「セリス中尉~、ちょっと聞いてもいいですか~」
「こら、上官に向かってその言葉遣いはだめよ。で、なにかしら?」
「えっと~、セリス中尉は鞍馬大尉とどうやって知り合ったのかな~って思って」
「えっ?」
「あ、あたしも知りたいかも」
「だって~、日本のサムライとアメリカの衛士ですよ~。接点がないじゃないですか~」
「敵同士だったしね」
「いや、私たちが生まれる前に戦争は終わってるから!」
「それなのに、国を捨ててまで添い遂げるって、なんかかっこいいですよね~」
「ロミオとジュリエットだね」
「かっこいいって……ロミオって……あなたたち……。そりゃ、確かにかっこいいけど……」
「ですよね~。それで~、馴れ初めっていうのかな? 知りたいな~って」
「お願いします」
「もう……こんなところで話すようなことじゃないでしょ」
「え~、いいじゃないですか~。娯楽の少ない前線に話題を提供してくださいよ~」
「是非に!」
「……まったく。私はアメリカでテストパイロットをしていたんだけどね、日本がF-4 ファントムを導入するに当たって……」
──Code991発生ッ、繰り返すCode991発生ッ! これより当基地は第一防衛準備態勢に移行するッ!──
「二人とも、強化服着用の上ブリーフィングルームに集合! いいわね!」
『了解!』
1977年、7月。
落武者か……。
以前、新任の部下──今ではいっぱしの小隊長だ──に言われた言葉を鞍馬は思い出す。
むろん、その部下は言葉の意味を正確には知らずに使っていたに過ぎず、鞍馬を罵倒する意味で言ったのではない。
しかし、戦いに敗れ逃げ落ちる侍、その正しい意味が今となって鞍馬の心を刺す。
人類は、ミンスクに続き6番目となるエキバストゥズハイヴの建設を許してしまっていた。
この方面の戦いに鞍馬は参加してはいない。
ここ東欧にて、ミンスクからさらに勢力を伸ばさんとするBETAの侵攻を食い止める任務に従事しているのだ。
鞍馬がどう思ったところで、たった一人の人間に出来ることなど些細なものでしかない。それはわかっている。
だからといって、新たに人類の版図が削り取られていくのをよしとする事がどうして出来ようか。
落武者。ミンスクを守りきれず、エキバストゥズに新たなハイヴが建設されるのを座して見ることしか出来なかった今の自分には、この言葉がお似合いだと自嘲する。
昨年7月のことを思い出すと、今も心に痛みが走る。
何も、出来なかった。何一つとして、成せなかった。
BETAの群れを撃退するどころか、その進行速度を緩めることすら出来ず、戦線は崩壊した。
自分と仲間の身を守ることが精一杯で。いや、それすらも満足に果たせなかったのだ。
あれから一年。今も戦線は徐々に、いや加速度的に後退を続けている。
俺には何も出来ないのか。手をこまねいているしかないのか。鞍馬の苦悩は続く。
もっとも、周囲の評価は些か異なる。
常に最前線にて奮闘し敵を惹き付け、仲間の生存率を高めんとする鞍馬の姿は、国連軍からもワルシャワ条約機構軍からも多大な敬意を払われていた。
今やこの戦線において、黒須鞍馬の名と「国連の侍」の二つ名を知らぬものはいないほどだ。
故にセリスは言う。
「貴方は最善を尽くしているわ。謙遜は日本人の美徳かもしれないけど、悪癖でもあるわよ」
彼女の言葉は本心からのものである。
鞍馬の存在が戦場においてどれだけ大きな支えとなっていることか。この人はもっと自分を褒めても良いのに。
だが、そう吐息をつくセリスもまた、自分が他者から同様のことを言われていることに気がついていない。
まったく、似たもの夫婦であった。
──Code991発生ッ、繰り返すCode991発生ッ! これより当基地は第一防衛準備態勢に移行するッ!──
