然に防ぐことが目的となる。変則的な間引き作戦といって良いだろう。ハイヴに存在するBETA個体数が一定数を超えて飽和した時、新たな侵攻が始まるのだ。

 

ほぼBETAの勢力圏の中での戦闘であったが、東シナ海に面していることにより物資の移送と、そしていざというときの撤退が比較的容易であること。それ故にここまでかろうじて防衛を続けることができていた。だが、この数を前にしては、それももはや風前の灯火である。

この地に残っていた統一中華戦線、大東亜連合軍、国連軍は即時撤退の結論を下す。BETA群の総数は推定十万体。三個軍団もの数となる。そしてその数は今後増えることすらあれ、減ることなどない。環境の整った場でならともかく、今ここで相手をするのは自殺と同義だったのだ。

しかし、帝国大陸派遣軍が下した決断は違った。

 

戦闘の続行。

光州の悲劇を受け、国連軍が撤退するまでは持ち場を離れる訳にはいかない派遣軍であったが、それだけが理由ではない。

この膨大な群れが到達した時、鉄原ハイヴは確実に飽和状態に陥ることだろう。つまりは、時を置かず次の侵攻が始まる。パレオロゴス作戦後のBETA大侵攻を思いかえせば、その可能性は非常に大きかった。

 

日本が、危ない。

鉄原ハイヴからの侵攻で真っ先に標的になるのは、他でもない彼等の故郷なのだった。

重慶から鉄原までBETAがたどり着くのに最短で三日。時を置かずの再侵攻が始まったとして、鉄原から九州まで一日。合わせても四日、これでは万全の体制で迎え撃つ準備が取れるとはとてもいえない。

時間を稼がなくてはならない。もはや日本への侵攻は避けられないものとはいえ、せめて水際で食い止められるように。祖国をあの異形の物どもに支配されないが為に、いまや黄金よりも貴重となった砂時計の砂粒を掻き集め無くてはならない。

 

大陸派遣軍の必死の訴えに、光州の悲劇において云わば借りを作った形になる大東亜連合軍が応える。

危機的状況に陥った際には無条件で東シナ海へと撤退する、それを条件にではあるが彼等は一度下した決断を覆し、派遣軍へと力を貸すことになった。だが、それは単なる建前ともいえる。実際にその状況になった場合、無事に撤退することなど最早不可能であろうから。

光州の悲劇はたしかに遺恨をもたらした。だがその中に確かに希望も生み出されたのだ。それがこの、大東亜連合軍との絆だった。

 

この絶望的状況下において、A-01部隊が選ぶべき道は一つしかなかった。

 

 

 

 

 

──まずい……かな。

 

地平線の彼方から、土埃の壁が迫ってくる。

全高およそ20mの不知火から見える地平線までの距離は約16km。時速170kmの突撃級が到達するまで5分半。それが、残された時間。

 

蒼也の脳内に未来の姿が描かれていく。

突撃級の群れを縫うようにすり抜けようとして……潰される。

別ルートから……轢かれた。

こっちからは……無駄。

噴射跳躍で乗り越えて……着地する場所すらない。

 

駄目、駄目、駄目駄目駄目駄目駄目……。

死、死死、死死死、死死死死死死死死死死死死死死……。

 

答えの出ない問いかけ。終わりのない死の連鎖。

ねっとりとした、粘度の高い汗が額を流れ落ちていく。

 

──いくらなんでも、数が……多すぎるっ!

