あなたが生きた物語   作:河里静那

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29話

 

1997年、4月。

中国戦線、北京市内。

 

メガシティ、北京。

世界最大の人口を誇る中華人民共和国の首都として、光と闇、希望と絶望、人々の様々な想いを受け止めてきた巨大都市。今、その街を歩く二人の人物の姿が見えた。

二人。そう、二人だけだ。

人と車と自転車と、行き交う人々によって慣れぬ者は歩くことすらままならなかったストリートにも。世界中から集うビジネスマンを飲み込み吐き出していた、天を貫く摩天楼にも。

数々の文化的遺産。天安門にも、故宮博物院にも、景山公園にも。

その何れの場所にも最早、人影など何処にも見えず街は静まり返っていた。

 

後退する防衛線に押し出されるように、民間人が台湾やオーストラリア、南米へと疎開したこの場所はもう、街と言える状態には無かった。

そう、街も死ぬのだ。人が死ぬのと同じように。

瓦礫が転がっているわけでもない、火の手が上がっているわけでもない、ただ人だけが消えた、死んだ街。

 

「……寂しいものだな、人の姿が消えた街というのは」

 

この非日常的な、異世界に迷い込んだかのような景色を見ていると……どうも感傷的な気分になる。

続く言葉も無く景色を眺めていたら、ふと、可笑しくなってきた。自分にもこんな詩的な感覚が備わっていたのか、と。

随分と似合わないものだ。沙霧尚哉は、そう苦笑した。

 

「なーに、にやけてるんですか。もしかして、尚哉さんは無人の街を見て興奮するとか? 対物性愛って奴ですか?」

 

詩的な空気が掻き消えた。

隣を歩くのは、ニィっと悪餓鬼の笑みを浮かべる蒼也。まったく、コイツはいつもこんな調子だ。おどけているというか、掴み所が無いというか。

……唯一、戦術機に乗っているときを除いては、だがな。

 

「なるほどー……それでか。せっかくの休みだっていうのに、基地の女の子も誘わずに、僕なんか連れてこんなところにきてる訳だ」

「……こら、蒼也」

「あっ! まさか目的は僕ってことは無いですよね? 僕、そっちの気は無いですからね! 今は男が少ないんだから、まっとうな道に帰ってきてくださいっ! 衆道は人類反逆罪ですよ、尚哉さんっ!!」

 

何だその罪状は。まったく……いい加減にしろっ!

頭一つ高い身長差を利用して、脳天に拳骨を落として黙らせる。両手で頭を押さえ、わざとらしく痛がる様子を見せる蒼也。顔は笑ったままだ。

……まったく、こいつは。自分も、良くこんなのと友人付き合いしているものだ。年も八つも違うというのに。

しかし、まあ……こいつといると飽きないのも事実だが、な。

素直に口にするとまず間違いなくろくなことにならないので、その台詞は心の内に留めたまま。

 

「あ、そっか。尚哉さんは国に慧ちゃんが待ってるんでしたっけ。……このロリコン」

 

何も言わなくてもろくなことにならなかった。

とりあえず、もう一度殴っておく。

 

二人は今、振って沸いた休暇を満喫中である……これでも、一応。

近隣地区に火消しとして出撃するのが日課の如くになっていた彼等。その愛機である撃震は機体に蓄積されたダメージがとうとう深刻なものとなっていた。その戦果から、整備兵達も優先的に力を入れてメンテナンスを行なってくれてはいたが、それも限界。いい加減に本格的なオーバーホールを行なわないと安全は保障できないというところにまで来ていた。

戦術機を部品単位にまで分解して整備を行なうオーバーホールには、当然の如く時間が掛かる。通常であればその間は予備機をあてがって部隊を運用することになるのだが、ダメージが蓄積するのは何も戦術機だけではない。もちろんのこと、それを操る衛士にも目に見えない疲労が積み重なっていく。

