あなたが生きた物語   作:河里静那

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30話

 

1997年、5月。

帝国軍白陵基地、国連軍区画。

 

この部隊を取り巻く人々、取り分け私の上官たちは、どこかおかしい。彼女がそう思うのもこれで何度目だろうか。

ここは軍隊なのに。更に言うなら、何処にでもあるようなありふれた部隊などではなく、国連の秘密計画に関わる特殊部隊だというのに。それなのに、あの人達の言動はなんなのだろう。

 

衛士を目指していた自分に、国連軍から「君の力が必要だ」と声をかけられた時は天命を得た気がした。任官して配属先についての説明を受けた際には、人類の命運を左右する部隊へとスカウトされたのだと理解できて血が震えもした。それだけに襟に輝く衛士徽章が誇らしく、勝利を掴み取る未来への期待に胸を膨らませて連隊発足式に臨んだ自分を、誰が否定できようか。

 

しかし、壇上に上った指揮官、計画を主導する天才科学者からの第一声は「敬礼とかいらないから」というもの。目が点になった。耳を疑った。え? それでいいのと、声が出そうになった。

その後も自分が知っている軍隊というものからは随分と逸脱している発言を繰り返し、「飽きたから後はアンタ達でやって」という言葉を残して嵐のように去っていかれた博士。

国連軍は帝国軍よりも綱紀が穏やかだというが、それにしてもこれは無いんじゃないか。いや、あって欲しくない。

 

まあ、彼女は連隊の頂点とはいっても軍人ではないそうだし、実際に指揮官と呼べるのは三人の大隊長になるのだろう。連隊全体の指揮も執る中佐が一人に、少佐が二人。

A-01はその任務内容の特殊性から連隊が揃って行動することは少ないという。それぞれの大隊が別の任務に就くことは珍しくなく、時に中隊単位での行動も想定されているらしい。それ故、中隊長以上の者は実戦を経験した猛者が外部から招聘されている。

自分が配属された第三大隊の指揮官もそうだ。大陸で他に類を見ない戦果を上げている、あの奇跡の大隊にいたという。戦術機一個大隊のみで師団級BETAを殲滅したなど、流石に戦意高揚の為に誇張して伝えられているのではないかと疑う向きもあるが、それでも腕利きであることには間違いないだろう。

 

無骨な豪傑だろうか? それとも怜悧な参謀タイプだろうか?

実戦経験者、それも飛び切りの凄腕から教えを受けられる事を嬉しく思い、その人となりを様々に思い描いていたのだが……実際に言葉を交わしたとき、自分は随分間抜けな顔を晒してしまったように思う。

あの博士が大暴れした発足式、この人物もその場にいたことは確かに記憶にある。些か目立つ風貌をしていたので目に留まっていた。だが……白状しよう、司令部付きのCPか何かだと思っていた。

言い訳がましいが、それも仕方がないではないか。隊の衛士は全て日本人だと聞いていたし、何より見た目が若過ぎたのだから。下手をしたら自分よりも年下か? まだあどけなさすら残す少年と大陸帰りの猛者とがすぐに結びつく人間は稀だと思う。

 

だから始めてのミーティングの際、更なるミスを重ねてしまったこともまた、仕方が無かったのだと思いたい。あの顔に加え、クロス・ソーヤと名乗られれば誰だって勘違いする。

自分は、彼の事をこう呼んでしまったのだ。ソーヤ少佐と。

 

「いきなりファーストネームで呼んでくれるなんて嬉しいな」と言われたとき、一体この人は何を言っているのかと思ったものだ。

訝しげな顔の自分。笑みを浮かべる少佐。ニタァっという擬音のよく似合う、悪餓鬼の笑みだった。

 

少佐は徐にマジックを手に取ると、背後にあったホワイトボードになにやら書きはじめる。

「はい、ここ大事なところだから覚えておいてね。テストに出すよ」とわけの分らない事を言いながら、楽しそうに書き連ねる。

それを見た自分の頬が赤く、林檎のように真っ赤に染まっていった。

 

Crossではなく、黒須。

Sawyerではなく、蒼也。

Christopherではなく、栗栖豆腐。

 

「ちょっと理由がありまして、このA-01の衛士と整備兵には日本人しかいません。僕もこう見えて、れっきとした日本人です。

 いいかな、伊隅みちる中尉?」

 