 

今この場に展開している部隊は決して多くはない。A-01が惹き付け、大陸派遣軍と大東亜連合軍の支援部隊で止めを刺す布陣だが……この数のみで殲滅するのは不可能。

初めて戦場に赴いてから二年と三ヶ月。蒼也は今、本当の意味で初めて自身の死を間近に感じていた。

 

体の震えを止められない。

死ぬこと自体は怖くない。怖いのは、人類の滅亡を止められないこと。

そう、思っていた。

だがそんなものは、ただの現実を知らない浅はかさに過ぎなかったのだろうか。

怖い。吐き気がする。頭が痛い。

……情けない。僕はこの程度の人間だったのか。

絶え間なく襲い来る頭痛を、頭を振って無理に追い出そうとする。そんなことで治まるはずもなかったが、気持ちの上だけでも負けていたくなかった。

地平線の彼方を睨みつける。くそっ、上手く焦点が定まらない。

 

ふと。BETAの群れへと向かって駆け抜けて行く一機の戦術機の姿が見えた。

 

──あれは誰だ?

 

不知火ではない。あれは……ファイティング・ファルコン。

手にした獲物は一振りの長刀のみ。

 

頭が割れる。

視界が反転する。

夏の暴力的な日差しがいつの間にか消え去り、気が付けば薄暗い洞窟の中にいた。

周囲には蠢くBETA共。先程のF-16が動かぬ半身を引きずるように舞を舞う。

 

──…………っ!!!

 

声にならぬ悲鳴を上げた時、夢から覚めたかのように、自分が変わらず不知火の管制ユニットの中にいることに気がついた。

時間を確認する。まだ十秒も経っていない。

 

──……なんで……今頃になって……

 

覚悟を決めたつもりでいた。

実際にBETAの姿を目の当たりにしても心は動かされず、奇跡と呼ばれるほどの戦果を上げてきた。

なのに、何故なのか。

何故、克服したはずのトラウマが今になって蘇ってきたのか。

 

……克服など、してはいなかったのだ。

蒼也のこれまでの戦いは、端から見ていかに異常な戦果を上げたものであったとしても、それは真の意味で命を懸けたものなどではなかった。

例えるなら、答えのわかっているパズルを解いているようなもの。

そこに恐怖など感じるはずもない。見せかけだけの、勇気。

それが、初めて自分の能力のみではどうにも出来ない事態に直面し、化けの皮が剥がれた。

 

視界の果てには土煙。現実と幻のBETAが重なりあって襲い来る。

心臓が死神の手で鷲掴みにされたかのように、酷く痛んだ。

 

 

 

 

 

「どうした、黒須」

 

先程から黒須少佐の様子がおかしい。声をかけても返事が返ってくる様子がない。

映像を繋ぐと、瞳孔が開き呼吸が乱れているのが見て取れた。

バイタルを確認する。心拍数と体温、血圧の異常上昇。これは……

 

──フラッシュバックかっ!?

 

中佐はこの症状に覚えがあった。

かつての部下が同じ症状に悩まされ、衛士としての未来が閉ざされたことがある。

しかし、何故突然?

いや、フラッシュバックとは突然に起こるものだが、それでもこれまでの戦いの中でそのような兆候を示したことなどなかったというのに。

BETAが怖い?

突撃級の脇をすり抜けるような真似をする奴だぞ。並みの図太さではないのだが。

この数が問題なのか?

確かにこれまでにない数には違いないが。だがしかし。

 

……いや、今そんなことを考えてもどうしようもない。

考えるべきは、フラッシュバックの原因を探ることではない。これからどうするか、だ。

バッドトリップが怖いが、後催眠暗示か鎮静剤を使うべきだろうか。だが、薬で無理に落ち着かせたとして、それで使い物になるか?

こいつの場合、あの先読みが出来なければ並の衛士以下だ。作られた平常心では大して役に立つとも思えん。

どうする? 無駄に散らすには惜しすぎる奴だ。何がトラウマになっているのかは分からんが、克服できるならば今後の戦いの鍵なる男なのは間違いない。

いや……克服できるなら、などと甘いことを言える状況ではないな、人類は。無理にでも、克服してもらわなければならない。

……仕方ない、な。

 

「伊隅」

「は、はいっ!」

 

返事をしない蒼也を訝しんでいたところに、いきなり名を呼ばれて声が上ずる伊隅。

 