その為、彼等の隊は中隊毎に撃震の分解整備を行い、その間、その機体の衛士には休暇が与えられることになったのである。

とはいえ、戦況を省みるに日本に戻るような余裕はもちろん、ない。そもそも、休暇とはいえ、もし他の部隊の手に負えない侵攻が起これば予備機に乗り込んで出撃しなくてはならないのだ。その為、彼等に許された自由行動範囲は基地の非常警報が聞こえるところまでとなっている。結局、基地内でのんびりするか廃墟を探索するかの二択しかないというのが実情だ。

 

「尚哉さん人気あるからなー。基地に戻ったら、隊の子達から冷たい視線を貰いそうな気がするよ」

 

27歳という働き盛りで顔も性格も良く、真面目で有能。そんな沙霧へと熱い視線を送る女性隊員は一人や二人ではない。おそらく、隊内で一番人気。

その為、散歩の相方に沙霧が選んだのが自分となれば、それをやっかむ女性もいるだろう。そう、蒼也は思ったのだ。

 

「いや、そうでもないだろう。蒼也と散歩に行ってくると伝えたが、にこやかに送り出してくれたぞ」

「えー、本当ですかー? 単に尚哉さんの前では怒らなかったってだけじゃ?」

「いや、黒鷺がどうのこうのと言っていたから、向こうはバードウォッチングでもしに行くんじゃないか?」

「へー、黒鷺が来るんですか、この辺」

 

市内にいくつか池や湖があるから、そこかな?

散歩も飽きたし、行ってみてもいいかも。

 

「後は、サギクロとかなんとか。黒鷺とは違うらしいが、俺も鳥には詳しいわけでもないからな、どんなものかは分らん」

 

……あー、あの子達、そうだったんだー……

 

「……いやー……尚哉さんの心の平穏の為にも、その件にはそれ以上触れない方がいいかも……はは……」

 

まったく。そりゃ、一緒にいること多いけどさあ。

急に言葉数が少なくなった蒼也に、不思議そうな顔をする沙霧。

彼に説明する気力もなく、そんな風に思われていたのかと、何だかどっと疲れを感じた蒼也だった。

 

 

 

 

 

結局、二時間ばかりブラブラとしていただろうか。

昼時になったが、開いている店など、もちろんない。飢えた腹を満たす為に基地へと戻った二人を出迎えたのは、渋い顔を隠そうともしない中佐の姿だった。

 

「おう、黒須。待ってたぞ」

「中佐? どうしたんですか?」

「いや、ここではな。ついて来い。沙霧、お前もだ」

 

そう言って歩き出す中佐。

なんだろう? 外出許可は取ったし、何も問題は起こしてないはずだけど?

沙霧を見ると、彼は無言で首を振った。尚哉さんにも心当たりなし、か。

あまり負の感情を表に出すことがない中佐の、珍しい苦虫を噛み潰したような顔。気にはなるが、大隊長の命令だ。ここは大人しくついて行くしかない、か。

 

三人が無言で歩を進めた先は、この基地の主の部屋。

つまりは、帝国大陸派遣軍総司令官、彩峰萩閣中将の執務室であった。

 

「中将、黒須中尉と沙霧中尉を連れて参りました」

 

扉をノックし、そう告げた中佐が二人に入室するよう促す。

司令の執務室など、一介の衛士には縁の無い場所。通常ならば入室するにはそれなりの勇気が必要だが、蒼也と沙霧には心理的抵抗は少ない。

沙霧は彩峰とは幼い頃からの家族ぐるみの付き合いがあり、蒼也は父である鞍馬が彩峰と親友だったこともあって何かと目をかけてもらっていた。

軍務中においては帝国軍切っての知将の名に恥じない怜悧な男であるが、私的な場においてはなんというか……そう、気のいいおじさん。それが二人にとっての彩峰であった。

 

しかし、今待っているのはおそらく、おじさんではないだろう。

二人は今、まがりなりにも休暇中である。だが、間に中佐を立てて呼び出した以上、私的な用件ということはないはずだ。

果たして、入室した先にいた男の顔には柔和な色は露程も浮かんではおらず、BETA群の侵攻に対しても全く臆するところを見せぬ帝国軍中将の姿がそこにあった。

 