あ、まずい。

これ、絶対目を付けられた。

何でそんなに嬉しそうなんだと、悪そうな笑顔を浮かべる少佐を見てそれを確信した。

そして、それは現実となる。伊隅はこの後、蒼也の副官として任命され、散々こき使われることになるのである。

 

 

 

栗栖豆腐ってなによ、栗栖豆腐って。

それに気付いたのは、ミーティングが終わって随分時間が経ってからだった。

 

 

 

 

 

 

 

1997年、7月。

帝国大学、応用量子物理研究棟。

 

「あれ、霞ちゃんだけ? 副司令はいないかな?」

 

大学の敷地に入る時、研究棟に入る時、そしてこの部屋の前。三回も身分証を提示しボディチェックを受け、やっと目的地である香月の執務室へと辿り着いたのはいいが、部屋の主はどうやら不在の様子だった。

 

「………………」

 

室内には霞が一人。

パソコンに向かい何やら入力作業をしていたようだが、蒼也が入室するとその手を止める。モニタの陰に半ば隠れるようにして、じっと無言で蒼也の事を見つめてきた。

手を止めたのは、休憩とかそうった理由ではないことを、この数ヶ月で蒼也は学んでいた。これは、警戒しているのだ。扱っている内容が機密に当たるためなのか、それとも蒼也自身に怯えているのか。残念ながら、恐らくは後者だろう。

この社霞という名の少女、恐ろしく人付き合いを苦手としているようだ。蒼也は霞が香月以外の者と口をきいているのを見たことがない。より正確に言うなら、香月と会話していたところに闖入した蒼也を見て慌てて口を噤む姿しか見たことがない。

 

──それでも、少しは慣れてきてくれた……かな?

 

部屋の中に二人きりでいてもなんとか逃げ出さない、その程度には。

 

「この時間にって、約束してたんだけど。すぐ戻ってくるかな? ちょっと待たせてもらうね」

 

そう言って、来客用のソファにどっかりと座り込む蒼也。

座り心地は固過ぎず柔らか過ぎず。合皮製だが、物は中々に良いようだ。

その様子を、やはり無言でじっと見つめる霞。

 

この子とも、もう少し仲良く慣れたらいいのにな。常々そう思っているのだが、そもそもこの少女がどういった立場の人間なのか、それすら蒼也は知らされていないのだった。

知っているのは名前と、香月の秘書のような事をしているらしいということだけ。何故、十歳程度にしか見えない少女が計画の中枢に関わっているのか、興味は尽きない。

以前に「お子さんですか?」と尋ねたところ、護身用の銃の乱射で返事をされたので恐らく違うのだろう。全て避けたが、警備員がすっ飛んできて危うく大学内に防衛基準体制2がしかれそうになった。それ以来、情報の収集には慎重になっている。

 

だが、知らされていないということは、知る必要が無いということ。

まだ自分は、そこまでの信頼関係を副司令と築けていないということなのだろう。一概に使い魔といっても、烏から悪魔まで様々な階級があるものなのだ。

 

香月は言った。上に行きたかったら自分で何とかしなさいと。

それが出来て、初めて次の段階へと昇れるのだろう。まずは、A-01を自分の指揮下におくことから始めるべきか。大隊一つではなく、連隊全体を。

現在のA-01の大隊指揮官は、香月が引っ張ってきただけあって中々優秀な男達だ。大陸で共に戦った中佐や沙霧程の力量は持っていないにせよ、隊長職として十分水準を越えている。顔を会わせた当初は年若い蒼也を軽く見ていたところもあったが、これまで共に訓練を重ねるうちに蒼也の異常性が理解できたのか、一目置かれるようにもなった。

それだけに、出来るなら排除するのではなく、自分の下につく形で納まって欲しい。

 

蒼也への態度が軟化したのには、父の名を出したことも理由として大きい。

国連軍という場では、帝国軍以上に黒須鞍馬の名は大きい意味を持つようだ。考えてみれば当然のことだが。

日本各地に新しく出来たばかりの国連軍基地の扉を叩く若者の中には、鞍馬に憧れて国連軍への道を志した者も少なくないという。A-01の中にも数名いた程だ。

母さんが聞いたら喜びそうだな。微笑むセリスの姿を思い描き、蒼也の心に暖かい色が湧き出てくる。

 

「…………ます……」

 

ソファにふんぞり返って自分の考えに浸っていた蒼也の聴覚を刺激する音があった。

か細い、消え入りそうに小さい声。

 

「…………もうすぐ……戻って、きます……」

 

ちょっと感動。

この子の方から話しかけてきてくれるなんて。というより、声を聞かせてくれるとは。

まだ少し怯えた様子ながら、それでも必死に絞り出してくれたのが分る。素直に嬉しい。

 

「そうなんだ、教えてくれてありがとうね」

「………………いえ……」

 

おお、会話が成立した。

なんだか、小動物が懐き始めてくれているような、そんな気分。例えるなら……兎?