「お前、臨時で中隊の指揮を執れ。第三大隊アルファ中隊はこの場を離脱しろ」

「えっ!?」

「復唱っ!」

「はっ! 伊隅中尉、第三大隊アルファ中隊の指揮を執り、この場より離脱しますっ!」

「よし。……碓氷」

「はっ!」

「前衛はお前だ。海に出るまで気を抜くな」

「了解っ!」

「あ、あの、中佐っ! その、黒須少佐は……?」

 

この一年で蒼也に絶大な信頼を寄せるようになっている伊隅だ。彼の様子がおかしいことことが、さぞ心配なのだろう。

 

「何とも言えん。だが、早急に医者に診せろ。現状、使い物にならんが……こいつはここで死なせるわけにはいかん。まだまだ働いてもらわないとな」

 

そう言って笑う中佐。

静かで穏やかな笑みだった。

その顔を見て、覚悟を決めた。見捨てる覚悟を。

伊隅は他の一機と共に、蒼也機を両側から肩を貸すように挟みこむと、跳躍ユニットに火を入れる。

 

「いいか、お前ら。今回は黒須抜きだが、別に全滅するまで戦えって言う訳じゃない。適当に時間を稼いだら離脱するぞ。まあ、気楽に行けや」

 

部隊全員へと向けたチャンネルから聞こえてくる中佐の声。

引かれる後ろ髪を切り落とし、十二機の不知火がその場を後にした。

 

 

 

蒼也が自分を取り戻した時、既にそこは東シナ海に浮かぶ戦術機母艦の中だった。

自分を見つめる、伊隅と碓氷の心配そうな視線が胸に痛い。

今はとにかくゆっくりと休めと、そう告げる医者の言葉に従って個室に篭もる。二人の視線から逃げ出すように。

 

士官用に充てがわれた部屋の中、のろのろとベッドに潜り込む。

何も考えたくなかった。心の中に溜め込まれた鉛の重さに引きずられるように、意識を手放してしまいたかった。

だが。

 

「……まいったな」

 

幽鬼のように生気のない顔をして、上体を起こした蒼也が小さく呟く。

 

「眠れないや」

 

蒼也は体の向きを変えて壁に背中を預けると、自分の体を抱きしめるようにして座り込む。

その夜、彼の部屋の明かりが落ちることは最後までなかった。

 

 

 

 

 

 

 

A-01部隊、そして彼らと共に戦った帝国大陸派遣軍、大東亜連合軍。

彼等が帰還することは、ついになかった。

彼等の死は犬死にだったのだろうか?

いや、決してそのようなことはない。その懸命な、文字通りに命を懸けた戦いの末、三個軍団もの規模のBETAを半数近くにまでに減らすことに成功したのだから。

そして残存BETAが鉄原ハイヴに辿り着いた後、再び数を揃え侵攻を起こすまでの貴重な時間を稼ぐことが出来たのである。

それは、およそ一ヶ月にも及ぶ長い時間。

そして日本帝国はその時間を無駄に使うことなく、上陸が予測される北九州沿岸部を中心に出来得る限りの防衛体制を取ることに成功した。

 

 

 

だが、しかし。

彼等の挺身により稼いだ時間。皮肉にも、その時間こそが最悪の運命を引き寄せることになる。

 

1998年7月7日未明、鉄原ハイヴのBETAが活動を再開。

一月前の侵攻に匹敵する、いやそれ以上の数が日本へと向けて南下を開始した。先遣隊となる突撃級は僅か四時間足らずで北九州に到達し、水際で上陸を阻止せんとする帝国本土防衛軍と激しい攻防を繰り広げる。

 

そしてこの時、ユーラシア大陸における大規模環境破壊の影響により発生した超大型の台風が、沖縄及び九州地方に襲いかかっていた。

帝国本土防衛軍、帝国海軍にとってとてつもなく重い足枷となる、神風が。

 

 

 


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