彩峰は鋭い視線で蒼也を見つめる。

しばし後、瞳を閉じる。まるで何かに思いを馳せるかのように。

そして沈黙の時が過ぎた後、徐に口を開いた。

 

「黒須蒼也=クリストファー中尉。貴官に、国連太平洋方面第十一軍への転属を命ずる」

 

国連太平洋方面第十一軍、その駐屯地は日本帝国。

1995年以降、いくつかの帝国軍基地を開放する形で国連軍の駐屯が進んでいた。

ユーラシア大陸の陥落が目前に迫っている今、従来の間引きを中心としたBETA漸減戦略ではない、新たな戦略が検討されていた。それは、カムチャツカ、日本、台湾、フィリピン、アフリカ、イギリス、これらを結ぶ長大な防衛線をもって、海を越えてきたBETAを防衛の比較的容易な沿岸部で食い止め、大陸に封じ込めるというものだ。

日本への国連軍駐屯はその一環となる。それだけではない、それ以上に重要な、一般には決して知られることのない理由もまた、あるが。

 

国連軍基地の人員は、上層部以外は現地採用が通例である。その為、在籍者の中には元々帝国軍に所属していた人間も多い。だが、それはあくまで本人の意思であり、帝国軍に所属している現役の軍人に対し、一時的な出向ならまだしも、命令という形で国連軍への転属が強制されることなど、ない。……本来なら。

しかし今、彩峰は確かに言った。命ずると。

 

蒼也は即座に拝命……しない。何故、そのような命が下されたのか、無意識の内に様々な可能性を検証する。

彩峰は蒼也の反応を待っているのか言葉を続けず、中佐は依然として苦い顔をしたまま無言を貫いていた。

 

その中、最初に動いたのは沙霧であった。

この場に呼ばれはしたものの、発言する権利を持っているのか、そもそも何故、同席を許されたのか、それは分らない。だが突撃前衛長としての気質が沈黙したままでいる事を許さなかった。

 

「何故国連にっ!? いや、国連が悪いというわけではありませんが、それでも今、この防衛線から人員を割くなど、納得いきませんっ!

 そもそも、黒須中尉がここを離れてしまっては戦線の維持が……」

「……おい、沙霧よ」

 

中佐が低い声を出す。

 

「随分と情けねぇ台詞じゃねえか、おい。おめぇ、大陸に来て何年だ? 任官して一年かそこらのひよっ子がいなくなったらもう戦えません、ってか?」

 

それは挑発。

己の腕に自信を持ち、自尊心が高い者ほどその言葉には押し黙る他なくなるだろう。しかし、沙霧はそんな凡庸な男ではない。戦士としての誇りに加え、指揮官として大局を見る目も併せ持っていた。

 

「そんな安い言葉には乗りませんよ、中佐。貴方だって分っているはずです。この北京最終防衛ラインを死守する為には、黒須中尉の力が必要だと言うことが。

 彼が天才なのか、それとも本当に超能力でも持っているのか、そんなことは分らないし、関係もない。しかし今、彼がいなくなったらそう遠くない未来に戦線は崩壊する……それが現実です。

 奇跡の大隊は、黒須中尉の力なくては成立しないんですよ」

 

……コイツもいっぱしの指揮官になりやがったな。

沙霧の成長は嬉しく思うが、ここは騙されて欲しかった。納得できぬ理不尽に対しては時に牙を向く男だ、無理矢理に命令を押し通せば後々に禍根が残る。今の精神論で黙らせられないとは思っていたが、説得は面倒そうだ。

ったくよ、俺だって納得してるわけじゃねえってのによ。

中佐の心の声が沙霧に届くわけもなく、二人の視線が火花散る勢いで交錯していた。

 

その中、当事者の蒼也は一つの結論を出していた。

これは、チャンスだと。

沙霧の言うとおり、自分はこの大隊内で高く評価され、必要とされている人間だ。にも拘らず、今この戦線から外されるなど通常では考えられない。ならば、そうしなければならぬ理由が有ると見るべき。

赴任先は日本かもしれないが、恐らくそこは後方ではなく最前線に違いない。何らかの特殊任務だろうか?