うん、この子のイメージに可愛い兎はピッタリだね。

そのうち笑顔も見せてくれるようになるといいんだけどな。こんなに綺麗な子なんだから、きっと笑顔も素敵だよね。

 

気がつけば、霞は顔を赤くして下を向いていた。

頑張って声を出したけど、やっぱり恥ずかしかったってところかな。ああもう、ホントいじらしいな。

真耶ちゃんも真那ちゃんも、昔はこんな風に……いや、それはない、な。嘘は止めよう、嘘は。

 

しばし後、所用から戻ってきた香月が目にしたもの。それは赤面する霞と、それをニコニコしながら眺める蒼也の姿であった。

 

「黒須、流石に社は……犯罪よ?」

 

いや、何を言っているんですか、副司令。

蒼也の言い分が香月夕呼に通じることなど、あろう筈なかった。

 

 

 

 

 

「で、何の用よ?」

「あ、やっぱり。絶対そう言うと思ってましたよ」

 

香月副司令と知り合ってまだ数ヶ月、しかしどういう性格なのかは概ね把握できていた。

この人、興味の無いことに関してはとことん関心を示さない。逆に、自身が求めるものは徹底的に納得が行くまで追求する。

所謂、天才タイプ。

そして実際に、紛うことなき、天才。

事前に連絡を入れておいたにも拘らず、先程の言葉が飛び出す所以である。

 

現在の彼女の関心は計画の根幹を成す研究に向いており、A-01に関しては「必要な時、使い物になっていればそれでいい」とのこと。元々軍事に関しては素人ということもあり、これまでの訓練は連隊長代理である中佐と二人の少佐に任せ切りであった。

 

とはいえ、訓練成果の定期的な報告はしなくてはならない。普段は香月が白陵基地に出向いた際に「順調です」と一言、簡略的に伝えていた。いい加減と思えるが、香月自身がそれ以上の詳細は必要ないというのだから仕方がない。また、それでさして問題も無かったのも事実。

だが、今回の報告をそれで済ますわけには流石にいかない。云わばこれまでの総まとめ、様々な訓練を終え、編成が完了し、これでいつでも出撃できるという報告なのだ。実戦に赴くとなれば、使う側の香月にも部隊について把握してもらわなくてはならない。

 

この報告には中佐が赴くのが本来であろうが、香月は今のところA-01の衛士の中では蒼也以外の者がこの研究室に立ち入るのを許していなかった。それ故、わざわざ頻繁に香月自身が白陵基地に赴いているのである。

正直、この件に関しては中佐は面白い顔をしていないが、香月にとって彼とは所詮、妥協で揃えた駒である。どうせ近いうちに死ぬのだろうし、研究の分野にまで立ち入って欲しくは無い。もちろん、外部から来た人間を機密保持の面で信用しきれないという面もある。

この特別扱いに、並の神経の者なら胃を痛くするやも知れぬが、そこは蒼也のこと。そう遠く離れてはいないとはいえ移動が面倒だなと、そう愚痴をこぼす以外には気にも留めない。今日も「行ってきまーす」とにこやかに告げて基地を発ったのであった。

 

 

 

報告内容としてはまず、隊長職の機種転換訓練が完了したことが挙げられる。

A-01で使用される機種は、日本が純国産技術のみで開発にこぎつけた、世界初の実戦配備型第三世代戦術機、94式戦術歩行戦闘機 不知火となる。

不知火は対BETA戦において革命的な戦果を上げる事を期待されており、実際にそれを可能にするだけの能力を持つ機体である。その性能は現在帝国軍で最も普及している戦術機、77式戦術歩行戦闘機 撃震とはもちろん比較にすらならず、現段階においては世界最強の戦術機だと言っても過言ではない。