突然に鳴り響くサイレンが物思いにふける鞍馬の頭を叩き、現実へと引き戻す。
半ば反射の様に体は動きだし、強化服へと着替えるために走り出すのだった。
その日の戦いもまた、酷いものであった。
かろうじて、本当にかろうじてBETAの侵攻を食い止めることが出来たものの、またしても人的、物的に大きな被害を出してしまった。
果たしてこれは勝利と呼べるのであろうか? いや、呼べはしない。
なぜなら、BETAの撃破数に対して、人類側の損害が大きすぎる。
人類を一つの体とするなら、そのささやかな勝利の度に代償として生皮を一枚づつ剥がされているようなものなのだ。
BETAの一番の脅威は、その戦闘力でも感情を持たない進軍にあるのでもなく、圧倒的なその数にある。
人類は、それをまざまざと見せ付けられていた。
このままでは勝てない。このままでは、人類は衰弱死してしまう。
何か革命的な反撃を行わなくては。鞍馬は考える。
現在、上層部において大量の核を使用したミンスク奪回作戦が検討されていると耳にした。
だがその作戦が実行された場合、例え成功したところでミンスク周辺は二度と人の住めない土地へと成り下がるであろう。
カナダのアサバスカに落着したBETAユニットを攻撃した作戦を思い返してみるといい。
西欧と東欧を結ぶこのミンスクの地に同じことが起こった場合、その被害はアサバスカの比ではない。
そしてその成功を受けてエキバストゥズに、ヴェリスクに、ウラリスクに、マシュハドに、そして喀什に核を落としていくこととなるであろう。
それはユーラシア大陸の消滅を意味した。
大地が残っていればそれで良いというわけではない。
そこに人が住めなければ、その土地は存在しないも同然なのだ。
一介の国連軍大尉に出来ることなど何もないかもしれないが、この作戦はなんとしても阻止しなければならない。
だが、ならば他にどのような手があるというのだ?
ワルシャワ条約機構軍と国連軍だけでなく、他方面の軍隊も巻き込んでハイヴに攻め入るとでも言うのか?
そんな馬鹿な、出来るわけがない……そう思おうとして、鞍馬は動きを止めた。
いや……それしかないのではないか? 全人類一丸となるしかないのではないか?
核を使わない以上、通常戦力のみを持ってことに当たることになるが、ならばつまらぬ諍いなど度外視し、協力し合わなければならないだろう。
そしてそれが実現するならば、中立の立場を持つ国連軍こそが、その中枢を担うことが出来るのではないか。
一つ、目の前の霧が晴れた気がした。
現状では、只の一兵士の妄想である。が、そんな夢を見てもいいではないか。
……とりあえず、佐官を目指すか。
大きな目標を定め、そのために一歩一歩成せることを成していこう。
「迷いは晴れた?」
いったいいつからそこにいたのか。
座り込む鞍馬の背中を包むように、セリスが抱きしめてくる。
「貴方は一人じゃない。私が傍にいる。
私だけじゃないわ、隊のみんなも、日本の人たちも、みんな貴方を想っている。
だから、一人で背負い込もうとしないで。
私に、貴方の荷物を半分持たせてくれないかしら」
鞍馬はセリスを抱きしめることが出来なかった。
抱きしめてしまえば、向き合ってしまえば、顔を見てしまえば、きっと涙を堪えられないだろうから。
だから、こう、言葉にするのが精一杯だった。
「セリス、お前は俺が守る。だから……ずっと傍にいてくれ……」
「はい……よろこんで」
この一月後、鞍馬は二つの大きな衝撃に襲われることとなる。
一つは、来年初頭に実行されるというパレオロゴス作戦の発動。
鞍馬が夢物語だと思った多国籍軍によるミンスクハイヴ攻略作戦が発表されたのだ。
……そして二つ目は。
黒須セリス。
公私の共において鞍馬の半身たる彼女が、倒れたという報せであった。