この大陸より更に危険な場所……大歓迎だ。自身の栄達の為には、任務が困難であればあるだけ良いのだから。

それに……

 

──これ以上、この隊の人を殺さずに済む。

 

この大隊は良い部隊だ。上と下、横同士が固い信頼関係で結ばれ、それぞれが水準を超えた能力を持つ。理想的といって良い。それだけに、犠牲を強いなくてすむなら、それに越したことは、ない。

 

考えを巡らす蒼也を、逡巡しているのだと彩峰は見たが、それは正解ではなかった。蒼也が迷っていたのは受ける受けないではなく、状況がより自分の目的に叶うかどうかの判断だったのだ。

だが、決心させる為にと言い放った言葉は思いのほか効果があった。主に、蒼也そっちのけで舌戦を繰り広げていた中佐と中尉の二人に。

 

「これは、殿下の御意思である。そう思ってくれて構わない」

 

将軍殿下の?

これは中佐も聞いていなかった。中佐は、蒼也を国連軍に異動させる命が下されたので本人と、それに一番反対するであろう沙霧を連れて来いと言われただけなのだ。

中佐の心の内は沙霧と同じである。蒼也が隊から離れるなど許容したくは無い。だが、部隊の指揮官という立場上、まず自分が従う他に無かった。

しかし、これが殿下の意思となれば話は変わってくる。心情的にも、喜んで従える。だがしかし、一体どういうことだ?

 

「今から話すことは機密ゆえ、もちろん他言無用である。また、本来であれば君らが知り得る内容でもない。これは、現場の連携を崩さぬ為の私の判断だと思ってくれ」

 

二人を見ながら彩峰がそう前置きし、蒼也へと向き直る。

 

「現在、国連上層部にて対BETA戦争の抜本的な解決を図るべく、とある計画が遂行されている。計画は何代かに渡り続けられており、今代における遂行者は我が国、日本が担っている。これは斎御司経盛殿下の御指示により、榊是親首相が尽力成された結果となる。

 殿下はおっしゃられた、この計画に持ち得る全てをかけて協力せよ、と。黒須中尉の国連軍への移籍はこの計画の一環であり、即ち殿下の御意思となる」

 

予想外の言葉だった。

政威大将軍の命、それは帝国軍人にとっては勅命にも等しい。

傀儡として貶められている殿下がそのような事を成されていたのかと、沙霧などは感動と興奮に打ち震えてすらいた。

 

「家臣の身でありながらこのような事を申すのは甚だ憚られるが、殿下は御不自由なお体だ。先の敗戦以来、象徴として今も輝いてこそおられるが、実質的に権限は持ち合わせてはおられぬと言って良い。

 そのような身の上でありながら、今計画の日本への誘致には大層、意欲的であられたという」

 

彩峰の瞳が蒼也を映す。

 

「それは……黒須中尉、君の父上との約束があったからだ」

 

──父さんと?

 

ここで父の名が出るとは思わなかった。

国連という道を選びながら、そして死しても尚、日本の行く末に影響を与える父。

誇らしかった。憧れていた。……でも。

 

──でも……僕は、父さんのように真っ直ぐには進めないかな。

 

もしかしたら、そういう道もあったのかもしれない。真那や真耶と肩を並べ、正道を歩むことが出来たかもしれない。

でも、既に自分は選んだのだ。穢れていても自分の道を行くと、そう選んでしまったのだ。

未練が無いとは言えないけれど……しかし、悔いはない。後は歩みを止めないだけ。

……少し物思いにふけってしまったか。彩峰の話は続いている。

 