ただ残念なことに、未だ帝国軍にすら十分な数を供給できてはおらず、まだまだ主力機は撃震だと言わざるを得ないのが現状だ。

それにも拘らず、国連軍に一個連隊108機もの不知火が配備されているという事実。異例中の異例と言える。技術の漏洩を未然に防ぐ為、不知火に関わる人員は整備兵含め日本人のみとするなど運用には厳しい条件もあったが、それでも如何に日本政府がオルタネイティヴ4に期待しているかが現れているといえよう。

 

だが、ここでひとつ問題が出てくる。

白陵基地衛士訓練校を卒業した者達には関係ない。だが、それ以外の外部から招かれた隊長達に立ちはだかった、非常に大きな壁。初めから不知火で訓練を行ってきた新任達とは違い、彼等に操縦経験があるのは撃震のみ。つまり、第一世代機しか操縦したことが無かったのだ。

不知火は第二世代機という段階をおかずに配備された為、設計思想が全く異なる撃震からの乗り換えには苦労することとなった。

 

これは蒼也も例外ではない。むしろ、最も苦難に喘いだ一人といえる。

軽快な、軽快に過ぎるその運動性。当然、それには急激なGの変化が伴われる。戦術機適正の低い、つまりはGに弱い蒼也に圧し掛かる負担は厳しいものがあった。

管制ユニットから息も絶え絶えに、右手に持った袋をパンパンに膨らませて出てくる蒼也を見て、部下達は「コイツ本当に使い物になるのか?」と天を仰いだものだ。

 

最終的に蒼也が行き着いた操縦法、それは“動かない”ことであった。

もともと、撃震に乗っているときですら激しい機動を避けていた蒼也であるが、それを徹底させることにより、特徴的だった蒼也の機動が更に浮き彫りとなることになった。

勘違いされがちだが、蒼也は戦術機の操縦技術自体は非常に高いものを持っている。斯衛訓練校の首席は伊達ではない。思うとおりに誤差無く操作される機体、剣の修行で培った空間把握能力、さらには予知。これが蒼也の武器だった。

ここから導き出されるのは、最小の動きでの回避。数cmの単位で攻撃を見切り、後の先をとるのだ。

 

戦術機同士の戦闘訓練の時のことである。

一見棒立ちに見える蒼也へと120mmを放つ伊隅。伊隅は左右に躱される事を見越して追撃の準備をしていたのだが、射撃後の僅かな硬直時に正面から36mmを乱射されて撃破されてしまった。

蒼也が左右に避けていればその間に硬直は解けたはず。では避けずに相打ち狙いかといえば、無論そんなことはない。蒼也は、左手の突撃砲を撃つと同時に右手の長刀を振るい、刃を弾丸の側面に叩きつけ、弾道を逸らしたのだった。

120mmの砲弾に貫通力と破壊力を重視した徹甲榴弾ではなく、無数の小さな弾が広範囲に空中で分散してばら撒かれるキャニスター弾が選択されていれば、この時点で蒼也の負けは決まっていたことだろう。だが、蒼也は弾頭の種類を“知って”いたのだ。結論から言えば伊隅は選択を誤ったことになるが、仮に散弾を選択していたとしても、その際には別の対策を採られていたに違いない。

多くの日本人は、刀というものに対して憧憬、信仰、あるいは崇拝といった感情を持ち合わせている。武に生きるものなら誰もが一度は思い描く姿、その中には日本刀をもって飛来する銃弾を斬り落とすというものがある。

74式近接戦闘長刀は正確には日本刀ではないが、それでも子供時代の夢を実際にやってのけた神業を見て、モニタールームでは割れんばかりの喝采が上がったという。

 

動いて何ぼの戦術機、それも第三世代機に搭乗しておきながらこの機動。宝の持ち腐れではないかという意見もあったが、蒼也自身は不知火を気に入っていた。

確かに全開機動をさせることは出来ず、機体性能を全て引き出しているとはとても言えない。だが、撃震より遥に優れた各種センサー類から齎される数々の戦場の情報を、蒼也は何よりも必要としていたのだ。

 

 

 

機種転換訓練に関わること以外にも、最終的な編成や連携訓練が完了した事を報告する蒼也。

それを興味無さそうに聞き流していた香月だったが、一通りの報告を聞き終えた後に彼へと向き直る。

 

「あんたの目から見て、実際どうなの? 使えそう?」

「新任とは思えないレベルですよ。斯衛訓練校を出た奴より上かも。才能ももちろんですが、教官が良かったんでしょうね。うちの隊だと、特に伊隅と碓氷。この二人はめっけもんですよ」