「殿下は、故黒須鞍馬国連軍少将にこうおっしゃられたそうだ。政威大将軍の身なればこそ成せる事、成させてもらおう、と。そしてその誓いを、見事に果たされた。ならば我々に成せることは、殿下の御意思に応えることであろう。

 ……黒須中尉、国連軍へ行ってくれるか?」

 

三対の視線が見つめる中、蒼也は応える。

 

「了解しました、中将閣下。この僕にしか成せないことがあるというのであれば、必ずや応えて見せましょう」

 

父さんなら、一命に代えましても、とか言うのかな。そんな事を思った。

そして蒼也は帝国軍を去り、魔女と出会う。

彼の運命の輪が巡りはじめた、その瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 

1997年、5月。

帝国大学、応用量子物理研究棟。

 

「アンタが黒須?」

 

部屋の中にいたのは蒼也より少し上くらいの若い女性。それともう一人、銀色の髪をした少女。

その女性から紡がれた不躾な一言。それが第一声だった。

一見、詰まらなそうな態度と声。しかし、そのままに判断するのは早計、自殺行為といえよう。見た目の印象に捉われず女性を見れば、その視線が注意深く、微細漏らさずこちらを観察しているのが見て取れる。

それは、人が人を見る目ではない。それは、興味を持ったものを解体せずにはいられない、その原理を解明せずにはいられない、子供のような残酷さを持った科学者の眼だった。

 

──まあ、軍服の上から白衣を着てるなんて、科学者ですって自己紹介してるようなもんだけどね。

 

女性の視線からその本質を感じ取った後、そんな間抜けな事も思ってしまう。

そんな内心を知ってか知らずか、それともはたまた蒼也の感情などには興味がないのか、女性は上から一方的に告げた。

 

「香月よ。アンタの上司になるから、よろしく。

 最初に言っておくけど、かたっくるしい敬礼とか号令とか、そういうのは要らないから、そのつもりで。

 アタシは軍人じゃないから。そんな無駄なことに労力を割くのは嫌いなの」

 

うん、こういう人ね、なんとなく分った。

しゃちほこばらなくて良いというのは正直ありがたい。育った環境上、公の場での礼儀作法は叩き込まれて来ているが、それでも蒼也はそういった形式が苦手だった。嫌いと言い換えてもいい。アメリカ人である母の方がよほどなっているくらいだ。

 

「了解しました、香月……」

「副司令でいいわ。アンタ達の機体を置いてる帝国軍白陵基地を接収して、アタシ達の基地にする予定よ。そうなったらアタシが副司令になるから」

「分りました、副司令。ところで司令はどちらに?」

「司令が誰になるかはまだ分らないわ。もっとも、誰が来ても……来なくても一緒だけどね」

 

なるほど。

計画とやらの実質的な主導者は、この香月副司令というわけだ。トップが軍人ではなく科学者。うん、確かに特殊な環境みたいだね。

 

計画に関して一から十まで懇切丁寧に教えてくれるなど期待するだけ無駄なこと。そんなことは当たり前。自分が死ぬ意味すら教えられずに「死んで来い」と命令される、それが軍という場所なのだから。

だからといって、知れる範囲の事を知ろうとしないのは只の怠慢だ。話されているということは、それは知っていて良い内容ということ。なら、そこから出来る限りの情報を見出すのが正しいやり方。

 

──この人、馬鹿は嫌いとか言いそうだしね。

 

きっと、無能は無能なりに、有能なら有能なりに、それぞれの使い方を心得ている人だ。なら、ここから上に昇るには、最低でも副司令に使い勝手が悪くないと思わせておかないと。

蒼也が心の内で情報の取捨選択を行っている中も、香月の言葉は続いている。

 

「もっとも、それがいつになるかは何とも言えないんだけどね。まだしばらくはここが本部よ、残念ながら。

 ホント、いつになったらまともに研究進められるのかしらね。さっさと環境整えないと自分の首を絞めるだけだってのに。これだから、馬鹿は嫌いよ」

 

ほら、言った。

イメージ通りのキャラクターなのが面白く、つい噴出しそうになる。

危ない。気取られたら、きっと無理難題を言ってくるに違いない。そんな人の気がする。

しかし、既に遅かったか。目を細め、獲物を狩る猫科の猛獣めいた面持ちで蒼也を見る香月。

 

「何だか、随分楽しそうじゃない?