「ふーん。……で? いつからいけるの?」

「いつでもどうぞ」

 

初陣の話である。

現在のA-01の最も大切な役割は、00ユニットへの適正たる“より良い未来を掴み取る力”を育むことにある。その為には、平和な日本でいつまでものほほんとしてもらっている訳にはいかない。激戦地で戦い、適正の低い者にはふるい落ちてもらわなくては。

誤解を恐れず言ってしまうなら、死ぬことこそが今の彼等の仕事なのだ。

 

「それじゃ、重慶の戦線に話しつけとくから、防衛に参加してらっしゃい」

「防衛だけでいいんですか?」

「何かやりたいことでもあるの?」

「いえ、副司令のことだから、ハイヴに乗り込んで来いとか言われると思ってました」

 

これには香月も苦笑を浮かべる。

 

「流石のアタシだって、意味も無く手駒を全部失いたくは無いわよ。どうせそのうち行くんだから、そんなに焦りなさんな」

「了解。でも、重慶ですか……敦煌のほうじゃなくて?」

「あら、アンタでも古巣が気になるの?」

「そりゃあ、まあ。いつ北京を抜かれてもおかしくないですからね」

 

大陸に残してきた仲間達、中佐や沙霧の顔を思い浮かべる。

自分にこんな事を言う資格などありはしないが、それでも……無事に生きていて欲しい。

 

──まだまだ甘いわね、こんな顔をするようじゃ。

 

香月の目が、すっと細められる。

人の心を無くす必要はない。心の無い者などBETAと同じ。そんな者に人類を救うことなどきっと出来はしない。でも、それを他人に悟らせているようじゃ、まだまだね。

能力があって、感情を切り捨てることも出来、父親の名が有効にはたらく場面もある。使い出のある男だけど、この顔を人に見せているようじゃアタシのパートナーにはなれないわよ。

そう、心の中で香月は嘯いた。

だから、爆弾を落とす。

この男にはもっと成長してもらわなければならないから。軍事面における自分の半身として、信頼できる存在になって欲しいから。

 

「北京、陥ちたわよ?」

 

蒼也の瞳がそっと閉じられる。

こうなることは分っていた。自分が残っていても、多少の寿命を延ばすことしか出来なかっただろう。

それでも……悔しい。

 

「アンタの知り合いも随分死んだみたいね。詳細いる?」

「……いえ、結構です。となると、次は日本侵攻でしょうかね?」

 

ふうん、取り乱さないところは合格ね。そこは褒めてあげるわ。

 

「いいえ。これまでの傾向からすれば、おそらく北京の東か朝鮮半島あたりにハイヴの建設があると思うわ。しばらくは小休止ね。それより、重慶からの侵攻が穏やかになってきているほうが気になるわ。……まるで、力を溜めているみたいにね」

「それで重慶ですか」

「ええ。まあ、アタシの勘にしか過ぎないんだけどね。アンタが現地に行って、もし何か“視る”ようなら、すぐに連絡なさい」

「そんなに長い先は視えませんよ」

「可能性を自分で狭めるのは愚か者のすることよ。無理に何とか視ようとする必要はないけど、心に留めておきなさい」

「……了解です」

 

それじゃ、一週間後に出発して頂戴。と、そう話を終わらせた香月だったが、ふとやっておいたほうが良いことがあるのに気がついた。

自分の柄とはとても言えないが、彼女はあれでも大切な親友なのだ。教え子の初陣くらい伝えてやってもいいだろう。

 

「黒須、アンタこれから基地に帰るの?」

「そうですよ」

「そっ。じゃ、護衛よろしく。アタシも行くわ」

「……副司令~、だったら、僕がこっちに来なくても良かったじゃないですか」

「つべこべ言うんじゃないわよ。文句があるならアタシの隣りまで上ってからにしなさい」

 

ふうと、これ見よがしに溜息をつく蒼也。

一応文句を言ってはみたが……諦めよう。この人を止めるなんて僕には無理なんだから。

諦観の表情を浮かべる蒼也を、霞が興味深げな視線で、そっと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

1997年、7月。

帝国軍白陵基地内、国連軍衛士訓練学校。

 

「やっほー、まりもー」

 