 ……まあいいわ。愚痴ったり遊んだりしてないで、さっさと要件済ませましょ」

 

どうやら助かったらしい。己の幸運に感謝を。

 

「黒須、アンタはアタシの直下の連隊の一員になってもらうわ。階級は大尉、中隊を任せる……予定なんだけど、その前に。

 いくつか質問させてもらうわよ、いいかしら?」

 

良いも悪いも無いんだろうな、きっと。

先程からの流れで、ついそんな軽い事を考えてしまう。

油断していたのだろう、結果として次の質問に硬直し、不自然さを曝け出してしまったのだから。

或いは、蒼也から素の反応を引き出すために、ここまで全てが香月の罠だったのかもしれない。

 

「黒須、アンタ……何を視ているの?」

 

視ての部分に力を込めて、香月はいきなり言い放つ。大上段からの、一切の容赦のない一撃。

心臓が、ドクンと一際大きく鳴った。

体中の筋肉が強張り、香月を見ていた視線が刹那、宙を彷徨う。

しまったと、思ったときにはもう遅い。この科学者の観察眼が、不自然な動揺を見逃すわけがない。

ばれている? 自分の能力を把握されている?

ここに呼ばれたのは、この力が原因なのか?

 

いや、まて。そうと決め付けるのはまだ早い。

自分は今までに、この能力について誰かに話したことはない。一度も、だ。

大陸での戦い方を不自然に感じた者がいたかもしれないが、この香月副司令がそうだとは限らない。

 

どう、答えるべきか。

嘘は不味い。直感が告げている、この人に半端な嘘は通じない。矛盾を掘り返されてしまうだろう。

なら……

 

「……人類の、行く末を視ています」

 

これでどうだ。

本当のことではないが、嘘を言っているわけでもない。

こういう奇麗事が好きな人とは思えないが、少なくとも間違った答えではないだろう。

しかし次の言葉に、蒼也は抵抗が全て無駄なのだと悟ることになった。

 

「ふうん……それで、何秒先までの行く末?」

 

ニヤリと笑う香月。

まいった。どうやって知ったのかは分らないが、この人は全て知っている。

この力を武器にして、場合によってはこの人も利用してのし上がるつもりでいたけれど……予定変更。

香月夕呼、この人は……怖い人だ。どうやら味方につけておくのが正解らしい。

 

蒼也は小さく息をつく。

決めた。この場は全て正直に話してしまおう。この期に及んでの悪足掻きは、自分の価値を下げるものでしかない。

 

「平時で最大十秒ほど。戦場等の命が危険に晒される場所では、数分からそれ以上先の未来まで予知できます」

 

香月がちらりと横に座る銀髪の少女に視線を向けると、少女は小さく、ほんの僅かに頷いて返した。

下手に誤魔化さないところは評価してあげるわよ、と。自分の思う通りの展開に、余裕を持って香月は満足そうに一つ頷く。

 

「その力で、奇跡を演出していたわけね」

「はい」

「それで、どの程度の規模の部隊まで奇跡で管理できるの?」

「少なくとも大隊まではいけます」

「それ以上は?」

「可能だと思いますが、経験がありません。ですから早急に連隊長、大佐までのし上がるつもりでいました」

 

それが、蒼也の目的。

自身の力は戦場という環境で最大限に発揮される。ならば、前線で直接にBETAと相見える者の最高位、大佐が自分の目標。

常勝無敗、無敵の連隊。奇跡を率いて未来を切り開いてみせる。

人類に残された時間は短い。だから可及的速やかに、その階段を駆け上がる。それが早ければ早いほど、犠牲は少なくて済むのだから。その為に犯した罪は……平和を手に入れてから償おう。

 

「もうひとつ、いいかしら?」

 

だから、良いも悪いも無いんだよね。

いいさ、もう全て正直に話すと決めたんだ。何でも聞いてくださいよ。

そう思う蒼也だったが、それでも次の質問には再び固まることとなった。

 

「アンタが奇跡の大隊に配属されてから、二人死んでるわよね。

 一人は初陣で死んだアンタの同期。……それで、もう一人はどうして死んだの?」

 

……本当に、この人は怖い人だ。

でも、ここで逃げちゃいけない。この人にただ使われるだけでない、単なる部下ではなく味方につける為には、ここで引けない。

 

「僕が、殺しました」

 

蒼也は香月の眼を正面から見つめ、静かに言った。

 

「それは、守りきれなかったとか、そういうこと?」

「いいえ、違います」

 

魔女が哂う。

 

「それは、やむを得なく見捨てたとか、そういうこと?」

「いいえ、それも違います」

 

魔女が嗤う。

 

「明確な目的と殺意を持って、僕の意思で殺しました。

 彼が死ねば僕が小隊長になり、大隊全体の運用にも口を出せる。それが分っていましたので。

 僕が早く上に昇る為に、戦場で彼だけが命を落とす予知を得た時、その未来を選択しました」

 

どうやら、良いカードを引いたようね。香月はそう思う。

自分の目的の為には手段を選ばない、その覚悟はとうに決めた。そんな瞳をしている。

能力と強い意志を併せ持ち、自らの手で未来を切り開こうとする男。より良い未来を掴み取る者。

間違いなく、今の手駒の中で最も高い適性を持っていることだろう。00ユニット、人類に夢と希望を与える救世主への適正を。

この男はアタシの管理下に置いておかなくてはいけない。その為には、アタシ達の利害は一致していると、示しておかなくては。

 

「正直者へのご褒美に、一つ教えてあげましょうか。

 さっき、予知って言ってたけどね……アンタが視ているのは、この世界の未来じゃないわよ」

 

どういうこと?

未来なんて視ていない?

能力なんて存在しない、只の思い込み?

 

……否。

今まで、この能力のおかげで何度も死の腕から逃れてきた。その中には、流れを読んだり経験から感じ取ったりといったことでは説明のつかない、全く偶発的に起きた出来事も含まれている。それをあらかじめ知ることが出来るからこその、予知。

……いやまて、副司令の今の言葉。

 

──この世界の未来じゃないわよ──

 

まさか……いや、でもそう言うことなのか?

常識に捉われるな。未来を知るという時点で、既に日常の範囲から逸脱しているのだ。ならばさらに超常しても、何処に問題がある?

 

「……他の世界の未来を視ている……と、いうことですか?」

「正解」

 

頭の回転の速い子は嫌いじゃないわよ。

打てば響く、優秀な教え子を持った教師とはこのような気持ちになるものなのだろうか。

科学者としての血が疼いた。

 

「今、アタシ達がいる世界。世界とはこれ一つじゃないのよ。エヴェレットの多世界解釈ってわかる?」

「……いえ、わかりません」

「量子力学の観測問題における解釈……アンタにも分りやすいよう簡単に言うとね、平行世界とか言われている奴よ。

 黒須、ちょっと手を上げてみなさい。

 ……アンタは今、右手を上げたわね。でも、ここで左手を上げる可能性もあった。もしかしたら、両手を上げていたかもしれない。その可能性の数だけ、世界は存在する……つまりは、無限にね」

 

可能性の分だけ、無限に存在する世界。

……あっ! 今、何か思いつきそうに……

考え込む蒼也を尻目に、香月の講義は続く。

 

「良く似た世界は重なり合うように、全く違う世界はより遠くに存在する……まあ、概念的なものだけどね。ただし、いくら近いといっても通常、他の世界に干渉することは出来ないわ。