教官室の扉を開け放つなり、部屋にズカズカと踏み入る香月。無論、主の許可など得てはいない。そもそもノックすらしていない。

部屋の中には、いきなりの闖入者にデスクワークをしていた手が止まり、目をまん丸にした女性の姿。年の頃は香月と同じくらいだろうか、優しそうな顔をした随分な美人だ。

動きの止まっていた彼女だが、半ば無意識の内に抗議の声を上げる。

 

「ちょっと、夕呼っ! いきなり何……」

 

上げ切れなかった。ハッと我に返ったようだ。

大きく一息吐いて下を向き、気持ちを落ち着かせる。赤くなっていた頬が白く戻った。顔を上げた時にはキリリと引き締まった顔をした、そこには一人の軍人の姿があった。

徐に直立し、一糸乱れぬ敬礼をする。

 

「失礼いたしました、大佐。本日はどのような赴きであらせ……」

「ストォォォォォォォップ、まりも。そういうの嫌いだって何度も言ってんでしょ。

 そもそも、アタシは大佐相当官であって大佐じゃないの。軍人じゃないの。わかる?」

 

左手を腰に当て、右手は人差し指をズイッと突きつけ、高らかに言い放つ。

香月の言っていることは事実である。その立場を厳密にいうのであれば、彼女の所属は国連軍ではなく日本帝国となる。

オルタネイティヴ計画招致委員会に研究員として在籍していた香月だったが、第四計画が予備計画から本計画に格上げされた際に、オルタネイティヴ4総責任者として国連へと出向することになったのだ。大佐相当官という肩書きはA-01を指揮する為に必要だから手にしたに過ぎない。

つまり、見も蓋もなく言ってしまえば、香月夕呼という女性は日本に仕える公務員なのだった。……随分と強大な力を手にしてはいるが。

 

「……ですが……」

「じょ・う・か・ん・め・い・れ・い。……わかる?」

「……はぁ、もう。わかったわよ、夕呼……」

 

がっくりと肩を落とし、うなだれる女性。顔には黒い影がかかっていた。

さっきの凛々しい顔も素敵だけど、こっちの顔の方が可愛いな。香月の後から顔を覗かせた蒼也が、そんな場違いな事を考える。

それにしても、副司令。言ってることが矛盾してない? ……まあ、いいか。

 

「それで、夕呼。何の用なの?」

「あら、随分な言い草ね。友人の顔を見に来るのにいちいち理由が必要?」

 

にたにたと笑う香月。

蒼也はこの二人の関係を理解した。このまりもという女性、つまりは副司令のおもちゃなのね。友人には違いないんだろうけど……苦労してるんだろうなあ。

 

「はいはい、ありがとう。そんなに想ってくれてて嬉しいわよ。それで、こちらの方は?」

 

軽口を返しているように見えるが、肩は落ちたまま。首から上だけを蒼也へ向け、尋ねてくる。

 

「ああ、コイツはアタシの部下」

「黒須蒼也=クリストファー少佐です。よろしくお願いします」

「しょ、少佐っ!? も、申し訳ございません、失礼な真似をっ!」

 

香月のペースに巻き込まれて襟の階級章を確認していなかったまりもは、年下と思われる蒼也の予想外に高い階級に慌てふためいた。

弾かれるように立ち上がり、敬礼をする。

 

「国連軍白陵基地衛士訓練学校の教官を勤めさせていただいております、神宮司まりも軍曹でありますっ! 知らぬこととはいえ、無礼の程……」

「あ、僕もそういうの大丈夫です」

 

面白そうだから、副司令に乗っかっちゃえ。やっぱりあっちの顔のほうが可愛いし。

悪巧みを思いついた顔で、香月と同じ態度で通すことに決めた蒼也。

 

あ、また肩が落ちた。

蒼也の言葉を聞いて「この人もなの~」と、うな垂れるまりも。

救いを求めるように香月の顔を見るも……

 

「本人がいいって言ってんだから、いいんじゃないの?」

 

求める相手を間違えた。

一縷の希望を込めて蒼也に視線を移す。

 

「僕には姉がいまして。姉っていうか、本当は従姉妹……もっと遠いか。まあ、そんな感じの人が二人いましてね。年上の女性に偉そうに接するの苦手なんですよ」

 

そう言ってにこりと笑う蒼也を見て、まりもは悟った。抵抗は無駄だと。

 

「それに、僕も大陸にいたんですよ。一緒に戦うことは出来ませんでしたが、神宮司中尉の、“狂犬”の武名は聞いています。偉大な先達に教えを請う立場ですよ、僕は」

 