 でも、それを可能にする要素がある。それが、因果よ。

 世界は因果によって結ばれている。これが、アタシが提唱する因果律量子論よっ!」

 

胸を逸らし、蒼也に向かって人差し指を突きつける。

銀髪の少女が、机の下で小さく拍手した。

 

「預言者といわれる者達がいる。霊媒といわれる者達がいる。彼等はね、他の世界からの因果情報を受け取る力を持つ者達なの。

 それが未来に関する情報なら予言という形で現れる。人に関する情報なら生まれ変わりや憑依という形になるわ。

 黒須、あんたもその一人というわけね」

 

その時、蒼也の頭の中で何かが噛み合った。

パズルのピースのように、断片的に考え付いていた情報が組み合わさった。

 

「副司令っ!

 可能性の数だけ無限に世界が存在して、僕がその情報を読み取ることが出来るならっ!

 なら、BETAの駆逐に成功した世界を知ることも出来るんですかっ!?」

 

それは天啓。

例えば、「W-A-T-E-R」が水をさす単語だと始めて理解した瞬間のヘレン・ケラーのように。

蒼也は自らの思い付きに歓喜した。未来に立ち込める暗雲に一筋の晴れ間が見えた気がした。

 

「無理ね」

 

しかし、香月は無常にも首を横に振る。

紅潮していた蒼也の頬が、一瞬で真っ青に染まった。

 

「なんでっ!?」

「アンタ、BETAの駆逐に成功した未来とやら、思い描ける?

 単なる空想や妄想とかじゃなくて、確固とした現実として想像できる?」

 

そんなことは不可能だった。

蒼也が生まれた時、既に人類の斜陽は始まっていたのだ。

滅びこそ日常。

生き残りをかけた戦争がごく身近にあり、死がごく当たり前に存在する。この世界で育った蒼也に、そんな幸せな世界を感じ取ることなど出来はしなかった。

 

「因果ってのは、無条件にやり取りできるわけじゃないのよ。情報を受け渡しする存在と、何らかの繋がりがないとやり取りは出来ない。

 原因があって、結果がある、だからこその“因果”」

 

……そうそう、うまい話はない、か。

短い、短すぎる夢を見た蒼也が、自虐的な笑みを浮かべる。

しかし、香月の顔にはそれと真逆な笑みが。

 

──ホントこいつ、いい反応するわね。

 

アンタ、いま落ち込んでいるわね。希望を不可能と砕かれて、絶望しているわね。

なら、喰い付いてきなさい、この餌にっ!

 

香月の誘導ももちろんあるが、蒼也は一度話を聞いただけでBETAのいない世界の情報を読み取る、この可能性に思い至った。

そこまで理解しているのだ、ならばこの言葉には抗えない。抗えるわけがない。

 

「でも、なかなかいい線いってるわよ。

 アタシの計画──オルタネイティヴ4はね、それを可能にする為の計画なんだから」

 

下を向いていた蒼也がはじかれたように顔を上げた。

 

「あらゆる世界にアクセスして情報を掴み取り、戦いを終わらせる存在。それを作り出す為の計画。

 アタシはこの戦いに勝つわよ。黒須、アンタ……それに協力する?」

 

魔女の囁き。

それに応える蒼也は、是の意思をこれまでで最も強く発していた。

それは、自分には言えないと、言う資格が無いとも思っていた言葉。

罪を犯した自分の命に、何の価値があるのだろうかと。

しかし、それでも。もし、この命を捧げることで計画が成就するならば。

 

「この黒須蒼也=クリストファー、一命に代えましてもっ!」

「……いいわ、これでアンタは魔女の使い魔ね。

 今日からアンタは少佐。アタシの専任部隊、A-01連隊のNo.3よ。それより上に行きたかったら、後は自分で何とかしなさい」

 

こうして蒼也は魔女と契約を結ぶ。

黒須蒼也=クリストファー、19歳。

数奇な運命を巡ることとなる彼の人生に、更なる彩りが帯び始めようとしていた。

 

 

 


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