……夕呼が二人いる。

瓜二つの笑顔を浮かべる香月と蒼也。

今まで、友人の悪巧みには一度として勝てなかったまりもだ。素直に運命を受け入れよう。所詮、ネズミは猫には勝てないのよ……

遠い目をして現状を許諾したまりも。目の端に光るものが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

「あの、部下って言うことは……A-01の?」

「です。大隊長やってます」

「夕呼、いいの? A-01って特殊部隊でしょ、私が知っちゃまずいんじゃないの?」

「なによー、どうせ殆どアンタの教え子達なんだから、今更でしょ」

「そりゃそうだけど……ほら、建前とかってあるじゃない」

「さっきのやり取り、もっかいする?」

「うう……」

 

ほんと、いじられてる軍曹って可愛いな。

まりもが淹れてくれた茶をすすりながら、二人の掛け合いを眺める。

ところで、何しに来たんだっけ?

 

「それにね、黒須にはA-01の外への顔役やらせようかと思ってるのよ。

 中々便利なのよ、コイツ。父親の名前出せば、結構支持も得られそうだし」

「父親? ……黒須って、まさか」

「ええ、黒須鞍馬は僕の父です」

 

長年に渡り常に先頭に立って戦い続け、最後には仲間を救う為に自らの命を犠牲に捧げた鞍馬。日本人の衛士、特に国連軍に所属する者達にとって、その名は英雄と同義のものとなっている。

日本人とは自己犠牲を下敷きにした美談を好む傾向が強い。英雄の忘れ形見が父と同じ国連軍という道に進み、人類を護る為に命を懸ける。広告塔としてこれ以上の素材はそうは無い。

A-01は発足したばかりの特殊部隊であり、まだ外部にその存在を知らしめる必要はない。だが、いずれオルタネイティヴ4の成果を世界へと発表する時が来る。その時、蒼也は宣伝看板として大いに役立つことだろう。

 

「その……少佐は、それでいいのですか?」

 

英雄の息子と目的を同じくして戦える喜びも確かにあるが……それでいいのだろうか。

鞍馬の生き様を誇らしく語るのは構わない。むしろ率先してするべきだ。だが、それをプロパガンダとして使うのは、何か間違っているようにも思えるのだ。

 

「構いませんよ。むしろ、どんどんやって欲しいくらいです。

 人類が勝利する為なんですから、使えるものは何でも使っちゃいましょう」

 

そう、笑う蒼也。まりもはその笑顔に隠された悲しみを覚えた。

きっと、本当は父の名を利用されたくなど無いのだろうに、勝利の為に自分を殺しているのだと感じた。そんな彼を、そっと優しく抱きしめてあげたい衝動に駆られる。

 

「ま、とりあえずはそれまで生きていてもらわないとね。予定が狂うんだから、勝手に死ぬんじゃないわよ、黒須」

「無茶言いますね、相変わらず。……でも了解です」

「というわけだから、まりも。死なないように願ってやって頂戴」

 

ああ、そうか。

夕呼は……私の大切な親友は、それを伝えに来てくれたのか。

A-01の作戦内容など自分に知る権利は無い。彼らが戦場に赴くことを知る術などない。その無事を祈ることすら出来ないのだ。

だから、言葉の端に匂わせるように、教え子達が死地に赴く事を教えてくれたのだ。

親友のそんな不器用な優しさに、まりもはそっと感謝した。

 

「大丈夫ですよ、軍曹。ちょっとやそっとじゃ、僕が死なせませんから」

 

僕は死にませんから、じゃなくていいの?

わざとなのかうっかりなのか、そう語るに落ちた事を言う蒼也の微笑みに、まりもは胸の奥がトクンと一つ大きく鳴るのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

こうして、A-01部隊は初陣を迎えることとなった。

戦うは大陸、重慶ハイヴを巡る攻防戦。

この戦いの中、蒼也は訓練の時よりも遥に研ぎ澄まされた予知を見せ付け、数多くの仲間の窮地を救い……いくつかの命をその掌から取り零すことになる。

 

一方、北京を抜けた敦煌ハイヴからのBETA群は、韓国領鉄原に新たなるハイヴを建設。

この戦いの中、奇跡の大隊が壊滅したとの報が蒼也の元へともたらされた。

 

混迷する戦いの中、世界は新しい年を迎えることになる。

1998年。多くの日本人にとって、これまでに無い試練の時となる、新しい年を。

 

 

 


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